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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
今日から『旧東海道を歩く(保土ケ谷~藤沢)』のブログアップを再開します。
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戸塚宿の散策を続ける。
真宗本願寺派『 善了寺』を旧東海道から。
『産婦人科 内科 伊東医院』
この建物は、2003年横浜市より「横浜市認定歴史的建造物」に指定されている。
創業は江戸時代末期。創業時は漢方医で吉田大橋際で開業、婦人の血の道の治療で
名が通っていました。明治17年祖父の代に現在地に移り関東大震災後の大正14年に
現在の建物になったと。
現在の副院長・伊東均先生で五代目の医療継承となっていると。
JR戸塚駅近くのビルの壁にはユニークな絵が。
旧東海道に面した大パネルはスポーツと浮世絵のコラージュ。
これは、広重の東海道五十三次 袋井宿。
ここ袋井宿は江戸からも京からも27番目にあたる、東海道の中間の宿場。
街道のところどころにある休憩所の様子が描かれている。
掛川宿。
画面左側から来る僧侶(絵には入っていない)に敬意を払い、頭を下げて挨拶をしている
人々の様子。この辺りは凧あげが盛んで、空には凧があがっている。
箱根宿。
東海道五十三次の中で、最も標高が高いところに置かれた宿場。
その様子が絵にも表れている。険しい山々は東海道で一、二を争う難所。
『横浜旧東海道戸塚宿周辺散策案内図の藤沢宿側』が左側に。
そして右側には『横浜旧東海道戸塚宿周辺散策案内図の保土ヶ谷宿側』の
それぞれの説明ボードが。
『思い出の戸塚大踏切』
踏切はJR東海道線、横須賀線など1日計約800本の列車が通過。
ピークの午前7時台には1時間のうち遮断機が下りているのは57分間に及んでいたと。
地元住民は50年ほど前から改善を求めて来ていたのだと。
左上から右に。
★昭和14年「大踏切が開くのを待つ箱根駅伝走者」
★昭和26年「西口から見た大踏切」
★昭和28年「大踏切周辺」
★昭和30年代「戸塚駅東口」
★昭和36年「大踏切東側」
★昭和45年「戸塚駅東口」
★平成15年「東口から見た大踏切」
★平成27年「大踏切閉鎖の瞬間」:戸塚アンダーパス完成、戸塚大踏切閉鎖
平成26年1月竣工した戸塚駅東口歩道橋を渡る。
“開かずの踏切”として知られるJR戸塚駅(横浜市戸塚区)北側の踏切に2014年に完成した
歩道橋「戸塚大踏切デッキ」。
デッキは、幅約8メートル、長さ約80メートルで、同踏切の真上に整備された。
東口歩道橋より戸塚駅ホームを見る。
そして戸塚駅の西口に出る。
『内田本陣跡』
本陣とは、大名、勅使、公卿、宮門跡、公用の幕府役人などだけが宿泊や休息できた施設。
この辺りに、戸塚宿 に2つあった本陣のうちの1つ内田本陣があった。
内田本陣は間口18間(32.8m)・奥行14間(25.5m)で、
畳数は152畳あったと。
本陣を営んだのは郷の有力者であり、近隣の牛頭天王社(八坂神社)を勧請した内田家。
明治の郵便事業創設の際、全国の有力者の家を郵便局にしたが、戸塚郵便局はかつて
内田家の郵便局に始まるとされその権勢を知ることが出来るのだと。
『脇本陣跡』
脇本陣は、本陣に差し支えが生じたときなどに利用された。
本陣とは異なり大名などの宿泊が無い時は一般旅客の宿泊に 供することができた。
規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもある。
戸塚宿には3軒の脇本陣があったのだと。
































藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.14
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