2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全31件 (31件中 1-31件目)
1
今書いている本の原稿の最終段階に入っていて、調べものが多く、図書館に出入りしている。昨日は、職場の多摩大の図書館。本日は、相模原市の橋本図書館。多摩大図書館は、明るくこぎれいな施設で、学生たちが真面目に勉強している。何人かの顔見知りの学生達とも挨拶を交わす。選書委員の椎木先生とも声を交わす。5冊ほど借りる。私の名前でOPACをひくと60冊以上出てくるが、「教員」の項で名前をひくと3冊しか出てこなかった。ほとんどの本は寄贈しているはずだが、、。雰囲気もいいので、もっと出入りしよう。 「運鈍根の男 古河市兵衛の生涯」(砂川幸男) 「高野長英」(佐藤昌介) 「知られざる大隈重信」(木村時夫) 「イカロスの翼 美空ひばりと日本人の40年」(上前淳一郎) 「西郷隆盛伝説」(佐高信)本日の午後は、相模原市の橋本駅直結の橋本図書館に出かける。MEWEというビルの5階で降りると、そこは休憩広場がありその奥にはレストラン街がある。エスカレーターでのぼると図書館に着く。開架式の本はよく整備されていて、新聞雑誌のコーナーにも人が多い。また勉強コーナーにも学生が多く熱心にノートをとっている。窓から見る景色もいい。初めて使うのでやや戸惑ったが、自分で検索し目当ての場所で本を探す。その本を読み、必要な部分を抜き書きする。 「高山樗牛展(没後100年)」(平塚市中央図書館) 「政治家の生き方」(古川隆久) 「できる人の読書術」(本田有明)後は、田能村竹田、山中鹿之助、開高健の本。この図書館で自分の名前をひくと18冊でてきた。この図書館は職員の応対もよく、雰囲気もいい。今まで書いてきた本は、資料を必要としないものがほとんどだったので、あまり図書館には縁がなかった。今からは人物に関する本も増えてくるので、図書館をうまく使うことが重要なテーマとなる。近くの首都大学東京にも行ってみよう。いずれにしても、図書館の静謐な雰囲気に浸っているのは至福の時間だ。
2011/05/31
コメント(0)
奈良本達也編「日本の藩校」を読了。先日読んだ「日本の私塾」の姉妹書である。徳川幕府の昌平黌を頂点に全国藩に多くの藩校ができた。この藩校は官立学校であり、主として朱子学を奉じていた。会津藩の日新館、元藩の弘道館、松代藩の文武学校、福井藩の明道館、宇和島藩の内徳館、岡山藩の岡山藩学校、津和野藩の養老館、長州藩の明倫館、佐賀藩の弘道館、熊本藩の時習館、鹿児島藩の造士館が俎上にのぼっている。昭和45年の発刊という大学批判の高まりから大学紛争が多発した時代状況から、国立・公立の大学に対する批判がこの書全体に通底している。私立の多種多様な私塾が数多くの逸材を輩出したのに対し、官学としての藩校は守旧的な役人を出したに過ぎないというトーンである。山形の鶴岡藩の明倫館を訪ねたことがあるが、維新回天の立役者・清河八郎は、荘重な建物で講じられてた内容をまったく評価していなかった。家族にあてた手紙では「学問のためにはまるでなりません。聖堂(明徳館のこと)より大豪傑が出たことがなく、田舎では公儀の聖堂といえば大変なところと思っているでしょうが、実際はとるに足らないところです」と述べていた。この本では、林羅山の家内塾が家康ら権力者の庇護のもとに、体制擁護の学問として訓詁学に堕した朱子学を教える官学の総本山として、昌平黌になっていく様を語っている。その亜流たる藩校はそれぞれ特色はあるものの、昌平黌のミニ版がであるという観察である。水戸の弘道館、会津の日新館などいくつかの藩校を見たことがあるが、立派な中国風の建物と孔子を祀る廟など、中国精神を崇拝する場所であるという雰囲気に、違和感を感じたことを思い出す。荘厳、荘重、重厚、という雰囲気がある種の権威を感じさせる。暗記を主とした学問体系で徳川幕藩体制を守る人材を養成し、また学問を立身出世の道具とする若者を集めた藩校、というのはやや酷な見方だが、そういう面がこの藩校の本質だろう。「日本の私塾」に書かれている自由闊達で、競争の激しい、そして時代のテーマに向き合おうとする私塾、また創設者の学者の志と教育理念、工夫を凝らしたカリキュラム体系などの躍動感に比べると、藩校の記述は分が悪い。現代の東大を頂点とする国立大学、そして各県にできている公立大学には、「建学の精神」のようなものをあまり感じない。それは高校、中学校、小学校に至るまで同じだ。一方、私立の学校には、創立者の銅像が建っていたり、建学の精神を重んずる気風を大事にしているところが多く、危機に際してもおおもとに戻ろうという気運が生まれることが多い。ここに私学の存在理由がある。「日本の私塾」と「日本の藩校」の両書を読み終えて、「私塾」という存在に教育に任にあたる者として励まされる想いが強い。またゼミナールと呼んでいるゼミは、教員自身が創設した塾であるという気概を持って、自らの教育理念のもとに学生を感化していかねばならないと改めて感じた。多摩大の「現代の志塾」という教育理念は、再生のための旗印として、強いメッセージ力があると確信した。-------------------大学でたまっていた書類一括整理。S出版社と3時間ほど書籍の仕事。
2011/05/30
コメント(2)
NHK教育テレビの「日曜美術館」は気に入っている。この春からは、音楽の千住明と森田美由紀アナウンサーのコンビだが、その前の壇ふみと姜尚中のコンビも好きだった。今日の夜の再放送は、「希代の東洋陶磁器コレクター・安宅英一 狙った名品は逃がさない! 収集への執念と礼節」だった。今では安宅産業よりも、生き残った安宅コレクションの方が有名になっているが、その収集者が安宅英一である。智美術館の館長、美術品収集で仕えた伊藤郁太郎、安宅から可愛がられたピアニストの中村ひろ子などが語る安宅英一の姿に惹かれる。15歳の中村ひろこは「骨董趣味って、いやらしい」という名言を吐いていた。安宅英一については、3年前の2月、まだ仙台時代に福岡市美術館で開催されていた「安宅コレクション 美の求道者・安宅英一の眼」を観ていたから、この番組がよく理解できた。安宅コレクション1000点を擁する大阪市東洋陶磁器美術館には足を運びたい。箱根ラリック美術館にも。以下、2008年2月のブログ。-----------------------------------福岡市美術館で開催中の「安宅コレクション 美の求道者・安宅英一の眼」を観た。総合商社安宅産業は経営危機から昭和52年(1977年)に伊藤忠商事に救済合併されたが、残っているのは会長だった安宅英一(1901ー1994年)がつくりあげた東洋磁器の1000点に及ぶ安宅コレクションだけである。安宅コレクションは曲折あって今は大阪市立東洋磁器美術館になっている。戦後のシャウプ税制のよって美術品の大量流出が起こった。その動きの中で速水御舟(1894-1935年)の作品を一括買い上げたところから、このコレクションが始まる。そして速水御舟の作品に加えて韓国陶磁、中国陶磁という3つのジャンルからなる安宅コレクションが完成していく。20世紀の始めの年に生まれた安宅英一は神戸高商を出て、父の安宅弥吉の安宅商会に入る。弥吉は禅の研究家・鈴木大拙の援助者としても有名で生涯にわたって大拙に資金援助を行った。「君は学問の道を貫き給え、私は商売に専念して一生、君を支える」。英一は26歳でロンドン支店長となり、帰国後の30代半ばから陶磁器や音楽に関する活動を始めている。35歳で双葉山の後援者になった英一は、50歳のとき安宅産業の事業の一環として美術品購入が認められると本格的な蒐集を開始する。54歳で会長になった英一は、58歳で中村紘子に会い、60歳では日本音楽コンクールに安宅賞を設けている。64歳、相談役。67歳、最大の理解者となった日経新聞の後の社長・円城寺次郎と出会う。74歳のときに起こった巨大な債権の焦げ付きで75のときにコレクション購入を停止。79歳、コレクションを大阪市に寄贈。93歳、死去。音楽の安宅賞は、年間12-16名で500万円の規模の賞であるが、英一は若い音楽家に対して海外留学や滞在の支援をしている。声楽家の中山悌一、バイオリニストの辻久子、声楽家の大橋国一、声楽家の五十嵐喜芳、ピアニストの田中希代子、柳川守、中村紘子、チェリストの堤剛、ピアニストの野島稔などが安宅英一の援助で巣立った人たちだ。もの自身をして語らしむことを念じていた英一は文章をほとんど残さなかった。 人でも、ものでも、結局のところは品ですね。品格が大切です。 ものは、三顧の礼をもって迎えるべし 人にお辞儀しているわけではなく、その後ろにものが見えるのですよ。 ものに向かってはいくらお辞儀してもし過ぎることはありません。安宅英一に美術品購入で仕えた伊藤郁太郎によると、大きな戦略を立て、決して急がない、入念な戦術、考えられる限りの手を打つ、というからコレクターとしての執念の塊だった。金があればコレクションができるわけではない。伊藤は、「もっと静かなもの、声高にはしゃべらないもの、正統的なものにこそ本物があり、ものの姿が潜んでいるような気がするのです」と陳列の最後で述べている。安宅は本物を蒐集しようとしたのである。以下は印象に残った作品。「青磁陽刻 牡丹蓮花文 鶴首瓶」--立原正秋が気品ある三十女にたとえた「粉青白地象嵌 条線文 祭器」--英一が「弁慶」と名付けた逸品「青花 草花文 面取瓶」--深い乳白色の朝鮮時代のやきもの売店で「安宅コレクション余聞 美の猟犬」(伊藤郁太郎)を読みながら、コレクターという人生を全うした安宅英一のことを思った。猟犬は伊藤本人のこと。この企画展が「安宅英一の眼」となっているのは、その眼が選んだものを展示するという意味で、ものの背後にある安宅英一の眼を感じてもらいたいということだろう。コレクターという人々にも興味が湧く。------------------------
