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ホアムキエン湖散策の後は、ハノイの旧市街職人町を散策する。
11世紀に李朝が宮廷への貢ぎ物を作らせるために各地から職人を招集し
住まわせたのが始まり。36業種の職人が職種ごとに分かれて暮らす通り、
入り組んだ細い路地、古い家並みが残る一帯を徒歩で散策した。
曲芸とも言えるバイク荷物のバランス調整済み?
日本のものとは比べ物にならないくらいに、甘くて美味しいベトナムの果実が並ぶ。
しかも種類も豊富で、市場に並ぶ数々には驚き。
ハンザウ通りは、サンダルやスニーカーといった履物を扱う靴屋通り。
男性用、女性用、子供用と様々なサイズが店頭に。
狭い通りをを進む。
狭い通りにもバイクが進入し両側に駐車。
11世紀から19世紀まで、北部ベトナムの首都はタンロンという名前であった。
ハノイはその後の名称。そのタンロンの中心区は、現在ホーチミン廟がある周辺で、
リータイトーをはじめとする歴代皇帝が居城していたタンロン城であったと。
この日散策している旧市街は、その時代に一大商業区だったエリア。
現在は世界遺産には指定されていないが、ベトナム政府が管轄する指定遺産となっている。
建て替えなどが行われずに、古き良き街並みをいまに保っているのだと。
ランタンが美しかった。
Hang Glay通りのビアガーデン、ベトナム料理店 『BEER 2KU』。
仏壇へのお供え物であると。
ハンブオム通りには、タンロン(ハノイ)四鎮の一つ、デン・バックマー(白馬最霊祠)が。
ハノイ最古の寺院。
屋根には、太陽を中にして二頭の龍が向いあっていた。
様々なタオル、布地や糸といった手芸用品を扱う店が軒を連ねていた。
地元の小学校か。
小学校?内部。
北西の一角には竹屋が並ぶ一角があった。
散策を終えワゴン車へ戻る。
レーニン公園は、軍事博物館の前のディエンビエンフー通りを挟んだ向かいに。
もともとグエン朝時代ハノイ城の南端に位置した場所。
レーニン像は、1980、81年ごろに建てられたもので、デザインは1970年代のハノイの
都市設計を担当していたロシア人のイサコヴィッチ。
戦没兵士慰霊塔を裏から。ホーチミン廟と一直線に重なっていると。
タンロン城跡(Di tích Hoàng Thành Thăng Long)正北門(Cửa Bắc bên ngoài)
旧ハノイ城のタンロン皇城を囲む城壁に造られた五つの門のうちの一つで、
現在残っている唯一のもの。
ここは車窓観光の一つに入っていたが、徐行することもなく・・・・??。
鎮武観(クアンタン寺)。
玄天鎮武神を祀り11世紀に建立された道教寺院。チュックバック湖の南端にあり、
風格のある門には古い漢字で“真武観”の文字がある。
ベトナム最大の銅像といわれる玄天鎮武神像は必見。高さ約4m、重さ4tのスケールと。
LY TU TRONG像・・・李自重(1914-1931、わずか17歳で生涯を閉じたベトナムの革命家)
ホー・チ・ミン元国家主席の眠るホーチミン廟に到着。
周辺には、晩年までの15年間を過ごしたホーチミンの家や国会議事堂、独立宣言の読まれた
バーディン広場といった、ベトナムの歴史を語る上で欠かすことのできない重要な建物が
集まっていた。
ホーチミン廟の正面には、芝生の敷き詰められたバーディン広場が広がっていた。
ここは1945年9月2日にホー・チ・ミン元主席によって、ベトナムの独立宣言が
読み上げられた場所であると。
ホーチミン廟の前で棚引くベトナム国旗。
赤は革命で流された尊い血を表わし、黄色の星の5条の光はそれぞれ
労働者、農民、知識人、青年、兵士の5階層の団結を象徴する。
通称「金星紅旗」と呼ばれると 現地添乗員の燕さんから。
総大理石造りの廟は蓮の花をイメージしていると。
遺体は永久冷凍保存されガラスケースの中に安置されているが、
この日はロシアに旅行中とのこと。
ホーチミン廟正面。
白い制服の兵士が二名立っていた。
ホーチミン廟入り口、30分ごとの衛兵交替も見れるとのこと。
そしてバーディン広場を挟んで向かい側には国会議事堂が。
ベトナム国会の紋章。
そしてこの日の観光を終了しワゴン車に乗り込みホテルへ向かう。