hongming漫筆

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2004.02.26
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カテゴリ: 近代文学




 解剖学者が、独自の観点から近現代の文学について語る。
 養老孟司の文章は、新聞などで見る時評のようなものは分かりやすく面白いのだが、この本は何だか観念的なことが多くわかりにくかった。
 例えば、「芥川は漢文を古典としない世代だ」というようなことはよく分かる。しかし、「若い芥川は、漱石の内省的な心理主義をさらに拡張し、身体そのものを、心理主義で規定される近代文学の領域に取り込んだのである」(p49)などという文章になると理解できない。
 書名にあるように、文学における「身体」というもののありようを問題にすることが多いのだが、それがよくわからないのだ。
 筆者は、自我は脳の機能でしかないと割り切っている。
 例えば、「意識化された自我などというものは、たかだか千五百グラムの脳の、それもそのごく一部の機能に過ぎない。」(p182)と言い切っている。
 その他、強く印象づけられた箇所。
 『古事記』に「豊葦原水穂国」という表現があるが、これは、大陸の自然を知る人の表現に違いない。(p112)
 「解剖していれば、私の口の中には人体の切れ端くらいは飛び込む。それを飲み込んだからどうかといえば、どうでもないのであって、無意識に人間を食ってしまう側から見れば、意識的に人間を食うことがなぜ興味の対象であるのか、そこが根本的に私には不明なのである。」(p151)

 また、明治になって発展・普及したものは、江戸時代にすでに需要があったものなのだ、という指摘も面白かった。





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Last updated  2005.04.01 21:23:32
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