JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.10.26
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

豊橋市の別の絵柄のマンホールを発見。
『市電マンホール』
公会堂と市電の日常的風景と市花(つつじ)をデザインした下水道マンホール蓋。



本屋のガラスには花園幼稚園児の『孫の日』に因んだジジ、ババの顔の絵が所狭しと。
孫の日(まごのひ)は、10月第3日曜日の記念日である。1999年に記念日に制定された。
よって今年は10月20日。



『吉田城 大手門跡』碑。



「吉田城の大手門は、はじめ東側の飽海口にあったが、天正18年(1590)池田輝政が
吉田城を拡張したとき、この地に移したといわれる。
江戸時代には、重層で鯱を備えた堂々たる楼門があったが、明治初年い取り壊されてしまった。」



国道1号線の向こう側正面に『豊橋市公会堂』が。



豊橋市公会堂は、ロマネスク様式で正面両側のドーム頂上までの高さは、16mもあり
市内の鉄筋コンクリート造りの近代的建築物の発祥ともいわれています。
また、風格のある雄姿、意匠など建築界においても高く評価されていると。



国道1号線を東に戻って行くと左手に『豊橋警察署』。



国道1号線を渡り、『豊橋 神明社』を訪ねた。



『豊橋神明社の鬼祭り』。
豊橋神明社の鬼祭は、八町通の安久美神戸(あくみかんべ)神社で行われる。
祭日は旧正月13・14日であったが、後に新暦の2月14・15日となり、現在では2月10・11日に
行われている。この祭りには東三河平野部で唯一、田楽が奉納されている。
主要な神事は本祭当日の午後から行われる。「五十鈴神楽」、「御的の神事」、
「赤鬼と天狗のからかい」、「天狗切祓」「司天師(してんじ)田楽」「ボンテンザラ」
「司天師神楽」、「神幸神楽」、「御玉引年占」「御神幸」と続き、すべての行事が終わるのは
午後11時頃である。
ことに、2時頃から行われる「赤鬼と天狗のからかい」が最も盛り上がり、戦いに負けた赤鬼が
境内を出て、町内を駆け回り、袋から米の粉に混ざったタンキリ飴をつかみ出し、観衆に
向かってまき散らす。この粉に混じった飴は厄除けになるといわれ、観衆も頭から粉を被り、
あたり一面が真っ白になる。



赤鬼像。



二の鳥居。
正式名称は安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)。



『由緒』。



『拝殿』。
天慶 2 年( 939 年) 11 月、関東において平将門が乱を起こした。
京の朝廷は、参議の大伴保平を勅使として東海の伊勢神宮へ派遣し、関東平定を祈願した。
この霊験のおかげか、翌年 2 月関東の承平天慶の乱は直ちに平定することができた。
天慶 3 年( 940 年)、関東鎮圧を喜んだ時の帝の朱雀天皇は三河国渥美郡北端である豊川左岸の
安久美(飽海)荘(豊橋市中心部)を伊勢神宮へ寄進した。
そのため、この地は安久美神戸(あくみかんべ)という名の神領地(神戸)となる。
その時に伊勢神宮祭主大中臣頼基の庶流・大中臣基守が磯部氏、川野氏、清水氏らを率いて
伊勢国より来たり、この新神戸(しんかんべ)の屋代(やしろ)として創建されたのが当社である



『拝殿』内部。
安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)
豊橋市八町通3-17(市電豊橋公園前から徒歩2分)
祭神:天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
神徳:無病息災、豊作
由緒によれば、
第61代朱雀天皇(在位930〜946)が平将門の乱の鎮定の報賽(ほうさい)として
伊勢神宮に寄進された神領地に創立された古社で安久美神戸の総社です。



こちらにも赤鬼像が。



『豊橋鬼祭の由来』
「このお祭りは日本建国神話の田楽の舞で豊年と厄除けの祭として約千年前から毎年行われた
尊い神事であります。
暴ぶる神の赤鬼が悪戯(いたずら)をするので武神天狗が懲らしめようと神の前で秘術を尽くし
戦い最後に和解して赤鬼が罪の償いに厄除けのタンキリ飴を撒きながら嵐のごとく
境外へ飛び去ります。この飴を食べると厄除けとなり健康になると古来伝えられます。
そこで国内が平和に治まったことを喜んで武神をはじめ神々が種々の神楽を舞う古式の田楽を
そのまま伝承すしております。」



