「A story: A man fires a rifle for many years, and he goes to war. And afterward he turns the rifle in at the armory, and he believes he's finished with the rifle. But no matter what else he might do with his hands, love a woman, build a house, change his son's diaper; his hands remember the rifle. ここに一つの物語がある:男は何年もの間銃を撃ち、戦争に行く。そして帰還後、彼は銃を兵器庫に戻し、もう銃を撃つ事はないのだと信じる。しかしたとえ彼が女性を愛し、家を建て、息子のおむつを替えたとしても、彼の手は銃を覚えている」
海兵隊員スオフォードが「全ての戦争は違っていて、また同じであるEvery war is different, every war is the same.」と言うように、戦争の目的は昔から「敵を倒す・負かす」であるのに対してその手段は変化している。個人と個人が闘う陸上戦から巨大戦艦同志の海戦、そして戦艦大和が小回りのきく航空機に撃沈される戦艦時代の終わり、原爆、中性子爆弾、生物兵器…。父がベトナム戦争に赴いた彼が抱く戦争のイメージは、戦地で上映された映画『地獄の黙示録』であったろう。しかし彼の待ち受ける戦争は、ついぞやって来ない。やって来ないが、非日常を生きるうちに彼の気持ちは少しずつ壊れていく。具体的にどこかを傷つけられたわけでも、誰かを殺して心の痛みを感じたわけでもないが、確かにそれは戦争の痛みなのだ。具体的でないから余計に厄介だとも言えよう。
戦場でしか生きられない上級軍曹、家に残した妻から浮気現場のビデオを送りつけられる男、現実社会に戻れば犯罪者のレッテルがついてくる男。「We are still in the desert.僕等は未だ砂漠にいる」スオフォードのラストの台詞にある“砂漠に残してきた僕達”とは、そうした厄介な記憶を共有した仲間であり、自分の中に出来てしまった見えない傷のことだ。戦争の形がどんなに変わり、例え生身の傷を負わなくなったとしても、戦争自身が亡くならない限り、からっぽな男達=Jarheadは増え続けるのみである。