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なんといっても、本日の主役はマーシーである。何を隠そう、僕はかなりのマーシスト(マーシーマニア)で、数年前、目黒区の碑文谷に住んでいた頃には、マーシーがしょっ引かれた警察署を見学しに行ったこともあるほどだ。マーシーの名前を聞くと、僕は昔『志村けんのだいじょぶだ~』という番組のエンディングでマーシー「次回もだいじょぶですかね~?」志村「だいじょぶだ~」マーシー「だいじょぶだ~」志村「また来週~!」というお約束の掛け合いをしていた頃を思い出す。…今思えば全然だいじょぶじゃない。今度のマーシーの罪状は「覚せい剤取締法違反」&「大麻取締法違反」のダブルネーム。ドラッグというものが、如何に人間をダメにするかということがよく分かる。シャブは凄まじい常習性なのである。覚せい剤と聞いてあなたが思い浮かべるあの有名人も、あの歌手も、きっと隠れてやっているにちがいない。僕なんかは、『あぶ刑事』で「ダンディー高山」こと舘ひろしが、麻薬密売組織のヤツらに捕まり、無理やりシャブ(覚せい剤)を注射され、そのリハビリで地獄のような苦しみに耐えるシーンが目に浮かぶ。そんな時、ドラッグとマーシーを心から憎むのである。
2004年09月21日
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仕事を兼ねて、『FINALFANTASY XI プロマシアの呪縛』をプレイすることにした。ご存知、大人気ネットワークRPGである。僕はこのネットRPGというのが、どうも好きではなかった。というのも、以前仕事場の先輩がこれにハマッてしまい、ネット上の世界「ヴァナディール」から帰って来れなくなり、非常に迷惑をかけられたという過去があったのだ。ネットワーク上に自分の分身を作成し、ネットワーク上の仲間と共に冒険する…それはそれでいいのだけど、一回に3~4時間を費やしているうちに、現実との生活が逆転してしまう人がたくさんいるらしい。ネット上で繰りひろげられる「別の人生」まるで昔見たSF映画だ。まあ、そうならないよう努力してみようと思う。
2004年09月20日
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0が、片足を上げてオシッコした。ミニチュア・ダックスフンドの彼は、これまでオシッコ時でもフツーに座ってしていたのだけど、今朝ふと見ると「ぴょこん」と片足を上げ、「ちょろり」としていた。先日まで忙殺されていた僕は、その姿を見て、「ああ、成長しているのね」…と、不覚にもこの小動物に癒されてしまった。くそう。ほんの些細なことでもいい。日常の簡単なことに、楽しみとか喜びとかを見出せるようになれば、少しは人生楽しくなると、思ったりして。
2004年09月19日
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占い師の名前って、オモシロイ。この間、あるTV番組で芸能人が占われているのを見て、そう思った。その番組には、原宿で有名な占い師が出ていた。彼女の名前は“美・アンジェール”さん。「“美”…“美・”て!!」僕は思わずモニタに向かって突っ込んでいた。占い師にとって、占いは商売である。僕は占ってもらったことは無いが、占ってもらう人にとっては、カウンセラーのような存在なのだろうと認識しているが…どうだろうか?しかし、同じ商売とはいえ、占い師は、病院や本物のカウンセラーとはちょっと違う。それは、・治療方法が人によって大きく違うというところ。・その違いによって人気に差が出るということ。・そしてその差によって、収入に差が出るというところだろう。要するに、占い師という商売にとって、人気は自らの生活を左右する問題であり、下手をすると占いの的中率以上に重要な事柄といえるかもしれない。となると当然、自分の名前は何よりの「看板」であるといえるだろう。で、“美・アンジェール”である。本名…なハズは無い。当然自分もしくは第3者が名づけた芸名であろう。“美・”さんのファンの方には申し訳ない。しかし、“美・”さんに限らず、占い師の名前はどこか狂っていてオモシロイ。ここからが本題。「姓名判断」というのがある。姓名を形成する文字を、古代中国の哲学に基いて分析し、吉凶を診断するというのが「姓名判断」。僕はこれも占いの一種であると判断している。占い師は名前を気にするのだろうか…?占い師の人は自分の名前をつけるとき、果たして姓名判断をしたりするのだろうか、それとも、ネーミングセンスのみで名づけているのだろうか…?例えば「土下座占い」の“流(ルビ:ル)・モレノッティ”という占い師がいたとする。このモレノッティが、姓名判断の本なんか読みながら「あ、ここは“レ”じゃダメだな、うん、えーと…ル、しかも漢字で流…うん、いいじゃん、イケてるイケてる…」とやっている姿を想像すると可笑しい。逆に「うん、モレノッティがいい。売れるよ、土下座占い…だって土下座だぜ!?」とひとりはしゃいでいる姿というのも滑稽である。あ、ちなみにモレノッティは男性である。オモシロい占い師の名前を聞くと、そんな姿を想像してしまうのである。
2004年09月14日
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「男」と「女」は別の生物なのだと、思い知らされる瞬間が時々ある。例えば同じ体験をしたとしても、男女それぞれの中では、まったく別々の物語が進行しているかのような…そんなことを考える。僕らは「人間」という種族の括りで一まとめにされているけれど、物事に対する男女のとらえ方、接し方はあまりにも違う…。「愛」を転じて「憎しみ」に、「最高の同士」を「最悪の敵」に、一瞬にして変えることのできる唯一の種族。それが人間の男女なのだろうか…まるで磁石のように。そんな別々の意識を持った生き物たちに対して、僕には何ができるだろう…?願わくば、幸福な「その後」を…。
2004年09月13日
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最近知って後悔した場所…それは葛西臨海公園である。僕の自宅からは、東京メトロと都営バスを乗り継いで20~30分ほどのところにある有名な公園だ。しかしそんな近所にありながら、僕は千葉に引っ越してから3年間、ほとんどそこへ近寄らなかった。しかし先日、ひょんなことからそこへ行くことになり、今まで気づこうともしなかったその楽しさに、後悔した。「オレ、なんでこんなオモシロかとこに今まで行かなかったんじゃろうタイ…」と、それまでの自分に、『キャプテン翼』の次籐くんばりの、地元出身者であれば憤慨はごもっともなニセ九州弁で、後悔をぶつけたほどである。ビバ、葛西。そこは海と自然の織り成すステキ空間。で、せっかくなので、今日は0を連れてやって来た。今日は快晴。絶好の行楽日和というやつである.入り口から橋を渡り、程よい散歩した辺りで、前方のはるか彼方に水平線が見えてくる。自分の住んでいた場所が、海にほど近かったのだという証拠が、眼前に広がる。ついこの間、「今年は海に行かなかったよなあ…」とぼやいていたことが恥ずかしい。海はこんなにも近くで僕たちを待っていたのである。「♪たったひとりの日暮れに~見上げる空の星屑~♪」口ずさみながら、観光客や地元の人々でにぎわう通りを歩く。