JINさんの陽蜂農遠日記

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JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2019.04.23
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次





左手には秋葉山と刻まれた石灯籠が。



砂利の敷かれた駐車場の隅には小さな石の祠が。



富士川郵便局手前の交差点を右折。



民家の庭にはミモザの花が満開。



ズームで。
以前テレビでフランス・ニースの西の海沿いに位置している、モンドリューラナープル?で
毎年2月に行われるミモザ祭りを放映していたことを思い出したのであった。



吉原商店街の『南岳堂』は創業江戸時代の嘉永年間、約160年間続く老舗菓子店であると。



東名高速道路に向かって延びる旧東海道の左手には『富士川 中之郷』の道標が。



『野田山健康緑地公園案内図』



東名高速道路下を潜る。



東名高速道路を潜ると正面にあった石碑。



野田山実相寺寺標
石碑には『野田山不動明王 聖徳太子 弘法大師』と刻まれていた。
傍らには、薬師如来と刻まれた石碑も。



金鶴神社登り口。



『宇多利神社』社標。



次に東海道新幹線を潜る。



潜るとその先にあった石碑には『飛耀岳聳』と。
富士川町長中川国兵の揮毫による碑であるようであった。



秋葉山常夜燈がその脇に。



『明治天皇御駐輦之跡』。
秋葉山常夜燈の先で、街道が緩やかに右にカーブするところに明治天皇御駐輦之跡碑が
建っていた。
この場所で休憩され富士山を眺めたと。



更に住宅街を進む。



富士山と前方下には東名高速道路が。



富士山をズームで。



東名高速道路の跨道橋(こどうきょう)を渡る。



受枠にTの字模様のある静岡県清水区の角型消火栓蓋。
黄色地に纏2本のデザイン。町章と「消火栓」の文字入り。



綺麗な塀の『浄土宗 佛身山 海前院 光蓮寺』を訪ねる。



山門。



扁額には『 佛身山』と書かれていた。



見事な本堂の屋根。
「元和6年(1620年)古来戦死の万霊を弔うため建立。
地震や津波の災害を免れて旧観を留めていたが、昭和10年国道敷設のため、
現新蒲原駅付近より現在地に移転。昭和29年本陣道の南側にあった松風山不動院海前寺
(開山霊巌上人)と合併、院号を海前院とする。
明和5年(1768年)流行病で多くの幼児が亡くなったため、十世宣誉上人は厄除延命地蔵尊を
祀り、十八世天誉上人は夢告を感得して、地蔵堂を建てる。
光蓮寺には伝説浄瑠璃姫物語があり浄瑠璃姫を供養するお寺であると。
伝説は平安時代末期、三河国(愛知県)で源義経と恋に落ちた姫が、奥州に向かった義経を
追う途中、蒲原の地で命を落とすという物語であると。



枯山水の境内には様々な花が。



そして様々な色のクリスマスローズが咲き誇っていた。



ストレリチア(極楽鳥花)の花も。



境内に所狭しと。



これぞ花の寺。
住職の奥様が手入れをされているのであろうか?



境内にある浄瑠璃姫の壁画。



寺務所であろうか。



光蓮寺を後にし進むと『北条新三郎の墓 蒲原宿東木戸』の案内表示が。



実は光蓮寺の先でT字路に突当ると旧東海道は右に進むが、左に折れて県道396号線を
150mほど進むと左手に源義経硯水碑があったのであったが見落としてしまった。
ここの湧き水で蒲原神社へ奉納 する文と浄瑠璃姫に文を書いたといわれるのだと。

そして左手に蒲原の一里塚跡があった。



一里塚碑の隣にある解説には、
「東海道一里塚跡
 一里塚は慶長九年(一六〇四)徳川幕府が江戸日本橋を起点として、
一里(約四km)ごとに築いた塚です。
蒲原宿の一里塚は江戸日本橋から数えて、三十八番目のものです。
 一里塚は、道路をはさんで両側に約二mほど高く土を盛り、榎か松を植えて、
旅人に見やすいように築きました。最初の一里塚は、元禄十二年(一六九九)の
大津波で流失して、宿の移転にともなってここに移されたものですが、当時の面影は
ありません。」



一里塚跡の直ぐ先右手に北条新三郎の墓標柱が建っていた。







北条新三郎の墓入口。



しばし階段を登って行くと左手に北条新三郎の碑が。
北条新三郎の碑、墓は竹林に囲まれた中にあった。



「北條新三郎の碑 
永禄十二年(一五六九)十二月六日、蒲原城は武田軍の攻撃に遭い、落城しました。 
城主北條新三郎は、城から抜け出し常楽寺まで逃れましたが、寺に火を付け自害したと
伝えられています。その後供養のために、ここに碑をつくりました。
碑には「常楽寺殿衝天良月大居士(じょうらくじでんしょうてんりょうげつだいこじ)」の
戒名が記されています。常楽寺につきましては、現在裏付ける資料は残っていませんが、
「奥の院ここより五丁」という道標や常楽寺の奥の院と考えられる観音穴があることから、
この近くに常楽寺があったことが推察されます。」



北条新三郎の墓(右)と墓標柱(左)。
「常楽寺殿衝天良月大居士」と刻まれていた。



次に諏訪神社を訪ねた。
鳥居の先に急な石段が続いていた。



『諏訪神社由緒』
保元年間(1156−1159年)の創建の由緒ある神社。



御神木のシイの木。



諏訪神社『拝殿』。



『地蔵菩薩』。



そして『蒲原宿東木戸跡』。
ここから蒲原宿へ入ります。



文政13年(1831)の常夜燈。



「東木戸・常夜燈
 江戸時代の宿場の入り口には、見附や木戸と呼ばれるものがありました。
蒲原宿の入り口には木戸が設置されており、東の入り口のことを「東木戸」と
呼んでいました。
なお木戸と木戸との間のことを「木戸内(きどうち)」といいます。
東木戸は、わずかではありますが桝型(ますがた)になっています。 
また東木戸には「常夜燈」が残されています。常夜灯とは、今でいう街灯にあたるもので、
各所に設置し、暗い夜道を明るく照らし続けていました。
東木戸にある常夜燈には「宿内安全」という文字が刻まれており、宿の入り口を
照らしていました。
文政十三年(一八三一)ものと考えられています。 」



『蒲原宿 案内板』



蒲原宿に入るとマズ出迎えてくれたのが巨大な四本の送水管。
日本軽金属の電力を水力発電で賄っているのだと。



諏訪橋で送水管を跨いだのであった。
日本軽金属(株)蒲原製造所には富士川水系に水力発電所が6カ所あるのだと。
そのうちのJR東海新蒲原駅近くの富士川第2発電所の導水管がこれ。
山梨県富沢にある日軽富士川第1発電所の放流水が流れて来るようです。
昭和18年(1943年)運用開始 71年前から発電していると。取水は第一発電所放流水  
放流は駿河湾へ。左手には日軽富士川第2発電所が見えた。



                            ・・・​ その3 ​・・・に戻る

                                                     ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2020.04.28 14:51:13コメント(0) | コメントを書く


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