全30件 (30件中 1-30件目)
1
朝出勤前に、昨年行ったNPO法人知的生産の技術研究会でのミニ講演のテープ起こしに手を入れる。こういう作業はやっかいだが、自分で直すしかない。A4で10ページの量だから、原稿用紙30枚ほど。以下は、最初と最後の部分。---------------------「図解コミュニケーション」という分野を開拓し始めてもう20年以上経ちます。このままこれだけをずっとやっていいのかなという感じがしていて、何かもうひとつ欲しいなと考えていました。2005年から、人物記念館巡りをしてみようと思いついて、以来、8年間ずっとやっています。私は、昔からいつも二本足で立とうと思っていました。勤めている時期も勤務先の仕事と知研活動をやってきました。大学教員になってからもさらに一本で立たないように、バランスをとりながらやろうと思っていました。私のライフワークの一つは「図解」ですから当然これはずっと続けなくてはならない。これは日本人の「アタマの革命」を目指す事業です。しかし、一方の人物記念館巡りは日本人の「ココロの革命」と位置づけし、いずれ心の問題の方が大事になってくるだろうという予想の下に始めました。これが人物記念館の旅です。海外の旅は、学生時代に考えた方法があってこれにのっとってやっています。それは梅棹忠夫先生の「生態の文明史観」を確認する旅です。壁に世界の白地図を貼り、訪れた国はそれを塗りつぶしていくということをやってきました。ところが日本の旅はどうしたらいいのか。観光地をめぐって温泉に入り飯を食って騒ぐ。そんな類いのことをいつまでも続けていいのか。何か物足りないと思っていました。そして、8年前に人物記念館をまわる旅をしていこうと考えるようになったのです。本格的に始めたのが2005年の1月からです。郷里の大分県中津市の福沢諭吉記念館を訪ねました。それから始めたわけです。中略偉人伝の復活、これが日本の精神をたたき直す一番の根本のところにあります。地域興しでもあります。人による地域おこしです。どんな人がいたか。たとえば行政改革で言うと、宮城県には、わらじ村長として有名な鎌田三之助という人がいた。この人は町長になったとたんに町長室を上がりかまちにした。そういうモデルがあるので、アメリカやヨーロッパのまねをする必要は一切ありません。自分たちの先祖にそういう人がたくさんいます。そういう人達をもっと掘り起こさねばならないという感じを持ちました。学生に対しては、こういう授業をやって好評を得ています。学生のアンケートをホームページに公表していますが、ものすごい影響です。今年は新しいことに挑戦してみました。ユーチューブを使いました。ユーチューブをつかっていろんな偉人の映像を見せました。今日見せたのは北原照久、水木しげるの映像を見せました。正岡子規の時は「坂の上の雲」の映像です。これで秋山真之なんかも出てきます。あるいは阿久悠をやると秋元康が出てくるんです。秋元康という作詞家が尊敬するのは阿久悠なんです。阿久悠をやるとAKB48が出てくるので授業が面白くなる。馬遼太郎の姿、岡本太郎の肉声、寺山修司をやろうとするとタモリが出てきて寺山修司のまねをする映像がある。ズーズー弁を使う。マンガ家。現在は教材としてこの新しい時代の新しいメディアが使えますし、これは非常にリアリティーがあって、いいので、これを使い始めたら去年よりも反応が抜群にいい。昨年までは私がずっとしゃべっていたんです。ところが映像と画像と組み合わせると学生が興味を持ちます。私が紹介した人以外でもいいから、自分のモデルを見つけなさい。今、それぞれがモデルを見つけていますが、たとえば宮崎駿にするとか、森鴎外にする。サッカー選手にするとか言っています。そうしてからその人達の人生を図解してもらう。それに文章をかいてもらってレポートにします。ですから私の手元には、毎年100人から200人の偉人の図がどんどん集まっています。これを使ってまた何か仕事やろうかと思っています。なぜこういうことを続けられるかというと、1つが図解コミュニケーション、1つが人物記念館、立志伝です。この2つを同時にやっているために、やり続けないと授業が成り立たないというしくみになっているのです。--------------------------------学部長日誌「志塾の風」130131 | 編集 人事委員会 学部運営委員会 研究室で秘書と処理業務 望月ゼミの現2年生4人と面談。望月先生の退任に伴って来年度からゼミ生を引き受けることにした。右から、鈴木君、岩下君、加藤君、鈴木君。ヴェルディとスポごみに関心。 多摩大総研運営委員会に出席。中長期計画と来年度方針を論議。 入試課の黒瀬さん 松本さん来訪。電子出版社を立ち上げるとのこと。今後の相談。 学生来訪、相談。 来年度ゼミ生(現1年生)の金子君、松浦君とインターゼミへの入ゼミについて相談 河野大機先生(元多摩大)死去の報。ドラッカーの研究者で著名な方。私も何度かお会いしたことがある。杉田先生と飯田先生とラウンジで悼む。 夜は、金子さんと柴田さんと貝取の「すし久」で食事会
2013/01/31
コメント(0)
「社会につながる日常の風」を歌う------久恒啓子の歌人生 1982年の合同歌集「蘇芳」、1994年の第一歌集「風の偶然」、2002年の第二歌集「風あり今日は」、そして2012年末の「明日香風」まで、久恒啓子の歌を読み続けてきた。 この歌人は1927年(昭和2年)生まれであるから、それぞれ52歳、66歳、75歳、そして85歳の歌集ということになる。昭和一桁世代の波乱の人生が10年毎に歌い込まれていて、その都度感銘を受けてきた。 久恒啓子の歌では、日常詠、家族詠、職場詠、旅行詠、万葉詠、挽歌など、多面的な展開があり、それぞれに高い格調と深い味わいがある。日常詠では、日々の細かな暮らしの一コマを丁寧に観察し、時に自分を突き放してみるおかしみのある歌も詠んでおり、日常を丁寧に生きる姿を鮮明にイメージすることができる。家族詠では、母、姑、兄弟姉妹、夫、子どもたちと配偶者、孫、そして曾孫まで登場して、喜びや哀しみのたびに歌われる骨肉の愛情の歌に深い共感を覚える。夫の退職後に短い期間ではあったが子供たちのいるヨーロッパを中心によく旅行しているのだが、その幸せも夫の脳溢血で崩れてしまう。そして14年にわたる介護生活が始まるわけだが、この間の多くの歌には涙を誘われる。調停委員として社会貢献活動にも10数年にわたって関わっているのだが、社会問題の吹き溜まりともいえる貧困、離婚、相続争いなどの調停という仕事は、社会の深層の問題を感じ、その中で呻吟する人間を見つめる目を磨いている。職場詠ともいえるこれらの歌にもいいものが多い。また、この歌人の特徴の一つでもある旅行詠では、40代後半のインドから始まり、ヨーロッパ、アメリカ、中国、アジア諸国など、実に多くの国々に足跡を残していて驚かされる。そこで歌われる歌は、歴史との対話の所産である。夫の倒れた60歳から始まった介護生活の合間を縫うようにして捻出した貴重な時間を費やした万葉歌碑の旅というライフワークは、この歌人の歌人生にダイナミズムと深みを与えている。そして母、姑、兄弟姉妹、夫たちを見送るたびに歌われる挽歌は絶唱である。「枯野原に佇ちつくす思いで」歌ったこれらの歌群によって、彼らの魂は鎮められているに違いない。 この歌人の50代から80代までの四つの歌集を改めて並べて読んでみると、歌歴が積み重なるにつれて、歌自体の重みと深みが増していくのを強く感じることができる。それは歌の技術の進歩もあるのだが、襲ってくる生老病死の避けることのできない大きな波をまともにかぶりながら、立ち向かいそれらをて名なずけながら克服していく生き様が、神々しいほどの迫力を与えている。また一方で、吹っ切れた感じの奔放さの漂う歌にも魅力を感ずる。 異郷の東北で長い歌人生活を送った歌誌「群山」の扇畑忠雄は、京都大学時代の恩師から「学と芸の綜合を目指して欲しい」と激励を受ける。学とは万葉集研究であり、芸とは作歌活動だった。扇畑はそれを94年の長い生涯忠実に守り抜いている。 久恒啓子の場合も、結果的には「学と芸」という二つの分野を一つの歌の道として歩んでいるのである。万葉歌碑の旅という充実したフィールドワークに基づく「万葉集の庶民の歌」に結実した「学」と、43歳から40年以上に及ぶ作歌の「芸」とが融合しながら全体として輪郭の鮮やかな一つの像を結んでいるのは見事である。 そして自分が体得し到達したこの高い境地を地元の公民館などを使って多くの人たちに講義し、同人誌で歌の指導を行い、また教え子たちと近隣の万葉歌碑を訪ねるツアーを企画実行している。 教養という言葉にはいろいろな意味があるのだが、教養人とは日々自らの生き方を問い続けている人である、という考え方がある。そういう意味では、この郷土の歌人は、教養人でもあると言えるだろう。人の偉さは人に与える影響力で決まる、と思うが、その意味では一介の主婦という境遇から始まったこの人の歩みは、気がつくと多くの人に影響を及ぼすまでになった。この歌人の歩みは高齢社会を生きる一つのモデルではないだろうか。今回刊行された「明日香風」では、「風あり今日は」の最終歌「夕映えのごとき充足の日を願ふ夫亡きあとのいましばらくを」で歌われた充足の10年の充実ぶりが読み取れる。ようやく手にした自由を精一杯生きようとしている姿が描かれている。この歌集は、装幀と中身の双方においてこの歌人の最高峰となった。 以上挙げたように広がりのある歌をすべて論評することはできないので、久恒啓子の歌の特色と思われる「社会詠」を少し論じてみたい。 この歌人の歌の中には、社会、風俗、時事、などを対象とした歌が含まれており、そこに柔らかな知性と豊かで健全な常識を垣間見ることができる。社会活動の歌、反戦の歌、政治の歌など、時代の子として、社会を吹き抜けるさまざまな風の正体を見つめるまなざしは、温かく、素直で、そして厳しい。以下、目に留まった社会詠をいくつか挙げてみる。「明日香風」水仙の咲けば思ほゆ敗戦後米と替へたる晴着の模様外つ国に侵され続けし上海の林立のビルを江は映せり文明の一つを育みしチグリス川愚かなる戦の血にて汚すなスーパーが倒れてしばらく後に来しコンビニもたたむこの街の角退却を転進といひ、全滅を玉砕、敗戦を終戦と言ひき日の丸の旗かかげあり文化の日水色シートのホームレスの屋根身捨つるほどの祖国を歌ふチェコの人羨しと思ふ苦難を思ふ防人も新撰組も往き来せし多摩の横山は子の通勤路人種の壁破りて黒人オバマ氏が大統領となる空は晴るるや自民を見捨てて民主に失望したる票数千万票いづくへゆくらむ発明者の思ひを越えて原発ののたうちまはる怪物となりて田子の浦に打出でて見れど富士は見えずパルプ工場の煙たちつつこの流れを過去の歌集に追ってみる。「風の偶然」からし菜を潮に揉みつつ折合ひのつかざる離婚調停おもふ或はわれにも出来得じと思ふ説得をひとにしてゐて寒し胸もと無条件降伏せし元ドイツ兵と夫との会話宵までつづく南より北より常に侵されて「安寧」の挨拶交わす円高を嘆きゐる子と原油安を喜びゐる子を夜半に思ひぬアラビアンナイトの国と思ひしにイラク人は人質を盾にぞ使ふ「風あり今日は」夕餉もとらず戦艦大和を組立つる子もその父も戦争を知らずシベリアに静脈のごとき川の見ゆ捕虜収容所はいづこにありしこの清きドナウの流のつづく国ボスニア・ヘルツエゴヴィナ紛争をやめよ単身赴任の二男は五年目筑紫守る防人三年の任期を越えて銃弾の降るなか学校へ行きたしと匍匐して行くパレスチナの子ら空爆せむと威嚇する国査察に誠意みせぬ国いづれもいづれメソポタミア文明育てしチグリス河愚かなる戦の血にて汚すな「蘇芳」反安保の会終えてひとりにかえる道非武装中立の疑問湧きくるアメリカの懐柔も威嚇も耐へてきし沖縄のひとの太き眉を見る「晴着」「「上海」「「チグリス川」「終戦」「身捨つるほどの祖国」「元ドイツ兵」「安寧」「イラク人」「戦艦大和」「静脈」「紛争をやめよ」「ハレスチナ」「空爆」「反安保」「沖縄」などは、反戦の歌である。戦争体験者として、日本の戦後の歩みにも目を凝らして警戒しているのだが、その目は旅行で触れる世界の紛争の大地とそこで巻き込まれる庶民への同情のまなざしである。そしてメディアで毎日のように報道される世界各地の紛争にも関心を抱きながら、それを歌にしている。この歌人の視野の広さを示す歌には魅力がある。「円高と原油安」「単身赴任」は、子どもの属す企業の盛衰と、そこで働く子どもの幸せを重ねながら歌っており、社会の風を感じさせる。「反安保」「数千万票」は社会運動の中で感じる疑問と政治の浮遊への怒りを歌ったもので共感を覚える。「原発」の歌は、まさに社会問題を厳しく指弾する歌となっている。「スーパー」「ホームレス」「パルプ工場」は、身近な社会の移り変わりや現代の風俗、都市化の進展などを題材としたおかしみと風刺の効いた社会詠となっている。歌人は「明日香風」のあとがきで、「社会につながる日常の風を歌って、生きた証としたい」と述べているが、個人の内を覗くだけでなく、題材を広く社会に求め、そこから吹く風を歌っている。同時代を生きる私たちもその風を感じることができる。この社会詠は他の人にはなかなか歌えないものだと思う。久恒啓子には「人生の旅人」として、古代から現在、そして未来に向けて吹く風を歌い続けて欲しいと願う。この小文を書くにあたってこの歌人の歌集を眺めてみる機会を得た。以下、ともに暮らした夫との長い年月を歌を選んで綴ってみたい。夫はマルクスわれは歌の書かさねつつつ同じ灯明りに夜を読みつぐ(蘇芳)職退きし夫は殻を失へる貝のごとくに傷つきやすし(蘇芳)どうにかならむと常思ふわれ行先を憂ふる夫と四十年暮らす(風の偶然)いづこの部分が夫のことばを奪ひしや抽象画のごとき脳の影像(風の偶然)生きながら忘れられゆく夫なりや病みて十二年眠りてゐつ(風あり今日は)姿勢よき夫の背骨の欲しと言ひきその骨拾へばもろくも崩る(風あり今日は)五十年前に呉れたる夫の恋歌奔放なるわれを縛れり今も(明日香風)「書を読むときも思はるる人」と詠みくれし夫逝きてより十年の経つ(明日香風) 歌人の旅はまだ続く。---------------------------学部長日誌「志塾の風」130130 | 編集 矢内事務長から相談 高野課長 彩藤先生。ラウンジ機能の充実。非常勤教員も含めて交流ができるラウンジへ。 今泉先生:ゼミ移動、シラバスなど明日の学部運営委員会の件 金子さんと明日の人事委員会、学部運営委員会の確認 杉本さん、学生会の件 樋口先生から電話
