JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2019.05.01
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令和元年5月1日、今日から『令和』が始まりました。
そして私は『令和』の年をいつまで元気にクリアー出来るのでしょうか。
先月後半の無残に多くの人々の命が車やテロで奪われていく様は、悲しいことでしたが、
災害や事故に襲われなくても、人は必ず死んでいかなければならないのです。
この目出度き日に不謹慎な表現かもしれませんが、必ず死んでいくものが、
今生きていることの不思議に思いをいたし、生きている今、何に出遇い、何を聞き、
何をするべきか、1日1日を大事にしながら、充実した毎日を過ごすことが大切だと、
最近ますます感じるようになって来ているのです。
これも『旧東海道を歩く』で多くの神社仏閣を巡っている事が影響しているのかも。

死すべき時まで大切にして行きたい、いや生きたいのです。
そして、昭和と平成と令和---全ての世代が「絆」を大切にし、日本だけでなく世界の
『平和』な社会が実現し、青い地球を永遠にと。

ということで、今日も『旧東海道を歩く』の『歩み』の『備忘録』の続きのアップです。


『旧東海道を歩く』ブログ 目次

『江尻宿案内板』
東海道の18番目の宿場であり、天保14年(1843年)には本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠屋50軒、
宿内家数は1340軒、人口は6498人でした。
「江尻」とは巴川の尻(下流)を示し、巴川が作る砂洲上にできた宿であります。
甲州武田氏が築かせた「江尻城」「浜清水城」があり、城下町も作られ、鍛治町、鋳物師町、
紺屋町などが配置され繁栄していました。
巴川河口を利用した清水港には、駿府町奉行支配のお蔵が18棟もあり、江戸へ物資を運ぶ
重要な港として活気に満ちていました。しかし、本陣、脇本陣、旅籠など戦火で消失し
残っていません。
現在地は⑥の先。



江尻宿の浮世絵のいくつかを紹介します。
『東海道十九 五十三次 江尻』(隷書東海道)
三保の松原越しの駿河湾、そして富士山の姿。駿河湾には多くの帆掛け舟が。



歌川広重『冨士三十六景 駿河 三保之松原』
空撮かドローンを使って描いたかのような構図。
薩埵峠と富士山、そして愛鷹山(あしたかやま)が遠近法を使って描かれています。



『東海道五拾三次之内 19 江尻《三保遠望》』
画中に広がる海は駿河湾、前景の港は清水港である。
江に突き出る三保の松原や湾内の帆船で風情をもたせ、遠景は愛鷹山らしい山並みの

白い船の帆や港に停泊する船のかたちが様式化され美しい。
広重は高い位置から見渡すようにこの風景も描いている。



 『東海道五十三次(狂歌入東海道)江尻』 

花の旅   をつらせて  ゆたゆたと  うばか江尻に  みゆる ばし
・「うば」は、江尻の宿近くの「姥ヶ池」からの連想。「児ばし」は、江尻宿を出て巴川を
  渡る橋の「稚児橋」。
・「姥が江尻」で「目尻」に掛け、「児ばし」で、乳母と幼児に見立てる。」



入江3丁目の交差点を通過し更に進む。



左手に『追分羊かん 本店』があり、その手前に石碑が。



『追分羊かん 本店』前に『是より志ミづ道』と刻まれた石柱道標が。



『追分羊かん 本店』に立ち寄る。
創業元禄八年 駿河国追分 東海道三百年の味 追分羊かん。



「追分羊羹の由来」
300 年余の歴史を誇る竹の皮包みの
素朴な包装と竹の香りが深く染み込んだ風味。清水の伝統和菓子で有名であると。
二女のご主人でドイツ人の工場長のレネさん。324年の伝統の味は来日9年目の
ドイツ人が支えているのだと。



追分羊かんはちびまる子ちゃんとコラボもしており、ちびまる子ちゃんランド限定の




追分羊かんは、素朴な竹包みの蒸し羊かん。小豆と竹の香りの風味が甘さに溶けて
あっさりとした舌触りが人気であると。



羊羹以外にも様々なお菓子が販売されていた。



最中を一個購入し、店内で食べながら、美味しいお茶を頂いたのであった。
多くの芸能人も訪ねているようであった。



「追分羊羹」の本店を出て暫く行くと『遠州都田の吉兵衛の供養塔(清水の次郎長 都鳥)』が
左手に。



「春まだ浅き文久元年(一八六一)正月十五日、清水の次郎長は子分の森の石松の恨みを
晴らすために、遠州都田の吉兵衛の(通称都鳥)をここ追分で討った。
その是非は論ずべくも無いが吉兵衛の菩提を弔う人も稀なのを憐み里人が供養塔を
最期の地に建立して侠客の霊を慰さむ。 
此處を訪れる諸士は彼のために一掬の涙をそそぎ香華を供養されるならば、黄泉の都鳥も
その温情に感泣するであろう。 」



