hongming漫筆

hongming漫筆

PR

×

Comments

背番号のないエース0829 @ 松谷みよ子】(04/22) 「私のアンネ = フランク」に、上記の内…
hongming @ Re:ブルーレイが再生できない(11/30) 随分遅くなりましたが、やっと試しました…

Archives

2026.06

Keyword Search

▼キーワード検索

2005.12.21
XML
カテゴリ: その他の読書録
彌生書房。1975.4.15初版。1975.5.20第6版

  名前は知っていたが初めて読んだ。
 その文章とエネルギーに圧倒される。
 とにかく文章がうまい。
 たとえば「鉛の旅」の出だしはこうだ。

「ようく似ている。太陽が両岩壁のどちらかに落ちて、深い渓谷の様相と、それとわきまえられる流水の形が昏《くろ》ずんでいるどこか記憶に残る風景が思い出される。」(p121)

 いきなり「ようく似ている」と始められては、こちらも「何だ何だ」と引き込まれずにいられない。
 この「鉛の旅」は入営した息子を会津の兵営に訪ねていったときのもの。
 個人的なことだが、私の伯父も入営していたことがあったと、伯父の死後、父から聞いた。


 「 大草原の小さな家 」のローラの母親はこういう人だったのではなかろうか。
 著者は阿武隈山地の東側、浜通の人。私は西側、中通りで育った。
 土地の人でなければわからないのではないかという言い方もある。
 「草野心平さんの書画展を見るために久しぶりで出平した。」(p41)の「出平」というのはどうだろう。
 これは昭和五年のこと。いまのいわき市はいくつもの市町村が合併してできたもので、その前は「平《たいら》市」があった。その「平」に出るから「出平」なのだ。

 方言などに懐かしい思いがする。
 「ペッタ(メンコ)」(p32)という言葉が出てくる。私たちの町では「パッタ」と言っていた。
 子供の時のことを思い出したりもした。
 鶏のえさに「米糠をねったり青いものを切りまぜたり」(p11)のところで、母の実家で見たのは、米糠だったのか、と思い当たった。

 七十歳を過ぎてから、おそらく日記などを元に昔のことを思い出して、その時々のことをつづったもの。

 開墾に従事する、三野混沌という筆名を持つ詩人で小作人の夫との苦しい開拓生活での思い出が語られる。
 仕事はつらく、生活は苦しい。小作料は納めなければならず、楽になるということがないまま暮らしていくのだ。
この輝かしい日々 で、ローラが下宿した家のようだ。
 「水石山」には「いくら働いても追いつけない生活の貧窮が、お互いの性格をひびいらせていた頃で、ひいて憎悪の烈しい無言のたたかい」(p145)という文章がある。

 どうやら、著者はかなり口のたつ人らしく、夫は閉口していたのではないかと思う。
 「えんま#[「えんま」に傍点]の前でぽんぽんがなれ#[「がなれ」に傍点]よ」と言われた話がある。(p163)
 そういう強い人だったからこそ、この本を書き残すことができたのだ。

 記憶違いかと思われるところがある。
 「鉛の旅」で郡山で磐越西線に乗り換えたとき、「磐梯山が見られる左寄りの窓を占めた」(p130)とある。鉄道は磐梯山の南側を通っているので、右側に見えるはず。郡山駅では左側に見えるからか、と思って読み進めると、右手に猪苗代湖が見えたという記述があった。進行方向に向かって左手になるはずだ。
 後ろ向きに座っていたのでこうなった、ということだろうか。


 「荏油」(p35)が読めなかった。「えのあぶら」あるいは「えゆ」と読むのだろう。エゴマの油だそうだ。



楽天ブログランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005.12.21 10:20:15 コメントを書く
[その他の読書録] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: