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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
更に白須賀宿を二川宿に向かって歩を進める。
右手に『庚申堂』入口鳥居が。
天和元年(1681)に立山長老に建てられましたが、現在の建物は、天保十二年(1841)に
再建されたものです。この地方にある庚申堂の中では最も大きく、堂々たる鬼瓦が目を引きます。
境内には、見ざる、聞かざる、言わざるの三匹の猿の陶像があります。
須弥壇(しゅみだん)の上には厨子が固く扉を閉ざしています。
この厨子は六十年に一度開帳される秘仏で、地域では今もこれを守っています。
以前は尼僧がいたが、今は無住であると。
この地方最大の庚申堂。
庚申堂前には庚申信仰による「見ざる、言わざる、聞かざる」の三匹がいたが
白須賀の庚申堂には実はもう一匹猿がいるのだと。
論語(孔子)の「礼にあらざるもの視るなかれ、聴くなかれ、言うなかれ、行うことなかれ
(=せざる)」、または、庚申信仰(庚申の夜は身を慎んで徹夜し女性を避ける)の
「同衾せざる」から来ているのだと。
『見ざる』。
庚申信仰とは、60日又は60年ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)の日に営まれる、
夜籠もりを中心にする信仰行事。庚申さまといっても、猿と結びついたのは後のこと。
『言わざる、聞かざる』。
右手にあった『火除け地跡』碑。
火除地(ひよけち)とは、火事での延焼防止のために設けられた防火地帯。
江戸幕府は多発する火事に悩んだが、 1657
年の明暦 (
めいれき )
大火後に設置。
江戸城用の火除明地、一般市街地には広道 (
ひろみち )
・広小路 (
ひろこうじ )、
広道に土手を築いた火除土手として設置された。
町医者『玄斎堂』跡。
跡見花蹊の遠い親戚にあたる遠江の医師 「跡見玄山」がこの地で開業医した院であると。
民家の美しい『マンビテラ』の花。
キョウチクトウ科の花で花色は赤紫やピンク、白などがポピュラー。
葉は硬めで鈍い光沢があり、特徴的なシワが。
夢舞台東海道道標『境宿』。
ここに一軒の茶屋があり、だんごにそてつの餡を入れた餅を柏の葉で包んで売っていた。
これを「さるが番場の勝和餅」といい、広重や北斎の浮世絵にも名物として登場すると。
売っている店を歩きながら探したが見つからなかった。
二川宿の本陣に出ている店で売っているようであったが。
『白須賀マップ』を再び。
ここが西から来ると『白須賀宿』の入口。
『高札建場跡』碑。
安藤広重の東海道五拾三次之内・二川『猿ケ馬場』
広重の描いた「猿ケ馬場」は、白須賀宿を西に出たすぐのところ、境川の少し手前にあった。
従って、二川宿まではまだかなりある。
この地は柏餅が名物で、広重の絵にもあるとおり「名物柏餅」の看板を掲げた店が
何軒かあったが、現在は何もない。3人の女性は瞽女(ごぜ)
(三味線を弾き、歌を歌うなどして銭を乞う目の不自由な女性)である。
『成林寺』入口。
『法華宗 久松山 成林寺』の『本堂』。
湖西市境宿にある法華宗陣門流の寺院で、開山当初は久成坊と呼ばれていた。
境宿村の開創もこのころだろうと。
これより『白須賀宿』、二川宿まで5.8km。
県道173号線と旧東海道との合流地点。
県道173号に合流した所左手に『村社 笠子神社』が。
かつては海岸部にあったこの神社も度重なる津波の影響でこの地に移されたと。
国道1号と合流し、この先で「愛知県豊橋市」に入る。
今年になって箱根西坂を下り三島宿を通って白須賀宿まで静岡県内22の宿場を歩いてきたが
静岡は長かった。あと21宿歩くとその先が三条大橋だ。
かっては遠江(静岡県)と三河(愛知県)の境をなした境川に架かる橋。
現在は静岡県と愛知県の県境。



























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