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アントンもブラン城へ合流したが、一家は赤軍の監視下に置かれた。それでも、イレアナは
城外のブラン村で病院を建設し看護婦として働いた。
ルーマニア王制が崩壊し、共産主義国家が樹立されると、王家もイレアナ一家も国を追われた。
イレアナらはスイス、アルゼンチンへと移り住み、最終的にはアメリカ・マサチューセッツ州に
居をかまえた。彼女はルーマニア正教会で働きながら、共産主義政権の不当性を訴え
2冊の本を執筆するなど活動した。この間の1954年、イレアナはアントンと離婚。
亡命ルーマニア人のシュテファン・ニコラエ・イサレスクと再婚するが1965年に離婚し、
イレアナはフランスでビュシーの生神女庇護修道院に入った。
修道女アレクサンドラとなったイレアナは、ペンシルベニア州に修道院を建てるため再び渡米。1981年に引退するまで活動した。
1990年にようやく、娘に伴われて故国ルーマニアを訪問した。
ルーマニアの国章。
鷲が抱えている盾は赤と青の五分割のものである。上部に2つ、下部に3つの枠がある。
上部左には、青地に頭上に日月を戴いて十字架を咥え、赤い嘴と脚を持つ翼を広げた金の鷲が
描かれている。これはワラキアの紋章である。
上部右には、赤地に角の間に金の五角星を戴いた黒い牛の頭が描かれている。
これはモルダビアの紋章である。
下部左には赤地に金(黄)で銀の剣を掴んだ獅子と橋が描かれている。
獅子と橋はバナトおよびオルテニアの紋章である。
下部中央には、青地に2匹の金の魚が描かれている。これは黒海沿岸のドブロジャを
象徴している。
下部右には、青地に黒い鷲が描かれている。これはトランシルヴァニアと、同地方に属する
クリシャナ(現在のアラド県やビホル県にまたがる地方)およびマラムレシュ
(現在のマラムレシュ県を含む地方)を象徴していると。
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