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金子勝「新・反グローバリズム 金融資本主義を超えて」(岩波現代文庫)を走り読みしている。覇権国にいいようにされて来た属国・日本であるが、覇権国のわがままで迷惑を被るのは、ひとり日本だけではない。先生の話は、抽象的なので、もっと具体的で生々しい話を聞きたいのだが、それは先生に期待するのは酷かも知れない。(以下、●印でコメントをはさみます)(引用はじめ)…資本主義を発生史的に見れば、市場的交換は共同体と共同体の間で生じ、しだいに共同体内部を巻き込みながら市場自体を広げてゆく。そしてセーフティネットを組み込んだ<顔の見える市場>は、絶えず<顔の見えない市場>によって侵食されてゆく……貨幣の「市場」という問題…当初、イギリスに典型的に見られるように、ローカルなレベルにおいて地方銀行の銀行券が自由に発行されていた。貨幣は、人々がそれを貨幣として信認することによって成り立っているが、この場合、貨幣の信認を成り立たせているのは、銀行を経営している地方名望家に対する信用である。ところが、産業革命を経て、しだいにローカルな地域共同体を超える全国的市場が成立してくると、この地方名望家の信用をバックにした地方銀行券の流通に限界が生じる。それば、しばしば恐慌のたびに、より安全なイングランド銀行券や金兌換へと向かう現象となって現れた。●ハイエクの「貨幣発行自由化論」を思い出す。ミヒャエル・エンデでスタートした地域通貨の話がこんなところで交錯するとは思いもしなかった。「エンデの遺言」を見て、地域通貨にはまったひとは、こういう歴史的事実を知って、どんな印象を持たれるだろうか。そこで、1844年のビール条例によって、銀行券の発券機能を国民国家レベルの中央銀行…に集中してゆく…通貨発行量を金準備にリンクさせる金本位制が整ってくる。しかし、それでも恐慌のたびに金融パニックを避けられず、ビール条例を停止して金準備とのリンクを事実上断ち切ることによって、流動性の回復を図らざるをえなくなった。そこで、金融市場のパニックを防ぐために中央銀行が民間銀行に流動性を供給する、いわゆる中央銀行の最後の貸し手機能ができてきたのである……国民国家レベルにおいて、中央銀行への発券の集中と最後の貸し手機能というセーフティーネットの体系が整ってくると、さしあたりヨーロッパというリージョナル・レベルにおいて、軍事バランスと自由貿易とともに金本位制が定着してゆく…●歴史認識はいいけれども、日本の針路はどうなるのか、実に微妙である。為替市場と労働市場において、微妙さは顕著だと思う。商売するのに、為替レートが動くのでは、まるで、ガタガタ揺れる土俵上で相撲をとるようなものだ。議論をするのに、前提が変わってしまうのでは、話がかみ合わない。まったく信じられないことである。また、労働市場を流動化して、結果、どうなったか。覇道ではなく、王道に立ち返るべきだと思う。身の丈に応じた暮らしを目指している限り、道を踏み外すことはない。…では、市場とコミュニティの関係性という視点から見た時、今日におけるグローバリゼーションとは、どのような歴史的意味を持っているのだろうか……グローバルなレベルでは、「自己完結性」を持った政治の仕組みも経済の仕組みも存在していない。それゆえ、さしあたり国民国家のうちでもっとも経済力・軍事力の大きい覇権国が、それを代位せざるをえない。いわゆる覇権国システムである。ところが、この覇権国システムは永続的たりえない。覇権国が覇権国たりうるには、自国の市場を開放して自由貿易主義のコストを負わなければならないからである。それゆえに後進国のキャッチアップ過程を許容する……製造業分野で後発国のキャッチアップを受けた覇権国が、基軸通貨の特権を最大限利用して覇権を維持しようとする動きが、グローバリゼーションという現象に他ならない……アメリカがドルを基軸通貨として維持しようとすれば、絶えずドルが世界中で流通し、かつアメリカに還流するシステムを作り上げねばならない。