JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.08.27
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
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「方丈門」の前を左手に進み「蛇苦止堂(じゃくしどう)」への道を進むと、右手の短い石段の
上にあった小さな社殿。稲荷神社であろうか。



更に進むとこちらは長い石段が。



更にその先の石段を上って行くと「蛇苦止堂」の屋根が見え始めた。



「蛇苦止堂」の境内の右側には、「観音堂」と「「蛇苦止ノ井」(蛇形井)」が。



手水鉢は閉ざされていた。



正面に「蛇苦止堂」と右手に「観音堂」。



「蛇苦止堂(じゃくしどう)」。

北条義時らに攻められ滅ぼされた(比企の乱(比企能員の変))。
二代将軍源頼家の側室であった若狭局(能員の娘)は、家宝を抱えて井戸に飛び込み自害したと
伝えられている。
『吾妻鏡』によれば、1260年(文応元年)、北条政村(のちの七代執権)の娘は、
比企判官能員の娘に祟られ(たたられ)、蛇のような狂態を見せるようになったが、鶴岡八幡宮の
隆弁による加持祈祷によって快復した。
のちに北条政村は、比企氏の邸跡に、若狭局を蛇苦止明神として祀る社を建立したという。
それがこの「蛇苦止堂」といわれている。



扁額「蛇苦止明神」。



「蛇苦止堂」の「内陣」。



ズームして。



「南無妙法蓮華経 大明神尊霊」碑。



「観音堂」



「蛇苦止堂」横の池。
緑色の抹茶の粉のようなアオコが表層を覆い尽くしていた。



「蛇苦止ノ井」が堂の中に。



二代将軍源頼家の側室であった若狭局(比企能員の娘)は、比企の乱の折、家宝を抱えて
井戸に飛び込み自害したと伝えられている。
その井戸と伝えられているのが妙本寺の鎮守蛇苦止明神の前にある「蛇苦止ノ井」(蛇形井)。
この日に訪ねた大町にある「六方井」と通じているといわれ、若狭局が蛇身となり、
井戸の中で家宝を守っているのだという。



これも「稲荷社」であろうか。



観音像。

「宿業一切罪障消滅」とは、 前世に行い、現世にその応報を招いたすべての善悪の行為を、
懺悔し、改心を誓うということ。



「観音像」をズームで。



小さな石祠や五輪塔が並んでいた。



そして「方丈門」を潜り「本堂」への石段を上って行く。



石段の上之両脇に石柱が。







左に「妙本寺」。



左手に立派なトイレ。



「事務所」・「書院」。
大正の大震災に倒潰し、昭和七年日雅上人代に再建された。



「妙本寺事務所」。



「本堂」を斜めから。



「本堂」。
身延山久遠寺、池上本門寺と並ぶ日蓮宗最古の寺。
旧本堂は大正十ニ年の関東大震災に倒潰し、現本堂は、1931年(昭和6年)の
第七十五世日雅上人代に新築された。
釈迦牟尼仏、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩、日蓮聖人像を安置している。
鬼子母神・十羅刹女・徳叉迦も祀られている。
日蓮聖人の弟子、日朗上人にゆかりの深い「朗門の 三長三本 」の三ヵ寺。
山号に長、寺号に本の字が共通している と。
興山妙 寺(鎌倉市)
栄山 門寺(東京都大田区)
谷山 土寺(松戸市)。



妙本寺本堂向拝の唐破風屋根。鬼瓦と棟瓦にも笹竜胆の寺紋・源氏紋。



「本堂内陣」。



更にズームして。



「本堂」の「天水桶」。



「歴代墓所」碑。



「歴代墓所」。



中央には「五輪塔」。



「長興山妙本寺歴代墓誌
開山 日蓮大聖人
二祖 日朗聖人
三世 日輪聖人
・・・・・」
第八十世まで歴代聖人は皆さん長寿なのであった。



一段高い場所には「鐘楼」があった。
本堂と祖師堂との中間、小高い丘にあり昭和九年(日雅上人代に再建された朱塗りのものである。
しかし鐘楼への石段はこの日は閉鎖されていた。



