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楽天ブログには一応、mixiにおける「あしあと機能」みたいな中途半端なアクセスログみたいなもんデフォでついてんですけども。・・・・・これが非常にウザいんです。糞のあしあと付きまくるのがね、ウザい事この上もないんです。単に普通に「日記」を書くのがメインで、ついでにアフェリエイトもやってます、程度のブログアカウントなら気にもしないんですけれど。なんかの気の迷いか、単にちょうど暇な時に目についたからクリックしてみたんだろうな、で済むんです。がっ!!!トップページに色んなアフェリエイト貼ってあって、ただそんだけの糞ブログがあまりに多すぎるんですよ。正確には、別にね、そーゆーブログなんて「糞以下」だからアクセスしなきゃー良いだけなんですが、前述した「中途半端なあしあと機能」ってどうしても目に付くんですよ。で、そこにズラーッと「毎回見かけるアフェリエイト馬鹿」のHNが並んでると、なんかムカつくんすわ。おまけに超下品かつ激烈低俗極まりない頭悪そうな「エロサイトもどき」まで混ざる始末で。当然、その手のクズどもはソフト使って自動で「新規に日記更新したブログ」にアクセスするようになってるはずで。・・・・・なーんの苦労もせずに、こっちに迷惑かけてくれるのがこれまたムカつく訳で。楽天ブログは基本的に「各個に対するアク禁」が出来ない仕様らしく。やれるとしても、例えばビッグローブならビッグローブ全部アク禁になっちゃう、ってのしかなく。つまり「楽天ブログのアカウント」なら「楽天ブログのアカウント」として来ている全部が一斉にアク禁になっちゃう訳ですよ。・・・・・・楽天マジで頭オカシイっていうか、殿様商売的過ぎやしませんかと。前々から楽天大嫌いだけども。うっかり楽天でブログ作って、うっかり使い続けてしまったがゆえに、未だにこうして使ってる訳だけども、いくらタダだっつったって、基本的な機能でしょう? 個別のアク禁とか。ってーこーとでー、ちょっと戯言書くブログ変更しようかなと想っております。どこがいーべなぁ・・・・アメーバも糞だし、FC2はちとあれだし、うーんうーん・・・・
2011.08.20
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ナイアガラの滝に女子大生が落ちて行方不明になっちまいましたな。軍事評論家=佐藤守のブログ日記オママゴト“ごっこ”はもうやめにしよう!>「防護柵がなかったからだ!」と関係者が米国政府を訴えるのじゃないか?と心配してるようだが、日本人があっち訴えて勝てるか?まして某ニュースによれば遺族は一切情報公開したくないらしいし。おまけに防護柵が無いから・・・たって、そもそも柵の上に登ってさらにそこで柵の上に立とうとして川の方に落っこちたそうだから、さすがにそれで訴えようって人は居ない気がする。世界的に有名な観光地なのに「柵」がそもそも全くない、歩いてまっすぐ川まで行けてしまう、てなら日本人がいちいち訴えずとも現地でそうした声があがって実際に柵を設置するって話になるはずだ。まぁ恐らく亡くなってるのだろうから、そこに関してはお悔やみ申し上げるが、しかし事故原因は明らかに当人及び(推測になるが)一緒に居た者にあるだろう。遺族もどうやら大事にしたくない理由の一つはそこだろうし(ただの俺の憶測だけど>とにかく命が大事、命さえあれば原発で発電された電気も、セシウム牛肉?も、放射線野菜?も果物もいらない、要するに事勿れなのである。これは全く同意で、要は一般人の一部にはどうやら「とにかくお上が全ての面倒を見ろ」と言う事なのだろう。さらに送り火問題時の「権力者の右往左往」とか観てると、事勿れ主義なのではなく「ご都合主義」に観える。マンナンライフの蒟蒻ゼリーの消費者庁の強行っぷりもまたそうだし。ただどうも、十羽一絡げにして極端な方に持って行こうとする気質は強い気はする。つい先日の川下りでの事故の対策として「全員救命胴衣着用義務化」と言う事になったが、個人的には「自力で泳げない子供」は乗船禁止にする方が良いと想うのだがなぁ。だし、あれで義務化なら、ほとんど水の流れのない水路とかをゆーっくり進む船での遊覧とかでもやっぱり救命胴衣着用義務化せんとあかんやん?ましてわざわざ昔ながらの木の船での遊覧目的の川下りで、あのダサい事極まりない救命胴衣着用義務化などしたら、雰囲気悪くなるだけな気もする訳で。勿論、実際に川下り利用する人々が「救命胴衣義務化の方が安心して楽しめるから良い」とするなら俺が文句言う義理はないけれどね。もしあれ2歳児が亡くなってなければ、ここまで大事にならかなった気がするし。なぜそう考えるかと言えば、水の事故で亡くなる人は毎年一定数必ず出るぢゃない?けど、それって大概「遊泳禁止の場所」でではないよね?さらに多くの場合「大人」つまり「体の大きい人」だよね。でも水難事故で死亡者が出ました、を理由に「遊泳禁止措置」になった事例って確か無いはずだよね?夏のビーチで酒飲んで酔っ払って死にかける人なんてもっともっと多いけど、だからって「酒の販売一切禁止、どっかで酒入手して飲んだらそれだけで罰金」とかしないよね?で、その理由は恐らく「自己責任」なんだよ。が、幼児が溺れ死んだ、って事例では、即座に「柵などで水に近づけないようにする」ぢゃない?それでも起きる時は起きるのだけど。が、誰も「個人」を攻撃したくはない。で、規制側に攻撃をする。その場合、攻撃する相手は「複数」なので、良心の痛みっぷりが緩和されるからね。て事は閾値は「自己責任能力の有無」ぢゃないのかなと妄想する訳で。で話おもっくそ戻して、ナイアガラで滝壺に落ちた女子大生だけど、明らかに自己責任能力在るよね?わざわざ柵に登って立とうとまでするのだから、身体能力だって十分あるだろう。もしこれで真面目に管理側に責任を問う人が居るのなら、その人個人が恥ずかしい人だと俺は想う。さてリンク先記事の下の方の「セシウム汚染」されてっかも知れない牛肉問題だけど、引用新聞記事の人は「私は食う」言うてるけど、じーさん77歳やん。何食ってもたぶん問題ないよそもそも。だし、出産適齢期近辺の年齢の女性&30歳以下の若い人はなるったけ食わない方が良いカモ知れない。少なくとも「自分で好きな方選べば良い」と想う。が、幼児はなぁ・・・・・どうだろなぁ。良く解からん。で、良く解らないから「なるたけ避けるようにした方が良いかも知れない」と想っている。例えば俺はタバコを吸うし、吸った直後の体に対する悪影響とかも実体験としてよーく知っている。少なくとも体力は落ちる、持久力も落ちる。食欲抑制効果がある事も解る。恐らく風邪の治りやすさとかも悪くなってるはず(単なる老化と見分けはつかないが癌化リスクの高さや、副流煙のヤバさも知っている。全部解った上で吸いたいから吸っている、止める気が無いから止めない、止めようとしても三日坊主的にすぐ止める気が無くなるから止める訳もない。が、絶対に「他人にオススメ」はしない。既に吸ってる人に「止めたほうがいいよー?w」とか冗談を言ったりはするし、冗談と言っておきつつ実はかなり真面目に言ってたりもする(吸わない方が良いのは絶対だからね)が、止める人は勝手にいつの間にか止めちゃうもんだし、俺みたいに止めない奴は絶対に止めない。しかし吸ってない人がタバコにちょっとでも興味持ったら「やめなさい!」と強い表現使って諭す。勿論、本当に吸いたい奴は俺が止めようがどうしようが、結局吸うだろう?それを俺が止める術など無い。が、やはり止めなさいと言う。言うだけだけど。俺みたいに、タバコが百害あって一利なしと理解しまくった上で吸う、吸った事による不都合を誰のせいにもしない、なおかつタバコ嫌いな人に対する気遣いしまくるような奴なら、まぁ最終的には「しょうがねえ」となるけども。たださー、食い物飲み物関係が「選択可能」な形になって流通してないからなぁ。ちゃんと検査して大丈夫だと太鼓判押した物だけしか流通してません、店頭に並んでません、って言った直後に「すいませんダダ漏れでした」ではなぁ。それこそ消費者が個人で高性能なガイガーカウンターを購入&正確に検査出来る使い方をマスターし、店頭で一個一個の商品の数値確認して買う、とかせんと話にならんのだし。今現在、全体の一部を抜き出しての検査な訳で、って事は「相当なブレ」があるはずな訳で。んで、被災地の食い物とかを差別して食わない買わないのは問題だってのが世論の流れらしいが、逆に言えば「被災地の物を買う・食う」をする必要がないほどに物が豊かである、選択の余地が豊富にある、と言う事でもあり。ましてや俺が住んでるここ、おもっくそホットスポットになっとるらしく。て事は俺なら当然俺の居住地で生産された野菜とか買わない訳で。てか元々買ってないし。米も、最近「新しく売られてる米やばい」とかってんで原発事故以前に用意されていた米が大人気らしいが。それだって俺は元から「値段の安さ」だけを理由に北海道産のきららってのばっかり買って食ってたりする。セシウムがー、とか生食やべー、とか狂牛病がー、とかあるけど、俺の場合実は最初っから「牛肉は牛臭くて好きぢゃない」ので元々やっぱり牛肉買って食わないんだよなぁ。基本肉は「豚肉」オンリー。極々タマーに鶏肉? しかも糞安い塊売りの胸肉。まぁ鶏肉もやっぱり俺には「鳥臭い」のであんまり積極的に食わないのだけど。野菜・果物なんてまずめったに食う事なんてないし。普段何食ってんのかって言えば、米・うどん・そば・豚肉・卵・ソーセージ・刺身・・・・・・・・あれ?w 相当ひどくね?w放射性物質汚染以前の話ぢゃね?w話すっ飛ばして。