同じ加山雄三でも『君といつまでも』を歌わないひねくれぶりが僕流だ。0もまた、僕の雄三に合わせて軽快にステップを踏む…というのはウソで、相変わらず連続ジャンプしているかのような無様な走りっぷり。0連れは無理なので、水族館はあきらめ、今回は海に挑戦することにした。公園内の橋を渡り、ビーチへ。そこではたくさんの人々が、泳いだりバーベキューしたり、マリンスポーツを楽しんだりと、まるで真夏のような賑わいを見せていた。僕は砂浜に荷物を置いて、早速0と共に海へ駆け出す。0にとっては生まれて初めての海。溺れはしないだろうか、馬鹿だから海水飲まないだろうか…飼い主としてはちょっと心配だ。しかしこれが本能というものだろうか、海に入るや否や、プカプカ浮きながら短い足をバタバタさせ、彼は見事な犬掻きを披露した。海水にまみれ、まるで別の生物のように細くなりながら、0ははしゃいだのである。ひととおり遊びつくし、僕らは砂まみれになって公園を後にした。帰宅後すぐに0を風呂に入れ、犬用シャンプーでバシャバシャ洗う。せっかく海水が乾いたというのに、0は再び別の生き物のように細くなった。僕もシャワーを浴び、疲れたところで2人して昼寝でもすればステキな休日である。しかし、0は疲れたそぶりをまったく見せず、部屋の中を駆け回り、僕のジーンズの裾をボロボロになるまで噛みつき続け、程よいタイミングでウンチしたりして、いっこうに眠らせてはくれなかった。ま、これも有意義な休日ということで。
2004年09月12日
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昨日お伝えしたとおり、すぎやまこういち先生のセルフプロデュースイベントに出席した。このイベントはすぎやま先生ご本人がインターネットを通じて参加者を募っており、毎年参加する人、噂を聞きつけて応募した人、それに地方からわざわざこのために飛行機に乗ってきたという人まで、会場前には、たくさんのお客さんが集まっていた。このイベントの凄いところは、通常のコンサートなどとは違い、すぎやま先生をはじめ、ゲストの方々と直にコミニュケーションを取れるところだ。会場で受付しているのも、先生の奥様だったり関係者の方だったりする。とても…とてつもなくアットホームな雰囲気。さて、開場が告げられ、お客さんたちが会場へと吸い込まれていく中、僕は「控え室」へと向かった。このイベントには、いくつかのコーナーが用意されている。それは、先生の軽妙なトークだったり、市民楽団とすぎやま先生のセッションだったりするのだけど、最大の目玉は、実はけったいなコンテストにあったりする。それは、先生が担当する某有名RPGの「コスプレコンテスト」だ。僕らはそのコンテストに参加するため、毎年ここに来ているのである。参加者は勇者や戦士などに扮し、先生をはじめとする某RPGの“神”ともいえる人たちに評価をいただける。うまくすれば豪華なご褒美をいただけるということで、彼らにとっては願ってもない好機といえるだろう。いわばコスチュームパラダイスである。しかし、僕にはそんな趣味はないし、ステージに立つなんて考えられないという人種だ。以前お世話になっていた劇団でも1度ステージに立たせていただいたが…グダグダだったことは言うまでもない。しかしこれは仕事だ。一緒に参加するのは仕事場の上司と○○社の編集さんで「え!? 今年もッスか? いや、あんな辱めを受けるのはもうゴメンです」などとは絶対に言えない関係なのである。「控え室」で、あるキャラクタに「変身」し、会場に入る僕たち。すでにコンテストははじまっており、コスプレイヤーの人々が次々とステージに上がっていく。勇者や戦士などは結構普通だが、中には大胆セクシーな衣装で登場する女戦士がいたりして、目のやり場に困る…。コスプレイヤーの心理は、僕には多分一生分からないだろう。一応「関係者」あるいは「ゲスト」な僕らは、すべての出場者の後にコールされてステージ上へ。僕にしてみれば最悪の気分である。そこでネタを披露。僕はいきなり噛んだが、なんとか収拾をつけ(いや、最初からつけるほどの収拾などなかったのだ…)、ステージを降りた。控え室で着替え、関係者各位に小声で挨拶した後、イベント半ばながらも僕らは足早に会場を去った。帰りのタクシーの中、編集さんが「来年はもっとネタを工夫した方がいいね、イヒヒ」と、上司と話しており、「来年もやんのかよコラ!?」と僕は心の中で突っ込んだ。今回のイベントで確認するまでもなく、コスプレとかステージとか…そういうのが僕にはまったく向かない。うん、絶対無理。これからも、自分からは絶対にそういうことはやらないだろうなと思う。裏方万歳である。……でも、実は毎週某週刊誌に、毎号のように僕の写真が掲載されていることは、あまり知られていない。
2004年09月11日
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とある事情があって、明日はとあるイベントにお邪魔する。それは、すぎやまこういち先生のセルフプロデュースイベントである。すぎやまこういち先生といえば、某国民的RPGの音楽や、「亜麻色の~」でおなじみの超大物作曲家であり、しかも日本バックギャモン協会の名誉会長でもあらせられる、まさに「すごやま」先生なのである。一度ご自宅にお邪魔したことがあるのだけど、まるでダンジョンのように入り組んでいて、面白いものがたくさんある、最高に素敵なお宅だった。僕は仕事の関係上、毎年のようにこのイベントにお邪魔している。で、その「仕事」の下準備のため、今日は先生のHPを拝見していたのだが…。そこで、面白い写真を見つけてしまった。HP上には、アルバムよろしくたくさんの思い出写真が収められたコーナーがある。さすがすごやま先生、様々な時代の写真が並んでいる。見てもらえば分かるのだけど、時代時代で髪形が大きく、大きくちがい、それだけでもかなり楽しめること請け合いである。で、その中の一枚、「おべん当」の立て札の前でおどける先生(ほんとに驚くほどおどけている)の後ろに…なんと、着物を着た女性の幽霊が写っているように見えるのだ!!ただ、全然怖ろしくは感じず、むしろ、おどける先生とのコントラストが絶妙なバランスで、とても微笑ましいというか…いや、ごめんなさい、メッチャ笑えるのである。興味のある方はのぞいてみてほしい。そして、笑ってほしい。……ただ、僕のことは言わないどいてね。
2004年09月10日
