JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.10.26
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カテゴリ: JINさんの農園
「小田原教会」を後にして、「新玉小学校」の方向に進む。
この先「菊池医院」の手前を左折。



新玉小空襲の爆弾投下跡 」に向かって小田原市浜町2丁目の住宅街を南に進む。



右手に現れたのが小田原市立新玉小学校の東側に残る「 蓮上院土塁 」。
豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条氏が築いた土塁(敵の侵入を防ぐために作られた堤防)だ。
低地部残る総構の土塁は貴重なものとして、昭和34年に国の史跡に指定されている。



太平洋戦争の爆弾着弾跡(蓮上院土塁) 」。



太平洋戦争の爆弾着弾跡(蓮上院土塁) 」案内板。



太平洋戦争の爆弾着弾跡
太平洋戦争が終わりに近づくにつれ、日本各地でB29爆撃機などによる空襲が激しく
なってきました。小田原市でも、昭和20年4月以降終戦まで、たびたび空襲を受けました。
そして、 戦争終結直前の8月13日の午前8時30分ころ 小型機による空襲があり30名の犠牲者を
出しました。 このとき、 新玉小学校(当時新玉国民学校)も攻撃を受け、若い教員1名と用務員
2名が犠牲 になりました。
この空襲で投下された爆弾のひとつが、ここ蓮上院土塁に着弾し、土塁が大きく損壊して

戦国時代に小田原北条氏が築いた土塁に、昭和時代の太平洋戦争の傷跡が残る大変貴重な場所です。
            小田原市教育委員会」



蓮上院土塁を刳る ( エグル)がごとき「 太平洋戦争の爆弾着弾跡



蓮上院土塁は完全に分断されて。



移動して。
8時30分、市内井細田(後の扇町)にある湯浅蓄電池製造小田原工場に艦載機が飛来して爆撃と

死亡した。なお、同社はバッテリーを扱う会社で、1941年(昭和16年)から日本海軍指定の
軍需工場となっていた。
9時頃、駿豆鉄道井細田駅と五百羅漢駅の中間に位置する多古地区が同機による爆撃を受け、
防空壕に退避していた付近住民13人が死亡、さらに機銃掃射を受けた1人の合計14人が
死亡した。
時間は不明だが、富士写真フイルム小田原工場も機銃掃射と爆撃を受け、光学ガラス溶融工場が
損壊し、研究所1棟が炎上、待避中の男性従業員2人が死亡した とネットから。



蓮浄院土塁 」案内板。



蓮上院土塁
この土塁は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めに対し、小田原北条氏が築いた総構の
一部です。この土塁の東側は水掘が設けられ、その対岸には徳川家康軍が対峙していました。
「北条五代記」では、この総構について「此城東西へ五十町、南北へ七十町、めぐり五里の
大城なり」と伝えています。実際には、延長9キロにおよぶ空堀と土塁が城下町全体を包みこむ
ように築造されました。
低地部に展開した総構の多くは、いっしか姿を消してしまい、この蓮上院土塁は早川口遺構
(市内南町)とともに、その名残を止める数少ない遺跡で、昭和34年に国の史跡に指定
されました。」
小田原市教育委員会様 更新をお願いします



小田原散歩 ARポイント 蓮乗院土塁 」案内板。
低地部に残る数少ない総構(大構)の痕跡のひとつです。低地部の土塁の多くは崩されて
しまいまいしたが、この部分はお寺の境内であったことで残りました。
この土塁の外側には最大で70mの幅の堀がありました。


蓮乗院土塁 」を振り返って。



そして 国道1号に出て平塚方面に進む



西湘バイパス 小田原IC 」案内。



「国道1号 平塚 横浜」。



小田原市浜町、国道1号線沿い山王橋交差点近くの「 宗福寺
左手に立派な「 筋塀」の如き塀で囲まれた曹洞宗の寺
小田原市浜町4丁目30−10。



「山門」越しに「 宗福寺 (そうふくじ) 」の「 本堂 」を見る。



曹洞宗 」。



宗福寺 」。



境内に入って右奥にあったのが「 山王大權現 」。



山王大權現
山王大權現は宗福寺の鎮守にて永禄年間に草創勸請す。
往昔は隣地の山王川側に在しが政府の神佛分離令により明治四年御身躰のみ奉持し仮本堂内に
安置して壱百五年爾茲今堂宇を建立し奉祀す別社白山妙理大權現稲荷大明神も合祀す。
天正十八年四百年前小田原城征討の徳川家康公日参して戦勝祈願なされしと云う以って如何に
霊験あらたかであるかを知るべし。此の堂宇は一間社流造と謂うなり。
維持 昭和五十年十二月中浣
   宗福寺十七世 銀岳誌」