2011/05/29
コメント(0)
奈良本達也編「日本の私塾」(淡交社)を、興味深く読んだ。この本が出たのは昭和44年である。私が九大に入学した年だ。東大が紛争によって入試が中止された年である。編者の奈良本が著名な歴史学者であるが、その年の1月に立命館大学の教授の職を辞している。それは太平の夢をむさぼり続けてきた大学への絶望に起因している。奈良本は、大学の再生のために、二つの道があるという。一つは情報産業の時代にふさわしい大学だ。大学の巨大化を推進し知を全国民のものにするという方向である。もう一つは、学問を教えるという原点に返って、日本の江戸時代に盛んであり、多くの有為な人材を輩出した私塾である。ここではマスによる教育ではなく、師匠と弟子という濃密な関係の中で人格形成も含めた全人的教育が行われていた。この私塾は昌平黌を頂点とする官学としての藩校への対立物として生まれた。いわば私学の源である。私塾では優れた学者と、優れた指導理念があった。この本は、私塾でいかなる教育が行われたのかという観点から、11の私塾を5人の著者とともに観察、分析した書である。吉田松陰の松下村塾。中江藤樹の藤樹書院、伊藤仁斎の古義堂、菅茶山の廉塾(黄葉夕陽村舎)、広瀬淡窓の咸宜園、本居宣長の鈴の屋、大原幽学の回心楼、江川英龍の韮山塾、シーボルトの鳴滝塾、緒方洪庵の適塾、中井愁(?)庵の懐徳堂。明治維新で活躍するそうそうたる人物を多数輩出した、私塾の中の私塾「松下村塾」は編者の奈良本が担当している。他の私塾は他の書き手が担当しているが、文章のトーンが同じ音色であるのが不思議に感じた。相当の議論と書き手の力量の平準があり、やはりこれは編者の力であると思わざるを得ない。松陰は、ものを覚えさせるのではなく考えさせることを主眼としていた。すべてをわが身に引きつけて読み、主体的に考えることの喜びを呼び覚まさせた。その教育が久坂玄瑞、高杉晋作、前原一誠、伊藤博文、山縣有朋らを生んだ。仁斎は、5つの戒めを説いている。「学は日新を貴ぶ」「其志を立つること大なるを欲す」などが眼をひくが、常に「すべからく天下第一等の人となるを志となすべし」」と常に語っていた。淡窓は、月旦表という相撲番付のような学問の序列と、塾生の自治生活の指導者とをリンクさせた。またカリキュラムが実に工夫を凝らしてあった。人間の優劣は点数で評価できると考え、それを体系化した。この咸宜園は門弟5千人を数え、全国から入門者があった。宣長は、人間の自然な感情の発露を大切にし、そういう国柄である日本は儒教や仏教という外来思想を排斥する講義を行っている。、伊勢神宮への参道にあった松坂での新しい考え方は、日本全国に広っていき、明治維新へと連なっていく。シーボルトは、長崎の谷あいの塾舎で100名を超える若者にヨーロッパの最新の知識を教えた。塾生たちにテーマを与えオランダ語で論文を書かせ、それを自分の勉強の材料とするという方法で自身の日本に対する知識を増やしていった。高野長英などそれらの人々は、各地で医療の分野などで活躍していく。洪庵は、学問の実力によって塾内での立ち位置を決めるという方式をとり、勉学は厳しかった。その厳しい学問修行が、キラ星のごとき多数の人材を世に出すことにつながっていく。今日の大学のゼミはいわば、この私塾である。先生自身が優れた教育者であるか、そして教育理念はどのようなものか。改めて自身の教育活動に問いかけてみたい。
2011/05/28
コメント(0)
人物について調べていると、彼らが実行した勉強の方法に遭遇し、興味が尽きない。幾人かを並べてみよう。名を成した日本の偉人はどのように勉強したか?キーワードは、継続・時間管理・日記・旅、、、。-------------本多静六本多静六は25歳からアルバイトとして一日一頁(32字・14行で448字相当)の文章修行を始めた。42歳の時に腸チフスにかかって休んだ分を取り返すために一日三ページに目標を改め馬力をかけたのが新しい習いとなって、一年で千ページというのが新しい取り決めとなった。この習いは85歳までも続いたため、中小370冊の著書を持つようになった。-------------------渡辺崋山藩士としての重責を担いながら、学者や画家としても活躍した渡辺崋山は、”マルチサラリーマン”のかがみといえる。ただ彼も、才能を開花させたのは人生の後半だ。2時間単位のムダのない生活スケジュールは、今でも参考になる。行動が制約されていた時代、メモやスケッチを多用して効率化を図るなど、時間の使い方にたけていた。睡眠時間は3時間、不眠説もあるぐらいで、まさに刻苦勉励型の努力家だった。崋山はスケッチやメモをとるという方法を用いていた。崋山の優れた観察眼の秘密はこのスケッチやメモにある。-------------------原敬 何といっても19才から65歳までの日記83冊の「原敬日記」の存在が凄い。遺書には「余の日記は、数十年後はとにかくなれども、当分世間に出すべからず、余の遺物中この日記は最も大切なるものとして永く保存すべし」とあった。このため本箱ごと盛岡に送られ、保存されていたため、関東大震災にも東京大空襲にもあわずに後世に遺すことができた。この日記は没後30年たった1950年に公開されて、出版された。原はどうやってこの日記を書き続けてきたのだろうか。毎日、簡単なメモを取っていてそれを材料に一週間に一回詳細にきちんとまとめた。パソコンやブログのような便利なツールがない時代に、激務の中で継続して書き続けた意志力には感銘を受ける。----------------------吉田松陰松蔭は日本中を歩き当代の一流の人物に会って学んだ。長崎、平戸、北九州各地、東北諸国。東北では藩の通行証の発行を待ちきれず、脱藩するまでしている。平戸では80冊、長崎では26冊の本も読んだ。松陰の勉強法は「読書しつつ、要点を一々抄録する」というものだった。要点を書き取るという勉強法だ。-----------------------------
2011/05/27
コメント(0)
本日のリレー講座は、東京財団上席研究員の渡部恒雄先生の講義。 ワシントンの「東アジア政策」の決定に影響力のある重要ポジションは3つ。国務省東アジア担当。NSCアジア上級部長(大統領特別補佐官)。国防総省。 最近人事異動があった。アフガンからの撤退をにらんだ配置、CIA長官が国防長官。オバマの側近の起用。イラクからNSC日本部長に。 最近のアメリカの関心(メディア)、リビア空爆よりも日本の大震災だった。日米関係、アジア、エネルギー。 アメリカ政府は、一人の人間の人格と思わな方が良い。いろいろな勢力が競っているのが実態。 オバマ政権は、対中国では現実的な関与政策、エンゲージメント政策。牽制しつつも関係を深くしていく。 中国の経済力と軍事力。2010年のリアアース禁輸、南シナ海で中国は問題ありと認識。国際社会の責任を果たさないのではないか。コントロールが必要。 アメリカの力の限界の自覚。経済の立て直しから再び世界のリーダーへ。 アクセス拒否能力。第一列島線と第二列島線。 中国の核心的利益は、台湾、チベット、新疆ウルグアイ。 中国をにらんだバランスオブパワーの観点から日本の重要性が高まっている。 アメリカの震災のトモダチ作戦。日本を援助。災害協力。原発事故ウオッチ。原発の影響を最小限にしたい。 浜岡原発停止には戦略的合理性あり。最悪は脱した。----------------------10時:面談。11時:ホームページ打ち合わせ。13時:面談。13時半総研打ち合わせ。14時50分リレー講座。16時20分から19時までゼミ。
2011/05/26
コメント(1)