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最近流行りのHDレコーダを手に入れたので、ここ数日は、自分の持っているCDを片っ端から突っ込んでいた。カタログスペックでは、HDの容量は約20GB。「約13000曲を録音可能」らしい。仕事場の机の抽斗から、自宅の本棚の隅まで、ありとあらゆる場所に転がっているCDというCDを引っ張り出し、ノートパソコンを通してガンガン録音する。その作業がさっき終わった。驚いたことがいくつかある。その1・僕が上京してから数年間で買い集めた音楽が、わずか2000曲足らずでしかなかったこと。あれほど「かさばる、かさばる」と思っていたCDが、ひとつのレコーダの中にすっぽり収まってしまう。また、それがレコーダの空腹を満たすには到底至らない程度の曲数であると知ることは、意外と切ない…。その2・HDレコーダは、ライブ盤を再生することには向かないということ。例えばMDであれば、無音状態が3秒間おとずれると曲を区切る。だから、ライブ音源のような連続した曲は「1曲」として認識されることが多い。それゆえに録音後手動で曲ごとに区切る「トラックマーク」という作業が必要だったりするのだが、聴くときに音が途切れてしまうようなことはない。しかしHDでは、ライブ音源だろうがスタジオ音源だろうが、1曲は「1曲」としか認識されない。その上、1曲1曲をいちいちロードするためなのだろうか、1曲目が終わってあがった歓声が、ブチッと途切れてしまう。なかなか気が利かないヤツなのである。その3・買った記憶がまったくないのに、「柴田恭兵」と「舘ひろし」のベスト盤が何故か部屋にあった。ショック。偶然にも「あぶ刑事」コンプリートである。※ちなみに、舘の「愛しのマックス」は名曲(迷曲?)だと思う。もちろん「冷たい太陽」もネ。これからHDレコーダの購入を思案中の人は、参考にされてはいかがだろう。
2004年09月09日
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仕事場にいてもやることがないので、思い切って夏休みをとってみた。で、結果いろいろ勉強になったので、とても有意義な時間を過ごすことができた。ある人物と、久々に会ったのだ。この人ほど、物事を俯瞰から見ることのできる人間を、僕は知らない。この人は、面白いことをダウジングマシンみたいに探し当て、それをさらに面白くしようと常に奔走している。そして自分に最高に美味しい仕事が来ることを待つ…まるで“活きの良すぎるマグロ”である。だが同時に、この人ほど自分のことを分かっていない人間を、僕は知らない。この人は、自分自身ががいかに面白い存在なのかをよくわかっていない。それは多分、根っからのプロデューサー気質がそうさせているのだろう。自分よりも他人を輝かせることに邁進してきた人なのだ。でも、周りを探してもこんなに面白い人は稀である。この人は、力のある人をひきつける。それは偶然ではない。ある程度人を見る目を持っている人というのは、初対面の人間をいくつかのカテゴリに分類することができるのだと思う。で、この人はきっと、彼らの用意したカテゴリに分類できないキャラクタなのだ。ものすごい角度から曲がってくる、ベッカムのフリーキックみたいなキャラ。ようするに「ごめんよヴィクトリア! アタマ丸めました…丸めたの!?」みたいな。力のある人にとって、こんなにいじってみたいと思う面白い素材は、他にないであろう。また、この人は、自分が案外弱いということを分かっていない。基本的に強がりなので、「自分は大丈夫だけどさ」という呪文のような言葉を多用し、とりあえず相手のことを気にかける。これも生来の気質だろうか…? しかし独りになれば寂しい…そういうところがある。どんなに悩みを抱えているようでも、本当はその解決策を既に心のどこかに用意している。だけど、誰かにその答えの正しさをリサーチしておきたい…そんな石橋を叩くような慎重さも持っている。これも魅力的な弱さだ。世の中には、成功する人としない人がいる。どうして「成功する人」は成功するのか、「失敗する人」は失敗するのか…それは分からないけど、この人の行動や思考は、「成功する人」の法則に当てはまっているのでないかと僕は思っている。とにかく、面白すぎるねーちゃんであることは間違いないのである。
2004年09月08日
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テレビに綾辻行人さんが出演していた。そこで、ミステリの「フェア」と「アンフェア」についてお話していた。フェアなミステリは小説家が知恵を搾って作り出すものであり、トリックの種明かしをしなければならない。した上で、読者に面白いと思わせなければならない。しかしアンフェアなミステリは、種明かしを必要としない。欺いたまま放って置くことを前提として展開されるトリックだ。そしてアンフェアなミステリは、日常の中で展開される。日常で展開されるミステリは、本当にアンフェアに満ちている。つまらない殺人が多すぎるし、捻りのない事件が多すぎる。しかし当人たちが語らない限り、動機も真相も、いつも闇の中である。僕の身の回りで起きているある事件も、謎ばかり残してほったらかしだ。心配で心配でたまらないのに、なにが起こったのかさえ、想像するしかない。…気に入らない。アンフェアなミステリは、本当に気に入らない苛立ちばかりを生む。僕が今書いているのも、ミステリというジャンルに該当する。当初このシナリオは、種明かしの存在しないアンフェアなものにしようと考えていたのだけれど、ちょっと路線を変更することにした。
2004年09月06日
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恩田陸の『夜のピクニック』を読了した。先日、この小説がS・キングの『死のロングウォーク』に概要が似ているとかいたのだけど、一貫して「歩行祭」というイベントだけでの出来事を描いているという点で、やはりキング作品の影響があるのではないかと改めて思った。しかし、同じ形式をとっていながら、キングが凄惨な未来の競技(?)を描いたのに対し、恩田陸は爽やかな高校生の青春を描いている。このテクニックはやっぱりすごいし、それをパクリなどというのはナンセンスだ。それぐらい素敵な物語だった。さて、話は変わるが、昨夜から僕は初めて「便秘」というものを体験している。「いくら食べても便が出ない」というこの単純にして深刻な「異常」は、想像していた以上に苦しいものだ。胃だか腸だか分からないが、お腹の真ん中辺りに変な感覚があり、「嗚呼、ここに便がたまっているのね」という…やめよう、これ以上は。とにかく、便秘というものが非常に厄介な症状だということは完全に理解できた……一生したくなかった。
2004年09月05日
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雨が上がったのを見計らって、隣町の妙典まで『バイオハザードII』を見に行った。大人気のサバイバルホラーゲーム『バイオハザード』を映画化して話題になった『バイオハザード』の続編である。物語は、前作のエンディングからはじまる。主人公アリスは、製薬企業「アンブレラ」の地下施設「ハイヴ」から脱出。しかし、同企業の科学技術チームに捕獲されてしまった。目が覚めると、ラクーンシティ内の病院内。体中に取り付けられたチューブをはずし、表に出たアリスは愕然とする。町の外はまるでゴーストタウンのように荒廃していたのである。さらに、アリス自身の肉体にも重大な変化が起こっていた…!!今回はジル・バレンタインやカルロスなどゲーム版のキャラが何人か登場。中でも、ゲーム版3作目に登場した追跡者「ネメシス」は、ゲームそのものの迫力でアリスたちを追いつめる。その容姿は、ゲームを知らない人が見たらスポーンだと思うに違いない(スポーンを知っている人がどれくらいいるか知らないけど)。監督が交替し、前作がミステリーの要素を含んだホラーアクションといった趣だったのに対し、今回は完全なアクション映画といっていいだろう。なにしろ、ゾンビやゾンビ犬はおろか、前作のラスボス的扱いだったリッカーも雑魚扱いするほど、今回のアリスは強い。まるで「エイリアン4」のシガニー・ウィーバーなみのパワーアップを見せており、その分、クリーチャーたちの恐ろしさが半減してしまった印象を受ける。この辺りは、続編を出し続けることで「ゾンビくらいはカモ」になってしまっているゲーム版と共通している。さて、この映画を見ていて僕が一番感じたこと。それは「エイリアン2」のジェームズ・キャメロンはやはり偉大だったということだ。そもそも、僕はこの『バイオハザード』と『エイリアン』に、なんとなく共通したものを感じている。主人公のヒロインが、回を追うごとにハイパーに成長し、毎回共通した敵と戦うという点、また、監督が変わっているという点だ。「今度は戦争だ」的なテーマも、双方の2作目には共通していると思う。リドリー・スコット監督が確立した「SFホラー」というジャンルを丸ごと引っぺがし、「SFバトル」に仕上げたキャメロン。しかし、本作の出来はキャメロンの『エイリアン2』には遠く及ばない。それは以下の3つの要素が起因している。・物語の先が読めるという点。『エイリアン』シリーズのすごいところは、主人公以外の誰が生き残るのかがまったく読めなかったところだと思う。これってホラー映画の最重要要素だと思うのだが、ざんねんながら本作は、登場人物が出揃ったところで誰が生き残るのか、また、誰が死ぬのかが簡単に予測できる。そして多分、その予測は当たっている。・アクションが限界を感じる点最近の映像技術は目を見張るものがある…と、ここ数年言われ続けているけれども、『マトリックス』以降、僕は映画におけるアクションは、もう臨界点に達していると思っている。要するに、これ以上驚くようなアクションは登場しないということだ。いまさらミラ・ヨーボヴィッチがビルの壁を駆け降りたって、誰も「すげえ~!!」とは思わないのである。また、まるでなんにでも殺陣をつけたがる北村龍平監督(大げさすぎてウザイ監督ナンバーワンである)のごとく、大幅に数を増した格闘シーンは、ほとんどのシーンが夜というのと、カメラが接近しすぎていてハッキリ言ってなにをやっているのか良く分からない。・本編に魂を感じない点。これが一番気に入らないのだが、本作において、「ラクーンシティからの脱出」とか「ネメシスとの追走劇」とか、「少女を救出せよ」とか「脱出の残り時間はあと4時間」だとかいう、本作の核になる要素というものが締める割合というのは、非常に小さいように感じられる。明らかに次回、第3作目へと客を引っ張るための「つなぎ」のような印象をうけるのである。つまり『エイリアン』シリーズというのが、リドリー・スコット、ジェームズ・キャメロン、デビッド・フィンチャー、ジャン・ピエール・ジュネという4人の監督たちによって描かれた4つの独立した物語であったのに対し、『バイオハザードII』は、「2つ目のエピソード」でしかないのである。このあたりに、ネタ不足なハリウッドの「続編根性」みたいなものがチラチラ見え隠れして、なんとも嫌らしい。とはいえ、ゲームのファンだったらゲーム同様の活躍を見せるジルやネメシス、それにリッカー(今度は複数登場)を見ておいて損はないだろうし、普通にアクション映画としての完成度は高い。ヨーボヴィッチのヌードも見られるので彼女のファンは必見だ。それに、前作のような恐怖もほとんどないので、こわがりな彼女とのデートにもお勧めできるので、劇場へ足を運んでみてはいかがだろうか。
2004年09月04日
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昨日から一転し、今日はほとんど仕事のない1日だった。昨夜ほとんど寝てないというのに0に起こされてしまったせいで、今朝は11時ごろには出勤していた。編集部、デザイナーとの連携が核になっているこの仕事。編集者やデザイナーの出勤時刻は昼過ぎというのがほとんどなので、それを考えるとかなり早い出勤時間といえる。今日の仕事は某週刊誌の原稿の入稿のみ。早く来すぎても本当にやることがない。ゲームの記事なども扱っているため、普段であればその辺に転がっているゲームをいじったりして時間を潰すのだけど、昨日まで死ぬほどゲームの記事ばかり書いていたので、そういう気さえ起こらない。というわけで、週末に買った本でも開いてみる。恩田陸の『夜のピクニック』という新刊。夜を徹して80キロを歩きとおすという、「歩行祭」というイベント。恋バナしたり、ジョークを言い合ったり、もっとくだらない四方山話に花を咲かせたりと、高校生活最後の思い出をクラスメイトたちはこのイベントを通して作っていく。そんな中、主人公の貴子はひとつの賭けを胸に秘めていた。3年間心にわだかまっていた気持ちを、この日解放するために…。僕はS・キングの『死のロングウォーク』が大好きなのだけど、この「夜のピクニック」は明るい「ロングウォーク」というか、同じテイストを感じた。もしかしたらキング作品をベースにしているのかもしれない。恩田陸作品というのは、ノンジャンルというかなんでもありというか、ホラーからミステリまで、とてつもなく幅広いのが特徴だけど、こういう少年少女あたりを描く作品が、僕は中でも特に好きだ。現時点でも未だ読了していないので、作品そのものの感想は後日にしようと思う。さて、仕事場にも人が多くなり、せめて仕事をしている「フリ」をするため、例のシナリオのプロットを少し考える…。最近はシナリオを書くとき、四字熟語でテーマを決めることにしている。今回は「支離滅裂」僕は記憶喪失の男の話を思いついたので、紙に鉛筆で書きなぐっていく。こんな作業を23時ぐらいまでつづけ、「あぁ~仕事した」と大げさに欠伸をして会社を出た。そんなヒマな一日だった。
2004年08月31日
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今日はあまりに忙しい日だったので、愚痴を吐いてみようかと思う。「日だった」と言ってみたが、実はその忙しさは現在進行形だったりする。雑誌のラフを切り、原稿を書き、入稿し、校了する…。これが編プロのライターの基本的な作業のローテーションでなのだが、今日はそれを3周ぐらいこなした気がする。で、現在も未だ、デザイナーからレイアウトが上がってくるのを待っている状態だ。上がってくればまた原稿である。僕が待っているのは、某少年誌の記事ページのレイアウトだ。この仕事はなかなか面白い。子供の頃から読んでいた漫画雑誌の仕事をするというのは、なかなか奇妙な感覚だし、自分たちで作った本が売れればうれしい。漫画の中に登場した人物と会ったり、時には作者とも会うことができるという経験は、他ではなかなか味わうことができない。だから、多少の忙しさは気にならない。「請けた仕事には責任を持つ」これが僕のポリチーである。ただね、安すぎはしないだろうか…。そういえば昔、誰かに「ADより待遇が悪い」といわれたことがあったな…。1日14時間近く仕事場にいる男の給料(手取り)が15万円というのは、他の業種ではめったにお目にかかれないサプライズプライスであろう。家賃に半分を持っていかれ、携帯電話料金や光熱費、食費を引いてしまうとほとんど何も残らない。これが現状である。しかも、仕事場に要求されるハードルはなかなかに高い。好きな雑誌の仕事でなければ、恐らく続いてはいないだろうとつくづく思う。もっと稼げる仕事はいくらでもありそうなものだからだ。だから僕は、この仕事は修行だと考えるようにしている。スクールに通っていると考えるんである。給料をもらい、通うスクール…このように考えれば、理不尽な額にもなんとなく納得できる。できないまでも、「辞めてやる」という言葉を飲み込むきっかけにはなる。まだ修行中のみなのでござる。だからとっとと修行を終えて、堂々と辞めてやる日をまっているのだ。