2013/01/30
コメント(0)
午前は「グローバル・リーダー」関係の取材を受ける。今回は世界観・時代観がテーマ。90年代から現在までの変化を図を使って説明。本日の日経新聞で、「イオン、外国人採用1500人」が一面トップだった。現地採用ではなく幹部候補採用だ。ここから話を始める。午後は、JR東日本本社で研修の講師。本日は94名の受講者。この研修も今年度は17回を数えた。5年目が終了。来年度も開講の予定。f:id:k-hisatune:20130129162300j:image「科学的、数学的、芸術的要素の見える授業。強い衝撃」「本当は何もわかっていないことに気がついた」「頭をフル活用」「考える習慣」「技術継承に使いたい」「マイプロ、委員会で活用」「応用編も」「すごく頭を使った」「びっくり「「可視化に驚き」「ものすごく頭を使った」「理解・疑問・反論」「衝撃を受けた」「驚いた」「身に沁みた」「試行錯誤の過程が楽しかった」「息子に描かせよう」「ソーシャルメディアに挑戦」「達成感」「試験に活用」「時間のたつのが早かった」「楽しかった」「新鮮」「考えることが楽しみになった」「頭の整理ができてスッキリ」「外的世界と内的世界」「関係を考えるのが考えることというお話は絶対忘れません」「応用、実践」「苦労」「少しづつ整理されていく感覚」「問題発見」「話の内容が面白い」「納得」「頭の運動」、、。終了後の懇親会にて。3人は甲府と立川。f:id:k-hisatune:20130129185026j:imagef:id:k-hisatune:20130129183122j:image--------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130129 以下、電話で打ち合わせ。 金子さん:人事委員会と学部運営委員会の確認。 矢内事務長から相談。 高野課長:25周年関係。
2013/01/29
コメント(2)
大前研一「クオリティ国家という戦略」(小学館)。大前研一はボリューム国家でもない、加工貿易国家でもない、第3の国家モデルとして「クオリティ国家」を提示する。人口は300万から1000万。オーガナイズ・スモール。モデルはスイス、シンガポール。ノルウェー、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、韓国、台湾、、。日本は大きすぎるので道州制を導入すべき。北海道はスイスかデンマークになれる。九州は年間1000万人の観光客を集めることができる。まず、大阪、関西から始めよ。リー・クワンユーの本を読んだばかりだったが、それから10年以上経ってシンガポールはどうなったか。 一人当たりGDPは2007年に日本を抜いてアジア最強国家。億万長者は全世帯の18%で世界一。 1965年分離独立、労働集約型産業(組み立て)。1970年代、高付加価値産業(コンピュータ、機械)。1980年代、サービス産業強化(金融、通信)。1990年代、IT2000。2000年代。知識集約型産業(金融、バイオ、医療)。2010年代、エンターテイメント(カジノ、)。 ハブ拠点戦略。金融ハブ(プライベートバンキング)。空港ハブ(チャンギ国際空港。LCCターミナル)。港湾ハブ(香港とトップ争い)。教育ハブ(トップクラスのビジネススクールを誘致)。医療ハブ(メディカルツーリズム)。データマネジメントハブ(アマゾンンがサーバー設置)。R&Dハブ。コンベンション・観光ハブ(国際会議・カジノ)。 500社の多国籍企業がアジア本社。 部課長クラスは50坪以上のマンションに住む。ジムとプール完備。アセアンの首都。 年金不安がない。年率10%でまわしている。-------------------------浜田宏一「アメリカは日本経済の復活を知っている」(講談社)アメリカは日本経済の復活を知っているアメリカは日本経済の復活を知っている 作者: 浜田宏一 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2012/12/19 メディア: 単行本 購入: 1人 クリック: 23回 この商品を含むブログ (18件) を見る すぐにハイパー・インフレになることはない。緩やかなインフレ、駆け足のインフレ等を経て、おもむろににやってくることが分かっている。洪水なのに火事を心配するな。日銀はインフレ対策の名人。 ドル暴落はあっても円の暴落はない。通貨の価値は政府ではなく国民全体の信用によって決まる。日本の対外純資産は250兆以上で世界トップクラス。(中国137、ドイツ93、、、フランス-22、イギリスー24、イタリア34、アメリカー201)---------------------------------学部長日誌「志塾の風」130128 | 編集 月曜夜9時のBS12「就職を機に世界と人生を考える」が面白い。寺島学長が各界の一角の人物に質問しながら進めていく番組である。孫正義、澤田HIS社長、安藤忠雄、村上憲郎などが自身の職業観を語っている。今回は岩手のアーク牧場の橋本晋栄社長。34歳。農業でメシが食えるようは仕組みを実践していて、大卒の定期採用をしている。初任給20万、休日、労働時間など企業並みの環境だ。この牧場には仙台時代に遊びに行ったことがあるが、楽しく家族で遊べた。 最後の寺島学長によるトーク。テーマは「情報感度」だった。三井物産創業者の益田孝27歳の起こしたベンチャー。社会報として海外の物価を扱った「内外物価新報」を発刊、これが後の日本経済新聞。もう一人の水上達三(後に日本貿易会会長)はGHQによる財閥解体のあと仕事をした人。東京高商を出て高崎出張所に配属。ここで毎日本社からくる情報を読んだ。北京では収容所に入れられ、1350人の団長格として引き揚げ。収容所では2年間短波ラジオ放送を聞いていた。どちらも時代に立ち向かった人だ。「情報とは情けに報いる」と書く。人の血流、温もり、人間力で人の心を動かすことだ。多摩大の学生も番組に参加している。
2013/01/28
コメント(0)
581ページという大部の「リー・クアンユー回顧録」(下巻)を読了。1965年にマレーシアから分離独立した淡路島、東京23区とほぼ同じ面積を持つ多言語・多国籍からなる人口国家の建設、という途方もない難題に取り組んだ英雄の考え方と足跡がわかる本だった。この国家はマレーシア、インドネシアに囲まれた島国であり、地理的にも気候的にも厳しい環境だった。マレーシアからの水の供給を断つという脅しに対処するために、イスラエルと台湾から援助を得てゼロから国軍を創設する。英国の撤退、金融センターの創出、労働組合への勝利、住宅供給と健康管理と年金などの公正な分配、共産主義への勝利、中間票の獲得など一連の基本的な政治施策を推し進めた。多言語社会をどう克服するか。マレー語、中国語、タミール語、英語の4つを公用語と定めた上で国際語である英語ができる人が専門的職業に就け高給を食むことができることを知って自然に英語を使える国民ができあがった。このことが経済の発展とIT技術の浸透につながった。一方で伝統的価値観の保存も必要でそのための措置も講じている。日本はアメリカの影響を受けても日本人のままで勤勉で社会貢献に重きを文置いていると評価している。清潔な政府をどうつくるか。「クリーン行政」を志向しアジアでもっとも汚職の少ない国となった。選挙に多額の資金がいらない政治システムが必要である。多額の資金が必要なら当選後にそれを取り戻そうとするから汚職が蔓延することになる。清潔さを保つためには政治家と政府高官の報酬を有能な他分野の人びととそん色のないレベルにすることが必要だ。日本は世界でもっともお金のかかる選挙システムを持つ国と分析し、公共事業で結びついた建設業者などの企業が協力しているとしている。マスコミをどう管理するか。外国プレスに免許を与えてシンガポールで誤報や国家打倒のキャンペーンをはることは許していない。政府をどう運営するか。政府の運営は有能なチームを指揮するオーケストラの指揮者のようなものという考え方で、その時々に最重要な課題を抱えた省に常に最高の人材をあてることにしている。そして目標を設定しあとは任せるが、政府の失敗の責任は首相がとる。今やアジアのハブ空港となったチャンギ空港はわずか6年というスピードで完成している。IT技術の早期導入は競争力を高めた。リー首相は70歳でコンピュータを学んでいる。1967年に結成した近隣諸国との東南諸国連合、そして1965年に22番目のメンバーとして加盟した英連邦は、シンガポールに多くに利益をもたらしている。アセアンの協力によって1997年からの東アジア経済危機に対処し、英連邦のネットワークによって各国の元首たちから貴重なヒントを得ている。日本をどう見ているか。「旧日本軍のシンガポール占領後の残虐行為」を忘れないリーは、「日本は平和的で非軍事的ではあるが、決して本気で悔い改め謝罪しない国である」と言っている。池田勇人から橋本龍太郎まで歴代の首相の印象を語っているが、荒削りでダイヤモンドのような魅力を放っていたと田中角栄首相を評している。歴代の自民党政権は日本の過去と向き合うことはしてこなかった。ドイツ人の行っている歴史教育の方法を学ぶべきだという。日本人は精神の浄化ができていない。毒を取り去っていない。過ちを認め、謝罪し、前進して、より大きな信頼と信用を得てともに前進して欲しい。日本の文化は強靭で知能指数は欧米人より高い。日本はいかなる災難も克服していくだろうが、極端に振れるのが恐い点である。韓国。肉体的には日本人より頑健だが、まとまりと献身の点では日本人には及ばない。激しい国民で容易に妥協しない。北朝鮮がIT技術の発展にもかかわらず情報統制で国民の世界観を形成することに成功したら非常に危険だと警鐘を鳴らしている。中国。人口の4分の3を占める華人の故郷。海外華人はタイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアに対して脅威を与えている。アセアンは中国から放送を通じて直接華人に働きかける姿勢を危険な反政府活動ととらえている。とう小平を高く評価。「窓を開ければ新鮮な空気と一緒に蠅や蚊が飛び込んでくる」日本について、アメリカが頼りにならないとなれば日本は一人歩きを始めるかもしれない。東南アジアの全ての国に対する脅威は増大する。核武装の危険もあると懸念する。中国は、地域覇権国家の道を選ぶか、国際社会のよき一員として成長の道を歩むかの二者択一の選択になる。今後中国は50年の間に、計画経済から市場経済へ、農村ベースから都市ベースへ、共産主義社会から市民社会への移行である。致命的な問題は汚職である。よい政治実は、よい人間が必要だ。首相は目標と達成期限を明確にする。任せられた人はいちばんいい方法をみつける。人物鑑定でもっとも難しいのは人柄の評価だ。人格がより重要だ。分析力、想像力、現実感覚。大きな観点から事柄や問題を見る能力、問題点を明確にして取り出す能力。最後に、31年間首相をつとめたりー・クワンユーは「私は運がよかった」と回顧している。仕事、家族、兄弟姉妹の関係もいい。「アジア太平洋地域の平和と安全は、アメリカ、日本、中国の三角関係次第である」と語っている。バランスが保たれれば地域の将来はよくなりシンガポールは世界に役立っていける。日中関係、日米関係、米中関係。日本への期待は大きいことがこの言葉でわかる。この分厚い本を読み終えて思うことは、りー・クワンユーは内外に問題を抱える人口国家の建設という難題を見事に解いた稀有の人物であると思う。問題の設定と解決の道筋の決定と不屈の精神、そして柔軟な修正。優れた人材を使いこなすリーダーシップ。大局的世界観。現実感覚。人物を見抜く目、、。日本に対しては、憎悪と尊敬の入り混じった感情を抱いている。日本人の能力と態度には敬意を表してはいるが、その暴発も恐れている。何よりも過去の謝罪と未来へ向けての繰り返さない方策を求めている。そこから再出発してくれという強いメッセージを受け取った。-----------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130127 | 一般入試ターミナル型の二日目。本部詰め。昼食はラウンジで安田SGS学部長、橋詰SGS入試委員長、樋口入試委員長と情報とアイデア交換をしながら摂る。試験の合間に樋口先生、豊田先生と入試関係のアイデアのブレーンストーミング。付属系列との連携の深化、近隣大学との連携の強化などすぐに着手できる方策が浮上。「ターミナル」という名称はイメージがよくないので変えるべきだと思う。また入試の名称が複雑になって受験生を混乱させる恐れもあるので整理することが必要。