原三渓 「横浜の本体とは市民の精神であります」関東大震災で横浜も大打撃を受けた。横浜復興会の会長に推された原三渓は、横浜の外形が焼き尽くされたに過ぎない、横浜は厳然となお存在している、横浜を支えてきた人々が存在するではないか、そして横浜の本体は市民の精神である、と述べた。この発言によって横浜の復興という志のベクトルの方向が決まった。優れたリーダーの発する言葉は、時代を変える。この原三渓という人物は、私より公を大切にし、横浜の利益になるなら私を無にした。横浜の復興に尽力するなどまさに横浜の恩人だった。また、三渓は多くの芸術家を育てる役割をはたしている。日本美術界の恩人でもある。そこに経営者のあるべき姿、人間としてのあるべき姿を見ることができる。今日の横浜も、今日の日本もこの人物から多くの恩恵をもらっている。機会あるごとに、見事な三渓園を訪れて、その遺徳を偲びたい。------------------------後藤新平 「妄想するよりは活動せよ。 疑惑するよりは活動せよ。 説話するよりは活動せよ。」動き続ける人に知恵が宿る。後藤新平は明治の生んだ大事業構想家で、偉大なプロジェクトデザイナーである。後藤は国家のビジネスモデルをいくつもつくった。日本最初の植民地・台湾経営の成功、大規模国策会社・満鉄総裁としての新国家建設、東京市長・帝都復興院総裁としての大規模な都市計画、と見事な仕事を成し遂げている。国や都市を生物と見る考え方(医者出身)、徹底的な調査研究(調査の後藤)、目的へ向けた組織設立・簡素化・行政改革、大胆なスカウト人事による人材活用、長期戦略としての人材育成のための学校建設・教育の重視、といったプロジェクトの成功モデルが後藤新平の取り組みの特徴である。結果として、後藤は都市政策の父とも呼ばれることとなった。---------------------与謝野晶子 「十余年われが書きためし草稿の跡あるべきや学院の灰」「十二歳の時からの恩師」と呼ぶ紫式部の源氏物語の新訳にライフワークとして取り組み、ついに全六巻を完成する。途中1923年の関東大震災によtって原稿が焼失するなどの悲劇に見舞われたが、それを乗り越えての六十歳での完成だった。----------------------原敬 「天下の患いは勢いを知らざるより大なるはなく、而して治国の要は勢を察するより急なるはなし。」自分勝手に、やみくもも問題を言い立てて、解決しようとしてはいけない。あらゆるものには、時勢というものがあるのだ。何といっても19才から65歳までの日記83冊の「原敬日記」の存在が凄い。遺書には「余の日記は、数十年後はとにかくなれども、当分世間に出すべからず、余の遺物中この日記は最も大切なるものとして永く保存すべし」とあった。このため本箱ごと盛岡に送られ、保存されていたため、関東大震災にも東京大空襲にもあわずに後世に遺すことができた。この日記は没後30年たった1950年に公開されて、出版された。原はどうやってこの日記を書き続けてきたのだろうか。毎日、簡単なメモを取っていてそれを材料に一週間に一回詳細にきちんとまとめた。パソコンやブログのような便利なツールがない時代に、激務の中で継続して書き続けた意志力には感銘を受ける。
2011/05/25
コメント(0)
先週に引き続き、自治大学校での講義。60名のグループのうち、先週の残りの30名が受講。13時から16時50分まで。受講生の所属は、山口県呉市、岡山県井原市、和歌山市、鳥取市、香川県さぬき市、熊本県益城町、長崎県上天草市、笠岡市、高松市、広島県大竹市、佐賀市、沖縄県宜野湾市、沖縄市、山口県福山市、奈良県王寺町、兵庫県たつの市、山口市、鹿児島県霧島市、鹿児島県大崎町、京都府八幡市、佐賀県伊万里市、熊本県長洲町、佐賀県多久市、長崎県島原市、周南市、兵庫県相生市、愛知県設楽町、滋賀県愛荘市、兵庫県朝来市。今回は、西日本地区が中心だった。所属部課は、建設部建築課、都市建設部街づくり推進課、総務課、総務庶務課、教育部社会教育課、企画管理部企画財政課、地域振興課、都市建設部都市計画課、秘書課、水道局経営管理部経理課、市議会事務局、選挙管理委員会事務局、総務部総務課、都市交通政策課、市民病院事務部経営企画課、総務企画部総務課、総合政策部文化政策課、企画総務部総務課、健康福祉部こどんも未来局子育て支援課、総務部政策課、教育委員会事務局、教育委員会事務局こども教育部、都市計画課、産業部企業誘致商業振興課、市長公室、建設部都市整備課、選挙管理委員会、総務課、出張所教育振興課、総務課、市民経済部商工振興課、総務部人事研修課。所属部署はバラエティに富んでいる。市町村の係長以上相当職以上の職員の集合研修であるが、3か月の長期に及ぶ合宿研修だ。この自治大学校では、短いものでも2-3週間、長いものでは6か月という長期の研修が主体である。担当講師は、内閣法制局第一部長、自治大学校教授、総務省地域力創造審議官、総務省自治行政局長、警察庁刑事局組織犯罪対策部、などの現役官僚。また学界からは、上智大、一橋大、成城大、早稲田大、東大、首都大学東京、帝京大、岡山大、国際医療福祉大、流通科学大、自治医大、山梨学院大、香川大、立教大、立正大、日大、成蹊大、多摩大、など。その他、弁護士、NPO法人代表、音楽文化協会理事、、、、。公務員の研修は、長期の合宿研修というプログラム、講師陣など、恵まれていると改めて感じた。市町村の現場の行政幹部は、こういった研修で友人を得ながら成長していく。そういうインフラがよく整っている。公務員の仕事は、一人一人の守備範囲が広い。一人の公務員が啓発・成長することによって、大きな影響が出てくる。こういった研修は現場の公務員の力をアップするためのものだから、私も真剣に向き合うようにしている。アンケートを回収し全部読んでみたが、成果は出ていると思う。
2011/05/24
コメント(0)
1977年刊行の文春文庫「関東大震災」の新装版である。全東京市の死者の55%強(3万8千人)を数えた本所横綱町にあった被服廠跡の大惨事は詳細を極めている。この地には現在は復興記念館が建っている。同じ著者の「三陸海岸大津波」(文春文庫)と同じく読んでおきべき記録である。関東大震災 (文春文庫) 作者: 吉村昭 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 2004/08--------------------------「日本復興計画」。この本の1章は3月13日、2章は3月19日の大前研一氏の衛星放送での発言を収録したもので、原発関係の現状把握、予測の正しさが証明されている。当時、ネット上で大きな話題になった。「原子力立国は終わり」「東京電力は倒産、原子力発電は国営化」「東電配電会社に」「原子炉完全冷却には5年以上」「5キロ圏内には未来永劫、人は住めない」「日本の農業は復興しない」、、、。復興のために「道州制」「低地は緑地と公共の建物、高台に新しい住宅コミュニティ」「統合漁港」「消費税2%4兆円を1-2年」「プルトニウムを貯めていつでも原爆をつくれるようにしておく」、そして最後は「日本人のメンタリティの変革」という持論を展開している。日本復興計画 Japan;The Road to Recovery 作者: 大前 研一 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 2011/04/28 メディア: 単行本
2011/05/23
コメント(0)
お気に入りの小型カメラを持って南大沢のアウトレットまで歩きました。初夏を思わせる快適な散歩となりました。途中で美しい風景を撮影。行きつけの店で、帽子を購入。しばらくゴルフをやっていないが、久しぶりにテレビで最終日を堪能しました。とおとうみ浜松オープンでは、35歳の小林正則と石川遼とのプレーオフを楽しみました。石川はトップと4打差の6位から追い上げ、最終18番でバーディトライをねじ込み、小林に追いつく。小林は最終18番はカップにけられてしまう、という明暗。しかし、プレーオフは小林が初優勝。大相撲は技能検査場所とかで、テレビでやっていないので、ニコニコ生放送で観戦。今日の取り組みで一番驚いたのは、横綱・白鳳を寄り切りで破った大関・魁皇の強さでした。右上手をがちっと引いて真正面から闘う姿には拍手を送りたい。来場所は、幕内勝利で歴代トップの千代の富士を上回る歴史的な場所となります。http://live.nicovideo.jp/息子の友達が遊びに来たので、一緒に食事。仙台時代からの音楽関係の仲間。夏に出版予定の本の原稿書きのための資料をそろえたので、夜はそれを使って原稿書き。リズムがつかめたので締め切りまでに終えることができると思います。
2011/05/22
コメント(0)