2004年08月30日
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0も大きくなってきたので、南船橋のららぽーと内にある『ニャイルドわん』に連れて行くことにした。『ニャイルドわん』は、ペット専門フロアのことで、ペットショップの集合体のようなもの。犬や猫をはじめ、鳥や金魚までさまざまなペットそのものを販売しているブースもあれば、首輪やらおもちゃやらえさやらを販売しているブース、トリミングしてくれる美容室(?)、しつけをしてくれる相談室みたいなものや、フリースペース、ペットと楽しめるカフェなんかがある。ペットを飼っていない人から見たら、ものすごく無意味な、臭いだけのスペースに見えることだろう。僕自身、こうやって羅列してみて思った。すっごくアホらしく感ずる。カフェて!…でも、ペットの飼い主としてはなかなか楽しめるスペースだと思う。…でもカフェて!とにかく、0と遠出するのはなかなか久しぶりだ。彼をバッグに詰め、電車に乗った。ららぽーと本体の中はペット禁止なので、バッグに入れたままWEST館5Fへ。そこでは、雨にもかかわらずたくさんの人と犬でごった返していた。こんなにたくさんの犬(と飼い主)を一度に見るのは初めてなので、僕はしばし呆然とし、0は尻尾を丸めた。コンテストに出す気満々な、手入れの行き届いた感じのチワワ(名前は多分「アイフル」だろう)から、0の10倍ぐらいはありそうな大型犬(こっちは「パトラッシュ」か「ジョリー」にちがいない)まで、様々な犬たちが、飼い主と一緒にフロア内を闊歩する様は、どう考えても異様だ。だが、0に興味を持って声をかけてくれる人(や犬)はみんなとても親切で、こればかりは犬を飼っていなければ得られないコミニュケーションだなあと感じた。0はというと、いろんな犬の尻の匂いを嗅ぎ、そして嗅がれ、初めてのデパートに興奮していたというのもあるのだろう、結構疲れ顔になっていたので、おもちゃ(骨状にきつく結ばれた紐。「骨代わりに毎日噛んで、歯にもいいっスよ」的な)を買って引き上げることにした。帰宅後、僕はちょっと疲れたので昼寝することにした。0に買ってきたおもちゃを与えて横になった。1時間ほどして起きてみると、骨状にきつく結ばれていたはずの紐がほどけ、辺りに散らばっていた。毎日噛んで…毎日噛めないじゃん! という紐メーカーへのクレームと、「コイツ、エスパーかも…」という0への思いが交錯した一瞬だった…。
2004年08月29日
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アテネ五輪の日本代表が帰国した。長嶋監督が出迎えた。「おつかれさん」監督のひとことで肩の荷が軽くなったという選手がたくさんいたという。僕は納得がいかなかった。『長嶋ジャパン』は、アテネに金メダルを獲りに行ったのではなかったのか?だが、結果は銅メダル。しかも、各下のオーストラリアに連敗してである。オーストラリアは、決勝トーナメントでキューバと戦わずにすむように、戦略的に予選リーグで手を抜いた。キューバと日本を天秤に掛け、日本との対戦を選んだのだ。日本はなめられていたことになる。そんなオーストラリアに連敗である。しかし、空港で長嶋ジャパンにブーイングを浴びせた人はひとりもいなかった。かつて、初出場のワールドカップを終えて帰ってきたサッカー日本代表選手には酷い罵声が浴びせられた。FWの城選手には水がかけられた。五輪とワールドカップはちがう。また、「参加することに意義がある」という言葉もある。しかし、長嶋ジャパンは全員プロで構成されたチームである。プロには結果が求められる。普通のオリンピック選手とは違い、選手村には入らず、ホテルをとり、事前に相当な研究を積み、金メダルを獲ることが至上命令だったはずである。そういう意味で、長嶋ジャパンに足りなかったものがある。それは「監督」である。ご存知、長嶋監督は病床にあった。だがら彼らは、長嶋監督のユニフォームを現地に持っていき、ベンチに掲げた。中畑ヘッドコーチは監督ではない。監督の経験もない。その時点で、日本には不安要素があったはずなのだ。長嶋監督健在の時点で、彼らにとって大切なのは金メダルを獲ることだった。しかし、監督が倒れ、しかし新たな監督を立てずにアテネを迎えた時、彼らにとって大切なものはズレてしまったのではないだろうか?マスコミにも問題がある。なにかというと「長嶋ジャパン」を前面に押し出し、監督が旗に書いた「3」にカメラの焦点を合わせた。彼らがほしかったのは金メダルではない。美談だ。長嶋ジャパン…いや、アテネ五輪野球日本代表は、もっと反省すべきである。特に中畑ヘッドコーチと長嶋監督。あんたたちに責任はあるのだ。「ごくろうさん」じゃねえんだよ。
2004年08月28日
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『スパイダーマン2』は、前作の4倍くらい面白かった。この映画の肝は、上手なCMにあると思う。最近の大作映画のCMというのは、3パターンに大別できる。1.とにかく「全米ナンバーワン大ヒット」を連呼し、見どころや金の掛かったシーンををふんだんに流す。そう、いざ劇場に行ったら、CM以上のシーンが出てこなくなるくらいまで垂れ流す。例:『デイ・アフター・トゥモロー』2.観客に、「自分がいかに感動したか」を訴えさせる。例:『キングアーサー』3.芸能人が、この映画がいかに感動的かをアップで訴る。例:『シュレック2』や、その他ディズニーアニメ……これはどこかで聞いた話なのだが、大作映画のCMがこの程度のパターンでしか構成されないのには、理由があるのだという。その理由とは、「意味がない」から。大作映画の場合、ヒットの要因はあまりCMに左右されないらしい。いくらこりに凝ったCMを作ったとしても、まったく勝算が読めないのだそうである。だいたい、いくら凝ったCMといっても、大作映画より凝ったものはできないわけで、結局はその大作に埋もれてしまうのがオチなのである。だから、おのずと上記の3パターンになることが多いらしい。「ちょっと前の大作映画のCMって、もっとインパクトがあったような…」と、思わない人はいまい。確かにそのとおりで、僕などは子供の頃、『フライトナイト』という映画のCMが怖くてたまらず、CMが放映されるたびにその日1日トイレに行けなくなったほどである。大人になってあれがホラーコメディだと知った時は恥ずかしかった…。あ、しかも大作じゃない!……しかし、そんな感性をすてさり、大手映画配給会社が方程式でもって導き出した答えが、上記の3パターンなのである。マチャミとか山咲トヲルとかがどアップで目を輝かせたり、ブサイクなカップルが「感動しました」と話す姿を映すだけというのは、本当に嘆かわしいことだなあ…いや、それ以上にムカつくなあと思う。ところが、『スパイダーマン2』のCMだけは、この範疇に納まらない。『スパイダーマン2』のCMは、劇中の強烈なシーンをこれでもかと叩きつけて構成され、最後はマスクを剥がされる瞬間で終わる(初期バージョンはね)。一見パターン1と同じに見えるものだが、実は大きくちがい、あれだけ大量のシーンを見せながら、本編はそれを大きく上回る圧倒的な映像とドラマ、そして笑いのセンスに満ちている。それに、CMで最後に映し出される「マスク剥ぎ」も劇的な効果を生んでおり、そのシーンでは思わず絶句してしまう展開がちゃんと待っていた…お見事である。すべてCMで出し尽くしてしまっているパターン1とはぜんぜん別なのである。この夏の大作映画の中ではダントツの面白さだった。僕はこの映画を力強くお勧めする。なお、未見の人には前作を必ず見てから劇場に向かうことをお勧めする。見ないと面白さは半減するのは確実である。