リンク先記事の最後の方で「日本人として恥ずかしい」とかってのあっけど。正確には「恥ずかしい事やってる個人がいる」って話でしかないよなぁ。さらに話すっ飛ばして、日本人て基本的に「国」に対する帰属意識よりも「自分の住んでる地域」に対しる帰属意識の方が強いって調査結果があるそうなんだが。個人的に大震災以後の「日本がんばろう」とか「日本ひとつに」とかスローガンが全面に押し出される傾向かなり強くなってるけど、それって「以前より強くなっている」と言う違いがあるから「震災以後強まっている」と言う感想になる訳ぢゃん?て事は普段は「日本」と言う括りをあまり意識してないよね、一般人は。と。俺もだけどね。で、基本日本人って「周囲に日本人しか居ない環境下」で生きてるぢゃない?・・・・・て事は、だからこそ日本人は「日本」を意識するのが難しいんぢゃないかなぁと。例えば「東京 vs 大阪」とかは良く見聞きする図式なんだけど、「日本 vs 他国」って概念あんまり意識する事って無いんだよね普段。オリンピックとかサッカーとか系でなら良く「日本!!」って全面に出るけど、それ以外ではあんまり見かけない。なでしこでもやっぱり「日本が勝った!!」って大騒ぎしてるけど、ほとんどの人は勝つまであんまり興味無かったんでない?俺はそもそもサッカーとかスポーツ系に全くこれっぽっちも興味無いから勝とうが負けようがどうしようがどうでもいんだけど。んでまぁ俺個人として、「日本」と言う括りがそもそも概念として言語思考に組み込まれていないのだけれど、それはつまり俺が「日本」以外を知らないからなのかなと。魚は水を知らず、人は空気を知らない、のように。当たり前過ぎて、意識出来ないのだろうなと。なので「日本人として恥ずかしい」も「日本人として誇らしい」も俺の中には皆無で。せいぜい「社会人として」とか「大人として」とか「人間として」って括りくらいか。が、海外の人からみたら、俺の言うそれらはやっぱり「日本人的」な物を基準としてるだけ、に観えるのかもしらん。例えばー、中国の食品の安全性とか良く言われるけど、日本だってかなり酷い事やってたりする訳ぢゃない?毒入り餃子がー、とかあったけど、日本じゃ「生肉の生食による食中毒で死者」とかある訳だし、食品偽装も結構ある。中国がー、とか日本がー、とか関係ないぢゃないかと。で、まぁやっとこさ元の話に戻して。死んでしまえば、生きてる奴らに好き勝手言われちゃう訳だから、せめて自分の命は自分で守って、死ぬまで生き抜きましょうやと。
2011.08.19
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色々考えていたら結局寝れず出張って来ましたおはようございます?Security.jp放射性物質は日本全国にばらまいて、一人頭が受けるリスクを極限までに減らすべきという意見このブログの書き手様優しいなぁ。さてさて。なんか知らないけどやっぱり昨今「差別してる」と独りよがりな決め付けをした挙句「差別してる(とこいつが思い込んでる)奴ら」をそれ以外の無関係な人らまで巻き添えにする形の「くくり」で差別したがってる人らが目についてイラつく。思考停止そのものなのだもの。いや、正確には元々差別したがってんだろうね。そのくせ、自分は立派な意見を言っていると自分で言っちゃっうんだもの。一人では太刀打ち出来ない巨悪を、皆の力を結集して滅ぼしましょう的に。それにしてもTwitter/T_akagi京都の差別焼き、今日だったんだ。汚い大の字だ。Twitter/T_akagi京野菜って、京都市に汚染されてるんじゃないだろうか。不安だわー。九条ねぎとか京都市が伝染るんじゃないかしら、不安だわー。京都市に被曝したところで、知能に影響があるという科学的根拠は無いけれども、不安だからどんどん避けるべきだよね。不安だわー。京都市への不安で疲れ目気味だわーTwitter/T_akagi「怪しい差別 京都市さん」「マッチポンプ 京都市さん」「卑劣な人間 京都市さん」・・・・・これもう差別とか通り越して「キチガイ」だよね。神様か仏様、もしくはその眷属、もしくは「使い」だとでも思い込んでんぢゃねえのかなぁ。「正義感」に酔ってるとでも言うのか。リンク先のブログの書き手様は「京都の送り火問題を批判されている」と書いてるけど(本意は真逆なんだろうと予測してるけど)、これ批判ではないよね?意見でさえないよね?悪口だよねただの。で、そうなると当然「こういう発言」を繰り返す奴の発言だ、と言うバイアスかかるので他にまともそうな事がいくら書かれていても全部「どうせ差別したいだけでしょおまえ」となってしまう。全部そのための、差別するための布石なんでしょ? 伏線なんでしょ? と。それも相当程度の低いバカ丸出しな。大体がさ、本当に京都の人らが被災地や被災者を差別したいってなら、もっともっと旨いやり方がいっくらでもある訳よ?が、そうしてない。なんで?送り火問題がもっとシンプルな「凡ミス」だからだよ。この件でダメージ食らってるのは誰でしょう?京都です。無論、送り火に被災地の薪使って貰えると期待してた方々もまた多大なダメージ食らってるだろうけど。かと言って、テレビや新聞での報道になるまでではなくても、その被災地の方々が怒り心頭になってるってなら、とっくにネットだので祭りになってるわ。けれど被災地の方にそんな余裕などあるわけないわ。差別者がわざわざ何をどう考えても最終的に自分自身が圧倒的不利になるようなマネする訳ないでしょ?が、この自称フリーライターみたいなやり口こそは「本当の差別者のやり口」にとてもよく似ている訳ですよ。もうほんとまじで、こいつ実は超絶下品極まりないエロ本とかにたまに糞下らない嘘百百並べ立てたようなゴミ記事書かせてもらって日銭稼いでるような最低辺のオッサンなんちゃうん?少なくともこの自称フリーライターの糞野郎はどう考えても俺と同レベル。俺のこの文章見れば、こいつのレベルと大差ない事は誰でも一発で見抜ける。・・・・・それがまともなフリーライター足り得ようか?否なり。ツイッターアカウントの自己紹介で「Twitterでのつぶやきは思考実験によるつぶやきなので本音ではない物もありますよ」とか言っちゃってるけど、なにその言い訳。んぢゃ俺もどっかに「良く汚い言葉使いまくってますが決して本心からの本音ではありません、私の文章が私の人格の品性をそのまま代弁してる訳ではありません」とか書いておけば色々と好都合になったりすんのかしらwなんかお仕事もらえたりすんのかしらw・・・・こんな文章で仕事貰ったってこっちから断るわ。勿論実際にこの「フリーライター」様のTwitterアカウントのつぶやきザッと見てみたけど、本当に言ってたのよwびっくりしたwその心意気だけは認めてやるよ。どうせ頭回らなくてヤバイ発言だと認識出来ず削除も出来ないような低能だろうけど。いやいや、この手の下品な「実験」したいなら2ちゃんあたりで匿名でやってりゃいいのに。「差別許せない」って言っておいて「京都の差別焼き」って書けちゃう神経すさまじいな。それとも何かね? あれかね?差別するような奴らを差別する事で仕返ししてやる、目にもの見せてやる、なのかね?もしくは「差別する奴を差別するのは許される」のかね?wましてね、わざわざ公の場でそれやるて事はさ、その動機は恐らく「仲間を見つけたい」とか「仲間が居ないなら作ってしまえ」とかだと想う訳ですよ。「ほらこう考えればどう考えたって京都の奴ら全員差別主義者だって解るでしょ?」的な。なんだっけなぁ、なんかの名言だか格言だかで「本当に恐ろしいのは天使の顔をしている悪魔だ」ってのあったんだけどさ。こいつもそれ系だよね属性が。要するに俺は「こいつもまた差別がしたくて仕方がない奴」なんだなと断定する訳なのですよ。ついでにちょっと話変えちゃうけど。ほら、送り火問題の件の「苦情の電話」なんだけどさ、あれ「どこの誰の意見か」は分からない訳だよね?電話の主が「どこそこの者ですが」と言ったとしても、それが事実かどうか確認してないはずだよね?確認のしようもないしね。薪使用中止決定に対する反対意見・クレームが1000件近くあった、って報道あるけども、それだってどこの誰の意見かまでちゃんと確認・証明してないよね?下手すりゃ京都市民とかほっとんど居ない「可能性」さえあるんですよ?京都市が、たって、それもやっぱり間違いだよね?京都市長がやらかした、のはもう自明の事実だけどさ。けれど、んぢゃだからって「京都市役所」とくくったら、やっぱり間違いだよね?昔中学校で「校外で問題を起こした生徒が一人でも居れば、この学校の生徒・教師全員が責任を問われる、あの学校の奴ら全員駄目だ、と言うレッテルを貼られる」とか説教されたりしてたけど。・・・・でもそれ、明らかな間違いだよね?問題行為をした「個人」に責任があるだけだよね?勿論、人間の脳みそ割とテキトーだから、とりあえず「不正確な括りでも集団として見なして十羽一絡げにしてしまった方が情報処理のコストが抑えられる、だからそうしよう」ってやりやがるからね、仕方がない事ではあるよ?問題行為をした個人を見分けられない、けどそいつはどこそこの学校の者に違いない、ならばその学校に関係している全員を「悪」として見なせばリスクは相当軽減される、ってのはある意味仕方がないよ?でもそれ決して「現実」ではないよね?「まぼろし」だよね?クレームとか全て録音してあって、なおかつその一つ一つのロジックとかさ、言い分とかさ、精査してもいないはずぢゃない?どの意見は受け入れて、どの意見は受け入れないで、どの意見は保留して、なんて細かい対応してないよね?当然そもそもの送り火問題とて、そうした事ちゃんとやらなかった、理解出来なかったからこそのあの「右往左往」な訳だけどもさ。