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御辞儀朝の電車内は殆どが只管御辞儀の姿勢。半分は携帯半分は居眠り。其の疲れの所為か感謝の御辞儀は為ない。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.31
人は全て人の狭間の存在。社会性とは然う言う事。群れて暮らすと言う事は群れの力が自分の力と言う事。ならば選り力の在る人との出会いが望ましい。知己の人の力は自分の力の一つ。然う言う出会いは精魂込めて大事にするが良い。丁寧に微に入り細に入り心を砕いての御付き合い。然すれば軈て其の人の力が自分の力に成る。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.31
構えて戦う。大事な時はいざ決戦の心構え。構えて戦う。相手は平時。此方が独り決戦。勝ち易し。中に同様密かに決戦相手が居るやも知れぬ。努々油断無き事。本日決戦。日々刻々決戦。常在戦場。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.31
民主主義的善悪。神の摂理の善悪が在る。道徳倫理。人が言う善悪が在る。昨今の流行では温暖化の悪玉論。真実は不明乍ら人間の仕業の所為だと言う。由って彼れも此れも温暖化の因として悪玉退治の流行。抑の温暖化の実態が不明。加えて善悪の問題化が問題。抑は善でも悪でも無い。自然に悪も善も無い。自然の事実に人が如何様に順応するかの問題。迷惑の人が多いと悪。恩恵が多ければ善。温暖化と言う自然の在り様すら多数決の民主主義的決め付け。真実は千万人と雖もと言う事。況してや其の真実不明。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.31
記憶に残る人。月の内半分程電車通勤。同じ時刻に乗る。殆ど毎度知らぬ顔。単に風景で覚える気の無い出会い。中に極端に特徴的な人は覚えて終う。身体の巨極端な大小は些かの驚きが記憶させる。近頃偶に居るのが変人。独り言を言い続ける。へらへらと意味も無く笑い続ける。車内を檻の中の熊の如く徘徊する人。此方も驚きで覚える。気味悪さと自己防衛本能で覚える。美しさや凛々しさで思わず平伏し度為り忘れ得ぬ人には会わない。屹度然様の人は居ないから会わない。自分は如何だろうか。風景の存在為る哉。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.30
須藤公園我が文京区にひっそりと斯う言う公園が在る。何故にひっそりかと言うと文京区民40数年にして識らなかった。一昨日の新聞記事で識って行って見た次第。戦前に須藤さんと言う方が寄付をされたと言う。大戦争でも無い限り公有に成ったからには永続性が高い。須藤様の志が歴史に確定した。財貨の価値として考えると屹度100億円単位の価値が在る。如何に財力家と雖も容易に只で他人には上げられない。息を呑む様な大人が此処に居る。日本には寄付文化が無いと言う。屹度歴史を識らぬ人の軽々な弁。日本には陰徳文化が在る。然う言う人達は寄付をしたからと言ってパーティ等為ない。本来が徳とは陰為る事。橋は利用者の利便の為に掛ける。時に自分の名声の為に掛ける政治家が居たりする。顰蹙を買う行為。民度が下がると夫れに賛辞を与える。然う遣って国力が衰えて行く。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.29
所有命は常在戦場。即ち戦い。勝つには知恵が要る。知恵を活かすには力が要る。就中行動力が要る。行動力の元は勇気。即ち勝つには勇気。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.29
燕雀安知鴻鵠之志哉近頃は為たり顔にて透明性とかを言う。識らざる可きを識らぬ。些かの断片情報で識ったか振り。哲学も志も無き井戸端会議か竹藪雀。燕雀処か蟻が象の寸法を論ずるが如き。識らざるを識り識る可きを識らざる不幸せ。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.29