2013/01/27
コメント(0)
パククネ韓国次期大統領の自叙伝「絶望は私を鍛え、希望は私を動かす」を読了。1952年朴大統領の娘として誕生。大学では電子工学(首席卒業)を学びフランスに留学。22歳、ファーストレディ代行。45歳、政界入り。46歳、国会議員当選。52歳、ハンナラ党代表。母と父を凶弾によって失い、自身も襲われた経験を持つ。 1974年、父の演説の最中に銃弾で母が死亡。享年48歳。パククネ22歳。 1979年、父の朴大統領が側近との食事中、KCIA部長にピストルで撃たれて死亡。パククネ27歳。 2006年、応援演説中に暴漢に襲われ負傷。パククネ52歳。以下、人物像と日本観がわかる部分をピックアップ。 権力が貴重なのは、国民のために多くの仕事ができるからである。 勤勉な鳥が新鮮な餌を得る(母の教え) 私の人生に恋愛らしいものは一度もなかった。 私には両親もなく、これ以上得るものも失うものもありません。党のために私の全てを捧げます。 私は世界のどの国に行っても訪問初日は同胞に会う。 私は、北朝鮮の核武装だけは絶対防がねばならないと考えている。 ミニホームページ(2004年2月開設。「パククネ・ミニホームページ」http://www.cyworld.com/ghism)は、私の公的な生活にも大きな影響を与えた。私が政治家として、今後すべきことに対する深い省察の機会となるからだ。、、サイトは私がいつも叫んでいた「国民生活政治」の羅針盤になってくれた。 他のいかなる国との関係より忍耐が必要なのが、日本との外交だ。、、今後、東北アジア経済共同体を作り、共に未来を開いて行かねばならないパートナーなのだから、、。 歴史問題を私たちの世代で解決せねばならず、後の世代に負担をかけてはいけない、、。歴史問題を解決できなければ、韓日両国は無限の可能性を持ってはいるが、一歩たりとも先へ進めない、、。 竹島問題、教科書問題、靖国参拝、慰安婦問題、、。早く解決して未来に進まねばなりません。
2013/01/26
コメント(0)
今日は、ハプニングの多い一日だった。 10時からは、九段の文庫カフェで「グローバル・ビジネス」をテーマとしたインタビューを受ける。項目と質問に沿って考えを述べていく。濃い内容に仕上がる予感がする。f:id:k-hisatune:20130125123018j:image 少し時間が空いたので神保町を散策。本を数冊買って三省堂のカフェに落ち着くと、隣の席の人から「あっ。久恒先生」と声がかかる。東洋経済新報社の中村さんだった。「知の現場」「知的生産手帳」を手がけてもらった編集者だ。向かい側の人物を紹介していただく。その人は新しい本「開花の人」(資生堂の創業者の伝記)の著者で本日それを渡しているところだった。f:id:k-hisatune:20130125173700j:imageその人は山崎光夫さん。人物の伝記なども手がけている作家だった。人物記念館の旅のことを話すと「塙保己一」「北里柴三郎」「大隈重信」の記念館に行ったことがあるかと質問があり、いずれも訪ねているとお答えした。山崎さんの書いた北里の伝記など私も読んでいる。帰って調べてみると、「サイレント・サウスポー」と「ジェンナーの遺言」で二度直木賞候補にあがっている作家だった。伝記作家という面もある先達なのでいろいろと教えを乞いたいものだ。http://www.facebook.com/ToyokeizaiBooksOnline東洋経済新報社のfacebook。「、、本書執筆の苦労話などをお聞きしていて、ふと横を見ると、お隣の席に多摩大学教授の久恒啓一先生がいらっしゃるではありませんか!久恒先生は弊社の書籍『知の現場』『知的生産手帳』の著者でもあります。弊社の大切な著者の先生がカフェで隣り合わせになるなんて、ちょっとびっくり。久恒先生に山崎先生をご紹介。で記念撮影(左:久恒先生、右:山崎先生)。本の街・神保町での「!」なできごとでした。」 19時から神保町の学士会館で渡辺幸弘さん主宰のギリークラブのパーティに出席。ここで何人かの友人にもあった。好きな山口の銘酒・獺祭の旭酒造の木下取締役と話をしていて隣の人にも名刺を渡してご挨拶したところ「あっ。久恒先生」と言う。この人は「エービーロード」の編集者だった人だ。JAL時代にこの度雑誌の創刊時に一緒に仕事をしていた人だった。これも奇遇だった。丸山さんは今はリクルートから独立して出版社をやっているとのこと。その他、日経の記者だった杉本さん(日経首都圏印刷顧問)、警察官僚だった山崎さん(全日警専務)、C&Dの藤井社長、マーケッティングアドバイザーの中島さん、パソナフォーチュンの坂口さん、シンク・Dの道下社長らと交歓。f:id:k-hisatune:20130125203503j:imageギリークラブ主宰の渡辺さん。----------------------------------学部長日誌「志塾の風」130125 | 編集 13時から九段サテライトで学長主宰の大学運営会議。入試対策。成功モデル構築。研究費・給与。 終わって、学長に検討してきた案件の報告と学生にかかわる新案件を報告。 3COO(学部長、研究科長)会議。グローバルスタディーズ学部の件。 高野課長と25周年事業のアイデア出し。歴史観の醸成。
2013/01/25
コメント(0)
今月末締め切りの母の歌集「明日香風」の書評を書き始める。日常詠、家族詠、職場詠、旅行詠、万葉詠、挽歌などがあるが、今回は時代の風と向き合う歌を「社会詠」ととらえ論評する。水仙の咲けば思ほゆ敗戦後米と替へたる晴着の模様外つ国に侵され続けし上海の林立のビルを江は映せり文明の一つを育みしチグリス川愚かなる戦の血にて汚すなスーパーが倒れてしばらく後に来しコンビニもたたむこの街の角退却を転進といひ、全滅を玉砕、敗戦を終戦と言ひき日の丸の旗かかげあり文化の日水色シートのホームレスの屋根身捨つるほどの祖国を歌ふチェコの人羨しと思ふ苦難を思ふ防人も新撰組も往き来せし多摩の横山は子の通勤路人種の壁破りて黒人オバマ氏が大統領となる空は晴るるや自民を見捨てて民主に失望したる票数千万票いづくへゆくらむ発明者の思ひを越えて原発ののたうちまはる怪物となりて田子の浦に打出でて見れど富士は見えずパルプ工場の煙たちつつからし菜を潮に揉みつつ折合ひのつかざる離婚調停おもふ或はわれにも出来得じと思ふ説得をひとにしてゐて寒し胸もと無条件降伏せし元ドイツ兵と夫との会話宵までつづく南より北より常に侵されて「安寧」の挨拶交わす円高を嘆きゐる子と原油安を喜びゐる子を夜半に思ひぬアラビアンナイトの国と思ひしにイラク人は人質を盾にぞ使ふ ホームページへの来訪者がいつもより多く1500を超えている。原因は何かな。 昨日、野田一夫名誉学長から電話があり、facebookの登録についての質問があり、そのことをfacebookに書き込んだら多くの人からの「いいね!」がついた。---------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130124 | 編集 研究室で矢内事務長から報告。明日の大学運営会議の件。来年度の運営体制。 同じく研究室で秘書と打ち合わせ サポート室で金子さんと打ち合わせ。研究室、ゼミ室の調整。 ラウンジで豊田先生。ゼミ室。入試、研究費。 同じく趙先生。2月の多摩グローカル科学技術フォーラムの件。 同じく梅澤先生。3月の後援会主催のセミナーのパネルの件の企画の相談。 同じくで金先生。女性非常勤講師の件。研究費。 同じく彩藤・趙先生と雑談。 ゼミ3年生の佐藤君に大学院OBを紹介。就活支援。 研究室:来年度事業計画の作成。人事案件。成績つけ。メール処理。 矢内事務長、大森学生委員長、池田学務部長と事案を鶴首協議。 夜は田村常務夫妻との懇親会。銀座シェ・トモ。諸橋副学長、水谷法事務局長、安田グローバルスタディーズ学部長、橋本大学院研究科長、松林教授、宮地事務局長、矢内事務局次長。
2013/01/24
コメント(2)
シンガポールのリー・クアン・ユー(1923年生れ。90歳)の厚い回顧録を読み進めている。下巻だけで581ページにのぼる量である。もともとは2800円の価格であるのだが、中古しかなく、それも3倍ほどの値段でした手に入らなかった。2000年9月発行であるから、それから13年近くの歳月が経っている。リー・クアンユー回顧録〈下〉―ザ・シンガポールストーリー序文によると、首相に就任した1959年の国民一人当たりGDPは400ドル、引退した90年には1万2千2百ドルに上昇。99年位には2万2千ドルと書いてある。2011年の統計では4.9万ドル。2012年はもうすぐ数字が発表されるが5.6から5.7万ドルになるとの予測である。この半世紀に140倍の豊かになった奇跡の歩みだ。因みに日本はこのところずっと3.7万ドルあたりに張り付いているから、すでにシンガポールは1.5倍の豊かさを享受していることになる。日本はもうアジアのトップランナーではないということだろう。この回顧録(下巻)は年代順ではなく項目別に書かれている。全40章のうち、「人材育成」「多言語社会」「英連邦のメンバーとして」「「日本の奇跡」「日本の教訓」「中国--長尾の竜」の6章を読んだが、31年間政権を担った傑物の考え方、情勢認識、問題解決の方法など、実に興味深い内容だ。「直面する問題にどう取り組み解決してきたかを総決算したものである」と述べているように、事業構想と問題解決のためのヒントが満載だ。少しづつ読み進めていきたい。 六本木の森美術館で開催中の「会田誠展:天才でごめんなさい」を観た。f:id:k-hisatune:20130123120306j:image 帰りに新宿の東急ハンズでshotnoteを購入。早速試してみた。noteに書き込んだメモをiPhoneで撮影し、メールで自分あてに送った。それをPICASAで編集してここにアップ。中型タイプ、小型タイプ、メモタイプの3種類を購入。f:id:k-hisatune:20130123210820j:image■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130123 | 編集 9時:九段の4階の文庫で学長と面談。人事、予算、学生案件、女性講師の件など報告と相談と指示あり。 3階の九段サテライトで高野課長と菊池さん。 2階のGINを訪問し、山下さんと2月のシンガポール行きの情報交換。 午後、今朝学長に相談したプロジェクトゼミ担当の女性講師候補からさっそく電話をもらい説明。グローバルに活躍している有名な女性。快諾していただいた。秋学期。まず大学の資料を送付することにした。 夜。野田先生から電話があり、facebookの登録の仕方を聞かれた。近々、facebookに現れることになるでしょう!