多摩学研究会は望月照彦先生。昨年からの同僚の発表会の最後を飾るにふさわしい素晴らしい講義だった。全員がこの優れたアジテーターの卓説に感動。この半年で150冊の本を読んだそうだ。「未来を生み出す、知の共同体」 多摩校舎から見える富士山・多摩丘陵。薩摩藩の桜島。津和野(西周と森林太郎。亀井これみ)の養老館と青野山。 分水嶺。崩壊か創造か。大菩薩峠は多摩の源。多摩川と笛吹川。 中里介山。俗人と理想主義。 「大菩薩峠」。41巻、未完の大作。社会構造研究の思想書。構築的小説。 「絹の道」は文明の道。 五日市憲法草案。千葉三郎が起草。204条。1968年に色川大吉ゼミが発見。深沢家土蔵。 ベンチャーの先達・田島弥平。島村勧業会社。 エッジとカオス。「自己組織化の経済学」(ポール・クルーグマン)。エッジシティ。 広域多摩。 奈良本達也の名著「日本の私塾」「日本の藩校」。学術結社・政治結社の民衆学と勇舌家。横浜から群馬まで300から500あった。ヴァナキュラー(母語)な学の可能性。 理想社会を求める中里介山。実務家・渋沢栄一。 「大菩薩峠」。社会民主・共産主義の与八の共生村。?国際社会主義(胆吹王国)の平等。リベラリズム・植民国家・駒井能登。「D リバタリアン。社会主義(アソシエーショニズム)世界共同体へ。机龍之介。連合体の競創。ここが書き残した部分ではないか」 イリノチ「脱学校社会」。鶴見和子「漂白と定住」。 広域多摩。100を超える大学・高等研究所。三多摩では50の大学。5万人の教員・研究者。100万人の大学生・院生。先端社会課題の研究・解決集積。研究のビジネス化。ファンドレイズ機関。ノマニズム。私学・官学・民学。クリエイティブ・ソサイエティ。--------------------------インターゼミ。酒井先生と長田先生のミニ発表。以下、寺島先生の短い講義。 賠償スキーム。政府は真水は出さない。機構に金を貸す。金融機関にも一定の責任。東電は利益が出ない仕組み。 賠償する会社。モチベーション?株式会社? 成り立つか?何をもたらすか? ワイマール共和国。ヒットラーの誕生。 政策になっていない 原子力は最大25%。副次的・過渡的。 産業のパラダイム転換。 正規採用枠の外国人枠5%。10年以内に2割以上に。 東北再生よりも、アジア進出という流れ。企業にはいい口実。円高、電力料金、法人税、消費税。 空洞化。 時代と並走せよ。力をつけよ。 3・11は何かを変える。人生設計。その後、「震災と日本再生」チームと学長の懇談。終了後、金先生、中庭先生、長田先生と、蕎麦屋で軽く。
2011/05/21
コメント(1)
リクルート発行の「あるじゃん」。「お金のチカラは一生モノ!」がキャッチで、「お金に困らない人生を送るための貯まる&増やす知恵や商品情報」を読者に届けようというのが、編集長のメッセージ。この雑誌の5月21発売の最新号にインタビュー記事を書きました。 お金を貯める目的は「図解」して考えてみよう! 「図解のカリスマが徹底指導」。 図解を使って心豊かにお金を貯めよう! お金を貯める目的を見つける3ステップ まず支出の分類を考え直す 支出を円グラフで考察 ライフデザインを考えて貯蓄目的を考えよう ケーススタディ「あなたのお金の悩みも「図解」で解決」 やりたいことが多くちょこちょこ浪費する Mさん27歳 収入が上がらず閉塞感あり。老後の不安も感じ始めた。Yさん32歳。特製・図解シート。http://www.argent-net.jp/ag/1105/#pdfdl初めて「あるじゃん」を手にしたが、知り合いも出ていた。多摩大学大学院で私の講義を受けていた経済評論家の木村佳子さんは「形あるものから無形の力への転換!真の価値を見極め、新しい日本、信じられる資産を築いていこう」。そして公認会計士の山田真哉さんは「平常時は自分の資産チェックを。普段から備えをしておくことで非常時にも落ち着いて行動できる」。----------------------------新しく手に入れたカメラの「パノラマ」機能を試している。左右が広い被写体をワイドに撮影したい場合、「パノラマ」を使うと、広角レンズのように全体が写せるということになる。-本日の朝のマネジメントデザイン論1の授業風景。-夜の大学院の「実践・出版プロジェクトマネジメント」の授業風景。本日のゲスト講師は、東洋経済新報社の清末部長。
2011/05/20
コメント(0)
本日のリレー講座の講師は、クラコーフ ワシーリー(新潟市ロシア交流担当顧問、前・在新潟ロシア総領事)氏で、演題は「日本とロシアの現状と両国関係」。要旨は下記。 福島原発。東電に責任はあるが、メーカーであるGEの責任も大きい。 日本人の人生観、行動、治安、我慢強さ、ボランティアの助け合いの精神に感心。 チェルノブイリの場合は死者は60人。風評被害が一番大きかった。 マルクス。人間の幸せとは何かを考えた。共産主義の理論は説得力はあるが、実際は機能しない。 共産国からはどこでも逃げ出す人が多い。東ドイツ、北朝鮮、カンボジア。逃げるところをなくすには世界革命しかないということになる。 スターリン。どれほどの人が死んだか、よくわからない。 中にいる人は外のことがわからない。ずっとプラウダで嘘をつかれていた。外交官時代に日本を訪れて凄い生活をしていることを知った。亡命も考えたが家族のことを考えた。 ゴルバチョフのペレストロイカ。社会構造が崩壊。一気に資本主義に突入したため、極端な貧富の差になった。上下10%の格差は日本の4.5倍に対して、ロシアは15倍。 日本。国債残高1000兆円超。毎年24兆円の返済。これはねずみ講。 政治が不安定。りーダーの直接選挙が必要。政治家が地元対策に忙殺されている。もっと自由に。 ロシアと中国は難しい国境問題を解決した。ロシアからみると、日本は政治家が解決する気がないようにみえる。すぐにリークされる。話し合いにならない。------------------ゼミ広報グループは全員がFacebookに登録にコミュニケーションをここでとることになった。多摩大の広報活動を行う学生チームが誕生。5限は、ベルディグループ、多摩焼きグループ、広報グループでわかれて議論。6限は図解ゼミ。寺島実郎「世界を知る力」、佐々木俊尚「キュレーションの時代」、久恒啓一「図解で身につく! ドラッカーの理論」の3つのグループに分かれて、それぞれの本の内容を図解したものを発表しコメントし合う。これを続ければ、内容の深い理解とともに図解力がついていく。-----ゼミ終了後は、永山の牛角でヴェルディチームと焼肉を食べながら懇親会。4年生1人、3年生3人、2年生6人。
2011/05/19
コメント(0)
午後は、まず京王永山のJTBフォレスタ永山で「ビジネススクエア多摩クラブ発足式」。多摩市の創業支援施設・ビジネススクエア多摩が4月1日に出発し、入居も順調に推移している。このBS多摩を支援する組織として「BS多摩クラブ」を発足させた、その発会式だ。 主催者あいさつは、多摩市の阿部市長、多摩大の諸橋学部長、多摩信金の長島部長。 BS多摩入居者の8社の紹介。 BS多摩クラブ会員証授与式では、BS多摩の運営委託をしている多摩大総研所長の私が会員証の授与を担当。その前に簡単な挨拶。東京産業大はトーサンにつながるから多摩大に。多摩大の総研から多摩の大総研へ。現代の志塾・多摩大。志とは社会の不条理の解決に職業や仕事を通じて貢献すること。BS多摩入居者は志起業家。それを支援していただけるクラブメンバーは志企業。続いて、以下のBS多摩クラブのメンバー企業に会員証をお渡しする役目。KDDI。京西テクノス。ミツミ電機。京王電鉄。JUKI。日本電気西東京支社。有限会社アイティースクエア。山陽。キャリア・マム。インフォテック。(まだ調整中の企業も4社あり)続いて、13階に場所を移して「地域交流会」。来賓の東京都商工部の中尾創業支援課長、木村係長。京王電鉄の山本取締役、渡辺企画担当課長。インフォテックの古屋社長。キャリア・マムンの堤社長。NPOの山川さん。BISSERの北村社長。起業予定の大串さん。NECの米田支社長、青木課長。多摩新桜ヶ丘支店の井田支店長。京西クリエイトンの渡辺部長、小島グループ長。以上の人と名刺交換。阿部市長ともいろいろとお話ができた。二つの会とも大盛況だった。--------------------------午前中は、多摩センターでS出版社と秋に出す本の出版の打ち合わせ。
2011/05/18
コメント(1)
立川の自治大学校に出講。このあたりは、警視庁、都消防庁、食糧庁、東京電力、都水道局、陸上自衛隊駐屯地、立川地域防災センターなど、防災関係の官庁街になっている。立川飛行場は、1922年に帝都防衛構想の中核拠点として設置された。その後、民間空港としても共同利用され、1929年には大阪と3時間で結ぶ日本初の定期航空路が開設された。1933年の民間航空の羽田移転後は、陸軍立川飛行場として運用される。敗戦に伴って、アメリカ軍に接収され、以後アメリカ空軍立川基地になる。滑走路の延長問題を機に地元地権者の猛反対があり、砂川事件に発展し、駐留米軍の合憲性が争われた。これがきっかえとなって横田基地への移駐が完了しアメリカ軍の活動は1969年に停止する。この跡地は、防災関係の官公庁施設を集積した立川広域防災基地として整備された。立川防災合同庁舎、陸上自営隊立川駐屯地、海上保安庁、農水省、東京都立川防災センター、警視庁、東京消防庁、災害医療センター、日赤などがあり、東京電力のビルもみかけた。さて、自治大学校はこの一角にある。総務省がつくった自治体の公務員幹部を育成する学校である。創立は1953年。管理棟、研修棟、厚生棟、寄宿舎、講堂・体育館棟、屋外運動施設などを擁する堂々たる建物だ。JICAの発展途上国の公務員研修、アジア太平洋の地方行政センターとしての機能もあり国際研修も提供している。今回の講座は、市町村の係長相当職以上の職員を対象とした一般研修である。受講者は3か月間にわたって泊まり込みで研修を受ける。33歳から48歳までで平均年齢は40歳。総務が一番多いが、所属は多岐にわたっている。私に依頼があったのは、幕張の市町村職員中央研修所からの推薦ということだった。欠番がいくつかあったが、これは東日本大震災で影響を受けた地域からくるはずだった自治体という。北海道砂川市から沖縄県宜野湾市まで総勢60名で、今日はその半分で、来週また残りの半分の研修となる。13時から16時50分までの半日研修。終了後のアンケートはをみるともっと学びたいので、自分の自治体でも指導してほしいという声もいくつかあった。今年は、自治大学校の他にも、消防大学校などでの連続講義も予定されているなど、公務員研修に縁がある流れになっている。終了後、モノレールで多摩センターに戻って、3年生と4年生のゼミ生たちとの飲み会。