『元追分』道標。




金谷橋(かなやばし)手前にあったのが『大澤川改修の碑』



『金谷橋』。



「追分と金谷橋の今昔
昔からこのあたりは、東海道と清水湊への道『志ミづ道』の分岐点であることから
『追分』と呼ばれていた。周囲には数軒の家が並び、街道の両際は松並木が続き、
その外側には田んぼが広がり遠くには富士山が望めた。
往来の旅人は土橋であった金谷橋を渡ったが重い荷物を運搬する牛馬は橋横の土手を下り
渡川して土手に上り街道に合流した。
古来、牛道と言われた名残を今にとどめている東海道の史跡である。」



『大澤川』の上流側。



『追分』道標。



JR東海道線と静岡鉄道の『追分踏切』を渡る。



上下4本あるせいか、両線ともけっこう通過電車が多い。



緩やかに上りながら道は右に曲がり、左からの道と合流する。
そこにあるのが『久能寺観音道』道標。



右に曲がった正面にある説明板。
「久能寺観音道
この道標は安永7年(1778)に妙音寺村の若者の寄進により造立されたものである。
ここに書かれている久能寺観音道は、この平川地から有東坂、今泉、船越、矢部、妙音寺
鉄舟寺(久能寺)に至る有度山麓を通る道のことである。
久能寺は、もと久能山にあったが、甲斐の武田信玄が駿河の国の攻略の根拠地として
久能城を築城、そのため天正3年(1575)現在の位置に移されたものである。
明治維新となり廃寺、その後、明治16年(1883)山岡鉄舟が再興、鉄舟寺と改め
現在に至っている。」



現在いる場所、青い「上原堤」の上の合流地点。



の案内板。 
「東海道という言葉は崇神天皇十年九月、四道将軍として武淳川別(たけぬなかわわけ)
東海(うみつみち)に派遣した日本書紀の記事に始まる。ヤマトタケルが東征の道に
草薙剣の物語りを残し、古代大和朝廷確立と律令国家のための重要路として、
防人(さきもり)達が遠く九州に下り、調(ちょう)を積んだ荷駄が大和に向けて
通ったことであろう。中世には「いざ鎌倉」のために整備され徳川時代になり東海道に
松並木を植え一里塚を築き整備された。慶長十二年(1607年)徳川家康公の命により、
当時の東海道は今の北街道を通っていたものを七日市場の巴川に大橋(現在の稚児橋)を架け
追分上原を通り駿府横田迄駅路(正規の道)となった。
善男善女が旅を急ぎ、大名行列が通り村人は助郷の課役に難渋し、幾多の物語を残した
東海道も国の発展と共に昔日の面影は消えてしまったがここに日本の歴史と共に歩いて来た
古道が有ったことを末永く記憶の中に留めておきたい。




『上原堤(うわはらづつみ)「宋丹池(そうたんいけ)」』。
江戸時代に農業用水のため池として造られた人工池。
永い間近隣の田んぼを潤して来た。
戦国大名の嚆矢、北条早雲が今川氏に仕えていた時に作った農業用のため池だったそうで、
早雲の名前から宗丹池と呼ばれたとのこと。つまりこちらも500年以上の歴史があるスポット。
昭和2年に開園した狐ヶ崎遊園地のボート池として利用され 平成5年に遊園地が閉園してからは
釣や散歩を楽しみ人々の憩いの場となっている。



『上原子安地蔵堂』入口。



「上原延命子安地蔵尊由来略記
上原延命子安地蔵尊は、古来世の人々の、長寿、安産、子育、安全の守護として、
近隣の人々の信仰を集めてきた。創建時代は明らかではないが、焼失した木像の
御本尊は、行基菩薩作との伝説があった。之に従えば奈良時代となる。然し庶民
一般に地蔵信仰が普及し、各地に地蔵堂が建立されるようになったのは、鎌倉時代
とされている。
上原の古地名は地蔵原ともいわれていたが、室町時代後期には既に正式に上原の
地名が用いられている。これ等のことを思い合わせれば、創建は鎌倉時代戌はそれ
以前と考えられる。
永禄十一年十二月(1568)武田信玄が、駿府の今川氏真を攻める時、本隊の部将、
山県昌景の部隊がこの地蔵堂を中心とする、上原の地に宿営布陣した記録がある。
次いで天正十年二月(1582)徳川家康が武田勝頼を攻めるに先立ち、武田の宿将
江尻の城主穴山梅雪と、この地蔵堂で会見した。その結果梅雪は家康に降り、武田氏
滅亡の切掛となった。
元和元年大坂夏の陣の直後秋十月(1615)吉川福聚院の住職明眼和尚の尽力と、
付近住民の協力により、荒廃していた地蔵堂も立派な堂宇として再建された。
然しこの堂も明治二十四年九月(1891)、何者かの失火により、御本尊と共に焼失した。
以来地蔵堂は間口一.二米、奥行一.八米程の仮堂で、四十一年間を過ごすことに
なっなのである。
昭和七年四月(1932)上原区民の、長い間の悲願であった地蔵堂も、区民四十余年に
亘り積み立てた浄財により立派に再建され、今日に至っている。
昭和五十七年四月(1982)昭和再建五十周年を記念し、御本尊を開帳し、盛大な大祭が
執行された。
平成三年一月(1991)境内入口にあった消防器具置場も撤去され、周辺の整備が行われ、
石の道標が建立された。
毎年八月十五日の祭礼の夜は、地蔵堂裏の広場で、大勢の人が集まり。盆踊りなどが盛大に
行われる。」



