JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.01.09
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次


なお、この日が日本橋をスタートし延べ日数23日目の旧東海道歩きであると旅友から。
6:30過ぎに宿泊したホテルをスタート。



ホテル前の老舗「備前屋」。
「あわ雪」で知られる三河の菓子舗・備前屋は、天明2年(1782)に初代が岡崎宿伝馬町に
菓子屋を始めたのが始まり。以来、この地で菓子舗を営み、社長の中野敏雄氏で八代目となる。
店主は代々「藤右衛門」と名乗って来たと。



この日の最初に伝馬通りの奥にあった『日蓮宗 円頓寺』を訪ねた。
岡崎市久右ェ門町にある日蓮宗の寺院。山号は清信山。
正保2年(1645年)岡崎藩主水野忠善が母のために創建した。
母は三浦為春の長女(お万の方の姪)で日境(身延27世)の義母であるという。
その後、 岡崎藩主本多政朝が正室の浄光院のために建立した成就寺を合併したと。



参道を少し入りズームで。
正面に見事な『鐘楼門』。

「日蓮宗 円頓寺 岡崎」の画像検索結果

再び伝馬交差点まで戻る。
この場所に『東海道岡崎宿 東本陣服部家跡』があったとgoogle mapには
あるが、その案内は??



そして伝馬通り、西康生通りを歩き、昨夕に夕焼けを楽しんだ岡崎公園前交差点の
歩道橋より『岡崎城大手門』を見る。



『岡崎城 東隅櫓』が左手に。



歩道橋を降りて、『岡崎城大手門』を正面から。



ここにも『東海道二十七曲り 岡崎宿』案内の石碑が。
下には『東海道分間延絵図』も。『従是西岡崎宿』の石碑も。



『岡崎城大手門』を斜めから。



岡崎城の周りに「純情きらり手形の道」のプレートが点在している。
2006年、ここ岡崎を舞台にしたNHK連続テレビ小説の作品。
ヒロイン・有森桜子(さくらこ)を演じたのは宮崎あおい。
手形設置場所を地図の  ​​☆​​ 印表示。 ​​



そして母・有森マサ役そして語りも兼ねた「竹下景子」の手形が石柱の上にあった。



『岡崎城大手門』をくぐる。



岡崎城の電話ボックスも城仕様。



十三重石塔。



岡崎公園案内図。



『岡崎城二の丸御殿の井戸』。



「岡崎城二の丸御殿の井戸
この井戸は江戸時代の石組井戸で、平成十九年度の発掘調査で発見されました。
岡崎城二の丸御殿(現在の家康館からこの井戸付近までの位置に建っていました。)に
伴うものと推定されます。
二の丸御殿の絵図には、建物の北東側に二基の井戸が表示されており、
そのどちらかと考えられます。」



井戸の内部。



『三河武士のやかた家康館』。
家康公の出生から天下統一までと、それを支えた三河武士達を、常設展で5つのコーナーに
分けて解説。
特別展示室と1階展示室では季節に応じた企画展を開催。
また館内には甲冑の試着体験や刀や兜の重さを体験できるコーナーもあるのだと。



『からくり時計』の時間は7:16。
「この時計塔は、徳川家康公のふるさと岡﨑にふさわしい和風のからくり時計で、
定刻になりますと、家康公のからくり人形が現われて、照明と音響の演出で能を舞います。」
との案内板が下に。



徳川家康の『しかみ像』。



「しかみ像
世に云うしかみ像「徳川家康三方ヶ原戦役画像」は、浜松の三方ヶ原で武田の大軍に無理な
戦いを挑み、負け戦となって多くの家臣を失った家康が、自戒の念を忘れることのないように
描かせたものと伝えられ、顔をしかめて苦渋の表情をあらわした珍しい肖像画です。
このしかみ像は、かの画像を基にして製作された石像です。
元亀3年(1572)10月3日、2万7千の大軍を率いて甲府を出発した壮年武田信玄は、
遠江に侵入すると徳川方の城を次々に落とし、12月には家康の居城である浜松城に迫りながら
攻撃を行わず三方ケ原に青年家康を誘い出し大敗させ、家康最大の危機としました。
命からがら城に逃げ帰った家康は、将としての冷静さを失った自分を大いに反省したので
あります。自戒の像である「しかみ像」は、やがて戦乱の世を統一し、世界に冠たる
平和国家を創り上げる礎になったと云われます。」