2004年07月30日
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この第3作『アズカバンの囚人』は、以下の4つのポイントが気になった。●その1前2作以上に原作を端折って製作されている。事前に原作を読んでいれば、まるでダイジェスト版を見せられているように感じるだろうし、原作を読んでいなければ、恐らくその展開の速さと場面の切り替わり、時間の推移の分かり難さに辟易することだろう。●その2いくら監督が変わったとはいえ、あまりのイメージの変化に驚いた。確かにこの第3作目はダークな内容だけど、明るく楽しい部分もある。例えば後にハリーがこっそりと出かけるホグズミートは、魔法学校の生徒たちが行くのを楽しみにしている魔法の町だが、その部分はまったく描かれていない。ただの冬の田舎町である。少なくとも、ダイアゴン横丁の方がよほど楽しそうだ。●その3とにかく、主人公3人以外のキャラが生きていない。リチャード・ハリス死去のため、代役として登場したマイケル・ガンボン。彼が演じるダンブルドア校長は、目が笑っていない。ハリスの時には存在した温かい正のオーラがその瞳には感じられず、むしろ厳しい印象を持った。『ちびまるこちゃん』のおじいちゃんの声が変わったときと同じ印象だった。…わかんねえか。また、せっかく満を持して登場したゲイリー・オールドマンも、指名手配のポスターが最もインパクトがあり、実際の登場時、ハリーとの絡みではまったくと言って良いほど存在感を発揮しない。やはり彼にあの役は無理だったか…!●その4エンドロールが異常に長い。長すぎる。その後何かあるのではないかと席を立たないでいたのだが、結局なんにもない。という訳で、この第3作はCMで語られるような“最高傑作”では決してないと僕は思う。というか、だいたい『ハリーポッター』の最高傑作は未だお目にかかっていない。今後登場することを期待しよう。しかしシリーズものって難しい。最高の監督、最高のキャスト、最高のスタッフ、最高の脚本をそろえ続けシリーズを完結させられた映画というのは、ごくひと握りだ。昔は『インディ・ジョーンズ』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。最近だと『ロード・オブ・ザ・リング』くらいなんじゃないだろうか…。その他はどれも、「1作目はいいけど3作目がさあ…」というようなものばかりである。あ、『スターウォーズ』は旧三部作のみ該当するか。
2004年07月24日
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死ぬほど忙しかった某忍者漫画のアニメブックが校了し、少~しだけ時間ができたので、最近は読書に映画にシナリオ書きに勤しんでいる。なので、これから数日はそのあたりの感想をつづってみようかと思う。とりあえず一番最近に見たのが巨匠大友克広監督の『スチームボーイ』。前作『AKIRA』で世界的に有名になった大友監督待望の新作だが、『イノセンス』の押井守監督同様、彼の作品には過剰な期待が寄せられていて、だから生半可な映像やストーリーではまともな評価に評価されない。発明好きな少年の元に、お爺さんからひとつの機械が届く。それは、強力な力を秘めた究極の発明品“スチームボール”だった------『スチームボーイ』のストーリーは空想科学冒険活劇としては非常にスタンダードな出来である。また、音響へのこだわり、蒸気の表現へのこだわりなど、製作者側のさまざまなこだわりがある映画なのだが、それが観客にダイレクトに伝わるかといえば…そうでもない。案の定、僕の周囲の見た人見た人は口々に「たいしたことない」という感想や批評を発しているのだが、僕はあえて太鼓判を押す。これは大友克広の新作なのだ。なにしろ、ヒロインが少しも可愛くない。空想科学冒険活劇のヒロイン、そのセオリーといえば、はじめはツンツンしたお嬢様でも、終盤には大きく変わっているものなのだが、このヒロインは終始一貫の性格ブスである。まるでハナザワさんのような気の利かない女なのである。また、物語のクライマックスでは大規模な戦闘が行われ、ファミリー向け冒険映画には向かないほど凄惨な場面が繰り広げられるのだが、主人公をはじめ、主要登場人物たちは、善悪含め、ほとんど血を流さない。このあたりに大友監督ならではの皮肉というか、ロックを感じることができた。たぶん、この『スチームボーイ』は、世界的にも『AKIRA』ほどの評価は受けないだろうし、興行的にもそれほどの成功を収めるとは思えない。だけど、オーソドックスな展開の中にチラリと「ロック」を感じさせる映画というのは、僕は嫌いじゃないなあ…。
2004年07月23日
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最近、ひょんなことから子犬を飼うことになった。ミニチュア・ダックスフンドゥーという犬種の小型犬である。色はゴールド…とはいえ、カラオケボックスで出される薄いコーラのような色をしている。東京に住んでいた頃、ゴジャースなマダームとかが連れて歩いている光景をよく目にして、自分が飼うことになるとはつゆとも思わなかったが…飼ってみると、なかなかカワイイものである。名前は『0(ゼロ)』という。T・バートンの名作アニメ『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』に登場する犬(幽霊犬)の名前だ。3月5日生まれだから、まだ2ヶ月しか経っていない。人間の年齢にすると3歳~5歳程度らしいが、いやいや、まだまだ赤ん坊。僕は実家で猫を2匹飼っていたが、猫アレルギーだったせいでひどいメにあった経験があり、もしも犬アレルギーだったらどうしたものかと不安があったが、どうやらその心配はなさそうである。まだ赤ん坊ということもあり、ゲージ(まあ、檻ね)に入れてトイレなどをしつけなくてはならないのだが、それがさびしいのだろう、ちょっと部屋を離れるだけで、やたらとよく鳴く。赤ん坊なので、泣き声は「プープ」である。これは猫のときにはなかった反応で、かなり新鮮。鳴いているあいだは、ケージからだしてはいけないというルールがあるので、できる限り無視するのだが、あまりうるさく鳴くとアパートの住人に通報されてしまいそうなので、しかたなく相手をしてやる。毎日の散歩(とはいえ、まだバッグに入れての空中浮遊だが)や病院(予防接種とかね)に行かなければならず、バタバタした数日を過ごすことになった。とまあ、この0の登場のお陰で、日記が滞った。友人に毎日更新するよう言われていたのに…以後気をつけます。ともあれ、今後はこの0の成長も合わせてご報告することになりそうである。
2004年06月04日