恒常的貿易赤字の下で、世界から資金を集めて貿易赤字と財政赤字をファイナンスしながら、その資金を世界中に投資して収益を上げなければならないからである。それが金融自由化を中心とする市場原理主義の暴走の本質である。●グローバリゼーションの本質は米国さらにいえば、ウォールストリートの欲望であって、彼らの利益になるものである。小泉・竹中売国政権は、典型的なパペットレジームであった。国富消尽の具体的で生々しいメカニズムを知りたいところだ。ちょっと探したが、ネット上では、見当たらなかった。それは、必然的に近代的工業化を達成するために作られてきた後発国の国家レベルのセーフティーネットを破壊せざるをえない。資金の移動(金融)には国境はないが、生産活動は土地や労働や資本を投入して営まれるがゆえに、さしあたり国民国家の存在を不可欠とするからである…国民国家は単なる「想像の共同体」ではなく、明らかに実体経済的基礎を持っている…●あなたの職場にもいるでしょう。派遣社員が!! 日本をズタズタにした小泉・竹中の所業は取り返しのつかないものだ。…グローバリゼーションは、生産要素間において調整速度の違いが生ずる。金融の世界において、資金は最も速く動き回る。情報革命がそれを加速する。しかも、資金の移動による現地社会からの収奪…を生じさせる。労働も国際移動が起きてくるが、移動先で生活が成り立たなければならないので、移動の速度は金融に比べてはるかに遅い……国際的な資金移動で収益をあげる覇権国の金融業は、本性的に、後発国の社会的セーフティーネットの役割に対して無関心である。要するに収益を上げて投資が回収されればよいからだ。証券化に伴って、資金の逃げ足はますます速くなっている。この間、金融自由化を押し進め国内産業基盤を抑えて、外国から多額の資金が流入して、それが急速に流出した結果、国家デフォルトに陥ってしまったアイスランド、バルト三国やドバイ、あるいは東欧諸国はその典型と言ってよいだろう。資金を長期的に固定することになる製造業の設備投資には、何よりも金融的セーフティネットに基づく安定的な金融システムが必要であるが、金融自由化はそれを破壊する傾向を持っている。さらに為替市場の浮動性は、後発国の製造業には為替リスクとなるが、覇権国の金融業にとって、それはビジネス・チャンスにすぎない…●消費税論議が盛んです。まずは所得税の累進制を復活し、地方税のフラット性を糾すべきだと思う。年金等の社会保険料も逆進性が大きい。そもそも公務員の年金だけが磐石なのが腹立たしい。デフレの最中に財政再建の話はありえない。底値で買って、インフレでも起こすのかと勘ぐりたくなる。米国が国益を追求するのはしかたないとしても、日本人が日本の国益を守らなければ、誰が日本の国益を守るんだろう。(引用おわり)さて、まもなく選挙。国民の生活以外を選挙の争点にされても白けるばかりである。ダークサイドに落ちた菅ではあるが、小沢の巻き返しを期待して、もう一度、民主党にチャンスを与えたい。自民党末期の記憶はまだ色褪せてはいない。米国が作った自民党に期待できない以上、オルタナティブは他にない。
June 27, 2010
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●金子勝「新・反グローバリズム 金融資本主義を超えて」(岩波書店)を読む。結局、米国の経済は立ち直るのに時間がかかりそうだ。ウォーエコノミーへの警戒は解いてはならない。我々としては、新興国に全力でシフトするしかあるまい。TITANIC号の沈没である。以下、引用だけ。(P84)…現在のアメリカも、かつての日本と同じ道をたどっているように見える。2008年3月にベアスターンズが破綻しているにもかかわらず、厳格な不良債権査定もないまま公的資金注入をためらって、JPモルガンチェース銀行に救済合併させて処理した。奇妙な楽観論が流されて株価が上昇したが、危機は着実に進行していった。不良債権問題を甘く見て、ポールソン前財務長官とバーナンキFRB議長は銀行への流動性供給でしのげると考えた。しかし、この初期段階の政策の誤りが、住宅バブル崩壊を大きくした。