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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
『時の鐘』。

三石神社の境内にある鐘は、『時の鐘』と言われ、江戸時代から旅人や三島の人に
親しまれて来た。最初は寛永年間(1624~1643)に鋳造(ちゅうぞう)され、
その後何回か改鋳された。特に大きな鐘が宝暦11年(1761)に川原ヶ谷の鋳物師(いものし)
沼上忠左衛門祐重(すけしげ)によって造られ、三石神社境内に設置され三島八景の
1つにも数えられていたと。

本陣跡を過ぎて源兵衛橋を渡ると左手の源兵衛川沿いにあったのが『三石神社』。
豊受姫大神(とようけひめのおおみかみ)が祀られていて、大中島町の氏神(うじがみ)。
昔、源兵衛川の川沿いに三石(みついし)という巨石があり、その上に社殿を建て
稲荷社を祀り、三石神社となった。古記によれば天明年間(1781~1789)に、
隣村の新宿(しんしゅく)の出火で大中島町(現、本町)や三島宿の大半が類焼したときに、
火防(ひぶせ)の神も併せ祀ったと。
その後文久年間(1861~1864)に焼失したが、三嶋大社の日記によると文久3年
(1863)8月29日に、「三石稲荷大明神普請(ふしん)につき社家(しゃけ)
鳥居左次馬(とりいさじま)をして遷宮祭を奉仕せしめた」と書かれている。
慶応元年(1865)7月、再び京都の伏見稲荷大社より分霊を受け、祀られたと。
平成3年(1991)に少し南に移り、現在の地に建て直された。
毎年5月の例祭初日には、三嶋大社の神主による神事が行われ、境内には露店が並び、
舞台も作られ、しゃぎり、カラオケ、ビンゴゲーム大会などが町内会、商店会の協力のもとに
賑やかに催されると。
三石神社は元御殿川の川辺に三ツ石と称する巨石があり、その上に社殿を建て
稲荷の神を祀ったと。
かつて、ここには宝暦11年(1761)に造られた大鐘があったが、太平洋戦争の際に
供出されたと。
三石神社 絵馬。
伊豆箱根鉄道駿豆線三島広小路駅の手前右手の狭い路地の先に山門が。
そして手前左には聖徳太子堂建設碑が。
『浄土宗 君澤山
蓮馨寺(れんけいじ)』。
山門。
この山門の手前の石碑には天下和順 日月清明と刻まれたいたが
中央にはなんと書かれているのであろうか?
水子地蔵尊の赤い幟の先にあるのが本堂。
この寺の宗派は浄土宗で、昔、寺の裏に蓮沼池(はすぬまいけ)という大きな池があり、
蓮の花の香りのする寺という意味から蓮馨寺と名付けられた。しかし現在この池はない。
『日限地蔵尊堂(ひぎりじぞうどう)』。
蓮馨寺本堂の本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)の左に聖徳太子作と伝えられ、
古くから庶民の信仰を集めていた日限地蔵尊が安置されている。
昔は60年ごとにご開帳されていたが、そのたびに三島宿が火事に見舞われたため、
現在は開帳されていない秘仏(ひぶつ)だと。
日を限って願いごとをすると願いごとがかなうといういわれから、日限地蔵尊と。
また、この地蔵さんの縁日が8月23日で翌24日がすぐ近くの本覚寺(ほんがくじ)
日朝(にっちょう)さんの縁日(えんにち)であることから、地蔵さんの縁日に会った
男女がデートの約束をし、次の日の日朝さんの縁日に会ったのだと。
そこで別名を約束地蔵と言われていると。
『聖観音菩薩像』であろうか。
小高い所にコンクリート造りの本堂。
1289年に、浄土宗の僧である星誉によって開創された由緒ある寺院。
しかし、豊臣秀吉の小田原征伐の際の三島焼き払いで焼失した他、類焼や震災、
明治期の大火による火災を重ね、沿革は不明となっている。
『聖徳太子尊』。
三島の職人組合の人々によって大正11年(1922)に建てられた。
聖徳太子は仏教を広め、各種技術を伝えた人たちを育てた人として知られ、
職人たちの守り本尊としての信仰も集めていると。
堂の内部。
『聖徳太子像』。
「和以貴」の文字が刻まれていた。
様々な石仏も。
『芭蕉老翁の墓』。
お墓の形で「芭蕉老翁墓」と刻まれているが供養塔で、本当の墓は滋賀県の義仲寺にあると。
安永7年(1778)建立の古いもので、左側面に「いさともに 穂麦喰はん 草枕」の句が
刻まれているのだと。
そして蓮馨寺を後にし、伊豆箱根鉄道駿豆線の踏切を渡る。
修善寺行きの電車が通過。
『三島広小路駅』。
三島広小路駅 改札口。
次に『伊豆国分寺』を訪ねた。
『聖武天皇詔建之霊域』と刻まれた石碑も。





































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