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もちろん、我流です。2010年を数秘術で分析してみました。多くの有名・無名の占い師が「2010年」を占うでしょう。ほとんどの人は「自分」の占いを複数の占いで確認するでしょう。占いにしても、個人の軌道と2010年の軌道は微妙に違うし、微妙に連動するのです。その「連動」を踏まえて占いを見ることが大事なんです。さて、自分の「占い」、オオザッパです。多くの訪問者さま?が閲覧して、不快にならないの配慮でもあります。2010年は2009年と別な意味で「メンドクサイ」年となりそうです。もし多くの占い師が「来年は良い年」と言うかもしれません。たしかに、そのような数字も伺えます。それでも妙な数字、それが気になります。なので、2009年とは別な意味で「気の引き締め」をお願いいたします。理由はサイクル軌道です。通常であれば、年での月サイクルの軌道が読めます。ですが2010年の軌道は2009年と別な意味で同じに、軌道サイクルが読めないのですね。なので、個人の軌道で良い・悪いを含めて「気の引き締め」をです。なにがあっても大丈夫なる、心身の万全を持つのなら、吉報は来る予感があります。あとは他の占いで、よろしくです。
2009年12月25日
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もう3年?か、もう少し前の情報です。今現在の異常気象と地殻変動の情報は前々から来ていました。悪い流れを大きくしてはマズイと考えてココロに留めていましたが、結果は変らないでした。トホホ・・・今後の流れは、●●と、●●地方、●●の太平洋側地域が危険域に入るようです。オオザッパなヴィジョンでは、◆◆を中心にして蜘蛛の巣上に日本全体の地殻に光る筋があります。不思議と北海道は蜘蛛の巣から外れています。最終目標は「◆◆の陥没」みたいですが・・・霊能者さんの話では「4大要素」が日本を守るで、日本のどこぞに配置していたのが「北海道」に来ているとの事です。そうだとしても、だからなに?一般人に要素の配置なんてできません。出来る人は・・・いないはずです。自然の流れだと感じます。もし、その流れを人間が阻止しるなら・・・「さかなぎ」と「背信」行為でしょう。自分が感じてるから、多くの霊能者さんも「天変地異」を感じているはずです。そうなると、水面下で阻止を目的に動いているかと。自分の感じでは「4大要素」が北海道に来たのは「地殻変動」を予想をしての回避行動と感じます。北海道は、たんに「仮の宿」です。日本の地殻が落ち着けば、北海道から離れ、元の場所か、新しい住処を目指します。動かないで居るの手もありますが・・・要素の固定、地殻変動からの防衛などなどのフルパワーはシンドイはずです。コレばかりは祈るしかない。 隠している、●●と◆◆は解る人には解る場所なんです。解らない人には不安を大きくするのも、けしからんの意味から隠しました。なにとぞご了承ください。
2009年12月20日
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前回のチカラの内訳は、目に見える世界での説明です。今回は目に見えない世界での内訳を書き書きします。そうなると言葉で分けるより、波動での判断になりますの。必要最低限の事のみ書きます。大いなるチカラとは確定していない過去・現在・未来を良き方向に向けることらしい。過去の歴史でも、記載されていない過去は変えれる。それは現在・未来もしかりです。例題個人の過去視で惨劇があった⇒現在は、その過去・前世が悪影響で人生が狂う⇒未来も悪影響する大いなるチカラとは、その悪影響の元凶を浄化する。すなわち、過去・現在・未来に光がさす。過去から現在・未来と関わった悪しき存在・惨劇の本人・関係者すべてに光がさすチカラです。前回のチカラの内訳に分類できないチカラですの。神仏さまが直接するなら1回で済みます。ただ現世で人間が、このほどこしをするのは細心の注意が必要です。邪霊の邪魔だては必ずですから。しかも1回で済まないし、次空間の運行を読んで行動するから時間を要します。これが出来る人は、そうそう見つからないでしょうね。自分は知識だけの人ですから・・・無力なのよん。胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅が鍵ですの。言葉が・・・出てこないから、これにてごめんなさい。
2009年12月13日
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余談で、四方山話みたいな感じです。パワーには大きく分けると、霊能力・超能力・神通力に分かれます。大本は霊力でして、大なり小なりで言えば「大」なる発現能力が、これです。霊能力=2つに枝分かれします。仏法(宗教の概念の神仏さま)・神道(森羅万象の力)どちらの力も借り物です。 霊能者になるは仏法系の力の人。 神道の人も霊能者になれます。それには神仏合体のパワーから仏法の力を借ります。 神道で霊能者は「江原氏」 神道系は神事をする力です。 仏法の力を借りたとしても人霊にたずさわるは負担・負荷がかかるから・・・ 今後は鑑定から距離をおきますね。 仏法系の霊能者は「みわ氏」です。なんとなくでも皆さん、霊力強い方ならパワーの違いが感じるとおもいます。しかも霊能力は8・10以上に能力分けになります。残念な事に自分は内訳を見逃してしまい、詳しい事はわかりません。いまの未熟では先送りにされたと考えます。とりあえず内訳のパワーには名称があり全部漢字で、最後に「******師」がつきます。そこまでしか記憶していません。 超能力=次空間パワー。異次元空間パワーを3次元に召喚することで発揮する。 これはテレパシー・脳のキャパがあっての召喚です。 自身のパワーとはいかないにしても、操ることで自分を守るのなら有効なパワーでし ょう。悪用は困りますけどね。 霊能力以上に繊細かつ微妙なパワーでもあります。神通力=霊力に上乗せされるパワー。 使用できるのは陰陽師・魔道師。 使用に当たり神通力⇒通力に変わります。 広辞苑では略字と意味されますが 目に見えない世界では「神通力」は神仏さまが使う力。 人間が使う時は人間の意識です。そこには神仏さまの意がありませんね。よって通力となります。この世での能力者となると、複合能力ともなりそうです。他には「術」などの儀式が絡むとなると、ややこしい~。なので、これらの力を持つ人の区別となると、一概にはできないので、自分としては一まとめに「能力者」と考える事にしました。こんな感じで今後も・・・書くのはいつになるか?知っておくと為になる?でも他の人に話しても理解不能の話ですから、ここだけの話ですね☆