別の場所から梵鐘を見る。
古来よりあった梵鐘は元禄十七年両山ニ十ニ世日玄上人代に鋳造されたものであったが、
惜しくも大東亜戦の際供出した。
現在の梵鐘は、昭和三十五年第七十六世日如上人(後に日威と改む)代に再鋳された。
銘に和歌あり。
「篤信の 誠の籠もる 鍾の音は 妙の御法を とはに伝へん」。



正面に朱塗りの「二天門」が姿を現した。



「二天門」の右側には持国天(じこくてん)、左側のは毘沙門天(びしゃもんてん)=多門天
(たもんてん)が安置されていた。嘉永元年(1842)頃の建造ともいわれている。



中央の見事な、色彩豊かな龍の彫刻。
二天門への石段の下には、杉の巨木が2本あって、その横で二天門を見上げながら手を拍つと、
一瞬遅れて、こだまとなって帰って来たという。
また、この彫刻の前で手を拍つと龍が鳴き声をあげるという「鳴龍」の伝説も残されているのだと。



龍の彫刻(右)。



龍の彫刻(左)。



右側の持国天。



金網が全面に有るのでカメラの設定を変えて。



斜めから。
右手には槍状の武器である戟(げき)を持つ。



多聞天。



左手に金剛杵(こんごうしょ)を持つ。
外道悪魔を破砕し煩悩(ぼんのう)を打ち破る象徴として用いる法具。



横下から。



「二天門」を斜めから。



「霊跡 妙法寺」碑。



「田辺松岐の漢詩碑」が手水舎の右側奥の植え込みの中にあった。
妙本寺は古くから大きな海棠があり、毎年春に美しい花をつけ、海棠を目当てに寺を訪れる人の
目を楽しませている。昭和13 ( 1938 )年、第七十五世日雅上人(島田勝存)は海棠についての歌が
ないのを遺憾とし、松坡に詩を依頼したのだと。日雅上人自身「東水」と号して漢詩をよくした。
同年10月20日に松社同人による竣成式が挙行された と。

海棠花下吟        海棠の花の下に吟ず
嫩葉 葩緑擔紅      嫩葉 葩緑(どんようじょうは)紅を擁す
祇園雨霽洽光風      祗園の雨霽れて(ぬれて)光風洽し(あまねし)
山僧説法花陰午      山僧法を説く花陰の午
髣現閻浮七寶宮      髣(ほのか)に現ず閻浮(えんぶ)七寶の宮
逗子開成中学校・高等学校 | 松坡文庫研究会新視点発表 「田辺松坡と鎌倉妙本寺」講演会

「手水舎」。



「二天門」をくぐると正面に立派な「祖師堂」が建ち、開けた庭が広がっていた。
天保年間(1830-44)の再建といわれている。堂内には木造日蓮聖人坐像が安置されていると。
この日蓮像は身延山・池上本門寺の像とともに一本の木から刻まれた「一木三体の像」として
知られている。十三世紀から十四世紀頃の作と。  
「祖師堂」の左側手前に「霊宝殿」があった。
「妙本寺」の寺宝のいくつかがこちらに移され安置、保管されていると。



向拝が見事な彫刻の「祖師堂」。
「祖師堂」は十二間四方の建物で、一間幅の回廊があり、正面には更に幅が広く
二間の奥行きがある。
これは、大きなお寺ゆえに大勢の参拝者があるので、できるだけたくさんの人が上がって
お参りできるようにという配慮からだと。履物を脱がないでお参りできるようになっていた。



「祖師堂」の「内陣」。



正面の回廊から「二天門」を見る。



「海老虹梁」を見上げる。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 16:17:53
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