JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.03.31
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この日は「中田寺」の「本堂」では法要が行われていた。



よって遠くから正面を。



扁額は「慈悲」であると、今回も高校の学友から。



「浄土宗開宗八百年記念」碑。
「法然上人 御歌
『月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ』
月影とは月の光、すなわち阿弥陀如来のお慈悲のみ光です。このみ光はあまねく一切の人々を
お照らし下さるが、その光をながめなければ、お慈悲に気づくことが出来ないのです。
阿弥陀様はすべての人々をお救い下さるが、そのお救いを願わず、喜ばず、お慈悲に背を




「佛足石」。



「本堂」前のピンクの「枝垂れ梅」。



「記念碑
宗祖法然上人開宗八百年を明後年に控え、当山檀信徒一同報恩の誠を集め、本堂を中心に着々と
整備を計り、如来のみ栄えを顕わすべく念佛を巳証の信となし、宗祖の遺徳を茲に宣場せんとす。
当中田町の戦後の発展は誠に目覚ましく、昭和二十年代頭初の百七十余戸は今日、六千余戸の
多さに達し、生活環境の変転は遂に土葬を許さざるの状勢に至れり。
この時に当たり、本堂南側に墓地を設けし者一同、当山十九世住職香川隆善師に相計り火葬への
必然性を考慮して整然たる墓地とするべく区画をととのえ、以って祖先の諸精霊の冥福を祈り
佛祖に対し報恩の微意を捧げ奉らんとす。
願わくは、宗祖 吾等の事業完遂を納受し哀愍護念し給い、吾等と吾等の子孫の上に永久に

昭和四十七壬子四月二十三日」



「地蔵尊」と「歌碑」。



「夢の世に あわれはかなき 身を知れと 教えて帰る子は 仏なり」。
和泉式部の歌に
「夢の世に あだに はかなき 身を知れと教えて帰る 子は知識なり」とあるが。







こちらは、「力士 戸田川の墓」であると。
戸田川鷲之助(とだがわしのすけ)は享保20年(1735)に中田の小山家で生まれました。
江戸角界の名門2代目玉垣の弟子として入門し、宝暦6年(1756)5月の上方番付では
戸田川鷲之助の四股名で小結、翌年の京都興行では関脇に、やがて玉垣親方となり、
角界第一人者が名乗る3代目雷(いかづち)権太夫を襲名、将軍家上覧<(じょうらん)
相撲を実現させ、相撲の黄金時代を築いた人であるとのこと。



「故近衛兵伍長 勲八等功七級 鈴木才助之墓」。



「故陸軍歩兵軍曹 勲七等功七級 小山由蔵之墓」。



「故陸軍歩兵伍長 功七級 小山順治郎碑」。



故陸軍工兵 二等卒勲八等 鈴木○吉之墓」




「大本山増上寺吉水講 中田寺支部」の木札が。
戦後の混乱期に浄土宗諸師により発足した吉水流詠唱の集いであり、吉水講の吉水とは、
法然上人が当時住した辺りを吉水の地と云うことに由来。



「中田寺」の入口左にあったのが「小山稲荷」。



扁額「小山稲荷」。



「小山稲荷」の「社殿」。
赤の涎掛けをつけた狛狐が対で。



さらにズームして。



「中田寺」駐車場隅にあった「道祖神碑」。
横浜市泉区中田北2丁目12付近。



近寄って。



そしてその先にあった石碑。



真新しい「中田学舎誕生の地」碑。
「明治六年(一八七三)七月 第十中学区鎌倉郡第二百六番小学」。



石柱側面には「無限責任中田信用組合創立の地」とある。
中田信用組合は浄土宗祖法然上人遠忌700年記念事業として創設されたようだ。



「奥津喬次郎翁頌徳碑」。
昭和36年(1961年)に浄土宗祖法然上人遠忌750年記念事業として建立され、後にここに
移設されたものであろう。
「奥津喬治郎は明治7年(1874年)生まれで、中田信用組合の創設者であり初代組合長を
勤めた。昭和22年(1947年)に74歳の生涯を終えている。奥津喬次郎翁頌徳碑は昭和36年
(1961年)にJA中田横に建てられた。信用組合の精神と奥津喬次郎翁の指導方針は受け継がれ、
戦後は農協に発展し、現在のJAに結びついている。
面白いことに、中田信用組合創立は浄土宗祖法然上人遠忌700年記念事業として、奥津喬次郎翁
頌徳碑は浄土宗祖法然上人遠忌750年記念事業として建てられていることだ。
中田寺との係わりの深さが知れる。なお、浄土宗祖法然上人遠忌800年には取り立てて
記念事業は行われなかったようだ。
明治5年(1872年)に学制が頒布され、小学校が設立されるが、それ以前の江戸中期頃から
寺子屋があった。江戸時代から明治の初期にかけて、寺子屋師匠の学恩に報い死後の菩提を
弔うために筆子と呼ばれた教え子たち筆子塚を造立した。中田寺墓地にも小山三郎兵衛の
筆子塚が残っている。鎌倉郡ではお寺に学舎(小学校)が設けられた例が多い。
文献が見つからないのだが、おそらくはこうした寺小屋跡か中田寺に中田学舎が誕生したのでは
あるまいか?」とネットより。



駐車場から「中田寺」を見る。



そして「中田寺」を後にして、県道22号線・長後街道の「中田小学校入口」交差点に出る。



交差点を渡り左に進むと右手の奥にあった小さな「神社」。




「向森稲荷」。



そして横浜市営地下鉄ブルーラインの駅・「中田駅」に到着したつもりで
下って行ったが、実はここは「中田駅自転車駐車場」であることに気が付き、途中から
引き返したのであった。



ここが横浜市営地下鉄ブルーラインの駅・「中田駅」入口。



エスカレーターで降りて行く。



ホームに到着。



そして「湘南台」行きの電車に乗り込み帰路についたのであった。



この日の「歩数」は33902歩。頑張りすぎました。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.05.25 16:24:52
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