2013/01/23
コメント(0)

午後は新宿のJR東日本の社員研修で3時間半。今回は昨年、一昨年の受講者に対する応用編。管内から90名が受講。「刮目」「公人・私人・個人」「自己教育」「一職・一官」「第一人者」、、などが響いたようだ。全体プレゼンは各支社代表14名に発表してもらった。東京支社、横浜支社、八王子支社、大宮支社、高崎支社、水戸支社、千葉支社、仙台支社、盛岡支社、秋田支社、新潟支社、長野支社、、。パノラマ撮影。終了後はスカイツリーの見える会場で懇親会。今回は女性の運転士と長く話をした。夕刻、新宿駅南口で知研の八木会長、小林事務局長と待ち合わせ。八木さん現れず。小林さんと久しぶりに二人だけで歓談。----------------今日から新しいデジカメ(ソニーのサイバーショット)を使う。これにwifi機能のついたSDカードを入れよう。iPadミニの使い勝手がいい。重いノートパソコンの長い時代、iPadの時代、そしてこのミニ版の登場で小型化は極まった感がある。iPhone5とiPadminiとミニデジカメという、超小型のコンビに活躍してもらおう。左は愛用のデジカメ、右が新デジカメ。shot note手書きメモをデジタル化するノートというアイデア商品を紹介された。King Jim製。無料アプリ。-----------------------------------学部長日誌「志塾の風」130122 | 編集午前中は大学で仕事。 金子さん。日程調整。学部運営委員会、人事委員会の議題を確認。研究室とゼミ室の件。 矢内事務長。付属高校との連携、海外提携大学、来年度予算、施設改修など。 池田部長と教授会議事録の修正。
2013/01/22
コメント(0)
駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠と富士山と並び称される白隠という禅坊主がいた。白隠という号も富士山に因んでいる。「富獄は雪に隠れている」とのたとえからとったものである。白隠(1685-1768年)は日本の禅界の中興の祖で、五百年に一人しか現れない不出の高僧だ。この高僧は禅を広めるために、数万点の書画を描いた。千万言を費やしても究極のところを表すことはできないので、膨大な著書群に加えて大量の禅画・墨跡を残している。この独特の禅画・墨跡が圧倒的な人気なのである。「気迫の圧倒的なこと、旺盛な精力まで籠められている」と女流作家で仏教者でもあった岡本かの子が評している。白隠は、ほとんどの画に賛を書き込んでいる。画賛とは、「画に因んで、その夜は国書き添えた詩句など」(広辞苑)である。絵画と言語で表現する東洋独特のものである。白隠はこれに宗教的メッセージを入れ込んだ。また相手に応じて描き分けた。見て、読むことが大事になる。白隠の画業は後の富岡鉄斎と同じく80歳を越えてからがピークだった。84歳で没。f:id:k-hisatune:20130122061953j:image子どもの頃に聴かされた地獄の責め苦が恐ろしくこれを避けるために出家を決心する。42歳で大悟するまで、白隠は悩み、苦しむ。そして増上慢心する。その折々に励ました、戒めた言葉がある。 煩悩即菩たい(大きな迷いがあれば、大きな悟りがある。問題のないところに答えはない) 慈明の志は道にあり。暁夕怠らず。夜坐眠らんと欲すれば、錐を引いて自ら刺す(引錐自刺より) 不借身命 悟後の修行 借り物の文字などなんになる。お前さんの所得をだしてみよ。 これと思われる本物を二人、三人ほどを育てたらよい。 人間、死ねると決心したら、今度は生きることだ。中津の自性寺には白隠の作品がある。自性寺は白隠にとって特別なコミュニケーションがあった寺である。 「出山釈迦」。苦行の果てにあばら骨が浮き、髭はぼうぼう、足の爪も伸びきった釈迦像。f:id:k-hisatune:20130122062214j:image 「富士大名行列」。富士山のふもとを大名行列が通るところを描いたもの。「はるばる豊前の自性寺和尚にお届けする」。霊峰富士がダルマ。賛には「直指人心、見性成仏」とある。まっすぐに自分の心を見つめて、仏になろうとするのではなく、本来自分に備わっている仏性に目覚めなさい。「円相」。賛は「十方、虚空無く、大地、寸土無し。f:id:k-hisatune:20130122062432j:image福神見温公語。子孫に金を残しても仕方がない。子孫に書物を残しても読みはしない。それよりも徳を積みなさい。白隠は兼好法師が嫌いだった。「吉田猿候」という作品で兼好を猿にしている。これはなぜか。墨跡はグラフィイクな書。「寿」を百の書体で書いた作品も。「道中工夫」(道中の工夫は静中に勝ること百千億倍」-----------------------学部長日誌「志塾の風」 自宅にて。 多摩グローカルフォーラム用の図解作成 25周年寄付振込 今泉教務委員長とやりとり 教授会議事録の確認 3月までに解決すべき案件を整理
2013/01/21
コメント(2)
「巨人・大鵬・卵焼き」という人口に膾炙した言葉は、堺屋太一が通産官僚時代に記者会見で子供が好きなものの紹介の中で、卵が物価の優等生という意味を込めて巨人と大鵬の後に続けたのが最初だということだ。考えた本人は、卵を主役としたのだが、巨人や大鵬の方に目がいってしまった。2111年の12月に訪れた山形県鶴岡市の「横綱柏戸記念館」では、「阪神・柏戸・目玉焼き」という言葉が掲げてあったのには思わず笑ってしまった。こちらも卵と同様に、「巨人・大鵬・卵焼き」にあやかったしたたかさを感じる。2月1日開催に多摩大で日韓の経営者を招いての「多摩グローカル・フォーラム」で冒頭に挨拶があるので、帰宅後「アジア・ユーラシアダイズムと大中華圏--日本をめぐる世界潮流」の図を作成する。今まで使っていた図に最新の情報を加えて新たな図解ができあがった。これと多摩大戦略図を更新。インターネットでの「多摩大鳥瞰図」とこの2枚の図を使って挨拶をしてみよう。2枚の図解を同僚の趙先生にハングルに翻訳してもらうことにした。図解のグローバル化の試みだが、韓国の人に説明するのは初めてなので反応が楽しみだ。----------------------学部長日誌「志塾の風」130120 | 編集 センター試験二日目。教職員の総力を挙げたイベント。トラブルはなく無事に終わってホッとする。解答用紙のトラックへの送り出しですべて終了。皆さんご苦労さまでした!この二日間、教員が全部そろったので、コミュニケーションができていろいろな案件の相談ができたのは副産物。
2013/01/20
コメント(0)
塙保己一。「群書類従」は34歳から40年の歳月をかけた大事業。74歳で完成。76歳で総検校、死去。収録文献数は1277種、25部門。総冊数666冊。版木17224枚、両面刻で34000ページ。江戸時代から今日まで出版された部数は70万万冊を超える。盲人は筝曲・三弦、はり・按摩に進む。検校にすすむと旗本と同格になる。最高位の総検校は全国の盲人を掌握する。出版事業には知恵と学問と経費が必要であったが、この大事業を達成した塙保己一は優れた人格と経営的な才覚があった。頭に記憶させながら、原本・写本の綿密な吟味、厳正な校訂を続け、版木に掘っては、木版にして頒布する道を開いた。塙保己一の勉強法。 知人から借りた書物を風呂敷に背負い、音読してくれる人を訪ね歩く。そしてじっと耳を澄まし、読んでもらったことを頭に入れる。毎日日々それを繰り返し、一冊づつマスターしていった。塙保己一の言葉から やれやれ、目明きとは不自由なものじゃな わずか四十巻の本を暗記することで人の世話にならず、妻子を養えるなら、自分にも不可能なことではない。 人間は小さなことで、感情的に怒るようでは大業は成就しない。 何事も見えぬになれてなげかねどふじとし聞けば涙こぼるるヘレンケラー 障害は不自由ではあるけれども、決して不幸ではありません。------------------------------南アのマンデラ大統領と1995年のラグビーワールドカップを描いた映画「Invictus」をDVDで観る。アパルトヘイト(人種隔離政策)に反対して27年間の獄中生活を送った後に大統領になったマンデラ(1918年生れ。現在94歳)に励まされてじ弱小チームが試合を勝ちあがってワールドカップで優勝する軌跡を追った映画。 指導者には、民衆を正しい方向へ導いているという自信のもとに、 群れより先を行き、新たな針路を拓かなくてはならないときがある 私たちの生き方のなかでもっとも偉大な栄光とは、決して倒れないということではなく、倒れていくときにいつも起き上がるということの中にある 大きな山を登った後にだけ、人はさらに登るべきたくさんの山があることを見出す昭和の大横綱・大鵬逝去。72歳。「大鵬・巨人・卵焼き」のトップを飾る大横綱だった。ライバルの柏戸とともに柏鵬時代を築く。山形県鶴岡の柏戸記念館に「柏戸・阪神・目玉焼き」と対抗する反骨の表示が会ったのを思いだした。----------------------------学部長日誌「志塾の風」130119 | 大学入試センター試験の初日。駒沢女子大との共催。私は本部責任者となっているので終日本部詰め。前後、途中で多くの先生たちと情報交換と根回しができて仕事が進んだ。駒沢の田中先生との懇談では入試関係のアイデアもでた。英語リスニングも何ごともなく終わりホッとした雰囲気で終了できた。 大学院授業のコメントの追加。「半年間に渡って図解を学ばせて頂いたことで、言葉や文字を中心とした、論理的なコミュニケーションでは到達できないより深いレベルでのコミュニケーションが出来るようになったと感じています。図解によるコミュニケーションは、まだまだ一般的ではありませんが、これから多くの人が、その必要性と有用性を実感する時代がくるのではないかと思います。そうした、図解という未開の地を切り開こうとされている久恒先生のベンチャー精神に深く共感致しました。まだまだ、満足いく図解が描けるようにはなっていないのでこれからも、事あるごとに図解に取り組み、図解が習慣になるようにしていこうと思います。
2013/01/19
コメント(0)
都心で時間が空いたので、渋谷を中心に人物記念館、美術館をまわる。以下、簡単な備忘録。 塙保己一史料館(社団法人温故学会)f:id:k-hisatune:20130118140509j:image7歳で失明。菅原道真公を守護神。賀茂真淵門下。36歳から41年かけて「群書類従」670冊(25部門)を刊行。76歳で死去。群書類従の完成によって貴重な書物の散逸がまぬがれた。桜の版木は17.244枚に及ぶ。彫師・刷師、、。3重苦のヘレンケラーが1937年に来館。視覚障害者教育に携わっていたグラハム・ベル博士(電話の発明者)から塙保己一のことを聴いて頑張ったという逸話。「子どもの頃母親から塙保己一先生をお手本にしなさいと励まされた」と述懐。「群書類従」は塙保己一の死後200余年も事業が継続しており既に70万冊に及ぶ。1冊でも頒布している。聖徳太子17条憲法と竹取の翁物語を購入。温故学会は塙保己一の遺志を継承して大成することを木t暦として1909年公益法人化。渋沢栄一は発起人の一人。この立派な温故学会会館の設立にも同郷の渋沢栄一の援助があった。塙保己一は本を人に読んでもらってそれをすべて覚えていたという。盲目でこのような事業を完成させたことに感銘を受ける。15歳で江戸に出て、衆分、29歳勾当、37歳検校、75歳総検校に進む。 山種美術館で開催中の高山辰夫・奥田元宋展。f:id:k-hisatune:20130118145356j:image日本画の巨匠の二人は同じく1912年6月の生まれ。どちらも90代まで絵を描いた。日展。ライバル。高山辰夫は大分生まれ。松岡映丘に師事。ゴーギャンに系統。1975年日展理事長。1982年文化勲章。「自分が決めたことをやって、最後まで自分の旗をあげていければ良い」「永遠ということ、それが掴めればと思う。永遠が無いはずはないと僕は思う。、、そのことが僕に絵を描かせているかもしれません。億だ元宋は広島生まれ。1977年日展理事長。1981年文化勲章。1981年69歳で歌会始の召人。「彩れる 秋写さんと山峡(やまかい)に 木葉時雨の音をききをり」。「日本画滅亡論を吹き飛ばしたいという意地があった」「半心半眼」(心でとらえた姿を描く。ありのままを描写するのではない。写実と写意のバランス)「絵は心」山崎種二名誉館長。「絵は人柄である」を信念として画家と親交。上村松園、川合玉堂、山口ほう春ら官展系と親しい。東山魁夷(1908-1999年)は種二の息子の山崎富冶と二代にわたって親交。 東急bunkamuraで開催中の「白隠」展。f:id:k-hisatune:20130118162419j:image臨済宗中興の祖・白隠(1685-1768年)。沼津生まれ。80年の生涯。15歳で出家し諸国行脚。41差で大悟。禅宗を広める手段として書画を用いる。絵解き説法。達磨(禅宗の開祖・300点以上を描く)、釈迦、観音(永遠の母の面影・しもぶくれ)、七福神、など。墨跡はグラフィック文字。寿(いのちながし)は百の書体。隻手。円相(十方、虚空なく、大地、寸土無し)--円の解釈は見る者に委ねられている。「道中工夫」(同中の工夫は静中に勝ること百千億倍)「直指人心 見?性成仏」(まっすぐに自分の心を見つめて仏になろうとするのではなく、本来自分に備わっている仏性に目覚めなさい)福神見?温公語「子孫に金を残しても仕方がない。子孫に書物を残しても読みはしない。それよりも徳を積みなさい)「出山釈迦」という作品は中津の自性寺のものだったのでびっくり。-----------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130118 | 編集 午前中に目黒の田村学園本部で田村常務理事、真子先生、藤本先生と面談。研究費・人員計画、25周年企画などをテーマに1時間半。 夜は、品川で大学院の秋学期最後の授業。終了後、打ち上げ会。
2013/01/18
コメント(0)

