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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
松雲寺は、尾張・紀伊両大納言をはじめ、東海道を往還する参勤交代の大名たちの休息所となり、
朝鮮通信使や徳川14代家茂公・15代慶喜公などの「寺本陣」ともなった。
明治天皇は、「三ツ谷新田御小休所」として、度々御成りになられた。
また、坂小学校の前身である「三ツ谷学校」は(明治6年から同43年まで)
松雲寺が寺子屋教師として用いられた。
『明治天皇史跡』碑。
明治十一年(一八七八)八月、明治天皇は一府十二県を巡る北陸・東海両道の行幸を催した。
馬車中心の移動であり、馬車が通れない場合は肩輿〈けんよ(肩に担ぐ輿)を用いた。
右大臣岩倉具視(いわくらともみ)や参議兼大蔵卿(おおくらきょう)
大隈重信(おおくましげのぶ)らが供奉(ぐぶ)員として従った。
京都から東京への復路で東海道各所を巡り、十一月七日に箱根越えをされたと。
そのとき、小憩所として用いられたのが松雲寺の「三谷学舎」。
『本堂』。
覚源山松雲寺の本尊は蓮大聖人の図顕された大曼荼羅
松雲寺は、三ツ谷新田内を縦断する東海道沿いに位置。
正保元年(一六四四)松雲院日明が構えた庵( いおり)を前身とし、明暦二年(一六五六)に
創建されたという日蓮宗寺院。
江戸時代、東海道を通行する尾張徳川家や紀伊徳川家が休息所として用い
「寺本陣(てらほんじん)」と呼ばれていた。
『覚源山』と書かれた扁額。
『浄行菩薩』。
『普照観世音菩薩』
『忠魂碑』
『明治天皇 御腰掛石』
陛下は、この石に御庫仕掛け腰掛けになられ、冨士の霊峰を眺められたと伝えられている。
「小車の をすきまをあけて みつるかな 朝日輝く ふしの白雪(御製)」 
樹齢400年の『ヤブイツバキ』。
『参杉明神』
「昭和33年9月26日狩野川台風のため、境内の樹齢約400年の大杉3本が折損す。
永年の恩に報ゆるの意を以て、神号を捧げてこれを祀る。」
松雲寺からの富士山と遠くに冨士市が。
ズームで。
『塵を払い垢を除かん』。
松雲寺を出て進み、再び右手の富士山と愛鷹山と周辺の山々。
「三ツ谷下バス停」を過ぎ、旧国道が左カーブして行く所で右へ下りてゆく細道があるので、
そちらに進む。
この旧道は「あじさいロード」と称されている。
下った直ぐ右側の草地に『史跡 法善寺旧址』と刻まれた大きな石碑が建っていた。
「去る 三百有余年前 元禄十七年(徳川綱吉の時代)久遠実成本師釈迦牟尼仏を本尊とし
高祖日蓮大菩薩を大導師に仰ぎ開山 境妙院日宗聖人(玉沢本山妙法華時
京都大本山妙顕寺兼帯)に依り創建される。
現 坂小学校の校庭と坂公民館が其の跡地なり 幾多歴史の変遷の中現在の市山新田ニ〇六番地に
移転した。当山第三十二代真光日宗」。
更に、旧道は直ぐ先の「坂幼稚園」の手前を右に下りて行く。
下り口に道標が立ち、来た方向に『箱根峠』、下りて行く方向に『題目坂・三島宿』と示されていた。
『七面堂旧址』
石碑の正面には『征夷大将軍足利尊氏公建立 七面堂旧址』、左面には、東海道中膝栗毛の
弥次郎兵衛の狂歌『あしがわの ぶしょうのたてし なにめでて しちめんどうと いうべかりける 小林一九著書』と刻まれている。
七面堂とは、日蓮宗の護神七面大明神を安置する御堂のことである。
『箱根旧街道 題目坂(だいもくざか)』
「(前略)
ここ題目坂は、玉沢妙法華寺への道程を示す題目石から名付けられたと言われている。
題目石は、現在法善寺に移されている。」
この先の題目坂は細い急階段になっていた。
そして国道1号線に合流。
『題目坂』の階段を振り返る。
合流した先の右手にあったのが『山神社』
『御神木指定証』
山神社『社殿』。
「山をおさめ司る神と仰がれ、山林・農耕・殖産の徳を持つ五穀豊穣の神様です。
本殿は精巧で彫刻にも彩色を施され、享保14年(1729)9月の棟札があります。
豊臣秀吉の小田原攻め(1590)の時、北條氏の出城であった山中城攻めの正面攻撃路に
当たります。昭和57年8月1日の台風で社殿が大破しましたので氏子一同協力して、
翌年4月25日木造銅板葺で新改築を完成しました。」
『末社』。
次に山神社の隣にあった『法善寺』を訪ねる。
境妙山 法善寺。大時雨坂の手前から移ってきた寺。
法善寺は三島市玉沢の妙法蓮華寺の日宗上人が1683(貞亨3)年、寺への道案内の題目碑を
建てたことに始まると。
妙法蓮華寺は鎌倉から移転してきた日蓮宗の寺で(鎌倉の跡地は実相寺になっている)、
徳川家康の側室お万の方(養珠院)や紀伊徳川家に庇護されたと。
『境妙山』と書かれた扁額。
『三界萬霊塔』
『六地蔵』
山神社、法善寺の門前を過ぎた先の右側に赤い屋根の地蔵堂があり、左隣に前後二組の六地蔵と
萬霊塔が祀られていた。
地蔵堂のお地蔵様は、火事が出ないように村人に代って毎晩見回りをしてくれるため、
この辺りでは殆ど火事がなかったと伝えられている。
六地蔵は、死後に必ず行かなければならない六つの世界「地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上」を
表すと云われている。
『臼転坂(うすころげざか)』
地蔵堂の直ぐ先に、地図には載っていない上る旧道があった。
ここは臼転坂の入口で、箱根西坂で最後の石畳道であった。
右に上ったすぐの所に道標と箱根旧街道 臼転坂の説明板が立っていた。
道標には、右『臼転坂・三島宿』と示されていた。
『箱根旧街道 臼転坂』
「(前略)
ここ臼転坂は牛がこの道で転がったとか、臼を転がしたため、この名がついたと言われている。」
臼転坂は別名、恋し坂とも言われると。
臼転坂を上る。
久しぶりの山道の感あり。
『馬頭観音』
臼転坂の途中に馬頭觀世音と書かれた大きな石碑と小さな石仏が3基並んでいた。
前方が三島宿、後ろが臼転坂・箱根峠と書かれた道標。
そして県道に合流し暫く歩くと左手に新築の『普門庵』が。
この普門院の本尊は聖観音菩薩像。この観音様は1701(元禄14)年、鉄牛という僧が
背負って来たが、ここに来ると突然重くなり動けなくなり、そのためここに安置したと。
『普門庵』と書かれた扁額。
『普門庵』の横には馬頭観音や観音坐像等の多数の石造仏、石塔が。
そして次に『宋福寺』を訪ねる。
1590年に豊臣秀吉が小田原を攻めた際、出城となった山中城で出た戦没者を追悼するために
創建された寺院。
『山門』。
『萬霊塔』。
地蔵様が2体。
『六地蔵』。
『西国三十二所供養塔』。
地元の陸軍兵士の供養碑か?
『本堂』
泉龍山(せんりゅうさん)宗福寺(そうふくじ)は曹洞宗の寺。
本尊は阿弥陀如来。伊豆八十八ヶ所霊場22番の寺。
『本堂内』。
『謹賀新年 平成31年』
『座禅会 だまって座ればぴたりと当たる 一切の苦厄を度し給ふ』と。
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