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今更ながら、世の中のすべての出会いは、きっと神様が、きちんとシナリオを書かれているのだと感じてしまいます。とっても不思議で、とっても素敵な、出会いがありました。9月4日、お友達の横浜MayRoseさんが、東京・板橋区にある、石と癒しの店「水晶の洞窟」で、初の写真展を開催されました。横浜MayRoseさんのブログhttp://ameblo.jp/yokohama-mayrose/entry-10640645793.html「HIKALI」と名づけられた、その目映い光を放つ写真展を、日頃から親しくさせていただいている、有名なクリスタル・ポール奏者の、はら・まゆ魅さんと、お訪ねさせていただきました。はら・まゆ魅さんのブログhttp://ameblo.jp/aniel369/まゆ魅さんも、私も、横浜MayRoseさんとは、個人的に親しくさせていただいています。彼女の内側に輝く宇宙そのものといった写真展は、光にあふれ、花にあふれ、訪れる人々の心を、うきうきさせてくれるものでした。そして、その「水晶の洞窟」で、店主のひろみさんと、初めてお目にかかりました。すっとした面差しの、清楚な美人さんであるひろみさんが、私の顔を見て、突然こうおっしゃいました。「ゆきえさんですか……じつは、私の母も『ゆきえ』という名前なんですよ」驚いたのは、私のほうです。なぜなら、私の母親の名前は『ひろみ』だったからです。つまり、ひろみさんのお母様が、ゆきえさんで、ゆきえという名前の私の母親が、ひろみさんで。ふた組の母娘で、名前が相似形になっていたのです。そんなひろみさんのブログを拝見して、またまたびっくり。私のブログを読んでくださっている皆さんは、たぶん、私が何も説明しなくても、すべてを理解してくださるかたばかりでしょうから、ひろみさんのブログを、ここに、そのまま転載させていただきます。文章の中で、「Qちゃん」と書かれているのが、私です。ネイティブの夜http://green.ap.teacup.com/shiriusu/623.htmlネイティブのつづき…http://green.ap.teacup.com/shiriusu/624.htmlひろみさんが主催されている「水晶の洞窟」のすぐ近くに、コノハナノサクヤビメを祭った神社があり、ひろみさんの、氏神様なのだそうです。私自身も、深いご縁のあるコノハナノサクヤビメの名前が出て、おもわず感慨にふけった、今日、このごろの私……人生って、本当に不思議だなぁ。
2010年09月09日
イースター島出身のモアイくん(いや、本当は長野県)と、このお盆休み、急遽、韓国はソウルに行くことになりました。といっても、短いソウル滞在の間に、お仕事関連のミーティングもあったり……つまり、お仕事なんだけど、たまたまお盆休みだから、モアイ像も連れて行くというか、持って行くというか……そんな感じの、韓国旅行です。モアイくんとは、何年かに一度、海外旅行に出かけるのですが、一緒に韓国に行くのは、はじめて。モアイ像だけに、あまり感情を表に出さない人なのですが、よくよく観察していると、韓国の話をしている時、唇の一方の右端が、若干、斜め上を向いていることがあり、<けっこう、うれしいんだな……>ということが、わかります。よみがえる古代遺跡から発掘された、神秘の石像に対しては、このような、注意深い観察力が必要です。それはともかく、今回の韓国では、今までずっと泊まってみたかった、コンドミニアム(アパート)タイプのホテルを、選んでみようと思っています。すでに、ホテルがソールド・アウトだった場合、予定は、突然かわります。つーづーく。
2009年08月04日
最近、韓国旅行に、ハマッています。何といっても、安い・近い・美味しい。親しいお友達に、でんちゃんという、「韓国の達人」がおりまして、親切な彼女から、韓国旅行のノウハウを、どっさり教えていただいております。もともと、ちょっとした「ハマリ癖」があり、一度、どこかの国の魅力にハマると、仕事にかこつけて、年に、何度でも行くような状態になり、うちのモアイくんは、それを、非常に恐れているわけですが……「ごめん、またハマッちゃいました」今後は時々、韓国旅行に関する日記なども、書いてゆきたいと思います。と、いいながら、また何年も、何も書かないまま経過してしまったら、ごめんなさ~い。
2009年06月17日
今日は、ハーピストである、うちのちか姉様と、横浜のインターコンチネンタル・ホテル内にある、めっちゃ豪華なフィットネス&スイミング・クラブ、「ハーバービュー・フィットネス・クラブ」に出かけ、俳優の金田賢一さんの特別講演会に参加して参りました。金田賢一さんについてここをクリック!金田さんといえば……ドラマ「太陽にほえろ」のデューク刑事役としてお馴染みの他、お父様が、元プロ野球選手の金田正一さんであることでも、広く知られている。そんな金田さん、最近は、「横浜戦後の歴史を次世代に語り伝えていく」という目的の「横濱夢語りプロジェクト」に参加され、朗読と音楽のライブを、開催されているのだとか。それにしても……いいお話を聞いたなぁ(涙)サン=テグジュペリ作「星の王子さま」より、きつねが登場する一説を、音楽とともに朗読されたのだが、その内容が、ホント、今の私の個人的な悩みにも通じるものがあり、なんだか、励ましてもらったような気分。「星の王子さま」って、本当に本当に、いいお話ですね。物語の内容を、ざっと要約してみると……「王子の星は家ほどの大きさで、そこには3つの火山と、根を張って星を割いてしまいそうになるバオバブの芽と、よその星からやってきた種から咲いた1輪のバラの花があった。王子はバラの花を美しいと思い、大切に世話していた。しかし、ある日バラの花とけんかしたことをきっかけに、他の星の世界を見に行くために旅に出る。王子は他の小惑星をいくつか訪れるが、そこで出会うのは、自分の体面を保つことに汲々とする王、賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋、酒を飲む事を恥じ、それを忘れるために酒を飲む飲んべえ、夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家、 1分に1回自転するため、1分ごとにガス灯の点火や消火を行なっている点灯夫、自分の机を離れたこともないという地理学者 といった、どこかへんてこな大人ばかりだった。6番目の星にいた地理学者の勧めを受けて、王子は7番目の星、地球へと向かう。 地球の砂漠に降り立った王子は、まずヘビに出会う。その後、王子は高い火山を見、数千本のバラの群生に出会う。自分の星を愛し、自分の小惑星の火山とバラの花を愛おしく、特別に思っていた王子は、自分の星のものよりずっと高い山、自分の星のバラよりずっとたくさんのバラを見つけて、自分の愛した小惑星、火山、バラはありふれた、つまらないものであったのかと思い、泣く。 泣いている王子のところに、キツネが現れる。悲しさを紛らわせるために遊んで欲しいと頼む王子に、仲良くならないと遊べない、とキツネは言う。キツネによれば、「仲良くなる」とは、あるものを他の同じようなものとは違う特別なものだと考えること、あるものに対して他よりもずっと時間をかけ、何かを見るにつけそれをよすがに思い出すようになることだという。これを聞いた王子は、いくらほかにたくさんのバラがあろうとも、自分が美しいと思い精一杯の世話をしたバラはやはり愛おしく、自分にとって一番のバラなのだと悟る。 キツネと別れるときになり、王子は自分がキツネと「仲良く」なっていたことに気付く。別れの悲しさを前に「相手を悲しくさせるのなら、仲良くなんかならなければ良かった」と思う王子に、「黄色く色づく麦畑を見て、王子の美しい金髪を思い出せるなら、仲良くなった事は決して無駄なこと、悪い事ではなかった」とキツネは答える。別れ際、王子は「大切なものは、目に見えない」という「秘密」をキツネから教えられる」(以下、物語はつづく)きつねさんが教えてくれた秘密は、「大切なものは、目に見えない」ということ。そして、人と仲良くなるためには、時間と努力が必要なんだよ、仲良くなったら、ずっと仲良しでいることが大切なんだよ、そして、いつかお別れの日が来ても、相手のことを思い出すことができるから、仲良くなったことは、決して無駄なことではなかったんだよ、ということ。 え~~~~~~え、話や(感涙)もう一度、あらためて、「星の王子さま」を読んでみたくなった、ワタクシであります。
2007年09月22日
ハリウッドの、「名声の歩道」ってご存知ですか?こんなやつなんですけど(↓)……ここをクリック!ご存知、星型プレートに、有名人の名前が刻まれているわけです。最近のインターネットって、すごいんですね。わずか数秒で、「マイ」星型プレートが作れちゃうの。私のはこれ(↓)「ちゃん」が、ひらがなっていうのが、ちょっとナサケないけど……でも、おもしろいよねぇ。皆さんも、エセ有名人になってください。ここをクリック!スペースに、好きな文字を入れて、previewをクリックするだけだよん。
2007年09月06日
楽天日記のお友達の女フィーゴさんが、日記で、おもしろいことをされていました。脳内メーカー。考えていることを脳内グラフにして、表示してくれるんですって。で、ワタクシの場合は……ぎゃはははははは 遊ぶことばっかり考えてるらしい。しかーし!!!名前だけだと、もっとひどいんですけど……どんな性格やねん……皆さんも、やってみてね!http://seibun.nosv.org/nou/
2007年08月31日
いやぁ、お正月に日記を書いて以来、 もう八月の末になってしまいました。 とくに、変わったことはないんですが、 最近、音楽関係の仕事が増えてきました。 インタビュアー&ライター、通訳などの仕事をしています。 先日、サマーソニックという、 夏の野外フェスに参戦してきたのですが、 イギリスの知人から、ゲスト・パス(バックステージ・パス)を 出していただいたにも関わらず、受付で、「ゲスト・チャージとして、2000円いただきま~す」 といわれました。 お金出したら、ゲストじゃないんじゃないの? あと、関係ないんですけど、 ものすごく太りました(アイタタタ……) どうしたら、健康的に痩せられるのか、 どなたか教えてください。しくしく。 今、柳原可奈子の母みたいですから、私。 そんな終わり方の、久しぶりの日記でした。しくしく。
2007年08月29日
明けまして、おめでとうございます!どぁぁぁ……な、な、なんと……私、一年間も、楽天日記をお休みしてしまいました。我ながら、びっくりです。皆様、ご無沙汰しておりまーす(爆)アルジが、まったくの不在でありますのに、ときどき、我が家(?)に、足を運んでくださっていた皆様、コメントをくださった皆様、本当にありがとうございます。お元気でしたか?昨年、一年間を振り返ってみると……何といいますか、森進一さんの「襟裳岬」の歌詞が浮かんできます。"襟裳の春は~♪ 何もない春です~♪"いやぁ、見事に、ほとんど何もない一年間でした。確実に財を成したといえるのは、かつてないくらいの数字を達成した、体重くらい……赤い服を着ていると、よく、年賀状を口に入れられるんですよ……ポストに似ているので。そんなことではいかん。私、三年前に最愛の母を亡くしましてから、心身ともに、ちょっとしたシカバネになっておりました。魂も肉体も、エネルギー切れ。三年間、喪に服して参りましたが、喪に服するという言葉を言い訳にして、結局、何もやらずに来てしまったような気がします。もっと仕事、がんばるぞー!お金ためるぞー!もっと健康に、もっときれいになるぞー!皆さんも、今年一年、どうか健康で、楽しく、美しく、幸せな時間をまっとうされますことを、心よりお祈りしております。ダイエット関係のご専門のかたで、使用前・使用後の、超使用前・極太モデルをご入用でしたら、Qちゃんまでご連絡ください。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2007年01月01日
明けまして、おめでとうございます。旧年中は、ほとんど楽天日記も更新せず、何をしているやら、どこにいるやら、ほぼ行方不明に近いような、漂流生活を送っていた私ですが……にも関わらず……いつも、心のどこかで、お気にかけていただいて、えー、お気にかけていただいた皆様は(苦笑)、本当にありがとうございます。今年は、自分に、ちょっとだけ厳しくして――えー、ものすごく厳しくでなく、ちょっとだけ、というのが、ポイントなのですが、その分、成長できるような年にしたいと考えています。少しずつでも、毎日歩かなければ、足腰は、どんどん弱ってしまう。少しずつでも、食べることを節制しなければ、どんどん太ってしまう。少しずつでも、毎日仕事しなければ、やるべきことが、どんどん溜まってしまう。毎日、少しずつ。そういう目標を、掲げてみようかなと。無理をしても、続かないですしね。毎日毎日、一歩ずつでも前に進めば、百日後には百歩、二百日後には二百歩、私は、前に進んでいるはず。ゆっくりでいいから、少しずつでいいから、他人と比べなくていいから、特別でなくていいから、少しずつ少しずつ、前に進もう。そういう年に、今年はしてゆきたい。そういう年に、今年はしてゆきましょう。いつも、気にかけてくださって、本当にありがとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2005年12月31日
先日、おもしろいフラッシュ・ビデオを発見。この歌が、耳に残って、忘れられない……そして、このデブ猫のダンスが……音量を、小さめに設定して、ご鑑賞ください。I'm a kitty cat...dance, dance, dance...http://www.albinoblacksheep.com/flash/kittycat.php
2005年12月19日
林雪絵の日記は、もうすぐ、更新されます。たぶん。もうしばらく、お待ちください。よろしくお願いします。てへっ(^_^;)
2005年12月09日
ふた月に、いっぺんくらいの割合で、ロンドンにでかけるになって、かれこれ、五年くらいになるだろうか。いまだに、ロンドン在住の皆さんの、半分以下の生活知識しかなく、大した語学力もなく、ブリティッシュ・アクセントも全然ダメ、とあまり、いいところはないが、少しずつ、少しずつ、英国在住のお友達が増えてきて、それが、唯一の財産、と呼ぶべきものだろう。ロンドン在住の、Mちゃんとお友達になったのは、たしか、インターネットがきっかけだ。Mちゃんは、日本人女性だが、ご主人は、中近東某国のご出身のかた。しかも、非常にウェルシーなファミリーで、ご親戚の中には、某国の元大統領がいらっしゃったり、ハイソなご家族である。そんな彼女と、貧民層の私だが(^_^;)じつは、笑いのツボが、非常に、よく似ているのだ(^_^;)一度、笑いのツボをつついてしまうと、お互いに、涙がぽろぽろこぼれて、おなかが痛くなるまで、笑いが止まらなくなってしまう。先日は、ご主人の経営されている、ナイツブリッジという、かなりボッシュなエリアにある、レバノン料理のお店にご招待いただき、思う存分、おいしいお料理をいただき、そして、笑った(^_^;)日本では、まだ、あまり馴染みがないけれど、レバノン料理って、すっごくヘルシーで、おいしいんですよねぇ。せっかくなので、お料理の写真をアップしておこう。Mちゃん、Mちゃんのご主人様、楽しい時間を、本当にありがとうございました!また、ロンドンで会いましょう~~~!