10時:「グローバル・リーダー」をテーマとしたプロジェクトが進んでいる。取材者2名からのインタビューを2時間半ほど受けた。来週にまた打ち合わせをするが、それで大枠は決まる。グローバルコミュニケーションという課題に新しい切り口で挑戦することになるので気合が入る。13時:名古屋消防局発行の「東海望楼」という雑誌の連載の依頼に編集の新屋さんがみえる。東海3県の消防関係者を中心に5000部ほどの読者のある歴史のある機関誌だ。深大寺の消防大学校の機関誌に書いた文章を読んだのがきっかけという。「図解コミュニケーション」がテーマ。4月から5000字で毎月1年間。新入社員時代に知り合ったインド人・プリ君から久しぶりの電話あり。同じ年のプリ君はデリーのJALに勤務していてインドで仲良くなった。その後、彼は日本女性と結婚し日本在住。貿易の仕事をしている。私の仙台行きで会わなくなった。近々、会うことになった。帰宅後、「リー・クワンユー自伝」を読み始める。シンガポール建国の英雄の国づくりを学ぶ。--------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130117 | 12時30分:矢内事務長。人事案件など。教育研究の中身が充実してきたので来年は外部広報がテーマの一つ。 ラウンジで諸橋副学長、中庭学長室長の話に加わる。25周年企画。 ラウンジで彩藤、出原、豊田の各先生の議論に加わる。「問題解決学」の話題。 研究室の割り当てを考える必要あり。退任3名、新入3名。施設チェック。 今年最後のゼミ。4年生の卒論提出者3名。 夜はリレー講座「現代世界解析講座」の担当教員7名の打ち上げ懇親会に出席。大学近くのアベーテにて。諸橋、金、中庭、清松、増田、バートルの各先生と私。新しい先生がほとんど。大学の方向、施策などが話題になったが、私の考えを説明できるいい機会だった。早急に解決すべき問題を提示し考えてもらいそれぞれの解決案も聞いた。危機感と進むべき方向の共有と納得感があれば乗り切って行ける。車の人が多くノンアルコール飲料を飲みながらの議論だったが、笑いながら愉しく話が弾む。こういうきわどい話題をいい雰囲気でできるのは多摩大の強みだ。
2013/01/17
コメント(0)
今日は一昨日の大雪の残雪があり歩いて行くのは危険なために諦めて、車(スノータイヤ)で大学へ。今日は、仕事の日。------------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130116 | 教員ラウンジでかなりの時間を過ごした。ここにいると様々の人が現れるので、多くの件が自動的に処理できていくので気持ちがいい。共同研究中間報告は全件、そして教員活動プレ報告はほぼ全員分そろった。来年度事業計画作成のために、各委員会の来年度方針案を収集中だがこれもほぼそろった。 研究室で秘書の近藤さんと打ち合わせ。 教育サポート室で金子さんといくつか打ち合わせ。 樋口教務委員長と入試の数字について情報交換。 中庭学長室長からゼミの成果のパンフをもらう。 教務委員会メンバー(今泉・下井・豊田の各先生。事務局の池田・三串さん)のアゴラの改装についての打ち合わせを傍聴。前向きのテーマの議論。 今泉教務委員長と4月のオリエンテーションについて確認。 今泉教務委員長と案件の調整。いいアイデアが出た。 教務の三串さんから今年度の非常勤教員の人数とコマ数をもらう。来年度は明日。 高野課長と学長案件の相談。 望月多摩大総研所長と松本先生と来年度の総研の体制についての打ち合わせ。いい方向で決着。 松本先生から3月9日(土)に京王プラザホテル3階の多摩信金WINプラザで予定している私のセミナー(「自分探しはもうやめて、自分づくりを始めよう」)のPR文書を頼まれる。総研はこれを皮切りに教員によるセミナーを続けていくことのことなので楽しみだ。 金先生。オリエテーションの件などを相談。 飯田先生から相談事。 川手入試部長。入試関係の数字について確認。少し安心。 バートル先生を研究室に訪問。プレゼミの件、ホームゼミの件。 3年の梅田君(インターゼミ生)から地域震災班のOBたちとの飲み会の連絡。
2013/01/16
コメント(1)
今年最初の企業研修。受講生は90名ほど。20代の若手。終了後は懇親会にも出席。f:id:k-hisatune:20130115162054j:image終了後のアンケートでは「新鮮」「衝撃的」「驚き」「新発見」などの言葉が多かった。以下、いくつかピックアップ。 こんなにも頭を使うとは思いませんでした。頭を使って考えたものだからこそわかりやすく説明できることを身をもって感じることができました。 図は国際言語であることがよくわかりました 海外の人にあることを説明するときに、図の中の単語をその国の言語に変えるだけなんてすごい 図は国際言語という言葉が印象的でした 伝え方の技量とセンスが重要 自分のしごとと周りの関わり方をここまで深く考えることはなかった 名刺などに活用してもよさそうですね 驚きだった。提案活動、My Projectに大いに活用してきたい 頭を使った 関係を深く考えた「てにをはばかりを指摘する上司は無能」は痛快でした(笑い) マイプロ、OJTに使う 職場の改善活動やマイプロジェクトで表現したい 仕事で重要なのは業務知識とちゃんと作文が書ける力だ、と入社早々に言われていちゃので、本日の研修では大変ショックを受けました。 本を読みます。マイプロの取り組みます。 実習は集中力が切れることなく受講できた 考え方のプロセスを変える方法を学んだ 頭の体操 問題解決に積極的に使用していく 応用編も参加したい 新入社員教育で活用したい 一日一図を目指して頑張っていきたい 自ら考えるということを改めて思い知った 人生は30歳から大きく変えられるのかと希望が持てました。お客様に対する案内にも生かしていこう 会社の風土をとても理解されていて、その分言葉にも納得できるものを感じた。 会社のこの研修による変革を望む。著書を読みます 発見の連続で非常に楽しい時間を過ごしました 頭がいっぱいになった時、「そんな時は、一息ついて今回教わった図を用いて整理してみたい」。-----------------------------------今日の収穫。辞典編纂者たちの言葉から。 悪戦僅に生還するの想いあり(吉田東伍・大日本地名辞書) 無理をしない(諸橋轍次・大漢和辞典) 天国の言語は英語だよ!(斎藤秀三郎・斎藤和英大辞典)
2013/01/15
コメント(0)
一日中、大雪なので自宅。 午前、今年の主要な出版の執筆作業。 午後、黒沢明監督の「隠し砦の三悪人」をDVDで観る。主演は若き三船敏郎。ジョージ・ルーカスが「スター・ウオーズ」のヒントにしたという名作。 夜、BS12の「就職を機に人生を考える」。今日は、建築家の安藤忠雄と寺島さんの対談。 「ハンディをエネルギーにしようと考える」「広い教養と深い知識」「前面で闘う」「前を向く」「恐れ」「構想力」「ガウディ」「ル・コルビジェ」、、、。------------------------------------------------今日の収穫 ベストを尽くして失敗したら、ベストを尽くしたってことさ(スティーブ・ジョブス) 仕事はナメてかかって、真面目にやれ(テリー伊藤) 小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています(イチロー) 成功の反対は失敗ではなく、「やらないこと」だ(佐々木則夫)---------------------------注目の人物企画展。円空(上野・東京国立博物館)牧野富太郎(上野・国立科学博物館)ロダン(上野・国立科学博物館)王羲之(上野・東京国立博物館)グレコ(上野・東京都美術館)-塙保己一(渋谷・温故知新会)シャガール(渋谷・松涛美術館)白隠(渋谷bunkamura)高山辰夫(渋谷・山種美術館)-会田誠(六本木・森美術館)草間弥生(六本木・オオタファインアーツ)田中一光(六本木・ミッドタウン)-オノ・ヨーコ(南青山ギャラリー360°)キャパ(横浜美術館)山田洋次館(柴又)--------------------------学部長日誌「志塾の風」130114 | 編集夜、学長から電話あり。
2013/01/14
コメント(0)
昨年、三浦しおん「舟を編む」という小説を読んだ。15年の歳月をかけて「大渡海」という辞書が完成したとき、壮大なプロジェクトを一緒に戦った仲間たちは、「俺たちは舟を編んだ。太古から未来へと綿々とつながるひとの魂を乗せ、豊穣なる言葉の大海をゆく舟を。」と振り返る。素晴らしい物語だった。「大漢和辞典」は諸橋轍次(1883-1982年)のライフワークとなった。諸橋は小学校の代用教員、師範学校、そして帝大に次ぐと言われていた東京高等師範学校(嘉納治五郎校長)国語漢文科に入学し漢文を学んだ。群馬県師範の教諭から高師付属中学で教鞭をとる。その時に「もともと自分は気のきかぬいなか者だ。いそこれからは地金を出して真裸でいこう」と決心する。27歳から35歳まで思い出深い教師生活をおくる。37歳、諸橋は文部省から2年間の中国留学を命ぜられる。経費は岩崎小弥太や渋沢栄一が面倒をみている。帰国後は、岩崎から静嘉堂文庫長を委嘱される。そして東京高師、国学院大学講師になり、5年後には大東文化学院教授、駒沢大学講師を兼任する。大漢和辞典 全15巻セット 別巻『語彙索引』付大漢和辞典 全15巻セット 別巻『語彙索引』付 作者: 諸橋轍次 出版社/メーカー: 大修館書店 発売日: 2000/05/10 メディア: 単行本 クリック: 23回 この商品を含むブログ (5件) を見るこの頃、大修館の鈴木一平(1887年-1971年)が現れて辞書編纂を依頼される。まだ信用のある出版社ではなかったが、鈴木は「一生のしごとをやってみたい」と熱意を持って諸橋を口説いた。辞書の編集は根気と体力を要する仕事であり、諸橋自身も肺炎、肋膜炎、百日咳、白内障、そして失明同然になっていく。助手も結核などで次々に倒れている。大修館も50名近い工員、膨大な木版代、戦時中の紙不足など、絶望的な状況の中で何とかふんばっていた。1943年に第一巻を刊行、翌年には「朝日賞」を受賞している。活版方式から写植(写真植字)に改めたことも推力となった。これを実行したのは「写研」の創業者・石井茂吉である。鈴木は社運を賭して事業を完遂するために、大学在学中の長男と仙台の第二高等学校在学中の次男を退学させ、この事業に専念させている。「大漢和辞典」は1955年第一巻が配本、5年後に最終の第13巻総索引が刊行された。開始以来35年の歳月と、のべ25万8千人の労力と、9億円(時価換算)の巨費を投じた近代有数の大出版であった。多く人の縁が折り重なった層の厚さと縁の下の力持ちの出版社の志によって、長い年月をかけてこの辞典ができあがったことに感銘を受ける。諸橋は1944年の朝日文化賞、1955年の紫綬褒章、1965年の文化勲章、勲一等瑞宝章。鈴木は1957年に菊池寛賞、勲四等瑞宝章などを受賞。高い評価をうかがうことができる。改訂版は高弟鎌田正、米山寅太郎の手によって一九八七年に完成した。諸橋は「生き抜くことに努力して、必ず見届けていきたい」と語っていたが、既に1982年に99歳で没していた。-------------------新村出(1876年生)は「広辞苑」の編者である。東京帝大文科大学博言語学科に入学し、金田一京助らととも学び、首席で卒業し、この年から始まった銀時計明治天皇から授与されている。東大助教授、京大助教授、留学後教授になり学位を得ている。「一通りは分からないことはない様にしたい」という考え方のもとに、語源に加え語史にも力を入れた。「広辞苑」は500万部売れた。「広辞苑によれば、、」とよく引用される国民的辞書となった。現在では、時代とともに進化し、CD=ROM版「広辞苑」も登場してきた。広辞苑は今も生き続けている。
2013/01/13
コメント(0)

インターゼミの前の時間を利用して、新宿センタービルで開催された「わし田純一写真展」の文芸評論のリービ英雄と写真家・わし田さんの対談を覗く。わし田さんは有名人の書棚の写真展を開催している人。30人ほどの参加者。リービ英雄の本を読みたい。ジョン・レストン、中上健二、鴎外、三島由紀夫、。紀行文学から越境文学の誕生。1000年前のニューヨーク・カイフン(前宋の首都)、ユダヤ人。本は生活そのもの。、、、。f:id:k-hisatune:20130112154207j:image--------------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130112 | 編集 9時40分:人事委員会。非常勤講師採用の案件を審議。 10時:学部運営委員会。教授会の前の執行部の共通認識のための会議。先週からの進行状況、疑問点の確認。 10時40分:今年最初の教授会。懲戒規定、学籍異動、非常勤教員採用、教授会規則の改定が審議・承認された。その後、各委員会の報告。学部長として共同研究費の中間報告の状況、教員活動のプレ報告書の提出状況を報告。構成員の協力によってほぼ時間通りに終了できた。 12時10分:センター入試のリスニング担当者向け説明会に出席。参加者は真剣。 13時:ホームゼミ第二次募集説明会を覗く。今年はゼミによって学生数に差が大きい。プレゼミ・プレホームゼミでゼミの情報が多くしたのだが、この結果は意外。f:id:k-hisatune:20130112132341j:image 杉田先生、豊田先生と懇談。ミズノのゴルフ用の上着が素晴らしい。 16時20分:インターゼミ(社会工学研究会)の最終回。学長の短い講話の後、すぐに各班ごとの検討に入る。私の担当の地域震災班の求めに応じて福島県平田村への多摩大としての貢献についてアドバイス。多摩の手土産班とつなぐ。 18時半:インターゼミOBで大学院OBの菊永さん(東芝)と「味さと」で軽く飲みながら一緒にやっている電子書籍の打ち合わせ。電機業界の様子を詳しく聞く。
2013/01/12
コメント(0)