2008年9月に入って、連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)と連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)が再国有化され、9月15日にリーマンブラザースが経営破綻し、ついでアメリカ保険最大手AIGも事実上、政府管理下に置かれた。慌てて金融安定化法が作られ議会を通過して、7000億ドルの公的資金枠の一部投入が始まった。にもかかわらず、2009年に入って再び金融不安が高まった。オバマ政権は、金融機関に公的資金をさらに注入するとともに、7870億ドルの巨額の景気対策をとった。その間にFRBはゼロ金利に続いて、最大3000億ドル規模(09年後半期)の長期国債購入による流動性供給を開始した。そして、2009年5月7日に、ガイトナー財務長官とバーナンキFRB議長は、アメリカ金融大手19社に関するストレス・テスト(銀行検査)の結果を公表し、金融機関はこれで万全であることを強調した。このテストは、さまざまなマクロ経済指標の仮定を置いたうえで、概算でコア自己比率規制つまり有形株主資本比率(総資産に占める普通株資本の割合)が一定基準を満たせるかどうかを求めている……アメリカや欧州は、G20で新たな国際金融ルールとして、これまで自己資本比率規制ではなく新たに、この有形株主資本比率による規制を導入しよう…しかしストレス・テストに際して、シティグループがアメリカ政府から注入された公的資金を普通株に変えて、当面をしのいだ…実質「国有化」された銀行ほど「健全」な銀行ということにもなりかねない。逆に、自己資本の中で普通株の占める比率が低い日本の銀行は、公的資金を返済したにもかかわらず「不健全」ということになってしまう……だが、問題はそれだけにとどまらない…証券化商品があまりに複雑すぎて損失そのものが見積もれないことに、世界金融危機の困難性の本質があるからだ。実際、ストレス・テストも、仮想上のモデルによる計算にすぎない。そのために、アメリカ政府とIMFの損失推計も大きく食い違っている…(P87)…実際、ストレス・テストは、金融当局による銀行決算のごまかしの黙認が前提になっている。これは一種の「粉飾」でできている…(P89)…ストレス・テストは、楽観的な仮定だけが根本的な問題なのではない……日本の不良債権処理問題の場合、目に見える担保不動産の損失評価の意図的なごまかしであった。今回のアメリカの金融危機が違う点は、(1)証券化手法が進んであまりに複雑な証券化商品が生まれ、(2)しかもFRBやSECの監督が及ばないSIVやヘッジファンドなど「影の銀行システム」を使って相対取引されているために、不良債権の損失を正確に評価できないことにある……リーマン・ショック以降、ABS(資産担保証券)、あるいはCDOやCDSといった金融デリバティブ商品などの証券化商品の発行はほとんどなくなってしまった。そうした状況下で…時価会計主義適用が緩和され、同じ格付けの証券化商品でも、金融機関ごとに損失評価がばらばらな状態になっている…体力のない銀行ほど損失の見積もりを低く抑える傾向が出てきて…この問題が実は日本の不良債権処理の最大の問題の一つだった。どこにどれだけ、不良債権が眠っているか分からないために、カウンターパーティ・リスクを温存させて金融不安を長引かせる…いまやアメリカ当局も、同じ失敗に陥っている……たしかに、景気が回復して不良債権の資産価格が戻ってくれば、損失のごまかしも消えてしまうので、当局者のこれまでの政策的失敗もなかったことになる。それゆえ、景気がよくなってしまえば、問題が消えるという甘い希望を持ちたくなる。そこで、アメリカ政府およびFRBが不良債権化した証券化商品を買い取る、あるいはそれを担保とした融資を行うようになっている…(P93)…だが、現在のオバマ政権は、本来とは別の道に向かっている。バブル崩壊の初期段階で失敗したバーナンキFRB議長とガイトナー財務長官は、方向転換できずに、ただ政策的失敗の先送りを続けている。それは、政府とFRBが金融機関の会計粉飾を黙認しつつ、救済融資、公的資金注入、毒入り証券化商品の買取などを続けて、不良資産の”ずるずる処理”を続ける道である…実際、住宅ローンや商業用不動産ローンや消費者ローンの債務不履行の増加によって損失が拡大するたびに、利益の多くをその処理に当てていかなければいけない…●処方箋として、グリーンニューディールというバブルを起こす以外になくなるという。ちなみに、インフレを人為的に起こすとスタグフレーションになるとも。偶には、まともな本も読まないと現実を見失いそうになる。金子氏は、貴重な指南役であるし、岩波だから誰も文句をいえまい。追記:とあるブログの、岩上安身氏による菊池英博氏のインタビューを見ていた。ふと思ったが、構造改革で国富が外国に流出するメカニズムがわかっていないと思い至った。IMFが押し付ける構造改革も同様の結果をもたらすので、グローバリストに共通するやり方だという。結果だけでなくメカニズムについてしっかりと理解した上でないと構造改革の総括にはならない。メディアは確信犯的なグローバリストだが、政治家は国富流出を知らないらしい。
June 20, 2010
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紺谷典子「平成経済20年史」(幻冬舎新書)読了。ここでは余韻覚めやらぬうちに、印象に残ったエピソードを。まず、氏のスタンスだが、つぎのような記述に表れている。(P238)…きっかけは、平成9年、米国を訪れた橋本首相の、コロンビア大学での発言である。大学での講演後、フロアから質問があった。「過去20年、円に対するドルの価値は半分近くまで下がったが、日本はそれでも米国債を持ち続けるのか」……カンター氏とやりあったときや、ドルが大きく下落しているのに、米国が放置していたときだ…外貨準備は、米国債でなく金で持つこともできた。しかし、それでは、米国経済に大きな影響が出ないだろうか……解せないのは、日本のマスコミが「失言」と決めつけて、「不用意」「軽率」「うっかり」と批判的だったことだ……しかし、首相の発言を、蔵相や官僚が即座に否定するのは、かえって国際信用を失う行為ではないのか。米国を恐れ、迎合する大蔵省の姿勢が、くっきり見えた瞬間だった。橋本発言を知って、大蔵省次官が激怒したとの報道さえあった…●あくまで抜粋なので、「事件」の詳細は、本書を読んでください。(P245)かねて大蔵族として知られる小泉首相は、財務省と二人三脚で、財政構造改革に邁進する。すなわち緊縮財政と増税である。森政権は、意図せざる緊縮財政であったかもしれないが、小泉政権は、はっきりと「財政構造改革」と宣言した。橋本元首相が「間違っていた」と反省の弁を述べた財政構造改革だが、小泉首相の耳には届かなかったのであろう……財政構造改革は、しぶとく何度でも現れる。そして、日本経済は、再び、三度、叩きのめされることになる……しかし、改革政権は、政策の誤りを認めようとしない。不良債権が増加したのは、銀行が隠していたものを暴きだしたからだと主張した。経済が改善しているのに不良債権が増えたのであれば、そうであろう。しかし、経済の悪化は火を見るより明らかだった。それでも、竹中経済相は、不良債権の増加が政策のせいだと認めようとしなかった……その竹中氏が、改造内閣で金融大臣を兼務することになり、金融界には緊張と動揺が広がっていた。就任直後、竹中金融相は、不良債権の抜本処理のためのプロジェクトチームを立ち上げると発表、そのメンバーにハードランディング論者である木村剛氏を加えた…●この辺り、菅首相の発言とオーバーラップして来る。子供手当ても見直すらしいので、アンチ官僚という意味でも、新党日本のベーシックインカムに合流せざるを得ない。(P292)実は、平成15年春以降、日本は、総額32兆円を超える空前の為替介入を行っていた。多いときには、1日のドル買いが1兆数千億円に及んでいる。世界の常識を大きく外れた、あまりに巨額の介入である。日本経済の支えは輸出だけ、怖いのは円高だ。円高が輸出の勢いを殺げば、日本経済は、唯一の牽引力を失う。小泉政権の命運がつきてはならなかった。財政構造改革をかかげる小泉政権が、経済悪化に足をとられるのは、財務省にとっても望ましくない。前代未聞の巨額介入は、小泉改革政権の裏技だ。財務省は介入枠を使い切ると、保有する米国債を日銀に売って、その資金で、さらにドルを買った。介入の司令塔である溝口財務官は、国際市場から、ミスター・ドルの異名を奉られた…●この話はよく聞く話だが、わけがわからない。半端ではないのだ。国富をこのように垂れ流して、ほんと、もったいない…。(P359)しかし、小泉首相の関心は「民の竈」にはなかった。「郵政民営化」の実現にだけ注がれていたのである。経済悪化は、小泉改革の当然の帰結であった……必要だが営利追求の「民にはできない」ことがあるからこそ、どこの国にも政府が存在し、公的な行政サービスを行い、その経費として国民は税を負担している……まず議論すべきは「どこでも」「過疎地でも」「小口でも」同じようにサービスを受けられること…が、つまりユニバーサル・サービスが国民にとって「必要かどうか」の点である。必要であるというのが国民の結論なら、次に議論すべきは、それをどういう形で提供すれば、国民負担がもっとも小さくて済むかである……この事実を発見した関岡英之氏は、「米国側から見れば、郵政民営化イコール日米保険摩擦なのです」と語っている。米国は、簡保を郵便事業から切り離して完全民営化し、全株を市場で売却せよ、と要求しており、小泉・竹中案は、このラインに完璧に沿ったものである……米国が自国の利益を追求するのは当然のことであり、何も隠すべきことはないのだろう。後ろ暗いなどとは思っていないから、堂々と文書を公開したのである。問題は、証拠を突きつけられるまで嘘をつき、隠蔽しようとした小泉首相と竹中大臣である。やはり後ろ暗いところがあるのだろう。そうでなければ、なぜ隠そうとするのだ……米国の要求は、財務省・金融庁にとっても望ましい。巨大な2つの金融機関が監督下に置かれ、権限が拡大するだけでなく、天下り先が増えることでもあるからだ…●お馴染みの年次改革要望書である。B層にはぴんと来ないんだろうなあ。(P385)郵政民営化は、わが国の政治史の汚点である…参議院の郵政特別委員会の採決の直前、反対派の議員が全員、賛成派の議員と入れ替えられた。これは国会法違反である。100時間以上協議した、と小泉首相は言うが、何万時間協議しても、採決の直前にメンバーを入れ替えるなら、何の意味もない…●信じられないことである。これはほんまか。国民を愚弄するのもはなはだしい。なお、新書なので、紙面も限られていて、参考文献の記載がまったくない。残念だが、やむを得まい。
June 12, 2010
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経済コラムマガジン5/31号の「議論の前提条件」と題するコラムがすばらしい。こういう基本的なことが案外守られていないので、というか意識しないまま、議論をすることは非常にエネルギーのロスが大きい。必須のお約束事である。(引用開始)インフレこそが問題?実りのある議論をするために一番重要な事は、互いに議論の前提にしている条件、つまり議論の前提条件を明らかにすることである。これを行わないから同じ議論を永遠に続けることになる。前提条件を隠しながら議論をするなら、百万年間議論しても結論に達しない。例えば日本における安全保障議論である。自衛隊・日米安保や憲法第九条について長らく議論されてきたが、いつも議論が空転していた。日本は軍事的脅威にさらされていると考える者と、日本に攻めて来る国はないと思い込んでいる人々が議論していたのである。ところが互いの前提条件を摺り合わせないので、いつまでも結論が出ないことになる。経済論議でも重要なことは、互いの前提条件である。もし互いの前提条件が明らかなら、どちらの前提条件が正しいのかを検証すれば済む。逆に前提条件を最初に検証しておれば、ほとんど議論しなくとも、どちらが正しいのか簡単に結論がでるはずである。