2005年04月30日
申し訳ありません、ずっと日記、さぼっていました(ーー;)つい先日、ロンドンより帰国しまして、今は、新しいお仕事を、必死にこなしている最中です。英国では、お友達の結婚式に参加させていただいたり(いえ、チャールズ&カミラではなく)ロンドンに、新しいお友達ができたり、大好きな作家さんにお会いできたり、仲良しのお友達と再会して、語り合ったり……いろいろありましたが、いつも本当に忙しくて(ーー;)私は、予定をマネージメントするのが本当にへたで、旅に出ると、いつも、死ぬほど忙しい……だけど、大したことはしていなかったりして、本当に要領が悪いのよね。これから、気が向いたら、英国滞在記も書くと思いますが、いきなり、毎日の日記になる可能性もあります(^_^;)せっかく見に来てくださるのに、本当にすみませんm(__)mそれから、以前インタビューしていただいた、美人ライターのやすよちゃまが、私の本を、ご紹介くださいました。http://veeschool.com/contents/top/contents_05/041/ここの、<旅した気分にハマる>をクリック。私の本、「老兵から、アロハ・オエ」を、探してください。やすよちゃま、本当にありがとう(T_T)/~~~このかたは、テレビドラマに出てくるような、美人ライターさんで、とってもいい女なんですよ~!お互いにハワイ好き、島好きで気が合って、めちゃくちゃ話が盛り上がる関係。ひそかに、インド好きでもある、やすよちゃまです。じつは、私もインドに興味が出てきたのー。ロンドンのお友達、マニーシャちゃんが、めっちゃインド通なので、またお話しませう。インド映画が好き。カレーが好き。
2005年04月29日
一昨日、チャールズ皇太子とカミラ夫人の、ロイヤル・ウェディングに参加し(沿道から)、そのことについて、記事を書きました♪4月18日発売の、「新潮45」という雑誌で、発表(?)いたしますので、お忘れでなかったら、ご拝読くださいまし。よろしくお願いいたしますm(__)m私は今、セントラル・ロンドンの、ベイズウォーターという地区に滞在しています。アラブ系や中国系のレストランの多い、エスニックなエリアで、物価も、別の地域に比べたら安いので、ここらへんには、よく滞在します。皇太子のご成婚に関わる取材等で、ロンドン入りして以来、昼夜逆転、休みなしの、かなり厳しいスケジュールをこなしていたため、なかなか、日記を更新する時間がありませんでしたが(-_-;)今後、少しずつ、日記をアップしていく予定です♪今、ロンドンは、いい季節ですよ~。日が長くなって、遅い時間まで、日没にならないし、あったかくて、天気がよくて、花が咲き乱れていて。春から夏のヨーロッパは、本当に素敵。といいつつ、ハード・スケジュールのため、やや体調を崩してしまったため、プロポリスを飲んで、しばらく、ゆっくりします(^_^;)いずれ、また写真なども、アップしますね!
2005年04月12日
皆様、ご無沙汰いたしておりま~す。4月7日から、ふたたび、ロンドン入りしております。4月9日に行われる、英国の、ロイヤル・ウェディングに参加するためと(うそ。沿道に立つだけ)、その他、いくつかのイベントのためです。例によって、毎日、バタバタしております(@_@;)ところで。私は今回も、いつもどおり、 ヴァージン・アトランティック航空を利用したのだが―― なぜか、めずらしい事件に遭遇してしまった。 今回、私は、 目の前が壁というか、よく映画スクリーンにもなる、 四つならび席の、 いちばん前、いちばん通路側という、とってもナイスな場所に、 真ん中2席をあけて、ラクラク、座っていたのだが……ところが、旅の中盤になって、なぜか、 日本人カップルが、私のとなりの席に移動してきた。 つまり、あいていた真ん中の2席ね。 しかも、 わざわざ、フライト・アテンダントに付き添われて、 ただならない雰囲気。まあ、いろいろ詮索するのも失礼なので、 何も聞かないで、そのまま爆睡してしまったが。 ヒースロー空港に到着すると 入れ代り、立ち代り、 隣りのカップルのところに、 フライト・アテンダントがやってきた。そして、 「本当に失礼いたしました」 と、平身低頭であやまっていくのだ。なんだか、深刻な様子なのね。 女性のほうに、おもわず、 「何かあったのですか?」 と、たずねた瞬間―― ダダダダダダ……と、 制服姿の警察官が十数人、 腰に、手錠とピストルをきっちり装着して、 早足で、機内に駆け込んできた(@_@;)こ、こえ~っ(@_@;)そして、そのうちの何人かが、 私のところに……いえ、 私の、となりのカップルのところに、来るじゃないの。 何よう、いったい何があったのよう(T_T)/~~~ なんでも、彼女たちは、 日本を離陸直後から、 ひどく酔っぱらった日本人男性から、 ずっと、いやがらせをされていたのだそうだ。 それで、がまんできなくなって、旅の途中、席を移動してきたらしい。たしかに、迷惑な客だが、 ヴァージン・アトランティック側の、 強行な姿勢にも、びっくり仰天。 ロンドンに到着後、いきなり、 十数人の警察官に踏み込まれたら、犯人でなくたって、ビビッちゃうよ(@_@;)あの酔っ払いは、犯罪者として、 そのまま日本に、強制送還されてしまうのだろうか。 それとも、ロンドン警察に、拘置されるのだろうか。 警察官が、彼女たちをぐるりと取り囲んで、私の横で(^_^;) 、事情聴取をはじめ、ひと段落するまでは、他の乗客も、飛行機を降りられないということで、機内は、一気に、ものものしい雰囲気に。ま、こんなロンドン入りですわ(-_-;)それにしても、なんで、私の、となりの席の人たちなの(-_-;)
2005年04月07日
行ったり来たりしているので、もう、今さら、驚かれないことと思いますが(^_^;)これから、ロンドンに立ちます。いつも利用している、午前11時に成田空港発の、ヴァージン・アトランティック航空です。今回も、また、ぎちぎちのお仕事で、ロイヤル・ウェディングに潜入取材。もちろん、招待なんてされていないので、万一、潜入できなかったら、沿道で出迎えですわ(^_^;)その模様は、4月18日発売の、「新潮45」という雑誌で、発表いたしますので、憶えていらしたら、ぜひ見てくださいね!それから今回は、お友達の結婚式にも出席します。イギリス在住の、カメラマンの女性と、イギリス人男性の、とってもトラディショナルな結婚式なので、今からワクワク!ところで、私のイトコのカイさんが、トイ・プードルなのに「ぽち」という名前の、私の、別のイトコの写真を、送ってくれました! カイさん、ありがとう~~~!あまりにもかわいらしいので、掲載します。まだ、二回目のワクチンを打っていないので、美容室に、カットには連れて行けないんですけど、だんだん、かわいくなってきたー!めっちゃ、かわいいー(>___
2005年04月06日
私の、信州の実家には、今、叔母が一人で暮らしているのだが、昨日、新たに家族が増えたようだ。ようだ――というのは、じつは、私は、まだ、その家族に会っていないので。叔母の、新しい息子ということになるらしいので、私にとっては、イトコね(^_^;)友達の、はるみちゃんに世話をしてもらった、生後三ヶ月の、コーヒー茶碗くらい犬で、テディ・ベアみたいな、トイ・プードルのティー・カップ。まだ、実家に帰っていないので、対面はしていないが、ずいぶんと、人なつっこい子らしい。叔母が、一生懸命考えて、名前を決めた。いろいろと、スピリチュアルな、深い意味があるそうなのだが、彼の名前は――(ダダダダダダ……ドラムの音)――ぽちいやあ、シンプルで、憶えやすくて、いいじゃないの(^_^;)昔話の「花咲かじいさん」のところの、ぽちは、裏の畑で鳴いて、大判小判がザクザク出てきたんだし……うちのぽちも、がんばれ。大金を掘り出すのじゃ。
2005年04月03日
先日、長野県松本市の映画館で、かわいい姪っ子と、映画「オペラ座の怪人」を見てきた。いやあああああ、噂に違わず、本当にすごいっ!ロンドンのミュージカルと一緒で、アンドリュー・ロイド・ウェバーが、舞台監督、音楽監督を担当しており、音楽、美しいっ! 映像、素晴らしいっ!二時間弱と、けっこう長い時間なんだけど、最後まで、飽きずに、楽しめました。「すごかったねっ!」「本当によかったねっ!」と、興奮気味に、感動を分かち合った、年の差25才――(~_~;)怪人役の男性は、怪人のくせに、ものすごく、ハンサムでセクシーだし、恋人同士役の二人も、目が覚めるほどの美男美女。ああ、美しい! 溜め息がでちゃうわ~~~。視覚的、感覚的、すっごい感動が味わえます。皆さんも、ぜひぜひ、見に行ってみて!
2005年03月22日
すみません、すみませんと、謝りつづけて、ライター生活も、20年。一度、ストップすると、なかなか復帰できない日記ですが、もうすぐ、四月の新年度を迎えることですし、これから、また少しずつ、書いてゆきたいと思います。まず、エイ出版より発売された、「ハワイ・スタイル」というムック本。じつは私、こちらで、歴史エッセイの新連載を始めました~~~。タイトルは、「ハワイの歴史・つまみ食い」って、ふだんの生活そのままやん、なタイトルですが、もしよろしかったら、ぜひ、ご拝読くださいね。よろしくお願いいたします。画像をクリック、楽天ブックスへ!それから、今、ミクシィという、インターネットのソーシャル・ネットワークに、はまっているのですが、その中で知り合った人に、いただいた画像です。あまりにも、すごかったので、載せてみます(ーー;)昔、ダウンタウンの「ごっつええかんじ」で、東野幸治さんがやっていたコント、「Qさん」だそうです。 こわーっ(@_@;)これから少しずつ、日記も復活します。Qさんを、どうぞよろしく。
2005年03月22日
しばらく、いろいろな事情もあって――というか、ロンドン~日本と、あわただしく動いていたため、日記を更新することができませんでした。ご心配をおかけしていたことと思いますが、本当にすみません。ううう……1月23日の日記に、サントリー・バレーボールチームの、山本監督から、新たに昨日、このような書き込みをいただきました。>サントリーサンバーズVリーグ結果報告 サンバーズ山本さん ご無沙汰しております。先日の2月26日箕面スカイアリーナのホームゲームを勝利で飾り、今季Vリーグの日程を終えました。6連覇の夢を実現することが出来ず、ファンの皆様には申し訳なく思うばかりです。この借りは、今まで以上に練習をして強いサントリーをお見せすることです。 お忙しい中、大変でしょうが時間が許すのであれば会場まで足を運んで、黄色い声で選手を勇気付けてください。 宜しくお願い致します。(Feb 28, 2005 05:43:29 PM)や、山本監督っ!! 本当に、サントリー・サンバーズの山本監督だしっ!!わざわざ書き込みいただいて、本当に本当に光栄です。どうもありがとうございましたm(__)mずっとロンドンに滞在していたものですから、後半、しばらく、わが、サントリー・サンバーズの試合の応援にもうかがえず――本当に申し訳ありませんでした(>_
2005年03月01日
日本にいても、ロンドンにいても、元気に引きこもって、ずーっと仕事しています(^_^;)引きこもってないときは、うろうろ取材に歩き、魂の洗濯&ぷちダイエット中。まずは、ご報告です。ハワイの、大親友のよしみちゃんのご紹介で、ハワイの情報ウェブページ、「アロハ・ビート」を管理されている、旅行会社の、さそうさんを、ご紹介いただきました。さそうさんは、拙著を、ご親切に、丁寧に読んでくださって、このような、素晴らしいご紹介文を、書いてくださいました。アロハ・ビートへジャンプ!素晴らしい!さそうさん、ありがとうございます!ハワイというのは、大変に狭いところでございまして、さそうさんと、それから、ローカル・フリーペーパーの、「ANO HAWAII」を発行されている、夢子姐さんにご紹介いただいた、守屋さんはお知り合いで、次のハワイでは、さそうさんのほうから、守屋さん、よしみちゃんと一緒に、お食事でも、というお話があり、楽しみにしているところです。もちろんその時は、夢子姐さんもお誘いし、楽しい交流の輪を広げるです。うししし。さそうさん、守屋さん、その節は、ご連絡とらせていただいて、ありがとうございます。よしみちゃん、そして、夢子姐さん、いつも、本当にありがとうございます。それから、それから。私が「老兵から、アロハ・オエ」を出版した、文芸社さんのホームページに、ショート・エッセイを書かせていただいてます。文芸社ホームページ「エッセイの庭」へジャンプ!ここに、私のエッセイが書かれているんですけど、あれれ、私が書いている時点で、メンテナンス中になってますね。そのうち復活すると思いますので、よろしくお願いします。それから、それから。ただ今、絶賛発売中の「アロハ・エクスプレス」最新号(2月9日発売)で、私の、「老兵から、アロハオエ」を、ご紹介いただいてます。たぶん、いただいているはず。ロンドンにいるので、まだ、確認はしていないのですが(^_^;)皆さん、「アロハ・エクスプレス」の最新刊を、どうぞよろしくお願いいたしま~す!ところで。先日、英国のチャールズ皇太子と、カミラ夫人の、婚約発表がありましたね。それを、リアルタイムで、英国のテレビで見ていた私。カミラ夫人は、年齢的にも容姿的にも、また恋愛関係の形にも、何かと、周囲から取り沙汰されやすいこともあり、日本のマスコミは、あまり、カミラさんについて、いいことを書かないようですね。でも私は、じつは、カミラ夫人の擁護派です。世間的には、いろいろと、非難されることもあるのだろうけれど、三十五年間もの長きに渡って、純愛をつらぬき、独身にもどってまで、皇太子を待っていた、彼女の一途さはすごい。動く本人の映像を、たびたび目にするのですが、話し方も、仕草も、大人のキュートさがあって、洗練されていて、とっても素敵なの。おちゃめで、とっても明るい女性みたいだし。そして、頭がよくて、寛大な人。第一印象は、ダイアナ妃に負けると思うけれど、動いているカミラさんを、見れば見るほど、チャーミングな女性に見えてくるのが不思議。動くカミラさんのほうが、ぜんぜん、イケてるので、生カミラさんは、もっとチャーミングなんだろうな。私も、結婚式に参加したいなぁ………←野望画策中。だれか、知り合いが、レセプションに招待されないだろうか。