秋祭限定の『八幡神社』ご朱印が10月14日に頂けると。



『猿田彦社』祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)。


左手の境内社。
『外宮社、伊雑社、高宮社』三社合祀。
それぞれの祭神は
外宮社 – 豊受比売神(とようけひめのかみ)
高宮社 – 伊吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
伊雑社 – 玉柱屋比売命(たまばしらやひめのかみ)、 伊佐波止美命(いざはとみのみこと)



右手の境内社の『護国神社』。
国家・公共に尽くしたる人々の神霊
例祭日は毎年4月29日。



こちらも右手の境内社。



『三峯社、稲荷社』二社合祀。
それぞれの祭神は

三峯社 – 伊佐那岐命(いざなぎのみこと)、伊佐那美命(いざなみのみこと) 




鬼祭りの 顔ハメ看板。



『安久美神戸神明社本殿始め5棟』
以下の5棟が国の登録有形文化財に登録されている。
  • 本殿
  • 幣殿及び拝殿
  • 神楽殿
  • 神庫
  • 手水舎






徳川家康公は天文23(1554)年、十三歳の時に当社に参詣され、社頭の松の根元に
腰を掛けて鬼祭をご覧になったという記録が残っております。慶長8(1603)年、
征夷大将軍に任ぜられたのちには、京都伏見城に宮司を呼んで鬼祭の思い出をお話しになり、
神領・太刀・盃をご寄進されました。こうした由縁から、家康公が腰を掛けて
鬼祭を御覧になった松を「東照宮御腰掛松」と呼称し、江戸時代より丁重に扱ってまいりました。



『祭具庫』。



秋祭のポスター。



『社務所』。



御朱印を頂きました。



安久美神戸神明社を後にし、『豊橋市公会堂』横を通る。
二羽の鷲(わし)の像。建設当時からあった像。







『豊橋公園案内図』。



『吉田城案内図』



近づいて。



『江戸時代の吉田城と城下町』。
 吉田城の歴史は、永正2年(1505)、牧野古白により今橋城が築かれたことに始まります。

改められました。永禄7年(1564)には松平(徳川)家康が吉田城を攻略し、城主に
酒井忠次を置きました。 天正18年(1590)、家康の関東移封によって池田輝政が15万2千石で
入城し、城地の拡張や城下町の整備を行いましたが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後姫路に
所替えになりました。 江戸時代には東海道の要衝として譜代大名が在城しましたが、
財政的要因のため完全に整備されないまま明治を迎えました。



明治初年の本丸付近の写真。



『歩兵第十八聯隊』。
「歩兵第十八聯隊は、明治17年(1884)6月に名古屋で新設され、吉田城址に兵舎の建設が
すすめられ、明治18年(1885)4月には大半が出来上がり、20年までには移転が完了しました。
現在の豊橋公園、豊城中学校、豊橋市役所(吉田城址)あたりがその場所になります。
戦後施設の多くは取り壊されましたが、戦後には残った兵舎を使い豊橋市役所が開設されました。
現在でも豊橋公園の中には、門や哨舎、弾薬庫、灰捨場、碑などが残され、往時を偲ぶことが
できます。」



『此処に歩兵百十八聯隊ありき』。
歩兵第118聯隊は出征して不在となった歩兵第18聯隊営舎に編成された部隊です。
昭和16年に編成され昭和19年にサイパンへ守備のため派遣されました。
その際輸送船が撃沈されて主力を失い、残った将兵は歩兵第135聯隊、第136聯隊とともに
突撃し玉砕されています。



中村道太翁碑 』。



説明碑。
中村道太(1836年 - 1921年)は、三河吉田藩出身の財界人。上京して福澤諭吉の弟子となり、
のちに第八国立銀行や横浜正金銀行、明治生命保険を創業した。明治11年(1878年)に
初代の渥美郡長になる。



裏側。



『冨田良穂歌碑』。
富田良穂(1848年 - 1925年)は、三河吉田藩出身の歌人、弥彦神社(新潟県)神官、
愛知県会議員、豊橋町助役、豊橋市収入役。
歌碑には、「三河なる二葉の松の生立てる今はときはの色にいづらむ」を刻む。



この碑は??




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.01 14:47:46
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