JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

×

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

箱根一泊旅行 (その4… New! オジン0523さん

2026年5月 京都府立… New! 隠居人はせじぃさん

【椿 名前が分からぬ… Gママさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん
noahnoah研究所 noahnoahnoahさん

Comments

オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

Calendar

2020.12.12
XML
カテゴリ: 国内旅行
そして「仁王門」を潜ると左手にあったのが「奥沢城跡」碑。
奥沢城は、吉良氏によって築かれたと言われる平城。世田谷城の出城として用いられた。
昭和62年(1987年)12月18日に世田谷区の区指定史跡に指定されている。

天正18年(1590年)、小田原征伐の後廃城となった。
延宝6年(1678年)、珂碩により九品仏浄真寺が開かれた。
周囲の平野部に南の台地から北方に突き出た舌状台地上に占地し、台地上の九品仏浄真寺境内に
方形の郭跡が認められる。九品仏駅前から台地東麓に掛けて城郭由来の地名が残ることから、
城域は九品仏駅付近から台地端まで拡がっていたものと考えられる。



そしてその奥に「鐘楼堂」。



流麗な建築手法を示す鐘楼は関東でも誉れ高く、宝永五年(1708)の建立。



鐘にも様々な絵が彫り込まれていた。



楼の四周に刻まれた十ニ支は見事な彫刻。



「鐘楼
仁王門とは対照的に、流麗な建築手法を示す鐘楼は関東でも名桜の誉れ高く、
宝永5年(1708年)の建立である。梵鏝は文化財に指定されており、今に残る深沢の名家谷岡氏の
御先祖がニ親菩提のために鋳造され(宝永5年)当山に寄進されたものである。また楼の四周に
刻まれた十ニ支は作者不詳であるが、名作として特に有名である。毎年大晦日より元旦にかけて、
除夜の鐘に遠近の参拝者でにぎわっている。」



「本堂(龍護殿」を横から見る。



境内にある東京都天然記念物に指定されている古木の大イチョウ(幹周4.4m、樹高17.9m)は
既にほぼ葉を落としていた。



幹の下の様子。



イチョウの枯れ葉の絨毯。



そしてこれは数年前に訪ねた時のイチョウ周辺の姿の写真を数枚。









現在の反対側のイチョウはまだ葉を付けて頑張っていた。



そして左側にある「下品堂」に向って進む。



「九品仏と三仏堂
珂碩 上人( 1617~94年)は、念仏行者として一代 の高僧であるとともに、また非常に彫刻に
秀でられ、その彫刻された仏像も多数におよんだ。なかでも 18歳で発願、51歳のとき完成した
九體 の阿弥陀如来像(九品仏)は上人○生の結晶といわれる代表作で、末代衆生化益(けやく)
の尊い御仏像である。
九體とも文化財の指定をうけ、上品(じょうぼん)堂、中品(ちゅうぼん)堂、下品(げぼん)
堂の三つのお堂(三仏堂)にそれぞれ三體ずつ安置してある。
上品堂のうち、中央を上品上生仏、右を上品中生仏、左を上品下生仏とする。中品堂、下品堂と
同様で、したがって阿弥陀さまには、上品上生から下品下生まで九つの名あり、それぞれ手の位置
および印契が異なっている。なにゆえに阿弥陀さまに九品の差別があるのか、一つには私たちの
浄土教入信の過程・段階を、二つには念仏によって浄化される私たちの心の様態を示し、三つには
往生人たるわれわれの機根を分類したのであって、私たちが念仏信仰に入るときの動機から段々
念仏によって身とロと意の三つが浄化されてゆき「生けらば念仏の功つもり死なば浄土にまいり
なんとてもかくてもこの身には、思い患うことぞなき」という念死念仏の心境に至る道程を
示したものということができる。
京都府下の浄瑠璃寺(九躰寺)ともにわが国における東西の九品仏像の双望である。」



