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今日は、多摩キャンパス、九段サテライト、品川サテライトキャンパスを移動しながら、仕事をこなした。 午前は多摩キャンパスでマネジメントデザイン2の授業。今回までは導入ということでゆったりとすすめた。来週から本格的にやっていくつもり。 昼食時は学内の喫煙場所で学生課の杉本さんとマナー指導。教員と職員のペアで取り組みをしている。 午後は、九段サテライトで大学運営会議・経営会議・自己点検会議の合同会議。理事長、常務理事、学長も交えて一時間半ほどの会議。 夕刻からは品川サテライトキャンパスで大学院の秋学期の初回の授業。大学院の授業では13人ほどの社会人の受講生が来た。年齢は30代後半が中心。初めにこの授業についてのオリエンテーションを行って、その後、自己紹介となぜこの授業を受けるのかをテーマに一人づつ語ってもらい、その都度私からコメントをつけていった。 介護関係事業の部長。部下へ情報が伝わっているか何かヒントが欲しい、ビジネスモデルについて図を用いて表現できるようになりたい。 社会福祉法人などを経営する企業の経営企画室長。経営情報の可視化に挑みたい。 人事制度のコンサルタント。現状や課題を相手と共有する技術を磨きたい。 カード会社勤務。個人の人生に役立てたい。 人事関係(ハラスメントなど)の研修講師。今までのキャリアの見直しをしたい。立ち位置を明らかにしたい。を読んでいる。 大手印刷会社に勤務。久恒著「図解仕事人」(光文社)を読んで共感。 携帯関係大手企業の企画部門勤務。パワーポイントで図を描く風土があるが、図のできが悪い。ここを学びたい。 休学から復帰。修士論文に取り組んでいるが、複雑になってきて全体としての筋を通すことが難しい。 ファッションの物流を担当。周囲の説得と巻き込みに力を得たい。 宇宙開発関連法人の人事部門。知的護身術としての図解コミュニケーションを学びたい。 中国人エンジニア。日本人の考え方を知りたい。 いずれ行政のトップを目指す社長。 外資系医療企業でマーケッティングを担当。ファシリティマネジメントやコーチングを学んでいる。後半は、トライアルで実習をやってみて、感想や質問を受けてコメントを返していく。Facebookのグループをつくり、全員で感想などを書き込み、次の回までの二週間の間も、途切れることなくコミュニケーションを図ることになった。
2011/09/30
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寺島実郎監修リレー講座「現代世界解析講座 2011年秋学期」。総括テーマは、「21世紀初頭の10年を超えて」。各界の碩学を講師として迎え、リレー講座として日本と世界が置かれた歴史的位相を多面的な視点から再検討し、その今日的課題を解析するプログラムを構築する。本日の講師・寺島学長の講演はテーマ「2010年の夏の総括---世界は今どう動いているか」。 「それでもなお、原子力技術の蓄積は重要だ」とメディアで発言している。 この夏は日本が内向きになる中、意識的に外に出てみた。欧州、米国、、、。 欧州の金融不安はここ1-2か月が重要。ギリシャに端を発する欧州危機、この半月どう動くか、微妙。 縮小するアメリカ。この10年で石油価格は3倍、ドルの価値は半減。米軍兵士6200人に死亡。1.3兆ドルの戦費、総額で3兆ドルに。イラク・アフガンに出た結果として、イランシーア派が強大になってしまった。110622にオバマは「国内の国造りに集中すべき時だ」と語っている。 非加盟主体であったパレテスチナの国連加盟申請。アメリカは拒否権を使えるか。使うならばもはやリーダーではない。それはイスラエルとの心中の道。 超円高。この3年でドルは3割下落、ユーロは4割下落。アメリカ人の悲鳴。もはやホテルオークラに泊まれなくなっている。 日本は、避難通貨となっており実力(110円か)以上の円高で、微笑み鬱病。ほめ殺し状態。 現在の円高は、戦略的投資のチャンスでもある。メッセージ性の強い海外の大型買収などを仕掛ければ、これはまずいということで、円安に振れる。政府系ファンド。民間のM・Aを政府がサポートするなども。 米国。8月20日の与野党合意での危機脱出、11月23日までに2.1兆ドルの赤字削減策をまとめるという合意。国防予算の削減による縮軍へ。 米国は1859年のペンシルバニアでの油田発見に似た高揚感に包まれている。それは「シェールガス革命」。WTIの石油価格が下がっている。 頁岩の中のに存在している天然ガスを取り出す技術が進み、在来型とは違う天然ガスが手に入るように革新が進んできた。米国では天然ガスにどんどん切り替わっている。アメリカの新しい物語。 小型原子炉など原子力ルネッサンスは後退。グリーンニューディール(再生エネルギー)は萎みつつある(財政危機で政府助成が打ち切られている)。 ポーランドのシェールガス埋蔵量が凄い。今までロシアの天然ガスに首根っこを押さえられていたが、欧州がロシアのくびきから脱するチャンス。 北米、中米などもシェールガスの宝庫。 日本はカタールの天然ガスなどに触手を伸ばしているが、チャンスでもある。 中国は世界最大のシェールガス埋蔵量。世界最大の産出国である米国とシェールガスの開発協定を結んでいる。新しいパラダイム。 頁岩の中にたまっているシェールガスの回収は、水圧破砕という技術。大量の水が必要。そして汚水が出るので環境問題もある。環境ルールは2012年までにつくる。 米国にはFTAに入らないとシェールガスを売らないという流れもある。 それまではエネルギー源は鯨油だった。1859年の油田発見が1907年のT型フォードに発する自動車産業を支えた。石油を大量に使う産業を育て、それで20世紀がアメリカの世紀になった。油田発見以来の高揚感にある。 来週月曜日からエネルギー調査会が始まる。--------------------------リレー講座が始まる前に、学長と重要案件の相談と意見交換。本日の田村学園理事会の話。大分県出身(佐伯)の前グーグルの村上憲郎さんの話題も。-------------------------ホームゼミは実質的な初回なので、夏休みをどう過ごしたかというテーマで全員に話をしてもらった。バイト、インターンシップ、国内・海外旅行、、、。その後、各グループで議論。来週から本番。
2011/09/29
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午後からAO入試の面接官として同僚の清松先生と男女二人の受験生を担当した。多摩大は「現代の志塾」という教育理念に沿って運営されており、経営情報学部のAO入試は「志入試」として、受験生の志の有無、内容などをテーマとした面接を行っている。そもそも「志」という言葉を知らない高校生もいる。親にアドバイスを求めたり、自分で辞書を引いたりしながら、既に自分の志を固めていくという作業を終えているので、30分の時間も速く過ぎていく。今日は、松本先生、豊田先生、趙先生、中庭先生と懇談。道の駅、履修モデル、就職などが話題になった。----------------------夜は、銀座日航ホテルでビジネスマン時代の同僚と上司と待ち合わせる。近くのバーで3人で久しぶりの会話を楽しんだ。元上司は大学の教授をしていたが、今は引退し、毎夏イギリスに通っている。元同僚は、ビジネスマナーの会社を起こし社長をしており、全国を飛び回っている。いろいろな人の消息を聞いた。事業を起こしている人、大学で教えている人(桜美林、拓殖大、、)、ハーブ農園を運営している人、亡くなった人、、、。------------------------相田みつをのことが新聞に出ていた。相田みつを美術館には、銀座にあった時代、そして移転した東京国際フォーラムには何度か訪れている。館長は息子の相田一郎さん(56歳)。以下、一郎さんの観察。 「書は余白の芸術」とミリ単位で切り取りの寸法を決めていた。「数ミリに命をかけているんだ」 必ず最上質の筆、墨、紙を使った。練習という概念はなく、何百枚と書いた中から最上の一作を選び、他はすべて燃やした。「世の中に必要なものであれば、どういう形であれ、残っていく。必要ないと判断されれば残らない。」だから美術館とか記念館を作ろうなんてゆめゆめ思うなよ、一人さんはとクギを刺されていた。しかし、実物を見たいという問いかけが多く、美術館を開設してしまう。短歌と禅と書を学んだ相田みつをは「にんげんだもの」(文化出版局)を60歳で出版する。この本は編集者がいずれミリオンセラーになりますよ、と言っていた通り多くの人が手に取った。みつをは67歳で亡くなっており、そのことを知らずに旅立っている。
2011/09/28
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大学ではゼミの選択が重要だ。先生や分野を選ぶことになるので、後々大きな影響が出て来る。10月中ごろに説明会があるので、配布資料の準備にかかる必要がある。昨年の資料を改変するというスタイルでつくってみたい。以下、修正版作成の途中の資料。来年はどんな学生と会えるだろうか。---------------------------久恒ゼミ (顧客満足ゼミ)*久恒ゼミとは?*行政、ビジネス、教育などあらゆる分野でのコミュニケーションの手段は、文章と箇条書きが中心である。文章最大の特徴はごまかしができることである。また箇条書きはそれぞれの項目の大小、重なり、関係を示すことができない。「関係」を意識する図解コミュニケーション力を鍛えるもっとも大きなメリットは、「考える力」を身につけることができる点である。ゼミ生は実戦経験を重ね、卒業までに考えるための強力な武器を自分のものにすることができる。久恒ゼミ(顧客満足ゼミ)の図解 http://www.hisatune.net/html/01-kyouiku/tamadai/hisatune_zemi.html*普段のゼミ*先生からもらうマーケティングや図解に関する本を1章ずつ読み取り、それをパワーポイントで図解作成し、ゼミ生同士のグループで発表します。プロジェクトごとにフィールドワークを行うこともあります。そうすることにより図解コミュニケーション能力や対人コミュニケーション能力を鍛えることができます。またゼミ生は毎日の大学生活で勉強したことや、感じたこと、重要なことを個人のブログに綴っています。ゼミ生のブログは多摩大学のHPで確認できます。*ゼミ生の志* 久恒ゼミのゼミ生はみんな志を持っています! 私の志は、エコ活動を通じて社会貢献することです。 私の志は、スポーツを通じて社会貢献することです。 私の志は、図解を通じて社会貢献することです。 私の志は、米軍基地問題を通じて社会貢献することです。 私の志は、ゼミを通じて社会貢献することです。*活動実績 http://www.hisatune.net/html/01-kyouiku/chiiki/index.htm・顧客満足視点に立ち、地域の課題解決の提言書を作成、解決にあたる。 2008年度実績:旧多摩聖蹟記念館の来場者アップの提言を多摩市役所へ行う。 http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20090304 2009年度実績: ・長池公園(八王子市)開発プロジェクト ・多摩焼きものプロジェクト ・東京ヴェルディプロジェクト 2010年度実績: ・多摩やきものプロジェクト ・東京ヴェルディプロジェクト ・オーラルヒストリープロジェクト 2011年度:以下に取り組んでいます。 ・多摩焼きものプロジェクト ・東京ヴェルディプロジェクト ・広報プロジェクト(多摩市防災マップ作成、、) *久恒ゼミメンバー*ただいま・・・4年生・・20人 3年生・・・7人 2年生・・・23人<久恒先生からのメッセージ> 今、『志』を持っていますか?多くの可能性を秘めた大学生には『・・・になりたい』という単なる願望を述べた夢を持つに留まって欲しくありません。あなたの目の前に居る人や社会に対して喜びをあたえたい、『・・・になるぞ!』という想い、志を持ってほしい。 本人の責任でないことで不利な扱いを受けるという社会の不条理をなくし、社会の進歩にいささかでも貢献することに、自らの能力と技術を活かした仕事を通じて関わりたいと思って欲しい。志を抱くのは人、志を受け継ぐのも人、そして志を完成させるのも人です。 そう考えると、志のない人は人とは言えないのではないのでしょうか。利害、得失、損得、有利不利・・・そういう打算は人間を小さくさせてしまいます。 志をたてる、志を磨く、志を持続する。そういう日々を通じて、『これこそが私の仕事だ』というものを見つけてほしい。 久恒啓一<久恒先生プロフィール>久恒啓一(ひさつね・けいいち)多摩大学経営情報学部教授 http://www.tama.ac.jp/大分県中津市生まれ 九州大学法学部卒業。昭和48年日本航空株式会社入社、広報課長、サービス委員会事務局次長を歴任。ビジネスマン時代から「知的生産の技術」研究会(現在はNPO法人)に所属し著作活動も展開。早期退職し、平成9年4月新設の宮城大学教授に就任。平成14年に日本経済新聞社から出した「図で考える人は仕事ができる」がベストセラーに。NPO法人知的生産の技術研究会理事長。16年度より中国・吉林大学客員教授を兼務。平成20年度より多摩大学教授。宮城大学名誉教授。久恒啓一図解Web:http://www.hisatune.net/ すべてはここに!!ソーシャルメディア関係は以下。・ブログ「今日も生涯の一日なり」:http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/ 毎日更新中!・ツイッター:http://twitter.com/hisatune・フェイスブック:http://www.facebook.com/hisatune・フェイスブックページ:http://www.facebook.com/keiichi.hisatune?ref=ts・Google+:https://plus.google.com/・中国の「人人網」と「Weibo」にも参加。
2011/09/27
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NPO法人知的生産の技術研究会(知研)の例会セミナーを九段の文庫カフェで開催。テーマは、「英語力」。2人のうち1人の講師は、会員でもある池辺八洲彦(筑波大学名誉教授)さんを予定していたが、事情により「英語力本当のところ 入門」http://iiamsurf.u-aizu.ac.jpの共同著作者である娘さんの池辺淑子さん(東京理科大准教授)につとめていただいた。TOEIC980点。またもう一人は、同じく会員の水谷弘隆さんでこの9月から外資系のノボノルディスクファーマ(株)に転職した。旭化成勤務から、英語に挑戦したことによって36歳での英国留学、転職、著作活動(現在2冊。新作「30歳からの英語勉強法」)と人生が展開しつつある人だ。TOEIC920点。池辺さん。 英文書制作の全行程。1.素材を準備。2.視点を決めて組み立てる(図解は有力ツール)。3.英語で表現する(図解をもとに直接英文を制作も) 三種の神器。1.電子辞書:セイコーSR G10001(30種類の辞書を内蔵)。2.ワトキンス辞書(先史語源と派生語の系統的分類)。3.寺澤芳雄 英語語源辞典(通常語源の解説)。 多読のすすめ:アガサ・クリスティ。水谷さん。 グローバル人材は800点。求めるレベルが600点から730点にあがってきた。 英語の社内公用語の動き。採用企業はランキング急降下。だが、公用は会議等、会社で使う英語は限定的、努力と慣れでなんとかなる。 Globish(1500語でOK,,) Language8 skypeの利用(フィリピン、、) 茅ケ崎式月刊英語教本 TOEICは毎回受験終了後は、懇親会。このところ随分と英語から離れているが、これを機会にまずツールをそろえてみようか。文庫カフェの本棚。
2011/09/26
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土曜日。 教授会。秋学期が始動! 秋の卒業式。秋の卒業生11人の卒業式。就職状況を聞いてみたら、船舶関係のの営業、自動車メーカーの関連会社、、、など。変わり種は、アクション俳優として身を立てる学生。千葉真一のプロダクションに入る。まずは仮面ライダーなどから出発するらしい。小柄だが肉体は鍛えているとのこと。デビューが楽しみだ。 斉藤T先生、金先生と懇談。(昨日は、今泉先生、出原先生、酒井先生と。) 夜は妻と外食(イタリアン)日曜日。 八王子夢美術館。「土門拳の古寺巡礼」を観る。 東京富士美術館。常設の西洋近代画を観る。-----------------------------------f:id:k-hisatune:20110925202658j:image「写真の鬼」「撮影の亡者」と言われた土門拳(1909年生まれ)は酒田出身で、素晴らしい記念館が酒田にある。ずいぶん前に訪れたことがある。戦後の子供を描いた「筑豊のこどもたち」という写真集には感銘を受けた。この写真集は10万部以上という異例の売れ行きだったそうだ。土門は画家志望であったが、仕事を転々とする。母が24歳の時に写真場の内弟子に世話をしてくれ、それが終生の仕事となった。親友の水澤澄夫によれば、厳しく指導した名取洋之助というカメラマンは土門にとってこの上ない師匠だった。この名取とは、雑誌「LIFE」の宇垣外相の写真掲載で袂を分かつ。戦時色が強まる中、土門は仏像と文楽というテーマに打ち込んでいく。室生寺から始まる古寺巡礼と、特に日本文化の宝とも言うべき人形の文楽は1941年から43年頃に没頭する。戦後、フリーになった土門はなにげない「日常」をモチーフとした写真を推奨し、子供の写真などを撮るアマチュア写真家を励ましている。土門はスナップ写真の名手だった。それは写真集「江東のこども」を見れば了解きる。土門の仕事の中では、人物写真も優れている。志賀直哉、谷崎潤一郎、高見順、会津八一、梅原龍三郎、尾崎行雄などの顔写真を撮っているが、いい顔、立派な顔という意味で、土門は志賀直哉の顔を挙げている。その後、土門は社会派に転ずる。砂川闘争、原爆ドームや被害者を描くヒロシマ、。報道写真家として活躍する。「ヒロシマ」では毎日写真賞や東ベルリン国際報道写真展金賞を獲得している。1960年には写真集「筑豊のこどもたち」を刊行し、終戦直後の石炭の没落の中、ボタ山で遊ぶ子供たちを活写している。この作品は以前訪ねた酒田の土門拳記念館でもっとも印象に残った写真集だった。私たちの子供の頃の様子、兄弟や友達の姿を彷彿とさせる懐かしい写真集だった。しかし、仕事に脂がのってきた50代を迎えた土門は軽い脳出血に襲われる。これ以後、土門は古寺、仏像にのめり込んでいく。土門の写真の特徴はライティングにある。光を局部にあてて対象の本質を浮かび上がらせるという独特の方法である。1968年の50代の終わりに脳出血をし、車椅子での撮影を余儀なくされる。念願にの「雪の室生寺」を撮ったのはこの頃だ。54才では豪壮で壮麗な大判の「古寺巡礼」の第一集を刊行する。このシリーズは第五集で完結するが、それは66歳の時である。ライフワークとなった「古寺巡礼」では、菊池寛賞を受賞。67歳になって今度は室生寺をカラーで撮影する。「ひとりの日本人のみずからの出自する民族と文化への再認識の書として愛惜の書として世に残すことができた」「被写体に対峙し、ぼくの視点から相手を睨みつけ、そしてときには語りかけながら被写体がぼくを睨みつけてくる視点をさぐる。そして火花が散るというか二つの視点がぶつかった時がシャッターチャンスである。パシャリとシャッターを切り、その視点をたぐり寄せながら前へ前へとシャッターを切って迫っていくわけである」(「車椅子からの視点」)「造形物であるからといって、形に捉われては駄目だ。仏像の精神をまっとうに追及することが必要なのである。」(「仏像を撮るには」より)母なる室生寺、別名は女人高野は空海が再建した寺である。土門にとってこの寺は古寺巡礼の原点であり、そして最後の「絶写」もこの寺だった。40数年間何十回も通い続けた。この寺の弥勒堂釈迦如来坐像の弘仁仏は天下一の美男だ。土門は「これでいい」というところまでとうとう行けなかったと述懐している。70歳では朝日賞、仏教伝道文化賞を受賞。土門は終生、日本と日本人を追いかけた。豪壮で強いもの、そして日本的であるもの、そういうものを土門はテーマとして追及した。以下、35年間にわたって古寺巡礼を続けてきた土門拳が好きなものを挙げる。一度は訪ねてみたいものだ。建築では懸崖造りの三仏投入堂、薬師寺三重塔、室生寺五重塔、高山寺石水院。仏像は、木像では神護寺本道の薬師如来、金剛仏では薬師寺東院堂の聖観音、石仏では臼杵の磨崖仏群。1979年、70歳で脳血栓。その後はカメラを持つことは出来なくなった。74歳で、故郷坂谷土門拳記念館が開館する。1989年、」80歳で永眠。宗教学者の山折哲夫は、「土門拳の肉眼はレンズを通して、レンズを超えるということだろうか。。。氏の肉眼がレンズそのものと化し、レンズの鏡面に氏の肉眼が内在しているのである。」と分析している。横尾忠則は、「芸術家は自らが選んだ対象を主題にする場合、その対象といつしか一体化していくものである。そしてその対象の中に自己を探ろうとするのだ。土門拳の場合でいえば仏像の中に自己の本体を発見するそんな想像の旅が彼の運命が求めたものであったのではないだろうか」という。これこそまさに巡礼である。芸術家は巡礼者であろう。この企画展を観て、「巡礼」と「代表作」というキーワードが私の頭に残った。
2011/09/25