写真: 岡崎公園:徳川家康「しかみ像」 - 2

『岡崎城 二の丸能楽堂』の入口門。



入口門をズームで。



『本多平八郎忠勝公像』。
本多忠勝は徳川四天王のひとりで、豊臣秀吉に「家康に過ぎたるもの」「天下無双の勇士」と
称賛された武将。
この像は鹿角兜と甲冑で身を固め、名槍蜻蛉切を携えているのだと。



公園内の円形花壇。



『徳川家康公銅像』。



お顔をズームで。



「徳川家康公銅像
天文11年12月26日(西暦1542年)岡崎公園内二の丸(現在の能楽堂)で生まれた。
幼少の頃人質として苦難の道を歩き、自立した後は全国統一をめざし、転戦を続け、
慶長5年(1600年)天下分目の関ケ原の合戦に大勝して、天下をおさめるにいたった。
以後持ち前の才能を生かし、全国統一の念願をかなえるとともに、徳川幕政300年の
基盤をも作り、元和2年4月17日(西暦1616年)75才でこの世を去った。
この銅像は昭和40年家康公350年祭を記念して建てたものである。」



『松平元康の像』。



この元康像は1992年に開催された、「家康公生誕450年祭」の一環として、450年祭実行委員会が
市内外から寄付を募って設置し、岡崎市へ寄贈したものです。
若き元康(徳川家康)の騎馬像は城を背にし、大権現として再生する日光東照宮の方角を
向いています。
背景の石垣と滝は治世を象徴し、元康が胸に秘めた国盗りの夢が、生誕の地、岡崎の土中から
盛り上がる様を表しています。



巨大な『公園』碑。



『小瀧喜七郎(おだききしちろう)翁像』
碧海郡書記の後、岡崎町書記、助役を経て、4代目岡崎市長になった人物。



『縣社 龍城神社(たつきじんじゃ)』石碑とその先には今はなき本丸御門を支える石垣が。
ここが本丸入口、絵図だと本丸御門がここにあったのだ。



『天下人家康公 出世ベンチ』。



「天下人家康公 出世ベンチ
徳川家康公はここ岡崎で生まれ、幾多の困難を乗り越え、天下統一を果たしました。
このベンチは「石都岡崎」と呼ばれる岡崎の優秀な石職人の技術と、地元産の良質な御影石を
使い、造り上げられています。
家康公とこのベンチに座り、天下人を生んだ岡崎の魂を感じて下さい。」



『岡崎城 天守』を見上げる。



八千代本店は、岡崎公園内にある創業120年を超える、和食の老舗。
地元名産八丁味噌と備長炭を使用し、八千代本店の伝承技術で焼き上げた
名代「木の芽田楽」は、ここでしか味わうことができない繊細で秀逸な一品であると。



『清海堀と石垣』を見ながら天守へと進む。



歴史的にも価値の高い、岡崎城天守閣の北側にある空堀。
創築者西郷頼嗣(清海入道)の名から清海堀と呼ばれています。本丸北防衛のために設けられた。



「清海堀(せいかいぼり)
本丸北側に位置し、本丸と持仏堂曲輪(じぶつどうくるわ)を隔てる堀です。
岡崎城の最初の築城者である西郷頼嗣の法名「清海入道」にちなみ付けられました。

城内でも古い時代に構築されたと考えられる曲線的な堀です。
本丸側は急斜面の土塁のままですが、対面側は後の改修により石垣が築かれたもので、
築城の変遷がみられます。




右手の石垣の下に石碑が。
刻まれている文字は「木?????・・・」。

​​ ​​ ​​

『木のもとに汁も膾(なます)も佐久良哉(さくらかな) 芭蕉』。
元禄三年三月二日伊賀の小川麦亭において風麦、土芳たちと歌仙を開いた時の​
八吟四十句の発句である。」



芭蕉歌碑を振り返る。




                              ・・・ もどる ​・・・

                  ・・・ つづく ​・・・






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Last updated  2020.05.01 15:39:58
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