高山大山。高い山に登ると其の見上げる高さに息を呑む。頂に立てば遥か遠くを望み其の雄大さに又息を呑む。昨日は人の高い山に登らせて頂いた。森林太郎こと森鴎外。記念館に偶然巡り会う。僅か60年の人生が実に雄大に長い。息を呑む許りの大きな人生。坦々たる雄大さ。明治戦前戦後の人達は短い人生を濃く深く大きく生きた。短い時間が長い。更めて熟の大山に登らせて頂いた。遅蒔き乍息を呑み心を洗われた。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.29
人は火を使う事に依って動物から人に進化したと言う。物理的に生理的に生活様式として然様然り。人の人足るは一番は心精神。由って最も人として他の動物から隔絶進化した要因は人が鏡を手にした事。自分を見つめる事を識った。自分で自分を識る事が人間の最大の特長。其の人間が鏡を見なく為った。殊に内面の自分を見なく為った。近頃水に映った自分を見詰めて居る猿が居ると言う。危うき哉人間性の放棄の人間。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.28
金時山の富士富士山の周辺には各県を跨いで2,000m級を中心に高峰が連なる。丸で格の違いに平伏すが如く周囲を囲む。大方が美しく富士山が観得る。就中金時山からの富士と空は絵画の様に美しい。頂上に出た瞬間に出会った感動には言葉が無い。 広大な青い空に美しい富士が独り浮かぶ。夫れにしても旧く金時と称される超人が此処に居たに違いない。頂上の感動が然う確信させる。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.28
閑居小人閑居不善の山中人閑居思慮の山大人閑居虚空の山大人固より閑居為ず。大人人生閑忙為ず哉。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.28
夫々の住処が在る。鳥の夫れ。魚の夫れ。北の生き物。南の命。動物。草木。嘗て地上には1,500万種類の命が在ると言われて居た。其の後地下には夫れ以上の命が在ると推理された。そして地球上の命の種類は不明になった。其の命の種類丈其の住処が在る。人間も同様。人夫々の住処が在る。夫々の住処は住んで見なければ分からない。分からないと言う事が分からないから諍いになる。経験不足とそれに依る推理能力の貧しさに起因。別々に生きるが良い。小さな者は他人の領域に立ち入らぬが良い。大きな物に抹殺されるか邪険にされるか不都合不愉快な丈。夫々の適地の住処を識り其処で棲むが良い「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.28
哲学的絶望哲学の絶望に非ず。絶望の起源が違う。多く行き詰まりに起因の絶望。貧困失敗に依る人生の絶望。其の因が解消すると絶望が希望に転ずる。似て非なる絶望。哲学に起因為ざる絶望。哲学上の絶望は概念の問題。哲学的絶望は現実の問題。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.27
衆愚風鈴。犬は犬の声に反応し蛙は蛙の声に反応する。同様頭の悪い者同士が集団化する。其れが衆愚愚衆。其れに従うが衆愚政治ポピュリズ。昨今の最たるが少子化対策。何等哲学も方法論も無き野犬や蛙の遠吠え。何で鳴いて居るのか抑意味不明。隣が鳴くから只追従して鳴いて居る。温暖化も然り。其の因も現象すら不明の儘時の風に鳴く。デフレを入れれば三大話。一体デフレ論を真面目に学んでデフレと言って居る人が居るのだろうか。犬や蛙以下。風に鳴くは風鈴並み。農業も然り。TPPだと言うと急に輸出だと言う。夫れも良いが自前手前は如何か。夫れに輸出と為ると農業の工業化流行。農業の本質を識らぬ者が其の名の高さで論じる。大方近頃は農業を識らぬ国民物許りにて其の名の故に感心同調する。土の意味を識らぬから土が無くても良いと言う。太陽の意味が不明だから変わって蛍光灯やLED光で良いと言う。太陽に土に恵まれぬ国土の人達の已むに已まれぬ知恵努力。太陽も土も即ち自然に有り余る程恵まれた自分が見得ぬ愚論愚行。象が蟻の行動様式を学ばんとするが如し。亀が水掻き海を忘れて空を飛ばんとするが如し。デコイに恋するアホウドリの如き能天気な言動。名前や地位で言動しては成らない。筋違いの名に迎合する勿れ。事実論理には本来名は要らぬ。名の有る人が大事を言う時は名を伏せてこそ言う可し。聴くは名を伏せてこそ聴く可し。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.27