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2005年2月12日に「青葉城。正宗・晩翠・藤村・魯迅・次郎」というタイトルでブログを書いている。仙台の青葉城のあたりを散策したときのことを書いたのだが、その中で魯迅碑について4行ほど説明している。この説明について、2001年9月17日付で「楽天ブログ」の方に「日中友好協会宮城県連」から間違いの指摘があった。「詳細は『仙台における魯迅の記録』(平凡社)参照のこと」という付記がついていた。さっそく、この厚い本を取り寄せて本日ほぼ読み終わった。魯迅の碑は、1960年12月4日に青葉城三の丸跡の仙台市立博物館の前庭に建立された。魯迅記念碑建設委員会が各方面から浄財を集めて建立したものである。「魯迅の碑」の文字は、郭沫若の書である。碑文では「中国の文豪魯迅は、、、仙台医学専門学校に学んだ。しかし 故国の危機に心をいため 民族の魂を救うことが急務であるのを知り 文学に志すようになった、、、、、」とある。1961年の除幕式では中国婦人代表団団長として来日した許広平女史が挨拶をしている。その挨拶の中で「魯迅の晩年は日本に再遊したい希望を持っていた。日本の景色の美しさをよく思い出し、もう一度日本へ行きたいというのが私のずっと考えていることですと言っている。」と述べている。さて、この「仙台における魯迅の記録」は実に興味深い書物だった。「仙台における魯迅の記録を調べる会」の綿密な調査が行われたことがわかる労作である。特に後の魯迅、周樹人の仙台での生活と、彼に影響を与えた「藤野先生」に関して詳しく知ることができる。後の魯迅、周樹人についての級友たちの印象。 おとなしくて、おちついたまじめな人だった。 ま、しっかりしたひとだたでしたな。 おとなしくまじめな青年 きちんとした端正な学生さん周樹人の下宿「佐藤屋」は広瀬川沿いの高台にあり、このとき私も訪ねた。魯迅は作品「藤野先生」の中で、藤野先生はノートをあずかり2、3日後に反してくれた。そのノートを開いた時の感動を書いている。「なんと、私のノートははじめからしまいまで、全部朱筆で添削されてあり、多くの脱落した部分が書き加えられてあるばかりか、文法の誤りまで、一一訂正してあった」。「彼の写真だけは、今なお北京のわが寓居の東の壁に、机に面してかけてある。夜ごと、仕事に倦んでなまけたくなるとき、仰いで灯火のなかに、彼の黒い、痩せた、今にも抑揚のひどい口調で語り出しそうな顔を眺めやると、たちまち私は良心を発し、かつ勇気を加えられる」「幻灯事件」。級友たちの回想によると、周樹人は日露戦争の時に支那人が銃殺される場面を見て同胞が笑っていた姿を幻灯で見た時に、民族の魂を救うことが先決だと悟った。その幻灯は、授業の後に時間があるときに階段教室6号教室で見たとのことだ。藤野厳九郎が「謹んで周樹人様を憶ふ」で亡くなった魯迅を追憶している。(「文学案内」昭和12年3月号。) 私は時間が終はると居残って周さんのノートを見て上げて、あの人が聞き違ひしたり誤ってゐる処を訂正補筆したのでした。 私は少年の頃、福井藩校を出て来た野坂と云ふ先生に漢文を教えて貰らひましたので、とにかく支那の先賢を尊敬すると同時に、彼の国の人を大切にしなければならないと云ふ気持ちがありましたので、これが周さんに特に親切だとか有難いという風に考へられたのでせう。 僅かの親切をそれ程までに恩誼として感激してゐてくれた周さんの霊を厚く弔ふ、、。魯迅の「藤野先生」は、福井出身で愛知医学校を卒業しており、27歳で仙台医学専門学校に赴任する。3年後に教授となり、その直後に23歳の周樹人が入学してくる。藤野先生は30歳の若さだった。河北新報に、清国官費留学生二人(周樹人を含む)の二高入学許可の記事と、「清国留学生と医学校」というタイトルで、「当仙台医学専門学校にては清国留学生(官費)周樹人に9月11日より入学を許可したり、、」との記事が載った。この記事は見たことがある。その後、仙台医専は東北帝国大学医学専門部となり、そして医学専門部は東北帝大医科大学に昇格する。この斎、学歴上資格がないという理由で辞職せざるをえなくなる。外国留学経験があるか、東京、京都両帝国大学出身者のしか医科大学の教授にはなれなかったのだ。このとき藤野は41歳。藤野厳九郎は、42歳で東京神田和泉橋の三井慈善病院耳鼻科に入局。43歳、郷里の福井で開業している。44歳、「北京医大」の教授に招かれたが「今さら、、」ということで断る。61歳、「魯迅選集」を手に取る。62歳、「謹んで周樹人様を憶ふ」が「文学案内」に掲載される。71歳、永眠。福井市に1961年に藤野厳九郎記念碑は建立される。その碑文には、「先生は世には無名の人 己には極めて偉大の人」という魯迅の言葉が刻まれている。今後。 福井の藤野厳九郎記念館を訪問すること。 太宰治の小説「惜別」を読むこと。
2011/09/24
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昨日に引き続き、夜は開高健のBS番組を観た。開高はルアー一筋の釣師だった。本物の餌を使わずに、針が付いていて、動きや色、匂い、味などで、直接魚を誘うものがルアーだ。開高によれな餌釣りは老人と子供のやることだそうで、大人はルアーフィッシングに限るとのことである。それは、仕掛けをし、攻める釣りであり、知恵比べである。だから首尾よく釣った獲物は、すぐさま海、湖、川に戻してしまう。モンゴルの幻の魚・イトウや難物のブラックバスなどに挑戦した映像が目を楽しませてくれた。ブラックバスは賢く、かつ獰猛な魚であるが、餌に食いつくというより、縄張りを守るために突進してくるという面もある。番組に登場したC.W,ニコルさんによれば、「開高さんは、ヘミングウェイみたいな人」だった。-------------------大学で秋学期の初講義だったが、前後でいろいろな人と談笑。特任教授の菅野先生。学生の親御さんとの面談。教員ラウンジで今泉先生、出原先生、酒井先生。--------------マネジメントデザイン論2(立志人物伝)の初講義のオリエンテーションには、休日(秋分の日)にもかかわらず140人ほどの受講生がいた。以下、講義メモ。◎夏休み?〇出版:8月「人生の道を拓く言葉130」(日経ビジネス人文庫)〇東北「道の駅」現地調査:9月5日―10日〇人物記念館の旅:14人大岡信・芹沢光次良・若山牧水・藤島武二・岡田三郎助・梅屋庄吉・空海・松前重義・開高健・川上音二郎・貞奴、、。◎マネジメントデザイン2新カリキュラムでの位置づけ=志・立志人物伝海外旅行=「文明の生態史観の旅」(梅棹忠夫)第一地域と第二地域 西欧と日本 最終戦争国内旅行? 観光とグルメの旅に疑問=人物記念館の旅!(2005年から7年目) 近代(明治・大正・昭和)に活躍した日本人を訪ねる旅累積444館(今年54館):HPを見せる百説(100館)・聖人巡礼(200館)・300館(ライフワーク)いかに歴史を知らないか! 人は必ず死ぬ!ブログで訪問記・毎日が総合学習・ブログ2500日超成果志(ディスカバー21)2009年 遅咲偉人伝(PHP)2010年 人生の道を拓く言葉130(日経ビジネス人文庫)2011年〇本物の条件=7つの共通項:師匠・友と敵・志・仕事量・修養・構想力・日本回帰〇人生のロールモデルを見つけよう!講義と実習(人生鳥瞰図)。 実習にやや重きを置いていくか。名言にやや重きを置いていくか。最終レポート=モデルの人生鳥瞰図と説明の文章〇マネデ1=図解コミュニケーション=アタマの革命 マネデ2=立志人物伝=ココロの革命●授業のやり方: 出席重視(出席50・レポート25)・最終レポート25----------------------授業最後のアンケートでは、「どのように夏休みを過ごしましたか?」と「この授業への期待と決意」を聞いた。以下、大学生の夏休みを概観。素晴らしい経験。飛翔し視野拡大。旅行3回とゼミ、湯河原・伊豆・軽井沢、そしてインターンシップ。バイトと遊び。奈良旅行と検定の勉強。二輪の免許。ゼミ活動で毎日大学。毎日ゼミ活動。タイムマネジメント不足を反省。海・花火・旅行・飲み会・ライブ。読書不足を反省。朝バイトで早起き。ゼミ合宿で勉強で有意義。収穫が多かった。家にいました。バイト漬け。家でゴロゴロを反省。ゼミとサークル。旅行。計画性がなかった。大学生活を満喫。充実。目標を持ってしっかり行動できた。バイト。車の教習所通い。秋の学園祭の準備に没頭。良いバランス。実家。無為な時間。ゼミ合宿。ドラッカー本を読み終えた。学園祭の準備。大阪・京都・沖縄。岡山と福岡。あっという間。サッカーコーチになるための活動。東北のボランティア。バイクを購入。剣道とエレクトーン。昼夜逆転。女子旅行等充実。妄想。旅行・バイト・彼女・バンド。グアム旅行と高尾山登山。グアム・軽井沢・高尾山。大阪と京都。キャンプ。視野の拡大。テニス合宿・キャンプ・ドライブ。祖母の手伝い。車の免許取得。ゴルフ。
2011/09/23
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BSで開高健の番組をやっていた。30年前に51歳の開高はアラスカのベーリング海峡のセント・ジョージア島でオヒョウという巨大魚(現地語ではハリバト)を釣る。そして毎日そのオヒョウのすべてを食べ尽くすため料理人を連れて行く。当時29歳の谷口博之だ。その谷口はその後の一緒の冒険行で開高のしゃべったことをすべてテープに記録することを思いつく。その初公開の開高肉声を交えながら番組が進行していく。『27歳で作家になった。それ以来、書斎にこもって文章を書く生活を送ってきた。家族が寝静まった夜に机に向かう。まるでオケラかモグラのような生活だ。酒だけがなぐさめだ。頭から腐っていくような気がする。だから37歳から魚釣りに出かけるようになった。」これが人気連載「オーパ!」の始まりだったのだ。世界の秘境での釣りを通じて自然と人間を語る連載は人々を魅了した。集英社文庫の扉には「何ごとであれ、ブラジルでは驚いたり、感嘆したりするとき、「オーパ!」という。」とある。「危機と遊び」を体験する中、驚きと感嘆にによって、生きているという実感を得ることができるのだろう。「それが人生だ」という開高の言葉が聞こえてくるような気がする。----------------------------中津の同人誌「邪馬台」の代表をつとめていた宇都宮靖先生(昭和8年・1933年生まれ)の64歳の時の句集「周防灘」を帰省した時にもらった。名前は母からよく聞いていたが、お会いしたことはないが、教師であり、剣道の達人と聞いている。その句集を読んだ。風格と味わいがある句が多い。いくつか心に残った句をあげてみる。 厨より パン焼く匂ひ 武具飾る 火の国の手荒き迎へ日雷 帰省子の声の道場破りめく 初老とは風に色ある秋桜 古飯盒まだ捨て切れず敗戦日 師に会ひて冬の夜風のやはらかし 手詰まりを強気で鳴らす除夜の鐘 口下手な弔辞が泣かす柿若葉 夫婦とも頑固ではやる種物屋 行きずりに鱧鍋の店問はれけり 行年二十五戦士の兄の墓洗ふ 教へ子に喪中がひとり年賀状 わが戦史書かねば死ねず天の川 盆僧の軽口の度過ぎにけり 敵のあることも生甲斐冬構 寒釣りの男に鉄の匂ひせり 余生とは浅目に被る夏帽子 らっきょうに逃げられてゐる老いの箸 家系図にわが名書き足す松の内 教へ子も還暦といふ初稽古 二代目の決まりてはづむ寒稽古 生まれ来る者を待ちをり春の月 10歳から俳句を始め、十年に一冊づつ句集を出してきた宇都宮先生は、本人のあとがきによると11年間に1万6千句ほど作っている。それがこの句集では320句に絞られている。計算すると一日平均4.4句になる。朝、昼、夕、夜とそれぞれ俳句を詠んできた日々だったということになる。教師という職業を持った、剣道と俳句の名人という立派な人生だ。------------------------秋学期が始まった。今日のゼミはどのように夏休みを過ごしたかを聞いてみた。
2011/09/22
