JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.01.21
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

この日は2019年11月22日、『旧東海道を歩く』の『豊明駅~四日市宿』を歩くために
起点となる東岡崎まで旅友Sさんの愛車で向かう。
途中、以前に立ち寄れなかった静岡県湖西市鷲津にある『本興寺(ほんこうじ)』を
訪ねたのであった。
雨の中、茅ヶ崎からひたすら一般道を走り、本興寺駐車場に到着し散策を開始。時間は12:52。



本興寺は、法華宗陣門流の東海別院。山号は常霊山(法華経自我偈の一句「常在霊鷲山」にちなむ)。
院号は大悲院。本尊は三宝尊。塔頭が四院ある(長勝院、光明院、玉葉院、東光院)。
永徳3年(1383)日乗上人の開山で、今川氏の帰依や徳川家康からの朱印地拝領により、
十万石の格式を誇った。老杉の茂る広い境内に10余の堂宇が残り盛時の面影を伝えている。
天文21年(1552)修復の本堂は単層寄棟造、和・唐・天竺の三様を巧みに取り入れた折衷様式の
端正な建築物で重要文化財(国指定)になっている。

『山門』。



山門の扁額は『常霊山』と。



『山門(惣門)


吉田城より移築したもので、高麗門と言われる形式の門です。
改築される前は、上端が薄く下瑞が厚い板を段状に葺いた段葺き技法の特徴を備えた
風格のある門でたが、移築時に柿葺きに改修されました。
その後、亨保十年(一七二五)に硯在の本瓦葺きに改修されました。
なお、創建時の段葺き屋根の特徴は、現在も瓦葺きの下に保存されています。」



『寺名標』には「南無妙法蓮華経 法華宗別院 本興寺」と。



『門祖日陣尊聖人 東海巡化御聖跡 鷲津弘通所(わしずぐづうしょ)之處』と刻まれた石碑。



「聖跡 「鷲津弘通所
「当法華宗陣門流の祖、南無日陣尊聖人東海巡化の卸聖跡「鷲津弘通所(ぐづうしょ)」とは
室町時代すなわち永徳三年(北朝)弘和三年(南朝)[西暦一三八三年]この地を巡教され、
法華宗に改修された聖跡である。門祖聖人の御消息の中に布教の重要拠点として「鷲津弘通所」と命名されたところ。この度、門祖第六百御遠忌に当りその記念としてここに顕彰する石碑である。」
「弘通」とは、仏教が広く世に行われること、また仏教を普及させること であると。



『本興寺 境内地図』。
境内26,000坪の広さがあるのだと。



塔頭の『東光院』の『山門』とその手前のモミジの紅葉。



『脇門』には『東光院』そしてその参道が。



巨石には『日陣聖人・・・』と刻まれていた。
日陣聖人は法華宗陣門流の開祖。



塔頭『東光院』。



『東光院』から同じく塔頭の『光明院』を見る。



『本興寺』の『参道』を進んで行く。
『参道』の両側には更に塔頭の『玉葉院』、『長勝院』があった。



「参道
浜名湖辺から正面の本堂に向かう全長三百メートルに及ぶ参道には、山門に続き
四坊の塔頭寺院が両側に配され(江戸末期には八坊)、本堂手前右側に方丈があります。
文化十四年(一八一七)二十九世日壇の代に山門から本堂にかけて石垣普請が行われ、
天保九年(一八三八)三十一世日融の代に再整備されました。
平成の大修理事業の一環として、平成二十八年に幅員六メートル、全長百四十メートルにわたり
完全舗装整備を行いました。」



『光明院』の『山門』。



『光明院』の『本堂』。



『本堂』内部。



『玉葉院』の『山門』。



『玉葉院』の『本堂』。



『玉葉院』の『本堂』の前庭。



更に紅葉の始まった『本興寺』参道を進む。



『長勝院』の『山門』。



『朱雀石』と書かれた石柱が。
赤碧玉(せきへきぎょく、レッドジャスパー、に似ているが、
赤鉄鉱を含んでいる為に赤色をしているのであろう。



『長勝院』の『本堂』。



立派な藤の大樹と藤棚。



更に紅葉を楽しみながら『本興寺』参道を。



そして右手に『本興寺』の『山門』が現れた。



「大書院
大書院は、二十九世日壇の代の文政十年(一八二七)、上段・下段の間取りを持つ
公式対面の場所として建立されました。
完成の記念として上段の間には、壁面七面、襖四本の両面の計十五面に、谷文晁によって
「紙本水墨四季山水障壁画」が描かれ、このことから当寺は「文晁寺」とも言われてぃます。
また、下段の間には岸良の「双竜争珠の図」や杉戸絵が描かれています。」