「欅」の巨木をしっかりと撫でて



「この欅(ケヤキ)は山王大權現の御神木です。
大權現を礼拝し無念、無想、無我となって御神木に触れるとあなたの心願は必ず成就される
でしょう。」



山王大權現 」に近づいて。



扁額「 山王宮 」。



内陣。
堂内の猿像が珍しい。
手前の2猿は向かって左は御幣、右は桃の花枝を持っていた。



青面金剛像(剣人・六臂)・邪鬼・三猿・二童子・二猿

P1000574

水場。



山門の右側、山王大權現の手前の塀際にあった石碑群。
寛文7年(1667年)、正徳6年(1716年)などの庚申塔3基や石塔が並んでいるとのこと。
反対側には、何基かの海難漁師の供養塔も建てられていた。



???



???



板碑型 「尽出輪廻生浄土」 三猿
「干旹寛文七丁未天」(1667)
「願主/山王原村」
「拾月吉辰 功徳主/敬白」
三猿



笠付角柱型 「奉▢庚申▢▢信仰石塔▢~▢」 三猿
正面
「奉▢庚申數年信仰以石塔一基納之者也」
「諸願成就/願主敬白」
右側 「相列西郡小田原千度小路町」
左側 「願依比善利現世安穏後生▢▢」



一猿丸彫 角柱型 「庚申供養」 三猿
「正徳六丙申天」(1716)
「庚申供養」
「五月吉祥日」
右側面 「施主高梨町小松屋」
左側面 「爲 二世安樂」



山門の左側にも何基かの海難漁師の供養塔が建てられていた。



並んだ石塔の右端。常夜灯に挟まれて1基の石塔が静かに佇んでいた。陽に焼けた石塔の上に
苔むしたお地蔵さんが乗っていた。



お地蔵さんの下の石塔部分には「 供養地蔵  昭和元年十二月八日 籠屋丸五号乗組員十四名」と
だけ刻まれていた。事故の経緯や状況は刻まれていなかったが、恐らく海難事故で亡くなった
14名の乗組員の供養塔であるらしい。
別のネットページでは
籠屋丸は近隣の杉山家が船主で、一号から三号の籠屋丸が造船されたあと、4隻目の船として
大正15年に造船された遠洋漁業船。4隻目の造船であったが4という数字が不吉だったためか
五号と命名されたようだ。まぐろ漁を目的に作られた籠屋丸五号は当時としては大きな漁船で、
大正15年12月9日に初漁に出港。しかしその後帰港することなく初航海で遭難という
悲劇的な結末となった。遭難日は定かではないので出港日を命日として供養が続けられていた
ようだ。この籠屋丸五号の記録は昭和時代に火災で焼失し、詳細な資料は失われてしまった
とのこと と。



籠屋丸の船名が刻まれているようであった。



本堂 」を正面から。
「宗福寺」は、州翁梵(永禄2年1559年卒)が開山、江戸期には浜町山王神社の別当を
勤めていた。明治24年には城山松寿院を合併した と。
別の説明では
大渕山と号し、永禄年間の開創、当初は海辺近くにあったが毎年波浪の被害をうけるので、
のち現地に移った。以後火災にあうこと三度、寺宝等は全部焼失した更に明治三五年九月
相模湾の大津波で堂宇は全部流失したが直ちに復興して今日に至る。昭和二四年松寿院を
合併した と。



近づいて。



扁額「 山宗福寺 」。



内陣。



本尊は薬師如来像



「掲示板」。



五重石塔。



お掃除小僧



掃けば散留(り) はらえばまたも塵津(つ)もる 人能(の)心茂(も) 庭の落ち葉も
この短歌は、散らかった落ち葉を掃除するように、自分の心を奇麗に掃除する必要があることを
説いています。自分の心を覆っている塵や垢に気付き、払わない限り、自分自身を小さくし、
生き方そのものまで狭めてしまうことを指摘しています とネットから。



墓地を歩く。



「無縁塔」であっただろうか?



中央に観音像。



移動して。



水子地蔵尊 」。



「水子地蔵菩薩を奉祀いたしました。心なきことにより闇から闇えと流され成佛できない水子を
供養いたしましょう。
お塔婆供養のそなえもあります」と。



多くの稚児仏が並ぶ。






                              ・・・​ もどる ​・・・



                 ・・・​ つづく ​・・・















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Last updated  2024.10.28 05:13:07
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