JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.10.21
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

『二川宿』の散策を始める。



『二川宿案内所』の建物・『川口屋』を再び。



豊橋市のマンホール。
朝日の中を出港していく船と人々や町が描かれている。合流マンホール蓋。



右手に『妙泉寺』入口。『南無妙法蓮華経』と刻まれた石塔が右手に。



『日蓮宗 妙泉寺』。
参道には、桜並木が。



参道脇の民家の大きな『てるてるぼうず』。



10月12,13日に行われる『二川八幡神社例大祭』のポスター。



『山門』。
山門は薬医門。左右に袖塀付き。



山門を入った境内の左側には1798(寛政10)年建立の『紫陽花嫁』と呼ばれる松尾芭蕉句碑。
『阿ちさゐや(あじさいや) 薮を小庭の 別座敷』
晩年元禄7年(1694)、芭蕉が生涯最後の旅に出る前、江戸深川の門人の屋敷で開かれた
送別の歌会で詠まれた句。
手の込んだ庭ではなく、自然のままにされた別座舗の庭に咲いていた紫陽花の美しさを
捉えた一句です。送別の歌会を開いてくれた門人への感謝と、おそらくこれが今生の別れと
なるだろうという寂しさを、紫陽花の美しさと儚さに込めた芭蕉の想いが感じられます。
台座には、建立世話人9名が刻まれており、当時の二川宿における俳句の隆盛がしのばれると。



『本堂』。



『妙泉寺』。

「妙泉寺は日蓮宗の寺院で、前身は貞和年間 ( 1345~50 ) に日台上人が建てた小庵でした。
その後、衰微していたのを寛永から明暦 ( 1624~58 ) 頃観心院の日意上人が信徒の
助力を得て再興し、信龍山妙泉寺と改称したうえ、身延山から離れて遠州吉美村の妙立寺末となり、
さらに万治三年 ( 1660 ) 旧地今田中より現在地に移転して、山号を延龍山に改めたといわれます。
江戸時代には黒印地二石を受け、その格式はかなり高いものでした。また、寺子屋を開いたり、
大通行の際の休泊所にもなっていました。
当寺所蔵の鰐口は、永享五年 ( 1433 ) につくられ、後に半面が慶長二年 ( 1597 ) に再鋳された
珍しいもので、豊橋市有形文化財に指定されています。境内には、寛政十年(1798)に
建立された芭蕉句碑である紫陽花塚があります。」



『當山歴代之墓』



『永代供養塔』



『日蓮大菩薩』と刻まれた墓石。



『春乙桜(はるおとざくら』。



『妙泉寺の鰐口』
所蔵の鰐口は永享五年(1433年)鋳造だが半面は慶長二年(1597)に再鋳されており
市文化財に指定されている。



そして再び二川宿の旧街道を歩く。
歴史を感じさせる連子格子窓の民家が右手に。




飲食店の名前としては珍しい 和食、創作料理、居酒屋。



東海道『二川宿』案内板。
 → 二川宿本陣資料館 350m
 → 商家「駒屋」     80m



右手奥に『二川八幡神社(ふたがわはちまんじんじゃ)』。
一の石鳥居、朱の二の鳥居、拝殿が見えた。



「社伝によれば、永仁3年(1195)鎌倉の鶴ケ岡八幡宮から勧請したのが創立と伝えられます。
毎年8月10日に行われていた例祭の湯立神事は、幕府から薪が下付され、幕府役人をはじめ
各所から集まる人々で境内は混雑を極めたといわれます。
この例祭は現在では10月10日に、神輿渡御の神事がおこなわれています。江戸時代には
黒印地二石を受け、その格式はかなり高いものでした。現在では二川の氏神になっています。
境内にある秋葉山常夜燈は、かって二川新橋町の街道桝形南にあったもので、文化6年(1809)に
建立されたものです。また、二川宿の人々の寄進による燈籠二対が今に伝わっています」





慶長六年(三九四年前)伊那備前守より神領高二石を寄進された名社であり鎮守地が
東海道二川宿の要衝となるにつれて諸人の往還頻繁となり公儀役人を始め遠近各地より
崇敬賽者が夥しかった。

例祭には特殊神事として御輿の渡御に従い氏子中より山車子供御輿などの供奉があり
町内神賑を極める。




一の石鳥居。
参道両側は白塀と玉砂利。



二の朱の鳥居。







『悠仁親王殿下御誕生記念碑』とその後ろに手水舎。
悠仁親王殿下(ひさひとしんのうでんか)は秋篠宮文仁親王と同妃紀子様の第1男子。



手水舎の巨大な龍。



そして『拝殿』。



拝殿の屋根の見事な鬼瓦。



『二川八幡神社の末社、境内社』。



『若宮神社』



『稲荷神社』。



『津島神社、三峰神社』



『護国神社』。



「その昔、この八幡神社にも「湯立て神事」がありました。
境内に湯釜を据え付け、この井戸から厳かに汲み上げられた水を沸かしました。
この湯の周りで神主さまが祝詞を一心に唱えました。
白装束姿の地区の長老がこの清められた湯を授かり、神殿や境内の各所、それぞれの町内に
向って湯を振り掛ける所作を十三回、繰り返したとか。
「この湯を飲むと身も心も清めることができる」と集まった人々に釜の湯を配っていた。
この神事は、四年に一度の閏年に町内の平穏を願って行われました。」



先代の扁額であろうか?



そして小川に架かる旧街道の橋を渡る。



川の名は『二川』なのであろうか?



町には旅籠、商家の東駒屋・駒屋など江戸時代の面影を残していると思われる建物も、
所々に見ることができた。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.01 14:45:33
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