日本民族は元来物真似志向では無い。有名な学者が「日本の農業のモデルはオランダだ」と言われると言う。日本人は物真似で生きて来た訳では無い。咀嚼改善民族。世界最古最長最高の混血民族。其の血が産み出す咀嚼吸収能力の高さ。其の頂点に在るのが「改善」。オランダの農業も学ぶ可きは在る。工業化的農業は然も在りなん。然れど抑農業とは何か。自然の所産産物。農産物は本来自然が産み出す物。由って立地環境なりの所産。工業は人間の所産。由って車も家電も自然は問わ無い。自然無き所に本来の農業は無い。自然無き農産物と言うものが在れば形丈の似て非なる物。自然の大きさ豊かさ其の特徴性格なりの農産物。山に樹が在り獣が居り海に海草が在り魚が居るが如し。即ち両国は国土の環境省が違う。日本は世界に稀なる自然の宝庫。此の自然に如何に仕事をして貰うかが日本の農業の鍵。国土や其の環境に恵まれない国の農業のコピーでは無い農業が日本農業。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.27
時刻の顔。旧く街には一日或いは一年の時々折々の顔や音が在った。今は些か通勤電車の中に音は無いが顔が在る。始発電車から段々乗客の顔が変わって行く。夫れも日々大方同じ顔の変わり方。職種別の顔の変化。土日には又夫れなりの顔。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.26
車の無駄遣い。便利な物は大方無駄遣い。無駄の効用が便利さ。就中車の無駄は多い。其の車の無駄の就中が燃料。殊に街中のアクセルとブレーキの相反する行為が産む無駄遣い。動力として必要な丈のガスは現在の半分以下。其の証拠が高速道路の長距離走行の燃費。ブレーキを遣わなければ燃費は極端に上昇。因って望む可きは街路の信号制御を車のアクセルと共に連動制御。信号に併せてのアクセル制御でブレーキロスを減ずれば良い。理想は新交通システムに依る個々の車の使用を無くする事。最後は哲学思想付き技術開発の問題。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.22
山登り2。過日前掛け山登山のTV放送を観た。2時間歩いた所で森林を抜け急峻な瓦礫の山が出現。帰ろうかと出演者が言う。然し直ぐに斯う言う。此処で帰れば人格に拘わると。何事で在れ苦しい事を求める気持ちは夫れ。苦しいからこそ困難だからこそ遣る。由って逃げれば正に人格の問題。遣り遂せるか如何かは然う言う志の問題。山登りは簡単に夫れが試せる。鍛えられる。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.21
季節外れの価値。桃の産地山梨は行って来た。旬の桃は現地には大方無い。経済の旬の桃の季節は終わった。然様に旬の物が専業農家から減って行く。消費者が季節外れを評価する事が因。売ったのが先か求めたのが先かは不明。何れにしても露地の旬の物は値段が張らない。季節外れだと何倍も高い。食物としての価値は旬が圧倒的に高い。然し経済が優先する。何事にも季節外れ旬ずれが起きて居る。専ら経済の為に本来の機能や目的では無い存在化をして居る。人が真に賢くなければ全ての事が怪しく成る。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.21
偉いという一つの物差し。遣りたければ遣ればと 監督に言って顰蹙を買ったプロ野球のオーナー社長が居た。偉いか如何かの比較関係では無い。経営者と野球監督と言う質の違い。金の力丈で強弱上下を為さんとした愚行。本来ならば監督を御願いします。金が有ろうが何かの力が在ろうがプロ野球の監督は誰かに頼むしかない。野田一夫先生の御著書「悔しかったら、歳を取れ!」でも在る。仮令年齢ですら先後は変えられぬ。夫れも経験力と言う力の内。皆夫々の自分の偉さ丈で人の価値を測る。詰まり人間の価値の評価選り自分が人の上に居度いと言う単純な私欲。灰に為る迄の邯鄲一炊何れ質量共に大した事は無い。夫れにしても酷過ぎると言う事も在る。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.20
知恵の価値行為の価値知恵とは。誰も考えて居ない事か。行為とは。誰も遣って居ない事か。夫れを遣る。夫れが価値。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.20
金魚鉢の金魚。人が水を取り替えなければ酸欠で確実に死ぬ。餌を呉れなければ軈て死ぬ。其れを知って居るのは人間。金魚は知らない。人と神の関係も屹度同様。夫れを運命とも言う。金魚との違いは人は運命を変え得る可能性が在る。折角の可能性を捨てぬが肝要。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.19
見得ないを見る。人が見得ない。自分が居るから。自分が見得ない。自分が居るから。自分が見得ない。自分が居るから。だから人が見得ない。自分を知らない。人を知らない。だから自分を知らない。競うから自分が見得ない。相手が見得ない。知る方法は競わぬ事。勝てる相手なら競う意味が無い。勝てない相手なら尚競う意味が無い。自分が知らないと気付く事。然すれば競わず学ぶ。自分を知らない人を知らないと気付いた時から見え始める。知り始める。自分の知らぬを知るには自分を大きな物と比べる事。賢人と比べ山と比べ宇宙と比べ神と比べる。小さな「私」等消える。小さな相手も消える。何れ大した存在では無い。然すれば迫めての存在への努力の勇気が湧いて来る。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.19
皆夫々に言い分が在る。老若男女地位立場を問わず言い分が在る。問題は誰の為。多く人としての熟度が低い程自分を遣る。力が無い程自分を言う。小さい分丈視界が狭い。他が見得ぬ。大きさなりの推理能力。大きさなりの視力聴力。自分の大きさなりの物差し。事の是非の判断力。相手との軽重強弱の推量力。何選りも相手を立てる謙虚が先。慮りと言う社会性が最優先。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.18
生命の全てが社会性を問われる。即ち社会性の低い物社会性を失った物は早く滅亡して行く。人格道徳倫理人の道とは他との折り合いの道。其の際尤も有効な方法とは他を優先する事。後の先こそが道。即ち社会性の基本。御先にどうぞ!「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.18
行田の古墳群。したり顔にて古墳と呼びて墓を踏む旧ければ墓を踏んでも良いと言う事には為らぬ。折角乍ら利用の仕方に一考が必要。夫れにしても行田市の古墳群は力の証。遠い昔に此んな事をさせ得る権力と叶えた民の力が此処に在ったと言う証左。素晴らしい大きさ多さ。只管感銘。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.17
不言実行思う事気付く事は多々。夫れと遣る事は全く別。理屈で分かる事と遣って見て分かる事とは全く別。正に論語読みの論語知らず。経験と言う検証・物差し以上の確かさは無い。見た事の無い景色は語れない。食べた事の無い味は語れない。夫れが長幼老若先後の価値。幼が長に「自分と同じ」との言は無い。「自分も同じ」と言うも無い。同じ丈遣ってから言う可し。不言実行為らぬ有言不実行の多々。言わず為す可し。自戒努力。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.16
山登り考2。山に因りけりのきつさなれど夫々にきつい。可能な範囲の厳しさだから多くの人が山頂に挑む。きつく無ければ山へは行かぬ。力が在れば易しい事には挑まない。向上心が在れば易しい事には手を染めない。厳しさ故の達成感が其の原動力。人は本来横着と勤勉の両極を持って生まれる。そして其の狭間に生きる。何方に選り多く傾いて生きるかの問題。等々思い乍ら又一歩頭と脚との合作登山。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.15
車の合流マナー。我先に合流しようとする。一台づつ交互にが常識が休日には通用しない。車の合流。日頃は随分行儀が良く成った。一台づつが交互に合流し尚多くはハザードランプで礼をする。車も衣食足りて成熟化。ところが休日となると車社会の新参者や未熟者が殆ど。すると合流の行儀を知らない。隣の列の所構わず我先に突っ込んで来る。先の方でも手前でも無秩序に入ろうとする。入ったらどうだと言わんばかりも居る。有り難う処では無い。詰まり相手を慮ると言う思いは微塵も無い。只自分のし度い事をして居る丈。然う言う人には車とは然う言う物。車と車の関係に心は不在。発想の転換が無い。車は一人で動いては居ない。必ず人が居る。車も人其の物。結局運転マナーの悪い人は人が悪いか未熟な人。結局何事も人。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.15
若さと学徒。一生学徒。即ち一生挑戦。未知への挑戦。即ち一生学び即ち一生未熟。即ち万年青年。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.14
君子道。君子道第一義は治国。旧く中国では国を治めるとは国同士の戦いに勝つと言う事。後に治山治水と言う治国の思想が生まれたが此れは平時の思想。領土国土が一定化し其の安定的効率的利用が行政課題と為った事に依る。旧くは自然との闘いで国土を富ますよりも領土の拡張の方が生産性が高かった。即ち国取り物語が国を治める第一義。其処で勝利の必要として戦時戦場での臨機応変能力を問われた。戦時戦場での指導者像として臨機応変であり豹変が言われた。戦略は朝令暮改は為らぬが戦術は刻々の変化対応即ち臨機応変が必要。指導者こそ豹変能力が無いと指導欠格者と言う事。然れど君子で無くとも戦時の人は多く豹変す。何となれば戦は命懸け。因って命の為には豹変す。平和平時の人は命が掛からぬ故に豹変せず。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.14
山登り考。近頃屡山頂を目指す。健脚の確認と森の精を頂く。森での呼吸で新鮮な森の多種多様な命を頂く。体内に森の命が充満する。又高い山の頂に立つのは神に会うと言う特別の意味が在る。高い山には神が住んで居ると人は言う。実際に其の山頂に祠が設けられて居る山は少なくない。人の長い歴史を生き続けて来た神の信仰には何かしらの事実が在るに違いない。信じない人は其の事実を知らぬか推理能力が乏しい丈。高い頂きに立つと少なくとも神聖な気持ちに成る。神聖とはと問われると具体的に答え様が無いのが神聖。強いて言えば神を感ずる心。ならば神とはと問われれば神。人の小さきを知らしめるのが神。小さな人達に深く高い山に道を付けさせた神の力。其の力と共に此の先人達への畏敬を知らしめるのも神。行かなければ不明。行けば只神只森只自然そして先達。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.14
田原総一朗先生の「田原総一朗公式メールマガジン」より。先生曰く「どのメディアも、コンプライアンスという言葉にがんじがらめになっている。新聞だけではない。テレビも同じだ。『無難に』という姿勢になって何もしなくっているのだ。」と。此のコンプライアンスと言う摩訶不思議な言葉が日本列島を覆い尽くして居る。嘗てはグローバルスタンダードが夫れ。又時に只今の風疹の様な流行病の如くISOマークが名刺に氾濫した。昨今パッタリと消えた。嘗て日本列島を覆い尽くした背高泡立草の如し。多くの経営者が此のコンプライアンスに踊らされ為す可きは踊らない。責任在る言動回避はメディア丈の特異症状では無い。其の究極が日本人揶揄のNATOジョーク。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.13
朝令暮改戦時には朝令朝改も在る。所謂臨機応変。所が大方が戦時為らぬ平和平時しか識らぬ日本人に成った。結果は何をしても遅い。何事も決めず決めても遣らず。戦術と戦略の区分も無い。由って戦術の臨機応変を寧ろ戦略で遣る。変えては為らぬを変え変える可きを変えない。平和平時とは自滅自殺の戦場。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.12
浦島太郎子供の頃の三大御伽噺の一つ。今我々は竜宮城に居る。真逆浦島の様に白い煙と共に全てが消える事は在るまい。然し人間性や人格と言う事に為ると在り得無くも無い。間も無く終戦記念日。此の頃に為ると決まって振り返る。終戦の翌年の4歳近くの晩春か初夏の頃戦後疎開をした。食べる物着る物住む所無く身一つの様な状態で一家で叔父の家に御世話に為った。親子5人の乞食の様な話。縁にて其の儘百姓と成る。文字通りの継ぎ接ぎのボロを着て温かい季節の間は時に藁草履か大方は裸足の生活。小学校に上がる時初めて短靴と言うゴムの靴に恵まれる。学校では戦勝国のアメリカを良く聞いた。農家でも車を持って居ると言う。夫れも2台3台と有ると言う。種蒔きや農薬の散布は飛行機ですると言う。トラクターとかの機械で農業をすると言う。鍬や牛馬と鋤の手作業の農業には夢でしか無かった。近くの岩国の飛行場から飛び立つのであろう飛行機を時々仰ぎ見る。飛行機に一般の人間が乗る日等考え様も無かった。だから子供の頃の冗談に「飛行機にのって見たぞ」と言うのが有った。「嘘を吐け」と誰もがそんな荒唐無稽を信じる筈が無いが些かは驚く。我が地方の方言で高い物を反り返って見る事を「のって見る」と言った。其の方言を冗談に使ったもの。夫れ位飛行機等夢の又夢の存在。自転車ですら無かった。買えば隣近所ならぬ集落で話題に為った。5円のアイスキャンデーと称した単なる棒付きの甘い氷売りに子供は群がった。厚手の布と藁で作ったグローブか素手で野球をした。高層ビルとスマホの様な近代文明の今は正に浦島太郎の竜宮城。然し時代では無く世界には未だ我々の戦後の国が彼方此方と在る。日常的には忘れ勝ち。思っても現実感は無い。何をして差し上げようともしない。然し人としての豊かさや強さを考えると今我々は浦島太郎の玉手箱を開けて終ったのかも知れない。戦後は斯様にして無い無い尽くし。然れど大事は在った。凛として人格は有った。夢や希望や目標が有った。他を思い遣り助け合う豊かな社会性が有った。何選りも志が有った。今人は思い遣れぬ物且つ忘れ易き物。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.11
人生は皆擦れ擦れカツカツ命辛々。長生きをする程にリスクは高まり増える。一番は健康。心身の健康並びに経済の健康。長生きで体の悪くない人は居ない。殊に生活習慣病や成人病等加齢病で全員当確。如何かすると余命宣告で一日づつの命の人も居る。経済も其の故に破産宣告も在れば自害も居る。素知らぬ振りの現実はすれすれの命の繋ぎ。正に常在戦場。腹を括れば夫れが命の宿命。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.10
官民対立国境対立。個人の揉め事。何事も利害の対立。自己主張をすれば限が無い。遠く紀元前600年の歴史と言うイソップ物語。少なくとも此の寓話は人間の性や業の不変さの記録。今も大方不変。生物としての機能進化はしたが人間としての精神進化は為ない。夫々の立場の理解認識と寛容が無ければ片付かない。相手を責めたり非難する事では無く其の存在を認める事。神が然う言う存在を作られた。然う言う職業が必要。と言って其の存在を認める事。夫れが平和の源泉。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.10