2011/05/17
コメント(0)
清話会発行の「先見経済」という雑誌の5つ号の特集「とっておき会議術--組織に自発的行動の新たな息吹を」にインタビューを受けている。4ページの大きな記事だ。私の「タテの会議 ヨコの会議」(ダイヤモンド社)を読んだ編集者から申し込みのあったものだ。「会議の本では、この本が一番、腑に落ちる」というのが編集者の弁だった。先見経済http://www.seiwakai.com/senken.html「タテの会議」とは、上司と部下、経営層と一般職など「上下間で情報が行き来する会議」「ヨコの会議」とは、「部門を超えて情報が多方向に流れる会議」のことである。--------------「図解とタテ・ヨコ会議で合意形成に納得感を」参加者を論破する会議では誰も動かない。社員の自発的な行動を起こさせるのに必要なのは「納得」感だ。文章や数字だけで説明するよりも直観的に内容を伝えやすく、会議を活発化させる「図解コミュニケーション」。さらに理解と伝達、企画と高層など目的や参加者の立場に応じてあり方を変える「タテ・ヨコ会議」で組織は生まれ変わる。考案者である多摩大学経営情報学部教授の久恒啓一氏に話を聞いた。以下、小見出し。 時間と空間の視点から、まずは会議の大枠を提示 文章よりも伝わりやすい、図で示す概念と関係性 会議は無理矢理ではなく、納得させることが大事 目線の違いを合わせて、会議の場を活性化する 報告、伝達だけのムダな会議はいらない 上司は口数を少なめに、部下のサポーターとなれ 参加者の立場も目的も、違うことが前提にある 流れと結論を想定し、自部門の立ち位置を決める 決定事項は、参加者の共同責任----------------編集の大澤さんが私の考えをよく理解してくれて共感してくれているので、とてもいい内容になっている。「タテの会議 ヨコの会議」(ダイヤモンド社)は自分では新しい考え方と方法論を提示したと自負はしていたが、理解者が現れて嬉しい。この雑誌の読者である経営者に届けば幸いだ。---------------------------------今日は、朝8時から九段で学長主催の教育検討会議。宿題あり。その後、日経出版の編集者と夏に予定している出版の打ち合わせ。広がり。
2011/05/16
コメント(0)

東寺(教王護国寺)。東寺は曼荼羅の寺である。曼荼羅とは輪円具足、すなわち満ち足りた世界ということ。悟りの内容を図絵であらわしたもの。胎蔵界は大日経により大慈大悲の世界をあらわしたもの。金剛界は混合頂経による智の世界をあらわしたもの。 密教の経典にあらわされている教義は極めて神秘的で、これを人々に理解させるには、画像による表現をかりなければ伝達しえない。(請来目録) 物の興廃は必ず人に由る。人の昇沈は定めて道に在り。 遮那(しゃな)は中央います。遮那は阿誰(たれ)の号(な)ぞ。本是れ我が心王なり。 良工は先ずその刀を利くし、能書は必ず好筆を用う。刻とろうと用に随って刀を改め、池に臨まば字を逐って筆を変う。 仏心は慈と悲なり。大慈は則ち楽を与え、大悲は則ち苦を抜く。 十住心論 第一住心 動物のように、欲望のままに生きる心。 第二住心 道徳に目覚めた心。道徳の教えにより人間としてやや善なる心がきざしはじめる心。 第三住心 戒めを守り、来世の安楽だけを願う世界。 仏の戒めを知り、来世に良い生まれ変りを望む心。 第四住心 自我に実体はないことを悟る心。 声聞 ( お釈迦様の言葉を聞いて悟る者 ) の境地。 第五住心 縁覚 ( お釈迦様のように、前世からの善行や誓いにより、ひとり修業し悟る方 )の境地。 第六住心 菩薩の境地。縁に囚われず、慈悲の心を全ての人に起こし、他者の救済のためにはたらく心。 第七住心 三論宗の境地。物質に実体性がない(無我)だけではなく、自分の心に起こることも、実体がなく、本来不生であると悟る。 第八住心 法華経の境地。性は汚れに染まらないと観想し、全ての人の心が清浄であると知る。 第九住心 華厳教の境地。仏は空の悟り(無為)がまだ究極ではないことをさとす。 第十住心 真言密教の境地。機根 ( 信仰心と能力のある ) を持つ者を、法界マンダラに入れしむ。四・五は小乗仏教の境地。六・七・八・九は大乗仏教の境地。十は密教の境地。
2011/05/15
コメント(0)
インターゼミ(社会工学研究会)。寺島学長から。 中里介山。羽村。アメリカ観察。大菩薩峠。甲州と東京の堺。甲州は八王子千人同心。 白洲次郎。東北電力会長。九電力体制に役割。ポツダム政令。松永安左エ門 この一週間:5月10日、京都東本願寺で親鸞の講演。11日、中東懇談会(8月にイスタンブールで中東経済協力会)。ビンラディンの殺害。サウジ出身のラディンはソ連の侵攻に対するアメリカの義勇軍応募に応募させられミイラ取りがミイラになりモンスターになった。このラディンをアメリカがパキスタンで殺害。日本の首相声明「関係者に敬意を表する」と発表。人を他国の領土で裁判もせずに殺しことを尊敬するというのはまっとうな人間のいうことか。アメリカのいうことが正しいとする国。5月4日のウィキリークスでは、日本の役人(防衛省・外務省)は民主党政権は行き詰ってしまうから協力しない方がいい、というアドバイスをアメリカにしている。異常なセンス。11日の夜は高速道路無料化を考える委員会(委員長)、山梨県知事・新潟市長からのヒヤリング。小仏峠が混む。ここは八王子千人同心が守ったところ。12日:文部科学省の大学の世界展開に関する委員会。来週は日中韓の単位互換協定関係の会議が済州島で行われる。受け皿となるパイロット大学。12日の夜:海江田産業経済大臣主宰のエネルギー賢人会議。13日は文化庁の国際交流有識者懇談会。マンガ・アニメなどジャパンクールの産業化がテーマ。他に宮城県復興会議。復興に関するメディアのスケジュールが多い。 就職を機に人生を考えるサイト。学生情報センター、日本総研(佐藤・岩崎)。志ある中小企業のエントリーシートの設計。----------------------------------------- 午前は、大学院の修士論文等予備審査会。 大学院教授会。 学部運営委員会。
2011/05/14
コメント(0)

緊急出版・特別報道写真集「3・11大震災 巨大津波が襲った 発生から10日間 東北の記録」(河北新報社)。東日本大震災発生から10日間、地元の東北ブロック紙・河北新報は、安穏な暮らしを根こそぎにした震災を懸命に伝えることで、立ち直りの力につなげようとの方針で、連日懸命の報道を行い、高い評価を得ている。10日後の21日の朝刊では「皆さんと一緒に難局を克服し、未来に向けて進んで行くことを、あらためてお誓い申し上げます」とのメッセージが載っている。4月8日発行であるが、買い求める人が多く本日ようやくこの写真集を手にすることができた。「津波」「惨状「原発」「救助」「避難」「前へ」というブロックに分かれて、迫真の写真が並んでいる。知っている場所の惨状が写ってもいて、心を痛める。最後の「前へ」という写真では、笑顔も戻った被災者の顔が写っている。今回の被災地である岩手、宮城、福島は、河北新報にとっての大事な土地であり、他の全国紙とは違った気迫と使命感を感じる報道写真を連日、送り続けた。地元の報道機関としての使命感に裏付けられた仕事ぶりがひしひしと伝わってくる内容だ。取材も難しかったであろう。交通網の断絶や停電、情報通信の制限の中で、記者やカメラマンは泥にまみれ、水につかりながら現場をめざし、何を伝えるべきかを自問自答しながら、災害報道という神聖な仕事に没頭していたことがわかる。仙台にいた当時にお世話になった記者たちの顔を思い浮かべながらページを繰った。最初のページの名取市の大津波。三陸町志津川に大津波が押し寄せる瞬間の連続写真。冠水した石巻市の市街地。唐桑町の漁港。気仙沼の中心地。甚大な被害を受けた七ヶ浜。仙台駅。仙台空港。利府グランディ21で遺族の迎えを待つ遺体安置所。大船渡。釜石。宮城県庁。茂庭台小学校。長蛇の列のダイエー仙台店。給水を受ける台原森林公園。行列の続く泉中央バスターミナル。、、、、、。11年間住んでいた地域だけに、見覚えのある場所も多く、変わり果てた姿に衝撃を受ける。明治維新の際に「白河以北一山百文」と蔑まれた東北の意地を見せようと「河北」と改題した1897年創刊の河北新報は、この110年以上をまさに東北とともに歩んできており、愛読者も多く、影響力は大きい。今回の震災報道では、地元紙の奮闘が目立ったといわれているが、その中でも地元ブロック紙・河北新報の報道は群を抜いていただろうと思わせる写真集である。実状の報道、励ましのメッセージ、など報道のあり方を自問自答しながら苦闘した地元新聞社の心意気が伝わってくる写真集だ。
