JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.01.14
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カテゴリ: JINさんの農園
先週、東海道線・二宮駅の近くにある「吾妻山」に菜の花、夕焼けを愛でに、
我が車でそしてマスク着用にて訪ねました。
「横浜地方法務局 西湘二宮支局」の有料駐車場(500円)に車を駐め徒歩にて吾妻山に向かう。
二宮町観光協会発行の「吾妻山 菜の花ウォッチング」のポスター。
2021年1月9日(土)~2月7日(土)で開催予定の「吾妻山菜の花ウォッチング」は、
イベントを縮小して開催予定のようであった。

バノラマで見える丹沢、箱根の山々、相模湾、伊豆半島、そしてお天気に恵まれると美しく
真っ白な富士山が目の前に広がリます。新春のこの時期に、黄色、水色、白と心に残る美しい
景色をぜひこ覧くたさい。期間中は、レシートラリーや、週末を中心に、地場産品等の販売会など
のイベントを開催して、皆さまのお越しをお待ちしておリます。
JR東海道線・ニ宮駅から歩いて行くことが出来る136mの小高い山にある公園です。
山頂には、芝生の広場や展望台があリ、何といっても富士山をはしめとする山々と相穫湾など
360°見渡せる景色は絶景で、撮影ポイントとしても大変人気です。
また、子どもたちに大人気のローラー滑り台や、大型複合遊具か設置されています。
登リ道には、水仙、つつし、あじさいなどの花々や木々、山頂では、菜の花、桜、コスモスが
四季折々にご覧いただけます。また、「日本武尊」とその妻「弟橘媛命」
(おとたちばなひめのみこと)の深い愛と思いやリの心がつまった吾妻神社も参拝できます。」



JR二宮駅北口駅前にあった「二宮町観光協会&にの屋」は、町民センター1階内へ移転したと。



坂道を登って行く。



「吾妻山公園」入口(役場口)に到着。



入口横の石碑には「長寿の里 ニ宮」と。
二宮町は神奈川県の西南部に位置し、海と山、そして緑に囲まれた約9km2、
人口約27500人の小さな町。
気候は相模湾に面しているため、冬暖かく夏涼しいという特徴があり、その温暖な
気候などから元気な高齢者が多く住む「長寿の里」として知られているのだ。



「吾妻山公園鳥獣保護区区域図」案内板。
野生鳥獣の保護増殖をはかるために、一定期間増殖施設をつくって捕獲を禁止するように
指定した区域(禁猟区)。



「吾妻山公園案内図」。



「吾妻山公園利用のご案内」
開演時間は8:30~17:00とあるが・・・・。



急な石段を一歩一歩息を整えながら登って行った。



右手奥に「神奈川県二宮町民センター」の建物が見えた。



階段中央に手摺があるのが有り難いのであった。



吾妻山公園「 第2展望台」から二宮の街並み、そして相模湾を望む。



湘南海岸、「江 島」の姿が確認出来た。
藤沢市では、1966(昭和41)年10月に「江 島」に新しい住居表示を施行。
これまで「藤沢市大字江 島」だったが「藤沢市江 島」に変わったのであった。
しかし小田急線は「片瀬江 島駅」、江 島電鉄、通称・江 電では「江 島駅」そして
湘南モノレールは「湘南江 島駅」と。そして島を渡る弁天橋のたもとの標識は「江 島」、
橋の途中にある船着き場でも「江 島」の表記、更に弁天橋の真ん中に立つ石碑は
「名勝乃史蹟 江 島」、「新江 島水族館」とややっこしいのであるが・・・・。



「江 島」をズームで。



再び「吾妻山公園案内図」。



詳細図をネットから。
吾妻山への登山路は4ヶ所、役場口、梅沢口、中里口、釜野口があるようだ。



散策道にはニホンスイセン(日本水仙)が開花中。



赤い椿の花も。



正面の斜面にはツツジが一面に。



再びニホンスイセンを。
ニホンスイセンの花言葉は、「自己愛」と「うぬぼれ」と。
これらは水面を覗き込んだ自分の美しさに恋をした、ギリシャ神話に登場する美少年
ナルキッソスの話に由来していると。



ズームで。
副花冠が黄色、そして白の花片が反り返って咲く日本水仙。



八重のニホンスイセン?も。



ここで二差路に別れていたが「菜の花」の案内に従い左手に。



「薬草園」の案内板。



更に進むと右手の階段の先に「浅間神社」の石鳥居が。
学生の姿も。



「浅間神社(せんげんじんじゃ)
祭神は木花咲耶媛(このはなさくやひめ)。
ニ宮町上町地区の祭神で土地の人には、浅間さんとして親しまれ本社は富士浅間神社です。木花咲耶媛はその名のとおり、咲く花の匂うような美女で、良縁を得られたので縁びの神様
として信仰されています。
今からおよそ、八百年の昔、源頼朝が富士の巻狩りを催した時、曾我兄弟は父の仇、工藤祐経を討取りました。この時姉のニ宮の花月尼はその成功を富士浅問神社に祈りました。
その後、花月尼は大願成就に感謝の意をこめて自分の住まいのこの山上に、浅間神社を
まつったと言います。」



この写真は以前に訪ねた時の「浅間神社」の写真。



そして、園内一の人気の施設が、地形を巧みに活用した「ローラー滑り台」。
全長は102m、傾斜は約10度。 相模湾を見下ろしながら、一気に下って来るのだと。



大型複合施設「ジャンポエイトッー」。
いろいろな遊具が合体した、子どもたちに大人気の大型複合遊具。
地面にはウッドチップが敷かれていた。



そして役場口から15分弱で「吾妻山公園展望広場」の「芝生広場」に到着したのであった。
吾妻山山頂は標高136.2m。
前方に、日没前の夕日が。



そして富士山は前面に雲があるものの雄姿が確認できた。
この場所は
・関東の富士見百景 
・かながわ花の名所100選 コスモス(神奈川県観光協会) 
・かながわの美林50選 吾妻山公園の森(神奈川県)