俄雨。日曜日の夕刻。霞ヶ関は暑い夏空の快晴だった。地下鉄の駅で5つ程先の天神参り。階段を上り切ると明るい陽に路面が打ち水に光って居る。流石は神様の駅。と思いきや然に非ず。極地的夕立の上がった所。雨上がりの残り雨。天神様の階段を上り切った途端に西日が眼を射る。同時に大粒の水滴がパラパラと頭上から襲い来る。明るい西日と青空の下の夕立。奇妙な天気の神様詣で。人生斯くなる哉。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.10
道。東京は関東一円の高い山々で屏風の様に囲まれて居る。奥多摩から秩父或いは山梨へ長野へ1000メートルから3000メートル級の山並みが続く。其の多くが一般の人が登れる。其の又多くは半日から1日で往復出来る。中には殆ど山頂近く迄車で行ける。多くの人が余程長い歴史を費やして道造りをして来た。長い時間と共に多くの労力費えの蓄積の道。一番の厚い蓄積は関係した人々の思い。御陰様で正に無数の足跡が遺る。最初の一歩を思う。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.09
心頭滅却。今朝も朝から暑い!青空に太陽燦々。自分の気持ちは夫れ以上に熱い朝。正に火も亦涼し!哉。快晴の青空と汗が爽快。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.08
独裁国家を否定した民主主義の名の下の新独裁国家。エジプトでは大統領辞任を迫るデモ。つい此の間独裁者をデモで引き摺り降ろした。次は選挙で選んだ。又気に食わぬから辞めろとデモをする。独裁国家から民主的国家化をしても同じデモをするとは民主主義の否定。他の独裁否定から自分達の独裁を目指す丈のもの。単に自分勝手を実現し度い丈。何等大儀が無い。多く議論の対立は主義主張に非ず。思想や哲学の対決では無い。遂には軍に依る力での排除と言う21世紀とは思得ぬ原始の世界。ピラミッドを建設し頃の方が人間として立派で在ったのではないか。即ち社会性の原点である他を慮ると言う人間主義。今は私利私欲の御都合主義の対決。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.07
七夕。間もなく梅雨が明け暑い夏が遣って来る。敗戦国に在って子供心に七夕の後の暑く強い太陽に頼もしさを感じた。今年の関東地域は昨日で梅雨明けとの由。早々今朝も強い光が熱く空気が暑い。然し間も無くの御盆の空は明るく高く澄んで空しい。産業活動が御盆休みで空気が澄むのかも知れない。然し日本は8月15日は終戦記念日として特別の思いの日。夫れ故に空も空ろだが気持ちも虚ろ。自然以外は多くの人や財貨を失い街は空ろに為った。夫れ故に気持ちも失って人は虚ろに為った。因みに日本人の美学の為せる業か意地の証か此の日を敗戦記念日と言わない。我が先達は此の戦の負けを認めて居ないと言う証。其の証の一つが戦後は兵器をマネーに持ち替えての経済戦争。此方は幾許かならぬ戦勝を重ねて来た。因みに主たる対戦相手国の米国はV-J Day(Victory over Japan Day)と勝戦日と言う。今再び日本は敗戦国に成るか成らぬかの瀬戸際。第三次大戦が視覚的な戦に非ず見得難い。本能が退化した今の日本人には負けが確定しないと戦に気が付かぬ危うさ。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.07
手紙。手紙の多くは御訪ねするより費やす時間や気持ちの表現等遥かに簡便にして重宝。所が人生には訪ねる方が遥かに簡便な事も在る。余程大事の手紙は仕上げるに長時間を要する。時に出さずに推敲すると日にちを跨る。又時に出せぬ儘の物も在る。訪ねる選り遥かに時間も気持ちも掛かる手紙が在る。然う言う手紙こそ手紙で無ければならぬ手紙。会うには先様の都合が在るから然様に時間も気持ちも掛けられぬ。由って会うより遥かに大事な手紙が在る。結局は手紙で在れ面会であれ大事の次第の時間と気持ち。今日は其の手紙の日。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.07