マネジメントデザイン2(立志人物伝)の全15回の講義が終了。f:id:k-hisatune:20130111111947j:image今年はyoutubeの映像を見せるなど新しい授業スタイルの試みを実験したこともあり、受講生の手ごたえがある。以下、アンケートから。「15回の授業を受けて、あなたはどう変わりましたか?」。先生の解説と動画といった新しい講義の仕方はとての充実した時間でした。Youtubeを通して自分でも何かを知ろうとする意欲が芽生えた。人生鳥瞰図を描くことが楽しく就職活動に活かされると思う。先生の講義を受けるとすごく感受性が豊かになる気がします。価値観が変わりましrた。賢くなった気がする。名言の収取を再び始めるようになった。価値観が変わり視野を広げることができました。もっと早くこの授業をとればよかったと後悔しています。志の重要性がわかった。緒方貞子のやってきたことに感動、イチローを追いかけるようになった。自分でいろいろ調べていこう。様々な偉人を知り生き方、価値観が変わった。理想の人物が見つかったので目標にする。誰かの人生を見本にすることが大事だいうことに気がつきました。生きていく上でのロールモデルが決まった。尊敬する人はと聞かれた際自信を持って答えることがえきた。苦労や辛さも知れてますます興味を持ったり尊敬できるようになりました。人を見る眼が変わりました。他の学科の人にも受けてもらいたい。価値観が大きく変化とげました。文豪たちのお話が好きでした。自分の限界を決めないでできる限りの努力をしていこうと思うようになった。確実に身になっていると実感しております。今後いろいろなことに挑戦していこうと思う。価値観がガラリと変わりました。様々な人の役に立てるようにしようと思う。家でも偉人についてyoutubedeで見るようになりました、。今までもらったことのない刺激を受け多くの知識を得ることができました。この授業が好きです、他の授業と違って集中できます。若いころから楽をしては駄目だと思った。自分自身のことを深く考えるキッカケになった授業。尊敬できる人がたくさんいて驚きと感動があった。成長し続けていく気持ちを忘れないようにしていこう。就職活動におけるスキルをたくさん学べた。尊敬する人物に少しでも近づけたら。深いところまで学ぶことができた。良い意味でもうこの授業を受けなくてよいように頑張ります。考え方が変わりポジティブに物事を考えるようになりました。もっとたくさんの偉人について知りたいと思うようになりました。偉人の言葉の重みも感じた。信念を持つことが重要。立派な人間になろうと思う。なんとなく予定を立てるのではなく細かくたてるようになりました。物事を見る眼変わった気がします、奥を見れるようになりました。側面ばかりみるのではなく中身を見れるようになったと思います。驚きと感動。偉人のようになるのではなく自分らしく生きていると周囲の人から思われるようになろう。刺激的だった。生前の姿や声も見ることができて有益だった。人が人に影響を及ぼす力はとてもすごい力だと思う。物事を調べることが苦手ではなくなったのはこの授業のおかげ。自分の人生に対して真剣に考え向き合っていこうという気持ちになれた。博物館めぐりをしたい。考え方や視野が広がったと思います。先生の著書を参考にしてPPTで頑張ります。価値観が変わってきた。初音ミクなど意外な人もあり驚かされた。好奇心が高まった、youtubeを見て学びたい。名言を参考に日々の行動を少しづつ変えていこう。--------------------朝夕のウオーキング通勤で「下町ロケット」の池井戸潤のインタビューを聞く。-------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130111 | 編集 多摩市長来訪。 今泉先生。教務関係。 望月ゼミの木村ゼミ長。 金先生の部屋で歓談。 金子先生の部屋で相談。 豊田先生 金子さんと明日の打ち合わせ。 高野課長
2013/01/11
コメント(0)

多摩大創立以来のメンバーである望月照彦教授が今年度末で退任される。25年に亘り多摩大を引っ張ってきた先生のゼミ生たちが、このたび記念誌「脳力知熱発伝所・望月ゼミ--500人の遺伝志情報大全」を発刊した。226ページに及ぶまさに大全である。f:id:k-hisatune:20130110071415j:imageこの中に望月先生の教育者としての25年が凝縮されていると感動を覚える。20年史の時もそうだったが、区切りごとに総括を続けていくという姿勢には共感と尊敬の念を強くする。この冊子は多摩大の歴史の一つの凝縮でもある。25年史の正史は編まねばならないだろうが、こういった歴史書の存在が正史に彩りとリアリティをを与えていく。組織のそれぞれの構成員がそれぞれの人生を賭けた歴史を編まねばならない。以下は、創立時の望月先生と現在の望月先生の写真。深みを増した風貌が25年の歳月を物語る。この記念誌の冒頭は望月先生の「四半世紀、持ち続けた私の想い」で、その後に野田一夫初代学長の「望月ゼミよ永遠なれ!」の寄稿があり、その後に現役を代表して私の寄稿が載っている。気合を入れて書いたので以下に記載する。------------------------------「現代の志塾」のモデル・望月ゼミには、多摩大OBのリード役を期待します 経営情報学部長 久恒 啓一多摩大学は創立20周年を機に、建学の精神の再興を目指して、あらためて教育理念の制定に着手し、「現代の志塾」と定めました。「志」とは、社会の不条理の解決のために自らの職業や仕事を通じて貢献をすること、「塾」とはゼミ中心の人間的な触れ合いを通じた人格教育、「現代」は寺島実郎学長のいうアジア・ユーラシアダイナミズムを念頭に置いています。そして経営情報学部は、「産業社会の問題解決の最前線に立つ志人材」の育成を教育目標とし、高校生対象の「私の志」小論文コンテスト、志入試、産業社会論・問題解決学・最前線事例の3つの科目群で成り立つカリキュラム、グローバルビジネス・ビジネスICT・地域ビジネスという出口を意識した3つの履修モデル、多摩を中心とする志企業への就職、といった体系的・総合的な改革を教職員一体となって一歩一歩押し進めつつあるところです。「現代の志塾」という教育理念については、過去の多摩大の全資料を読み込んだ上で、北矢行男先生の提唱された「現代の私塾」というキーワードを土台に、望月照彦先生から「志塾」にという貴重なアドバイスをいただき決まったものです。本学創立以来のメンバーである望月先生を始めとする輝かしい多摩大の伝統の上に立って、新しい時代を展望できる教育理念が出来上がったと考えています。30代初めの頃から、所属する「知的生産の技術」研究会で望月先生の謦咳に接してきた私にとって、野田一夫先生の創った多摩大で、寺島現学長のもと望月先生の仕上げの5年間をご一緒できたこと、そして先生ら先達の志の松明(たいまつ)を高く掲げる責務を負っていることに不思議な縁と使命を感じております。多摩大に望月ゼミあり、と称されるこのゼミは、「高い志、事業創造力、先進の社会デザイン」をモットーに、創立以来四半世紀にわたって本学の教育をリードしてきた名物ゼミであり、この間500名に及ぶ人物群(本学最高記録でしょう)を世に送り出しているわが大学の貴重な財産です。さて、志を持った人材を「人物」と呼びたいと思います。知識や技術をまとった何かをなすための材料ではなく、教養や人格を備えた人物になることが大事だと思います。才能より人格、知識より教養、早咲きより遅咲き、ナンバーワンよりオンリーワン、、、。育てるべきは、目指すべきは、人材ではなく、人物であります。企業は人材を求めるでしょうが、若者には人物を目指して欲しいと思います。じっくりと時間をかけて大いなる人物になることこそが大きな価値です。大学というものは生涯をかけて熟成していく、最初のそして大切な4年間であるという認識のもとに、手作り感あふれる教育に現役教職員の総力をあげて取り組み、成果を挙げていきたいと思います。新しいステージに立った望月先生の飛躍と、そして望月ゼミOBの皆さんには、多摩大OBのリード役となることを大いに期待しています。----------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130109 | 編集 尾崎総務部長と来年度予算関係。 松本先生と多摩大総研関係の打ち合わせ。 知研の八木会長来訪。今年の日程調整など。 今泉教務委員長。非常勤人事など。 高野課長 望月先生から望月ゼミ25年記念誌を頂き感激。感想等はブログ「今日も生涯の一日なり」に記載。http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20130109夜はマンションの理事会。年末年始の各種行事が終わったので懇親会を兼ねて理事会を開催。楽しくコミュニケーションがとれた。後、半年。
2013/01/09
コメント(0)
「緒方貞子という生き方」という本がある。それほど、この人の働く姿には魅力があり、頭が下がる思いをする。緒方貞子(1927年生)は、1991年から国連難民高等弁務官としてクルド、サラエボ、ルワンダなど長い間世界の難民支援活動に取り組み、その後2002年にはアフガン復興支援国際会議の共同議長、そして日本の国際協力の総本山であるJICA(国際協力機構)の理事長をつい最近まで長く務めた人である。国連難民高等弁務官に就任したのは63歳の時である。聖心女子大卒業後、ジョージタウン大学で修士号、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得、50歳前の76年から国連日本政府代表部公使、特命全権公使。上智大学教授として外国語学部長などを歴任している。国連難民高等弁務官以降の緒方貞子の足跡を追うと、難問と大問題との格闘の歴史であるとの感を深くする。あらゆる国々の首相や大臣、あらゆる機関のトップ、こういう人たちと毎日会いつづけ、世界の様々の機関や大学での講演を重ね、現地で難民と接していく。、国際紛争や内紛で生じた数百万人の難民を保護するために、問題を解決しようと時間と労力と人脈を駆使していく姿は神々しい。国連難民高等弁務官事務所の本部はスイスのジュネーブにあり、職員総数は2000人。4分の3は現地で活動している。任務は、保護と救済である。2003年(76歳)から2012年3月末まで緒方貞子がトップをつとめていたJICAは1.2兆円の規模を持つ日本の重要な世界貢献の本拠である。政府開発援助(ODA)の二国間援助の中心的役割を果たしている。2011年の東日本大震災では世界各国から援助の手が差し伸べられたが、それは緒方JICAの果してきた世界への影響の一端を示すものだと思う。そのJICAに私も少しだが関与していることに誇りも感じる。緒方貞子は「小さな巨人」とも言われている。天命に沿って使命感を持って60代から10単位という長い時間を問題解決に捧げ、少しづつ前進していく姿は神々しい。以下、「私の仕事--国連難民高等弁務官の十年と平和の構築」(緒方貞子・草思社)から。私の仕事私の仕事 作者: 緒方貞子 出版社/メーカー: 草思社 発売日: 2002/11/30 メディア: 単行本 購入: 2人 クリック: 24回 この商品を含むブログ (13件) を見る 中央からの柔軟な調整と、現地における実施機関の対応能力の強化が、問題解決の鍵か。 経済制裁は、弱い人を苦しめる。 日本は、経済大国から人道大国になってほしい。 体系的に理解するというのは、答えを持っているということではなく、何が問題なのか質問ができる、ということではないでしょうか。 湾岸戦争後、国連平和維持協力法を成立させ、国際協調主義的な姿勢を示し、アンゴラ、カンボジア、モザンビーク、ゴラン高原、リワンダ、などに自衛隊を派遣した。その後、90年代の不況によて日本の指導者層は内向きになっていった。 人間は仕事を通して成長していかなければなりません。その鍵となるのは好奇心です。常に問題を求め、積極的に疑問を出していく心と頭が必要なのです。 日本人は意識的に世界各地にある厳しい状況に関心を寄せ、身を置く努力をしなければならないのではないでしょうか。 コンセンサスというのは、自然に形成されるものではなく、強力なリーダーシップで引っ張って初めて、形になるものなのです。 国の内外を問わず、自分で歩いてみることを、若い世代にすすめます。曽祖父は犬養毅、祖父は外相、母は犬養道子や安藤和津の従妹。日銀理事だった夫は、緒方竹虎の三男。竹虎の祖父は緒方洪庵と義兄弟の盟を結びその姓を名乗った。国連難民高等弁務官就任以降の活躍に、世界各国からの感謝が栄典という形で贈られている。こうやって並べてみると、日本の文化功労者や文化勲章の光も色褪せる。1993年 : イタリア金の鳩平和賞1994年 : 自由賞(自由主義インターナショナルより)1995年 : フィラデルフィア自由賞1997年 : マグサイサイ賞平和・国際理解部門2001年 : 文化功労者2001年 : インディラ・ガンディー賞2001年 : ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章2001年 : レジオンドヌール勲章コマンドール2001年 : イタリア共和国功労勲章カバリエーレ大十字2001年 : スウェーデン北極星勲章コマンデール第1等級章2001年 : ロシア友好勲章2002年 : フルブライト賞2003年 : 文化勲章2004年 : 東京都名誉都民2005年 : 世界市民賞2008年 : オラニエ・ナッソー勲章グラントフィシエ章2009年 : 第3回後藤新平賞(後藤新平の会主催)2011年 : 聖マイケル・聖ジョージ勲章デーム・グランド・クロス(GCMG)2011年 : キルギス共和国ダナケル勲章2012年 : 地球市民賞(大西洋評議会)
2013/01/08
コメント(0)
