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ホーチミン市街中心部より北西約8kmの位置にある、かつてはサイゴン国際空港とも呼ばれた
タンソンニャット国際空港を後にし、昼食レストランのあるホーチミン市中心部に向かう。
ベトナム最大都市のホーチミン。19世紀にはフランスの植民地となり、その後
ベトナム民主共和国の首都サイゴンとして栄え、ベトナム戦争終了後には
ホーチミン市と名前を変えた。現在はベトナムの経済中心地として目覚ましい
発展を続けているのだ。
ベトナム戦争が終了を迎えたあと、南北統一を果たしたベトナムはさっそく社会主義政策を敢行。
社会主義政策といえば、ソ連や中国でも行われた計画経済による社会で、完全に国主導で
生産管理を行い、経済をつくっていく社会。
1975年以降、社会主義政策を推進したが上手くいかず、中国では1978年・登小平による
「改革開放」政策が採用され、市場経済を導入。ベトナムも1986年、中国を真似るかの如く
市場経済を取り入れる方向に政策転換が図られ現在も推進されている政策が有名なドイモイ政策。
ドイモイとは、日常使われている生粋の二つのベトナム語、dôi (変える)と moi (新しい)を
組み合わせた単語。
更に市内中心部に向かって進む。
700万人以上の人口を抱えるベトナム最大の経済都市・ホーチミン市。
日本と同じく行政区画が設定され、19の区(Quận)と5つの県(Huyên)に区分されている
ホーチミン市だが、行政・経済・文化等の都市機能が集中しているのは「1区」。
Dai Giac寺の道路側の壁には巨大な石版画が車窓から。
そして七重塔も垣間見えた。
ビテクスコ・フィナンシャルタワー。
2010年10月に完成したビルで高さ265.5メートルの地上68階・地下3階建。
二輪バイク群団がこのホーチミンの街にも。
ホーチミン市の子供のアミューズメントセンターであるとガイドから。
赤のアオザイを纏った女性マネキン。
アオザイとは、正装として着用するベトナムの民族服。
「アオザイ」はベトナム北部の発音であり、南部では「アオヤイ」と発音すると。
アオ(Áo)は上衣の一種を意味する中古音で、ザイ(dài)はベトナム語で「長い」を
意味する形容詞。つまり「長い上着」となる。女性用アオザイの美しさは世界的に
認知されており、ベトナム土産としても人気が高いと。
この日の昼食場所のレストランに到着。
海藻スープ。
大型の茶碗蒸し?卵豆腐の如き?
イカの唐揚げ。
白身魚の酢豚風。
揚げ豆腐?
イカとタマネギ等の炒め物。
チャーハン。
そしてホーチミン市内の観光に専用車で向かう。
ここにもバイク群団。
救急車。
3-7区人民委員会。
ニュー パール ホテル (New Pearl Hotel)。
バイク競争のスタートライン? 皆、赤信号の残り時間の表示を見つめているのであった。
そして青の号砲一発。いざ・・・!!
ベトナムの交差点には、「全赤」信号のシステム運用は皆無のようであった。
そして「統一会堂」に到着し専用車を降りて外からの観光。
南ベトナム政権時代の大統領官邸であり、同時にベトナム戦争終結のシンボルでもある
「統一会堂」。
政情が不安定だった時代に建物の呼び名もたびたび変遷し、1873年から1955年の呼称は
「ノロドン宮殿」、1955年から1975年の間は「独立宮殿」、そして現在に至ると。
この統一会堂の内部見学は今回のツアーには含まれていなかった、残念!!
手入れの行き届いた庭の先に見えたのは2台のロシア製戦車・T-54。
1975年4月30日、ここの門をベトナム解放軍のこの戦車が無血入場。
事実上のベトナム戦争終結であり、一つの国家が終焉を迎えた瞬間であったのだ。
戦車から少しのところに戦闘機も。F-5Eタイガー戦闘機。
どうやらこの戦闘機はベトナム戦争で北ベトナム軍が鹵獲(ろかく)して、
統一会堂の爆撃に用いた戦闘機とのこと。
統一会堂への正面道路の両脇にはベトナム国旗をあしらった紋章?
統一会堂正面の花壇。
カラーはやはり赤と黄色のベトナム色。
APEC2017がベトナム各地で行われていた。
APECとはアジア太平洋経済協力,Asia Pacific Economic Cooperation。
前日の9/10から15日には、中小企業大臣会合がここホーチミンで行われていたのであった。
統一会堂の正面には警備のホーチミンの公安の警察官?が3名。
ベトナムではお巡りさんの業務が公安と交通の2つに分かれているのだと。
公安のお巡りさんは犯罪を取り締まり、泥棒から市民を守る。
緑色の服を着ているのが特徴。
そして、交通のお巡りさんは交通違反を取り締まり、事故から市民を守る。
ベージュ(黄色)の服を着ているのが特徴であると。
そして サイゴン大教会へ移動。
サイゴン大教会はベトナムのホーチミン市1区にあるカトリックの大司教座大聖堂。
サイゴン聖母大聖堂、聖マリア大聖堂とも呼ばれる。
サイゴンがフランスの植民地だった1863年から1880年にかけて建設されたもの。
フランス植民地主義者がホーチミン市の前身であるサイゴン市を制圧したのち、
フランス人がミサを行う場所として、この教会を建設したのだと。
19世紀末に建てられたレンガ造りの教会。ホーチミン市のシンボル的存在。
門前には聖母マリア像が。数年前には聖母マリア像が涙を流したとして、
地元の新聞で話題にもなったとのことだが、真相はいかに……。
二つの尖塔が印象的な建物で、正面から見ると左右対称なすっきりしたデザイン。
しかし、建設当初はこの尖塔はなかったと。
最上部の十字架を含めると60.5メートルの高さがある2つの鍾塔は1895年に
鼠色の部分が増築されたと。
いずれも、フランスから赤煉瓦などのすべての建築資材を運んで造られたと。
この大教会の内部には見事なステンドグラスがあるとのガイドブックからの予習結果で
あったが、この教会内部にもこの日は入ることが出来なかった。
大聖堂の向かいに立つMetropolitan Building。
多くの日本の企業がこのビルに入っているとガイドから。