「下品堂」の中央の扁額は「下品上生」。



浄真寺の九品仏は、九品を手の位置と印(指の形)で表します。
九品仏は坐像で、像高は、すべて2.8m(所謂丈六)。
徳によるすべての階位を、その姿は様々だが、一様に浄土に導いて戴けると。
ここで大事なのは、九体すべてが同じ大きさだということ。
どのような階位の人でも、等しく極楽に到達することができるのだと。
以前訪ねた時の「下品堂」の三仏。



阿弥陀如来の九品来迎印。
阿弥陀如来が西方極楽浄土から臨終の人を迎えに来るのに、人の段階によって印が異なるとされ、
上品上生(じょうぼんじょうしょう)から下品下生(げぼんげしょう)までの九つの印がある。
​下記はネットから。


人差指​ 中指  ​ 薬指

中央の人差し指を曲げた中央の「下品上生」仏。



「下品上生」仏のお顔。



向かって右側には中指を曲げた「下品中生」仏。(以前の写真)



「下品中生」仏のお顔(以前の写真)。



しかしこの日の「下品中生」仏はお色直しで留守中であった。



向かって左側には薬指を曲げた「下品下生」仏。



「下品下生」仏のお顔。



「下品堂」から「上品堂」を見る。



「上品堂」の真ん中の扁額はもちろん「上品上生」。



「本堂(龍護殿)」を見る。



「上品堂」を正面から。



中央の扁額「上品上生」を再び。



「来迎会(おめんかぶり)
当山には、ひろく「おめんかぶり」の名で親しまれる行事がある。これは三年ごとに奉修される
阿弥陀如来二十五菩薩「来迎会」のことで、無形文化財に指定されている。
念仏行者が臨終の夕べに、阿弥陀さまが二十五の菩薩さまをしたがえて西方浄土よりご来迎に
なるという、浄土の教えを行事にしたもので、その日は三仏堂から本堂への懸橋を信者の方々が
菩薩のお面をかぶって行道(ぎょうどう)する尊くもまた厳粛な儀式である。
このおめんかぶりは、三年に一度の行事であり、5月5日の午前11時・午後4時の1日2回おつとめ
する関東においては、当山のみの行事であり、ぜひ一度御結縁あらんことをおすすめする。
なお、毎年8月16日当山の法宝物を一般公開しているのでご来観ください。」



坐禅をする時のように手をお腹の前で組んだ禅定印の阿弥陀如来像が三体安置されていた。
中央には親指-人差し指で定印を作る「上品上生」仏。



ズームでお顔を。



更に。



向かって右側には親指-中指で定印を作る「上品中生」仏。



お顔を。



向かって左側には親指-薬指で定印を作る「上品下生」仏。



お顔を。



そして「上品堂」と「中品堂」の間の奥にあったのが「阿育王塔(あしょかおうとう)」。
阿育王は、紀元前三世紀のインドの王で、仏教を国教とし、慈悲の教により国民を臨(のぞ)み、
その恩徳国内に満ちたという。日本様式の塔。天保年間(1831~45)のもの。



加藤楸邨句碑(かとうしゅうそんくひ)
俳人、国文学者。俳誌「寒雷(かんらい)」を創刊・主宰。
『しづかなる 力満ちゆき 螇蚸(はたはた)とぶ』



「はたはた」は昆虫のバッタの異称とのこと。



「中品堂」手前の紅葉。



「中品堂」前の紅葉。



そしてイチョウの「黄葉」。



「中品堂」を正面から。



「三仏堂修繕
元禄11年~12年にかけ建立されたこの三仏堂も、安政・大正の地震の災厄により甚大な損害を
うけ、そのつど補修したが、昭和58年10月7日珂碩上人の第290年忌の勝縁に際し、大修覆工事を
おこない、創建当時の偉容を再現した。
九品の阿弥陀如来像を奉祀してあるのは、九躯寺(浄瑠璃寺)と当山のみである。(都有形文化財)。



「中品堂」の三仏。



向かって右側には親指-中指で説法印を作る「中品中生」仏。



ズームで。



更に。



中央には親指-人差し指で説法印を作る「中品上生」仏。



ズームで。



「中品下生」仏。



ズームで。



「中品堂」前から境内のイチョウの樹を見上げる。



「中品堂」。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.12.12 23:23:39
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: