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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
更に旧東海道の蒲原宿の街並みの中を進む。
『
「蒲原宿」案内板 ようこそ蒲原へ!
』⬅リンク。
蒲原宿の名所・旧跡が一つ一つ詳しく説明されていた。
江戸方面からの入口にも欲しい案内板。
うなぎ、桜えびの文字に誘われて、昼食の店に向かうこととした。
時間は12:12。
旧東海道を左折し東海道線方面に向かう。
山の頂上には蒲原城跡があるとの道標。
そして『蒲原の味処 よし川』に入る。
店の暖簾にはうなぎの『う』の字が。
「黄金丼」を注文。
サクサクの桜エビの天ぷらがたまりません。これぞ絶品のランチ。

昼食に満足し、再び蒲原宿の街並みに戻る。
『高札場跡』
蒲原郵便局の先の柵区防災倉庫の前に高札場跡の立て札のみがあった。
「高札とは徳川幕府の禁令、定などを記した立札のことで、辻札ともいわれました。
宿場や村には必ず高札場が設けけられ、民衆に法令や定を周知させていました。
正徳元年(1711)に出された五高札が有名で
①伝馬(てんま)に関する定
②忠孝を奨励する定
③毒薬や贋金銀(にせきんぎん)売買禁止の定
④切支丹宗門禁制(きりしたんしゅうもんきんせい)の定
⑤火付(放火)重罪の定
が墨書(ぼくしょ)されて掲(かか)げられていました。
また貨客(かきゃく)運搬の駅場や人足の賃金も改定のたびに掲(かか)げられました。 」
『御殿道跡』。
「かつて、このあたりに「蒲原御殿」がありました。はじめは武田氏を攻めて帰る織田信長を
慰労するために徳川家康が建てた小規模なものでしたが、二代将軍秀忠、三代将軍家光が
東海道を往来するたびに拡張、整備され、規模も大きくなりました。
御殿の正確な位置はわかりませんが、このあたり一帯の相当広い地域を占めていたと思われます。
背後の山を「御殿山」、ここから下る道を「御殿道」と呼んでいます。
ちなみに、寛永十一年(1634)の家光上洛以降、「蒲原御殿」は使用されなくなりました」。
更に蒲原宿を進む。
『旧五十嵐歯科医院』。
この建物は、町家を洋風に増改築した擬洋館風建築と呼ばれるもので、外観は洋風、
水道が無かった時代、井戸水を二階の診療室まで通したポンプや配管も残っているのだと。

旧五十嵐歯科医院の先は昔の面影を残す宿並みが続いていた。

『 国登録有形文化財 志田家住宅主屋
』。
「蔀戸(しとみど)のある家 国登録文化財「志田家住宅主屋」























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