2005年02月13日
本当に、申し訳ございませんm(__)mと、最近、関係各位に、あやまってばかりの私。あまりにも、いそがしすぎて、ひとつひとつの大切な関わりに、丁寧に、細やかな気持ちを注いでいる、時間や、心の余裕が持てない……それが悲しい(>__
2005年02月08日
私の、楽天HPに、ご来訪の皆様。本日、私は、ここにカミング・アウトいたします。私は、私は、くくっ………………(「気」を溜めている)男子バレーボールVリーグ「サントリー・サンバーズ」を、応援しま~す(^o^)丿ぜいっ、ぜいっ、ぜいっ(「気」の溜めすぎ)じつは今日、本当に本当に、うれしい出来事があったのだ。サントリー・サンバーズの、ゼネラル・マネージャーの、トリバさんは、トリバさんが、まだハワイにいらした頃に、私の、仕事の関係(雑誌記者)で、大変にお世話になり、ハワイに行くたびに、世間話(?)をさせていただいたり、私のほうが、ものすごく、なついている間柄であった。じつは私は、トリバさんが、筑波大学や、サントリー・チーム、そして、全日本チームで、選手として活躍されていた頃からの、めっちゃ、大ファン(-_-メ)学生時代、私自身も、体育会女子バレー部にいたこともあり、トリバさんは、私にとって、永遠のヒーロー、男子バレーボール界の、夢のスーパースターだったのである(-_-メ)←ちなみに、この顔は、「気合はいってます」という顔そんな、あこがれのトリバさんと、ふとした事から、また、ご連絡をとらせていただくようになり、今日はなんと、トリバさんから直々に、静岡県三島市で行われた、東レとの試合に、ご招待いただいた。トリバさん、本当にありがとうございました(T_T)/~~~今日は、東レの、ホームゲームということで、大阪が本拠地のサンバーズは、若干、形勢不利な状態。そんなこともあって、白熱した、素晴らしいゲームを見せてくれたけれど、結果としては、まあ、残念だった。しかし、しかし――Qちゃん、猛烈に感動しました~~~(T_T)/~~~ずっと忘れていたよ、この感動。選手たちも、応援団も、みんなが、ひとつになって、一生懸命プレイしたり、一生懸命、応援したり。ある選手が、ものすごいスパイクを決めて、「きゃっ!」と喜んでみたり、点をとられて、めっちゃ腹たててみたり。選手とともに、一喜一憂。いやぁ、バレーって、本当に楽しいですねっ!サントリー・サンバーズのスローガンは、「スポーツの夢と感動を大切にします」というもの(-_-メ)←気合本当に、何てステキな言葉なんだろう。この言葉には、私も、深く共感できる。スポーツは、勝負の世界。スポーツは、相手との闘い、そして、終わりのない自分との闘い。スポーツは、苦しくて辛い、練習ばかり。だけど、スポーツは、私たちに、夢と感動を与えてくれる――選手たちの、がんばりを見ていると、ああ、自分たちもがんばろうと思える。選手たちの夢が、まるで、自分たちの夢みたいに思えてきて……その夢を、一緒に、分かち合える――いいなぁ、スポーツって。今回、トリバさんには、何から何まで、本当にご親切に、細やかに面倒を見ていただいて――な、な、なんと、試合後に、選手たちのロッカーにまで、連れて行っていただきました~~~(>___
2005年01月23日
ひぇーーーっ!打ち上げ花火の、超特大連続スターマインだわーーーっ!!旅行好きなら誰もが知っている、一人旅のバイブル、いや、団体旅行の人も持参する、「地球の歩き方」――その、ウェブページのハワイ版、「ハワイの歩き方」に、なんと、Qちゃんが、立て続けに、登場しちゃってま~す!! わーい、わーい(^o^)丿 はい、この赤くて大きい、「わーい、わーい(^o^)丿」をクリックして、そのまま「ハワイの歩き方」へ、ジャンプ!今回は、私の新刊本の、書籍紹介と、インタビューでごじゃります~~~!うぇーん(>___
2005年01月21日
<個人的に緊急連絡♪>おーい、川上はるみさーん!携帯の番号、消してしまったー(>__
2005年01月19日
まずは、業務連絡でございます。日本の、旅行好きのかたなら、たぶん、誰もが知っている、大勢の人が、旅先に必携する、ツーリストのバイブル、「地球の歩き方」――あの、「地球の歩き方」の、ハワイ版のウェブページ、「ハワイの歩き方」編集室さんに、先日、ハワイを訪れた時に、お邪魔させていただいて、編集室さんのご好意で、二つの取材&インタビューを、受けさせていただきました。どうもありがとうございました~~~~♪「ハワイの歩き方」の、プロデューサーの上田さん、インタビュアー&チーフ・エディターの後藤さん、インタビュアー&長野県出身の(?)土田さん、その節は、大変お世話になりました。どうもありがとうございましたm(__)mあの日は、本当に暑い日でございましたね(遠い目)なぜなら、電圧の関係で、オフィスの空調が、故障していたからです(-_-;)「林さーん、すみません、クーラー故障していて」と汗をかきつつ、一生懸命、私に気を使ってくださった、お三人の、優しい笑顔が、今も脳裏に浮かびます。じつは、私自身は、それほど大変ではなかったんですよ。鈍感で、しかも、冷え性な体質でして(^_^;)とても、親切で優しくて、感じのいい皆さんで、あっという間に時が流れて、とっても楽しい一時を、過ごさせていただきました。ところで、今回アップされたのは、書籍紹介のほうではなく、私の、滞在中の行動について、インタビューしていただいたものです。その名も、<アロハ突撃インタビュー>!アロハ突撃インタビューへジャンプ!写真を撮っていただいたのですが、月餅状態でしたので、すごい顔で登場していましたが――(>__
2005年01月18日
申し訳ありません。今回からは、「蘇州編」を、お送りする予定だったのですが……ひとつだけ、今のタイミングで、記しておきたいことがありまして……「蘇州編」を、楽しみにしていてくださっていた皆さん、誠に申し訳ありません。次回からは、まちがいなく、はじめさせていただきますので、どうぞ、お許しくださいませm(__)mxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx幼い頃、私は、本を読むのが大好だった。歌をうたうのも、大好きだったし、また、人を笑わせることも好きだった。そんな「三つ子の魂」は、今も、変わることなく――本を、読んだり書いたりという、自分の好きなことを、今や、職業にしているし(^_^;)「日中文化友好親善協会」の一員として、大好きな歌も、歌わせていただいている。そして、相変わらず、恥ずかしい失敗をやらかしては、人に笑われている(「笑わせる」とは、ちょっと、ニュアンスがちがうけど……^^;)小学生や中学生の頃は、バレーボールが、大好きだった。皆さんは、覚えておられますでしょうか?あの、愛と感動のTVドラマ、イナヅマ・サーブやX攻撃が、ものすごかった、「サインはV」を――あるいは、「だって涙がでちゃう、女の子だもん」という台詞でおなじみの、「アタックNo.1」を……あのへんを、リアルタイムで見ていた私は(^_^;)いつしか、バレーボールというスポーツの、とりこになっていた。その影響で、中学からバレーボールを始め、大学では、ドヘタで運動音痴のくせに、体育会の女子バレーボール部に入り、私の人生は、一時期、バレー、バレー一色に染まっていたのだ。全日本チームに、大好きな選手もいた。とくに、T大学~実業団と活躍をされていた、全日本チームの、T選手というかたが(ニッポン)大のお気に入りであった(チャチャチャ)T選手は、全日本選手にしては、少し、小柄だったけれど、人一倍のスピードと、ジャンプ力と、反射神経があり、人一倍の努力家で(ニッポン)、しかも、とっても頭のいい選手だった(チャチャチャ)。何よりも、夢の王子様のように、ハンサムなお顔立ちでさ……うっしっし^m^私は、T選手が大~好きで、たしか、「どうしたら、そんなにうまくなれますか?」などという、陳腐なファンレターを差し上げてしまったような、恥ずかし~い記憶もある。それから――長い長い時が流れて、ハワイ・ホノルル。ある時、雑誌の取材で、たまたま、お伺いしたレストランの、マネージャーさんのお顔に、どうも、見覚えがあるような気がした。<だれかに似てるなぁ……>以前、どこかで、お目にかかった方だろうかと、近眼の私は、その男性に、にじり寄り、じーっとじーっとじーっと、お顔を直視しつづけて、たぶん、アブナイと思われ(^_^;)お名刺をちょうだいして、ビックリした!なんと、私が昔、大~好きだった(ニッポン)、あの、日本代表の、T選手だったのである(チャチャチャチャチャ~~~~!)現役時代は、ずっと短髪だったが、長めの髪型になっておられたし、当たり前だが、バレーのユニフォームは着ておらず(^_^;)ビジネス・スーツ姿で――そして、現役時代からは、長い歳月を経ていたので、あの、T選手であることには、まったく、気がつかなかった。あわわわわわわ~と、動揺して、頭が真っ白になり、まったく仕事にならなかったことを、憶えている。Tさんは、根っから、バレーボールを愛する人で、私が、元バレー部であることを知ると、まるで、本当の後輩のように、かわいがってくださった。仕事で、ハワイに行くたびに、かならず、Tさんのお店に顔を出した。とはいえ――Tさんのお店は、かなりの高級店なので(^_^;)私が日参できるようなお店ではなく、いつも、店先で、「Tさん、こんちは~っす!」と、立ち話をさせていただいた←すみません、ご迷惑でしたよね(^_^;)ところが、ある時――久しぶりに、ハワイを訪れてみると、Tさんは、もう、そのお店にはおられなかった。どこか別の国の、別の支店に、すでに、転勤されていたのだ……うぇーん(>__
2005年01月12日
まず最初に、楽天日記でリンクさせていただいている、Sakuramochiさんが、彼女のブログで、私の新刊「老兵から、アロハ・オエ」(文芸社)について、とっても素敵な読後感想、というか(^_^;)単体でも、素晴らしい随想となるような文章を、書いてくれました。 ♪Tomorrow Is Another Day♪(下線をクリック! Sakuramochiさんのブログに飛びます)Sakuramochiさん、どうもありがとう(^o^)丿Sakuramochiさんも書かれていたけれど、彼女と私の間には、たしかに、何か、不思議なご縁のようなものがあるみたいなんですよね(*^_^*)Sakuramochiさんは、とっても博識で、頭が良くて、直感の鋭い、繊細で、純粋な心を持ったかたなのだけれど……スピリチュアルな波動を、知らずして、キャッチするセンサーも、人一倍、研ぎ澄まされておられるような気がする。英国、ハワイ、中国と、私にとって縁のある、それぞれの場所が、Sakuramochiさんにとっても、また、深いご縁のある場所であったりして、いろいろな場面で、リンクすることが、多いんですよね。意味のない出会いは、決してないと思うけれど、もしかしたら、Sakuramochiさんと私は、前世でも、こんな風に、お話していたのかもしれませんね。そう考えたら、お互いの、過去からの記憶を紐解いていくのが、とっても楽しみですよね(*^_^*)Sakuramochiさん、素敵な日記を、本当にどうもありがとう!それから――この年末年始を、中国・蘇州で過ごしてきた、意義深い旅の記録を、新しいブログを作成して、少しずつ少しずつ、まとめはじめています。林雪絵の中国プログ、蘇州~人間天堂(地上の楽園)(下線をクリック! 新しいブログに飛びます)ただし、今回の旅行は、友好親善顧問、そして親善大使として、蘇州市人民政府より、正式にご招待いただいたものでありますからして、私の方も、礼を尽くして、とっても真面目に、書かせていただいております(^_^;)楽天日記のほうも、それに連動して、次回から、しばらくは、蘇州旅行について、語りたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
2005年01月09日
新年早々、またまた、おめでたいお知らせです。ハワイ在住のかた、または、ハワイ・リピーターのかたなら、ほとんど誰もが知っている、超有名ウェブページ(&フリーペーパー)、「アロハ・ストリート」――その、1月5日更新分の、「ハワイの本を読もう!」のコーナーで、拙著「老兵から、アロハ・オエ」を、インタビューつきで、ご紹介いただきました~~~!「アロハ・ストリート」へ、ジャンプ! このトップページの、松浦ゴリエちゃんの写真の近くに、中国の銘菓、月餅(げっぺい)が見えますでしょうか。月餅というか、あんぱんまんというか、はたまた、老けたスマイル・マークというか――とにかく、この、まん丸い写真の主こそが、最近の、ワタクシでーーーす(*^^)v(号泣)いやぁ、せっかくダイエットしていたのに、昨年の12月は、ものすごかった。ハーピストの姉のディナー・ショーや、忘年会など、特別な催事、食事会も多かったし、ハワイに滞在中は、とにかく食べて食べて食べまくり、アジアン・スリム・ビューティーを目指していたはずなのに、気がつけば、アジアン・ムーン・ケーキに……いえ、月餅自体は、大好きなんですけどね(-_-;)そんな時に限って、また、メディアでの露出の機会が、多かったんですよねぇ……くぅぅぅ(>_
2005年01月06日