2011/05/13
コメント(0)

新神戸から新横浜。いったん自宅に戻って、大学へ。 留守中の雑事を秘書と片づける。 5限のゼミは3つのプロジェクトにわかれて議論。 6限はゼミの図解講座。寺島実郎「世界を知る力」と佐々木俊尚「キュレーションの時代」と私の「図解で身につく!ドラッカーの理論」の3班に分かれて、それぞれが描いてきた担当の本の一部の図解を発表し、それを批評し合うというスタイル。 スタッフと打ち合わせ---------------------神戸の書店で同僚の樋口裕一先生の新著「文章の鍛え方」と私の新著「図解でわかる! 難解な世界の名著のなかみ」が並んでいました。同じ出版社・中経出版から同時期(5月)に出た本です。なんとなく嬉しくなりました。ディスカバーから出した「志 KOKOROZASHI」のオーディオブック化の進行状況の連絡があった。オトバンクがつくりFebeで販売します。http://www.febe.jp/top/index.htmlこの本の電子ブック化も進行中です。また、この本は日経新聞出版社から文庫化の話があり、秋には出される予定です。一冊の単行本が、オーディオブックになり、電子化されて、そして文庫になっていく。本の出版もこういう流れになってきました。----------今週の大阪・神戸・京都・淡路島のでは、8人の人物の記念館を訪問しました。資料や本をたくさん手に入れました。 梅棹忠夫(国立民族学博物館) 直木三十五(大阪) 井植歳男(井植記念館) 親鸞(東本願寺・西本願寺) 空海(東寺) 孫文(孫文記念館) 武藤山治(旧邸) 高田屋嘉兵衛(淡路島)
2011/05/12
コメント(0)
淡路島での講演のために出迎えていただいた淡路島青年会議所の中村さんの車で、雨の中まず明石海峡大橋のたもとの公園にある神戸の人物記念館を訪問する。 * 孫文記念館(移情閣)。神戸で活躍した中国人実業家・呉錦堂(?855-1926年)の別荘・松海荘で1913年に行われた準国賓・孫文の歓迎会がここで行われている。八角三層の楼閣。中国の父・孫文の記念館は、神戸、上海、南京、武漢、広州、台北、中山、桂州、香港、福州、シンガポール、ペナン、マカオ、サンフランシシコ、ホノルルと全世界にある。世界中を駆け巡りながら辛亥革命を成功させただけのことはある。孫文を支援した日本人として、宮崎とうてん、梅屋庄吉、頭山満、萱野長知、犬養毅、山田良政、渋沢栄一、南方熊楠が紹介されていた。辛亥革命は多くの日本人の支援で成立したともいえる。この来日時に神戸高等女学校で行った孫文の「欧米の覇道ではなく、アジア諸国と協力し合う王道を歩め」という「大アジア主義」の講演が有名だ。「西方覇道か、東方王道か、、。西洋文化に感化力を及ぼす。、、、我々は仁義道徳を中心とする文明に対して覚醒して彼等を感化する文化を必要とする運動である。」(1924年12月1日。神戸又新日報) * 武藤山治旧邸。鐘紡中興の祖。?867-1934年。慶應義塾卒業後、三井銀行を経て鐘淵紡績に入社。1921年社長。1924年衆議院議員。政界引退後は時事新報社長。コロニアルスタイルの木造二階建ての洋館。 * 淡路島では、北淡震災記念公園。野島断層保存館。体験館で、震度七を体験。 * 高田屋嘉兵衛顕彰館、歴史文化資料館。ゴローニンの日本幽囚記を購入。夕方からは、洲本市の淡路青年会議所で講演。以下、受講メンバー。・(株)淡路島観光ホテル 代表取締役・(株)オーハタ実業 技術担当取締役・沖田建設 専務取締役・(株)柏木商店 代表取締役・(株)たくと建築設計 代表取締役・川越電機商会・ホテルニューアワジプラザ淡路島 常務取締役・木原技建・(株)神陽建設 専務取締役・(有)洲本自動車教習所 専務取締役・(株)斉藤工務店 専務取締役・宗教法人 松栄寺・みのる歯科医院 院長・(有)新家青果 代表取締役・(株)立木塗料店 専務取締役・(株)出口工務店 専務取締役・(株)寺西工務店 常務取締役・(株)新東化学工業所 取締役・(株)生穂建設 代表取締役・中田工務店(株) 専務・淡島水道工業(株) 代表取締役・畑野クリーニング 代表・ジブラルタ生命保険(株)・関西ハウス工業 専務取締役・広井ガラス店・藤井タイヤ商事・藤井商事(株) 所長・淡路印刷(株) 代表取締役・社会福祉法人 三愛会 理事・(株)サンブライトシステムズ 代表取締役・(株)洲本観光タクシー 総務部長・向内造園(株) 代表取締役・いざなぎ法律事務所 弁護士・横山畳店・河井商店・(有)優伸 読売センター洲本・福良 代表取締役終了後、懇親会で皆さんと懇談。
2011/05/11
コメント(0)
京都東本願寺で行なわれた「これからの仏教を考えるーー今を生きる親鸞」と題した講演会に参加した。 寺島実郎さんが3年前の高野山での「現代を生きる空海」に続き、親鸞についての講演をした。聴衆は全国各地の浄土真宗の指導的立場にある人たちである。長崎、富山、大津、、、、。書物と自己の体験を結びつけて考えていくという方法で学ぶ寺島さんは、天才空海に対し、目線の低さを親鸞の偉大さと言う。この半年、親鸞を深めてきており、京都の古本屋からもかかなりの書物を集めて読んでいる。インドの世親と中国の曇鸞の二人の浄土教の僧侶名前を合わせて親鸞をとしたことに、ユーラシアの風を感じる。親鸞の絶対平等主義は、国家統治の手段としての仏教を、民衆の目線に戻した。内村鑑三や和辻哲郎が述べているように、親鸞の思想はキリスト教に近い。紀元前500年に生きた釈迦がキリストに影響を与え、それが中国唐の景教となって、空海もその寺院を見ている。その影響下に日本の仏教もあったのではないかという仮説を持っている。宗教の相互啓発は比較宗教学の分野でも言われている。親鸞は時代状況と向き合い戦っている。50年前の700回忌には鈴木大拙が講演をしている。そこでは、日本仏教は弱者と普通の人のための仏教だ、真宗は世界への偉大な独創的な貢献であると語っている。親鸞の絶対平等主義は現世の権力者には不都合な思想だった。親鸞は90歳まで生きたことも大きい。経験が積み重なって思考を練磨していった。越後流罪と関東での20年前、そして妻となった恵信尼との出会いも大きい。今日の時代状況。ユーラシアダイナミズムに向き合わざるを得ない日本。この5-6年で日本のなりわいが変わった。戦後65年は異常で特殊な時代だった。ユーラシアの息吹を取り入れながら、正気に戻ってバランスよく進んでいかねばならない。震災かからの再生。親鸞の目線の重さ。和魂洋才、無魂洋才、そして洋魂洋才を迫られているといった五木寛之。大震災でパラダイム転換。和魂とは何かを考える時、親鸞の存在がそそり立っている。修了後の質疑。原発問題。日本は原子力の平和利用の技術とそれを担う技術者を育てる必要がある。平和利用に徹していくべきだ。他力。親鸞の他力と近代主義の自力との緊張関係の中で自分を律していくのが大事だ。以上が要旨だが、宗教者たちに感銘を与えていることがよくわかった。宗教界も悩んでいるのだ。控え室で寺島さんにご挨拶。「よく来てくれた」。本人もいつもの講演とは違った緊張感の中での講演だったようだ。寺島さんはそのまま東京で大きな講演があるとのことで戻ったが、私はお寺を回ることにした。親鸞の東本願寺、歩いて15分の西本願寺、そして空海の東寺(教王護国寺)を訪問した。夜に寺島さんから電話があり、親鸞の講演が話題になった。
2011/05/10
コメント(0)
ウメサオタダオ展の余韻み浸りながら関西にいます。太く長い壮大なる人生。愛国者。梅棹忠夫の目。鋭利な着眼、大きい構想、意表を突く作戦。軍事的才能。司馬遼太郎は日本を描いた、宮澤喜一は世界を見た、梅棹忠夫は人類を考えた。大阪谷町に直木三十五記念館を訪ねる。この人の名前をとった直木賞は有名だが、本人がどの様な人かは知られていない。本名は植村宗一。ペンネームは植という字をバラして直木という苗字にして、その三十一だったので、直木三十一。毎年三十二、三十三と増やしていたが、最終的には三十五となった。この記念館は下町の一角にある小さな建物の二階にあった。気をつけていないととおり過ぎてしまう。この界隈で生まれたという縁を大事にして、有志が努力して街づくりの一環として小さな記念館をつくった。推進している人にもご挨拶。直木は色々な仕事手を染めるがうまくいかない。映画監督のマキノ省三とも一時に一緒に仕事をしている。39歳で書いた、南国太平記で流行作家になる。43歳で亡くなるが残した本は多い。 * 芸術は短く、貧乏は長い * 私程度の作品を一日三十枚平均で書けないやうなら、作家になる資格はない。産経2004・10・15直木は1891年生まれで1934年に亡くなるが、翌年には友人の菊池寛が直木賞を制定した。神戸の垂水にある井植記念館を訪ねる。三洋電機の創業者である井植歳男、祐郎、薫の三兄弟を輩出した井植家の記念館だ。井植家は淡路島が故郷。歳男は義兄の松下幸之助とソケットをつくる仕事から始めている。終戦後、松下の財閥指定で軍需会社の生産責任者の公職追放で退社し、1946年から新しい事業を構想していく。三洋は、ラジオ、洗濯機、テレビ、冷蔵庫、扇風機、暖房機と事業を広げ、総合家電メーカーに雄飛していく。太平洋、大西洋、インド洋の三洋という社名の通り海外展開も活発だった。1960年に制定した社是の三本柱は、人間、技術、サービスである。井植学校と呼ばれた勉強会からは多くの事業家が出ている。太陽工業の能村龍太郎、ダイエーの中内功、サントリーの佐冶敬三、ダイキン工業の山田稔、、。記念館の一室が長男の井植歳男記念室。 * 私は、無である。ハダカである。知恵も、財産も、信用もない。この心境に立って考えれば、おのずと活路が開けてくる。 * 困難にあわない人生はあり得ない。もしあるとすれば、それは怠けている証拠である。