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僕は、某有名テーマパーク『Dリゾート』が苦手である。遊園地自体はキライじゃない。老若男女が楽しめるアトラクションは大好きだし、ジェットコースターにはかなりの自信がある(なんの自信だ)。でも、とにかく人ごみと「長時間並ぶ」という行為が耐えられない。たとえば、近所にどんなに評判のラーメン屋があっても、僕はその行列に加わろうと思わない。それが頑固親父の店でも、取材拒否の店であっても同様である。『Dリゾート』ともなれば、その行列はラーメン屋の比ではない。平均1時間半~2時間といったところだろうか。並んでいる間に、いったい何ができるだろう…別に意義のあることを常にしていたいと考えているワケではないが、無駄な時間を自ら選択するという行為が、僕にはそもそも疑問なのである。しかし、世の中には奇特な人がいるものだ。僕の仕事場には「未知子さん」という人がいて、彼女は今年の正月に『Dリゾート」の年間パスポートを購入した。ご存知だろうか、年間パスポート。『Dリゾート』には、ご存知のとおり、「陸」と「海」の2種類のパークが存在している。そのどちらかで一日遊べる入場券のとこを、「パスポート」という。これが5500円。年間パスポートというのは要するに、1年間有効の入場券のことで、彼女が購入したのは、双方のパークで使えるもの。これが69000円だそうである。つまり、年間13回行けばもとが取れるということになる。僕には信じられなかった。1年間に13回もあんなところに行く人がいるもんだろうか、と。しかも、未知子さんは僕と同じ職業で、しかも子持ち(未婚)である。とても時間がねえだろうと。ところが、未知子さんはこの「年間13回ノルマ」を、あっさりクリアしてしまった。…たった3ヶ月で。1月~4月頭までに、13回…。週1回は行っていることになる。すごい。もはや完全に、「夢と魔法の国」の住人である。そんな未知子さんは、現在、『D』と『スクウェア』の合作ゲーム『KH』の担当ライターとなり、ジュウジツした毎日を送ったりしている。そんな彼女を、仕事場の皆はこう呼ぶのだ。「ディズニーランダー・未知子」と。
2004年05月15日
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インリン・オブジョイトイという人がいる。キワドイ衣装や、大胆ポーズで有名なエロテロリストである。この間『踊るさんま御殿』に出演していたのを見たが、顔はそれほど美形ではない。少なくとも、僕の好みではないと思った。彼女の最大の魅力は、エロいところだ。でも、それほど美形ではない(当社比)彼女のエロスに深いエキスを与えているものはなんだろう。それはたぶんその名前にある。インリン・オブジョイトイ。英語に直訳すると「喜び玩具から成るインリン」である。これはなにやらエロい。「インリン」という響きも実に淫猥なものがあるが、「オブジョイトイ」は普通ありえない名前だけに、よりインパク値が高い。「オブジョイトイ」…口にするだけで、なにやら隠微な雰囲気をかもし出す名前である。「オブジョイトイ」を語尾につけるだけで、普段なにげなく見ていた人やものが、大人の玩具のような恥ずかしいアイテムに思えてくるから不思議である。『光浦靖子・オブジョイトイ』…笑えない。笑ってはいけないし、あの光浦がたしかに、セクシータレントに思えてくる。それはもう、アグネス・ラムばりのエロスムンムンなのである。『東芝インバーターエアコン・オブジョイトイ』マイナスイオンの代わりに、プラスフェロモンがびゅんびゅん出てくる。一家に一台夫婦円満。出した東芝はバカ売れで大正解である(出さないけど)。『チャーリーズ・エンジェル・オブジョイトイ』『フルスロットル』につづくメガヒットシリーズ第3作のタイトルはこれで決まり。たぶん悪役にジャネット・ジャクソン。もちろん片乳ポロリもアリ。よく分かっていただけたかと思う。あなたも探してみてはいかがだろう…オブジョイトイ。
2004年05月14日
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この仕事は金にならない。常々思うんだが、こんなに労働力&労働時間が実益に結びつかない仕事は、プロボクサーぐらいじゃないだろうか。今、給料(税込み)を時給に換算してみたら、433円だった…。これは実家の近所にあった「ひもり商店」のバイトよりも低い賃金だとえる。今夜も徹夜で残業である。もちろん、残業手当なんてものは発生しない。「ライターになりたい」なんて思いながら学生やってる人がいたら、そのあたりをよく検討した上で就職活動にはげんでもらいたい。お金と時間が惜しいのなら、編プロは避けるべきである。こんな仕事場を、なぜ僕がつづけているのか…。理由はいくつかある。僕の所属する編プロは、某少年誌での掲載記事の仕事を主に受けている。それゆえ、いろんなマンガ関係者に会うことができる。某「龍珠」の○リーザや、魔人○ウとかの顔を毎日のように見られる。編集者にごちそうしてもらったりすることがある。不況とはいえ、出版社はさすがに羽振りが良い。先日は取材と称してPRIDE GPに連れて行ってもらった。そしてなにより、自分の好きなマンガ家に会えたりする。最近だと某「○ャガー」の作者に会うことができた。これは、マンガ好きにはたまらない特典であろう。あともうひとつ僕をつなぎとめている物があるとすれば、それはたぶん、ここが修行の場だからだと思う。この仕事を何10年も続ける人というのは、ほとんどいない。みんな、何年間かここで働くと、新しい職場へ旅立っていく。この苦しくも楽しい仕事場は、スキルを高めて羽ばたくための、助走レーンだったりするのである。なので、マンガが好きで、ライターがやりたくて、時間とお金が惜しくなくて、何年か新しい仕事するために助走しようと考えてる人は、フリーターなんかやめてウチに入社することをあえてオススメしよう!あ、あと「いたいびと☆ゆづる」にガマンできる人ね。
2004年05月13日
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世の中には「痛い人」がいる。一瞬にして他人の痛覚を刺激してくる天才…。最近、3ヶ月前に仕事場に入ってきた新人・赤羽ゆづる(仮名24才・男性)。コイツはまちがいなく純正の「痛い人」である。言葉では伝わりにくいかもしれないが、これまでの彼の活躍をここに列挙してみよう。・午後10時半になると、おもむろに社内の喫煙スペースに行き、逆立ちの練習。・エレベーターホールでシャドウボクシング。・新人の女の子が入って来ると、必ずすぐに惚れてアタック。周囲が冗談であおると、「いや~、彼女に恋愛感情はないですから~」と、まんざらでもないご様子でニヤけながら否定。・4LサイズでダボダボのYシャツをTシャツの上からはおる。なんでそんな格好してるのかたずねると、「かわいいでしょ」と答える。・口元が井上和香っぽい。つーか、マクドナルドのドナルド(ピエロ)っぽい。ちなみに顔は音楽の香りのまるでしないプリンス。そして極めつけは、最近彼のカバンの中から偶然発見された、7つのヒミツ道具である。壱、催涙スプレー弐、痴漢撃退用ブザー参、折りたたみ十得ナイフ四、特殊警棒五、モデルガン六、スタンガン七、靴べらおい、お前は誰にねらわれとるんじゃい。そして靴べらて!まさに「いたいびと」である。はねである。 あなたの周りにも、痛い人、いませんか?