皆様、明けましておめでとうございます。今年のお年越しは、私は、中国・蘇州のほうで、過ごして参りました。現地では、本当に、いろいろな事があったのですが……詳細については、後日、また、あらためて書かせていただくとして――またまた、朗報でございます。長野県は中信地区で発行されている、「CityBoxまつもと」というタウン雑誌……その、1月1日発売の1月号にて、なんと、まるまる1ページをいただく形で、拙著「老兵から、アロハ・オエ」を、ご紹介いただいております。新年早々、誠に、ありがたいことでございますm(__)m長野県在住の皆様、または、長野県松本市、私の故郷・大町市、穂高や白馬、上高地、浅間温泉、美ヶ原などをお訪ねになられる皆様、地元書店やコンビ二にて、ぜひぜひ、「CityBoxまつもと」をご拝読くださいましm(__)mまずは、エディトリアル・デスクの、マツシタちゃん、ご配慮いただきまして、本当に、ありがとうございましたぁ~~~m(__)mそれにしても、なつかしいなぁ。今から十数年前、まだ私が、二十代だった頃、この「CityBoxまつもと」に、私は毎月、コラムを連載していたのだ。当時、私は、「早乙女京」(さおとめ・みやこ)という筆名で、漫画原作者の仕事をしており、その関係で、「土着民みやコラム」というタイトルのコラムで、信州の、四季折々の出来事をつづっていた。だから、長野県の仕事関係の皆さんからは、私は、「ミヤコ」と呼ばれていた。マツシタちゃんとも、その頃からの、お知り合いだ。「CityBoxまつもと」の社長のホラさん、元編集長のキョーコさん、編集長のトモヤスさん、デザイナーのコヤマさん、営業のヒロタくん、皆さん、お元気ですか~~~?最近になって、また、マツシタちゃんと、メールのやりとりを、させていただくようになった私。あれから、私は、林雪絵の名前で仕事をするようになり、ハンドル・ネームは「Qちゃん」になって、現在は、友人・知人の多くが、私を、「林さん」「ユキさん」「Qちゃん」などと呼んでいる。ところが、マツシタちゃんは、今でも私を、「ミヤコさん」と呼んでくれていて、それが、何とも心地よく、うれしいのだ。ミヤコと呼ばれると、長野県松本市の山岳風景が、目の前に広がる。あの頃、「CityBoxまつもと」の、コラムや記事を書いていた当時の、まだまだ未熟で、若かった頃の自分が思い出されて、なつかしく、うれしい気持ちになる。あの頃のお友達には、ずっと、「ミヤコ」と、呼んでいてほしいなぁ。しかし、子供の頃のニックネームというのは、時々、本当にやばい。私の幼なじみの、ある女の子は、とってもかわいい子なのだけれど、なぜか、「ベロンチョ」というあだ名だった。小さな頃、意地悪な気持ちなどまったくなく、あだ名のままに、そんな風に彼女を呼んでいたのだけれど……大人になって、もう、母となった彼女を、いまだに時々「ベロンチョ」と呼んで、いやな顔をされる……だけど、昔からの呼び方って、なかなか、変えられないんだよなぁ(^_^;)
2005年01月04日
昨日、どうにか、こうにか、ハワイより帰国いたしました。帰国はしたんですが、じつは、その翌日にあたる今日からは、今度は中国に移動です。中一日の猶予すらもない、プロ野球のピッチャーよりも濃密で、無謀な、こんなスケジュールを組んだのは、はーい、ワタクシ自身でございまーす(T_T)/~~~ハワイでは、大勢の皆様方に、本当にお世話になりました。お仕事関係では、ハワイ観光局をお訪ねさせていただいて、丹治さん、小嵜さんにお目にかかり、お忙しい最中、ご親切に対応いただき、とっても楽しい時間を過ごさせていただきました。途中、ロバーツ・ハワイの、クリスマス・キャロル隊が入ってきて、にぎやかにキャロルを歌い、オリジナルの、ロバーツ・チョコレート(?)を私にもくれて(^_^;)、とってもうれしかったです!その節は、大変、お世話になりましたm(__)mまた、前回の日記では、KJAPANの、いっこさんの番組について書かせていただきましたが……やはり10年くらい前、「アロハ・エクスプレス」という雑誌の仕事で、当時、KZOOのアナウンサーをされていた、ペコさんというかたとお知り合いになり、そのご縁で、今回は、KZOOのパーソナリティーの、山崎朋子さんの番組に、出演させていただきました。ありがとうございましたm(__)mKZOOを、マノア・マーケット・プレイスに訪ねてから、素敵な奇蹟が、起こりました。これも、巡り会うご縁だったのかなぁと、しみじみしてしまった私。ただ、そのことを、書いていいのかどうか、ご当人の朋子さんに、お伺いしていないし、あまりにも個人的なことなので、今は、私の胸に、秘めていようと思います。朋子さん、元気にしていますか?その節は、本当にお世話になりました!そして、帰りには、KZOOのベテラン・パーソナリティで、横浜・本牧出身のマキさんに、わざわざアラモアナまで送っていただき、道中、お話がはずんで、ハワイの、神奈川県人会に参加させていただくことに……マキさんのように、アクティブで、素敵な大人の女性に、私も、いつか、なりたいものです。それから、ウェブ関係では、「アロハ・ストリート」でおなじみの、副編集長のヨシさんに、そして、「ハワイの歩き方」のプロデューサーの上田さん、エディターの後藤さん、長野出身のプリティーな土田さんに、今回、取材をしていただきました。こちらの取材の様子については、また、私の本の情報を、アップしていただいた時に、あらためて、大々的に(?)ご紹介させていただきたいと思います。本当に、ありがとうございました。じつは今回、あまりにも無謀なスケジュールを組んでしまったため、プライベートでは、ほとんど、現地のお友達に会う時間が、とれませんでした(-_-;)そんな中でも、それぞれ、お忙しい中、お声をかけてくださった皆さんに、本当に、短時間でしたけれども、お会いすることができました。楽天日記のPineちゃ~ん、Pineく~ん、デュークスのビュッフェ、おいしかったね~!もう、こちらもニコニコしてしまうような、仲良しさんで、お二人とも、とってもキュートで、素敵なカップルでした。まるで、妹と弟に会ってきたような感じ……そして、ハワイの永遠のギャルズ(?)、鳳珠ちゃん、夢子姐さん、leiさん、パーティーに誘ってくださって、ありがとう~!皆さん、めちゃくちゃノリがよくて、本当に楽しかったです。初対面とは思えない、飛ばしっぷりであった――(^_^;)次回の出会いでは、じっくり日記にも書きたいところです。あと、ずっと気にしていたのだけれど、今回は、楽天日記のCOCOちゃん、そして、ジェイクを愛する会の会長さん(?)、秀子お姐たまに、お会いできず、とっても残念でした(ToT)/~~~私の本、お渡ししたかったんだけどな。お二人にお渡ししたくて、とっておいた二冊は、そのまま、また日本に持ち帰ることに……(-_-;)COCOちゃんとは、きっと次回、お目にかかれますよね。携帯のメッセージ、聞いてくれたかな(^_^;)そして、秀子お姐たま、ご無沙汰いたしておりますが、滞在中、ずっと気にしておりましたです。次回は、ぜひ電話番号を、教えておいてくださーいm(__)mそして、親友のよしみちゃん、今回はゆっくり話せなくて、本当にごめん、そして、とっても残念でした。この次は、もっとゆっくりハワイを訪れて、もっとゆっくり、時間を過ごしたいよ。マジで。その時は、どうぞよろしくね♪ハワイの神様、本当にありがとうございました。いつか、また、会える時まで。
2004年12月29日
先日、もうずいぶん古くからのお知り合いである、ハワイの日本語ラジオ放送、KJAPANの、とみたいくこさんをお訪ねして、KJAPANの看板番組、「この方とコーヒーをもう一杯」に、出演させていただいた。とみたさんの番組には、私の姉貴分で、ハーピストの小倉知香子さんも出演させていただいているし、また、お友達で、「青葉城恋歌」などのプロデューサーとして知られている、元シンコー・ミュージックの、八葉薫さんも、以前、出演させていただいている。いっこさんは、いつお会いしても、お美しくて、おしゃれで、華やかな、とっても素敵な女性だ(^。^)いろいろお世話になりまして、本当にありがとうございました。ところで――いっこさんをお訪ねした時に、お話をさせていただいたのだが……今から、もしかしたら、もう十年近くも前になるのかもしれないけれど……いっこさんの番組に、出演させていただいたご縁で、当時、KJAPANに所属して、パーソナリティとして働いていた、あっこちゃん、という女性と、お知り合いになった。あっこちゃんは、私の住んでいる神奈川県の出身で、タレントのレンホウによく似た、ショートカットの似合う、とってもきれいな女の子だった。才気煥発で、頭がよすぎるために、ずばずぱとものを言ってしまい(~_~;)また、本当はシャイで人見知り、という面もあり、あまり、大勢のお友達がいるというタイプではなかったけれど、私とは、なぜか、とっても気が合った。お仕事で会うかたとのおつきあいが、ずっと続くどうか、というのは、きわめて個人的な問題だと思うけれど……いつも忙しがっていて、なかなか、お友達に会う時間も持てない私にしては、あっこちゃんとは、ハワイを訪ねるたびに、わずかな時間でも、一緒にお茶をしたり、政治や社会など、難しい問題について語り合ったり(~_~;)親しいおつきあいをさせていただいていた。以前、あっこちゃんを、カントリー・パブに、お誘いしたところ、ものすごい勢いで、嫌がられことを思い出す(~_~;)「絶対にいや! そんなところに行くくらいなら、私はもう帰る!」と、ものすごくナーバスになっていた。たかがパブじゃないの、どうしてそんなにいやなの、と尋ねると――彼女の答には笑えた。アメリカ中西部の、ものすごい田舎町にある大学に留学していた彼女。のみに行く場所というと、近くの、カントリー・パブ、たった一軒のみ。そこに、何人かのデートの相手と出かけたのだけれど、彼らは全員、正装として、カウボーイ・ハットをかぶって、カウボーイ・シャツを着て、しかも、馬に乗ってあらわれたという。彼女が、ドレッシーなスタイルで、ピン・ヒールをはいて、エレガントに、あらわれた時にである。そして、あっこちゃんの格好にかかわらず、一緒に馬にのろうよ、と誘われたという。「四年間、そんな暮らしをしていたので、カウボーイ・バーは、もう、ちょっと……(苦笑)」あっこちゃんは、とっても英語が堪能だった。フィリピン系の、とっても優しいボーイフレンドがいた。そのボーイフレンドと、三人で、一緒に食事をしたこともある。「男は人柄よ。外見なんて関係ない。そう思わない?」それが、あっこちゃんの持論だった。そして、今から三年ほど前、しばらくご無沙汰をしていた彼女から、突然、メールがきた。「神奈川にもどってきたので、会いませんか」そして、横浜駅の駅ビルのカフェで、久しぶりにお茶をした。相変わらずゴージャスで、美しいあっこちゃんだったが、心なしか、あまり元気がないようにも見えた。何でも、お会いしていなかった間に、頭の大手術をして、ずっと入院されていたとのことだった。でも、それから、回復されて、こうしてお茶もできるようになった、とのことだった。お会いしたその時に、「じつは、また、ハワイに行くんだ」と、あっこちゃんは言っていた。また、ビザがとれるかどうか、会社のほうに聞いてみるのだと。だから、その月の月末にでも、ハワイに行くつもり、と言っていた。そして、時には連絡をとりあいましょうね、と言って、横浜駅でお別れをした。それから、時々、あっこちゃんにメールを出したけれど、返事はこなかった。どうしているのだろう、と考えているうちに、私のほうに、メールがもどってくるようになった。メルアドを変更したのだろうか、と漠然と考えていた。そして先日、いっこさんにお目にかかった時、あっこちゃんはどうしているのでしょう、と何気なく伺ってみた。しばらく、お会いしていないのだけれど、と。そうしたら、いっこさんの答は、私の想像もできないようなものだった。じつは三年前、私が、横浜でお会いしてから、すぐ後くらいに、あっこちゃんは、亡くなられていたそうなのだ。ご両親に、連絡をいただくほど、近いお友達でもなく、お互いに、共通の友人がいたわけでもなかったので、何も知らずに、そのまま、時が過ぎてしまった。才気煥発で、美しい人だった。気が強くて、口が悪くて、だけど、子供のように素直で、本当はとっても優しくて、涙もろい人だった。信念をもって生きている人だった。享年、30才。ずっと知らずにいたことが、悔やまれる。毎年、書き換えている私のアドレス帳。もう三年間も、連絡をとっていなかったけれど、ちゃんと、あっこちゃんの名前と連絡先は、残しておいたのに。また、会いたいと思っていたのに。あっこちゃんのご冥福を、心から、お祈りします。
2004年12月24日