2011/05/09
コメント(0)
午後一時に大阪の万博公園内にある国立民族学博物館に到着。NPO法人知的生産の技術研究会の有志メンバーによるツアー だ。民博で開催中の「ウメサオタダオ展」を見学する会である。梅棹忠夫先生はこの民博の初代館長であり、私たち知研の顧問を長くつとめていただいた方だ。昨年夏に九十歳で亡くなった。ツアーのメンバーは関西組と東京と九州からの駆けつけた計12人。思いがけず、先生の秘書の三原さんが直々に案内をしていただいた。先生の最もみじかなそういう方であり、先生以上に先生のことを知っているのではないかと解説を聞きながら感じてしまった。八木さんを代表とする知研ももう40年のお付き合いになるが、そういう歴史の蓄積の中で今日のこの日があるのだと感じ入った。 * 愛用の机、音声時計、エスペラント語のサインの入った本、、、、。 * 置き場所を決めておく。使ったら必ず元に戻す。 * ノートのサイズや色は一定。ページをふる。一行おきに書く。それをカード化する。自分で紙を裁断。音による整理。 * 手書きカード。さがし、うごかし、ならべかえる。可視化から論理化。こざね法。つなぎの言葉だけ。 * 一件ファイル。いきさつファイル。アドレスカード。 * スケッチと写真。スケッチは自分の目で見ること。 * 中学3年生から始まった山と探検の記録の数々。 * ウィルソンの桐箱。情報産業の時代。日本探検。妻無用論。、、、。おたまじゃくしの研究が博士論文。 * 大阪万博の石坂、佐藤総理の原稿は梅棹先生。 * ふかい学識、ひろい教養、ゆたかな国際性、柔軟な実務感覚、ゆきとどいたサービス精神。 * 自分でやる。持続する。記録魔。 * 人類の未来。54歳で館長。65歳視力喪失。月刊梅棹。69歳から74歳の著作集。 * 談論風発、800人。、、、三原秘書の解説付きという超豪華ツアーをすっかり堪能。改めて梅棹先生の偉大なる人生に感銘を受けた。著作集を読み切ろうと決意した。終わって、新大阪駅前で懇親会。会員でもある日経の中沢編集委員を囲んで、梅棹先生へのインタビューのこぼればなしをテーマに飲みながら歓談。先生の実像、本音、など実に面白い時間となった。今西錦司、桑原武夫、梅原猛、川喜多二郎、日文研、小松左京、放送朝日、石毛、松原、小山修三、金曜サロン、ダビンチ、、、、。東京、地方組を除き二次会。こういう楽しい会は初めてかもしれない。
2011/05/08
コメント(0)
インターゼミ(社会工学研究会)。寺島学長の連休はサンフランシスコ、仙台、台湾。そこをきっかけとした講義。 1951年のサンフランシスコ講和条約・日米安保から60年。中国は台湾と締結。1972年の日中国交回復まで。 5月6日は中華民国の辛亥革命100年。国父・孫文と日本のアジア主義者。客家(ハッカ)。白山神社(孫文と宮崎滔天) 台湾は1895年の日清戦争で割譲後50年日本領。朝鮮は1901年以来35年間日本領。靖国神社。 台湾からの義捐金160億円。2000万人の人口。 台湾は国家なのかという問い。国連からの追放。本土人と台湾人。17Cまではオランダ支配。 日本の中国進出の成功には、台湾の企業と組んだ例が多い。言葉、交渉力、、。ゴールデントライアングル。 台北から15分の松山空港から、羽田第四滑走路。川崎プロジェクト。新たな後背地産業の育成。 空海、親鸞、そして日蓮という日本仏教史の流れ 東アジアに産業と教育の連携 2010年のインターゼミ論文集。積み上げ。自分にひきつけて考えよ。その後、各グループに分かれて議論。私の担当するグループは、連休中に調べたところを各自発表するところから始まった。エネルギー、孫正義、仕事、ボランティア、ガレキ、震災孤児、農業・漁業の株式会社化、義捐金、自治体連携、、、、。若者を東北に集めるというテーマも関心を集めた。
2011/05/07
コメント(0)
連休明け。授業が3連発。 講義「マネジメントデザイン1」の4回目の授業。前回アンケートの質問への回答。前回の学生の図解「私の大学生活」の講評。リレー講座「関志雄」講義の概要。関東大震災からの復興を記念した復興記念館の訪問記。そして日経新聞の社説を図解する過程を体験してもらいながら具体的に図解の方法を説明。最後にこちらで描いた図解で説明・配布。 プレゼミ。Hグループは合同の授業。テーマはキャリア関係。椎木先生、山原先生、中村その子先生。 連休明けということで、スケジュールの確認、学長室スタッフとの打ち合わせ。 野田先生から電話があり、よもやま話。仙台、淡路島、ゴルフ、、、。 夜の大学院の講義のため多摩から品川へ移動。 大学院「実践・出版プロジェクトマネジメント」の2回目の授業。まず30分前に到着した本日の講師・堀江さんと簡単な打ち合わせ。この受講生メンバーは全員すでにFacebookに登録が終わって、すでに活発なコミュニケーションが行われている。常時コミュニケーションが取れるという授業形態としてもい新機軸になる可能性を追ってみたい。以下、簡単なメモ。 最近の編集者の仕事=企画+製作+販促(書評・書店・TV局・ネット・イベント、) 出版社は多様。 ビジネス書の著者になる可能性。上から目線でなく先輩からの現場感覚のあるアドバイス。 著者自身が様々のメディアを持つ時代。 新人発掘。原石を磨いてベストセラーを出すのは編集者の夢、しかしリスキー。「もしドラ」はブログが発見された。10万字という分量、ホントに書けるか。行動せよ。 出版社の編集者とのつながり。 商品として金を払って買ってくれるか。時間を使ってくれるか。 自分で考える 出版社のカラーを見極める。 電子出版。質疑応答。2限目は外に場所を移して講師を囲んで質疑が行われやすい環境にするという授業の実験。この授業は24名の登録という大所帯なのが良い点と悪い点。私も個々の受講生ともコミュニケーションがとれました。
2011/05/06
コメント(0)
伊豆高原を9時過ぎに出発し、一碧湖近くの池田20世紀美術館、10時半から伊豆スカイラインを疾走し、十国峠あたりから、Toyo Tire ターンバイクへ降りて、小田原厚木道路、厚木から自宅までというコースで、渋滞もなく、スムーズに帰れた。伊豆高原の池田20世紀美術館を訪問。池田英一(1911-1982年)が設立。埼玉県蕨市生まれ。小学校卒業後独学でアスファルトを研究し、1945年に日瀝化学工業(後のニチレキ)を設立。1975年に日本初の20世紀専門美術館を開館。ピカソ、シャガール、ミロ、ダリ、、など1300点を収蔵している。絵画・彫刻で「人間」をテーマとするものを集めているそうだ。ピカソの「王様のケーキ」、そして88歳の時に描いた「近衛兵と鳩」などが飾ってあった。「種を播け」。よい種を播いて歩こう これが我が社のモットーです たとえ、どんな旱魃(かんばつ)がきても 枯れないような強い種をまき 汗を流して肥料をやろう 必ず立派な実がみのる たとえ、自分がとらなくても私はこう思っています種まきをしないで 肥料をやらないで 誰も果実ばかりねらっていては 本当の繁栄はこないと 私はそう思います (ニチレキグループ創業者 池田英一)またガウディ(1852-1926年)のコーナーが目に留まった。「私には家族もなければ義務もない。クライアントも断った。頼まれ事も辞退した。」と言って、サグラダ・ファミリア教会の建設に専心した。----------------------------山折哲雄の「親鸞を読む」(岩波新書)に宗教家たちの寿命のことが書いてある。それによると、イエス31歳。フランシスコ・ザビエル46歳。一遍50歳。道元53歳。カリヴァン55歳。最澄55歳。日蓮60歳、空海61歳。マホメット62歳。ルター63歳。孔子73歳。法然78歳。仏陀80歳。親鸞90歳。幕府が念仏禁止の挙に出たため、親鸞は20年を過ごした常陸を捨て京都に帰る。このとき62歳。このあとさらに30年という寿命を生きる。76歳で「浄土和算」と「高僧和算」、85歳ごろに最後の「正像末浄土和算」を書いている。60代の初めはやっと人生の峠を越えたばかりの働き盛りであった。------------------------白洲正子「世阿弥」には世阿弥の「初心」について書かれてある。私は以下のように理解した。 初心忘るべからず 時々の初心忘るべからず 老後の初心忘るべからず時々の初心とは、その時代に応じた芸を工夫せざるを得ないから、自分のうちに積み重なっていくという意味。老後の初心とは、老後にふさわしい芸を打ち立てることであり、それも新しい体験であるから、初心を忘れずに励めという意味。そして個人の命には限りがあるが能には果てはなく、後継者が連綿と芸を発展させていくべきだ。
