JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.06.27
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』 👈リンク

次に訪れたのは「神明神社」。
石鳥居の先に高さ20mほど続く急な石段が。
鎌倉市岡本2-6-24。



江戸後期から幕末に建てられた庚申塚。
左手が「青面金剛童子(文政13年(1830年)銘)」。
中央に「堅牢地神(けんろうじじん)(文政元年(1818年)銘)」碑。
大地をつかさどる地神で、大地が万物を載せて堅固不動であるところから、堅牢の名がある。
万物を生育し負載するはたらきを神格化したもの。




「神明神社
鎮座地 鎌倉市岡本三一七ー一番地
祭神  天照大神(あまてらすおおみかみ) 伊邪讃尊(いざなぎのみこと)
例祭日 四月十七日
由緒沿革
創立起源など不詳であるが五穀豊穣と村民の安寧を祈念し崇められてきた。岡本地区の
元村社で氏神様とされてきました。
「風土記稿」に神明寺とみえているが、神仏分離によって寺を廃し神社を創建されたものです。



石灯籠の先に石碑が。



「忠魂碑」
海軍水兵小林不二三(こばやし ふじぞう)君の忠魂碑。
碑文によると、小林さんは戦艦三笠に乗艦し、日本海海戦に従軍後、明治38年9月12日、
佐世保港内で、三笠艦の爆沈とともに殉職。20歳であった。親族や岡本地区の有志らによって
明治40年5月に建立された。
三笠艦の爆沈は、後部弾薬庫の爆発によるものだが、399名もの死者を出した。原因には諸説が
あるが不明。
碑の正面には忠魂碑の篆額と碑文が、裏面には俳句3首などが刻まれている。
碑高264㎝、幅83㎝、厚さ23㎝、台石58㎝。
所在:岡本神明社(鎌倉市)



「忠魂碑(篆額)
海軍水兵小林不二三君碑
□□死而寿ふ□死而□者天部固不可測也不二三君小林氏相□ 鎌倉郡玉縄人資性治□夙入舞鶴
□兵□日夕精練少不懈怠頗有 令耳□日露役之起や奉職三笠艦□加日本海大海戦君奮撃健冠
大□上官死称揚以功叙勲八等賜白色桐葉章既而凱旋佐世保軍 港□艦由失火條忽爆発君与艦
體□没殞□年二十実明治三十八 年九月十二日也我□□謀建碑干鎮守神明祠域内□文予乃叙銘曰

 海戦奮勇  維國之忠 易□□変 □ゆ艨艟
 丈夫□志  溟渤殉□ 勒石□芳 勲績炳煥
 明治四十年五月  枢密顧問官従二位勲一等男爵曽祢荒助撰」
碑裏面:
「・・・         小林八右衛門
   二           小林與右衛門
   三笠山月は・・・・  小林美右衛門  小林七太郎親族建之」
台石正面:
「岡本部落賛助員中」



神社の石鳥居の扁額は朱の「神明神社」。





この広さならここに神明寺の伽藍があったのであろうか。
さらに短い石段があり、その上に小さな本殿があった。



「手水舎」。



「本殿
創建年等の詳細は不明。
古くから五穀豊穣と村民の安寧の社として崇敬されてきた。
本殿には神輿が祀られている。
近くには灌漑用の溜め池として造られた谷戸池がある。
祭神
 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
 伊邪諾尊(いざなぎのみこと)。



近づいて。
鎌倉市には神明神社を称する社殿は二社存在する。
台の鎮守と、この岡本の鎮守する神明神社である。神明社は伊勢神宮から勧請や分配を

神を奉祀する。



扁額「神明社」。



急な石段を見下ろす。途中に踊り場のない石段なのであった。



神明神社横の三叉路には「念佛供養塔(文政元年(1818年)銘)」と手前に「丸石」が
あった。



「念佛供養塔」には「南無阿弥陀仏」と刻まれていた。
神明寺の名残であろうか。



次に訪ねたのが「伏見稲荷神社」と「岡本神社」。
住宅街の民家の間の路地を右に入っていった。
鎌倉市玉縄3丁目。



前方、右手にあった石仏群と手前に井戸が。



地蔵像と菩薩像。



菩薩像と不動明王像。



このやぐら?の中には、何もなかったが。



「伏見稲荷神社」、「岡本神社」への石段。



そしてこちらが「伏見稲荷神社」への石段。



こちらが「岡本神社」への石段。
「この道の由来
この道は、岡本神社(別称)お伊勢山神明神社の旧参道であった道です。
(平安時代から室町時代まで)」



左前方の一段高い場所に「伏見神社」の鳥居と社殿が。



鳥居の扁額「伏見稲荷」。



「社殿」。



「伏見稲荷神社」の社殿前から「岡本神社」の社殿が見えた。



そして石段を途中まで下り、「岡本神社」の石段を上る。



「岡本神社」の鳥居と社殿。



鳥居の扁額「岡本神社」。



「「復元」岡本神社 (別称)お伊勢山神明神社縁起
平安時代、今から約一〇〇〇年前天慶一年(西歴九三八年頃)村岡城主、平良文の一門であった、
角田家は、約三万坪の所領を、提供し、岡本神社、(別称)お伊勢山神明神社を、建立しました。
その後、室町時代に入り、今から、約五〇〇年前永正九年(西暦一五一二年頃)、この地に
侵攻して来た、玉縄城主らによって、岡本神社は、解体されました。
解体される前の元の、岡本神社(奥社)のあった場所は、この場所より約三〇〇メートル上方の
山項にありました。
この神社は、当時、岡本村の鎮守様でありました。
同時に、角田家も、岡本(玉縄)地域等で、約二十万坪の所領を、玉縄城主らに、奪われました。
当時、角田家は、三浦一族に属しておりました。
この度、約五〇〇年ぶりに、岡本神社、(別称)お伊勢山神明神社の(下社)が、復元し、完成
しました。
下社復元にあたり、佐藤慶春氏に御尽力していただきました。
                                       合掌
天照皇大神
産土神
復元建立者  角田壽久
平成十年一月吉日」



狛犬(阿形像)。



狛犬(吽形像)。



「岡本神社」の社殿。



近づいて。




斜めから。



大船観音の横顔の姿が見えた。



そして次に「谷戸池」を訪ねた。
鎌倉市玉縄2丁目4−5。
玉縄にある谷戸池は、今泉の鎌倉湖(散在ヶ池)や笛田の夫婦池と同じく、農業用水用の
溜め池であったと。
池の周りには桜の木が植えられ、桜の季節には多くの花見客で賑わうのであろう。



「谷戸池」の横にあった「やと池児童遊園」。



木製ベンチも置かれていた。



次に「金剛寺」を訪ねた。
鎌倉市玉縄2丁目11−3。



「浄土真宗本願寺派 大船山 金剛寺」。
2001年(平成13年)創建の寺。



この寺の概観は普通の住宅風で、建物だけ見たらお寺らしくない雰囲気であったが。



「金翅鳥院( こんじちよういん)
鎌倉市関谷777−7。



「金翅鳥院」の住職は羽田守快(はねだしゅうかい)氏は   1957年、東京に生まれる。
総本山園城寺(三井寺)学問所員。鎌倉・金翅鳥院住職。
密教および修験道の実践家として知られ、加持祈祷、信仰相談を中心とする宗教活動を
展開しているのだと。
「天台 寺門宗 金翅鳥院」と、民家の如き御堂であったが。



寺の近くのアジサイの花。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 15:51:27
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