(引用おわり)●自分の寄って経つ立場に無自覚または意識的に無自覚なふりをするのは問題だ。自民末期の2億5千万円の官房機密費の持ち逃げが放置されたままになっているが、買収されて、財務省の都合のいい論文を書いたり、あるいは、目的的に都合のいい論文を書いて、おいしい思いをしたいというさもしい先生もいるのかもしれない。経済コラムマガジンの著者は寄って経つ前提条件をはっきりさせる。(引用はじめ)筆者の立場と前提条件ははっきりしている。デフレ経済、つまり需要不足の状態からの脱却が必要と考える。この場合の需要とは、日本国内の需要である(貿易・サービス収支が黒字に転じたのであるから外需に問題はない)。需要不足は、所得の減少と失業を生み、人々を経済的困窮に追い詰める。例えばデフレ経済が定着した頃(90年代後半の橋本行革政権以降、大きなデフレギャップが定着)から、日本では経済上の理由で自殺する者は増えている。また一人の自殺者の背景には、その何倍もの予備軍がいると見られる。実際、02/10/7(第269号)「銀座のデモ隊」で紹介したように、一人の自殺者の背景には、自殺を試みたが失敗した者が7倍はいるという話がある。このようにデフレ経済は、大勢の日本人を不幸に落としめている。ところが野口悠紀雄教授のような構造改革派は、デフレは問題ではなくインフレこそが最悪な問題と考える。むしろデフレは好ましいとさえ言っているのである。文芸春秋3月号に掲載された教授の「ついに国債破綻が始まった」という文章からその部分を抜き出す。(引用おわり)●デフレで借金が重い。給料がこの20年間で日本以外は2倍に上がった、という。紺谷典子「平成経済20年史」の冒頭の一発がこれだ。なぜ日本だけが、構造改革によって、格差社会に陥れられたのか。(引用つづき)「日本経済の問題は、デフレと円高であるという人が多い。しかし、本当に恐ろしいのは、インフレと円安である。デフレと円高は、状況変化に対応してビジネスモデルを変更できない企業にとっては大問題だが、消費者にとっては困ったことではない。もし給与の名目額が変わらなければ、物価が下がれば実質的な所得は増えるのだから、望ましいことだ。年金や定期預金で退職後の生活を送る人の立場から見れば、デフレは明らかに望ましい。」野口教授の文章は9ページであるが、デフレに触れているのは上記の部分だけである。それに対してインフレの問題点については長々と述べている。文中で述べているように、明らかに教授はデフレは問題ではなく、インフレこそが問題という前提で文章を書いている。したがって「日本経済の体質は変わっており、筆者達が簡単にはインフレにならない」と説いても、教授は聞く耳を持っていないと思われる。仮に「景気がピークに達した80年代バブル期においても、消費者物価はたった3%しか上昇しなかった」という事実を突き付けても、教授は完全に無視するであろう。デフレは問題がなく、インフレこそ問題と言っている人々と議論をしても実りのある結果は得られない。ただ教授の文章を読んで、構造改革派の経済学者が何を前提に政策を主張しているのか手に取るように解る。また筆者は、政治家や官僚の中にも、構造改革派的な心情の者がまだかなりいると思っている。(引用終わり)●菅直人が首相になった。彼はわかっているのだろうか。ブルームバーグの国債価格をリンクしておく。既述の紺谷氏によれば、いったい日本のエコノミストはなにを考えているのかということだ。自民政治家もひどかったが、財務省や日銀がバブル沈静のために取った行動は、ラディカルすぎて話にならない。クラッシュさせてどうなったというのだ。●また、自国(米国)の国益のため、竹中平蔵のような売国者(ジャパンハンドラーの日本側カウンターパート)を育てるっていう戦略は許されるべきものなのだろうか。彼はいまだに大手を振って、メディアやツイッターで発言し続けている。さらに引用を続ける。(引用開始)構造改革派の常套句以前から述べているように、筆者はインフレとデフレという言葉を使う場合気を付けている。インフレは、元々、通貨膨張を意味したと考える。通貨膨張の結果、需要が増え、物価上昇が起りやすいということになる。デフレはその反対である。しかし需給と関係なく、物価は上下する場合もある。価格は市場の競争状態や輸入物価の動向でも上下する。それらをインフレやデフレと呼ばないことが適切である。筆者は、インフレとデフレを需給ギャップの大きさで捉えている。需給ギャップが大きい状態がデフレである。ところが世の中はかなりいい加減で、物価下落が2年続いたらデフレと呼ぶという話がある(OECDの基準)。また物価上昇率のことをインフレ率と言うような、誤った表現が横行している。日本のデフレは98年から始まったと、奇妙な事を言うエコノミストがいる。しかし97年は消費税が増税されていて、その分物価が上昇しているのである。つまり物価の長期下落は、それ以前からずっと続いている。また物価の上げ下げだけでインフレやデフレと判断するなら、消費税を大幅に上げればデフレは克服されると言ったばかげた話になる。(引用終わり)●池田信夫の以下に関する見解を聞きたいものだ。むずかしい概念も素人にわかるように説明してくれる、経済コラムマガジンは親切だと思う。(引用はじめ)野口教授の「インフレ」という言葉は、需要増加と物価上昇が一体になった概念である。したがって需要創出政策を行えば、即、物価が上昇すると決めつける。しかし筆者は、日本のような巨大な需給ギャップが存在する国では、需要が増えても簡単には物価は上昇しないと考える。また今日の日本では、需要が増えることによって価格がむしろ下落する物(IT製品や通信など)への消費の割合が増えている。構造改革派は需要創出政策をインフレ政策と呼ぶ。政策を実行すれば直に物価が上昇するといった間違ったイメージを人々に与えたいからと筆者は思っている。これは人々を惑わす構造改革派の常套句である。構造改革派の経済理論は古典派経済学が基になっている。古典派経済では「作った物は全て消費される」という「セイの法則」が成立つ世界である。つまり生産物に余剰が生じても、価格が変動して売残りはなくなることになっている。また生産設備の遊休や失業も、価格が変動(賃金の切下げなど)して解消することになっている。つまり仮に需給ギャップが生じても、それはたちまち消えることになっている。野口教授などの構造改革派にとっては、元々、デフレなんて有り得ない現象なのである。古典派経済学では、生産要素(生産設備、労働)がギリギリの状態で生産活動が行われていることになっている。むしろ古典派経済学の関心は、いかに限られた生産要素を最適な分野に振り向け、生産物を最大にするかである。そしてこれを実現させるのが、規制撤廃や競争である。一方、効率的な生産要素の分配を阻害するのが政府である。したがって彼等は最小の政府が理想と考える。生産要素がギリギリの状況で生産活動が行われていると思い込んでいるから、野口教授達はほんの少しの需要創出でもインフレ(物価上昇)が起ると騒ぐのである。また「日本の需給ギャップ(デフレギャップ)は、30兆円だ、40兆円だ」というばかげた話がなされている。02/12/2(第276号)「日本のデフレギャップの怪」で述べたように、政府の公表している需給ギャップ(デフレギャップ)は、現実の経済ではほとんど意味がない(増加・減少と言った動きだけはなんとか使えるが)。日本の生産能力は青空天井と考えて良い。つまり需要さえあれば、どれだけでも日本経済は成長する。(引用終わり)●生産力の過剰が問題であるという認識だ。需要不足とのアンバランスが問題になっている。農業の場合は減反というおかしな政策がとられてきた。なにか圧力がかかっているのか、過剰に慎重になりすぎているのか、日本の政策をゆがめる源泉がまさか、銀行家のネットワークなのではあるまい。そんなもの温存しておくより、BRICs等新興国とのネットワークを構築すべきときだ。●さて、ビルダーバーグの季節である。ことしはスペインだという。何が話しあわれるのだろうか。「FaceBook」のセレブ版ってあるのだろうか。寡聞にして聞こえない。
June 5, 2010
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