JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.04.11
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

旧東海道を黄瀬川に向かって進むと、前方右に『対面石 頼朝 八幡神社』の文字が
見えて来た。



右手に『郷社 八幡神社』入口の石の正面大鳥居が。



一段高い参道を進む。
桜のシーズンに歩きたい参道であった。



八幡神社 中鳥居。



その先に石の太鼓橋が。



八幡神社境内案内図。



左手に白旗社の朱の鳥居が。



『手水舎』。



手水舎横の境内社。



拝殿。
1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵を果たした源頼朝は、10月には鎌倉に入り、
関東・伊豆を平定、10月20日、平家の東征軍を富士川で迎え撃ち敗走させた。
翌日には、黄瀬川八幡の地に本営を置き、奥州平泉より駆けつけた弟の源義経と
涙の対面を果たしている。
その時、頼朝によって勧請されたのが、この八幡神社だともいわれているが、
創建年は定かではない。
祭神は、応神天皇・比売神・神功皇后。



拝殿横にある『対面石』。




 鎌倉にあった源頼朝 はこの地に出陣した。たまたま、奥州からかけつけた弟の義經と対面し、
 源氏再興の苦心を語り合い、懐旧の涙にくれたという。
 この対面の時、兄弟が腰かけた二つの石 を対面石 という。
 またこの時、頼朝が柿の実を食べようとしたところ、渋柿であったのでねじって
 かたわらに捨てた。すると、後に芽を出し二本の立派な柿の木に成長し、この二本は
 幹をからませねじりあっていたので、いつしかねじり柿と土地の人は呼ぶようになった。 」と。



左の大きい方が頼朝、小さい方が義経の座った石といわれているのだと。



前述の『ねじり柿 』。



拝殿内。



『御末社』。



社務所に立ち寄る。



御朱印を頂きました。



境内の古木、ブナ科の『すだ椎(すだじい)』。



関東地方より西に生えて暖地の森を代表する常緑高木。花は5~
6月に咲き、ドングリは翌年の晩秋。別名「イタジイ」。







前方に『長沢松並木』が。
松並木は江戸時代、五街道をはじめとして主要な街道の両側に植えられた。
慶長9年(1604)、江戸幕府二代将軍の徳川秀忠が諸国の街道の大改修を行った際、
両側に松や杉を植えさせたと伝えられている。この長沢の松並木も当時のもの。
街道に風情を添え、夏は緑陰をつくって旅人を護り、冬は積雪を防ぐことができたと。
街道沿の松が当時の東海道を偲ぶことのできる数少ない史跡。



静岡県の道票 夢舞台東海道道標
清水町 長沢 松並木
三島宿まで17町、沼津宿まで21町。

静岡県の道票 夢舞台東海道道標<br />清水町 長沢 松並木<br />三島宿まで17町、沼津宿まで21町

そして黄瀬川の手前の右側にあったのが『智方(ちかた)神社』。



「智方神社の由来

(藤原保藤の女)宮の御首を櫃に収め、御他界の情況を中央(南朝)に報ぜんがため、
従者を伴い足柄街道を追手の目を避けて此の地(*駿東郡清水町長沢、当時は伊豆の国)
黄瀬川の辺まで到着せり。時に八月一日(八朔)黄瀬川の水漲り渡渉すること困難なりしかは、
暫時河岸に休息なされ御櫃を見るに、長の道中を運び奉る事の困難なる状を拝し、
止むなく河岸近く古びたる小祠の辺に地を求め、宮の御首級を葬り、楠の一樹を

時に北条時行は家令畠山国清の手兵を併せ五千の兵を挙げ南朝に属せし延元二
(1337:南朝の元号、北朝では、建武4)年まで伊豆の藩主たりし間に御首級頃を石祠となし、
更に神社となし現在に至る。
当時、足利氏の詮索を避けんがため、わざと御祭神の名を秘し神前下馬の礼を諷示するため、
白馬の伝説を後世に伝へしものなり。
白馬の伝説を考察するに、白馬即ち白騎なり。白旗は源氏なり。足利氏は源氏なり。
親王の霊廟を建立せる北条時行は平氏なり。御祭神大塔の宮と共に白旗を忌むは当然の事なり。
邑人、子々孫々世の率遷にも絶つことなく、密に此の口伝を固く守り続け、御祭神の文献
存せざるも追求する事なく(追求しても足利・徳川と源氏の世続く)木彫御首級の御神体と
白馬像、御首級墳を大切に保存し今日に至り、御祭神漸く明確となり承認を得たるは
御神威の程愈々広大なりと言うべきなり。慈に六百二十五年の星霜を経貴重なる史実を得たるは
真に喜ばしき限なり」と。



境内の左側にあったのが『川施餓鬼地蔵尊像』。



境内入口西側の石仏群。
左から、蛇塚、石仏像、観音像、正観世音菩薩塔、馬頭観音(3)、馬頭観音(2)、
庚申塔、馬頭観音。



一番左にあったのが『蛇塚』。
以前は、これらの石碑等は黄瀬川の橋の袂にあったが、黄瀬川の改修工事の際に
川辺から智方神社に移されたのだと氏子のオジサンから。



拝殿。
祭神は、主神は大塔宮護良親王、副神が菊理媛命、予母都道守神、藤原千方。
創建年代は不明ですが、明暦3丁酉年(1657)11月、火災のため旧記録焼失。貞享元年
(1684)に造営したが、その後大破したため、寛延3年(1750)3月に本社を普請したと
記録があると。



正面からズームで。



そして、本殿横で10数人の人だかりがあり呼び止められる。
山之神の祭り準備で氏子のオジサン達が集まり、おしるこ、御神酒を飲んで打ち上げ中で
その宴席に招かれ、約15分程度談笑しながら御馳走になったのであった。



穂見神社境内にある清水町指定文化財『大楠』。



境内社のひとつである穂見神社の御神木となっているクスノキは、
町内最古(推定樹齢700年)で最大のクスノキであり、町指定文化財
(天然記念物)となっている。
「清水町で最も大きい樹木です。目通り7m、樹高28m、根周り18.8mある。
足利方に敗れた後醍醐天皇の皇子護良親王は、建武2年(1335)鎌倉の土牢に幽閉され
て殺された。お側に仕えていた南の方は、密かにその御首を持ちかえる途中黄瀬川の
洪水に遭いやむなくこの地に葬った。その目印にクスノキを植え、白馬伝説をつけ
たと伝えられている。
また、有名な小説家井上靖は、沼津中学校への通学時に、この樹の下で休息したと
いわれています。」と。



境内の『穂見神社』。



『後醍醐天皇皇子大塔宮護良親王御陵』。



ズームで。



末社。
左から、熊野社、北斗社、稲荷社、厳島社、神明社、天神社、金山社、辨天社、床浦社。



氏子たちの集まりはこの『山之神神社』の供養のためか。



様々な御供物が。



最後に再び智方神社の標柱とその後ろの由来書きを。



そして黄瀬川に架かる『黄瀬川橋』を渡る。



黄瀬川の上流側を見る。残念がら富士山の頂きは雲の隠れていた。
ここから6~700mで狩野川に合流する黄瀬川。



黄瀬川は御殿場市に源を発し、川底には溶岩の流れた跡が確認できる河川であると。
川面に映る我が影を自撮り。



                               ​ その3 ​ に戻る

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.04.28 14:36:11
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