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8日目の朝も5時過ぎに起床、部屋からの眺め。
ホテルは旧市街の東の入口・ヴィル門の近く。
聖オレフ教会の尖塔が部屋から見えた。
そしてタリン港も。
しかし窓ガラスが汚れていた。これは日本と異なる現実。
6時前に早朝散歩に出発。
宿泊ホテル SOKOS VIRU。
旧ソ連時代の1972年に建設、2011年に改装した22階建て、総部屋数516室の大きなホテル。
ホテル前の道を西に進むと、右側にヴィル門が見えた。
左手には巨大な魚を抱き上げる少年二人の像が。
エストニア劇場。
1913年、独立前のエストニアで、市民の寄付により建設。
二つの建物から成り、向かって左側が「エストニア国立オペラ」、
右側が「エストニア・コンサートホール」。
劇場前庭の像。
エストニア・ドラマ劇場。
元は1920年に創設されたパウル・セップ率いるエストニア・ドラマスタジオ。
1910年建設のドイツ劇場で、426席の大ホールと159席の小ホールがあると。
西欧の古典劇やエストニア作家の劇が上演されているとのこと。
聖ヨハネ教会近くにあった銅像。
ヘイノ・エッレル(Heino Eller、1887~ 1970)はエストニアの作曲家、教育家。
ここタルトゥ出身。ヴァイオリンと音楽理論の個人レッスンを受けて、いくつかの
オーケストラやアンサンブルで演奏し、ソリストとしても活動した人物と。
1918年にエストニア独立宣言。1920年にタルトゥ (Tartu) にてロシアと平和条約締結。
エストニア独立戦争戦勝記念碑。第一次世界大戦の後,独立を達成。
自由の広場にそびえる、明るい黄色の色彩を帯びた、新ゴシック様式のこの教会が
聖ヨハネ教会。
チャールズ教会。
ペンテコステ派教会。
キーク・イン・デ・キョク(Kiek in de Kok)。
円柱形ののっぽな塔には、キーク・イン・デ・キョクという名前がついています。
北ドイツの方言(低地ドイツ語)で、「台所を覗く」という意味。
この塔は1475年に、トームペアの丘の最も緩やかな(つまり、攻城ルートになりやすい)斜面を
守るために建造された。
1577年のリヴォニア戦争で、ロシア軍の砲弾により最上部を爆破された。
その後の修復で、記念に砲弾(6個程)が塔の壁に埋め込まれ、現在でも確認できる。
高さは49.4メートル。塔の上から近所の民家の台所を覗き見できることから、
見張りの兵士たちがこの名前をつけたと。
キーク・イン・デ・キョクの後方に聖ニコラス教会の尖塔が見えた。
処女の塔(ネイツィトルン、Neitsitorn)という名の四角い塔。
この名前にも中世ならではの皮肉がこめられていて、実際には売春婦を
収容する監獄であったと。 三階建ての塔は、今はカフェになっていると。
日本大使館。
ワバドゥセ広場の北西方向にある建物。建物の横にテラスのようなスペースがあった。
そこに階段で登って行くと、目の前に聖ニコラス教会が。
城のそばにある処女の塔(ネイツィトルン Neitsitorn)の周辺の城壁も見事。
キーク・イン・デ・キョクを再び別角度から。
アレキサンドル・ネフスキー聖堂が見えた。
デンマーク王の庭の手前の城壁を外側から。
小さな櫓には石落としもついていた。
城壁を潜り内部へ。
デンマーク王の庭(Taani Kuninga Aed)。
1219年、デンマーク王ヴァルデマー2世が、当時山の手(Toompea)にあった
エストニア人首長の砦を攻めている際、神頼みをすると「赤地に白十字の旗を掲げよ」との
お告げがあり、その通りに旗を掲げて攻め入ると戦いが好転したとか。
それによりここがデンマーク国旗(ダンネブロ)発祥の地と言われています。
左奥にあるのが、城壁の外からみた「台所を覗く塔(Kiek in de Kok)」
手前の四角い塔が「処女の塔(Neitsitorn)」
聖ニコラス教会の尖塔が再び。
城壁の上に上れるようであるが時間が早くゲートが閉まっていた。
顔の無い像は、近年の作品とのこと。
アレキサンドル・ネフスキー聖堂正面。
帝政ロシアの一地方にエストニアが組み込まれていた1894年から1900年の間に
ミハイル・プレオブラジェンスキー(Mikhail Preobrazhensky)によって典型的な
ロシア復古主義のスタイルに設計され建設された。
タリンにあって最大かつ最重要の正教会のクーポル付き大聖堂。
この聖堂は、エストニアの英雄の墓の上に建てられたもので、ロシアの権力を示すとともに、
エストニア人の民族運動を抑える目的があったと。
エストニアが最初に独立した1918年には移転する計画があったが、実現することはなく、
ソ連から独立後現在に至るまでこの地に残されていると。
よってトームペア城の前に建っているのは、エストニアの人々にとっては
面白くない建物らしい。
タリンにある教会の中で、最も大きく、豪華な造り。5つのたまねぎドームは、
ロシア建築の象徴。ロシアから独立を果たしたエストニア人たちは、1924年に
この大聖堂の取り壊しまで計画したが、予算の関係で敢え無く断念。
その後、修復作業が行われ、今日は、エストニアがロシアから受けてきた
影響の歴史が垣間見られる一大観光スポットなのだと。
トームペア城=現国会議事堂(Toompea Loss)。
バロック様式のピンク色の城。13世紀前半に建設され、支配者が変わるたびに
改装されてきた城。 内部は、ガイドツアーで見学できるとか。
屋上にはエストニアの国旗。
青 はエストニアの空・川・湖・海を表しており、エストニアの国民を象徴するとともに
希望・友情・団結を表す。 黒は故郷の大地と同時に暗黒時代の悲しい歴史を忘れまいとする
決意を示す。 白は氷と雪および人々の幸福の追求を意味すると。
アレキサンドル・ネフスキー聖堂を別の角度から。
のっぽのヘルマン(Pikk Hermann)とトームペア城(Toompea Loss)。
塔の高さは50.2mあり、15世紀の建造当時のまま残されているのだと。
丘の上にはリンダの像が。
古代の王カレフの墓を作るために石を集めていたリンダは、最後の石を
エプロンに包んで丘を上がろうとしたが、エプロンの紐がきれて石が落ちてしまったとか。
疲れ果てたリンダはその石に腰をおろして悲しみの涙を流したそうで、
その姿を描いたのがこの像。彼女の涙は、3km程離れたウレミステ湖になっとのだと。