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茅ケ崎市美術館で「川上音二郎と貞奴展」が開催中だ。茅ケ崎はこの二人が家を建てて住んでいたことと、音二郎の没後100年、貞奴の先端140年であることにちなみ記念展覧会を催した。茅ケ崎は政治家や大富豪が田舎の別荘を建てる土地として開けつつあった。この美術館は、鉄道の駅と海の間を走る主要道路の近くにあり、松の木が多くある美しい林の中にある。この地がこの二人が過ごした場所である。音二郎40歳まじか、貞奴は31歳だった。新居の晩松園は貞奴の若い頃のパトロンだった伊藤博文がつけてくれた。f:id:k-hisatune:20110918151847j:imageマダム貞奴(1871年生まれ)という俳優として欧米で有名な女優は、葭町の芸者であった。葭町は今の人形町にあたる。あの吉原である。貞奴は生涯に於いて二人の男性と縁を結ぶ。一人は、夫であった気鋭の演劇改革家で新派を創生したオッペケペー節の川上音二郎(1864年生まれ)であり、もう一人は初恋の相手でもあり後に愛人として晩年を過ごした電力王・福沢桃介(1968年生まれ)である。「向こう見ずな人」と奴が述懐した音二郎は、川上座を立ち上げ、その後国会議員に立候補し落選、そして破産する。貞奴はどんなに突飛な案であっても夫を誠実に支持していた。日本の妻であった。f:id:k-hisatune:20110922064101j:imageある人から劇団を率いてアメリカで巡業することになり、総勢19名で1899年に神戸から出航する。川上の女房として手伝いに行くだけのつもりであった。しかしアメリカでは女優がでなければならない。貞奴は女優にならざるを得なくなる。川上一座は西海岸、東海岸などで数々のトラブルに見舞われながらも、ともかくもアメリカで成功する。折からの日本ブームの中、ワシントンでは小村寿太郎公使の引きでマッキンリー大統領にも会っている。そしてロンドンに乗り込み話題になり、ヴィクトリア女王と謁見している。彼らは万国博覧会が行われているパリに行く。貞奴の美しさと華麗な演技はヨーロッパ人を虜にした。19歳の彫刻家ロダンは快活で驚くほど完璧な芸術である貞奴に彫刻にしたいと申し出たが、断られている。31歳の作家アンドレ・ジードは、貞奴の演技を6回見ている。作曲家ドビッシーは貞奴の琴の演奏を危機、交響詩「海」に取り入れた。画家ピカソは貞奴のポスターを描いている。作曲家プッチーニは「蝶々夫人」を書いていたが、貞奴の演技をみて骨格に命を吹き込むことに成功した。画家パウル・クレーは、「全てが愛らしい。本物の妖精だ」と語った。1年1か月のヨーロッパ滞在中、71都市で、休みなく一週間に7日の講演を行った。空前の歴史的巡業となった。ジャーナリストのルイ・フルエニは、1889年の博覧会の目玉はエッフェル塔であったが、1900年の万博の目玉はマダム貞奴だったと最大級の賛辞を送っている。慶応の学生だった福沢桃介は、14歳の貞奴の乗っていた馬の暴走をとめて貞奴を救った。それが互いの初恋の相手となった。桃介は福沢に見込まれて愛娘ふさと結婚する。福沢の悪意のある支配から脱するために苦悩する。桃介は株取引によって富豪になった。音二郎の大阪「帝国座」建設の頃からスポンサーの一人となった。この頃から二人は再会する。音二郎は病に倒れる。帝国座の「この舞台に起つべき模範俳優を養成したい(のが)おれの理想だ。もしおれが死ねば、お前(貞奴)はおれの遺志を継いでくれろ」と遺言を遺している。f:id:k-hisatune:20110922064131j:image47歳の貞奴は、ただの川上貞として50歳の桃介と暮らすようになる。出会ってから30年以上の歳月が経っていた。桃介は経営危機にある会社を立て直す名人であった。速い川の流れの多い日本は水力発電に適していると考えた桃介は、電力王になっていく。貞奴はその桃介を助けて木曽プロジェクトや大井ダムを成功させている。彼は70を超える会社の社長となった。貞奴自身も、川上絹布会社を設立、川上児童楽劇団、女優養成所などの事業も展開している。貞奴がヨネ・ノグチ(野口米次郎・イサム・ノグチの父)などから受けたインタビューを読むと、外国の演劇や国民性についての観察は鋭く、優れた知性の持ち主だったことがわかる。-貞奴62歳の時に、20年以上一緒に暮らした桃介をふさのもとに返す。そしてそれから10年以上経った貞奴は1946年に75歳の生涯を閉じた。 兎も角も隠れすむべく野菊かな
2011/09/21
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郷里・中津市の文化総合誌「邪馬台」の2001年秋号が届く。この同人誌は発刊45周年を迎えた。季刊で通巻180号だからこの間、一度の休みもなく続いている。今号も176ページあり、評論、詩、漢詩、旅行記、随筆、自分史、研究、短歌、川柳、俳句、創作というジャンルがあるからまさに文化全般にわたっている。リーダーの交代、財政の危機、そして超高齢化などの危機をその都度乗り越えて文化の継承という難事業に挑んでいるのは立派である。中津の出身者は、故郷の息吹を感じるこの雑誌を読むべきだろう。私はこの同人であり、最近は「人物記念館の旅」を連載している。今号は「高村光太郎」だ。今回、代表の相良照博さんの「邪馬台相関45周年を迎えて 継続は力なり」の中で、「現在では投稿者が多くて充実してきている。とくに多摩大学教授久恒啓一氏の「人物記念館の旅」は好評で、著作活動は活発で既に百冊の出版を成している。」と紹介していただいた。また、「編集後記」では、松井義弘さんから「連載では「福澤諭吉の皇室論」」と「人物記念館の旅」「戦後65年・邯鄲の夢」に注目するところがあった。」との評もいただいた。 11月に創立100周年を迎える母校・中津北高での里帰り講演のテーマは、キャリアデザインにしようか。 南太平洋のサモアにJICA(国際協力機構)から廃棄物管理分野のプロジェクトコーディネーターとして派遣されている加納さんから、研修成果を生かしているという報告が届いた。プロジェクトのアシスタント(秘書)を雇用した際の冒頭のブリーフィング時に図解コミュニケーションを用いて説明をし、非常に短時間でスムーズに理解してもらえた。本人からも「分かりやすくてよかった。ありがとう。」と感謝されたとのことだ。「プロジェクトが11ヵ国にまたがり内外の関係者が非常に多く複雑であるため、文章での説明が適さないと判断した。」「また私自身の決して流暢とは言えない英語力では、言葉だけで伝えることに自信がなかったため、図解を用いた。」というのが図解を用いた理由であるが、JICAで通年で行っている研修はまさにこの目的のためなので、嬉しい報告だ。サモアでは、「図解コミュニケーションは非常に有効なのではないかと考えております。」とある。モザンビークの藤島さんからは、プロジェクトの組織を図解による説明資料を作成しているとの報告と、現地での様子がわかる文章が届いている。 今週から秋学期の授業が始まるので、準備。 開高健「夏の闇」を読了。
2011/09/20
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人によって心に響く言葉は違う。人が好きな言葉はその人自身を形成している。最近の収集から。開高健 危機と遊びが男を男にする松前重義 敗戦興国岡田三郎助 残るものは絵だけだよ。絵かきはそれで能(よ)いのだよ若山牧水 足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる井植歳男 困難にあわない人生はあり得ない。もしあるとすれば、それは怠けている証拠である。豊田佐吉 狂と呼び、痴と笑うも、世間の勝手じゃ。細井平洲 勇なるかな、勇なるかな、勇にあらずして何をもって行わんや北里柴三郎 終始一貫佐藤忠良 段取り半分奥村土牛 人間の出来ている人の描いたものは絵でも矢張り出来ている。三岸節子 絵を描くことは、長く遠く果てしない孤独との戦いである。城山三郎 静かに行く者は健やかに行く。健やかに行く者は遠くまで行く。加山又造 日本独自の何かをつくってみようとね。できなければ、その芽だけでもつくっておいてやろうと思う中川一郎 真実一路牧野富太郎 私は草木の精である植村直己:私は精神的に弱いので、逆にそれを人にさらけ出して、どうしてもやらざるを得ない状況に自分を追い込んでゆくのである。金田一春彦 春風秋雨是人生ピカソ 私は自伝を書くように絵を描く平櫛田中 六十、七十、洟垂れ小僧 男盛りは百から百から熊谷守一 たとえ乞食になっても絵かきになろういわさきちひろ 自分がやりかけた仕事を一歩づつたゆみなく進んでくのが不思議なことだけれど、この世の生き甲斐なんです。堂本印象 最初にそれがとても至難だと思われるものを、屈服せずにやり遂げると、それは必ず至難ではないものであることが分かる。村野四郎 私は、はじめから、文学というものは実業による経済的な防波堤の内側でなすべきものと決めていた相田みつを どうでもいいものは どうでもいいんだよ いちばん大事なことに 一番大事ないのちを かけてゆくことだ内村鑑三 アノ人はこの世に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。芹沢けい介 どんどん染物を染めていって、自分というものなどは、品物のかげにかくれてしまうような仕事をしたい
2011/09/19
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神奈川県茅ケ崎市にできた開高健記念館を訪ねた。茅ケ崎には橋本駅からJR相模線というローカル線で一時間弱かかる。林と田んぼの中を優雅に走り、気分がゆったりする。いまだにボタンを押してドアを開くというやり方で、やや戸惑う。車内に入ると冷房が効いて寒い位だが、節電令が終わるとまた冷房がやや効き過ぎになっている。茅ケ崎は、たくましい裸体のまま自転車に乗ってサーフォンボードを持って海に駆け付けようとする男性を多く見かけた。この街の海側を初めて歩いたが、海の近くのリゾート街、おしゃれなカフェ街、図書館や美術館を擁する文化街、ネオンの咲く飲み屋街と分かれており、成熟した街という印象を持った。海へ歩いて7-8分のところに、開高が1974年に建てた家がある。当初は書斎を持つ仕事場として使っていたが、後に妻・牧羊子と娘が移り住んで、終の棲家となる。この茅ケ崎はJRでも車でも一時間と変わらないと開高はエッセイに書いている。瀟洒なつくりの家の前に立つと、「哲学者の小経」という表示があり、この家の周りを巡ることができる。途中に「悠々として急げ」、「遠い道を ゆっくりと けれど休まずに 歩いていく人がある」、「明日、世界が滅びるとしても 今日、あなたはリンゴの木を植える」、「朝霧の一滴にも 天と地が 映っている」、という開高の言葉を書いたボードがある。最後の方に、書斎が現れた。「主人を失った書斎」という説明が書いてある。亡くなった当時の書斎をそのまま保存している。十畳ほどの個室には、横長の机と座椅子がある。隣の二畳ほどの小部屋を含む壁には、開高は仕留めた動物の毛皮や魚のはく製が貼りついている。ブラックベアの毛皮、キングサーモン、レッドサーモン、ピンクサーモン、グレイリング、マスキー、ピラーニア。開高健は1930年に大坂で生まれ旧制大阪高校に入るが学制変更で大阪市立大学法学部に入学しなおす。20歳の時に処女作「印象生活」を発表。23歳、7歳年上の牧羊子と結婚。24歳、寿屋入社。26歳、コマーシャル色を排除した面白くてタメになる雑誌「洋酒天国」を創刊し編集発行人となり大ヒットする。28歳、「裸の江様」で芥川賞を受賞。寿屋を退職。その後、作家生活に入り大活躍をする。ベトナム戦争、ビアフラ戦争、中東戦争などの渦中に入り、戦争のルポは話題になった。44歳で茅ケ崎に仕事場をつくる。そして58歳に若さで食道腫瘍にはいお延を併発し倒れる。大江健三郎と争って勝ち得た芥川賞受賞時には、「定型化をさけて、さまざまなことを、私は今後どしどしやってみたいと思っている」と語っており、実際その通りの型破りの作家となっていった。開高の原稿用紙に書いた字を展示してあった。わかりやすい字だ。大型の原稿用紙。ほとんど校正の後がないきれいな原稿である。NHKの「あの人に会いたい」のビデオを流れていた。その肉声から以下、言葉を拾う。 ベトナム戦争。誰も戦闘を見ていない。 今日の私は昨日の私ではない。 私はタフでハードだが、ピアノ線のように感じやすい 危機と遊び、男が熱中できるのはこの二つ。危機と遊びが男を男にするのではないか。記念館に貼ってある言葉。 飲みながら書くのは連想飛躍を求めるからにほかならない。ウオッカがいいのは翌日に臓器にダメージを残すさないから、、出版人マグナカルタ9条1.読め 2.耳をたてろ 3.両目をあけたままで眠れ 4.右足で一歩一歩歩きつつ左足で跳べ 5.トラブルを歓迎しろ 6.遊べ 7.飲め 8.抱け。抱かれろ 9.森羅万象に多情多恨たれ右の諸則を毎日三度、食前か食後に暗誦、服用なさるべし開高健全集は、22巻だから、相当な量である。20歳から58歳までの38年間。文藝別冊「開高健 生誕80周年記念総特集」にある「開高健著作リスト」で著作数を数えてみた。 単行本85冊 全集51巻 翻訳2冊 文庫87冊合計で225冊となった。この作家は生きていれば81歳だらか、20年以上の歳月があったはずだからどれほどの厚みになっていただろうか。この記念館は開高家が茅ケ崎市に土地と建物を寄贈し、運営は市とNPO法人開高健記念会が行っている。入場料は無料なので聞いてみたら、開高健の作品の印税で賄われているとのことだった。
2011/09/18
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10時40分から学部運営委員会。中期計画の議題が中心。秋から本格的な議論と策定へ。13時半に寺島学長到着、いくつか報告。松前重義についても話題に。14時から大学院の学位授与式。学長 経営の柱二つ。1.時代認識があるか? これが半分くらいを占めている。企業も個人も。 2.人間の心を動かす力があるか? 腹に落ちるメッセージを持っているか。 山口県の人づくりフォーラムに参加。現代の松下村塾。松陰に塾生たちは生きる構えを学んだ。志のあり方を学んだ。 知を持って生きる 配った新刊書は生きるヒントにしてほしい。 九段のインターゼミなど大学と接点を持って参画してもらいたい。橋本研究科長「天災と人災。経営実学。」同窓会長「-予見可能性。歯口があう。腑に落ちる。寺島先生の謦咳に接する2年間。」土屋院生会長「同志」小泉終了生代表 同志。自力と他力。宿命と運命。命を運ぶことは自力を尽すこと。その最後に他力がある。本業を通じて日本を善い方向へ進めていきたい。---------------------------15時から大学院入学式。挨拶の中に「同志」という言葉が多く飛び交ったのが印象的だった。学長 社会人大学院という特色 鈴木大拙のアートオブライフ。人生の芸術家。人生というキャンバスに知識と知性で描く。自分というプロジェクトのエンジニアリングを若い時代から考えていた。 大学院で得る新しい絵の具(人間関係・知識・知恵)で自分の現場に立つ 2年間、貫徹せよ。 卒業生たちは充実感で決意に満ちている 時代認識。書物、文献、先生、フィールドワーク。 人間力。 多摩大全体を見回せ。九段のインターゼミ 目を見開いて。貪欲に吸収せよ。研究科長「経営実学志塾。実践知の理論化。歴史と宗教と人道」李院生会長「チャレンジ。師匠。同志。」--------------------------17時から謝恩会。この謝恩会では冒頭のスピーチを頼まれた。「年齢」をキーワードに話をする。 35歳の寺島。課長代理。11時から二時間の勉強。酒を飲むと頭が濁る。 松前重義。内村鑑三の弟子。教育に志を定める。42歳で二等兵懲罰召集、公職追放。50歳を過ぎてから東海大理事長・学長。 佐藤一斎。少壮老死。 遅咲きの時代。42歳からの清張。55歳からの蘇峰。 卒業した今からが本番!先生たちや卒業生たちと楽しく語り合った。
2011/09/17
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敗戦の一年前に42歳の時に、通信院工務局長という勅任官であった松前重義は、東條内閣を公然と批判していたため懲罰召集をかけられ、陸軍二等兵として南方に送られる。この時、もう一人の内閣打倒の工作を練っていた政敵・中野正剛を東條首相は自決に追い込んでいる。死地に送り込まれた松前は、何回もの危機を脱するのだが、その都度「私は実に運が強かった」「「大変な幸運だったと言える」と語っている。この人のその後の活動を眺めてみると、天が殺さなかったのだという感慨が湧いてくる。二等兵召集のきっかけとなったのは大政翼賛会だ。逓信省公務局調査課長だった松前は、その総務部長を引き受ける。翼賛会は、本来亡国の道を突進する軍部の独裁政治を食い止め、日本の進路を正常にするために発足した国民連合だった。ここで軍部と対立し、憲兵や特高に目をつけられることになった。頑固一徹で武骨な性格をあらわす「肥後もっこす」の典型であった松前重義は、細川護煕首相が政界に出るとき、その父・護定を説得する。細川は「松前さんは正真正銘のもっこすだ。スケールの大きなもっこすだと思う」と証言している。東北帝大工学部電気工学科を卒業し、逓信省に技官として入省した松前は、役人生活に失望する。この時、内村鑑三の聖書研究会でその講義に接し、「この人こそわが人生の師だ」と心に決める。ダルガス父子による復興を描いた「デンマルク国の話」とともに、グルントウィヒというデンマークの宗教思想家・教育者を知る。グルントウィヒは国民高等学校という私塾的な場を設け青年の教育を行った。これが松前重義が教育を生涯の分野と定める動機となった。松前は生涯を通じて柔道に関係した人生を送り、国際柔道連盟会長などを歴任したが、山下泰祐を発見し育てた人でもあった。ロサンゼルスオリンピックで金メダル、全日本選手権9連覇、203連勝のまま引退という記録を打ち立てた山下を東海大相模に入れて鍛えた。山下は学業にも励み、全校で一番の成績もあげている。柔道は嘉納治五郎が日本古来の柔術に創意工夫を凝らしながら体系化した近代武道である。柔道は知育・徳育・体育の三位一体の教育理念に基づいた教育的武道である。世界各国で柔道が盛んになったのは、戦後の日本の発展の原動力がこの武道ではないか、武道が日本人の勤勉さを作ったのではないか、と思われたからである。松前重義は東海大学の創立者である。この大学の発祥の地が東海道の清水市にあったためにつけた名前のように誤解されるが、東海とはユーラシア大陸の東の海を指している。それは太平洋のことだ。懲罰召集から帰り終戦になって、戦後通信院総裁になった技術者・松前は理科系を中心に文科系も併設する総合大学の建設にとりかかる。しかし、1952年にはこんどは公職追放に遭い、教育界にも携わることができなくなり、40代後半の数年間を雌伏の期間とせざるを得なくなる。年譜では、1946年4月に通信院総裁を辞任し、5月に旧制東海大学を発足させる。翌年1947年1月に公職追放。1951年6月公職追放解除。 1950年、新制東海大学発足 1952年、1月東海大学理事長、6月学長。 1955年、東海大学工学部 1962年、海洋学部を開設 1963年、大学院新設 1964年、理学部新設 1965年、東海大学女子短大開校 1966年、政経学部新設 1967年、体育学部新設 1968年、教養学部 1972年、東海大学工芸短期大学開校 1973年、九州東海大学開校 1974年、情報技術センター開設 1974年、医学部新設 1975年、医学部付属病院開業 1977年、北海道東海大学開校 1980年、九州東海大学に農学部新設 1986年、法学部松前重義の死後も、開発工学部、健康科学部、電子情報学部、そして2010年には観光学部の設置に至っており、創業者の精神は引き継がれているように見える。今日、東海大学は20学部・10キャンパスに規模となる日本有数の規模にまで発展している。この大学の特色は、海洋学部など日本にはあまりない学部・学科が多いことだ。また松前自身が、「現代文明論」という科目で数千人の学生に講義をしていたそうである。長い間の社会党代議士、柔道を通じたソ連など世界各国との交流により貢献などでの志の高い活動に感心させられる。この本に出てくる松前重義をめぐる人物も実に多彩で華やかだ。今日の日本が、この人物の恩恵にあずかっているとの感を深くする。まさに「昭和の怪物」である。
2011/09/16
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母親の同人雑誌の仲間の友人達から昼食会に招かれる。中津の同人誌に書いている、人物記念館の旅や私の著作の愛読書だそうだ。全員が私より年上の女性たちだが、ご馳走を準備していただいて、母親を中心に話に花が咲いた。終わって、故郷の象徴の八面山のふもとの金色温泉で入浴する。自宅で一休みした後、同級生との飲み会。内尾君、瀬口君、藤田君、久持君といつも帰郷の際には集まってくれる気のおけないメンバーだ。鱧料理屋から始まって、カラオケ、バーといくつまわっただろうか。12 時過ぎまで楽しく過ごした。途中、Twitterでカラオケの写真を流したら、東京、仙台、新潟などから色々とコメントが入ってきて面白かった。
2011/09/15
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熊本学園大学の平成23年度一般職員研修会の講師として一時間半の講演を行った。研修自体は丸一日で、全体テーマは『大学の方針目標を理解して現状を分析し、課題を明らかにして、考え解決できる職員を目指して』である。午前中は岡本学長講話『マスタープランの策定』に引き続き、私の講演。テーマは、全体テーマに沿って『図解思考で問題解決力を高めようーー考える大学職員への道』とした。午後は、階層別研修で、部次長、課長、課長補佐、係長、課員に分かれて討議を行い、最後は階層別研修の報告会。以上が全体プログラムだ。大学改革に必要な大学職員への期待がよくわかる構成になっていると思う。私の講演『図解思考で問題解決力を高めようーー考える大学職員への道』は、一時間半だったが、大学の経営陣である。常務理事、理事、事務局長なども聞いてくれて、終了後はそういう方々とも昼食をご一緒しながら懇談した。以下、アンケートから。ー明確な理論で示唆に富む内容だった。ーこの度の講演はまさに私のポジションに対するお話であった。ー簡単でわかりやすい説明で今後に役に立つ話を聞けて非常によかったです。ー思考力アップや問題解決への糸口のヒントを得た。ー図解を用いて理解力、企画力、伝達力のスキルを伸ばしていきたい。ー『人は力量によって解決のレベルが違う』が印象に残った。ー今までの自分の考え方が偏っていたことに気がついた。ー説得ではなく、納得させるような力をつけていけるような仕事の仕方をしていく。ーそうか、図解にしてみればすっきりしたのかと目からうろこが落ちる思いがしました。ーFacebookやTWITTERの話を聞いてアクションを起こしてつながりを大切にしていきたい。ーコミュニケーション力向上の必要性を感じました。明日から早速生かしていきたい。ー入試課として先生からのお話をぜひ参考に取り組みたい。ー私の仕事図を完成させて仕事を改善したい。ー大きなきっかけになった。ー何となくぼんやりと考えたていたことが少しはっきりとしてきました。ー現代の伝道師ー午後からの研修のやり方を悩んでいましたがさっそく取り組んでいきます。ーくいいいるようにお話を聞かせていただきました。ーお話を拝聴し若干焦ってまいりましたh。ー現状に甘んじている自分に気がつきました。ープレゼンや企画を必要とする部署であり、大変役に立つものでした。ー今日の講演で何か光が見えたように思います。ー全体を見渡して自己の業務を振り返ることができるノウハウを具体的に示していただいた。ー目からウロコの状態でした。ー就職ガイダンスなどで役立てたい。ー大学の目的は、幅広い教養の獲得と豊かな自己表現力能力の育成という考えに納得した。ー考える力をや企画力を養っていきたい。ー仕事でもプライベートでも実践してみたい。ー本当に目からウロコのお話でした。ー図解力は企画力、という言葉ーソーシャルネットワークの活用術、理解企画伝達のバランスなどを意識して仕事に役立てていきたい。ー現在、図解の修行中です。ー私のポジション、日々の悩みの解決法が少し見えた。ー頭がフル回転しました。