「グローバル・リーダー」をテーマとした教材開発の企画の取材を3-4時間こなす。全体企画の確認、そして個別についてずっと語る。最近の経験と研究をこのテーマに寄せてしゃべり続ける。だいぶ見えてきた感がある。教材だけでなく、出版にも結びつけていきたい。--------------------------------学部長日誌「志塾の風」130107 | 編集学長年頭あいさつ。 内向き・縮む日本とアジアダイナミズム。20011のシンの一人当たりGDPは5.6万ドル。日本は3.6-3.7。アジアの先端ではない。大中華圏は産業から政治的実態へ。 この15年に所得は121万円下落。月10万円。日本は静かなる貧困化へ。車社会にも影響、東京では維持に月10万、カーシェア、レンタル。大学にも影響が出てきている。 多摩大。就任時の問題を一つ一つクリヤーにして一定の方向感の基盤ができつつある。25周年をサバイバルと飛躍の契機にする。。前進を目に見える形にしたい。 教育の質的向上。人を育てる。ゼミ中心、手作り、社会人基礎力、アジア体験、、。 教員の研究者としての質的向上。研究力の向上。テーマ、専門性の深化、そういうものを学生は敬愛。時代と並走。社会性のあるテーマ。一人一つの学会貢献。教職員の一人一つのNPO参画。 大学設置審議会のテーマは私立文科系。大学というビジネスモデルの進化。社会人の取り込み。リレー講座(5.5万人)、もう一歩前へ。 学生への手応えあり。ワークプレイスメントイベントへの参加数最大、学外の活動への参加、インターンシップも多い。内弁慶、引っ込み思案、限界を突き破る。外に出る。 多摩学。インターゼミの多摩学の積み上げ。広域多摩への知見によるリーダーシップ。地域へのこだわり、愛着。しつこく進化。DNAや地歴というローカリティの追求が世界史とつながるグローバルティを獲得。 三位一体。黒字基盤の成立。シナジーとリンケージが重要。院と学部、SGSとSMIS。 学生サポートの充実。情報誌の立ち上げ。25周年を契機に智恵、アクション。 同窓会・後援会との連携。アドバイザリーボード。 日本の劣化は知的セクターの劣化とリンクしている。昨年の院卒者は10万人。このうち無業者(2.4万)と非正規者(3.0万)が合わせて5万人以上。高いプライドと低い現実。高級フリーターがネット犯罪の加害者の温床。社会不安。自分の持ち場で組み止めよう。綱引きの綱を長くして若者も参加させる。f:id:k-hisatune:20130107111256j:image 本日の早朝にシンガポールから帰国した学長と10半から懇談。新著「大中華圏」(NHKブックス)のサイン入りをいただく。大中華圏の図解を手交。私の著作数、八木さんの宣教師の本、日本総研、学会の開催、グローバル・リーダー養成、、。シンガポールでの経団連研修に来ないかと誘われる。 3COOのミーティング。教授会規則。 安田グローバルスタディーズ学部長を交えてラウンジで歓談。連携の話題など。下井先生、金先生、、。 豊田先生と意見交換。 19時半からのNHKクローズアップ現代のエネルギー特集。学長出演をみる。
2013/01/07
コメント(0)
近所の図書館でブラブラ。各種の「日記」を物色することになった。このブログを書き続けるにあたってのヒントを得たいという思惑がある。曽野綾子の私日記1と3、や緒方貞子の「私の仕事」などを借りて来る。曽野綾子は日本財団会長、緒方貞子は国連高等弁務官、どちらも国際的な重職をこなしている女性である。まず、曽野綾子の日記を読んだ。日本財団会長と人気作家という「二重生活」をどのように過ごしているかが、ほぼ毎日書き続けている私日記でわかる。毎週火曜日に行われる執行理事会の幅広い議題、仕事の関係で会う様々な分野のトップ、息抜きに訪れる三浦半島の家での農作業、外務省批判、作家としての心構え(例えば取材費は全部自腹という原則)、財団の仕事での広報の重要性、財団の出張規定の改定(39歳まではエコノミークラス)、夫・三浦朱門の動きや人柄、息子や嫁、孫との交流、淋巴マッサージ、、などの活動ぶりが手に取るようにわかる。公人としての仕事。個人としての作家活動。私人としての妻や母、祖母の役割。この日記はサンデー毎日、VOICE(2001年7月から2003年9月まで)などの雑誌で連載したもので、それが単行本になっている。このスタイルの日記は現在も続いているはずだ。この日記を書くという行為は何よりの日本財団の広報活動だろう。5月19日の部落問題に言及した記事によって3年間続いた「サンデー毎日」の連載中止。それを海竜社が拾って出版してくれたことなどもわかる。何ごとも続けるということは難しいことなのだ。 「国際的になるということは、その国の人としてみごとな人になることだ」(To be ineternational,be national)(聖心)。、、思想、ものごし、にその人が選んだ人生の筋が通っていれば国際人なれる。 正しくたって間違えたってどっちでもいのだ。お前の兄弟を支持しろ。(アラブの格言)曽野綾子、緒方貞子は代表的なグローバルリーダーである。---------------------------------------------- 電子書籍「図で考える」ことができる人、できない人(PHP)が出た模様。880円。http://honto.jp/ebook/pd_25462066.html NHK大河ドラマ「八重の桜」始まる。初回「ならぬものはならぬものです」。新島襄。吉田松陰。徳富蘇峰。佐久間象山。記念館を訪ねた人々が登場するので今回は見続けたい。近代の偉人が数多く登場するだろう。 娘とLINEでつながって会話が始まった。私の最近著「30代から始める人生戦略は「図」で考える!」を読んでいるとのこと。 kloutの数字が61にアップしていた、いつの間にか50代後半から上昇。Broadcasterというランク。kloutはソーシャルメディア上での影響力を数値化したもの。「Klout 40未満 まだそれほどTwitterを使いこなしていないアカウント。 Klout 40~49 平均的なアカウント。Klout 50~59 平均以上のアカウント。Klout 60~69。キラリと輝く何かがあるアカウント。Klout 70~79 傑出した何らかの特徴があるアカウント。lout 80以上 ソーシャルゴジラ」と、ある人のブログに書いてあった。佐々木俊尚78、村上憲郎47。
2013/01/06
コメント(0)
今年最初の土曜日。今日も歩いて通勤。作家の三浦しをんのインタビューを聞く。昨年本屋大賞を取った「舟を編む」(辞書へを編纂する人たちの物語)を読んで大変面白かった。話題は林業に従事する青年を主人公にした「神去なあなあ夜話」。これも面白そうだ。--------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130105 今年最初の学部運営委員会 | 諸橋副学長・今泉学科長と懸案事項の相談。 今年最初の学部運営委員会を開催。10時から12時半の2時間半。教授会規則(修正案)。自己点検中間報告(数字を入れた定量的な報告に)。来年度方針全体共有会(全教職員・一日)。本年度1-3月の日程確認。来年度予算進行状況(各委員長は予算について確認のこと)。プロジェクトゼミ(3つの系で教員確定)。非常勤講師確定。就職内定状況。就職出陣式報告(参加者の満足度は極めて高い)。VOICE数値(常勤と非常勤の差・中期目標値は再設定)。来年度配布ノートパソコン(タブレットかノートか)。情報教育の指針。経営情報学部セミナーの内容(報告者・パネラー)。各委員会に予算策定に伴う来年度方針ドラフト作成依頼(来週末締切)。各委員会の出欠状況確認、、、。など盛りだくさんだったが、執行部の意思統一ができた。特に情報教育のあり方についての議論と方向付け(すべての科目でオフィスのソフトを用いたレポート、卒業までに論文・レポート○○本などの方針を策定)ができたのが有益だった。 12時半から創立25周年企画に関する会議に参加。 高野課長の車で九段へ。 16時20分から九段サテライトで今年最初のインターゼミ(社会工学研究会)。論文の最終提出日が迫っているので各班とも緊迫した風景。地域震災班は年末にもらった原稿に対し長田先生と私からコメントとアドバイス。19日の提出まで今からが勝負。途中でグローバルスタディーズ学部の安田学部長と教授会規則についての確認とインターゼミとリレー講座の単位化に伴う事項の確認。
2013/01/05
コメント(0)
仕事始めの本日からiPhoneの万歩計ソフト「Walker」で歩数を測りながら歩くことにした。行きは永山駅から大学まで登り20分で2000歩。帰りは大学から永山駅まで下り20分で2000歩。南大沢から自宅まで15分で1500歩。行きはiPoneでPODCASTのオンザウェイジャーナルの「ラジオ版・学問のススメ」を聞く。「国家の品格」の著者・藤原正彦がゲストで近著「孤愁---サウダーデ」(文芸春秋)について聞く。日本を愛したポルトガルの文人外交官・モラエスについて、藤原の父の作家・新田次郎が毎日新聞連載していて途中で絶筆になった原稿を、子の藤原正彦が書き継いで親子で完成させた本である。新田次郎が亡くなって32年後にようやく完成した。藤原は新田次郎が亡くなった67歳から書き始めて生誕100年の年に完成している。この間、父の訪れたポルトガルや徳島を何度となく訪れて体感し資料を集め、そして満を持して書いた。著書は、新田次郎・藤原正彦と二人の名前が並ぶ。昨年訪れた徳島のモラエス館に足を運んだ。モラエスは日本を愛し海外に紹介した、もう一人のラフカディオハーンである。私の当日のブログの最後には「この人の年譜をたどり、「モラエス--サウダーデの旅人」(岡村多希子)を読むと、恋多き、憂愁の文人モラエスの姿を偲ぶことができる。この人はもっと知られていい。」と記しているが、この度の刊行で知られることになるだろう。さっそくアマゾンで注文。http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20120228帰りには「レンブラントとユダヤ」というタイトルの寺島実郎さんの解説を聞く。17世紀オランダで活躍した大画家・レンブラントの不思議な深さと悲しさには、ユダヤ人との交流の影響があるという。スペインやドイツを追われたユダヤ人が共和国オランダに集まっていたのだ。------------------------------------------学部長日誌「志塾の風」130104 | 編集本日は仕事始め。 授業の14回目。4日なので人数は少ないだろうとみていたが出席者は多い。真面目な学生が多いと感心。富田勲先生からのメール。篠山紀信「写真力」と「レノンとヨーコ」の撮影の動画。松井秀喜の引退会見。そして寺島学長の「大中華圏」の図解を解説。後は、個人作業と質疑応答。 高野課長と情報交換。 矢内事務長と案件の打ち合わせ。 金子さんと打ち合わせ。井川さん。福中さん。 樋口先生、趙先生、菅野先生らとラウンジで歓談。 山陰出身の学生(3年)が一人来て雑談。 沖縄の琉球大の名誉教授の方に電話し報告書の送付に御礼。 年賀状をチェック。
2013/01/04
コメント(1)
今日は私の誕生日。家族がそろったので食事会。 今年の計画を策定。 大中華圏の図解を完成。--------------------------------------メルマガやブログが誕生してからライフスタイルが変わってきた。その一つが年賀状である。以前は毎年増えていく膨大な枚数をこなすことに年末から年始にかけてを慌ただしく過ごしていた。平成18年(2006年)の正月から、通常の年賀状を廃止することにし、メルマガやブログでの挨拶に移行した。年賀状は、平成9年(1997年)からホームページにアップしているから、この15年の動きが一目瞭然だ。-----------------あけましておめでとうございますさて、小生この度転身を決意し、本年三月末を持って勤務先を退職することとなりましたのでご報告致します。ご縁があり、本年四月仙台に開学予定の宮城大学(宮城県立・野田一夫学長)の教授として奉職することになりました。家族ともども仙台に転居する予定です。勤務先の日本航空株式会社におきましては、社内外の皆様に大変お世話になり、思う存分仕事を楽しむことができ感謝致しております。昭和四十八年の入社以来主として労務・広報・経営革新をテーマに勉強させていただきました。また今回の転身のきっかけとなりました「知的生産の技術」研究会(梅棹忠夫顧問・八木哲郎会長)においては十七年間にわたり素晴らしい仲間たちと活動を重ね、「図解の技術」(日本実業出版社)などの著作を上梓する幸運にも恵まれました。転居は三月末を予定しており連絡先が決まり次第改めてご連絡致します。それまでは自宅にて準備をしております。今後ともよろしくお願い申し上げます。平成九年 元旦----------------------あけましておめでとうございます宮城大学に奉職して九ヶ月が過ぎました。この間、野田一夫学長をアシストしながら、疾風怒濤の日々を送っております。素晴らしいハードに、独立採算を目指す優れた経営ソフトが加われば、まさに「二十一世紀の新しい公立大学」の誕生となります。また日本航空時代の経験や「知的生産の技術」研究会での活動が役に立つということで、宮城県の行政改革推進委員への就任。教育という仕事の素晴らしさを実感する毎日です。ただ今のところ思ったより忙しく、本を書く時間のないのが悩みです。家族ともども仙台での生活も気に入っており、新しいライフスタイルの確立に挑戦してみるつもりです。ぜひ一度お寄り下さい。ご案内いたします。宮城大学 教授 久恒啓一------------------------------あけましておめでとうございます宮城大学に奉職し二度目の正月を迎えました。(1)「学生とともに成長する教育者」(2)「地域とともに歩む研究者」(宮城県行政改革推進委員・県長期総合計画審議会専門委員・通産省や気仙沼市の各種委員・バリアフリー国体の提唱など)(3)「二十一世紀の新しい公立大学モデル建設への参画」を3本柱に多忙で充実した日々を送っております。尊敬する野田一夫学長をアシストしながら今年も頑張ってまいります。また開学直後の忙しさにかまけておりましたが、本年は著作もいくつか上梓する予定です。家族(妻・高一女・中一男)もすっかり仙台が気に入り、安定した生活を取り戻しました。今年もご支援・ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。平成十一年 元旦宮城大学 事業構想学部 教授 久恒啓一----------------------------あけましておめでとうございます 早いもので宮城大学に奉職して三度目の正月を迎えました。この3年間は学長室長、後に学生部長として尊敬する野田一夫学長を補佐しながら「21世紀の新しい公立大学の建学」に向けて全力疾走の日々でした。幸い基礎も固まり2001年には第一期生が社会に登場します。教育の面では、「知的生産の技術」教育の分野での成果もあがりつつあり、又サービス・マネジメントの分野のゼミを持つなど新しい分野も開拓中です。研究の面では、「大胆図解 日本の白書」「ビジネス自分史」など著作三冊とCD-ROM2巻を上梓することができました。地域への貢献の面では、委員長を務めている県民サービス向上委員会が軌道にのり始め、宮城県の行革の中心課題であるサービス行政への転換の試みを推進していくつもりです。今年は、昨年までの基礎の上にさらに充実した仕事に挑戦したいと考えています。