2004年05月12日
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僕の幼なじみに、ちょっと変わった男の子がいた。あだ名は「ユッケ」という。僕らが子供の頃、世の中はオカルト映画ブームだった。『ビデオドローム』『ポルターガイスト』『エイリアン』『バタリアン』『トワイライトゾーン』『死霊のはらわた』『エルム街の悪夢』『遊星からの物体X』『バスケット・ケース』etc…数々の名作が生まれたのもこの頃だったのではないだろうか…?ビデオデッキが一般家庭に普及していなかったあの頃、劇場以外で映画を観るというのは大変な贅沢だった。で、ユッケの家にはその希少なビデオデッキがあった。僕らは、ユッケの家に遊びに行くたび、ソファに座って映画を見せられた。お父さんかお母さんか…家族の誰かの趣味なのだろう、ユッケの家にはホラー映画しかなかった。ユッケのお気に入りの一本は、『ゾンビ』。ご存知、ジョージ・A・ロメロ監督の傑作である。この映画は、僕にいろんな意味でトラウマを植えつけることになった。物語は、ある日突然甦った死者が人々を襲うようになり、生き残った数名の人々が郊外の巨大ショッピングモールに立てこもるというもの。昨日まで知り合いだった人が、次の瞬間には自分を喰らおうと襲いかかってくる…たとえ家族や恋人であっても、おかまいなしに。この設定は、当時の僕にとてつもない衝撃を与えた。なんちゅう恐ろしい話だろう…。生来臆病者の僕は、それだけでも充分ヤバい状態(要するに昼間でもひとりで便所に行けないような状態ね)に陥っていた。しかし、本当の恐怖はこれからだった。騒然としている僕に向かい、ユッケはこうのたまったのである。「ねえ、ゾンビごっこしよう」ここでユッケについて解説しておこう。彼は運動神経がよい、とても元気な少年だった。しかし、その発言はなかなか個性的で、クラスでも人気者と嫌われ者の境界線に立っていたと記憶している。容姿で特徴的なのが、顔色の悪さだった。前述のとおり、彼はとても元気だった。にもかかわらず、いつも青白い顔をしていた。そんな彼が演じるゾンビは、まさに芸術品だった。ユッケゾンビに追いかけられ、僕は自宅へ逃げ帰った。この経験から、僕の臆病な性格には拍車がかかり、ホラー映画を観ることはおろか、そのTVCMを観ては夢にうなされ(たしか『フライトナイト』という吸血鬼映画のCM)、ビデオレンタルのホラーコーナーに足を踏み入れることすらできなくなった。この「ホラー映画恐怖症」を克服できたのは、高校を卒業する直前になり、「これではいかん」と意を決して、姉に借りてきてもらった『ゾンビ(ディレクターズカット版)』を観てからだ。子供の頃の印象とは、大きく変わっていた。たしかに怖いことは怖い。でも、そこに映っていたのは、意思もなくのろのろと漂いながら人を襲い、しかしライフルのターゲットにされ、ゲーム感覚で狙撃される哀しい生ける屍の姿だった。この映画は、おもしろい。このころすでに映画中毒になりかけていた僕は、ほどなくしてこの『ゾンビ』を「おもしろ映画リスト」に加えることになる。その『ゾンビ』が、今度リメイクされて劇場公開される。タイトルは、原題の『DAWN OF THE DEAD』僕はこの映画に、子供の頃のリベンジを誓っている。トラウマが甦るのか、単に、「おもしろかった」と感じられるのか…。現在の僕は、まるで生ける屍のごとく怖い映画を求め、映画館とレンタルビデオ店とをさまよう「ホラー映画マニア」だ。人間、嫌いなものを克服したときの反動は思いのほか大きいといまさらながら思う。ある意味、『ゾンビ』とユッケには感謝しているくらいだ。だから、トラウマが甦って、夜中に便所にいけなくなる…という結果は99%ありえない。ただ、ひとつだけ不安要素が。今度のゾンビは、走るらしいのだ。
2004年05月11日
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僕は今、千葉県某所の漫画喫茶でこれを書いている。ゴールデンウィーク以降、仕事帰りは朝までここにいることが多い。漫画喫茶はおもしろい所だ。平日の深夜は、特に。僕が訪れるのは大抵深夜1時ごろ。入り口付近のテーブル席には、客はほとんどいない。しかし仕切りがつき、パソコンが一台置かれた「個室」には、決まって何人かの客がいて、ネットゲームやエロ動画のダウンロードに興じている。仕切りとはいえ、両サイドにベニヤ板、背後にのれんのような布が掛かっているだけのごく簡単なもので、天井はガラ空き、背の高い人なら簡単に上から覗きこむことができる。みんな、他人が覗いていようがいまいがおかまいなしで、作業に没頭している。自分だけの深夜勤務。この漫画喫茶には、「2名様優先席」というのがあって、「個室」よりも少し広いスペースに、2台のパソコンと、いわゆるラブソファがひとつ置かれた部屋が設けられている。深夜とはいえ、この席はほとんどが埋まっている。これが実にクセモノだ。例の仕切りがここにも掛かっている。だが、布の長さは部屋を囲む板の半分ほどの高さしかなく、向かいの部屋からは、座っている人の足元が見える。これがなかなかにおもしろい。仕切りの下からは、今にも擦り切れんとしている汚い男の靴下だけが見える。しかし、その部屋の中からはかすかに女の話し声が聞こえてくる。平日深夜の漫画喫茶である。どういう関係の男女なのか、声の感じから、年齢は若いようだ。学生だろうか? ヒマをもてあましているフリーターかも。男女だからといって、カップルとは限らない。いや、もしかしたらそうかも…。仕切りの下からは、汚い靴下しか見えない。すべては、想像の範疇、イメージで構築された、マトリックスなのである。…と、想像することはイメージのトレーニングになる気がする。僕がここにかよっているのは、某青年誌のコンクールに応募するシナリオの取材なのである。いわゆるシナハンというやつ。漫画、いっぱいあるし。おもしろいし、いいでしょ。でも、仕切りというのは例え布一枚でも、人を大胆にするものらしい。ときどき、ホントに「はじめちゃう」奴らがいるのだ。そういうときは、ホントにドキドキである。深夜の漫画喫茶…おもしろいなあ。
2004年05月10日
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おはようございます。今日から日記をつけさせていただくことになりました。さてはじめに、この日記のスタートにはワケがあります。実はネット上に、放送作家をしている友人と、以前にお手伝いさせてもらった劇団の演出(このふたりは夫婦ね)の日記があるのですが、彼らの日記がメチャメチャ面白い! そのエンタメぶりといったら更新が待ちきれないほどで、「ただ更新されるのを待つくらいなら、自分で書いたるわい!」と思ったのが動機なのです。僕は某編プロに勤めてまして、そこで某少年誌などの記事を書いてます(実は毎週のように顔も出してます。不本意ながら…)。仕事はキツイし金にはならないし…と、とにかく散々な職場ですが、まあ目的を達するまでの「修行の場」だと思ってシコシコやってます。僕の目的。それは「お話を書く人になること」です。小説、シナリオ、芝居、マンガの原作…なんでもいいのです。自分の作りあげた物語をなんらかのカタチで世に発表し、それでメシを食う…これに勝る職業は、僕には考えられません。くぅ~っ!それゆえに「夢」でなくあえて「目的」と表記させてもらいます★とまあ書いてはみたものの、現在の僕はまだ、何者でもありません。読んでくれた方、おんなじような「目的」を持ってる方、今度飲みに行きましょう! おごってください。
2004年05月09日
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