2011/09/14
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羽田から熊本へ向う。熊本学園大学の岡本学長にわざわざお出迎え頂いて恐縮する。空港から近い蕎麦屋で鴨なんばんをいただきながらお話を伺う。学長車で熊本への途中にある松前重義記念館を一緒に訪ねた。松前は1901年生まれ。東海大学の創業者であり教育者として名高いが、技術者であり、社会党の代議士であり、国際人としても大きな活躍をする。戦後の原子力の平和利用の推進にもこの人物が大いに関係している。逓信省の工務局長の時に東条英機内閣の打倒運動を行い、42歳で懲罰招集を受けて二等兵として南方戦線に送られ九死に一生を得る。このエピソード一つとっても松前という人物の凄みがわかる。青年時代、内村鑑三との邂逅があり、一切のけち臭い自己保存の意識を克服し、人生観、世界観、歴史観を確立し、自らの人生と社会に対する使命に邁進することを決意する。記念館でいただいた、松前重義 わが昭和史、を読み始めた。無装荷ケーブルの発明、柔道の山下泰裕の育成、国際柔道連盟会長、国際武道大学設立、科学技術教育を標榜する東海大学の設立、FM特許問題で政府を告訴、正力松太郎との対立と和解、逓信院総裁、公職追放、政界進出、、、と目次が踊る。この記念館は一階は柔道場で二階に松前重義の資料が展示してある。勇往邁進若き日に 汝の思想を培え若き日に 汝の体躯を養え若き日に 汝の知識を磨け若き日に 汝の希望を星につなげ敗戦興国青春に生きる以上の書や言葉が目をひいた。移設された生家の二階の勉強部屋からは阿蘇山が見える。松前重義生家と石に書かれた文字は、熊本県知事でもあった細川護煕総理の題字である。熊本では阿蘇でも、馬上少年過ぐ、という細川の書を見た記憶がある。ホテルに入り、時間が少しあったので、熊本県立美術館に隣接する細川コレクション永青文庫展示を観た。細川家のお寺永源庵の永と、幽斎が奪回した青龍寺城の青を組み合わせて、16代の細川護立が命名したのが東京の永青文庫である。近くの細川刑部邸にも入ってみた。大名屋敷の様子がわかる。夜は、熊本学園大の経営企画担当理事の古田教授と馬刺しで有名な店で懇談する。同世代でもあり、大学運営について大いに意見交換。途中、共通の友人である宮城大学の三石先生と電話で話ができた。■松前重義 編
2011/09/13
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雑誌「致知」を出している致知出版社が、「2012年版致知手帳」を刊行した。この手帳は、その年の雑誌「致知」に登場した人の話の中から、日々の糧となる言葉を選び、50本強ほど掲載している。この「致知の言葉」という名言が好評で、名言故に手帳を買う人が多いそうだ。因みに「致知」とは、人間本来の英知を明らかにし、現代人に欠ける「知行合一」の精神をいう。今年、「徳富蘇峰の歩いた道」というテーマで私のインタビュー記事がこの雑誌に載った。http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20110402その時の下記の言葉が、この手帳の名言集の一つに選ばれたという手紙と、手帳の実物が届いたので驚いた。「人間の偉大さは人に与える影響力の大きさで表せる」 久恒啓一(多摩大学教授)他に気になった言葉を拾ってみた。 国家にも人にも「徳」が大事 曽野綾子(作家) 退路を断って考え抜くとアイデアが浮かぶ 渡辺幸義(アイエスエフネット社長) 会社がおかしくなるのは、会社に余裕がある時 長谷川和広(会社力研究所代表) 人間には誰か師と仰ぐ人がいなきゃダメ 中村和雄(浜松・東三河フェニックスヘッドコーチ) 天地のルールを道理といい、人のルールを義という 伊与田覚(論語普及会学監) 感性の鈍い人間には人の上に立つ資格はない 行徳哲男(日本BE研究所所長) 今日の実行こそが人生のすべてである トーマズ・カーライル(歴史家) 現在を鮮やかに生きると過去も変わり、未来を支配できる 芳村思風(思風庵哲学研究所所長) 感謝、感動が種まき。美しい花を咲かせるのは技術 武田双雲(書道家) 心に鮮明に描く目標は、何事も実現する 木村昌平(セコム会長) 苦しい時は苦しいことを苦しみぬけば、何か違う地平が見えてくる 金沢泰子(女流書家) この苦渋の日々は未来を光らせるための土台 福島智(盲ろう者初の東大教授) 素質が一流でも思想が二流では成長しない 野村克也(東北楽天ゴールデンイーグルス名誉監督) 高い塔を建ててみなければ新しい新しい水平線は見えない 川口淳一郎(「はやぶさ」プロジェクトマネージャ) 勝負の神様は細部に宿る 岡田武史(日本サッカー協会理事) いい経営は古今東西あらゆる会社で変わらない 柳井正(ファーストリテイリング会長兼社長) 自分で意志を持って松明をかざし、その場を照らす 岩倉信弥(本田技研工業社友) 人生に余生や老後というものはない 篠原鋭一(NPO法人自殺防止ネットワーク風理事長) 能力とは目標に向かって努力する情熱の持続心 林野宏(クレディセゾン社長) すべての成功への道は、今、ここにある仕事に精一杯打ち込むこと 西田文郎(サンリ会長) 優勢の時は焦らない、劣勢の時は諦めない 谷川浩司(日本将棋連盟棋士会会長) 決して屈伏してはならない ウィンストン・チャーチル(イギリス首相) ファイティングポーズを取り続けている人には助けてくれる人が絶対に現れる 竹内健(東大准教授) 従いつつ導く 松下幸之助 絶えず現場を確かめること 佐久間(WOWOW相談役) 試練を自分の鍛錬と思う 塩沼亮潤(滋眼寺住職)いい人生はいい言葉を生み、いい言葉はいい人生を創る。
2011/09/12
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本日は、2001年の「9・11」から10年。そして2011年の「3・11」から半年にあたる。東日本大震災と米国同時多発テロに関する番組が多かった。昨日、多摩大の大学院同窓会と、経営情報学部とグローバルスタディーズ学部同窓会のオール多摩大合同セミナーが開催された。ゲスト講師は寺島実郎学長。 日本が内向きになる中、この夏意識的に外に動いた。アメリカ東海岸、西海岸、台北、中東、欧州、韓国。 ドル石油体制の静かなる崩壊。産油国の決済通貨のドル離れ。東南アジアの人民元決済 円高と金暴騰。ドルよりはマシ。とりあえず円。 親鸞の本は100冊以上読んだ。 魂の基軸がなければ向き合えない。 親鸞の世界。絶対自力者はいずれ限界にあたり他力の存在を知る。絶対他力者はいずれ限界にあたり自力の重要さに気づく。この二つが輪になっている。 「世界を知る力--日本創生編」を読んで、どう思うか、どう行動するか。 アメリカの原子力ルネッサンスの熱気は去った。再生エネルギーも進んでいない。シェールガスによるエネルギーのパラダイム転換が起こっている。鯨油から石油、そしてシェールガス。2011年はいかなる年か。 9・11から10年。ペルシャ湾の北側に巨大なシーア派イスラムゾーン 米軍兵士6200人の死者。戦費1.3兆円。 石油は3倍(28ドルから85ドルへ)と-ドルの価値の半減(1ドル135円が76円)という結末 アメリカ。デフォルトの危機、財政赤字の圧縮、、、。 中東の民主化。マネーがエネルギーと食糧に向かった。食糧価格の暴騰が革命へ。それでも日本としては戦略的判断として原子力を一定比重維持すべきという理由 原子力に関する技術基盤の保守と専門人材の重要性。平和利用において日本は技術をもって世界のモデルにならなければならない。 文明論的「原子力認識」と覚悟。原子力の操作に踏み込んだ責任。原子力というパンドラの箱を開けた。近代主義者は、技術に解答を求めよ。 原子力部門は国策統合会社へ移行すべきだ。エネルギーのパラダイム転換 鯨油、石油(モータリゼーション)、そしてシェールガス革命(天然ガスの一種。非在来型天然ガス)。 シェールガスとは岩盤から染み出てくる天然ガス アメリカは生産量一位。中国は埋蔵量一位。米中連携の動き。終了後、懇親パーティで、私の受講生たちとも久しぶりに懇談。
2011/09/11
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10時からNPO法人東北みち会議の関係の会議室を借りて、岩手(中庭チーム)、宮城(久恒チーム)、福島(松本・酒井チーム)の3チームの情報共有会を開催。最初の40分間を使って各チームのまとめ作業。各チームの代表者による5分間の現状、課題、提言全員での質疑や感想、発見、枠組みなどの議論教員からのコメントNPO法人東北みち会議の高井さん「20年。今回の調査で市民。新しい働き方」、安藤さんのコメント各チームの解散会私の少し長めの団長あいさつ・外部資金を使った、教員・職員・学生の混合チームによる、多摩大学としてのて初めての歴史的な大型プロジェクト。・「安全とココミュニケーション」に目標として、全員無事に帰還したことでまず成功。・この調査と観察、そしてすべての道の駅に対するアンケート調査などを経て報告書の完成、そして仙台での報告会など一連の流れを終えて大成功になる。・全行程を一人で走り切ったことに満足。(同乗者はヒヤヒヤ)・道の駅を題材とした俳句の披露。始めたばかりの駄句に笑いあり。「熟年族 鮮野菜買う 道の駅」「ぬる足湯 アイスをかじる 道の駅」、、。・すべての道はトイレに通ず!・道の駅「大谷海岸」の今後のあり方。津波とそれと戦った人の記念館。遠藤未希「避難放送」記念館、濱口悟稜「稲村の火」記念館、、。・駅長さんたちの志の高さと人柄、問題解決力に感銘。彼らこそ「偉い人」。現代の「代表的日本人」。内村鑑三「代表的日本人」(西郷隆盛、二宮尊徳、日蓮、中江藤樹、上杉鷹山)に劣らない素晴らしい日本人のモデル。・地域活性化を志す人たちの地域への窓口としての道の駅。・この調査隊の一週間の教育効果は実に高かった。・道の駅は深い。今後も継続して追いかけていきたい。全員が、深い充実感に包まれて仙台駅へ向かう。ちょうど、仙台・定禅寺ジャズフェスティバルの初日で、駅のまわりにいくつかの遠音楽の輪ができていた。パルコの前の演奏をひとつ聞いたが、素晴らしかった。これは最後のおまけの幸運だった。新幹線で、東京へ。そのまま品川の大学院へ向かう。大学院同窓会・学部同窓会の合同セミナーで、寺島学長に講演をお願いしている。始まる前に学長に多摩大「東北・道の駅」調査のホットな報告を行う。学長の講演の内容は、「新しい国家エネルギー戦略への視座と基本構想」「中東の構造変化と3・11の衝撃」だった。ポイントは明日書く予定。終了後、パーティにも参加。社会人大学院の同窓会員が多く、懐かしい顔が散見された。体調も良かったので、しばらく皆さんと歓談の輪に入った。今日の一句。 ひと仕事 終えて一気に 夏ビール(調査隊の全員集合の写真は、別途掲載予定。)
