JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.12.18
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カテゴリ: 国内旅行
​​ 我がブログも、昨日16:20過ぎにアクセス回数が ​400万回​ を通過いたしました。
皆様の日々のアクセスに感謝申し上げます。​​



300万回通過時から延べ430日になります。
300万回通過時と同様ですが、これからも毎日の出来事を
つれづれなるままに、日くらしパソコンにむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、
そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ
の精神で、あくまでも「備忘録」を主眼として、「継続は力なり」の精神でこのブログを
書き続けて行きたいと思っています。
文章の表現力も乏しく、誤変換や、内容を理解しにくい表現箇所も多々あると思いますが、
我が儘にもあまり「読んで頂く」事を意識せず、あくまでも『自分を表現するツール』、
『自分の学びのツール』とし
日々のブログを書き続けて行きたいと思っているのです。
​​本日の我がブログへのアクセスありがとうございます。





「立待岬」からの帰路、一方通行の狭い下り坂を進み「妙心寺」近くに車を駐めて
進んで行く。
「妙心寺」の裏山にあったのが「碧血碑(へきけつひ)」。
時間も17:05を過ぎ、周囲も暗くなって来たのでカメラのピントがあいにくく。



題字は、箱館戦争当時陸軍奉行であった大鳥圭介の筆と言われているが、定かではないと。
台座約4m、高さ約4mのオベリクス型の石碑で、明治2年(1869)5月函館市内で政府軍と、
旧徳川家臣の戦いで戦死した旧徳川家臣の方々を葬った墓碑である。




「碧血碑
箱館戦争で戦死した土方歳三や中島三郎助父子をはしめ、北関東から東北各地での
旧幕府脱走軍戦死者の霊を弔っているのが、この碧血碑である。
碑石は, 7回忌にあたる明治8 ( 1875 )年、大鳥圭介や榎本武揚らの協員を得て、東京から
船で運ばれたもので、碑の題字は。戦争当時陸軍奉行であった大鳥圭介の書といわれている。
碑の台座裏に、碑建立の由来を示す16文字の漢字が刻まれているが、その表現からは.、
旧幕府脱走軍の霊を公然と弔うには支障があったことが推測される。
なお、碧血とは「義に殉して流した武人の血は3年たつと碧色になる」という、中国の故事に
よるものである。」



「旧幕府軍戦死者への鎮魂ー碧血碑」。
鳥羽伏見の戦いからはじまった戊辰戦争は、函館が最後の舞台となり、1869(明治2)年5月、

招魂社(護国神社)へ手厚くまつられているが、旧幕府脱走軍の陣没者は賊軍の汚名を
受けて弔う人もいなかった。この碑は1875(明治8)年5月の7回忌に、箱館戦争で戦死した
土方歳三や中島三郎助をはじめ、北関東から東北各地で戦死した旧幕府脱走軍約800人の霊を
弔うために、東京の碧血会により建立されたもので、伊豆産の石を使って東京霊岸島で造られ、
海路函館へ運ばれた。四角い石の祠の上に「碧血碑」と刻まれた碑が建てられている。

「碧血」とは「義に殉じて流した武士の血は3年経つと碧に変る」という中国の故事
(荘子・外篇)による。さらに、台座裏側には建立の由来を記した次のような碑文
(上記 碑文(台座裏)参照)が刻まれている。
明治辰己(しんし)実に此の事あり
石を山上に立て以てその志を表す
函館にも、函館碧血会ができ、柳川熊吉や旧会津藩の人々が中心になって、毎年慰霊祭を
行っていた。昔は毎年定まった日に催されていなかったが、近年は毎年6月25日
(千代ヶ岡の決戦の日で、千代ヶ岡陣屋の守将中島三郎助父子らが討死した旧暦の
5月16日にあたる)には碑前祭が行われている。



「碧血碑」の下にあったのが「 榎本武揚 」案内柱。



榎本武揚



宮路助三郎
宮路助三郎は、戊辰戦争時に遊撃隊に所属して小田原で奮戦し、その後は仙台・庄内へ
転戦したが、新政府軍に捕縛され江戸で投獄された。1872(明治5)年に函館へ渡り、
海運業を営んだ。「碧血碑」建立工事の責任者を東京の碧血会から託され、柳川熊吉や
大岡助右衛門らの協力のもとで石碑建立を成し遂げた。この後、1881(明治14)年に
自費で実行寺、称名寺、浄玄寺などに仮埋葬されていた旧幕府軍戦死者の遺骨を、
碧血碑へ移葬した。1886(明治19)年に上京して鉄道の軌道布設工事請負いをしたが、
翌年に病没した。」

