森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2017.01.06
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カテゴリ: 生の欲望の発揮
正岡子規にしろ、森田先生にしても大変な病気に苦しんだ人達であった。
普通の人は前途に悲観して人生を投げ出してしまうかもしれない。
多分私なら破れかぶれになり、何も手につかなくなることが予想される。
お二人は病気を抱えたまま情熱を燃やして生き抜いてゆかれた。感動ものである。

正岡子規は、7年にわたる肺結核と脊椎カリエスによる仰臥に、耐え忍ぶことのやりくりや心構えを求めることをしなかった。
病苦に泣くのみであった。極貧の中にあって看護人もなく、寝返りを打つには柱につないだ紐を引っ張ってこれをやるという仕儀であった。
子規は痛みと喀血の耐えがたきことを、はからうことなくただ慟哭していた。
痛みに常に襲われながらも俳句と随想の創作活動は続けていった。
死の二日前まで書いていたのが「病床六尺」である。


23歳の時坐骨神経痛。29歳肺結核。46歳反復性大腸炎。47歳呼吸器系疾患。
50歳肺結核で血痰をみる。51歳喀血。52歳肋膜炎。57歳喘息が悪化。肩関節痛に苦しむ。61歳熱海で喀血。63歳赤痢を病む。64歳肺炎のため今でいえば想定外の若い死であった。

その間56歳の時一人息子死去。61歳妻死去。64歳母死去と家族にも不幸が続いている。
森田先生の身にはこれほどの悲運が次々と襲ってきたのである。たまらない試練である。

そのような状況の中57歳の時、九州医学会招待講演に出かけられている。
福岡、熊本、鹿児島を回っておられる。付添は古閑善之先生であった。
講演前は衰弱はなはだしくとても講演ができるような状態ではなかったという。
講演前は横になって伏せっておられたという。
それでも講演の時間になると毅然として立ち上がり講演を滞りなく行われたという。
帰京後は相当な疲れが出てきたようである。それにもかかわらず断行されたのである。
形外会という会合でも森田先生は病気で苦しいにもかかわらず、布団の中で体を休めながら参加して発言されていたという。


その考えを死ぬる直前までまで自ら実践された人であった。





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Last updated  2017.01.06 06:30:05
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森田生涯 @ Re[3]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ 今の生活は日中のほとんどが…
stst@ Re[2]:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、返信アドバイスをしていただ…
森田生涯 @ Re[1]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ コメントありがとうございま…
stst@ Re:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、こんばんは。 過去に何度かコ…
軸受国富論@ Re:森田の正道を歩むとはどういうことか(06/05) かの有名なドクターDXの理論ですね。ほか…

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