2011/09/10
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一関市の宿を7時45分に出発し、栗原市花山の路田里はなやまに到着。f:id:k-hisatune:20110910071429j:image花山地域開発株式会社の代表取締役の佐藤倫治駅長と、同じく店長の三浦勇市店長にお会いする。お二人は、自然薯(ジネンジョ)の館の責任者だ。自然薯は山芋の一種で、この道の駅の一押しの売り物だ。3年前の大地震からまだ日が浅いこともあり、近隣の家庭には備蓄が十分にあり混乱はなかった。この道の駅は栗駒山へのルート上にあり、利用者は観光客がメイン。今回の震災でこの秋のツアー客はばったりと止まっているとのこと。昼食に自然薯の揚げ物と蕎麦をいただく。f:id:k-hisatune:20110910071355j:image最後の訪問地は大郷町。道の駅おおさとを運営する株式会社おおさと地域振興会社の鹿野社長にインタビューに応じていただいた。f:id:k-hisatune:20110910071158j:imageこの町は震度6強であ り道路の痛みが激しかった。鹿野社長は建設関係の企業を経営していて引退していた時に声がかかった。一業を起こした経験から滲み出る考え方や知恵、やり方は参考になった。地域の実情にあった貯水の方法の検討、トイレ対策などのアイデアをいただいた。仙台市内のに戻りレンタカーを返却し我々宮城チームはホテルに入る。19時半から合流した福島チームと岩手チームとの合同打ち上げ会。東北道の駅協議会の方々も参加して、 楽しく和やかな宴会となった。f:id:k-hisatune:20110910071252j:image宮城チームのメンバーの成長も目の当たりにしたが、他の二つのチームに参加した学生たちから飲みながら感想を聞くと「この調査に参加して本当によかった」という人が多かった。こういう本番に一緒に取り組むことによる教育効果は極めて高いことを実感した。防災拠点としての道の駅のあり方の調査ではあったが、道の駅の駅長さんの言動に感銘を受けることが多く、私自身もそうだが、学生たちも生き方大きな影響を受けたようだ。駅長さんは団塊の世代以上の年齢で、町長、行政マン、企業経営者などの出身者が多い。それぞれの成り立ちもあるが、それ以上に人生経験と職業経験により経営と運営のやり方個性が出ていることに驚いた。地域の一流の人物が地域のために奮闘している姿は感動的だった。今回の調査旅行は、私にとっては本物の日本人を訪ねる旅でもあった。全国各地に東北の道の駅の駅長さんたちのような人物が地域を支えていることがよくわかった。彼らは、現代の「代表的日本人」である。
2011/09/09
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道の駅津山もくもくランドの西條駅長のご自宅に泊めていただいて遅くまで談論風発。朝食後、出発しまず追分温泉で朝風呂。南三陸の津波被災者とボランティアを受け入れている。南三陸町から住吉町へ続くの惨状を見ながら北上し、道の駅大谷海岸はまなすステーションに予定より早く到着。[f:id:k-hisatune:20110909055455j:image]この道の駅は最も海に近い道の駅というフレーズでPRしてきたが、それが仇となり津波の直撃で壊滅した。頑丈そうな建物だが、内部は津波の威力でめちゃめちゃになっている。そとから覗くと内部の先にきれいで穏やかな海が煌めいているのが見えて、潮騒の静かな音が聞こえる。建物の近くのはまなすの花の白さが目に染みる。みやぎ黄金海道大谷海岸駅という曲がった看板が虚しい。鉄道のレールも途中で切れてしまっている。近くの大谷郵便局も津波で壊滅した当時のままの姿で放置されている。机、椅子、書類、何かのトロフィーなどが散乱して津波襲来の時の時間が固定したような景色だ。[f:id:k-hisatune:20110909055537j:image]13時から倉本駅長にインタビュー。つい先日前任の駅長のから引き継いだ新しい駅長。 惨憺たる状況を楽しい語り口で語っていただいた。途中で駅長さんの友人で消防署長として現場指揮にあたった菊田さんも見えて輪に入っていただいた。[f:id:k-hisatune:20110909055620j:image]電気、ガス、灯油、軽油などエネルギーは分散型にしてミックスで使うべき。津波感知器のアイデア。石油販売業者の地下タンクの油の活用、、、。気仙沼へ続く45号線を北上。道路に沿って植えてある花の赤が眩しい。286号線で一関市の道の駅川崎。町の中に他の商業施設と並存するタイプの道の駅。品物の工夫も随所に見られる。全員で見物しながら観察する。岩手県知事選の共産党候補者が現知事の批判をしていた。[f:id:k-hisatune:20110909055705j:image]宿に到着。夕食後、集まってインタビュー内容の整理に精をだす。
2011/09/08
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泊まった鳴子温泉郷を7時45分に出発。岩出山、古川を経て石巻市の道の駅上品の郷に到着。 ふんだんに木を使ったやすらぎを感じる建物で、販売所として 、レストラン、ふたごの湯などの大きなブロックに分かれている。駅長の太田実さんにお話を伺う。この道の駅は自治体の補助金をもらわないで、工夫を重ねて、創業以来黒字を確保している。経営の一つのモデルだろう。自治体と道の駅との災害協定の必要性。太陽光発電。備蓄と通信。町長の後、道の駅の駅長に就任した太田さんの方針、覚悟が、隅々にまで浸透している。中高年にやすらぎと健康を提供するという考え方の通りに中高年のお客が多い。足湯に浸かりながら。熟年族 鮮野菜買う 道の駅ぬる足湯 アイスをかじる 道の駅秋日和 何とはなしに 道の駅日和山公園から、津波に襲われた石巻港を観る。津山町の道の駅もくもくランドを訪問し、西條駅長にインタビュー。ここは4つの団体でつくった共同組合が運営している。情報提供の体制。有事の際の通信手段の見直し。西條駅長の自宅で夕食。途中で加わった北辻君も加え、西條さんと話に花が咲く。
2011/09/07
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8時に仙台市内のホテルを出発。泉、富谷と懐かしい場所を通って、9時20分に大崎市三本木の道の駅に到着。10時から駅長さんにインタビュー。株式会社大崎市三本木の振興公社代表取締役の遠藤さん。インタビューにはnpo法人東北みち会議の安藤さんも同席。以下、ヒント。震災時には情報の提供機能が求められるが、実際にはテレビと道の駅連絡協議会の情報しかなかった。情報の流通について考えるべきだ。困ったのは電気と水。電気は自家発電を備えること。水は50トンほどの小型の地下タンクの設置で可能ではないか。50年ほど前のエネルギー源でもあった亜炭記念館を見学後、道の駅で昼食。名物のひまわりを用いたどんぶりを安藤さんと話しながらいただく。=====少し早く次のあら伊達な道の駅に到着。ここは大規模でお客さんも多い。株式会社池月道の駅の代表取締役で駅長もかねる館股さんにインタビュー。名物のソフトクリームをいただきながら、お話を聞いていく。以下、ヒント。非常電源の定期点検は行っていたが実際には使えなかった。いつでも使える様な点検を実施すべきだ。数万円で買える小型のポータブル発電機を備えることも重要。農家はディーゼルトラクターを使っているので、その軽油をもらってトラックを動かした。情報提供機能が重要になるので国交省、自治体などが一緒に全体のシステムを構築して欲しい。道の駅の売りを作るヒントの一つとしては、姉妹都市に着目するのもいい。電気、燃料、通信、などの震災対策。施設見学をした後、近くの有名な藩校であった有備館に。今回の地震で崩落した姿を少し見る。30分ほど走って宿の鳴子温泉郷に到着。
2011/09/06
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道の駅「村田」を訪問。12時に仙台駅で集合。岡君、福本君、日吉君。マツダレンタカーでエルグランドを借りて、市内から東北道を通って道の駅「村田」に到着。道の駅の80席あるレストランで昼食を摂った後、事務所に伺う。この道の駅は財団法人村田ふるさとリフレッシュセンターが運営しており、その理事長で駅長を兼ねる小川さんと担当の眞壁主任に対応いただいた。小川さんはリコーのOBで宮城大時代の私のことを富田さんからもよく聞いていたとのことで、私のブログを読んで準備していただいたので、ビックリした。大震災時の対応、平常時の体制、今後の可能性、防災拠点としてのあり方など1時間15分ほどのインタビューはとてもスムーズに運んだ。その後、施設内を案内いただいたが、平日の割にはお客さんが多い。108あるという契約農家が出品している野菜は品質がよく、またかなり安価だ。この道の駅の主力商品がこの野菜である。また、花売り場もあったが、これはもっといい商品に育つ可能性がある。この道の駅はもともと防災拠点としての役割は重視してはいなかったが、実際には緊急時の食料提供や、仮設トイレの設置など大きな役割を果たしている。防災拠点でもあるということを意識して、毛布などの防災関係グッズや食糧の備蓄などに力を入れていくとのことだ。また、単なる販売所としてだけでなく、加工などで付加価値をつけていく方向でいけば可能性はもっと広がっていくという展望も持っていた。周りの施設を歩いてみたが、この村田町は重量挙げでローマからの四回のオリンピックで活躍し、金メダリストの道の駅「村田」を訪問。12時に仙台駅で集合。岡君、福本君、日吉君。マツダレンタカーでエルグランドを借りて、市内から東北道を通って道の駅「村田」に到着。道の駅の80席あるレストランで昼食を摂った後、事務所に伺う。この道の駅は財団法人村田ふるさとリフレッシュセンターが運営しており、その理事長で駅長を兼ねる小川さんと担当の眞壁主任に対応いただいた。小川さんはリコーのOBで宮城大時代の私のことを富田さんからもよく聞いていたとのことで、私のブログを読んで準備していただいたので、ビックリした。大震災時の対応、平常時の体制、今後の可能性、防災拠点としてのあり方など1時間15分ほどのインタビューはとてもスムーズに運んだ。その後、施設内を案内いただいたが、平日の割にはお客さんが多い。108あるという契約農家が出品している野菜は品質がよく、またかなり安価だ。この道の駅の主力商品がこの野菜である。また、花売り場もあったが、これはもっといい商品に育つ可能性がある。この道の駅はもともと防災拠点としての役割は重視してはいなかったが、実際には緊急時の食料提供や、仮設トイレの設置など大きな役割を果たしている。防災拠点でもあるということを意識して、毛布などの防災関係グッズや食糧の備蓄などに力を入れていくとのことだ。また、単なる販売所としてだけでなく、加工などで付加価値をつけていく方向でいけば可能性はもっと広がっていくという展望も持っていた。周りの施設を歩いてみたが、この村田町は重量挙げでローマからの四回のオリンピックで活躍し、金メダリストの三宅義信さんの銅像があった。仙台市内に戻り、少し休んだ後、ホテル近くの牛タン屋で夕食。ここの親父さんが話かけてきて震災の影響などをお聞きする。私が宮城大にいたというと、学生がデザインした仙台牛タン業者の団体のグッズを見せてもらった。このプロジェクトに関わっていたので懐かしかった。震災以降、観光客は冷え込んでいるとのことだ。その後、ホテルで今日のインタビューのまとめに入る。力量の把握や手順が定まっていないためやや混乱はあるが、11時まで作業。仙台市内に戻り、少し休んだ後、ホテル近くの牛タン屋で夕食。ここの親父さんが話かけてきて震災の影響などをお聞きする。私が宮城大にいたというと、学生がデザインした仙台牛タン業者の団体のグッズを見せてもらった。このプロジェクトに関わっていたので懐かしかった。震災以降、観光客は冷え込んでいるとのことだ。その後、ホテルで今日のインタビューのまとめに入る。力量の把握や手順が定まっていないためやや混乱はあるが、11時まで作業。
