JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2019.03.28
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

旧東海道を歩いていくと、駒形神社、毘沙門天の案内看板が見えて来た。



旧東海道は右側の道。



150m程進むと日だろに駒形神社、毘沙門天の入口が。



駒形神社の朱の鳥居。



階段を上り進んで行く。



正面に駒形神社の拝殿が見えて来た。



『蓑笠明神社(みのかさみょうじんしゃ)』。




毎月十三日 箱根権現にお参りされた。その時 蓑笠をつけられたところからこう呼ばれている。
この蓑笠明神社は、箱根権現社外の末社で箱根宿の東、明神川の流れ込む芦ノ湖のほとりに
鎮斎された。創建は江戸時代の初めで、三島から移住した里人の勧請によるものである。
明治以降、神衹制度の変革により昭和三年駒形神社に合祀奉遷されたが、平成の大御代を
寿ぎ奉る、御大典記念奉賛事業として神社殿を造営、平成四年夏鎮斎された。」



『犬塚明神』。



入口右には『犬塚明神』と書かれた銘板が。
元和4年(1618)箱根宿が創設された時、付近には狼がたくさんいて、
建設中の宿の人々を悩ませました。
そこで、唐犬2匹を手に入れて、狼を退治させ、やっと宿場が完成しました。
しかし、2匹の唐犬も傷付いて死んでしまいました。
人々は宿場を完成させてくれた2匹の唐犬をここに埋め、



駒形神社『拝殿』。
駒ヶ岳を仰ぎ見る芦ノ湖南岸に鎮座する駒形神社は、駒ヶ岳の地主神 駒形大神を祀る古社。
古くは「駒形権現(こまがたごんげん)」「荒湯駒形権現(あらゆこまがたごんげん)」と呼ばれ、
その淵源は遙か悠久の昔、駒ヶ岳の山岳信仰に遡ると云われ、関東総鎮守として武門の崇敬を
集めた箱根神社の社外の末社として尊崇されてきた町内の鎮守様。地元の住民には、

境内には駒形神社のほか、「箱根七福神 毘沙門天社」「蓑笠明神社」「犬塚明神社」が鎮座。
御祭神の駒形大神とは 天御中主大神(あめのみなかぬしのかみ) 素戔鳴尊(すさのおのみこと) 、
大山衹神(おおやまづみのかみ) の三柱を総して駒形大神と称されると。



『箱根七福神 毘沙門天』。



七福神(しちふくじん)は、あらゆるものに福をもたらすとして日本で信仰されてきた。
恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁才天(弁財天)、福禄寿、寿老人、布袋の七柱の神。
七福神は、室町時代ごろから幸運、福運、とくに金運をさずけてくださる七神として
信仰されるようになった。
毘沙門天は、四天王の一仏で、別名「多聞天」といい、七福神の中で、唯一の武将の姿をしていて、
右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけている。
七福神では、融通招福の神として信仰されている。







そして駒形神社を後にし、旧東海道に戻ると直ぐに分岐地点に出た。
真っすぐが旧東海道であると道標から。



『芦ノ湖西岸歩道』の案内板。
芦ノ湖西岸歩道は、芦ノ湖の西岸を半周するルートで、延長約11キロの平坦で
非常に静かな歩きやすいハイキングコース。







もとは芦川集落内の駒形神社境内にあったものを移したと。
ここには、箱根で最も古い万治元年(一六五八)の庚申塔や、江戸時代後期に建てられた
多くの巡礼供養塔などがあった。
石仏・石搭の大半は巡礼塔で、箱根宿の宿民が巡礼成就の記念や供養として建立したものも
あるとのこと。



『国指定史跡「箱根旧街道」向坂地区杉並木・石畳

旧箱根宿 の西側にあたる芦川の町並みを過ぎると、旧東海道 は、箱根峠 までの
約四百メートルにわたって、急坂が続きます。
この坂は順に「向坂」「赤石坂」「釜石坂」「風越坂」と呼ばれています。
江戸時代前期、街道整備の一環として、この急坂の両側には杉が植えられ、道路には
石畳 が敷設されました。これらは今日まで残されており、当時の街道の面影を今に
伝えていることから、昭和三十五年に国史跡に指定されました。

芦川の石仏群

「この箱根旧街道向坂地区の入口付近には、「芦川の石仏群」と呼ばれる、
数多くの石仏・石塔があります。  
もとは芦川集落内の駒形神社境内にあったものを移したといわれています。
ここには、箱根で最も古い万治元年(一六五八)の庚申塔や、江戸時代後期に建てられた
多くの巡礼供養塔などがあります。これらの石仏・石塔には、当時造立にかかわった
地元の方々の名前が見られ、地域の信仰の様子を知る上でも貴重なものとなっています。」











石仏群の先に再び山にさしかかる向坂(むこうさか)の石畳があり、左手に向坂碑が建っていた。



「芦ノ湖湖畔の箱根宿を過ぎますと再び山にさしかかります。この坂が向坂です。
坂の入り口に石仏群があり、往時の杉並木も石畳も残っていて味わい深い坂です。」



この先は大きな玉石が一面に敷かれていた。



現国道1号線の下を潜り更に進む。



『赤石坂(あかいしざか)』
国道1号線をくぐるとその先に赤石坂があり、両側は熊笹に覆われ、自然の杉並木が続いていた。



「国道一号を挟んで両側に石畳と杉並木が残っています。
道を下れば旧箱根宿の一つであった芦川の集落に, 道を上れば相模の国と伊豆の国を分ける
箱根峠に達します。」



左手には多くの杉並木が。



更に石畳を進むと『釜石坂(かまいしさか)』。



続いて釜石坂で、「この坂道に残る杉並木は芦ノ湖畔のドンキン地区、吾妻獄地区、
箱根関所付近の新谷町地区と並んで、箱根旧街道に現存する江戸時代の杉並木です。
四つの地区合わせて、約四二〇本の老杉が残っています。」



再び杉並木を。



さらに坂道は続く。



風越坂(かざこしさか)』。
釜石坂の先は風越台への風越坂である。
この石畳の坂を登り、その先の急な階段を登ると、東海道名所図絵にもある風越台となる。
「江戸時代の延宝八(1680)年」、箱根旧街道に石畳が敷かれました。
当時」、石畳が敷かれた場所は坂道だけで、集落の中や平坦な所には、
石畳は敷かれませんでした。」



そして次に現われたのが木製の階段。



『挾石坂(はさみいしさか)』。



「箱根峠にかかる坂です。
峠は、当時の浮世絵をみますと伊豆の国を分ける標柱と、ゴロゴロした石、
一面のカヤしか描かれていません。まことに荒涼とした峠でした。
三島宿までは、ここからさらに四里(十六キロ)近く、こわめし坂、自転坂などの
難所がつづきます。」



『国指定史跡 箱根旧街道』。
箱根へ向かう人用の表示板も。



                              ・・・​ その1 ​・・・に戻る

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.04.28 14:28:45
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