歌 と こころ と 心 の さんぽ

歌 と こころ と 心 の さんぽ

2025.08.21
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 忍耐力も男に勝るとも劣らず、肉体も精神も男よりは鈍感に出来ているのかも知れない。苦痛を感じる度合いも男と女では随分違うように思う。特に持久力は断然、女性の方が上だろう。ある高度に達すると女性ホルモンがエネルギーに変るという実験データもある。登山は女性に向いているのだ。筋力は男性に劣るが、登山の場合は筋力よりもむしろ持久力の方を要求される。皮下に蓄えられた脂肪を燃やしながら幾らでもエネルギーを捻出できる女性の方が確かに有利のように思う。遭難しかかってもチョコレート1枚で生き延びたという記事を目にしたりする。逆境に強いのである。最後には女性が勝つのである。平均寿命も長い。何も無くても生きて行けるのが女性。即物的であるが故にその場その場で変幻自在に形を変え色を変えて順応していく。
 女性が強くなったということをよく聞くが、強くなったというより男性が弱くなったという方が正しい。女性の側はもともと持っていた能力が時代の変化によって自由に発揮できるようになったに過ぎない。男のエゴや風習、伝統や価値観によって抑えられ、長い間に本質が隠されてきた。女性自身もその状況に甘え、表に出ることをしない出来た。それが自分たちも何かが出来るのではないか、男が出来ることは自分たちにもできるのではないかと、それまでの生き方に疑問を持つ人が増えて来た。不利な部分をカバーして余りある女性の潜在能力が発揮され始めたということだろう。

 炬燵でしばらく話をし、7時頃にはみんな寝てしまった。山の夜には独特の雰囲気がある。暗いというのは、真っ暗闇ということ。街灯もなければネオンもない。月があれば月明かり、晴れていれば星明りが有るにしても、心底ピュアーな世界なのだ。雑音もない。電車の音もしない。電話もなければテレビもない。水道の代わりに谷から引いた水の音だけがはっきり聞こえる。暗い中で懐中電灯も点けずに食器を洗う音が聞こえる。外は少しは明るさが有るかもしれないが、小屋の中から見たところでは真っ暗に見える。真っ暗な中で、ヒゲの兄ちゃんがいつまでもゴソゴソ動き回っているいて、同じ人間ではないような気がしてくる。遠い原始時代の生活を思う。昔の方が時間は長かった。同じ1日でも今の24時間とは違ってはるかに長い1日だったろう。
 暗くなってから夜が明けるまでの暗闇の中で、昔の人は何を考えていたのだろう。何もしないでいるというのは、今の時代、最も優雅な過ごし方である。心が洗われる。何もしないが故の豊かさ。夜7時に寝るなんて健康体である限り考えられない。普通ならとても眠れるものではない。酒でも飲んでうだうだと時間を潰し、そこそこの時間が来ないととても寝ようという気にはならない。しかし、今夜は別だ。疲れているし、何もすることがない。真っ暗だ。毛布にくるまって寝るだけだ。客が少なく毛布もたっぷり使わせてくれた。一人5枚ずつと言われたが実際には7枚ほど使った。

 9月の上旬、山はさすがに冷える。日没直後には息が白く見え、気温は10度そこそこだったと思う。ストーブは気温で決めるのではなく、しかるべき時期が来ないと火を入れないのだそうだ。それもそうだろう、寒いからと言って燃やしていては燃料の薪がいくらあっても足りなくなる。前日の最低気温は5度くらいだった聞いた。平地の真冬の気温だ。セーターは持ってきてない。長袖のアンダー・シャツの上に上着を着て、ジーパンに靴下を履いたまま毛布にくるまった。朝方、寒くて目が覚めるかもしれないと、覚悟して。
 未明の3時過ぎからもう起きてゴソゴソしている人がいる。懐中電灯を点け、何やら出発の準備をしているらしい。中年女性の二人組が3時半に目覚ましをセットするとか言っていたのを思い出した。地蔵岳でご来光を見て、観音岳、薬師岳を経て夜叉人峠へ下る予定だと言っていたっけ。まったく元気な人達だ。そのうちに他の人達も起き出したらしく、ますます騒がしくなってきた。合繊の擦れる音やシートをたたむ音か、可成りうるさい。みんなこんなに早く起きてどうするのだろう。
 知らない内にまた眠ってしまったらしく、目が覚めた時はもう夜は明けていて明るかった。5時少し回ったぐらいか。もう日が昇りかけて、射しこんで来る朝日が眩しい。起きて見まわしてみると、何とたった3人。単独行動の男3人だけしかいない。みんなご来光を目指して早や立ちしたらしい。昨夜のうちに弁当を作ってもらい、4時半ごろには出発したらしい。早起き組がいる事は分かっていたが皆が皆いなくなるとは思ってもみなかった。山小屋の朝は早いのだ。
 夜7時に寝て3時に起きれば睡眠はたっぷり8時間。5時過ぎまで寝ている方がおかしい。10時間も寝たことになる。お蔭で疲れはだいぶ取れた気がする。腿の痛みはまだ有るが、なんとかなりそうだ。

 5時半、朝食。これぞ日本の朝ごはんという定食だ。ご飯、みそ汁、玉子、のり、漬物。3人でなんだか侘しい食事。あまり喋ることもなく、ご飯のお代わりをするでもなく、静かな静かな朝食であった。食後、きのう見た富士山を写そうとカメラを持って出掛けるが、時間がおそかったか赤富士は見られず。ご来光を迎えれば赤富士だったかも知れず、少しガッカリして小屋へ戻った。
 6時ちょうどに下山スタート。軽やかに歩き始める。が、昨日の疲れが残る太腿にはや痛みが来た。これは先が思いやられるぞ。覚悟しろ、というところ。一番上にある五色の滝まで来るのにほとほとくたびれてしまった。きのう地蔵岳からの下りでいかに下りが大変か、いかにしんどいかを思い知らされている。この時すでに限界がきていた。もう一歩も下りの道は歩けないところまで疲労が来ていた。やっとのことで小屋までたどり着き、小屋の前の沢の上に突き出たテラスにへたり込んでしまった。その時の完璧につかれた状態がもう早々とやって来たのだ。
 一晩ぐらい休んだところで急激に痛めた筋肉が回復するはずがないのだ。普段、ジョギングぐらいで階段の上り下りなどしているわけでもなく、腿の筋力はほとんど使っていない。それを無理やり酷使して登って来たのだ。その結果がこうだ。当然だ。筋肉にも限界がある、頑張るにもほどがある。気持ちだけでは体は動かない。リュックを下して座り込んでしまった。横になって足を投げ出したい気分だがそんな適当な場所もない。

 8へ続く
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最終更新日  2025.08.21 11:18:10
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◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題しました。
◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
◆2017年10月10日より つれずれにつづる「みそひともじ」と心のさんぽに改題しました。
◆2019年6月6日より 「歌とこころと心のさんぽ」に改題しました。
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