本作品は、トマス・クロムウェルを主人公に据えた三部作の第一作である。筆者は本作と第二作『Bring Up the Bodies』でブッカ―賞を受賞している。 ヘンリー八世といえば、戦争でも成した業績でもなく、妻をとっかえひっかえした青髭イメージが強烈である。その彼に仕えたのがトマス・クロムウェル―清教徒革命のオリバー・クロムウェルの大伯父にあたる。だが、正直言ってトマス・モアほど知名度はない。それどころか、映画『わが命つきるとも』では、キャサリン王妃とヘンリー八世の離婚を認めようとしない高潔の人・モアに対して、権謀術数を弄する策士―悪役として描かれている。しかし、本作ではこれが全く逆で、モアは「異教徒の逮捕と処刑を進めていく頑なな人」として描かれ、クロムウェルは「市民の流血を最低限に抑えられるよう奔走する常識人」という構図になっている。 TVドラマ『チューダーズ』などで注目されているこの時代、アン・ブーリン、ヘンリー八世、トマス・モアと、とにかく登場するのが有名人ばかり。小説内ではクロムウェルだけが“he”という三人称で表されるので、はっきり言って地味である。これは、当時代人よりも現代人に近い感覚で生きている彼に、読者が寄り添いやすくするための工夫であろう。さらに、常識人であるということは受け身の立場が多くなるわけで、これもまた地味なのである。ただ、地味ながら少しずつ出世していくのだが、やはり「主人公の目覚ましい活躍を見たい!」と切望する向きには、少なからず欲求不満が残るであろう。 その代わりと言ってはなんだが、ヘンリー八世を巡る女性達の闘いはすさまじい。映画『ブーリン家の姉妹』ではえらくキレイに描かれていた姉妹の確執だが、本作ではもっとえげつなく、アンの妊娠中に未亡人ではあるがれっきとした人妻のメアリを王にあてがっておこう、なんて策が用いられる。王妃となったアンが先の王妃とその娘メアリ(後の女王)に向ける敵意も強烈であり「兄の婚約者だった時代に実は関係があった」だの、結婚を何とかして無効にしたいヘンリー側の事情で、夫婦の性生活まで赤裸々に語られるキャサリン王妃は、佐藤賢一の『王妃の離婚』を彷彿とさせる。