最初の「大文字保存会」に来たとされている40件ほどの問い合わせとか検査要請とかはまぁ、おそらくあの山の麓に住んでる方々からの物であったろうけども、そうだと仮定したってやっぱり「京都」と言う括りにしてしまうのは間違いだよね?大文字保存会は差別者集団である、ならまだ理解出来るんだよロジックとして。もしくは「大文字保存会は」とか「京都市市長は」とかなら解るんだよ。無論、それはそれでどうなんだよと想うけどね。なぜなら彼らとて「差別」をしたかった訳ではなく、しつっこいが「凡ミスやらかした」ってだけの事で、つまり「差別者」と断定出来るような言動はしておらず、だが「能無し」だと言われるようなボケはかました、ってだけだからね。能無し、と差別者、って括りはあんまり重ならないよ?ましてや能無しでさらに差別者である個人がそれなりに力のある「役職」に収まれる事などまずないのだからね。単に「気に入らない」ってだけの事だよね?で、「京都」と一括りにして差別者として断罪している。それって例えれば、俺がこの自称フリーライターなゴキブリを「なんて気持ち悪い『男』だろうか、これだから『男』は」とかさ。「『フリーライター』なんてほんっと滅んで良いヤツらしかいないんだね」とかさ。「『Twitterでつぶやきまくる暇人』はこれだから性質が悪い」とかさ。言っちゃうのと同じでしょ?「ああ、こんなゴキブリでさえ本を出版できちゃうんだーw」とか言っちゃうのと一緒でしょ?けれど正しくは「男」も「フリーライター」も「Twitterでつぶやく人」も「本を出版した人」も関係ないよね? 失礼だよね? 【こいつ】以外に対してね。「ゴキブリ」さえ関係ないよね? つか「ゴキブリ」に失礼過ぎるよね?「ゴミ」と言うのもやっぱりそれは「ゴミ」に失礼過ぎるよね?だから正直、この自称フリーライターをどう称したら良いのかわからないんだよ。で、考えあぐねた結果、やっぱり「差別者」が適当かなと想うんさ。差別者、はほぼ須らく「良くない奴ら」だからね、ならまぁこの自称フリーライター以外の差別者に対しても失礼には当たらないよな、つか失礼に当たるかどうか考えるまでもないわな、となるのでね。しっかしほんっと、自分で自分を疑う機能の欠如してる人間ほど気持ち悪いもんもないな。
2011.08.18
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五山送り日が「可哀想な結論」に終わった理由 - 城 武晋なんかどうしてもなにがなんでも「差別」って事にしたがる人多い気がするんだけどもなぁ。2ちゃん関係では当然のように「これだから京都人は」とか言うのもタラフク居る。「京都がやらかしやがった」って、その発想自体すでに思いっきり正しい意味で「差別」ぢゃないのかね?「男は」とか「女は」と言っちゃう思考停止バカと一緒でしょ?やらかしたのは「市長」であったり「大文字保存会」の理事会であったり理事長であったり発起人であったりその協力者数人だし、おまけに「やらかした内容」は「ホウレンソウがなってない」って物だ。送り火なんぞ、「科学的」には「ただ山でたき火してるだけ」で、ただそれだけの物がなぜ観光資源となりえるのか、それは「伝統」という魔法による、的なこと言ってるけど、いや、ほとんどの人にとっちゃ「ただのたき火」だと思うのだけれども。なら、なぜそのただのたき火が観光資源化するかといえば、そもそもが観光地だからだ。ディズニーランドの花火みたいなもんだよ。おまけに、送り火やってる人らだって、観光客に人気があるから存続させることが可能となってるって側面もあるはずぢゃないか?むろん、伝統であるからとか、お盆で帰ってきた先祖の魂を送るための大事なものだ、ってのは京都の人には多いだろう。だが申し訳ないが、ほとんどの観光客にはやっぱりどうしたって「ただのたき火」だ。さらに、たくさんある「見世物」の中の一つに過ぎない。そして、それで良い訳だ。古い建物だとか、街並みだとか、維持するために「金」が要るのだから。歌舞伎とて、自分らだけでは維持できぬから国から金出てるんだぞ?えびぞー?だかは国から1億?とか多額の金貰ってんだっけ?(真実かどうかなど俺は知らない「伝統」だけでそれは不可能な訳だよ?飽くまでも「伝統」ってのは味付けの一つに過ぎないし、決してメインにはなれない。今回の京都市長やら保存会理事会やらのボケかましっぷりは凄まじい低レベル極まりない物であったが、だからって「京都がー」と一括りにして語るのはどう考えてもおかしい。発起人に関しても、実は彼は大分の人で、京都とも被災地ともなんの関係もないよそ者だ、と言うバカも何人か見かけたが、それ関係ないよね?伝えるべき、周知するべき情報を伝達せず、独断専行した人物が複数居て、なおかつそこにマスコミまで絡んで来て、結果、整合性のない「決定」がなされてしまった。というだけだ。ましてや感情論全面に押し出せば、あれはあれで「仕方がない決定」とも言える訳だ。決定そのものい関してはそのように白黒ハッキリなど出来ない微妙な物だ。おまけに「放射能汚染」だか「放射性物質汚染」だか正確な表現は知らないが「政府が大丈夫だいうてるのは本当だ、大丈夫なんだ」と言い切るってのはどうなんだ?それでもし十数年後に科学的に明らかに今回の原発事故による「癌による死亡者」やら「白血病による死亡者」やらが出た場合、「大丈夫」といった責任はとる気があるのか?とれるのか?国でさえそうそう責任とろうとなどせんだろうよ。ましてや求められる「責任」は「すべてを元通りにしろ」という物だ。金だのなんだのでどうにかなる物ではない。よく解らない、調べても調べてもやっぱりよく解らない、偉い人たちも人によって言う事が違う、それどころか言う事が二転三転する奴までいる始末。大嘘、隠ぺいするゴキブリまで混ざってる。それで自力で理解出来ない者たちが理解出来ようはずもない。当然、不安や恐怖が鎮まる事もない。それがゆえに、人の上に立つ者が周囲の雑音に惑わされ右往左往するような真似をしてはならぬのだし、今回の件はそれをやらかしたからこうなってるんだ。にも関わらず、「京都」と一括りにするとは何事か。ではなにか、送り火などにまったく興味もなく、事実・現実として一切関わっていない者たちをも強制的にこのゴタゴタの巻き添えにしようと言うのか?ただ京都に住んでいるから、を理由に?ただ京都が出身地であるから、を理由に?関係ない者たちまで無理やり引っ張り出して「どうだ俺の視点は広いだろうメタ認知能力が優れているだろう」と威張りたいだけではないのか?それとも不安がってる者はすべからく「頭の悪い自己研さん自己批判も不可能なほどのサル以下のケダモノであるから批判されて当然だ」とでも言いたいのか。↓以下元記事の一部引用コピペ↓少し話は逸れたが、数百年という伝統を持つ行事が、おそらく来年には再度この騒動があった事が話題に上がり、京都の贖罪も兼ねて、「放射線検査」という儀式を経た上で東北の松を使うという結論に帰着し、そして更に数十年後、放射線の害が大したものではないと結論付けられた際には再度、汚点を残した事が明らかになるのである。 ↑一部引用コピペここまで↑やはり言ってることがオカシイ。「京都の贖罪」って、もうなんかすっかり「有罪と断定」してしまっているではないか。さらに、罪の償い方まで勝手に決めて、しかもそれは現実として起こると予言してしまっているwなんか新興宗教の教祖にでもなるつもりなんだろうか?>放射線の害が大したものではないと結論付けられた際には再度、汚点を残した事が明らかになるのである大したものではなかったならば、だとさwなんだこのテキトーな前置き。では、大したものだった場合は「大丈夫」といったこいつはどうするのだろうw元記事の最初のほうで>一連の放射線を巡る騒動は、まだ放射線の実害が確定していない段階で専門でない私は断言することはできないのかもしれないがまだ確定してないって分かっててやってんだから性質悪いわぁ。「ただちに影響はない」の意味は「今すぐ死んだりはしない」ってだけの意味でしょよ?どうして「○○ VS ●●」って形にしたがるんだろうなぁ。京都は悪である、ってしちゃってるの、この手の奴らぢゃん。可哀想な結論、とか。同情を禁じ得ない、とか。正直すさまじく気持ち悪い。同じような内容を別の表現使ってやってる人らは「残念な結果」とかいうよ?「同情」とか言わないよ?それともこの人はポケットマネーを直接被災者に配って歩いたりするような聖人なんか?なんですか、私は被災者の味方ですよー、京都って悪い人たちばっかだよねー、ですか?そうとしか読めんのだが。原発、大丈夫だよー安心ですよー安全に運用してますからーって言ってたのが「メルトスルー」しちゃってませんでしたっけ?誰も彼もが暇な時間ある知識階級と同じように出来るとでも思ってんのか。「私は十分すぎるほど勉強してちゃんと分かってます、その私が大丈夫だって言ってんだから大丈夫なんだよ、なのにどうして君たちは理解できないの?自分で調べて勉強すれば分かることでしょ?」ですかねwことはただの「正しい情報処理」だけで済むわけぢゃねんだよ。不安だー怖いーってやつらにゃ、それこそ心理学的な対応が必須でもあんだよ。バカぢゃねえのかまったくきもちわりいオッサンだ。発起人と同じ臭いするわ。
2011.08.18
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後で何か書くかもEisbergの日記環境放射線のリスクウィキペディアセロトニントランスポーター遺伝子明日のマーケティング世界一悲観的になりやすい日本人、だ、けれども・・・
2011.08.17
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今ちょうどTBSテレビ「NEWS 23 X」で大文字焼きの件をやっていて、んで立花隆とやらが「過剰反応だ」と言っていたが。なんでもかんでもすぐに「風評被害」だとか「差別」だとか言っちゃう思考停止ぷりは凄まじい勢いで蔓延している。非常に気になる。問題の本質はそこにない。にも関わらず「風評」だ「差別」だと騒ぐ事こそが本物の「風評被害」であるし「差別」だ。ほぼ全て、実務能力の欠如に起因している。まさに「バカのドミノ倒し状態」である。「なんか不安なんですけどー」と言われた途端に「んぢゃ止めます」誰が過剰反応したのか、と言えば「不安を申し立てられた人々」である。申し立てた人々ではない。そうした意味で立花隆は言っていたのかも知れないが。さて本題(前置き長すぎ京都市など「深くおわび」、被災地「もう騒ぐな」…使用中止で結局使えませんでしたー、ちゃんちゃん。・・・・・・・・・・・なんかとりあえず理事長?理事会構成員?市長?その取り巻き?とか全部首すげ替えちゃっても良いのかもしんない。元々の問題の発端は「理事会による中止の判断」その根拠は「40件ほどの不安の声」そのほとんどは推測になってしまうが「放射性物質は大丈夫なのか、燃やす事によって煙や灰とに乗って拡散するのではないか?」と言う『疑問』だろう。少なくとも「被災地の薪など使うな!即刻中止しろ!」と言う過激な物ではなかったはずだ。要はよく分からないから「訊ねてみた」だけだ。市では放射性物質の検査をし、結果「検出されず」(具体的数値は発表してない?)その後、「放射性物質検出されずも、薪使用中止」との報道がされ問題発覚。事実大文字焼き保存会理事会で「検出はされていないが、不安の声もあるから中止しちゃおっか」で中止決定。世間に対する「検出されず」の周知、アピールは一切せず、ある意味「密室での決定」がなされる。既に「使う事が正式に決定された」と言う事で用意されて居た「薪」は恐らく何らかの方法で「廃棄」されたんだろう。市などに1000件を超える「中止に対する批判」が起きる。では、って事で今度は「被災地の薪」を改めて自前で用意、京都に持ち込む。「大文字焼き保存会」からは答えがまだ来ていない段階で「他の4団体」での使用は決定されています、なので「被災地の薪」を使用してやりますよ、と周知してしまう。改めて用意した新たな薪から放射性物質検出される。「検出されちゃったのでやっぱ使いません」・・・・なぜ改めて京都側で薪用意して使いますよ、って言う前に「やるべき事」をやらなかったのかねぇ。「まさか検出されるとは想ってなくって」だってさ。このグダグダ話の発端の原因を全く理解出来ていない訳だよね?で、「今度こそは反省しましたごめんなさい」言って誰が信用するのかと。悪意のあるなしとか以前の「能力の問題」の部分で。風評とか差別とか以前の問題、風評も差別も全く関係が無い。放射能とか震災とかさえ関係が無い。問題の本質は奴らの「能力」にあるのだから。俺個人としては今回の件もそうだが「東電」とか「原発」とか「放射能」とかの問題の本質も「能力の欠如」にあるとしか認識してないので、ありゃダメだと想っている。無論、そもそも今回の件が「異例」の物であり、つまりイレギュラー対応能力など培いようの無い場でイレギュラー対応を迫られたら案の定ボケかましちゃいましたてへ♪に過ぎないのだけれど。普段はテキトーになぁなぁでやってたんだろうしね。ついでに「決定権持ってる奴」の決定には誰も文句言えない、みたいな環境だったのかもしれんし。だと考えれば、今回の事は「当然起きるに決まっている必然」であり、文句言う価値さえ無い気さえする。ただ責めるべきは「決定権持ってる人々」であるし、そのイレギュラー対応能力の低さだ。これがもし、最初の「不安の声をあげた人々」が何度も何度もしつっこく粘着しまくりゴネまくり終いに脅迫めいた事までやってた、ってなら話は違うけどねぇ。まして市は最初「保存会に決定権があり市は口出し出来ない」とか責任転嫁してたしね。したら今度は理事長さまが「市には逐一報告してたし、知ってたはずだ、それが今頃なんだってんだ」とやらかしてしまいに「そんなことより」発言までしちゃってたし。が、だからと言って「京都の恥」はちと違うと想う。京都がやらかした、のではないのだから。飽くまでも「やからした奴がやらかした」のであって、それは絶対に「京都が」ではない。だし、風評被害を鎮める、と言う点においてもやはりなにか違う。放射能を怖がる人々があまりにバカ過ぎて説得のしようもない、だから彼らが使っている「十羽一絡げ」をそのまんま使って「風評被害反対」とやってんだろうけど。が、それは「思いっきり相手を小馬鹿にしている」のであって失礼極まりないんだがなぁ。だし、結局のところ「実際に放射性物質が付着している事実」が出てしまったのだから、それは「風評」ではない。事実、である。なのだから当然「付着していたのがどのような物質であるか、それはどのような検査で、どのような具体的数値を出したのか、それはどのように解釈すべきであるのか」を周知しまくるべきであるし、当然それを言う者の「社会的信用」「実績」等も考慮されねばならない。正直、風評被害などほとんど無いように想っている。なぜならば、「個人として信用ならない奴ら」が居るからだ。残念ながら日本人は「話の内容の正しさ」より「誰が言ったか」を重要視する傾向が強い。話の内容精査しようにも、そもそも知識も理解力も無いから、判断するためにはそうせざるを得ないのだ。俺がまさにそれなんだけど。だし、それを理由に今まで「誰に言わせるか」とかばかりに腐心して来た歴史まである。卵が先か鶏が先か、みたいだけど。例えば自分がいつも使っている「スーパー」の店長クラスとかが「すんごい嫌な性格の奴」だと知ってしまった場合、俺は恐らく間違いなく「あそこのスーパーで買い物すんのやめよう」ってなる。そもそもそこの商品1つ1つが本当に信用出来る物なのかどうかを直接自分で確かめる術が無いから。となれば「やってる奴ら」がどんな奴らであるか、は判断する為に非常に有効なデータとなる。で、「やってる奴ら」にどうも信用出来ない奴がいる、となれば「商品1つ1つ」に対する信用などあっさり崩壊する。むしろネガティブなベクトルでの「信用」が強化されてしまう。それは果たして風評と一言で片付けてしまって良い物なのだろうか。火のない所に煙は立たない。盛大に煙が出ている、と言う事は何らかの「火種」が存在せねばならない。だがその火種がどれだか分からない。となればとりあえず「全部」忌避しようとするのは正常な反応だろう。致死性の毒を一つにだけ仕込んである「お寿司のロシアンルーレット」など誰も好き好んでやろうとはせぬだろう?ましてや放射能関係ともなれば、東電、保安院、政府の無能っぷりは「事実」として周知されてしまっている。なおかつ「小売」や「卸業」「生産者」の中に「ほんの一部」ではあるが「危険性のある商品を拡散させ得る能力が有り」なおかつ無知や無理解、もしくは「わざと」危険性のある商品を広範囲に拡散させてしまった「事実」もある。しまいに「放射線の影響」に対する解釈さえもが「学者間でもその閾値で未だ絶対的な数値が出せていない」し「安全と危険の閾値などない、とにかく0に限りなく近づけねばならない」とする話まである。なんちゃって学者が混ざってる、もしくは混ざってるよと言う話まで枚挙にいとまがない状況だ。安全厨と危険厨のグダグダもある。ただ普通に生活してるだけの「一般人」がそうした「周囲の騒ぎ」に全く影響されないほど確かな「データ」や「知識」を持ってるはずはないし、理解力など望むべくもない。居るとしても極少数だし、その人が直接その他の「よく解ってない人々」を啓蒙するなどまず不可能でもある。ついでに「現段階」においては「正しい」とされている事でさえ、数年後には「明らかな犯罪行為が行われていた」とバレてしまった事例にさえ事欠かない。薬害エイズとかね。・・・・・・・信用に値しない、と言う「信用」に偏る人々が増えても仕方がない現状がある。だし、一般人はほとんどの場合、自分の生活に追われて「日々の生活に直接関係ない知識」を手に入れる余裕などほぼ無いに等しい。つまり「誰か信用できそうな人の判断」をそっくりそのまんま受け入れる、しか出来ない。が、しつこいが様々な話が常に飛び交い続けていて「わからない」そしてそこから来る不安や恐怖は勝手に大きくなって行く。さて、ではそうしたあらゆる問題の最たる原因は何か。コミュニケーション不足だ。最近では「米」の買いだめがまた一部で再開されてるらしいが、あれもただ「買い占めすんな」と片付けてしまっても意味がなかったりする。「やめろ」と言うだけで収まるなら恐らく最初から起きない。一番の問題は「店頭在庫」を極力「最適化」しようとして来た昨今の経済活動だろう。ちょっと買う人が増えただけであっさり「店頭から商品が消えてしまう」のだから仕方がない。大量に買い占めてる奴がいる、あれはどうなんだ、と言ったって、それとて実は大家族であるから、とか、普段から大量に食う家族であるから、とか様々な都合があるかもしれない。よれよれのジジババであれば、滅多矢鱈と気軽に店に買い物に出かけられないから、かも知れない。さらにそこに「買い占めが起きている」と言う情報が加われば、相当な無理してでも「自分の分」を確保しようと動いてしまう。例えばハムスター話にしてしまうが、奴らエサを与えると全部頬袋に詰めて巣とかトイレとか特定の他のどっかに持って行ってしまい込む習性がある。あればあるだけ全部持ってく。「いくらでもエサがあるから貯めこむのは無意味だ」なんて絶対にならない。なぜかと言えば、そもそもエサにありつける事が非常に稀な環境に最適化されているから。頬袋にいっぱいエサがたまった、を理由にまだ目の前にあるエサを諦めてしまっては、生き延びる可能性が減ってしまうから。だし、そもそも頬袋に入り切らないほどの量のエサに出くわす事がほぼ皆無な環境であるはず。・・・・・・あるだけ独り占めしようとするのは非常に正しい訳だ。人間はハムスターではない?残念だけれど人間もハムスターと同じで「資源に乏しい環境下」を生き抜いて来た種族であるがゆえに、大して違いはない。要はイレギュラーな出来事に対する対応能力はあんまり高いレベルには成り得ないって事だよね。親が子に勉強しなさい勉強しなさい言うのは、人為的に「最適化する為のデータ取得機会」を増やそうとしている行為だし。避難訓練、とかもそうだよね。滅多に起きない出来事にちょっとでも最適化しようとすれば、人為的に機会を増やすしか手がないのだから。例えば俺がこの大文字焼きの件に反応したのは、イレギュラーだと認識してるせいだろう。ここまでアカラサマにバカなのってそうそう滅多にお目にかかれないから。要は非常に物珍しいから興味を持った、と。なぜか?イレギュラー対応能力に少しでも磨きをかけるため、だろうかな。・・・・・ほんとかよ(ぇ