『上原子安地蔵堂』。



『上原子安地蔵尊 保存樹木(まき)』。



樹齢:約230年、樹高:10m70cm。



「宋丹池(そうたんいけ)」を廻り込むように旧東海道を進む。



『上原鎮守十七夜宮』入口が左手に。
旧東海道より約100m入った十七夜山千手寺本堂の南にあると。



『上原鎮守十七夜宮伝説の碑』
石段の両脇に石塔が埋もれてました。右に「十七夜山」、左に「千手禅寺」と。
千手寺は珍しい黄檗宗の禅寺。



『上原鎮守十七夜宮伝説』
「昔上原に大変信仰心のあつい人がいた。 ある日、夢の中にお不動様のお姿が現れ
「わたしは浅畑(現在の静岡市葵区麻機)の滝の不動尊である。 お前の信仰心のあついのに
感心した。 お前のような者の住む上原はさぞよい所であろう。 是非、上原に参って大勢の人々の
難儀を救ってやりたいと思う。 早く浅畑へ来てわたしを上原へつれて来るように」
とのお告げがあった。 不思議な夢を見るものだと思っていたが、それから毎晩のように
同じ夢を見るのであった。彼は「これはまさしく浅畑の不動様のお告げに違いない。
浅畑の人達には申し訳ないが、不動様を上原へお連れ申し上げる亊にしよう」と決心した。
そこで彼は、わざわざ浅畑まで出掛け、滝の不動尊の扉を押開き、御神体を取り出して
持ち帰ろうとした。 浅畑の人達は、これを見つけて追いかけて来て取り戻そうとした。
彼は「私は不動様のお告げで上原へお連れ申すのだが、皆さんがいけないと言われるならば
お返しする」といって浅畑の人達に渡して帰り出した。 浅畑の人達は御神体を受け取ったが、
急に岩のように重くなり動かすことも持ち上げることも出来ない。 浅畑の人達は驚き恐れて、
急いで彼を呼び戻し、仕方なく御神体を彼に渡した。 彼は喜んで御神体を受け取った。
彼が持つと途端に毛のように軽くなった。 浅畑の人達は御神体を持ち捧げて、
上原へ帰ってゆく彼の後ろ姿を、いつまでも合掌して見送ったのである。
彼は上原に不動様をお迎えすると、庄屋さんとも相談して、十七夜山千手寺の裏手のお堂に、
上原村の鎮守としてお祀りした。 これが現在の上原鎮守十七夜宮である。
この御神体というのは45㎝ほどの漆黒の古い木であるという。」 



境内の参道を上っていった。



階段の先に『山門』が。



『句碑の案内』。
「柚子湯出て慈母観音のごとく立つ   五千石」
ここに「上田五千石」の句碑がある理由は?



先手寺の『山門』を再び。



右手に『六地蔵』。



『庚申塔』。



『千手寺』。
ご本尊は千手観音。黄檗宗の伝来は江戸時代の1654(承応3)年。
改宗がないのならば、開山はそれ以降となりますが、裏手にある十七夜宮は古い記録には
1651(慶安4)年に登場するそうです。この十七夜宮は上原の鎮守。
シンプルな屋根に、朱色に塗られた窓格子、丸窓、アーチ状の出入り口など
エキゾチックな雰囲気が。



千手寺の裏手にあるのが、『十七夜宮』。
何故か露出不足。



境内の北原白秋『狐音頭(きつねおんど)』歌碑。
御堂の右手には「白秋庵」という茶室があり、昭和2年北原白秋が「ちゃっきり節」を
作詞した折、この寺に立ち寄り「狐音頭」という歌を作詞したのだと。
「狐十七 千手の寺に こよい願あけ もちの月」。



                             ​ その6 ​  に戻る

                  ・・・​ つづく ​・・・

そしてテレビでは「明治」の「R-1」のコマーシャルが「我が意を得たり」と。






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Last updated  2020.04.28 14:57:21
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