2011/09/05
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明日から東北「道の駅」調査。一週間。この土日は準備に追われた。福島チーム、宮城チーム、岩手チームと3チームに分かれて今回の東日本大震災の被災時に活躍した道の駅の実態を調査し、今後の役割を探ることになる。多摩大学の正式なプロジェクトで、教員4名、諸君1名、そして学生12名で構成する調査団。私は宮城チームを率いるが団長も兼ねている。道の駅は、一時避難所、食糧や水の備蓄基地、情報の発信と交流の場、地元農産物の提供の場、自衛隊やNPO、ボランティアの休憩場所、など防災拠点としての役割を演じた。中越地震でその機能が注目されたが、今回の大震災で果たした役割を検証して、今後の方向を提言していきたい。目的:今回の震災時に「道の駅」が果たした救援、復旧・復興支援機能の実態を明らかにし、道の駅が今後果たしうる平常時と災害時の双方に適応した地域の多機能型交流拠点としての役割を明らかにし、提案する。体制:多摩大学地域活性化マネジメントセンターが中心となり、NPO法人東北みち会議等の現地の協力を得て実施。財源:財団法人JKAの補助金の交付を得て実施。現地調査班:教員4名(久恒・中庭・酒井・松本)・職員1名(金子)・学生12名(岡・北辻・杉本・槌屋・高野・高橋・千葉・日吉・福本・星野・三谷・下村)。1993年にスタートした「道の駅」は当初103駅で出発し、現在では全国で977駅となっている。休憩機能、情報発信機能、地域連携機能を持つ複合多機能休憩施設である。国土交通省(トイレ・駐車場)と地方自治体(情報・サービス)が連携して整備計画を策定するが、他の省庁とも組み合わせられるので、個性が出るという構造になっている。道の駅にバラエティが大きいのはこのためだ。東日本大震災では、道の駅が大活躍をした。防災拠点としての活動が目覚ましかった。自衛隊の屯所になったり、被災民の受け入れ所になったり、地域の拠点として様々の活動が行われた。その実態を今回、9月の5日から10日まで調査をすることになった。宮城チームが訪問する予定の「道の駅」。村田町の道の駅「村田」。http://muratamachi.info/大崎市三本木の道の駅「三本木」(愛称:やまなみ)。http://www.thr.mlit.go.jp/road/koutsu/roadstation/miyagi/mi03.html大崎市岩出山の道の駅「あ・ら・伊達な駅」。http://www.ala-date.com/石巻市の道の駅「上品の郷」。登米市の道の駅「津山」(愛称:もくもくランド)。気仙沼市の道の駅「大谷海岸」(はまなすステーション)。http://www.joubon.com/home/栗原市の道の駅「路田里はなやま」。http://www.thr.mlit.go.jp/road/koutsu/roadstation/miyagi/mi04.html大郷町の道の駅「おおさと」。http://www.oosato-rs.co.jp/加えて、道の駅「林林館」http://www.thr.mlit.go.jp/road/koutsu/roadstation/miyagi/mi09.html道の駅「米山」http://michieki.web.fc2.com/miyagi/mi07.html道の駅「みなみかた」http://www.thr.mlit.go.jp/road/koutsu/roadstation/miyagi/mi11.html
2011/09/04
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【送料無料】ジブリの哲学スタジオ・ジブリの代表取締役で名プロデューサー鈴木敏夫が語る、ジブリの作品史とそれを巡る登場人物史である。もちろんその中心は、宮崎駿である。1948年生まれで団塊世代の鈴木は、徳間書店に入り、「週刊アサヒ芸能」を経て、日本初のアニメーション雑誌「アニメージュ」も創刊に関わり、12年間にわたり日本のアニメ界を見つめ、深く関わることになる。その延長線上に85年のスタジオ・ジブリ設立に参加し、40歳を過ぎたあたりの89年からは専従になる。そして天才・宮崎駿のもっとも身近な存在として、稀有の存在であるジブリを育て、そして数々のヒット作品を生みだす舞台をつくっていく。この人の存在がなかったら今のジブリの名声もあったかどうか。その鈴木敏夫が書いた自伝的ジブリ論。宮崎駿について。身近な鈴木がみた宮崎像。 日本の子どもたちに見せる作品は日本人みずからの手で作るべきだ。 宮崎駿の五感、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚は、とぎすまされたままで鈍っていません。 仕事以外に興味を持つ奴は、いいアニメーターになれないというのが、彼の考えなのです。 世の中には二種類の人間しかいない。味わう人と味わわせる人。 作品の三つの原則。「おもしろいこと」「作るに値いすること」「お金が儲かる事」。 「企画は半径三メートル以内にいっぱい転がっている」 一般教養の入り口。朝日・日経・赤旗。NHKスペシャル。読書(児童文学。堀田義衛・堀辰雄。戦争)。訪ねてくる人の情報。鈴木敏夫。 加藤周一は、鈴木敏夫にとって人生のネタ本のような存在。 「日本文学史序説」(加藤周一)「羊の歌」(加藤周一自伝) 「日本 その心とかたち」(DVD/書籍)--------------------今日の一句。 秋の湯に 息子と二人 顔ならべ(吐鳳)
2011/09/03
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12時。丸善の隣の丸の内ホテル。熊本学園大学の岡本学長と食事。再来週にこの大学で講演をすることになっている。元の熊本商科大学。昨年熊本でお目にかかっているし、大学の先輩でもあり、温厚な人柄なので、話も弾む。14時半。九段の文庫カフェで、出版社の編集者と打ち合わせ。胸突き八丁。--------------------------------17時。ソーシャルメディアの若きカリスマ・イケダハヤトさんに会う。多摩大4年生の岡君に紹介してもらった。1986年生まれと若いが、24歳の今年すでに「フェウスブック--私たちの生き方とビジネスはこう変わる」という本を講談社から出している。本名は所得倍増計画の池田勇人と同じなのでカタカナにしているとのことだった。会話の途中もパソコンでネットを使って私の話していることの情報をどんどん調べて確認しながら話を進めていく。同世代の仲間や後輩を励ましながら、情報社会の流れを加速していいきたい。そのために、最先端の現場やそこで動いている人に取材をしたり、ブログやフェイスブックで動きを読み、それをソーシャルメディアを用いて流していこうというスタイルだ。ウェブ時代を生きるために、梅田望夫さんや、佐々木俊尚さんの本を愛読してきたが、イケダハヤト世代の動きも要ウオッチだ。若い人と付きあ合って教えてもらおう。この世代はネットで「世界」を相手にしているのだが、ヨコの広がりの中で、自身の成長を図っていこうとしている。この人の本を読んでも、最先端の動きに驚くことが多い。一方で、「日本」という視点はどうだろうか。私の人物記念館の旅から得た様々の教訓や言葉などにも関心を持ってもらった。このタテの深まりも重要だ。タテとヨコの交点に立って情報社会を探検してもらいたいものだ。図解思考、個人のソーシャルメディア戦略、団塊世代と若者世代の交流、共有という生き方、コミュニティスクール(私塾)、有料ブログ、、、。途中、イスタンブールから欧州を回ってきた寺島実郎さんが現れた。たった今帰ってきたところだそうだ。「世界を知る力--日本創生編」の売れ行きも良いとのこと。イケダハヤトさんを紹介する。共有時代(「フェイスブック」(イケダハヤト著)から) 人との繋がりが豊かなら金銭的コストは抑えられる 共有の輪に入るためには、自らも何らかの価値を提供することが求められる。 自分の持っている有益な知識をブログやツイッターで公開する。 共有する価値がありおすなものをブログで公開し続ける。 少ない読者に深い情報を提供する。 一日一時間をブログを書くために捻出する。その後、岡君とビールを飲んで雑談。
2011/09/02
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iPadでオリンパスのデジカメで撮った写真を取り込み、bluetoothを使って小型キーボードで無線で文章を書き、ブログを完成させるというやり方がやっとわかった。実験で愛犬との散歩中の光景をアップ。私はこの写真では影として登場しています。これですべてのことがiPadでできることになった。来週の東北「道の駅」調査に間に合った。--------------------日産クリエイティブサービスの管理職研修も今年で3年目になる。研修内容についての打ち合わせに担当者が2人みえる。「多摩大鳥瞰図絵」に興味をもってもらった。研修のときにこの考え方を使おうか。二日間の研修と、社長以下役員の前での発表会での総括講演とアドバイスを担当する。---------------知研の八木会長がみえる。知研の機関紙「知研フォーラム」、ホームページ、メーリングリストなどについて専門家を交えて相談。--------------夜は横浜で、多摩大学大学院生の湘南ゼミナールの小泉さんと歓談。いくつかのプロジェクトの相談にのる。教育ビジネスにも関心が湧いてきた。---------------開発した「知的生産手帳2011」(東洋経済新報社)の本日の格言は、「最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である」(ウオルター・スコット)だ。その通り!また、9月1日が誕生日の偉人は、新渡戸稲造。農学者・教育者で国際連盟次長を務めた人物。----------------------今日9月1日は、関東大震災が発生した日。防災訓練などが行われたが、この大震災が個人の人生に与えた大いなる影響について関心を持つようになった。後藤新平、徳富蘇峰、原三渓、田山花袋、柳田国男、与謝野晶子、布施辰治、若山牧水、蕗谷虹児、吉川英治、大河内伝次郎、梅屋庄吉、、、こういう人たちの人生が大きな影響を受けている。まさに大いなる震災だったのだ。
2011/09/01
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