名残の富士。絶景の富士を期待して三ツ峠山に登った。生憎の強風と深く冷たい霧。視界は剥き出しの僅か許りの山頂の範囲のみ。饅頭の様な小さな山頂の周りの木立に嵐の風が見得るのみ。富士どころでは無い。登りで些か汗ばんだ体が急に冷え込む。登頂早々の下山。降り乍考えた。今迄見得る可き登山で富士が見得なかった事は無かった。初めての挫折。心残りの富士。名残りの富士。今日の富士が今迄で一番美しい富士に成った。一番の思い出の富士。見得ぬ富士。人生には見得ぬも良し知らぬが良しも在る。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.07
知識と知恵知識は得易い。知恵は得難し。他から得た知恵は既に知識。自分で出したもの丈が知恵。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.06
舌禍。失言舌禍は在るから出る。此れで地位を失う人や出世を絶たれる人。又多くは政治生命を絶たれる政治家。殊に参議院選挙の今は与党の関係者が夫れを気にする処。然し無いものは出ない。在るから出る。大いに在るものは出して頂き判断をし度いもの。大事は言うか言わないかではなく其の本質人格。由って舌禍事件を回避し度いなら然様を内在させぬ事。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.06
今迄の十年此からの十年。振り返る10年は邯鄲一炊。先は長い。然れど同じ10年。由って過去の10年で為した事と此れから為し得る事は然程変わり得ない。倍の量の成果は倍の量の努力が要る。簡単明瞭が現実的に不明。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.04
不自然の行く末朝6時半頃と言うに百人単位の人が地下鉄の階段を登って来る。夜は夜で終電迄座席は埋まり同じ位の人が立って居る。此んな不自然な人間の暮らしは何処へ向かって居るのだろうか。時間で暮らすが時間の本の自然から加速度的に遠ざかって行く。自然に近く暮らす物が結局自然と共に長く豊かに安寧に生きられる。夫れが自然。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.03
神の山・大山詣で此の山も首都圏で珍しく日帰りの出来る1000メートルを超える高山。しかも海から程近い所で平坦な所だから海抜がほとんど山の高さになっている。その頂に神が棲むと言う。その地の利もさる事ながら頂きの神に誘われる。山の中腹に大山阿夫利神社の本社がある。そこまではケーブルカーでほんの数分。しかし歩くと10倍くらい掛かる。短い距離だが急勾配で階段だか石段だかとにかく崖をよじ登る様な感じ。もう一度と言われるとナニクソとは思うが沢山。ケーブルカーが動く前に早朝の本社前。茶店も未だ準備中。本社にお参りして奥宮に向かう。おかみさんが親切に奥宮行きに余計な荷物を預かってくれる。この先は今までよりも楽だと励まされる。きついから向かうと言う気持ちも有る。されど十分疲れた後の事にて今までよりも尚きつい。富士登山のきつさの経験が励みで登る。本当はきつさの質が違う。かたや酸素不足のけだるく息の続かぬきつさ。かたや急坂と足場の悪さの筋肉のきつさ。頂上までの中ほどくらいで突然に富士山の絶景に出会う。余りの美しさに暫し癒やされる。更に嘗胆の道ならぬ崖登り。帰りのきつさを思いつつ。頂上は大方四方が開けて爽快。余りのきつさの末に出会った富士の遠望は頂上に立った満足感と共になお一層の感動。暫しの後の下山は矢張り心配の通り登りよりもむしろ時間が掛かる。息苦しさは無いが体重の負担がより多く脚に来る。本社にたどり着く頃にはカニの横歩き状態。真っ直ぐ歩くと足が痛む。下りも徒歩でと思っていたが断念。ケーブルカーで安全優先。この体験はきっと又富士登山とは違う意味で他の山の登山の自信になると確信。人生の事は何事も然様。「”ふるさとテレビ”はふるさとの写真とビデオの投稿テレビです。」ふるさとテレビhttp://furusatotv.jp
2013.07.02
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