2011.08.16
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内田樹の研究室感情表現について↓一部引用↓「感情の学習」を止めて、「自分らしさ」の表出を優先させてゆけば、幼児期に最初に学習した「怒り、泣く」といったもっともアピーリングな「原始的感情」だけを選択的に発達させた人間が出来上がる。「怒っている人間、泣いている人間は最優先にケアすべき幼児だ」という人類学的な刷り込みが生きているからである。↑引用以上↑昔の俺はまさにそれでしたー。あははー(遠い目今も攻撃性とか性格の悪さとかまだまだ残ってますがー。まぁ昔よりはマシになったと想う。想いたい。しらん!(ぇてか最後の方に「怒っていない状態の自分」でもって「怒り」に関して書けるのか試してみた、とあるが、それって簡単な事な気がしなくもない・・・・例えば俺なぞ「常に怒っているようなアホウ」であったので、その過去の記憶を辿っているだけで「怒り」に関して書く事は可能だから。が、そういう意味ではないのかなぁーとも想う。俺が彼の言い分をまったく理解出来ないので「いやいやそんなの簡単ぢゃん」と勘違いしてるだけなのかもしれん。わからん!(ぉぃで、確かに「観てる人が居ない状況下」においてわざわざ感情を表現するのってありえない、ってのはなんか解る。結構俺は孤独で居る事が多かったっつか多すぎた口なのだが、そうなりゃ当然「感情表現」がとんでもないレベルで下手くそになる。てかなってた。少なくとも「解りやすい形」にはなっていなかった。今でも例えば「めっちゃ楽しいー!!」ってなってても、はたから観てると分かりづらいらしい。で、そのような俺なので、彼が言うところの「感情は自分の内部から生じている物ではない」的な部分にちょい違和感を感じてしまう。無論、そもそもは「他人」の感情表現を模倣する事で「表現技術」は学んでいるんだろう。が、だからと言って「内面に根拠がある訳ではない」と言うのはなんとなく違うような「気」がする。感情そのものは内面に起因する、だがそれを「仲間」に伝える手段、技術部分に関して「後付で学習し勝ち取らねばならない」のでは?と。無論、誰かの笑顔につられて自分も笑顔になってしまうとか言うのはある。楽しくもなんともないのに、無理して笑顔にしたり笑い声あげたりすると段々本当に楽しい気分になる、とかもある。ましてや「他者に自分の感情を表現する」と同時に「自分自身に自分の感情を伝える」と言う役割もある気がするし。ましてや「怒り」は本来「敵の排除」の為でもあるはず。怒ると途端に攻撃的になるのは、「敵を攻撃し排除する、もしくは排除出来るかどうか試す」為ではなかったっけか。なので例えば俺とか『ムキー!』ってなって制御利かんなりそうになるとティッシュの箱おもいっきり壁に叩きつける、とかしてた。ほんの一時期。それ以前は例えばラジカセ蹴っ飛ばして結果壊れちゃったり、プレイステーションぶっ壊しちゃったり、って言う「破壊行為」をやっていた。で、中途半端にやると、破壊行為してもすっきりしない、怒りが収まらない。が、全力でティッシュ叩きつけるとかすると、すっきりする。どうも何らかのスイッチがあるらしいんだ。本来「敵を排除する、滅ぼす、つまり殺す」と言う攻撃の為の「怒り」であるとすれば、その感情プログラムが停止する条件は恐らく「実際の敵の死」もしくは「死んだ、と言う実感」だろう。なのでラジカセちょっと蹴っ飛ばして、とか、プレイステーションに一発げんこつ食らわす、程度では「敵はまだ死んでいない」と判断されてしまい「怒り」が持続するのではないか?この場合の「怒り」は当然、他者に「怒り」を伝える為だけではない、と言うかむしろそれは「おまけ」でしかなく、実質的な目的は「敵の死」である。なので他者が居ようが居まいが、怒りは何らかの対象の「破壊」を目的として発動しているはず。そしてまただからこそ、彼が言うように「怒ってる奴の怒りを静める事を周囲の仲間は最優先事項として設定せざるをえない」となるのでは?と。さらにそれは「敵」にとっては「最優先に攻撃すべき対象」ともなる。勿論の事、例えば「優先的に攻撃すべき対象」を選択するとか、どのような敵にどのような攻撃をすべきか、しないべきか、とかは学習せねばならない、が、攻撃性そのものは元から脳みそが持ってる機能のはず。しかも敵を攻撃し殺す、と言う事は逆に敵に自分が殺される事をも意味するので、知性だ理性だはあたりまえのように抑制するプログラムも同時発動する。ついでに「攻撃する事そのもの」に「快楽」を感じるようにもなっている。でなきゃ殺されるかも知れない状態にならねば殺せない、と言う行動に出られない。例えば怒ってる時って「・・・俺もしかしたら大間違いやらかしてて、敵こそが正しいかもしんない」とか考えらんないしょ?とことんオツムに来てるときって無理。俺は無理。「俺は絶対に正しい!! 相手は全部間違っている! てか悪だ滅ぼせー!!!!」ってなる。が、怒りが収まると「・・・・やべ、俺が悪だった・・・・」って事がほとんどだ。うん、それで地獄観た事あるから余計に。お釈迦様とかも言ってるけど、怒りは己を支配する、乗っ取る、だから怖いよー気をつけなーって。支配されちゃうよーもくそも、支配するように出来てるんだものな。「怒り」ってプログラムそのものが。支配されない方がオカシイんだ。が、さらなる高位に「怒り」を支配し制御するプログラムもたぶん最初っからある。しかしそれも「怒り」などと同じように「具体的な部分は学習して高めてかないとならない物」だ。おまけに本能的には「怒りを支配するプログラム」よりも「怒り」の方が優先順位が高い。明らかに高い。だから「怒りを支配するプログラム」はそう簡単には養えない。モンスターなんちゃら、が昨今の報道でのはやりだが、昔っからんなもん幾らでも居ただろうし、誰だってああなる可能性は常に持ちあわせている訳で。さらに一旦「怒り」に支配されてしまえば「正しいのは自分」であってそれ以外は全部「悪」となる。悪、とはつまり「滅ぼすべき敵」であり、自分を滅ぼすかもしれない脅威である。なので「なんでそんな程度の事でそこまで・・・・」みたいな事は平気でやれるし、やっちゃう。当然。怒り心頭でそうした事やらない方がおかしい。んでもってさらに、その怒りプログラムは「停止ボタン」を押さない限り消えない。もしくは力尽きるまで止まらない。それはそうで、「敵」が死んでないのに2~3撃食らわしてスッキリしちゃったら、今度は自分がとことんやられるだけになるからね。オーバーキルしなきゃ自分がヤバイ訳だからそう簡単には止まらないようになってるんだ。俺なぞそれこそ自分自身が実際にそうした事やらかしてきてるから、怒りの恐ろしさと楽しさはよーくしっている。あんまり知りすぎてもうなんか、解放なぞ無理。せいぜい「強盗に襲われた、そいつ武器持ってるやべぇ!」とかって状況で利用する、くらいしか出来ない。無論普段は「怒り」をとことん制御してて、いざって時にいきなり「怒り」を解放して利用する、が可能かどうかと言えば「普段やってないから」を理由に役に立たん可能性はかなり高いが。まぁ制御言うたかて、物理的精神的に「問題の出ない手段」で一気に吐き出す(怒りプログラムの停止スイッチを強制的に押す)か、怒りのエネルギーが底つくまで「一切のアウトプットを停止」してしまうか、怒りの対象から物理的に思いっきり距離を置くかしかないんだけど。原始人の時代であれば、全感情プログラムは正しく機能し、だからこそ「生き延びられる個体」が増えた訳だけども、現代社会ではその「太古の生存するためのプログラム」のタイミングだとか発動条件だとかが「目的」に合わなくなるほど「とんでもない速さで変化」しちゃってんのが問題なんだけどねー。いやほんと、本来的な「肉体のシステム」が人間がこさえたあらゆる道具の進化の速度にまったくこれっぽっちも追随出来ないまんまなのが問題の本質ではあるかなーとは想う。道具の進化は進化で、これが無ければ今いる人口のほっとんど死ななきゃならんなるからあれなんだけどさ。・・・・感情の話からなんでここに来たんだろう?w(はいはいただまぁあんだけ酷かった俺がちょっとはマシになれたのは、明らかに下手くそだろうが未熟だろうが愚かだろうがバカだろうが、実際にちゃんと自分の脳みそでデータ弄り倒して堂々巡りしまくったりしたお陰ではあるだろうなぁ。てかまぁ、マシになった部分もあっけど、そのせいで余計にダメになった部分もあるので、総合的には実は「なーんもかわっとらん」のかもしれん。が、では何にもマシにならない状態であったら、総合的に「ダメになる一方」だったかもしれん。まーなんていうか、怒りはマジヤバイですからな。下手すりゃ殺してしまうほど強力だからな。例えば話だが、では誰かとめっちゃ仲良くなりました、そのおかげで幸福な日々を送れるようになりました、で、ちょっとした事でぶちキレて殺しちゃったら、なにおまえ殺すために仲良くしてたの?幸せになったの?ころすために?ってなるんだもんさ!何を置いても「怒り」制御出来るようにならんと、何やってもなーんの意味もなくなるんだもんさ!てかマジ話、お前ぶっ壊す為に作ったの?あんな苦労して?にしかならんのだもん!怖くてなんも出来んなるやんさ!で必死ぶっこいて怒り制御する事最優先にしてたら、どうにかなってきたさ。少なくともぶち切れる事はなくなったさ。いやまぁ散々あっちゃこっちゃで迷惑かけまくっちゃったけども。あー、でも怒りを封じ込める事は出来るようになった、が正解で、制御も支配も全く出来てないのかもしらん。んー・・・・・次のステップはそれかなー。どうすりゃ良いんだか具体的にまるっきり思いつかんが。むじゅいむじゅい。