アローハ!すみません、日本の皆様から、メールをいただいているのですが……ハワイ島の、コナからヒロへ、ヒロからホノルルヘと、毎日、移動していたものですから、ゆっくり、PCに向かう時間が、なかなか持てませんでした。申し訳ありません。今日から、少しずつ、お返事書かせていただきます。よろしくお願いいたします。ハワイ島では、本当にびっくりの連続でした。せっかく、鳳珠ちゃんにお電話いただいたというのに、一緒にこまどり姉妹を歌うこともできず、私は、そのまま「母さんの部屋」を引き払って、ヒロに向かうことに。チェックアウトのため、部屋を出て、階段を下りてゆき(エレベーターじゃないし)、駐車場まで降りた時――すぐ目の前にあった車のナンバーに、私は、思わず苦笑してしまった。なんと、411(~_~;)父の誕生日と、同じ数字。こんなこと、小説として書いていたら、絶対にありえない設定でしょ(~_~;)だけど、朝一番に見かけた、たった一台だけ、そこに駐車していた車が、本当に、411だったの(-_-;)うはははは、パパ、どうもっ、と、挨拶しつつ、ヒロへ移動。じつは、ヒロ方面は、晴れた日の多いコナとちがって、水に恵まれているというか、つまり、とっても雨の多いところなのね。私はこの日、キラウエア火山に、ヘリコプターで向かう予定だったんだけど、会社の人には、「今日は、天気がかなり悪いので、朝からキャンセルが続出しています。だから、直前まで、出発できるかどうかわかりません」と、言われていたの。ヒロに移動する最中も、ずーっと雨。それも、笑っちゃうくらいの、ものすごい雨。よく、たらいをひっくり返したような、というけれど、そんなかわいらしいものではなくて、たらいの水を、あちこちに盛大に、ぶっかけているような感じ(~_~;)そんな雨の中、私は、ヒロ空港へ向かった。集合時間の30分前に、現地に到着した時には、「まだ、テイク・オフできるかどうか、わかりません」といわれてしまった(-_-;)「出発する直前に、決行するかどうか決めます」とのことで、さらに30分、待たなければならなかった私。私としては、せっかくハワイ島に来たのだから、ぜひ、キラウエア火山に行きたかった。それも、ヘリコプターで行きたかった。キラウエアの神様、ペレに、ご挨拶をしておきたかった。それからも、しばらくは、ものすごい勢いで、雨は降りつづけていた。「こりゃー、今日はあきらめろといことかな。恵みの雨というし……」と、完全に、あきらめモードに入ったその時――皆さん、信じられます?出発するかどうかを決定する、その10分前、いや5分前かも……とにかく本当に直前に、少しずつ、雨が弱まりはじめて、ヘリコプターが、ちょうど飛んでいく方向に、なんと、青空が広がり始めたのです!!!うっそーーーー、でしょ。一日中ふりつづけて、ヘリコプターも、ほとんどの便が欠航になったほどの、すさまじい雨が、私の出発の直前に、きっちりと、やんでくれたのです!!!そして、さらに奇跡は起こったの。ヘリコプターに乗って、ハワイ島を遊覧中、ずっと、何がしかの音楽が流れていたのね。ほとんどが、ハワイアンなんだけど、サラ・ブライトマンの、「タイム・トゥ・セイ・グッドバイ」など、よくわからない選曲もあったりして(~_~;)たぶん、ヘリコプター会社の人の、好みと思われる。そして、ヘリコプターが、ついに「私の父の」キラウエア火山に――溶岩が流れるのが見える、大きな大きな火口に、ちょうど、たどりついたその時――しつこいようですけど、皆さん、信じられます?BGMの音楽が、その時、万にひとつ、というようなタイミングで、ブラザーズ・カジメロの歌う、せつなくなるほど荘厳で、美しい、「アロハ・オエ」に、変わったのです。もう、私は呆然。ずーっと、エンドレスで、いろいろな曲が流れていたんですよ。その、火山の真上にたどりつく最高のタイミングで、いつもいつも、かならずしも、「アロハ・オエ」が流れる、というわけでもないと思うのに。天候によって、コースの変更もあるだろうし。だけど、キラウエア火山の真上を旋回しながら、私は、たしかに、「アロハ・オエ」の調べを、聞いていたのです。そして、その時、周囲にたれこめていた、重い雲のカーテンの隙間から、天界から降りてきたような、一筋の太陽の光が、パーッと差し込んできた。雲海が、きらきらと輝いて、本当に、この世のものとは思えないほどの、すばらしい眺めでした。こんなことってあるんだろうか。あるんだろうな。実際に、起きたんだから。人生は時々、本当に、不思議なことに満ちている。亡くなった人たちは、本当は生きているのではないかしら。魂は、不滅なのではないかしら。いつでも、私たちと交流し、交信つづけしている。そう思わなければ、納得がいかないような、本当に不思議な体験でした。
2004年12月22日
やったー! やったー!ハワイ州観光局HPの「TOPICS」、本日、12月20日に、ちゃーんと、アップされてましたーーーー!在汐留の、ハワイ州観光局の、ミヤガワさま、在ワイキキの、ハワイ州観光局の、タンジさま、オザキさま、そして、HPをデザインしてくださった皆さま、本当にお世話になりました。ありがとうございますm(__)mよーしっ、これから、「ハワイ州観光局のHP、見てー、見てー」と、言いまくるぞっ!坂上二郎さんも、どうもありがとっ(^o^)丿ところで――私は今、ビッグ・アイランドことハワイ島に来ております。ハワイ八島の中では、いちばん若い島で、地図の中では、いちばん下に位置していて、いちばんでっかい、文字通り、ビッグなアイランドです。その昔、私の母が、かりそめの冒険(?)のために、たった一人で滞在していたことのある、コナ・バリ・カイというコンドに泊まっています。以下のアドレスは、マーク・コナ・バリ・カイの、HPリンク。ここの、Quick Reservationの下にある、<Take a video tour of Marc Kona Bali Kai>を、クリックしていただくと、ホテルの雰囲気を、お楽しみいただけると思うんですけど……ちゃんと、映像、映ってます?http://www.marcresorts.com/properties/property.asp?p_id=11とっても不思議なのだけれど、私が今、泊まっているこの部屋――もしかしたら、うちの母が、その昔、泊まっていた部屋なのではないか、という気がしてくるのです。ここは、オーナー制のコンドで、マークという会社は、ここでは、管理人さん的な役割をしているんだけど……各部屋のオーナーの、好みで置かれる家具といい、電気スタンドや、バリ島風のたんすといい、そして、部屋のロケーションといい、私の記憶と、何となく、重なる感じなの。部屋は、建物の三階にあって、超絶景のオーシャン・フロント。目の前に、果てしない水平線が、広がっている。ラナイ(ハワイ語でベランダ)から、下を眺めると、波が、自然に岩をうがいて作った、「海の池」のようなものがあって……その池に、大きなハワイアン・タートルさんたちが、よっこら、よっこら、遊びにくるんですよぉ(^o^)丿ちょっとした、亀の溜まり場?あるいは、温泉場?ハワイアン・タートルって、ゆっくりとした動作で、見た目も、愛嬌があってかわいいけれど、私は、その気質が大好きなの。とっても平和的で、自分からは、海の仲間や人間に、決して、攻撃をしかけたりしないの。何か、すべてをリスペクトして、大らかに受け入れている感じ。ハワイの海の、レディース&ジェントルメン。そういう、ジェントル・スピリッツをたくさんもった、大海亀さんたちを見ていると、本当に癒されるわ。ところで――明日、私は、いちおう、キラウエア火山に行く予定です。父の本を、出版することができたので、そのお礼に。そして、身体や魂いっぱいに、今も活発に活動をつづけるキラウエア火山のエネルギーを、いただいてくる予定です。ではまた。ハワイから、このHPに来てくださった皆様に、アロハを送ります!
2004年12月20日
皆様、アローハ!じつは今、仕事の関係で、ハワイのほうに滞在しています。毎日毎日、バタバタしていて、それに時差ぼけで、とんでもない時間に眠くなったりして、なかなか、日記も更新できないのですが――(~_~;)いちおう、出版のご挨拶まわりということで、ハワイの、メディア関係の皆様がたをお訪ねして、ご挨拶、そして、プチ・パフォーマンス(しゃべりまくる)――を、させていただいております。よろこびー!(ハワイ州のマスコット、ゴリエちゃん風)ところで、林雪絵より、とーってもうれしいお知らせです。日本時間の、12月20日より、な、な、なんと!ハワイ州観光局さんのホームページにて、私の本を、ご紹介いただけることになりました~~~~!(ぱちぱちぱち……鳴り止まぬ拍手、を自分だけで)まず、ハワイ州観光局のサイトへジャンプ。下線部のところを、クリックしてちょ。そして、私の心から愛する、癒しの天才ウクレレ弾き、ジェイク・シマブクロさまの名前が、あちこちに見えることを確認したあと――(~_~;)「日本でハワイを感じる」というカテゴリーより、「ハワイ州観光局の活動」へと、飛びますっ、飛びますっ!(坂上二郎風に。Yumeko姐さんなら、きっとご存知のはず……)そこに、「TOPICS」という、燦然と、光り輝くようなコーナーがあります。え、輝いてない?いや、輝いているはず(強気)。太陽を裸眼で見た後、もう一度見てみてください!きっと、チカチカしているはず……その、「TOPICS」というところに――私の、<表紙を一見しただけでは、小説なのかノンフィクションなのか、よくわからない雰囲気で(~_~;)しかも、あとがきも何もないので、ますます、内容がよくわからず、発行部数も「激」少ない、無名ライターの私の本>を……(解説、長っ)ハワイ州観光局さんが、特別なおはからいで、取り上げてくださるそうなのです――くぅぅぅぅぅぅぅぅっ……(>_
2004年12月18日
いやぁ、どうもすみません。バタバタしているうちに、私の新刊本、「老兵から、アロハ・オエ」(林雪絵著/文芸社刊)が、12月1日、全国書店さんにて、発売されておりました(^O^)皆様へのご挨拶が、遅くなりまして、誠に申し訳ございませんm(__)m楽天日記の、お友達のところへは、あらためて、また、ご挨拶にうかがうつもりですが――ふらりと、お立ち寄りの皆様には、こちらのほうを、ぜひとも、ご参照いただきたいと存じます(^_^;)xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxこの12月1日、ハワイを舞台にした、私小説を出版いたしました。タイトルは、「老兵から、アロハ・オエ」。私の、ライターとしての専門分野は、いちおう、現在のところ、英国ファンタジーということになっているのですが(~_~;)私生活では、じつは、リピーター歴、十数年という、大の、ハワイ・フリークでもあるのです。ライターとしても、過去には、ハワイのガイドブック、ユナイテッド航空の機内誌のコラム、「アロハ・エクスプレス」などの、ハワイ専門の情報誌や、ムック本、サーフィン・マガジン、ファッション誌のハワイ特集、それに、ハワイを舞台にした小説の出版などなど、様々な分野で、「ハワイ系」の仕事をしてまいりました。そんな私が、父親の、リタイアを記念して――(^_^;)初めて、連れて行った、海外旅行先が、じつは、ハワイだったのです。仕事一筋に生きてきて、口も早いが手も早い、頑固一徹の、江戸っ子、諸橋譲(仮名、私の父)。もともと海外には、それほど興味もなく、休まず、たゆまず、働きつづけることこそが、男の誇り、男の生き甲斐、というような、昭和ヒトケタ生まれの、昔かたぎの父。しかし、自然の流れで、やがて父にも、リタイアする時が来て――マッカーサーの言葉、「老兵は死なず」とつぶやき、飄々とした様子で、毎日を、暮らしてはいたけれど、やはり、微妙に、元気をなくしてしまったような……(ーー;)そんな父親の、肉厚の背中を、ぐいぐい押して、連れて行ったところが、常夏の楽園、ハワイでした。最初は、何かと、文句を言っていた父親も、実際に、でかけてみたら、たちまち、ハワイが、大好きになってしまいました。あまりにも自分とちがう価値観を、ハワイの人々が、自然に持っている、驚き――人生すべてが闘いであった、「老兵」にとって、生きるということは、がんばりつづけること、そして、戦いつづけることでした。しかし、ハワイの人々の、アロハ・スピリッツにつつまれた、のびやかな生き方は、「闘いの人生」とは、対極にあるもののようでした。生きるということは、人生に感謝し、人生を楽しむということ。必死に、がんばろうとするのではなく、そんなに、がんばりすぎなくてもいいじゃないの、と、心に余裕を持とうとすること。そして、互いに、競いあうよりも、いたわりあい、助けあおうとする生き方――そんな、ハワイの人々の暮らし方に、父は、すっかり、感銘を受けてしまったのです。そして、何よりも、ハワイの大自然の、その美しさ、大きさ、素晴らしさよ!!それから父は、ハワイを心から愛して、熱中して、夢中になって、充実した日々を、過ごしました。『生きるということは、楽しむこと』――カメハメハ大王が残したといわれる、この言葉を、かみしめながら、第二の人生を、積極果敢に楽しんで、燃えて、心満たされて、生き生きと過ごした父。そして、訪れた、永遠の別れ――リアル人生とは、本当に、小説よりも、ずっと奇妙で、不思議なものです。私の父が、はじめて、ハワイに行ったのは、お誕生日の、4月11日でした。そして、ハワイ王朝最後の女王、リリウオカラニが、王位から追われた運命の日も、4月11日。そして、ハワイを愛して、愛して、ぞっこん惚れこんだ父が、亡くなったのは、12月19日の、時刻は、4時11分――大好きなハワイと、初めて出遭えた、忘れがたいお誕生日と、おなじ数字並びでした。東京・下町育ちで、落語や漫才など、「粋」な笑いが大好きだった父のために、全編に、ばかばかしいほどの、おかしみと、尽きない笑いがあり(^_^;)尽きない涙と、感動があり――ハワイの虹と、青い海と、美しい夕焼けと、心にしみる、優しい「アロハ・オエ」の調べを、皆さんの心に、お届けできますようにと、願いつつ、祈りつつ、この本を書きました。発行部数が少ないため、なかなか、書店さんでも、この本を、見かけてはいただけないと思うのですが――(~_~;)ご縁のある皆様に、ぜひとも、ご拝読いただけたらと、心より願っております。どうぞ、よろしくお願い申し上げますm(__)mPSきゃー、びっくり!楽天日記でも、超大人気のサイトの、「パイナップルロード」のパインちゃんが、私の日記を、トラックバックしてくださって、本の、紹介までしてくださいました(ToT)/~~~本当に、ありがとうございますm(__)mでも、私みたいな地味サイトとは、けたちがいの大きいサイトだから、ちょっと、緊張するわぁ(~_~;)
2004年12月05日