2011/05/05
コメント(0)
急きょ決まった家族四人の久しぶりの家族旅行で伊豆高原を目指す。やっと泊まるところがとれた。東名に乗るあたりから渋滞が始まるが、全員一緒なのでこのドライブも楽しい。目的地に着くことが目的ではない。唯一の観光は、伊東市の城ヶ崎の吊橋。星野哲郎が作詞した歌の碑が二つあった。割と距離のある遊歩道がよく整備されていた。夕方に到着したカントリーホテルでは、大型スクリーンと大きなスピーカーでdvdの演奏会を二時間ほど堪能した。アムステルダムでの素晴らしいコンサートの実況中継。このdvdは欲しい。
2011/05/04
コメント(0)
中央公論の「日本の名著」シリーズの「親鸞」を読んだ。「歎異抄」は、弟子が親鸞の言葉を思い出しながら書き綴ったもので、読み始めるとあっけないほど短い。ただひとつの教えを繰り返し述べているという風情だ。またあらゆる書物を紐解きながら親鸞自身が書いた「教行信証」は難しいとされて敬遠されているとのことだが、親鸞の教えを説明、解説している書物だ。阿弥陀仏の心は広いので身分や有徳がかどうかで救う人を判断しない、信じた人を誰でも救うというのが、親鸞の教えである。そして他の教えを難行といい、親鸞の考えは易行とし、誰もが阿弥陀仏に帰依するという「南無阿弥陀仏」という念仏を称えるだけで浄土に行けるというわかりやすい思想であるから、庶民に多くの共感者が生まれたのはよくわかる気がする。「苦しみを抜くことを「慈」といい、楽しみを与えることを「悲」という」という言葉があり、仏教の「慈悲」の意味が初めてわかった。歎異抄 「ただ念仏だけを称えて阿弥陀仏に救われなさい」という師の教え 善人でさえ浄土に生まれれることができる。まして悪人が浄土に生まれないわけはない。、、阿弥陀の本願にすべてをおかませしきっている悪人こそ、実は浄土に生まれるのにもっともふさわしい、、。 親鸞は、弟子は一人も持たない。、、、阿弥陀より直接お導きにあずかって念仏を称えている人を、自分の弟子である、ということは、なんとも途方もないことだからである。 阿弥陀仏の本願には善人と悪人、浄らかの人と穢れた人の区別がないという趣旨、、 信心が定まったならば、浄土に生まれるのは阿弥陀仏のおはからいによることであるから、私の才覚によるものであるはずがない。、、、私の才覚を加えないことを、自然というのである。これがすなわち他力ということである。教行信証 浄土の真実の心(浄土真宗) こういわれている。「ただ、五逆の罪を犯した人と、聖者を誹謗する人と、仏の教えを破壊する人だけは除こう。」 念仏を続けて、命の終わるときを最後とする人は、十人は十人とも、百人は百人とも全部、浄土に生まれる。 「南無」というは「帰命」である。 「一念」は一声のことであり、この一声は一年のことである。 「道」とは、すなわち本願という、絶対不二にして真実の近道であり、究極のさとりに達する、この上もない大道である。路とは、すなわち小乗の聖者や仏、さらには菩薩たちが行く路であり、できるだけ多くの善やさまざまな修行が必要な小路である。 この愚禿釈の親鸞は果てもない愛欲の海に沈み、名声と利得の高山に踏み迷いながら、、 恩のある人に背き、福徳を育ててくれる人にさからうから、これらを「逆」と名づけるのである。、、 釈迦如来と阿弥陀仏とのお二方の不思議な力は、まったくおなじもののようである。ただ釈迦如来がご自分の能力を述べないで、ことさら阿弥陀仏の勝れていることを明らかにされたのは、すべての人をして等しく阿弥陀仏に帰依するようにしむけたいとお思いになったからである。 苦しみを抜くことを「慈」といい、楽しみを与えることを「悲」という。 どんな徳もすべて具えているものを涅槃といい、どんな道にもすべて通じているものを菩薩と名づけ、どんな智もすべてを収めているものを仏陀と称するのである。 、、死罪、、身分を奪われて、、遠国に流罪、、。わたしもその一人であるが、こうなった以上もはや僧侶でも俗人でもない。
2011/05/03
コメント(1)
2010年度(平成22年度)の教員活動報告(以下)と2011年度活動計画を連休前に提出。---------------------教育 1 講義:マネジメントデザイン?(必修)-図解技術を習得し「日本の論点」を材料に力を付けた 2講義:マネジメントデザイン?(必修)-ライフマネジメント論の講義を通じて自分のロールモデルの決定とその人物の人生鳥瞰図の作成を促し、志の涵養を図った。 3 ホームゼミ:ヴェルディ班・多摩焼き班・オーラルヒストリー班それぞれ優れた成果を出した。 4インターゼミ:学長所管のインターゼミ(社会工学研究会)のメイン担当として、ゼミ全体のレベルを上げるべく企画・運営に力を注いだ。----------------研究実学・志・産業社会・問題解決・図解などをキーワードとした研究成果として8冊の著書を刊行 1問題がすっきり解決!図解思考の本(PHP研究所) 2残業はするな、「前業」をせよ(だいわ文庫) 330歳からの人生リセット術(創元社) 4図解で身につく!ドラッカーの理論(中経の文庫) 5知的生産手帳(東洋経済新報社) 6知の現場(電子版 東洋経済新報社) 7遅咲き偉人伝-人生後半に輝いた人々(PHP研究所) 8図解で身につく!ドラッカーの理論(電子版 中経出版)---------------------社会活動 1 年間40回程度の講演・研修を行った ・福島県、石川県での県庁職員、全国市町村職員中央研修所での市町村職員、JICA(国際協力機構)での省庁職員な ど行政マンを対象とした講演・研修を多数実施 ・JR東・マイクロソフト・日産自動車関連・マイプリント等の民間企業での講演・研修を多数実施 2新聞・雑誌などへの連載、執筆、取材に積極的に対応。詳細報告資料を参照----------------------管理運営 1学部運営委員会委員として、入試・カリキュラム・就職の改革・改善など学部運営に尽力した。 2学長室長としてホームページ、広報誌、パンフを用いた大学広報・学部広報に貢献した。 3その他、学部運営に密接な関係を持つ以下の全学的活動を積極的に推進し学部運営を支援した。 ・地域活性化マネジメントセンター副センター長・予算委員・多摩大学総合研究所所長。----------------------------------------------------
2011/05/02
コメント(0)
世田谷美術館の分館にもなっている向井潤吉アトリエ館を訪問した。ここは今まで数回訪れようとしたのだが、その都度、工事などで閉館していた。今回やっと向井が住んでいた館内に入った。木造の気持ちのいい空間だった。向井潤吉は、1901年京都生まれ。93歳まで描き続けていた洋画家だ。日本の民家を描くことをライフワークとした。「制作日誌」を分析した結果が掲示されていた。それによると2月ー4月、10月ー12月に制作が多い。また描いた場所は、埼玉(32%)、長野(19%)、京都(13%)、岩手(7%)。「私の仕事のはかどる季節は、初冬から5月の間に限定されている。それは民家を描くためには繁茂した木や葉が邪魔になるからであるとともに、緑という色彩が自ら不得手だと知っているからでもある。」 * 日本の民家の美しさ、こういう風土でしかできない形の美にはじめて気がついた。 * せめてなくなる前に、昔からの民家のよさを絵に残しておけば何の役に立つのではないかと考えた。だから終戦と同時に、暇にまかせて民家だけを描くぞと決心して、まず娘が学童疎開していた新潟県川口村からはじめた。 * 私が最も好むのは、信州から東北へかけての、大振りの農家の点在する地方である。 * 私の民家を扱う気持ちにも徐々と変遷があった。、、、むしろ家を大切にしながらも、その家を取り囲む風土風景を主とするようになってきたのである。 * 、、民家と、その所在する界隈との調和、風土風物の組み合わせに重点がかかってきた。1952年に朝日新聞の「茶の間」に寄稿した「職業」というエッセイが面白い。子どもの頃のから画家になるとしたが、次は外国航路の船員。、兵隊を出てから高島屋百貨店、、、そして画家。「しかし世間の人々の職業というものは、親ゆずりや、独特の天凛の才があればとに角、大半はフラフラ腰で左右している中に、なんとなく決まってしまい、それで結構本人も納得しているのじゃないだろうか。」
2011/05/01
コメント(3)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