2009年12月12日
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基本、自・殺する時は発作的でもあります。それでも、考えてほしいものです。それは場所・遺書・関係者に対する配慮です。ほとんどの一般人は「考える余地がないから自・殺する」でしょうか。そうとも言えます。でも、そう考えるは短絡的とも、自分には関係ないからの意識が見え隠れしていそうです。自殺の配慮をするのなら、自殺は回避行動とも成りうるのです。これは現実社会を生きるか死ぬかを考えている行動ともなります。ほとんどの自殺には「生き詰まり」の意識と、意識からの逃避になります。もし本当に自殺しても「配慮」なくするのなら、本人も回りも「悔い」が残りとは考えないのでしょうか。自分は、考えます。だから自殺は出来ないのです。【場所】公共の電車ほかには、遺族に多大な損害金の賠償を求められます。大勢の場所で自殺現場目撃もしかり、もし現場目撃で精神が苦痛を味わうのなら、賠償を求められるとなりそうです。自殺してなを遺族に怨まれるのは?【遺書】遺書がないと遺族には気持ちの整理ができません。また遺書に内容が怨みつらみ、無念のみも遺族にしてみれば「苦痛」でしかありません。それらを踏まえての、文章力を身につけて書いていただきたいです。このように考えると、自殺なんて簡単にできません。それより生きるを選びたくなると思うのですが、どうなんでしょう?ウツからの自殺となると話は別です。思考回路が【自己破壊】に向いていますから、関係者はウツ者の思考回路の変更に尽力するでしょうか。人間、メンドクサイ生き物ですね。
2009年12月08日
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全ての生命には「愛」を遺伝子レベルでインプットされている。そうなると受精卵子の前、精子と卵子の時から「愛」をインプットされている事となる。よく言われる「母性愛」などは「母性本能」と同意義かと。自然界の動物なら、これの「愛」でも生存の意義はあります。ですが、人間社会は自然から逸脱しての生活が「愛」を複雑にしてしまった。悠久の歳月で根付いた「愛」が未だに人間を縛る、苦しめる、堂々巡りしております。これこそ、過去からの呪縛であります。遺伝子による「マインドコントロール」でもあります。勘違いする「愛」としては、<愛するものを守れ>があります。ですが、これは「愛」を守るのではなく、守ろうとする人の思いにあるのです。良い事でもありますが、行き過ぎると厄介でもあります。大切に思う人を失う事の恐れ、悲しみを味わうのを悲観したくないの気負いであります。よって、自分を主体にしての<愛するものを守れ>となります。これは人を守るのであり、「愛」を守るのではありません。遺伝子の「マインドコントロール」による「愛」を推し進めるだけで良いのでしょうか?自然界から逸脱している人間なら、その先を考えるべきかと。過去の「愛」は常に、有償、無償の「愛」でも有言実行でなければ認められない事が定義と成っております。この定義に外れる「愛」は「愛」とは認められない。ですが、これでは前進しないのでは?もちろん、遺伝子レベルの他に考えれらるのは「精神レベル」があります。ですが遺伝子のマインドコントロールの支配下にあるのであれば、なんら変わりが無いのであります。遺伝子レベルの支配下の「精神」が「愛」を説くほうが逆に危険でもあります。そう考えるのは「宗教」などの信仰に「愛」を説くことが上げられます。昨今の異常な社会状況から、お解りかと。過去の「愛」は未だに遺伝子に取り付き、精神を蝕んでいるとしか考えられない。実に嘆かわしい限り。
2009年12月06日
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愛だけでは救えないこの不完全な世界と不完全な人間が推奨する「愛」とは、信用する値が有るのだろうか?苦しい、悲しい、痛い思いをしてでも欲しがる価値があるのでろうか?この世は「愛」で作られた世界でもない。故に我思う。救うことが出来ない「愛」に固執する必要はない。愛がなくてもこの世は生きていける。愛さない、愛されない人が淋しい人とは限らない。愛に翻弄される人は?愛で拘束しあう人は?愛を追及する人は?淋しい人ではないけれど何かに、おびえているごとし。我は、愛されない、愛さない人間でもない。世間一般の「愛」を受けて育った人間だ。不完全の人間の作りし寓話から「愛」に固定概念が付いてしまった気がしてならない。寓話の「愛」とは傷つき、悲しみ、苦しみが伴う。そして障害を乗り越えて勝ち取るのが「愛」みたいな事を推奨している。はたして、そうだろうか?この寓話からの固定概念の付いた「愛」はキナ臭いし嘘くさい。我としては寓話の「愛」は否定的である。故に我、考える。「愛」は、もっとリベラルのはずだ。2の2に続く
2009年12月04日
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