しあわせのかたち

しあわせのかたち

2004/11/27
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テーマ: 戦争反対(1263)
カテゴリ: カテゴリ未分類
>鳩さん

 いやいやどうも、後回しにしてしまって申し訳ありません。
 このログから見出した方は「なんのこっちゃかわからん」となりますので、顛末をザッと説明いたしますと、キッカケは当サイトにある11月13日と14日の日記にあります。
 流れとしては、

(1)当サイトの13日と14日の日記をアップ
(2)コメント欄にて反論多数
(3)そのなかで鳩さん向けにはショータが18日の日記で再反論
(4)鳩さんが質問への回答と再々反論を自身のサイトの24日と25日の日記に掲載
(5)そしてこの日記へ




 さてさて。まず何から書いたらいいものか。

 取り急ぎ、私は哲学者ではありません。現代思想に興味があっていろいろ本を読んだりしていますが、いわゆる一般的に哲学者と言われている中島義道とか西周とかヴィトゲンシュタインとか(土屋賢二とか(笑))、そういう人々の著作を読んだことはありますが、体系立てて哲学史を学んだ事も無ければ、「人間はなんのために生まれ、どこへ行くのか!」などと悩んだことも、ここ15年くらいありません。

 このブログは、私よりも10倍以上哲学を含む現代思想に詳しい方々が、私が認識している限り最低3名以上読んでいますので、「哲学者へ」などと私宛てに書かれた文章を見ると、「あいつが哲学ぅ?」と激しいツッコミが来る可能性があるので正直困ります。くわー、言い訳っぽい。逃げ腰っぽい。

 さてそのうえで。

>貴下は私の哲学的文明論に関する無知を非難されました。しかし、私は、哲学的文明論
>は、専門ではないと言っていましたね。

 正直、「そんなもん私だって専門ぢゃないがな(涙)」と思っているのですが、上記について、それをどうわかってもらえるか、というのをどうやって説明するか、というので激しく悩んでしまいました。
 というのも、私が「読んでますか?」と問い掛けたエドワード・サイードは一般的に「哲学者」とは言われないし、代表作である『オリエンタリズム』は「哲学書」としては括られていない。レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』も同じです。

 例えばサイードはエルサレムで生まれて後に米国籍を取得し、キリスト教徒を親に持つ、コロンビア大学教授のパレスチナ人です。そうした複雑な履歴を持つ人が世界の「アイデンティティ」や認識論、人種論、民族論、戦争論などを語ることが「哲学」といい得るのか。あるいはレヴィ=ストロースは文化人類学者で、じゃあ文化人類学者の仕事ってどんなのよ? となると、近代以降は南米のジャングルやアフリカのサバンナの奥地にある部族に分け入って、一緒に生活してみてその文化状況を調査する、ということなわけで。極めて地味で、だからこそすぐれて実践的な学問ではあるわけです。

 こりゃもう試しに鳩さんが在学されてる学校の文化人類学や史学、社会学の先生に(絶対に知らないわけはないので)「エドワード・サイードやレヴィ=ストロースが考察した仕事は哲学なのでしょうか?」と聞いてもらうしかないかなあ、などとも考えていました。

 ところが、「じゃあ哲学ってなんだ?」という話になった時に、辞書で調べてみると


>なすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を
>含む。

 とか書いてある。
 むううう。なるほど。私にはサイードもストロースも、例えばマルクスもソシュールもフーコーもラカンもバルトも「哲学者」だと言われるとムチャクチャ違和感あるのですが……。うーむ。しかしデカルトやヘーゲルなら「哲学者」と言ってもシックリくるなあ。ルソーやニーチェもそう呼べるか。ベンサムやサルトルはボーダーラインかな。などと悩みだしたらもう止まらない。

 上記に登場した思想家たちは、ほぼ全員「認識論、論理学、存在論、倫理学、美学」について、一人残らず歴史に残る書物を書いています。私は辞書至上主義者ではないですが、一応そこに書かれている認識は尊重することにしています。その辞書に「認識論、存在論は哲学に含まれる」と書いてある。つまり、「この世界を認識するにあたり、切り取り線を入れるもの」を「哲学」と言ってもいい、と。


 実際には経済学、法学、文学、政治学、経営学、史学、社会学、心理学、全部まったく違うもんなのに、「ああ文系ね?」と括られるような違和感と申しましょうか。

 こんなふうにあれこれ悩みつつ「どうレスするかなあ」なんて悩んでいたのですが、鳩さんの返信を読み進めていくうちに、なんとなくですが文意が読み取れてきました。

>キッシンジャーやブレジンスキーの文明論の方がはるかに現実的であると思いますが、こ
>れらは貴下の文明論の範疇には入らないのですかな。

 あー、なるほど。ポンっ(←膝を叩く音)。キッシンジャーもブレジンスキーも、米国の元大統領補佐官で、いわゆる国際政治学者ですよね。ようするに舛添要一とかハマコーとかの立ち位置が一番近いわけで。なるほどキッシンジャーやブレジンスキーに比べてみれば、確かに私が挙げた思想家たちは、揃いも揃って「哲学的」であることは認めます。はいはい、納得。

 つまり鳩さんは、国際政治や軍事・外交を語るにあたり、元政治家が語る「実践的政治論・思想論」をより重きと判断し、「理論的政治論・思想論」は「参考程度にしましょ」と言ってるわけですね?