「奥書院
もと三河国吉田城内にあった建物で、延宝二年(一六七四)十六世日穏の代、山門とともに
当山に寄進されたものです。
構造は、木遣平屋建てで、桁行八間・梁間五間の寄棟造りの茅葺きの縁側をつけた
住宅風書院建築です。
創建当初からのものではありませんが、使用されている材料や技法は江戸時代初期の建物様式を
遺す建物です。
平成二十四年度から二十五年度に行なわれた保存修理工事に伴い、本茅葺きから茅葺き型
鋼板葺きに変更されました。」



『本興寺 山門』を正面から。



「遠州流庭園
裏山の自然林を借景に大書院と奥書院に面して配置された庭園で当地方の作庭に大きな影響を
残した小堀遠江守政一が関わったといわえています。
広さは約三百坪に及び、『池中に鶴島、亀島の二島を浮かべ、山畔には枯滝口が築かれ
庭園の起源は不明ですが、永禄六年(一五六三)五月の今川氏真判物に「寺中園林」とあることから、古くから池泉があったことが想像されます。
「水の音ただにひとっぞきとえける そのほかにはなにも申すことなし。」<



『紙本水墨四季山水障壁画』。
「大書院上段の間には、壁画七面、襖四本の両面の計15面に、谷文晁によって描かれた
四季の山水画があります。
文晁は江戸時代後期の画家で、四条派、土佐派、洋風画からも影響を受け、さまざまな様式の
作品を残しています。また、田原の渡辺崋山ら門人たちとの人脈の広さは、当時の絵師の中でも
際立つものがありました。
所蔵の絵は、文政10年(1827)29世日壇の代、大書院を建築した際に文晁に依頼
して製作してもらったものです。」



『本興寺』の『方丈』入口。
禅宗寺院で長老や住持の居室または客間をいう。



方丈(寺務所)で受付をすると、奥書院、大書院、客殿等の内覧が出来た。
『大衝立』と『山水画』。
最初に目を惹くのが「大衝立・阿房宮之図」暁堂筆、阿房宮は秦の始皇帝が
即位35年(前212)一万人を入れる客殿を造営したところという説明がされ
ていた。



様々な『古文書』類。



『山門改修資料』。



『本興寺庭園』の光景を楽しむ。



『本興寺』は南北朝時代に創建された古寺で、書院には小堀遠州により桃山末期〜江戸時代初期に
作庭されたと伝わる遠州流庭園が残ります。遠江国に残る“遠州三名園”の一つ。
小堀遠州の作庭と言われる奥書院・大書院に面した蓬莱式の池泉鑑賞式庭園の池泉は、
戦国時代の最中に記録された今川氏真の判物(書物?)にも“寺中園林”とその存在を
記されていたと。



『奥書院』。



『御朱印籠』。



『奥書院』には徳川家康公以来歴代の位牌が祀られていた。
『徳川家歴代将軍御霊屋』について。



『徳川家御霊屋』
『徳川将軍歴代譜』には院号、没年月日、墓地の場所も記載されていた。



『仏殿』。



最下段の両脇には当山の護持に功績があった家康の側室西ノ郡局、小田原城主
大久保忠世及び鵜殿休庵の位牌が祀られていた。



家康の花押入の文書・判物であろうか。



『徳川家御霊屋』
「家康公以来十四代家茂公迄徳川歴代の御位牌が安置されています。十五代の慶喜公は在職
三ヶ月で大政を朝廷に奉還しましたのでここには祀られていません。
黨山は徳川幕府より拾萬石の寺格と御朱印を受けておりました。」




                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.01 15:45:36
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