JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2019.10.24
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

3日目の朝(9月26日)も5時過ぎに早朝起床し6:30からの朝食を済ませ、
豊橋駅近くのホテルを出発。



豊橋駅前東口のペデストリアンデッキ。この日も晴天で暑くなりそう。



そして豊橋駅から二川駅まで前日乗り遅れた6:48の東海道線を利用。
降車駅の二川駅改札前ではキリンのステンドグラス風窓が出迎えてくれた。
キリンのステンドグラスは、駅近くに豊橋総合動植物公園があるからか?



二川駅は 1896 年(明治 29 年) 4 7 日に開業した。
二川駅をはさむ、東海道本線の浜松・大府間が開通したのは、駅開設の 8 年前にあたる
1 888 年(明治 21 年)のことである。
この時、江戸時代に東海道の宿場町(二川宿)として栄えた渥美郡二川村・大岩村の両村には、
宿場の町並みのすぐ南側に線路が敷設されたものの、隣の吉田宿(現・豊橋市、豊橋駅を設置)
とは異なり駅が設置されなかった。
二川周辺には多くの村があり人・物資の利用が見込める、隣の豊橋駅・鷲津駅とは距離がある
との理由で、翌 1889 年(明治 22 年)二川では駅設置の請願を行った。この請願は成功しなかった
ようだが、 1893 年(明治 26 年)に再度請願運動が行われ、これは成功したようで駅開業の
運びとなった。駅開設時に建設された木造駅舎は 100 年以上の長きにわたって使用され、
東海道本線では最古の駅舎となっていた。しかし老朽化により改修が必要となり、
1998 年(平成 10 年)から橋上駅舎・南北自由通路の開設、駅前広場の整備、駅南方にある
豊橋総合動植物公園へのアクセス道路新設などが一体となった「二川駅周辺整備事業」が
開始された。
この事業により 2002 年(平成 14 年) 2 月に橋上駅舎が完成、 4 月には南北自由通路の
供用開始がなった。



時計塔の時間は7:00前。



『火打坂交差点』まで歩き、旧東海道はここを直進するのであったが、『岩屋観音』を
訪ねるために交差点を直進せず左折する。



前方に『岩屋緑地』が見えた。 
岩屋緑地は弓張山地の大蔵山と岩屋山に造られた公園で大蔵山には展望台、
岩屋山には観音像が建てられていた。



豊橋市地下資源館(とよはししちかしげんかん)の前を通過。
豊橋市地下資源館は、愛知県豊橋市大岩町字火打坂19-16にある、地下資源や鉱石、
エネルギーの博物館。
視聴覚教育センターにはこのプラネタリウムが。



東海道岩屋山古道案内板。



右手に『岩屋観音』石碑。



『玉糸の元祖 小渕志ち銅像 入口』と刻まれた石碑。



この豊橋が蚕都(さんと)と呼ばれ、製糸業がさかんであった頃、質のよい生糸の作り方を
発明した人物・「小渕志ち」。二川の本陣資料館の近くには、製糸工場跡の碑が残って
いるのだと。



小渕志ち(おぶちしち、 1847 年(弘化 4 年) - 1929 年(昭和 4 年))は、三河地方の絹製糸工業に
多大な貢献をしたと伝えられる人物である。
1847 年に群馬県南勢多郡石井村(現・前橋市富士見町石井)で生まれた。
1862 年、 15 歳のころから製糸業に従事し、糸引き座繰りの技術をマスターする。
その後、 17 歳で結婚するが、夫・斉藤米吉は酒や賭け事に明け暮れる男で、 15 年の結婚生活の末
離婚を余儀なくされる。その後再婚したものの、精神を病んで行くあてもなく各地を放浪して
いたが、糸引き座繰りの技術を見込まれて愛知県二川町(現・豊橋市)に土着。高い技術を
生かした仕事で見る見る間に財を成し、 1879 年に製糸工場を創業した。その後、玉繭という
屑繭から玉糸と呼ばれる高品質の糸を作ることに成功し、大きな利益を上げる。
また、自社の経営のみならず三河地方の製糸業の発達に尽力し、同業組合の結成を促進するなど、
大きな功績をあげた。



この先から『岩屋観音堂(岩屋堂)』境内か。
正面に『弘法大師・鯖大師(さばだいし)像』。






奥にあったのが『地蔵堂』。



小さな石のお地蔵さんが祀られていた。



再び『弘法大師・鯖大師(さばだいし)像』。
太子の左手には鯖が。
この『鯖大師(さばだいし)』の由来は昔、弘法大師がこの地で野宿をしていた際に
通り掛かった馬子(馬に食料を積んで運んでいる商人みたいな者)に塩サバを所望したところ、
口汚く罵られ断られた。その後馬子の馬が苦しみ出し動かなくなった。
馬子は慌てて「さっきの僧は実は偉い人(空海)だったんじゃね?」と引き返しサバを
差し出し馬を治して欲しいと懇願した。空海が加持水(仏様の慈悲と智慧が加わった水)を
馬に与えると馬は回復し、サバは加持祈祷し海に放つと生き返り泳いで行った。
この馬子は空海の弟子となったのだと。