昨年2月に個人ホームページを開設し、ライフスタイルに大きな影響を受けました。私の日常の活動や皆様とのコミュニケーションをこの場で十分にとることができる体勢が整いました。ぜひ覗いて下さい。平成十二年 一月--------------------------------あけましておめでとうございます 20世紀の最後の4年間は仙台で宮城大学の創設に関わり全力で走ってまいりました。昨年は建学面ではキャリア開発室長として第一期生の就職を担当しました。幸い内定率も好調に推移しています。教育面では初めて持ったゼミ生と地域プロジェクトに力を入れマスコミを賑わせました。県内のまちづくりにも関与し、高清水町長期総合計画への充実した提言をゼミ生とともに提唱することができました。4月からは大学院設置に伴いビジネスコミュニケーション論を担当、事業構想学部では新たに経営管理論(マネジメント論)に挑戦します。研究面では「できる!ビジネス図解。」「大胆図解図解 日本の白書最新版」(以上同文館)、「インターネット勉強法」(KKロングセラーズ・1月発刊予定)の三冊の著作を著作を刊行できました。もう生活の一部となっているホームページも5万件のヒットを越えました。本年は日経ビジネスなどいくつかの雑誌での連載も始まります。この4年間ご指導いただいた野田一夫学長の勇退で宮城大学も新しい時代を迎えます。家族は、今年、長女が大学に、長男が高校に進む予定で、全員元気に暮らしています。21世紀も皆様のご健康とご活躍をお祈りします。2001年 元旦 久恒啓一--------------------------------------寒中お見舞い申し上げます寒さ厳しき折柄 皆々様のご健康をお祈り申し上げます 平成十四年厳冬昨年夏に父を亡くしましたため新年のご挨拶をご遠慮しておりました。十二月に「図解仕事人」(光文社新書)を出版いたしました。郵便局のミスで、大学にいただいた年賀状が返却されるケースが多く、ご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございませんでした。宮城大学事業構想学部 久恒啓一----------------------------------あけましておめでとうございます 昨年は「図で考える人は仕事ができる」(日本経済新聞社)がベストセラーになり、新聞、雑誌を中心としたマスコミ出演、そして講演の殺到など大きな渦の中に巻き込まれていくのを楽しみました。またその余波として昨年末から始まった出版ラッシュは今年拍車がかかる予定ですが、工夫して何とか乗り切りたいと考えています。 また昨年から地域活性化のためのプロジェクトへの関与が増えてきてノウハウ蓄積のサイクルが回り始めました。住宅メーカー、大型ショッピングセンター、地域活性化、中央官庁、、、、、、。 今年の最大のテーマは昨年開発した「図で考えるキャリア開発」プログラムの実践です。3月から、通信教育とスクーリングを中心とした独自のキャリアカウンセラー資格(伯楽)の講座が始まります。また昨年末に仙台で立ち上がったキャリアカウンセラーの専門集団であるNPOキャリア開発研究機構(理事長)を通じて、キャリアを切り口とした地域活性化に挑戦します。 今年もご厚誼のほどよろしくお願いいたします。久恒啓一------------------------------------2004年の年賀状あけましておめでとうございます。教育: 凡庸な教師はただしゃべる。良い教師は説明する。すぐれた教師は自らやってみる。偉大な講師は心に火をつける。(ワード)研究: 第一に余は生来極めて平凡な人間である。唯幸いにして余は余自身の誠に平凡な人間であることをよく承知して居った。平凡な人間が平凡なことをして居ったのでは、此の世に於いて平凡以下の事しか成し得ぬこと極めて明瞭である。(浜口雄幸)地域貢献: おもしろきなき世をおもしろくすみなすものは心なりけり(高杉晋作)学内: 人を相手にせず天を相手とせよ、天を相手にして己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。(西郷隆盛)毎日の生活: 病気にかからぬ方法、身体をいためない方は、常にこころをゆかいに保つということである。(本多静六) 以上、今年の目標です。今年もご厚誼のほどお願いいたします。ご活躍とご多幸をお祈りしています。久恒啓一------------------------------新年あけましておめでとうございます教育:「一年の計は殻を樹うるに如かず 十年の計は殻を樹うるに如かず 百年の計は殻を樹うるに如かず」(菅仲)研究:「地上にもともと道は無い。歩く人が多くなればそれが道になる」(魯迅)地域貢献:「己の立てるところを深く掘れ、そこには必ず泉があらむ」(高山樗牛)最近、個人記念館の旅を始めました。宮沢賢治、新渡戸稲造、三浦綾子、井上靖、後藤新平、齊藤実、司馬遼太郎、齊藤茂吉、結城豊太郎、浜田廣介、原阿佐緒、吉野作造、棟方志功、土門拳・・・・・。久恒啓一---------------------------------------新年明けましておめでとうございます!本年もよろしくお付き合い下さいますよう。皆さん、今年はどのような抱負をお持ちでしょうか?今年は通常の年賀状を廃止することにしまして、このメルマガやブログを中心として皆さんにご挨拶することにしました。気がつけば2006年、もう2000年代の中葉ですね。 昨年の収穫は、ブログ日記と人物記念館の旅でした。ブログ日記「今日も生涯の一日なり」は461日連続記入。 http://plaza.rakuten.co.jp/hisatune/人物記念館の旅は1月4日の福沢諭吉から12月25日の松本清張まで70近い記念館を訪問しました。(「ほんとうの時代」という雑誌に連載中。次回は原敬、その次は樋口一葉?) http://www.hisatune.net/html/05-career/private/kinekan_list.htm今年は、どんな年になるかなあ。人物記念館の旅、100館を踏破 外国旅行は中国中心大型問題作を数冊発刊雑誌連載の増加ドラッカー学会 http://www.drucker-ws.org/ゴルフ三昧中国語会話HP・メルマガ・ブログの世界、、、、、、、、、、。(久恒啓一のビジネスマン教授日記第352号「今日も生涯の一日なり」2006/01/01より)--------------------
2013/01/03
コメント(2)
NPO法人知的生産の技術研究会の機関誌「知研フォーラム」320号。今回も100ページを超える充実ぶりだ。この号では私も大いに賑やかしている。 表紙の写真は、新装なった東京駅の写真。オープンの日に撮ったもの。最近、時々採ってくれるようになった。 連載・人物記念館の旅が、横井庄一記念館。 久恒啓一の人物記念館の旅リスト。12月10日現在の訪問記念館をリストアップ。 日中問題の課題と展望について。友人の吉林大学海涛教授を紹介。 新刊本の紹介。「30代からの人生戦略は「図」で考える」の前書き。 八木哲郎さんが「風の偶然」を経た澄明な心境というタイトルで私の母の第三歌集「明日香風」を批評。 裏表紙に拙著「人生戦略」と母の「明日香風」の広告。さて、この中の「次世代をになう人を育てる教育について、教育を取り巻く現状と課題」というタイトルで会員の都築功さん(都立大森高校副校長)の先日のセミナー録が載っている。都立高校の最近の様子がわかるいい講演だったが、この中の質疑応答の中で私も何回か意見を述べている。私の教育論の一端が出ているので、そこだけを以下にピックアップしてみる。--------------------------久恒 希望の格差の話ですが、人材という言葉はよくないと思います。企業は人材を求めるというのだけれども、その材というのは、知識とか能力とかそういうものです。企業は業績を上げることに役立つ材料としての人間を求めるわけです。僕はむしろ人材を「人物」というふうに変えたらいいのではないかと思う。企業にとって価値のある人より、要するに「偉い人」になったらいいのではないか。あの人はなかなかの人物だというとき、「偉い人」だといいますよね。その「偉い」という意味はなにも地位とか成功したかとかいうのではなくて、回りにいい影響を与える人、その影響力が強い人です。人材の場合は知識とか能力を言いますが、人物は1日や2日では育たない。長い時間をかけて人格を熟成させていかねばならない。学校はそういうつもりで人物を育てればいいのではないか。人物となれば、日本史上の偉人でなくてもいいわけです。周囲や時代にその人の器の中で良い影響を与えること、これを志にするのがいいと思う。すくなくとも若干のプラスを世の中に残して死ねばいいという考え方を示すことだと思います。------------------久恒 大事なことは自分を磨き、豊穣な人生を送ることなんです。そこでまわりにいい影響を与えながら死んでいけばいいのです。----------------------久恒 人物論、偉人伝がいちばんいい。いろんな人の人生を見せると学生は結構衝撃を受けます。僕は去年まで講義はしゃべっていましたが、今年からユーチューブをつかって見せています。ユーチューブの動画を教育の材料として活用するんです。今日の授業では正岡子規を中心にやりました。彼の友達の漱石や軍人の秋山真之を一緒に紹介しました。この辺の話は司馬遼太郎の「坂の上の雲」に書かれていますから、NHKのドラマも使いました。漱石が子規に出した手紙を朗読するオーディオブックがあって、それを聴かせました。アンケートをみたらすごく評判がよかった。もうひとつ面白かったのは、日経新聞の10月の「私の履歴書」にノーベル化学賞受賞の根岸英一先生の記事の中に「発見のための10箇条」というものが紹介されていて図解がついていました。私はその図解を材料に受講生に修正図を考えてもらい、私の修正図を見せました。すると学生たちが言い出しました。その感想が愉快でした。「ノーベル賞をとった人でも図解は上手ではないんだな」「先生に図解の描き方を学んだ私たちはノーベル化学賞ととった人よりも図解による伝達力がうまい」「根岸さんの図解はおそらく久恒先生の講義を受講する前のレベルだな」「ノーベル賞をとった人でも図解を描くのが下手なのに驚いた!」「自分で考えた図解が先生が考えた図解に似ていたので考える力がついているのかと嬉しくなった」「ノーベル賞受賞者よりも久恒先生の方が凄いと感じました」これだけで学生たちに自信がついたんです。面白いですね。-----------------------------久恒 尊敬する人を持たないといけないと僕は教えています。漱石の「職業と道楽」という講演録を読むと、大学に職業を説明する科目をつくったらいい、そういうことはできるかできないかわからないがと述べています。そしていろいろな職業の地図を見せるべきだと言っている。漱石は今日のキャリア教育の元祖でもあるんですね。----------------------久恒 柔道の講道館を創設した嘉納治五郎は、男子一生の仕事として教育に賭けた。東京高等師範の校長を累計で25年間もやっている。ここは校長をつくる学校でしたから、その影響たるや凄いんですね。私の祖父も東京高等師範を出ています。この夏に祖父が校長だった高校を二つ訪ねてみましたが、この嘉納治五郎とつながっていたことがわかりました。私が祖父の血を受け継いでいるということは、嘉納治五郎と縁があるということかもしれません。ということで嘉納治五郎について調べていますが、学ぶべきことが多いですね。
2013/01/02
コメント(1)

恭賀新年--今年の運勢は「大吉」でしたf:id:k-hisatune:20130101150512j:image家族全員がそろったので近所の別所日枝神社に初詣。仙台に住んでいるときもそうだったが、我が家は近所の神社に必ずお参りして、願い事を祈っている。賀茂神社は10年以上にわたって聞き入れてくれた気がする。参拝で家族の無事や健康を祈った後、恒例のおみくじを引く。息子と娘はは末吉と小吉。妻は吉、そして私は大吉だった。昨年は末吉だったから、今年は期待ができそうである。 はるかぜに 池の氷も とけはてて のどけき 花のかげぞ うつれる 春の日の暖かに和らぎ花さきにおふ如く今迄悪しかりし運も開けて栄ゆる御籤なり 心正しく行ひ直に色を慎しみ信心して人に慈しみを施こすべし 幸いよいよ添ふさて、今年2013年を展望してみたい。 公人(多摩大再建) 昨年4月から、学部長を拝命してこの9か月学部のマンジメントに没頭してきた。「野田一夫先生がつくり、寺島実郎先生が現学長の多摩大の再建にあたることは天命だ」と就任時に挨拶をした。 組織運営には、「哲学と戦略と戦術と戦闘」という4つの段階があり、上から順番に重要である。「現代の志塾」という大学の哲学、学部中期計画という3年間の戦略策定とそのための学部運営方針、各委員会ごとに設定した目標を達成するための具体的な戦術、そして日々の戦闘。 昨年は改革に向かってソフトとヒューマンのインフラの構築に心を砕いた。その上に立って今年は成果が目に見える年にしたいと思う。 大きな絵柄に向かって構成員が一緒に走っている感じにはなってきたと思う。もともと道があるわけではない。みんなで信じて一緒に歩いて行けばそれがしだいに道となっていくのだ。形が見え始めたこの道をみんなで踏みしめながら歩いて行こう。 個人(図解思考と人物研究)知的生産面では、チャレンジングなテーマに取り組んで質の高い「いい本」を出していきたい。 「グローバル・リーダー」というテーマで4月までに考えをまとめる。本に結実させる。 「日本の歴史」に題材をとったテーマをもらっているので、今年の前半にこれをやり遂げたい。 依頼のある「人物記念館の旅」をテーマとした本の企画を具体化していきたい。 昨年はブログ3000日連続記入と人物記念館500館踏破がエポックだったが、今年はメルマガ「学びの軌跡」の900号を達成という記録がかかる。 私人(リズム感と季節感) 国内旅行のテーマは「人物記念館の旅」。講演出張と家族旅行。 海外旅行のテーマは「大中華圏」。中国、香港、台湾、シンガポール、、。 歩きグセをつけて、体と頭を健康に! 通勤。都内。散歩。 ゴルフを心掛ける。 フォト俳句に挑戦。
2013/01/01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1

![]()
![]()