そして大山(おおやま)。
丹沢大山(たんざわおおやま)国定公園に位置する大山は、神奈川県伊勢原市を表玄関に、
標高1252mのピラミッド型の美しい山容を誇る。
大山が別名「雨降山」(あふりやま)と呼ばれるのは、相模湾の水蒸気をたたえた風を受け、
雨が降りやすい(また上がりやすい)山容に由来し、別名「あめふりやま(雨降山)」転じて
「あふりやま(阿夫利山)」となったためであると。



吾妻山公園は360度の大パノラマ。箱根、丹沢、富士山が手に取るような近さに感じらるのだ。



夕日は左手の「下二子山」の山頂近くに沈みそうなのであった。



そしてこちらは「金時山」。
箱根火山の外輪山の最高峰。神奈川県南足柄市、箱根町、そして静岡県小山町との境にある。
外輪山の中では最も北にあり、北に足柄峠へ続く尾根を分けている。
「金時山」の南東に続く明神ヶ岳や明星ヶ岳は内側が陥没しているが、山頂はなだらか。
しかしこの「金時山」は外輪山の上にさらに側火山が、粘性の安山岩質溶岩を噴出させたため、
山頂は丸く盛り上がった険しい山容になっているのであった。



南に広がる相模湾は、晴れたこの日には大島や初島も見ることが出来たのであった。
そして左には伊豆半島、その手前には熱海沖の「初島」の姿。
「初島」の右側奥には「大室山」そして更に右側には伊豆半島最高峰の
万三郎岳(ばんざぶろうだけ 1,406m)の姿が見えた。



そして夕日が沈みかけるまでは、まずは美しい「菜の花」の姿を楽しむ。



「吾妻山公園展望台」をズームで。



満開の菜の花畑。



寒さの為にミツバチの姿はなし。



豊かな自然あふれる吾妻山公園の「早咲きの菜の花」が一足早く春の薫りを。
展望台からは周囲360度の景色が望め、青くそびえる富士と、斜面いっぱいに
広がる6万株の黄色い菜の花との見事なコントラストが毎年見事に。



この日が満開!!



菜の花と夕日のコラボ。



カメラの設定を変えて。



菜の花の先に四阿(あずまや)そしてその先に相模湾。
四阿(あずまや)の先、左手には大島の姿が。



ズームで。



榎の大木も存在感を示していた。



反対側からもズームで。



『吾妻山公園の由来』
『相模路(さがむじ)の 淘綾(よろぎ)の浜の 真砂(まなご)なす 
児らは愛(かな)しく 思はるるかも』の歌碑。(万葉集 第十四巻 東歌)
「相模の淘綾(よろぎ)の浜の美しい砂のように、あの娘が可愛く思われることです。」 
吾妻山公園の由来の碑に、この淘綾の浜の歌が刻まれていた。
「万葉の昔から、淘綾の里 二宮の美しい海浜と、それを眼下に一望できる吾妻山は
人々のふるさとでありました。 しかし、第二次世界大戦後の激動する社会情勢の中で
山は顧みられることもなく、次第に荒廃が進んでいきました。
町はこれを深く憂え、子孫に誇れる山として残したと思い、地権者65名の協力と5年の歳月を
かけて整備し、 昭和62年7月18日に吾妻山公園として開園しました。
現在では健康づくりと自然とふれあうやすらぎの場として人々に喜ばれています。
この公園は、名誉町民 第十七代柳川賢ニ町長の尽力により完成しました。」
吾妻山の名は、中腹に吾妻神社があることからこう呼ばれています。
吾妻神社の主神は弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)で日本武尊(やまとたけるのみこと)
が配祀(はいし)されています
伝承では、日本武尊が東征の途中、三浦半島の走水から海路上総に渡る際、突然海が荒れたため、
妻である弟橘媛命が 海神の怒りを静めるため、夫の武運を祈願しながら海中に身を投じると、
たちまち海は穏やかになりました。
7日後に命の櫛が海辺に流れつき、これを埋めて墓とし、又磯辺に漂う命の小袖を取り上げて
山頂に祭りました。
日本武尊は東征の帰路、この地の峠ではるか東方の海をながめ、海路を開くために犠牲になって
くれた妻を偲んで「吾妻はや」(ああ、わが妻よ)と嘆かれたと云ういうことから吾妻神社の
名がつき、小袖が漂着した海岸を袖ヶ浦と云うようになりました。
このような由来から、縁結びの御利益もあるようです。



「この碑は、公園開園五周年を記念し、柳川賢ニ顕彰会の有志の寄付により建立されました。
淘綾の海とは ゆるぎ・こゆるぎの浜ともいい、二宮を中心に国府津から大磯あたりまでの
白砂青松の海浜をいいます。」
石碑には夕焼けを背景にした富士山、箱根の山々が映り込んでいた。



桜のシーズンも美しいのであろう。



必死に菜の花を追うカメラマンの姿。
『菜の花畠(ばたけ)に 入り日溢れ
見わたす山の端(は) 暮色せまる
夕闇せまりつ 芝生を見れば
男這いずり カメラを覗く』・・・詠み人知らず・・・



ピンクのマユミの木も負けじと、夕陽を浴びて赤く輝く。




                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.01.14 08:32:11
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