 オッケー了解。パラダイムが完全完璧に違ったわけですな。
 やっと私、スタート地点に立ったことを認めまして、周回遅れですいません。と、まず謝っておきまして、それならそれで書き方やら考え方やらが変わってくるわけです。例えば。

>キッシンジャーやブレジンスキーの文明論の方がはるかに現実的であると思いますが、こ
>れらは貴下の文明論の範疇には入らないのですかな。

 入りません(キッパリ)。私はキッシンジャーのそれも、ブレジンスキーのそれも、「文明論」と呼ぶには値しないと考えています。私は↓こういう語り口、思想を「文明論」とは認めない。

>Q:ソ連が、軍事介入はアメリカのアフガニスタンへの秘密工作と戦うために正当であると名言した時、
>だれもその言い分を信じなかった。しかし、それは基本的に真実を含んでいたのですね。今、何か後
>悔するところはないのですか?
>
>ブ:何を後悔しろと?秘密作戦はすばらしいアイディアだった。結果として、ソ連をアフガンの罠へと引
>き寄せたのだ。それを後悔しろと?ソ連が公式に国境線を越えた日に、私はカーター大統領へ、こう手
>紙を書いた。「今、ソ連に彼らのベトナム戦争を始めさせるチャンスを得ました。」事実、それからほぼ
>10年に渡って、モスクワは自国の政府の手に負えない戦争を遂行しなければならなくなった。対立
>はソ連帝国を混乱におとしいれ、最終的に崩壊をもたらした。
>
>Q:イスラム原理主義を支持したことも、未来のテロリストに武器と助言を与えたことも後悔していな
>いのですね。
>
>ブ:世界史にとって、一番大事なのは何か。タリバンと、ソ連帝国の崩壊のどちらが大事だ? 訳のわか
>らんイスラム教徒と、中央ヨーロッパの解放・冷戦の終結のどちらだ?
>
>Q:訳の解らないイスラム教徒?しかし、イスラム原理主義は現在、世界の脅威の代表であると繰りか
>えし言われているのですが。
>
>ブ:ナンセンスだ。西側諸国は、イスラムに関してグローバルな規模の政策を持つといわれるが、ばか
>げている。グローバルなイスラムなど存在しない。イスラムを、デマや感情を差し引いて理性的に見た
>まえ。15億の信者をもつ世界の主要な宗教だが、サウジアラビアの原理主義と穏健派のモロッコとパ
>キスタンの軍国主義、西側寄りのエジプトと中央アジアの世俗主義、これらのどこに共通点があると言
>うのか。キリスト教国家の共通点以上のものは何もない。

http://www.ne.jp/asahi/home/enviro/news/peace/blum-Jより抜粋引用。

 私の括りでは、これは「国際政治学者が語った文明に関する評価」です。
 例えば私がここで、「少年法ってもう時代遅れだよねー、チョー遅いって感じぃ(はぁと)」とか書いたら、鳩さんはそれを「法律論」と呼べますか?

 さらに言えば、

>有限なる文明を図る物差しは、唯一つ、歴史的連続性につきると思います。

 そんなバカな。そりゃあんまりです。歴史学も文化人類学も、社会学も無視してしまうことになる。ただただ長く続いていればいいとして、そこに例えば「英国王室」や「天皇家」を入れるとするならば、つまり(平安期の皇室と現在の天皇家の差異に見られるような)形態、様式の変化を認めるのならば、チグリス・ユーフラテス川を抱えるイラクの文明が「世界一」になってしまいます。

 イラクの文明を「途中で切れている」とするならば、世界の史学者、人類学者、社会学者は、「だったら天皇家だって切れとるやんけ」と批判してくるでしょう。怜悧な史学的観点から見て、中東の一部地域で昔ながらの生活している人々と、「皇室」のそれと、文化的連続性を比べてみると同等かそれ以下としか判断できないはずです。
 私はロマン派ウヨクを自認していますが、「文明を図る物差し」として天皇家を利用する論理には首肯しかねます。

 誤解してほしくないのは、私は「歴史的連続性」に価値を見出すことを否定しているわけではない、ということです。日本文化の歴史、皇室の歴史、それらは日本人にとってとても大切なものであるし、その連続性に自らの「生」を位置づけることによって、おのおのが生き甲斐や誇りを持つ事は、掛け値なしに素晴らしいことだと思っています(これを「歴史に位置付くアイデンティティの獲得」といふ)。
 しかし、それが「文明を図る唯ひとつの物差し」だと言われると、それにはとうてい首肯できない。この地球には、「歴史を持たない文明(冷たい社会)」が数多く存在し、我々と同じように生き甲斐や誇りを持って生活している。それらに対して、我々は常に謙虚であらねばならない。なぜなら私達のような「西洋近代社会」からの視線は、どう言い逃れようとも「独善」であり「偏見」であり「まなざしの暴力」にほかならないから。
 それこそが、レヴィ・ストロースが『悲しき熱帯』(と『野生の思考』)で説いた知見なのです。





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Last updated  2004/11/28 04:14:34 PM


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