柳川熊吉   下記」

大鳥圭介
1832(天保3)年、播磨国赤穂郡赤松村の生まれ。大阪の緒方洪庵の適塾で医学と語学を
学び、江戸の坪井塾で塾頭となり西洋学を習得、江川塾に招かれて兵学教授を勤めた。
1858(安政5)年に尼崎藩に出仕、その後1859(安政6)年に蕃書調所へ出仕した。
1861(文久元)年に御鉄砲方附蘭書兵書取調出役、開成所教授を兼務。1865(元治2)年に
陸軍所へ出仕、富士見御宝蔵番格を歴任し、1867(慶応3)年に伝習隊創設に参加、
歩兵隊長となった。戊辰戦争では、旧幕府陸軍伝習隊を率いて北関東・会津を転戦し、
仙台で榎本武揚率いる旧幕府海軍と合流して蝦夷地へ渡った。1868(明治元)年
12月3日(旧10月20日)に蝦夷地上陸後、大鳥圭介隊は大野・七重の戦闘に勝利し、
箱館に進攻して12月9日(旧10月26日)に五稜郭を占拠した。蝦夷地平定後に仮政権の
陸軍奉行に就任し、五稜郭の軍事的強化の指揮にあたった。翌年6月20日(旧5月11日)の
新政府軍箱館総攻撃時に、七重浜での戦闘を指揮するも敗北し、五稜郭で降伏した。
東京で投獄、1872(明治5)年に釈放され北海道開拓使に出仕後、工部大学校校長、
元老院議官、学習院院長兼華族女学校校長、駐清国特命全権公使、枢密顧問官などを歴任した。
1911(明治44)年に78歳で没した。」



「柳川熊吉

商売として生活。箱館戦争終結後に旧幕府軍戦死者の遺体が函館市内に放置された惨状に
堪えられずに、大工棟梁の大岡助右衛門や実行寺住職らと遺体の回収に尽力し、実行寺・称名寺・
浄玄寺に仮埋葬した。その接。碧血碑建立の発起人の一人として工事に協力し、碧血碑の管理人を
務めたが、1913(大正2)年に死去した。享年89歳。」



その奥にあったのが「柳川熊吉翁之寿碑」。



碑文の表には、下記のごとく刻まれていると。
柳川翁之壽碑
前逓信大臣正三位勲一等 伯爵林 董篆額
翁名熊吉姓野村後有故改柳川江戸人少属侠
客新門辰五郎夙有名始来北海為函館奉行堀
織部正所知侠名愈顕戊辰之役東軍来據函館
也受巨師榎本武揚君之親信蓋曩榎本君年十
六七以在奉行織部君之家之時有面識故也後
東軍之敗于五稜郭也遺骸横野而無復顧也者
翁深惻之與當山十六世日隆師相謀収葬之於
谷地頭之西丘而歳時祀焉後有志者建石題曰
碧血碑翁今茲齢八十八猶矍鑠因欲傳翁之義
擧于不朽今記其梗概建諸血碑之傍云
大正二年癸丑六月
日蓮宗一乗山實行寺十九世 權僧正望月日謙誌
羽陰 龍湖        石川重友書
石工 吉田辰己刻

碑文の訓読は、
「前逓信大臣・正三位・勲一等・伯爵林董篆額す。翁の名は熊吉、姓は野村にして、
後に故有りて柳川と改む。江戸の人なり。少(わか)くして侠客の新門辰五郎に属し、
夙(つと)に名有り。始めて北海に来るや、函館奉行堀織部正の知る所と為り、
侠名愈(いよ)いよ顕われり。戊辰之役、東軍の来りて函館に拠(よ)るや、
巨帥榎本武揚君の親信を受く。蓋(けだ)し曩(さき)に榎本君年十六、七、
奉行織部君の家に在りし時、面識有るを以ての故なり。後東軍の五稜郭に敗るるや、
遺骸野に横たわり、復之を顧る者無し。翁深く之を惻(いた)み、当山十六世日隆師と
相謀り、収めて之れを谷地頭の西丘に葬り、而して歳時焉(これ)を祀(まつ)れり。
後に有志の者、石を建て題して碧血碑と曰う。翁は今茲(ことし)齢八十八、
猶矍鑠(かくしゃく)たり。因りて翁の義挙を不朽に伝えんと欲し、今其の梗概(こうがい)を
記し、諸(これ)を血碑の傍らに建つと云う。」とネットから。



「柳川熊吉翁の碑
柳川熊吉は、安政3(1856)に江戸から来て請負業を営み、五稜郭築造工事の際には、
労働者の供拾に貢献した。
明冶2(1869)年、箱館戦争が終結すると、敗れた旧幕府脱走軍の遺体は、「賊軍の慰霊を行っては
ならない」との命令で、市中に放置されたままであった。新政府軍のこの処置に義憤を感じた
熊吉は、実行寺の僧と一緒に遺体を集め同寺に葬ったが、その意気に感じた新政府軍の田島圭蔵の
計らいで、熊吉は断罪を免れた。
明治4年、熊吉は函館山山腹に土地を購入して遺体を改葬し、同8年、旧幕府脱走軍の戦死者を
慰霊する「碧血碑」を建てた。大正2(1913)年、熊吉88歳の米寿に際し、有志らはその義挙を
伝えるため、ここに寿碑を建てた。」



案内板の傍にあった墓石ですが、これも函館戦争に因んだものであろうか?



そしてこの日も、コロナのことを考え、スーパーで食料を調達してホテルの部屋での宴を。














                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・
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Last updated  2020.12.18 09:01:44
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