中国といえば、もちろん、中華料理――そして、最近の中国では、<食は、上海にあり>といわれるように(なるはず。近い将来)、上海の、どの街にも、中国四大料理の、名店の数々が、軒を連ねている。それだけじゃないよ。屋台風の、小さなお店で食べられる、小吃――つまり、●小龍包(豚ひき肉とスープを、たっぷり閉じ込めた包子)●生煎(焼き小龍包)●ロージアモー(豚肉の醤油煮と香菜を、細かく切って混ぜたパテを、分厚いパンにはさんだもの)●豆花(だし汁と一緒に食べる、やわらかい豆腐)●ツーファントン(甘辛く煮た田麩をはさんだ、上海風おこげのおにぎり)などなど、おいしくて、安くて、うれしくて楽しい、「小吃」の屋台が、数知れず(T_T)上海では、あまりにもいろいろな料理を、野放図に食べまくったため、いちいち、書いていたら、きりがない――しかし、何も書かないのも、ナンですので(~_~;)私の脳裏(と胃袋)に衝撃を与えた、あのレストランについて、書いておこう。あのレストランとは――旬を迎えていた、上海蟹の店ではない。上海蟹の店にも行ったが、何も考えず、日本人観光客の多い、超高級店に行ってしまったため、私の懐具合と、先方の「言い値」が、折り合わず、あいにく、おいしい思い出が、作れなかった。たぶん、上海一「小さい」上海蟹を、予算の都合上、選んでしまった(-_-;)蟹味噌は、おいしかったけど、何せ、小ぶりで。マジで、沢ガニかと思ったし……(-_-;)中国の人たちも、競って食べるという、秋から冬の上海名物、上海蟹を食するならば、やはり、ケチってはいけません。ケチったら、私のように、沢ガニ・バージョンを、いただくことになります。それはともかく――私のホテルに近い、南京東路という、歩行者天国から、何プロックか歩いたところに、そのお店はあった。ガラス張りの、調理コーナーの一角に、真っ赤に燃える太陽のような色をした、大ぶりの鍋が見えた。よく見ると、真っ赤に燃えていたのは、見たところ、川エビか何かのようだった。お客さんは、ローカルの人ばかりで、店は、かなり混みあっている。私の直感が、訴えていた。地元の人で、こんなに混んでいるお店は、絶対に安くて、おいしいはず、と。中国語もできないくせに、ローカルのお客さんしかいないようなお店に、ずかずかと入ってゆき、どっかりと、テーブルについた。そして、中国語ができないので、当然、ここでも、「んーっ、んーっ」による会話が、繰り広げられた(~_~;)ふと見ると、隣りのテーブルの人たちが、真っ赤に燃える「川エビ鍋」を、おいしそうに食べている。キムチ味だろうか、それとも、エビだけに、チリソース味だろうか。さっそく、お姉さんに、同じものを、注文をする。「んーっ、んーっ!」(といいつつ、隣のテーブルの、真っ赤な川エビ鍋を指差す)「んーっ、んーっ!」(といいつつ、後ろのテーブルの、野菜炒めを指差す)「んーっ、んーっ!」(と、斜め前のテーブルの、チャーハンを指差す)お姉さんは、私の妙な動きに、クスクス笑いながらも、伝票に、私の指差したものを、どんどん、書いていった。待つことしばし――どどーん、とテーブルに運ばれてきたのは――私の予定では、鍋と、野菜炒めと、チャーハンのはずだったが……どこで、どうまちがえたのか、ぐらぐらと、真っ赤に煮え立った、大きな「川エビ鍋」、なんと、三つ(@_@;)同じ鍋が、三つだよ。しかも、ひと鍋、2~3人前は十分にありそうな、ものすごい量の、川エビだし。それが、どどんと、三つも、私のテーブルにぃ――(T_T)どぼぢで、どぼぢで。そりゃあ、どのテーブルにも、メインとして、川エビ鍋が、乗ってはいたけれど。私が、指差したのは、鍋がひとつと、あとは、野菜炒めと、チャーハンだったのにぃ……(T_T)もう、こうなったら仕方ない。食って、食って、食いまくりました。悪いけど、ひとつの鍋だけで、川エビ、2~30尾は、楽勝で入ってたもんね。それ、三鍋だから。キムチ味とチリ味が、微妙にミックスされた、からーーーい、でも、おいしーーーい、お料理であった。料理自体は、本当においしかったのよ。さすが、中国。それに、そんなに食べても、全部で、500円くらいだったし(衝撃の安さ!)。たしかに安くて、おいしかったんだけど……ねぇ(~_~;)「んーっ、んーっ!」(こんなに大きな鍋、三つも、一人で食べませんから!)と、お姉さんに、顔で、訴えてみたが……もちろん、なーんも、伝わっていなかったと思う(T_T)
2004年11月25日
帰国してから、あまりにも、バタバタしておりまして、なかなか日記の更新もできず、時間が、ずいぶんたってしまいました(^_^;)どうも、すみませんm(__)mその間には、楽天日記で大人気の、Pineちゃんご夫妻が、ハワイから来日――しかし、お互いの都合で、あいにく、お会いできなかったり(ーー;)実家のとなりに住んでいた、幼なじみの、ワタナベ・クニトくんが、石原慎太郎原作のテレビドラマ、「弟」で、慎太郎さんの中学時代役で、華麗なるデビューを飾ったり、まぁ、いろいろなことが、ありました。うちの弟も、仕事が決まったしな。よかったなぁ。わははははは。そんなこんなで、ご無沙汰していて、どうも、すみませんでしたm(__)mところで――上海での出来事というか、思い出の中で、今も、私を、圧倒的なパワーで、猛烈にドキドキさせる、ステキな場所がある。今も、あそこにだけは、もう一度行きたい、明日にでも行きたいと、鼻の穴をふくらませて、思ってしまう私。それは、超安売りのお洋服や、ブランド物のバッタもの販売(?)でおなじみの、「襄陽服飾礼品市場」というところである。ちなみに、タクシーで行くときには、「シャンヤン(襄陽)、フースー(服飾)、リーピン(礼品)、シーチャン(市場)」と、中国語で、お願いするアルよ。私の中国語では、なかなか、通じないアルけどね(ーー;)ま、いってみれば、巨大な「アメ横」のような、価格破壊の、アロハ・スタジアムのフリーマーケットのような、町の一区画なのだが、中国の人たちの、呼び込みエネルギーが、もうハンパではない。また、交渉次第で、安くなるその値段も、ハンパではない!ちなみに、こちらが市場のサイトである。襄陽服飾礼品市場へジャンプサイトとしては、イマイチ、中途半端な完成度で(^_^;)「にほんご」と書かれた部分をクリックしても、日本語版に変わらず。「English」をクリックしても、英語版にならず。まぁ、市場の雰囲気だけ、味わってみてくださいm(__)mセーター、Tシャツ、ジャケットなどの衣料品を中心に、海外ブランドのかばん類(バッタ)、時計(バッタ)や靴(バッタ)、雑貨類(刺繍など、キッチュな中国製品。かわいいよ)、生鮮食品(上海蟹を見た、海老を見た、食用蛙まで見てしまった……-_-;)などなど、多種多彩、多数のテナントが、ひしめきあっている。外国人と見るや、「ハロー、ウォッチ! ハロー、ウォッチ!」(意訳:こんにちは、高級ブランドの偽物時計、ありますよ)と、ものすごい「売らんかな」攻撃に合ってしまったりもする。しかし、ここで、お買い物をするのは、本当に、楽しい(^o^)丿ちなみに私は、中国語がまったくできないため、はげしいアクションで、お買い物バトルに、参戦することになった。市場の中の、とある、こじゃれた、デニム・パンツのお店でのこと。上海の、若い女性たちは、一般に、非常に小柄で、華奢で細い。日本の芸能人並みで、それが、ふつうだったりする(-_-;)フィリピンやタイの女の子たちみたいに、足も、細くて、長ーーーーい。ちなみに、その店には、24、25、26インチなどという、恐ろしいほどの極小サイズが、大量に売られていた。自慢ではないが、体重60キロに迫らんとする私。少なくとも、28インチ以上の、ストレッチ素材――つまり、ゴム「伸び伸び」素材のデニム・パンツでなければ、買う気、まったくなし(いや、はける気、まったくなし)そのお店で、大胆な刺繍を施した、とってもステキなデニムを見つけたのだが、あいにく、私には、どれも小さかった。そこで、まったく、中国語のできない私だが、これまた、まったく、日本語も英語もできなさそうな、お店の、5~60代の、中国人のおばちゃんに、思い切って、交渉をしてみた。 「んーっ、んーっ!」(と、激しく言いつつ、私には小さすぎる、デニムを指差す) 「んーっ、んーっ……」(と、自分の顔を指差す。つまり「私」の意) 「んーっ、んーっ?」(「2」「8」と、数字を指で示す。28インチの意)つまり、「このパンツは、小さすぎる!私にもはけるような、28インチくらいのパンツ、ありませんか?」という、アクションをしたのだ。すると――なんと、そのおばちゃんも、無言のまま、激しいリアクションで、返事をしてくるではないか(^_^;) 「んーっ、んーっ!」(と、私の太ももを指差す) 「んーっ、んーっ!!」(と、両手で、大きな大木を抱えるような仕草) 「んーっ、んーっ!!!」(と、激しく首を振りつつ、ダメダメ、NONOの仕草)つまり……「アンタの太ももは、太すぎるよ!!そんな大きなものは、うちには、ありません!!!」と、言いたかったらしい――ちゃんと、会話になってるじゃん(ーー;)まぁ、それは、それとして……←チクショー(>_
2004年11月20日
浦東国際空港から、人民広場駅の近くの、私のホテルまで、私の方法では(ーー;)2時間以上も、移動時間がかかったのだが……まあ、ふつうにタクシーで行けば、だいたい、車で、50分ほどの距離であろう。しかし――上海にはさらに、驚くべき秘密兵器が、隠されていたのだ。それは――世界最速のリニアモーターカー、その名も、上海磁浮列車(Shanghai Maglev Train)。ちょっと見てくださいよ、この記事を。こちらをご参照ください。私には、もともと、中国という国は、それほど進歩的、革新的な、ハイテク大都会――というのではないだろう……という印象があった。何せ、長い歴史と、広大な領土をもつ国なのだ。山水画や、水墨画の世界、有名な兵馬俑、そして、モンゴルの大草原……国宝級の古い建物や、遺跡の数々――そんな、歴史と大自然に恵まれた、雄大な国。公衆トイレには、扉がない、という、ワイルドな噂も聞いたことがあるし(^_^;)「ハイテク産業」という言葉からは、はるか対極に位置していた、私のイメージする上海――ところが――実際の上海は、もしかしたら、日本なんて問題にならないほど、恐ろしいスピードで、変化しつづける、ハイテクな大都会なのであった。世界最速のリニアモーターカーがあり、アジア一高い、近未来の建築物のような、テレビ塔があり、まるで、ニューヨークのような、超高層ビル群がある。新しくて、大きなショッピング・モールがあり、地元中国のデパート、そして、伊勢丹などの日本のデパートもあり、世界中の超一流ホテルが、軒を連ねて、ゴージャスに進出している。マクドナルドだって、スターバックスだって、ケンタッキーだって、日本にあるものは、何だってあるもんね。それに、ホテルの近くに、ふつうに「ローソン」を見つけたときは、本当にうれしかったなぁ。しかも、似ているようで全然ちがう、楽しい商品が、たーくさん。似たようなコンビニ、似たような品揃えなんだけど、よく見ると、ポテトチップスが、北京ダック味とか、上海蟹味だったりするし(^_^;)どのパッケージも、漢字だらけ。そういう違いを見るのは、とっても楽しい。しかも、それらが皆、日本の、十分の一以下の値段だし……(ーー;)貨幣価値のちがう国なので、「安い、安い」と騒ぐのは、あまりにも、ヒンシュクだと思うのだけれど――コーラやスプライトが、30円だったら……ポテトチップが、一袋10円ぐらいだったら――それに、ボリュームたっぷりで、本格的な味付けの、おいしい中華弁当が、50円で買えたら……そりゃあ、感激しちゃうと思わないぃぃぃ(T_T)/~~~Qちゃん、幸せでした。チューインガム、たくさん買いました。おにぎりも買いました。ひとつ、20円でした。うぇーーーーん、うれしいよぉ(T_T)
2004年11月11日
どうもー、上海からただ今、帰ってまいりましたー!皆さま、心温まる書き込みを、どうもありがとうございましたm(__)m帰国いたしましてから、ゆっくり、拝見させていただきました。そして、書き込みはしなくても、お気にかけてくださっていた皆さんも、本当に謝謝です。ちなみに、上海のホテルでは、やはり、見事に、インターネット接続が、できませんでした(ーー;)いや、どうにかすれば、できたのかもしれませんが、私の場合、電話機から電話線をはずす、という時点で、すでに、どうにかできなかったので、最初から問題外というかね(^_^;)それにしても――中国、いや、上海のパワーというのは、並大抵ではないなぁ、と実感した私。中国に対して、認識不足の頭で、ぼんやりと、こんなんかなぁ、というイメージは抱いていたけれど、そんな貧困なイメージとは、ぜーんぜん、ちがっていました。何せ、上海と呼ばれる地域の中に、まるで、ニューヨークのような巨大ビルが立ち並ぶ、未来都市のような街角があったり、かつて「租界」と呼ばれた、ヨーロッパやアメリカの面影を残す、古い街並があったり。そうかと思えば、1ブロック向こうには、タライで、じゃぶじゃぶ洗濯するおばちゃんや、露店で、野菜を売っているおじちゃん、おしりの部分がぱっくり割れた、ズボンをはいた、ぷりぷりのお尻の赤ちゃんがいたりという、昔ながらの風景が、広がっている。かっこよくいうと、クラシカルとモダンの、融合っていうのかなぁ。道ゆく女の子たちは、皆、おしゃれで、すらりと痩せていて、すっごくかわいい。だけど、かーーーーーーっぺと奇声を発する、「タンおじさん(おばさん)」は、今も存在する(ーー;)モダンなのにレトロで、そのサジ加減が、まことに、いいアンバイなんだよなぁ。そんな上海の、浦東国際空港に、深夜に、ひとり、降り立った私。すでに、世界最速といわれるリニア・モーターカーは、終業時間を過ぎてしまっていた。言葉も通じない、初めての外国では、ふつう、タクシーで、ホテルに向かうことを考えるだろう。深夜の、女性の一人旅だし、でかいスーツケース、引っ張っていたし。しかし、ふつうでないのが、このワタクシだ。タクシーなら、中心部まで、150元(1元=15円)ぐらいかかってしまうけれど、ローカルの皆さん御用達の、エアポート・バスなら、16元。ほぼ、十分の一の値段なのだ。値段だけで即決して、宿泊先の近くまで行くバスを、さがしたのだが――六種類の、それぞれ別ルートを走るバスから、「私のバス」を探すのは、本当に大変だった。私の宿泊先は、じつは、最近になって、名前を変えたばかりらしく、切符売り場の人も、周囲の人も、だれも、その存在を知らないようだった。中国名を、必死に漢字で書いて、示してみても、ヘンテコな発音で、繰り返してみても、だーれも、このホテルを知らない――(ーー;)仕方なく、ホテルの近くと思われる、地下鉄駅の名前を書いて、見せてみた。人民広場。そこで、初めて、「私のバス」がわかったのだった。さすがに、深夜のエアポート・バスは、地元の人、あるいは、少なくとも、中国語を理解する乗客だけのように、私には思えた。土地勘がなければ、降車の合図ができない。それに、中国語ができなければ、自分がどこで降りればいいのか、周囲の人に、尋ねることさえできない(T_T)女性の車掌さんに、「ジ~ンミンヒ~ロバで、お~ろして」と、中国語風に言ってみたが、あたりまえだが、全然、通じない。仕方なく、英語に変えて、「ピープルのぉ、スクエアのぉ」などと言ってみたら、今度は、なんと通じた!じつは、それぞれの地下鉄駅には、英語名が存在するようで、私の下車する「人民広場」は、本当に、「ピープルズ・スクエア」というのだった。ラッキー!そんなわけで、空港から、五十分ほどバスに揺られた後、親切な車掌さんに教えていただいて、目的の、人民広場で下車したのだが……<ウッソーー!ここ、どこ?(T_T)>バスを降りた後、私は、いきなり、途方に暮れてしまった。地下鉄の人民広場駅は、イギリスなら、ケンジントン公園を彷彿とさせるような、面積が、なんと14万平方メートルもある、人民公園という、めちゃくちゃ広い公園のはずれにあるのだが……地下鉄駅が、たとえば、人民公園の北のはずれにあるとしたら、私は、よりにもよって、だだっ広いケンジントン公園、いや、人民公園の、いちばん南のはずれに、降りてしまったらしい――だから、人民広場駅からなら、徒歩五分だったはずのホテルに、私は、でかいスーツケースをごろごろ引っ張りながら、ケンジントン公園(そうじゃないけど)の半周を、ぐるぐる回って、一時間近くも、ズルズル、だらだらと歩き、「ワタシノホテル、ドコデスカー」と、人々に尋ねまわって、あやしまれ、ようやく、目的のホテルに着いたのであった。悪いけど、深夜の零時なんて、かる~く回ってたし(ーー;)素敵でしょ、一日目から(T_T)
2004年11月05日
えー、先日の日記で、とりあえず、発表(?)しておりました通り、明日から、一週間ほど、中国は上海に行ってまいります。いちおう、モバイルPCは持参するつもりなのですが、何ぶん、初めての中国――現地の様子もわからないし、だいたい、宿泊先のホテルで、PC接続ができるのかどうかもわからず、たぶん、日記は、あまり更新できないと思います(^_^;)どうも、すんませんm(__)mちなみに、日本からの同行者はなしで、現地では、人に会うけれど、言ってみれば、一人旅のようなもの。若い頃から、新聞記者、雑誌記者として、男ばっかりの職場で、男同然に扱われてきたため、独立心旺盛で、もともと、一人旅が大好き。だから、一人で旅すること自体は、ぜんぜん、気にならないのだが……ひとつだけ、問題がある。じつは、私は中国語が、まったくできないのだ。読めない、話せない、聞こえても聞こえないふり。麻雀もしないので、日頃から、中国語に馴染んでいるということもないし(^_^;)現地には、日本のかたも、大勢いらっしゃるだろうし、世界的な大都市なので、英語の通じるところも多いだろう、とは思う。でも、食いしん坊の私は、ツーリストが行かないようなところへ、わざわざ出かけて行って、知られざる逸品、珍品を見つけ、ローカルに混じって、できれば安く食したい、がつがつ食いたい、という、野望があるのだ。それには、「これください」「いくらですか」「三個ください、あ、やっぱり五個」くらいの中国語は、やはり、マスターして行かなければならないだろう。だけど――むずかしいんだよなぁ、中国語って(ーー;)とりあえず、帰国は11月5日の予定です。その間に、日記が更新できるようでしたら、しますね♪では、行ってきまーす♪
2004年10月28日
今日は、横浜郊外にある、私の、行きつけの美容室に行ってきた。私の担当は、オーナー店長のWさん。はっきりいって、このWさん、ただものではないのだ。最初、この店を見つけたのは、まったくの偶然だった。もともと、この街にある、古着屋さんに、買いものに来たのだが、その途中、キラキラした、ネオンにつられて、おもわず、店に入ってしまった。もともと、髪を切るつもりなど、まったくなかった。けれども、「カット料金、1554円」というのは、どう考えても安い、と思ったのだ。値段が値段なので、あまり期待せずに、店に入ったのだが――「いらっしゃーい」と、にっこりしながら出てきたのは、グレート義太夫を、怖いチーマーにしたような(^_^;)目つきの鋭い、だけど、とってもおしゃれな(^_^;)、身体の大きな男性だった。それが、お店のオーナーで、空手三段の(^_^;)、Wさんであった。Wさんは、私を、鏡の前に座らせて、ちらっと、私の髪型を見るや、いきなり、「ふーん、今時、こんな髪型の人いるんだ」と、言った。しーん(沈黙)しーーん(沈黙)しーーん(沈黙)い、いまーす……ここに――(-_-;)と、小さな声で、ボケを返しそうになったが、私の返事なんか、ぜんぜん待たずに、ザザザザザザ――と、ものすごい「はさみさばき」で、カットしていくWさん。う、うまい――ただもんじゃない――(@_@;)「今時、こんな髪型」の私だが、切られている感覚で、なんとなく、わかるのだ。はさみの使い方が、全然ちがう。手先の技術も、ちがう。そして、仕上がった後の形が、かーっこいいーーー!いろいろ話をして、わかったのだが、じつはWさんは、長年、芸能界で活躍していた、トップ・ヘアスタイリスト――つまり、いわゆる、元祖カリスマ美容師なのであった(^_^;)美容室の超有名店で、世界的なヘア・エキシビションに、日本代表として出場、「1977年、原宿・表参道にPEEK-A-BOOをオープン。川島文夫率いる技術者集団『TEAM PEEK-A-BOO』を擁し、日本国内に止まらず、世界を舞台としてインターナショナルな活躍を見せている。2001年、PEEK-A-BOOが贈る、最新のステージプレゼンテーションである、今回のショーでは、MODERN、UNISEX、FUTUREなど、パフォーマンス性に溢れたステージを披露してくれた」などと、マスコミに語られてしまうような美容室、「PEEK-A-BOO」で、長年、トップ・スタイリストとして君臨してきたのが、Wさんなのであった。芸能人の顧客も、大勢いる。その昔、「夜のヒットスタジオ」というテレビ番組で、専属ヘア・メイクをしていたので、Kしずかさん、Mせいこさん、Aゆうこさん、Kるみこさん、Gひろみさんなどなど、みんな、彼のお客さんで、私生活では、親しいお友達でもあるのだ。また、ある時期、アメリカの、LAの映画スタジオで、ヘア・メイクをしていたこともあり、ハリウッド俳優の顧客までいる(^_^;)なんと、あの、ジュリア・ロバーツも、担当していたという。すっごーーーい(@_@;)そんな、華々しいキャリアの人なのに、横浜市の郊外で、パチンコ屋みたいなネオンが、1554円、1554円、1554円と、チカチカしている、かなーり庶民的なお店で、これまた、かなーり庶民的なお値段で、いま、楽しそうに怖そうに、お仕事をしている(^_^;)いくら、技術とキャリアに自信があっても、闇雲に高い値段をふっかけるのは、Wさんのポリシーに、反するそうで、私のような、ダサダサの髪を、彼の魔法のはさみで、かっこよく変身させることが、今の、Wさんの、生きがいなのだそうだ。えらいっ!怖いけど、えらいっ!ちなみに、楽天日記のお友達の、パインちゃんが帰国される時は、何とか時間のやりくりをして、お目にかかるつもりでいるが、のっぴきならない事情で、お会いできない時は、このお店に、ご招待する、というのはどうだろう。こちらのお店に、行っていただいて、カット代、もちろん私もちの、ご接待ね。1554円だけど(^_^;)カラーリングも、つけちゃいましょう。だけど、マジで、そういうのが、同性のお友達なら、ご接待になってしまいそうなほど、Wさんのカット技術と、芸能界裏話は、すごいの(^_^;)ちなみに、ヘア・カラーの色も、この店は、70数色もそろえているそうで、私の髪は、「プラチナ・ブラウン」といって、ちょっと金色に光る、濃い茶色。よそのお店には、ほとんど置いていない、珍しい色なのだそうだ。この界隈は、まぁ、私自身も住んでいるのだが、横浜といっても、ちょっと郊外に位置するせいか、何となく、垢抜けない印象があるんだけど(^_^;)この美容室といい、また、このお店のご近所にある、とあるブティックといい、「うっそー、すごいじゃん(@_@;)」と、驚いてしまうような人が、ふつうに経営している、本当は、ぜんぜんふつうじゃない店が、じつは、ナニゲに、多かったりするのだ。ちなみに、こちらのブティックのほうは、長年、やはり芸能界で、スタイリストとして活躍されていたかたが、引退して、持たれたお店で、とにかく、仕入れるもののセンスが、いい。どの服も、目新しくて、かっこいい。そして、めちゃくちゃ安い!以前、某有名デザイナーズ・ブランドのTシャツで、本当は、一万円近くもするものが、セールのため、1000円で売られていた(-_-;)この「安い」というのが、本当にうれしいよね。ちなみにオーナーは、あの、Mななこさんの、スタイリストだった人だ。そんなわけで私、美容師は、ジュリア・ロバーツと一緒で、スタイリストは、Mななこと一緒です。それなのに、どうして、こんなに見た目がちがうのか――それは、秘密なの(-_-;)
2004年10月26日
やらなければならないことが、たくさんあるというのに、すでに押せ押せの、私のスケジュール。そういう時にかぎって、また、仕事以外でも、いろいろなことが起きるんだよなぁ。たとえば、たぶん、世界でいちばん忙しいビジネス・マンの一人であり、モアイくんの親友でもある、中国系アメリカ人のビンちゃんが、日本で、いきなりダウンしてしまった。過労ではないか、と噂されているが、もしも、入院などということになったら、大変なことになる。アメリカ在住者の彼は、日本には、家族も、親しい友人もいないし、このおばさん(私だけど)――が、やはり、少しくらいは、お手伝いしてさしあげるべきだろう。長いつきあいの友人だし、言葉も通じない外国で、入院だなんて、心細いに決まってる。それに私は、こう見えても、中国・蘇州の親善大使なのだ←関係ないか(^_^;)ちなみに、ビンちゃん自身も、自分の仕事で成功している、気の遠くなるような、お金持ちだが、彼の実家は、更にすごい。いわゆる、華僑の名門というやつで、アメリカにおける、中国系大財閥の、御曹司様であらせられるのだ。とにかく、SPがつくほどの大金持ち、ということだけは、伝え聞いている。それにしては、派手派手、バブリーな生活など、一切しないで、日々、質素倹約に励んでいるのは、さすがに中国の人の、賢さ、堅実さであろうか。ビンちゃん、四十代、ちなみにシングルである。家族や友達を大切にする、中国の人であるし、落ち着いた生活をするためにも、私は、結婚したほうがいいと思うんだけど、お金持ちすぎると、アメリカでは、結婚も難しいみたいだ。まぁ、将来、離婚する時の慰謝料とかね(^_^;)中国といえば、じつは私、10月29日から11月5日まで、中国は上海に、取材に行ってまいります。皆さん、旬の上海蟹レポートを、ご期待くださいね。そして、帰国直後の11月6、7日は、義理の妹ちゃんが、ご主人を連れて実家にもどるので、それにあわせて、信州に帰省する予定。そんな合間に、毎日、ほぼ徹夜で仕事して、中国の前には、一度、実家にも帰りたいし……それに、ハワイから日本に、一時帰国される予定の、楽天のお友達のパインちゃんにも、ぜひお会いしたいし……やりたいことが一杯で、ちょっと、頭の中が、ウニウニしている私であった。そして、そんな、頭のウニを、さらに瞬間沸騰させるような、めちゃくちゃ、すんばらしーい、デキゴトもあった。私が最近、やたらと感動しまくっている、歌手のジャニス・イアン様に、あるルートを通じて、ファン・メールをさしあげたのだが、な、な、なんと――直接、本人から、返事が来た(T_T)/~~~ジャニスと私は、今日からメル友です。くぅぅぅぅぅぅ。今度は、うれしさのあまり、頭のウニが、暴れているぅぅぅぅぅぅ。そして、上海に行きましたらば(タラバ蟹も食いたい)、私のウニは、すべて、上海蟹の、カニみそになる予定です(私って、ちょっと疲れてるかも……)
2004年10月23日
あーーー、忙しい(>___
2004年10月19日
ロンドン滞在中、ジャニス・イアンという歌手の、コンサートに行ったことは、9月25日の日記に、書いた通りである。コンサートで歌われた、その中の一曲が、あれからも、ずーっと、気になっていた。例の、<歌を歌うたびに、母さんの歌声を聞いている>というやつである。そのように、歌詞の一部は、漠然と覚えていたのだが、あいにく、曲のタイトルがわからない。ジャニスの、オリジナルだったのか、それとも、ほかの歌手の持ち歌だったのか、それさえも、わからない。それでも、ジャニスのアルバムを、古いほうから、しつこくチェックしまくった結果、よりにもよって、いちばん新しいアルバムに(^_^;)入っていることがわかった(ちっ)曲のタイトルは、「I hear you sing again」。アルバム名は、「Billie's Bones」である。いやぁ、憶えていた通り、本当に本当に、いい曲だなぁーーー(T_T)とくに、泣かせてくれるのが、サビの部分の歌詞なのだ。In my heart I hear you sing againEvery note as natural as thenWhen I sing those songsWith family and friendsIn my heart I hear you sing again心の中で、私は、もう一度、母さん(文脈から)が歌うのを聞いているすべての音が、その頃のままに私が、それらの歌を家族や友達と歌うとき心の中で、私は、もう一度、母さんが歌うのを聞いている私が、日本語にすると、ちょっとチープな印象になるけど(^_^;)ジャニスに英語でうたわれると、本当にぐっとくるのよ。できれば、この歌を、弾き語りでうたってみたい。しかし、私自身は、ギターもピアノも弾けないので、いとこのカイさんか、京韻メンバーのモンコさんに、ギターかピアノを弾いていただいて、ぜひ、この歌にトライしてみたい。 だけど、歌うたびに、号泣していて、話にならないかもしれないけど(^_^;)
2004年10月14日
