ひよきちわーるど

ひよきちわーるど

2020.06.11
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カテゴリ: 生きていくこと


今日は、少し落ち着いてパソコンに向かっている。

ようやく仕事のピークも過ぎたからか
こんなにほっとした気持ちでいられるのは 一体何か月ぶりだろう。


日頃ぼんやりと思っていたことを、今日は少しここに書いてみようと思う。

もちろん、仕事のピークが過ぎたとてやるべきことは山積、
せっかちな自分のことだから、あれもせねば、これもせねばとパソコンに向かいながらも、頭の中はやるべきことでいっぱい。

それでも、今しか書けないことを
少しでもここに残しておきたいと思う。

夫と結婚して27年。

夫とはどういう人か、そう問われて私はどう答えるだろう。

27年前の私の答えと 今の私の答えとでは全く同じ部分と、そして少しずつ違ってきている部分とがある。


結論から先に言えば、夫と私はおそらくは同じタイプの人間である。


夫の友人たちからすれば
嘘だ!という声が聞こえてきそうだけれど(笑)
けれど これが、27年ともに暮らしてきた結論かもしれない。


・・・結婚当初、そして夫と知り合ったばかりの大学生の頃、
夫と私は全く正反対の人間だと思っていた。

彼は燦燦たる太陽で、私は月。
いや、違うな、月でさえもない。小さな星だ。

彼は天真爛漫、私はいるかいないか分からぬほどのおとなしさ。


私自身、大学生の頃、周りの人から
「○○ちゃんって、何を考えているか分からない」と言われていた。

自分では懸命に表現しようとするのだけれど
その方法がまずいのか、それとももっと強烈に自分を出すべきだったのか、それさえも分からなかった。もちろん今でもわからないままである。


在学当時、いつだったか鼻歌を歌っていた時に
「○○ちゃんって、鼻歌を歌う人だったんだ!」と言われ
その驚かれように、こっちが驚いた(笑)。

鼻歌を歌ったぐらいで驚かれる私は一体何なんだ、と思った。
ど、どんな人間にうつっているのだ、と不安にもなった。


在学当時、多くの人の中でもまれ、それぞれの価値観に否応なしに触れ、
何が正しいのかそうでないのか判断する暇もなく
まさに嵐の中での錐もみ状態  (*`◇´)ノ

良い意味においても、そしてそうでない意味においても
心身ともに非常に充実・消耗した学生時代であったと思う。


そんな中、こんな冴えない自分を見つけてくれた夫に
心から感謝している。



冒頭「夫と私はおそらくは同じタイプの人間である」と書いたけれど
それはあくまで内面において、である。内面において、彼と私はおそらく同じタイプなのではないかと思う。

外面的な部分においては
変わらず彼は太陽であるし、私は一層小さな星のひとつに過ぎない。

彼とともに暮らしていく中で
彼の中にある信じ難いほどの繊細さ、傷つきやすさ、抱えている不安に気付いた。

殊に細やかさにおいては、私など彼に遠く及ばない。
彼は、それほど繊細な人だった。

と同時に、彼と私の中にある「お笑いが好き」という共通項もいつしか発見(笑)。

​今ではどなたも信じてくださらないけれど
自分自身、小学校時代には 「学習発表会」 において漫才を披露。

なんで「学習発表会」のような場で漫才をするようになったのか
その経緯については全く記憶に残っていないけれど
居並ぶ保護者の皆様の前で友人と漫才を繰り広げたのだった。

今にして思えば、とんでもないことだ  (*`◇´)ノ
当時の担任の先生、そして母上、ごめんなさい。


それまで小学校の通知表・所見の中において
「あまり元気がありません。」「元気を出してがんばりましょう。」
「決められたことをよくやっていますが、元気がありません。」
「大きな声を出すと元気も出てきます。」など
「元気を出せ」コールのオンパレードだったのだけれど

その学習発表会以降においては
「明るいことが好きで、見かけがおとなしいので意外に感じます。」と書かれてあり

ようやくこれで、「元気を出せ!」と言われなくてすむんだ、と
ほっとしたことも覚えている。


・・・夫は、こんな、わざわざ学習発表会での漫才を見ずとも
私の中の「明るいことが好き」という部分にいち早く気づいてくれ、
そしてそれを大切にしてくれた。

そしていろんなことに対し、一緒になって笑ってくれた。
それが何より嬉しかった。


他者と暮らす中において
自分自身を100パーセント理解してもらえる、ということは不可能である。
自分ですら、自身のことをきちんと理解できていないのだから。


若い頃、自分はどうも結婚には向いていないと思い
生涯独身を貫こうと思った時期もあった。


けれど、結婚し他者と暮らしをともにする中で
完全に分かり合うことは不可能であるにせよ
それでも歩み寄り、互いを少しでも理解しようと努力し続けることの
なんと楽しく、幸せなことか、と。


そしてこれは常々娘にも言い続けていることだけれど
人が10人いれば

1 その中の3人は、こちらが何をしたってどう言ったとて
  こちらのことを嫌い、残念ながら敵となってしまうタイプ

2 そして3人は、こちらをどこまでも信頼し、味方となってくれるタイプ

3 そして残りの4人は、どっちつかず
  正確に言えば、こちらのことなど最初から眼中にない


こちらが何をしようが何を言おうが
全て悪感情でもって断罪する人に迎合したとて、何になるだろう。

それならば、自身のことを信頼し共感してくれる人々と
さらに深く理解し合い、幸せな人生を送ればよい。

ただ、ここで大切なことは
他者に迎合する必要の全くない部分と、自身が留意し直していかなければならない欠点とは
全く別物である、ということである。



必要なのは どこまでも「自分自身」であり続けること。
さらに言えば「これだけは大事にする」というものを生涯持ち続けること。

そうする中で、いつか自分のことを深く理解し
共感してくれる人に巡り合うことができるのではないかと思う。



( 続きます )








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Last updated  2020.06.11 23:42:08
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