2011.08.10
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大文字送り火 別の木取り寄せ「大文字保存会」はまだ応じてないそうで?他のところは「決定」してますからマジでちゃんとやりますよって?なにこれ仲間はずれにしちゃおうって事?連絡はしてるよー、後は決めるのはあっちだから決行になろうが中止のまんまになろうが俺らのせいぢゃないよーアピール?市は口出せねー、決定権は保存会にしかないんだー、とか言ってなかたっけ。いや、そう言っちゃったからこそのこれ?で、本来燃やすはずだった薪は「キャンセル」され別の形で別の所で「それっぽい代案」の形にされちゃって、でも文句多いから「はいはい新しく現地の木を薪にして観光客とかになんか書いてもらって燃やせばいいんでしょー」的な対応になっちゃった?まさかこれでリカバリー出来たつもりになってんのかな?そもそも「んだら新しくまたあそこの木で薪作って燃やそう」ってアイデア誰が出したんだ?中止反対意見表明した人の中にそうした意見が多数あったとかなのか?それとも付け焼刃的に市長(か、その取り巻き)が言い出した、とかなのか?ましてや陸前高田?だったっけ?元の薪用意してた人ら。その人らはどう想っているの? どう言っているの? の情報が見つからん(←検索下手糞なだけてか京都市?が独断専行してるだけ、ぢゃないの?違うの?どうなの?※「観光客とかになんか書いて貰う」ってのは別の記事にそんな事書いてあったってだけ。んで京都新聞市長が「残念」…納得できない 大文字保存会理事長「市長知ってたはずなのに何も言わんかったやん」って理事長様がwパターン通り責任のなりすつけwマニュアルとかあるのかねぇ?こゆのって。あるんだろうなぁ、脳内に。例えるなら「相手が奢ってくれるんだろう」と思って連れ立って飲みに行ったら両方金持ってきてなくて「相手が奢ってくれるもんだと想ってた」って言い出すような感じ?wんでグダグダしながらおまわりさん呼ばれて二人共連行されちゃうような感じ?wマジで薪に放射性物質がくっついてるかもしれねー、とかなら、まぁ市も保存会も叩かれずに済んだろうが。問題の本質が「決定権持ってる奴ら」の能力の無さであったりノリの軽さであったりだからなぁ。擁護のしようもない。要は「真剣に願いとか祈りとか亡くなった方々の鎮魂をとか想ってた人々」はまんまと騙されちゃったって事にならんかこれ。ところが「やります」言うてるからその気になって準備してみたら「ドタキャン」され、さらにそのドタキャンも「ドタキャン」され、本来使うはずだった「木」も「文字」も蔑ろにされたまんま「新しい薪」を使いますーって・・・・怖いから反対した人だって、まさかこんなバカ話になるなんて想ってなかっただろうし。単に「よくわからない、だから怖い、出来れば止めて欲しい」ってだけだったんちゃう?したっけまともな説明もなーんも無しで「はいわかりましたでしたら中止します」って。反対した人ら素直に喜べなくないかこんなの?「え? ・・・え?」ってならん?「反対するの反対」って人らもまたそうだ。「ちゃんと検査して大丈夫だってなってんだから反対するのはオカシイ」つったって、決定権行使出来るヤツらの独断専行での「キャンセル」では、「え、あれ?反対者がたくさん居て、強硬な態度だから中止になったんぢゃないの?」とかならん?「キャンセルなんてけしからん!」言うてた人らだって、まさかこんなフザけた代替案で事無きを得ようとしてくるなんて想像してなかったんちゃう?「ちゃんと説明されてるのに、理解しもせずイメージだけで反対反対言ってんぢゃないの?ちゃんと説明されて理解したはずの上での反対ぢゃなかったのん?」とかならん?下手すりゃ最初の反対意思表示した人らだって「放射性物質は検出されませんでした」って情報さえ知らぬままに「放射性物質ついてるかどうか解らないんでしょ?調べてないんでしょ?調べる気もないんでしょ?調べたってどうせまた嘘つくんでしょ?なら反対!」って事だったのかもしれん可能性高いんぢゃないこれ?ましてや京都だ、本来原爆落とされるはずだった場所だ。放射能?→・・・原爆!ピカドン!人体蒸発!末代まで遺伝子損傷!いやああああああああああ!!!!!とか過剰反応する人いてもオカシクないし、気持ちはなんとなく解る。トラウマは理性で制御出来るような物ではないし、だからこそ「トラウマ」と呼ぶのだし。単に通常通り「大文字焼き」の準備してたり、待ち遠しく想ってたり、何がしかの思い入れとかある人らだってそうだ。「え、なにその話? なんでそんなことになってんの? 被災者の願いも今回は受け入れるんぢゃなかったっけ? キャンセルになったの? え? 大文字焼きは「日本」の風物詩で伝統で鎮魂で信仰の一種で大切に想ってる人らも結構居る行事・・・・・あれ?」ぢゃね?反対するにせよ賛成するにせよ、取りまとめて全体としてのベクトルを決定すべき奴が「あほう」では骨折り損のくたびれ儲けにしかならぬよなぁ・・・・・しまいに自業自得でヒステリー起こしそうだなぁ「偉い人達」が。・・いや、もう起こしてるのか・・・?
2011.08.10
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確かテレビニュースで知ったんだけど。京都市役所?だからに苦情の電話がーとかってなってて。が、実は決定権は「大文字保存会」にあり、そこで中止決定がされた、と言う事らしい。さらに、その「保存会」の会員?だかなんだかは、あの山の周辺地域在住の方々が多数である、らしい。すでに「薪」は用意されており、にも関わらず突然中止となって、この薪とか、準備した人たちの祈りはどうすんねんみたいな話になってるらしいんだが、って事はつまり「決定権」を持ってる奴らが「やりましょう」と言って居た、が、それは飽くまでも「特定の奴ら」が勝手に決めた事でしかなく、いざ「その他の人々に周知」したら「反対意見多数」で急遽「やる」って言ってたのに「中止」にしたって事なのか?てか記事内で「断念した」って書いてあっから、て事はやっぱり「キャンセル」って事だよな?・・・・・・保存会がバカやりやがったって事だよなこれ。ちゃんと話通して、その上で「やる事」にしたのならば、断念する事になどならないはず。だし、断念する事になったって事は、最初っからちゃんとやってれば「やらない」って事にしかならないのだから、当然「被災者」も「えー」ってならなかったはずだ。ましてこれどっから出た「アイデア」なんだろう。被災地?京都?少なくとも被災地の方々が勝手にやる気になって勝手に薪用意して勝手に送ったら送り返されちゃった、とかぢゃ無い訳ぢゃん?「やっぱやめます」って事になった「責任」はどいつにあるんだろうこれ。そいつが謝るなりなんなりせんと筋通らなくないかこれ?大文字保存会、陸前高田のまきの受け入れ拒否うん、なんかもう「ぐだぐだ」なんだなぁ。京都市も口挟めない大文字焼き「陸前高田の薪燃さない」一部引用↓ 松原公太郎理事長は顔をしかめ、「保存会の会員のなかで不安があるという意見があったので断念した。ともあれ、そんなことより明日からのことに全力を挙げたいと思います」引用以上↑「そんなことより」・・・・・・そんなことよりwこれは本当に当人がそっくりそのまんま文字通りに言ったのかね?言ったのなら個人攻撃して良いと想うけども。理事会とやらの「能無しっぷり」に問題の本質がありそうだなぁこれ。ま、「偉い人」だからって「能力のあるなし」と直結はしないって事だよなぁ。盲信したらあかん。まして「不安を取り除けない、不安がる人をないがしろに出来ない」とか言い訳してもいるらしいが。が、では果たしてちゃんと「説明」とかしたんだろうかね?単に「なんか怖いから反対だ!」と言われたから「わかりました」だったりせんかね?「放射性物質はくっついてませんよ」ってやったけど理解されないから「もういいや」って事なんぢゃないのかね?てか実は最初っから「被災地の役に立ったら人気者になれっかな」程度でやろうとしたら思いがけず反対されて「やべぇ人気者になるどころか嫌われちゃうよー」で中止決めたらとんでもない事になっちったーってんぢゃなかろうな。もしくは「反対」した奴の中に「普段から金たらふく出してくれる奴」が居たとかかね?
2011.08.09
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まぁ所謂「エコノミー症候群」の話ですが。長時間のゲームプレイ後に死亡した青年の父親、エコノミークラス症候群への注意を呼び掛ける長時間に渡る座位によるエコノミー症候群で二十歳代の青年が死亡って記事。そもそも体からのSOSを素直に信じてとっとと病院行ったりせんからぢゃないか、とも想うが、決してこうした原因での死亡事例って少なくない気がする。20年以上昔、仕事時間中のほっとんどを「椅子に座った状態」で過ごしていた事があるんだが、うん、あれ良くないと想う。まぁ実際に当時俺が感じていた「不都合」は「眠くなって仕方がない」なのであれだけど。単に「刺激不足」で脳みそが寝てしまう、てのも当然あるとは想うけど、同時に「体がほとんど動かないことによる血流の停滞」もあるように想う。要は身体的な不活性が起きてたんぢゃーなかろうや?とwしらんけど。で、次に「長時間の座位における健康被害」「1日に6時間座っていると死のリスクが40%増大する」など、座りっぱなしのデスクワークがもたらす弊害と解決法ずっと座っている事は肉体的に「自然」ではない、だから色んな不都合が出ますよ、的な話。少なくとも「何十分~何時間」に渡って「ずーっと座ってる状態」は健康によろしくはないようだ。当然筋力の衰え、もあるだろうし、そうなれば血流も悪くなるし、脳みその「姿勢制御機能」とかだって当たり前のように衰えるだろうし。立ったまま机に向うと快適!んでまぁここ数年、座ったまんまでデスクワークなんてやってらんねぇ!って人が「なら立ったまんまでやったらぁ!」ってなっとるらしく。今現在この文章打ち込んでいる俺も当然「立ったまんま」でやっとるw既に一ヶ月過ぎてるので、やっとこさ慣れた。うん、1時間~数時間立ったまんまでパソやるのに最初特に「足の裏」が慣れなくて、すぐ痛くなってた。が、我慢(w してやり続けてたら慣れて来た。無論、姿勢制御を司ってる脳みその部分がそれにかまけちゃうので知的作業する際の効率とかは良くないだろうけれど、それ以上に一回慣れてしまえばそんなに大変ではないし、軽く腰を左右に振りながら作業出来たりしてなんか良い。終いに「インコ」とかみたいに片足で立って、疲れたらもう一本の足だけで立って、とかもやれるから面白い。本当に「いす」がなかった,キヤノン電子のオフィスキヤノンでは会社をあげてやっとるらしいw2ちゃんあたりではボロクソ言われてたが、俺だったら大喜びするだろうと想うwちんたら歩くのとか嫌いだし元々w数人のグループで固まって歩いたりすると、俺だけ一人でとっとと先に進んじゃったりするし(すごいKYっぷりだなおいデスクとルームランナーの合体は本当に理想的なのか…実際に試してわかったその効果立ったままデスクワークどころか、ルームランナーの上で歩きながらやってる猛者まで居る始末。いや正直超羨ましいんですけどね。そのうちやってみたい。まぁ一番良いのは30分刻みで座位→立ち→歩き→座位→みたくするのが最善かもなーとかも想うけども。車も「立った姿勢」のまんま運転出来るの誰か作ったりしてくれねーかなー。バイクとか自転車・・・・・・自転車は立ったまんまでも昔から乗れるかw
2011.08.05
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ちょっと前に「有吉」と「マツコ・デラックス」と美人なアナウンサー三人でやってる深夜番組、確かタイトルは「怒り新党」だった気がする番組での事。視聴者からの「怒り」でスピード違反取締りが「こっそり」やられる事に納得出来ない、的な内容の物が送られて来て。有吉も「内緒でやりやがって、堂々とやれば皆違反なんかしないだろう!そうすべきぢゃないのか!」的に言っていて。俺もまぁ基本的に「あれふざけてるよなぁ、違反者数増加させてるだけぢゃねぇのかなぁ」とずっと想ってた口なのだけど。と同時に、その時はなんか違和感を感じて。「ん?ほんとにそうか?」的な。うん、いやよく考えるまでもなく、あれって「内緒でこっそり」やらないと何の意味もないよなぁと。堂々とやっちゃったら、それこそ「交番付近」とか「パトカーが肉眼で視認出来る範囲」ではめっちゃルールに従いまくった運転するけど、それ以外の所では気が抜けまくる、と同じ事が起きるだけだよなーと。なんだっけ、違反とかしてないか抜き打ちで検査とか入ったりするやない?で、実は「事前に通知」してあったりして、意味ねーぢゃん的な事あったりするやない、ニュースになったりもするやない。「堂々とここで取締りしてますよー」やっちゃったら、それと同じになるだけぢゃんと。お巡りさん全然悪くねえぢゃんとwま、なんにせよ車はたやすくヒトを殺せる、下手すりゃ木っ端微塵にさえ出来てしまう凶器よってにな、気をつけなあかんにゃー。(無理やり話着地させやがった(結論なんぞ何も考えんと書きだすからこうなるw
2011.08.04
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DESIGN IT! w/LOVE事件でありできごとである話しことばでは人は客観的で分析的な思考をするのがむずかしく、メタ認知を働かせて研究やデザインをすることができない後半で「メタ認知が苦手な人は文字化する訓練が足りてない」的な事が書いてある。これはそのまんまやまもといちろうBLOG(ブログ)~切込隊長は不在にしています~どうしても、もやもやして一歩が踏み出せない君へにあるような事と直結する。それ以外にも昔っからあらゆる所で「混乱するならとにかく書け、文字にしろ、図にしろ」と言われている。人間関係で悩むなら、とりあえず相関図を書いてみろ、とかもあるね。そうすれば、とりあえず「現実」が目に見えやすい形・脳みそが理解しやすい形となり、「わかった気」になれる。解った気になれてしまえば、「わからない」から生じる「恐怖・不安」から開放され冷静になれる、落ち着ける、そうすれば理性的な言語思考に割けるリソースが復活するからね、みたいな。特に俺は「メタ認知能力がほぼ欠如した状態」で20数年生きていた口。頭の中だけであーだこーだとやってただけ。なので「自分自身」の事を知らない解らないって状態で生きていた。つか良く生きてられたなぁ。それが数年前にとある地獄を味わい、「なぜそうなったのか」の本当の原因を知りたい一心で「文字を紡ぐ事」をやっとやり始めた。最初は単に思いつくままに全てを可能な限り文字にしていった。タイピング速度だけはそこそこ速かったのでその作業自体は苦ではなかったし。記憶にある出来事、その時何を考えていたのか、想ったのか、感じたのか、出来るだけ全てを文字にしていた。単に吐き出していた、が正確な表現だが。で、ふと気づいた。「ああ、あの時自分はこう感じていたのか」とか。「あの言動があれに結びついていたのか」とか。様々な事が「見えてきた」のだ。なので「I See that.」が言い得て妙だというのは感覚的に解る。ネットが無いころ、日記帳をわざわざ勝手日記つけるって習慣が普通にあったはずだが、あれの効用はこれだったんだろうなぁ。昨今流行りの「見える化」ってやつだ。例えば俺がいうところの「俺」の本質とは「言語思考そのもの」であると気づいたのもこの文字化作業が齎した物だろう。例えば思考する場合「文字が頭の中にあり、その文字を使って思考出来る者」と「ヴィジョンが頭の中で流れていて、それが思考の代わりになってる者」が居るそうだ。俺は明らかに後者のタイプで、今でもそれは変らない。意識的にやらないと、論理的思考の真似事さえ出来ない。もやもやとした不定形なヴィジョンが浮かんでは消え、消えては浮かび、様々な物が同時に並行で流れ続けている、と言うような状態になる。無論そこには「文字」も存在するんだが、飽くまでもその文字は「断片」でしかない。せいぜい文字化した場合に1行、2行になるかならないか程度の長さの物。それではロジックなど組めようはずもない。頭の中にだけ存在する「文字」も常に浮かんでは消えて行き、固定化出来ないのだから当然だ。それでは当然メタ認知などまず無理。ありえない。流れ続けるヴィジョンに自分自身が追いつけず、翻弄され続けるから。無論、文字化された思考をする場合でも、すぐに「さっきまで何考えてたっけ」状態になりやすい。なので音声によるコミュニケーションは割と苦手であったりする。発声による言語コミュニケーションは「事件」であり、生じると同時に消えてしまう儚い物だ、と言うのはそうした理由によりやはり感覚的に解る。例えるならば「なまもの」だ。なのでいくら「情報」を持っていようがどうしようが、感覚的な自動化がされていない物に関しては「知ってはいるがわからない」と言うめんどくさい状態になる。りんごを「りんご」だと知ってはいるが、そのりんごを使って創作料理を作る、とか絶対に無理不可能言語道断みたいな。なんぢゃこの例え(しらん要は「体で覚えるタイプ」が解りやすい表現だろうか。なので当然、自己批判もまず無理だし、計画など「なにそれおいしいの?」だ。まぁつまり未熟ながらも本気で文字を紡ぐようになったキッカケ、あの「地獄」を味わうハメになったのは「自明の理」であったって事だ。それこそ「猿」みたいな存在だった訳だ。さらに悪い事に、ちょっと頑張れば言語思考可能となる「機能」は元々持ってる訳だから「ずるがしこい」訳だから性質が悪い。かなり悪い。つかまじ悪かった。正直言えば今でもあんまり変わんない(ぅゎぁ自分で自分が何をしているのか、さえも全く知らない、理解出来ないと言う状態なのだから当然だ。しつこくなるが、こうして書いていれば、いや、正確にはタイピングしていれば、目の前で次から次に文字が生じていく。記録されていく。だから「あれ、数秒前何考えてたっけ」は起きづらい(起きづらいだけで起きない訳ぢゃないのがミソwだし、そもそも他者に何かを伝えたい、と言うより「自分自身が何を考えているのかをリアルタイムに記録し続けたい」が文字を紡ぐ一番の目的なので、ほぼ思考のまんま書いていたりする。下手に編集とかしてしまうと、結局「リアルな思考」が見えなくなってしまうから。しょっちゅう話が飛んだり、異次元に吹っ飛んだりするのは、わざとそうしてるとか、ウケ狙いだとか、ツッコミ待ちだとかって訳ではなく、まんま「素の俺の思考・脳みそのデータ処理を時系列順に列挙してるだけ」であったりする。でないと、「やっぱりしょっちゅー話が飛ぶなぁ、落ち着きないなぁ、集中力がないなぁ」がわからない。実態が解らないと、対策練れないし、そうなれば当然改善等夢のまた夢となる。実質大して進歩などしていないが、しかし数年前と比べれば、これでも一応は進歩はしているのだ。ちょびっとだけだからすんごい分かりづらいけれど、観えづらいけれどwただちょいと気になるのが、生じた瞬間に消えてしまう話し言葉だからこそ有用、って場合もかなり多く、故に使い分けをちゃんとしないと意図しない不都合を被る可能性が跳ね上がる事。例えばそれは「誰かの悪口」をうっかりネット上で書いてしまうとかのあれ。だが、単なる話し言葉で直接は関係ない誰かに誰かの悪口を言う、であらばまず問題にはならない。なぜなら、残らないから、聞かされた方もすぐ忘れてしまいがちだから。そしてそれは「口約束」と「契約書」の関係性のそれでもある。何にせよ、言語思考を生きる為の道具の基本中の基本として据えている現代社会において、読み書き出来る能力ってのは「欠如」してると「まとも」な扱いはされないわなぁって事かいのう。読書しろ、は良く聞くけれど、書け、とはあまり言われない気がする。が、書け、も「読め」と同じように重要視せんとあかんよなぁ。読む、ってのは単に「文字を見てるだけ」の状態になってる可能性あるし。優先順位としては当然ながら「読む」が上なのだけれど。が、インプットだけ重視してるとアウトプット能力が疎かになるような気がするのだ。インプットだけでは「データ処理」の必要性があまり無い状態になりやすいし。データ処理は基本的にはアウトプットのためにする物だし。それはなにも「言語コミュニケーション」のみならず、「行動」も当てはまる。そういや日本語ってかなり脳みそのリソース喰うらしいねw(話飛んだw
2011.08.02
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内田樹の研究室ネット上の発言の劣化についてまぁつまり「情報格差が拡大すると手にできる金とかに影響するよ?」的な事かな?(てきとー404 Blog Not Found 小飼弾情報の質に関するただ一つの原則内田氏の言い分の細かい部分に突っ込みしてる的な。isologue(イソログ)- by 磯崎哲也事務所世界をあるがままに見るということ俺的に一番しっくり来るのが磯崎氏の意見。「そんなん前からあったぢゃん」的な部分は同意見。さらに勝手に付け加えるなら「リアル」でだってずっと昔っから「階層化」してるぢゃない?だな。色んな新聞やら専門書やら読む人と、スポーツ新聞的なのしか見ない人との格差みたいな。例えば質の良い悪いの例えとして。フジテレビの韓国推しに対してネットのスポンサー不買運動が激化! 『花王』は犠牲に……KARA、少女時代、東方神起等に代表される「韓流スター」がテレビで連日ゴリ押しされまくり、「人気」が捏造されている、一番酷いのがフジテレビだ、フジテレビを改心させよう、よしスポンサーにクレーム入れよう、で花王が槍玉に上がってる真っ最中なのだが。これを「質の悪い情報」としよう。では「質の良い情報」とは?日本市場へ売り込むK-POP&韓流、売り込まないC-POP&華流こーゆーのかなーと。実際俺これ読むまで「日本映画・ハリウッド映画」くらいしか頭になかったしw中国の音楽とか映画とかすっかり忘れていたし、実生活においてそれらを意識するような現実がそもそもかなり希薄な物になってる事に気づいた。大昔は「キョンシー」とか良く観てたんだけどねー、レンタルビデオで借りてまでwだし、記事内にあるように「中国のエンターテイメント界はそもそも日本を市場として観ていない」ってのにも気付かされた。そういやそうだなぁーと。ましてや中国のエンターテイメント業界が実際に具体的にどんな感じなのかなんて全く知らない想像もつかない。その手の情報にアクセスした試しもない。したくても出来ない中国語なんてさっぱりわからない。英語もわからんしwてな感じで色々と勉強になるのが「質の良い情報」かなーと想う訳で。他のサイト等では「韓流ドラマばっかになるのはとにかく「安いから」であって不況下では当然の帰結でしかない」って話もある。内田樹氏言う所の「情報の階層化」に関しては、それ以前に「言語の壁」の方がよほど不味いような気もしなくもないし。少なくとも俺は「日本語化」されている物でないとそもそも言語データとして取り込めない。こっちの方が遥かに「ヤバイ」気がする。無論取り上げたサイトの方々は英語は当然、中国語もイケル口かもしらんからハナッから「言語の問題」は気にもならないのかもしらんが。何はともあれ「言語思考レベルの高低・あるなし」はかなり大きい要素だろうなぁ。ただし、質の良し悪し言うたところで、例えば「ヤンキー」に「この哲学書を読みなさい」と言ったところで、ヤンキー君は間違いなく「は?なに言ってんだそれより金よこせ」とかなりかねんだろう。読書、と言う概念がそもそも無い可能性が高いし、ましてや「哲学」だの「経済」だの「道徳」だのって概念も希薄な可能性が高い。つまり「ヤンキー」にとって「質の良い情報」は「存在しないもの」であり「良し悪し以前の問題」であったりするかもしれない。それよりか「やれ誰それは喧嘩が強い」だの「根性がある」だのって情報こそがヤンキーにとっての「質の良い情報」となるだろう。そんな感じの事を小飼弾氏は言ってるのではないだろうか、と勝手に解釈してみたりした。質の良し悪しは発信者が決めるのではない、受信者が決めるのだ、とはそう言う意味だろう。まぁ少なくとも「2ちゃんねらー」に代表される無責任な匿名ユーザーの打ち込む文字データ群の中に特に目立つ「劣悪さ」は何も今に始まった事ではないし、ネットが普及したから発生したのでもなく、太古の昔からずーっと人の世に確実に存在していた物であるのは確かだ。さらに、そうした彼らとて、ではその「表現の劣悪さ」がイコールで「リアルの当人」の質の高低を表してはいなかったりする。多少のバイアスはかかったりはするだろうけれど。例えばそれは「2ちゃん」では割と「汚い言葉を使うのが礼儀・マナー」みたくなっているだけ、であったり。単に慣例的に「とりあえずちゃかす→うまく返す→誰かがさらに何か書く→数回繰り返される」的な「お約束」とかもあったりするし、ロムってるだけだと「喧嘩してんのか?」としか見えないやりとりでも当人たちは単に「じゃれて遊んでるだけ・暇つぶしてるだけ」だったりさえする。なので一概に「見てくれの悪さ」がそのまんま「質の悪さ」に直結しないのであそことかは初心者が簡単にクビ突っ込んで良い場所ではないし、半年ロムれ、とかって言葉の意味はそこにあったりする。まぁ、要するに「自分にとって有用であるか否か」が重要だよねって事で。さらに、自分、と言う存在が自分にとって有用なものとなっているかどうか、の方がさらに重要だよねって話だなぁ。だし、質の良い物にしか触れない、と言うのもこれまたちょっと問題あるとおもうし。ある種の「世間知らず」を養成してしまう、的な。無論明らかに質の悪い物にしか触れない、のはさらに問題なのだけれど、当人がそれに気づくかどうかは割と「当人次第」でしかなかったりもするし、単に環境やタイミングの問題だったりもするし。手っ取り早いのはやっぱり「気になる情報があったら、とりあえず賛否両論を探して読んでみる」かなぁ。無論、「場」もまた大切。下劣だなーと想う場でも情報収集し、ここはなんか凄い人が集まってるなー的な場でも情報収集すれば、大概はおおまかな俯瞰図は描けるし。さらにその「持論・感想」が的外れではないかどうかの情報にも積極的にアクセスして自己批判するのもまた良いだろう。的な。てーきーなー(飽きてきたらしい(ぉぃ
2011.08.02
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