『二番札所 千手 亀見山 岩谷堂』
「松かせに 戸ざ々ぬ御代のいはやどう 三河にひとつ 名の高き山」



『鐘堂』



『鐘堂』の近くには『弘法堂』が。



『弘法堂』内部の掛け軸。



岩屋観音の石仏群。



山頂の青銅製の『聖観音立像』を見上げる。
天平2年(730)、行基がこの地に赴いたとき、その風景に見せられて千手観音像を刻んで
岩窟に安置したのが起源とされています。以来、東海道を往来する旅人たちの信仰を集めました。
岩屋山頂の聖観音立像は明和2年(1765)に建立されましたが太平洋戦争中に供出されてしまい、
現在のものは昭和25年(1950)に再建されたものです。
岩屋山の南側にある観音堂の天井板には、恩田石峰をはじめ当時の吉田(豊橋の旧名)画人による
絵が描かれています。 また、岩屋観音周辺は公園として整備され、春はさくらまつりが開催され
にぎわうのだと。



写真の如く、山頂の岩の上で風雨に曝され、雨天には濡れて立つため、濡れ仏(ぬれぼとけ)と
呼ばれた時期もあったようだが。大正12年(1923年)、ドイツ人の医者のベルツ博士の
ハナ(花)夫人により、岩を登るための鉄の柱と鎖が寄進されたのだと。
残念ながらこの観音像とベルツ夫人の鉄鎖は昭和19年(1944年)、太平洋戦争で供出されて
しまったと。



『岩屋観音堂』
観音堂は、天正13年(1585年)の岩屋山火災で焼失し、元文3年(1738年)に
再築されるまでの記録は不明であると。
その後は修築や再築を繰り返して文政8年(1825年)に再されたのが現在の『岩屋堂(観音堂)』。
寄棟造り、桁行3間、梁間4間の建物である。格天井板32枚は後世のものだが、
これには恩田石峰をはじめ、当時の吉田画人による絵が描かれているとのことであったが・・・。



「岩屋観音堂は、天平2年(730)行基が諸国巡行の際に千手観音像を刻んで岩穴に安置して
開いたといわれます。江戸時代には、街道をゆきかう人々から多くの信仰を集め、ことに
備前岡山 藩主池田綱政はこの観音を崇敬し、元禄から宝永(1688~1710)にかけて、
観音経・黄金灯籠・ 絵馬などを寄進しました。
山上に立つ聖観音像は、吉田大橋の掛け替え工事を担当した江戸下谷の大工茂平と善右衛門の
二人が工事の難しさに困り果てて観音堂に参籠し、霊夢によって吉田橋を 完成させることが
できた恩返しとして、明和2年(1765)下谷講中が建てたもので、現在のもの は
昭和25年(1950)に、再建されたものです。
当堂を詠んだ和歌、俳句は多く、香川景樹、古市木朶等の歌俳は有名であり、また歌川広重の
東海道写生画の中に、当山を描いたものが数点あります。
当堂は古来より真言宗の寺院でありましたが、明治維新後は大岩寺の境外仏堂となっています。」



扁額には『岩谷堂』と書かれていた。
岩屋堂は行基は天平2年(730)諸国巡業中に約33cmの千手観音を刻み祀ったと。



『観音堂』内部 正面。




右側に賓頭盧様(左)と大黒天(右)が並んでいた。



天井。



『岩屋観音堂』堂内部。



本堂の右側は岩屋になっている。奥は深くなく、見えている部分だけだ。
寺の開基は、行基が諸国を巡ったときこの岩屋に千手観音を彫って安置したのが始まりだと。



岩山のところどころには僧形の仏が安置されていた。



『岩屋観音堂』からの立岩街道方面の眺め。



『岩屋堂のスギ』。 
豊橋隋一の太さを誇り、同市のシンボルであると。



幹周:403cm、高さ:24.1m、推定樹齢300年以上。



崖下には五重石塔が。



寺務所の下には『瑠璃王龍神堂』。




参道には萩の花が。



こちらが『岩屋観音堂』への正式なルートなのであろう。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・

そして今日から、いつもの旅友Sさんと『秋彩ルーマニア・ブルガリア8日間』の
旅に行って来ます。
カタール航空にて成田➡ドーハ➡ソフィアへの長時間移動の格安ツアー旅行です。



ブルガリア・ルーマニア2か国・6つの世界遺産を含むハイライト観光。
ルーマニアでは故チャウチェスク大統領が1,500億円を投じて造らせた贅を尽くした「国民の館」も
訪ねます。建築物としてはペンタゴンに次ぐ世界第2位の大きさを誇るルーマニア議会の議事堂。
久しぶりに10年来の旅友の女性2名も一緒に参加され、賑やかな旅行になりそうです。





阪急交通社からの最終書類も受け取りました。
今回の女性添乗員からの電話もあり、26名の多人数のツアーであるとのこと。



最終旅行日程表も送られてきました。
今回のツアーは成田空港出発、羽田空港到着という初めての体験のツアーです。
今日は旅友Sさんが愛車で我が自宅に迎えに来てくれ、羽田空港に向かい
駐車場に車を駐め、リムジンバスにて成田空港に向かう予定です。



そして継続中の『旧東海道を歩く(新居宿~御油宿)』は留守の間も毎日分を予約して
アップしていきますので引き続きアクセスをお願いいたします。

行って来ま~~~す。







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Last updated  2020.05.01 14:46:45
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