今日は、都内の某出版社で、12月に発売される、私の新刊本の、打ち合わせがあった。お目にかかったのは、私の担当編集者で、いつも、大変お世話になっている、清楚で、知的な雰囲気の美女、K嬢。いやぁ、Kさん、今日は盛り上がりましたねぇ。話しても話しても、いっこうに話題が尽きず、気がつけば、額寄せ合って、ずーーーっと、話しこんでいた私たち。何せ、お知り合いになる前から、K嬢が希望していた、次の海外旅行先というのが、1ハワイ、2中国(上海、蘇州など)、3英国だったというのだから、それって、私の日常生活じゃん――というわけで、大いに盛り上がってしまった。ちなみに今日は、奥付の日付についても、ご相談した。実際には、12月1日頃から、全国の書店さんに配本されるのだが、当初は、本の奥付には、12月15日発行、と記される予定であった。しかし、思うところあって、急遽、「12月19日発行」と、いうことにさせていただいた。ハワイを心から愛して、楽しんで、逝った父のことを書いた手記なので、発行日も、ついでに(?)、父の命日にしたのだ。つまり――もともと、父の七年忌のために作りたかった、記念の本なので(^_^;)通常、奥付の発行日を、著者の希望通りにしてもらえるなどということは、滅多にないことなので、K嬢、そしてB社さんには、心から感謝している。そんなことができるなんて、私にしてみれば、奇蹟のようなものだ。本当に、ありがとうございましたm(__)m今回は、大量に、カラーちらしも印刷していただけるようなので、上がってまいりましたら、また、アップいたします。どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
2004年10月12日
まだ、未定なのだが、12月1日発売予定の、私の新しい本の、カバー(候補)が、あがってきた。タイトルは、「老兵から、アロハ・オエ」。なぜか、イギリスものではなく、古巣(?)ハワイを舞台にしたものだ。出版社、文芸社さん。編集のKさん、いつもお世話になっております。本の内容はというと、亡くなった私の父が、生まれて初めて、ハワイ旅行にでかけた時の旅の記録を、できるだけ事実に忠実に、けれども、フィクションも多少(いや、かなり)織り交ぜつつ、私小説風に仕上げたものだ。家族の名前は、微妙に、すべて変えてある。私としては、今回の表紙は、かなり気に入っている。ハワイ島ホウナウナウの、守り神さまも写っているし、火山の噴火口や、美しいレイ、たそがれ時のワイキキの海など、私の好きな場所が、おしゃれにな配置されている。本屋さんでも、多少、目立つのではないだろうか。できれば、全国の空港書店さんに、ぜひ置いていただきたい。12月に、ハワイ旅行を計画されているかたには、ぜひ、ビーチにでも寝転んで、お読みいただきたい……今、校正の最終コーナーに入っているが、今後も、少しずつ、情報を載せていきたいと思いますので、よろしくお願いいたしますm(__)m
2004年10月08日
見たぞ、見ましたぞ!パスタさーん、ケアちゃーん、Qちゃん、見てきたよーヽ(^o^)丿と、楽天ウクレレ会の皆さんに、おもわず大騒ぎしたくなるのが、今回、ロンドンで見てきた、「大英帝国ウクレレ交響楽団」の、チャリティー・コンサートであった。私にとって、ウクレレといえば、通常、ジェイク・シマブクロ様なのだが――じつは、ウクレレの音自体、大好きなので、たいがいのウクレレ・プレイヤーの演奏は、機会あれば、いつでも、聞いてみたいと思っているのだ。ところで、この、大英帝国ウクレレ交響楽団は……ハワイの楽器なのに、なぜか、メンバー全員が英国人で、服装はアロハシャツではなく、男性メンバー全員が、ブラック・タイにタキシードを着用。ミュージシャンのほかに、それぞれ、イラストレーター、映像作家、デザイナー、英文学教師、弁護士、役者などの顔を持ち、なんと、英国の女王陛下にも、ウクレレの指導したことがあるという、ものものしい名前(だけど、メンバーは七人だけ)のこのバンドには、以前から、非常に興味をもっていた。だから、私の滞在中に、彼らのチャリティー・コンサートがあるとわかった時は、うれしくて、オックスフォード・ストリートを、おもわず、スキップしてしまったほどだ(うそだけど)会場となった、ユニオン・チャペルは、ロンドンの北側、Highbury&Islingtonという地下鉄駅の近くにある、由緒正しい、ヴィクトリアン・ゴシック建築の、石造りの美しい教会だ。ハリー・ポッターの魔法学校のような、高い尖塔があって、中に入って、上を見上げると、たしかに、天井がたかーーーーい(@_@;)会場となった、荘厳なユニオン・チャペルコンサート会場として、ひんぱんに使用されるせいか、祭壇脇の階段をあがっていくと、いきなり、バー・ラウンジが併設されていたりして、ちょっと、びっくり(^_^;)しかしながら、彼らの演奏は、本当に本当に、素晴らしかったー!その晩の出演者は、ベーシストを入れて、全員で七人。たしか、もう一人メンバーがいたのでは……とも思ったが、その晩は、参加しなかったようだ。彼らのウクレレ演奏の技術がどれほどか、というのは、うーん、私の場合、あまりにも素晴らしい、ウクレレ・プレイヤーたちの演奏を、ハワイで聞き続けているので、ちょっと、微妙なのだが……アンサンブルとしての彼らは、文句なく楽しくて、熟練していて、際立っていた。カントリーからジャズ、ポップス、何でもありの演奏で、一曲ごとに、会場を笑わせるギャグネタが入る。いちばん見事だったのが、ある人が、「枯葉」を弾き語りして歌い、次に、別の人が「白い恋人たち」を歌い、次の人が「ある愛の歌」を――と、最初は、ワン・フレーズずつ、順番に、歌を歌っていたのだが、いつのまにか、全員が、別の歌を同時に歌っており、それでも、見事に合っていたという(^_^;)魔法みたいなワザも披露してくれた。ウクレレ演奏だけでなく、全員が、歌い手であり、全員が、愉快なトークをするコメディアンでもあり、本当に芸達者で、インテリジェントな人たちの、集まりなのだなぁと思った。ライブの間中、観客を沸かせっぱなしというか、笑わせっぱなしで、エンターテインメント、つまり、人を楽しませるというのは、こういうことだなぁと、深く感心。冗談の大半は、おもに、イギリス人にだけ通じるような、時事ネタ、土地ネタなどだったため、私は、笑いのタイミングが、だいぶズレたが(^_^;)それでも、非常に楽しい時間を過ごすことができた。二人いる女性メンバーのうち、若いほうの女性、エスターさんが、ちょっとしたお知り合いだったので、楽屋を訪ねて、花束をお渡した。「ハワイで、ぜひコンサートをしましょうよ」などと盛り上がり、楽しいロンドンの夜はふけていった。
2004年10月06日
長い間、ロンドンを旅しておりましたが、日記を、ほとんど更新しないまま、ふらーりと、日本に、もどってまいりました。まず最初に、某出版社書籍出版部のK編集さま、何かと、ご心労をおかけいたしまして、誠に申し訳ございませんでしたm(__)m十二月に、私の本が出版されましたあかつきには、ぐーっとぐーっと、呑んだりしましょうね。よろしかったら、ロンドンのご案内もいたしますからね。あ、現地集合なんですけどもぉ……なんちゃって(^_^;)どうぞ、もうしばらく、ご指導のほどを、くれぐれも、よろしくお願いいたしますm(__)mまぁ、ぶっちゃけた話、ここ数ヶ月の大きな仕事が、まったくうまくいかなくて、精神的に、ぐいぐい追いつめられ、じつは、ちょっとした、ぷちウツ病ちゃん、になっておりました。うっ――ちゃかちゃかちゃん、ちゃかちゃかちゃん――マンボ♪などと、適当に、かまえていられればよかったのですが、根が、クソ真面目な性格なので、ここ数ヶ月、ほとんど外出もせず、とある仕事にかかりきり……そのうちに、過度のストレスで、体重は、十数キロもイッキに増えてしまい、体格はよくなったのに、なぜか、気力がなくなってきて――うっ――まじで、鬱状態に突入(^_^;)抜け殻のようになったまま、ヽ(^o^)丿私はだれ~、ここはどこ~(^^)/~~~と、魂が、ふらふらと、横浜市を浮遊しておりました。怖いでしょ?どこかで、見ませんでした?私の魂――(-_-;)懐の大きなモアイくんに、精神的に、たくさん助けられて、たくさん励ましてもらって……いろいろと話し合った結果、現地で、仕事をしながら、旅なれたロンドンに滞在する――という方法で、今回の鬱を、乗り切ることにしたのです。名づけて、「ストレンジャー・イン・ロンドン療法」。そして結果的には、私のような、旅するボヘミアン体質には、たとえ過酷な状況でも(^_^;)外国で、たった一人のアジア人になるということが、とーっても、よく効いたのです。ひぇーーーっ、ひぇーーーっ(;O;)と叫び声をあげつつ、ひどい目にあっているうちに、なにくそーーーっ、負けるもんかーーーっ、アジア人をナメんなよーーー、こらっ!と、負けじ魂がムクムクと湧いてきて、心身に、ぐっと、カツが入ったような感じ。油断すれば、命までとられかねないような、激しい「波」の襲撃も、まぁ時には続いたけれど、たった一人、世界の反対側みたいな島国(イギリス)で、孤軍奮闘することで、祈りつづけ、感謝しつづけることで、今までは見えなかった、見返りを何も期待しない人の、本当の優しさが見えてきたり、人の、本当の孤独のようなものが見えてきたり……甘やかされて、たっぷりと贅肉のついていた心身が、もう一度、だんだん、しまってきたような感じ――厳しいことが、たくさんあったけれど(^_^;)けがもせず、病気にもならず、無事、こうして、帰国することができました。じつは、ほとんど仕事していたんだけど、その中でも、いくつか、特筆もののデキゴトがあったので、少しずつ、日記に更新してゆきたいと思います。どうぞよろしく♪
2004年10月05日
皆さん、こんにちは(^o^)丿ただいま、英国はロンドンに滞在中の、Qちゃんでーす。日記を、ぜーんぜん更新しないので、お知り合いの皆様がたには、何かと、ご心配をおかけしたようですが、誠にどうもすみませんでした。私は、それなりに、元気にやっております。先日、ロンドンで、私が昔、とっても好きだった、ジャニス・イアンという歌手のコンサートに、行ってきました。ジャニス・イアンは、現在53才になる、アメリカ人女性で、たぶん、白人と黒人のミックス……そして、その昔、「Love is Blind」という、胸にがっつーんとくるような名曲を、日本でも大ヒットさせた、存在感のある、すばらしい歌手です。私は昔、この、「Love is Blind」という曲が、大好きだった。ピアノソロで、ゆったりと始まる、印象的なイントロを聞くだけで、おもわず鳥肌が立ってしまうほど、この歌は、私の心に、じんわりと染みてくる。私自身、へたれな歌手なのだが……世の中には、歌のうまい人は大勢いるけれど、その人の歌声を聞いているだけで、バイオリズムのあんばいによっては、泣けて泣けて仕方がない――などという歌手は、それほど多くはないと思う。ジャニス・イアンは、私にとって、そんな、数少ない「泣ける」歌手の一人なのだ。ロンドンのコンサートで、たぶん、十数年ぶりくらいに姿を見かけた、ジャニス・イアンは、その昔は、エキゾチックな、ものすごい美女だったけれど、現在は、自然のままに年を重ねた、ふくよかな、だけど毅然とした雰囲気の、小柄な年配女性という感じになっていた。アメリカのショー・ビジネスからは、完全に足を洗って、セクシーに見せようとか、いい女でいようとか、そういうルックス方面などは、もう、気にかけなくなったのかな、と思っていたら……ご本人が、MCで話していたところによると、じつは、同性愛者なのだとか。なるほど、それで、男前な雰囲気なのか。一見、男っぽい、普通のおばさんになっていた彼女。ところが――ぼろん、とギターをかきならし、ただ一声、歌い始めただけで、その場の空気を、一瞬にして、変えてしまった。その、すばらしい響きを聞いた瞬間、いきなり、だーーーーーっ、と、涙があふれてきて、コンサートの間中、ほとんど、止まらないでやんの。私は、すべての出会いは、意味のある必然、そして、神様のくれた奇跡なのだと、常々、考えているけれど……私と一緒に行った友達が、舞台に、ジャニスが現れた瞬間、「あっ、Qちゃんの、お母さんに似てるっ!」と、なぜか、いきなり言った。はっきりいって、私は、それほど似ていないと思ったんだけど(~_~;)その友達は、写真だけでしか、顔を知らないのに、なぜか、私の亡くなった母に、とってもよく似ている、と言うのだ。そんな前ふりがあって、そして、コンサート中盤――とある、私の知らない、美しいバラードを歌い始めた、ジャニス。英語の歌詞を聞いているうちに、がくんと、力がぬけてしまった。そして、激しい胸の動悸が、おさまらなくなった。いったん、勢いを弱めていた涙なのに、また、いっきに、押し寄せてきてしまった。なにせ、ジャニスが、こんな歌を歌うのだ。私は今も、亡くなった母さんの声を、よく憶えているの……だから私は、いつも、こうして歌を歌うたびに、心で、母さんの声を聞いているのよ私が、歌を歌うたびに、私は、母さんの声を聞いているのちなみに私は、へたれながらも、歌手をしている。そして、私の歌声を、とても愛してくれていた母を、昨年の夏、亡くしたばかりだ。私も、歌を歌うときは、いつも、母のことを考えている。そうか、私は歌を歌うとき、母さんの声を聞いているのか……私の声は、母さんの声なのか……私の歌声のなかに、母は、ずっと生きているのか……そんな想いが、胸にあふれて、ジャニスの歌を聴いている間中、私は、涙が止められなかった……高いお金を出して、コンサートを見に行って、ずっと号泣しっぱなしの私って、どうなのよ(-_-;)だけど、人気の最盛期を過ぎてもなお、人を慄然とさせる、すばらしい歌声……毅然としたその姿、そして、豊かに年輪を重ねた人の、迫力に満ちた、歌い手魂……すばらしいステージだった。深い感動に包まれた、ロンドンの夜だった。
2004年09月25日
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