JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.04.09
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

『時の鐘』。



三石神社の境内にある鐘は、『時の鐘』と言われ、江戸時代から旅人や三島の人に
親しまれて来た。最初は寛永年間(1624~1643)に鋳造(ちゅうぞう)され、
その後何回か改鋳された。特に大きな鐘が宝暦11年(1761)に川原ヶ谷の鋳物師(いものし)
沼上忠左衛門祐重(すけしげ)によって造られ、三石神社境内に設置され三島八景の
1つにも数えられていたと。



本陣跡を過ぎて源兵衛橋を渡ると左手の源兵衛川沿いにあったのが『三石神社』。



豊受姫大神(とようけひめのおおみかみ)が祀られていて、大中島町の氏神(うじがみ)。
昔、源兵衛川の川沿いに三石(みついし)という巨石があり、その上に社殿を建て
稲荷社を祀り、三石神社となった。古記によれば天明年間(1781~1789)に、
隣村の新宿(しんしゅく)の出火で大中島町(現、本町)や三島宿の大半が類焼したときに、
火防(ひぶせ)の神も併せ祀ったと。
その後文久年間(1861~1864)に焼失したが、三嶋大社の日記によると文久3年
(1863)8月29日に、「三石稲荷大明神普請(ふしん)につき社家(しゃけ)
鳥居左次馬(とりいさじま)をして遷宮祭を奉仕せしめた」と書かれている。
慶応元年(1865)7月、再び京都の伏見稲荷大社より分霊を受け、祀られたと。
平成3年(1991)に少し南に移り、現在の地に建て直された。
毎年5月の例祭初日には、三嶋大社の神主による神事が行われ、境内には露店が並び、
舞台も作られ、しゃぎり、カラオケ、ビンゴゲーム大会などが町内会、商店会の協力のもとに
賑やかに催されると。



三石神社は元御殿川の川辺に三ツ石と称する巨石があり、その上に社殿を建て
稲荷の神を祀ったと。
かつて、ここには宝暦11年(1761)に造られた大鐘があったが、太平洋戦争の際に
供出されたと。
三石神社 絵馬。



伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅の手前右手の狭い路地の先に山門が。
そして手前左には聖徳太子堂建設碑が。



『浄土宗  君澤山  蓮馨寺(れんけいじ)』。



山門。



この山門の手前の石碑には天下和順 日月清明と刻まれたいたが
中央にはなんと書かれているのであろうか?



水子地蔵尊の赤い幟の先にあるのが本堂。
この寺の宗派は浄土宗で、昔、寺の裏に蓮沼池(はすぬまいけ)という大きな池があり、
蓮の花の香りのする寺という意味から蓮馨寺と名付けられた。しかし現在この池はない。



『日限地蔵尊堂(ひぎりじぞうどう)』。



蓮馨寺本堂の本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)の左に聖徳太子作と伝えられ、
古くから庶民の信仰を集めていた日限地蔵尊が安置されている。
昔は60年ごとにご開帳されていたが、そのたびに三島宿が火事に見舞われたため、
現在は開帳されていない秘仏(ひぶつ)だと。
日を限って願いごとをすると願いごとがかなうといういわれから、日限地蔵尊と。
また、この地蔵さんの縁日が8月23日で翌24日がすぐ近くの本覚寺(ほんがくじ)
日朝(にっちょう)さんの縁日(えんにち)であることから、地蔵さんの縁日に会った
男女がデートの約束をし、次の日の日朝さんの縁日に会ったのだと。
そこで別名を約束地蔵と言われていると。



『聖観音菩薩像』であろうか。



小高い所にコンクリート造りの本堂。
1289年に、浄土宗の僧である星誉によって開創された由緒ある寺院。
しかし、豊臣秀吉の小田原征伐の際の三島焼き払いで焼失した他、類焼や震災、
明治期の大火による火災を重ね、沿革は不明となっている。



『聖徳太子尊』。
三島の職人組合の人々によって大正11年(1922)に建てられた。
聖徳太子は仏教を広め、各種技術を伝えた人たちを育てた人として知られ、
職人たちの守り本尊としての信仰も集めていると。



堂の内部。



『聖徳太子像』。
「和以貴」の文字が刻まれていた。



様々な石仏も。



『芭蕉老翁の墓』。
お墓の形で「芭蕉老翁墓」と刻まれているが供養塔で、本当の墓は滋賀県の義仲寺にあると。
安永7年(1778)建立の古いもので、左側面に「いさともに 穂麦喰はん 草枕」の句が
刻まれているのだと。



そして蓮馨寺を後にし、伊豆箱根鉄道駿豆線の踏切を渡る。
修善寺行きの電車が通過。


『三島広小路駅』。



三島広小路駅 改札口。



次に『伊豆国分寺』を訪ねた。




『聖武天皇詔建之霊域』と刻まれた石碑も。




奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、伊豆国国分寺の
後継寺院にあたると。
伊豆国分寺に比定される以前、当寺は古くは「蓮行寺」という名の真言宗の寺院であった。
時期は不明ながら、慈眼(慶長 14 年( 1609 年没)が日蓮宗に改宗したと。
のち当地が伊豆国分寺跡に比定されたことから、昭和 38 年( 1963 年)に現在の

「伊豆国分寺塔跡」案内板。
「国分寺は奈良時代に聖武天皇(在位724~749年)の命により、国ごとに建てれらた
国立寺院である。
僧寺と尼寺の二院制をとっており、天平13年(741年)ごろから徐々につくられたと
いわれている。
伊豆の国分寺は、泉町、広小路北方の一帯に建てられていたと推定されるが、
現在、国分寺の本堂裏にある塔跡だけが残っており、国史跡として指定されている。
塔跡は高さ約60cmの土壇の上にあるが、すでに南半分は失われている。
現在、8個の礎石が2列に置かれているが、西側の2個は移動したものである。
残された礎石から、塔は七重の塔で、高さは約60mにも及ぶものであったことが推定される。
昭和31年の日本大学教授軽部博士の調査で寺域は東西80間、南北100間の長方形で、




伊豆国分寺 山門。



本堂。
山号は最勝山。本尊は釈迦如来。



扁額は「寶樹山」となっていた。
当寺の山号は「最勝山」である。「寶樹山」と「最勝山」、何故、ふたつの山号があるのか。

当寺は古くは「蓮行寺」という名の真言宗、のちに日蓮宗の寺院で、山号は「寶樹山」。
当地が伊豆国分寺跡に比定されたことから、「伊豆国分寺」と改称し、山号も
「最勝山」と称するようになったのだと。



『観音堂』。



往古の伊豆国分寺伽藍図。
741年の聖武天皇の勅命により創建された2町(約214m)四方を寺域とする大伽藍の遺構。
現存する8個の石は七重の塔の礎石の一部で、塔の高さは約60mほどあったといわれている。



『七重の塔』の説明板。
塔跡は高さ約60㎝の土壇の上にあるが、すでに南半分は失われている。現在八個の
礎石が二列に置かれているが、西側の二個は移動したものである。残された礎石から
塔は七重の塔で、高さは約60mにも及ぶものであったことが推定されると。



七重の塔の断面図・立面図。



七重の塔の組物の名称の説明も。



国指定史跡である本堂裏の塔跡そして塔の礎石を正面から。
伊豆国分寺跡に残る礎石8個が遺構として保存されていた。



『伊豆国分寺塔址』。


『日蓮聖人像』。



庫裡、寺務所であろうか。



門前の石造物の中にあった伊豆型道祖神。
伊豆の道祖神(賽の神)は、独尊のころんとした丸彫り坐像であるのが特徴。
さらに地域差があり、三島周辺のものは小さな光背状のものが付属。
この両脇の像は典型的な作例であると。



次に訪れたのが、伊豆箱根鉄道の踏切を渡って進んで行くと右手の
『浄土宗 林光寺』。



参道を進む。



山門。



やんもんの扁額には「攝取山 」の文字が。



山門前には
「槌と鑿(のみ)でつくるのは形なきものの形
 言葉と息で作るのは形なきものの始まりの形」と刻まれた石碑が。



『水子地蔵尊』。



『法然上人像』。



『西国33箇所観音像』。



左手に墓石が2塔。



『吉原守拙(よしはら せっしゅ)、吉原呼我(よしはら こが)の墓』。

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吉原呼我は、日本の教育者。中権精舎(ちゅうけんしょうしゃ)創始者。
三島、伊豆地方に近代中等教育の種をまき、文化的発展に大きく貢献。
三島で近代初等教育の礎を築いた守拙は呼我の養父。
吉原守拙は漢学と兵学を修めて江戸で塾を開き、多くの門人をかかえていたというのだが、
その顔ぶれが凄い。山岡鉄舟、高橋泥舟、大山格之介などが門人の中にはいるのだと。



『鐘楼』。



そして『本堂』。
林光寺は、東海88箇所の第70番の観音霊場札所。



『十三重塔』。



『開山堂』。



歴代上人の墓。



本堂を別角度から再び。



見事な石灯籠とその先に鐘楼が。



『浄土真宗 本願寺派 善教寺』にも立ち寄る。



現代風な本堂。

「三島 善教寺」の画像検索結果

善教寺の境内には幼稚園が。



旧東海道に戻ると小さな『八坂神社』。



そして『秋葉神社』と書かれた石の扁額と石鳥居。
その奥に社殿が。



階段を上る。



推定樹齢300年のムクノキ。



                              ​​ その1 ​に戻る

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.04.28 14:35:17
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