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カッコイイ 「こんにちは」何げない挨拶も、あの人がすると粋に聞こえるから不思議なものだと恵は思った。恵の言うあの人とは、この最近3階の住人になった坂元という30前くらいのハンサムな税理士である。 恵の父は、明治よりずっと以前から、この税務署前の地主で、明治の頃から、税理士事務所専用の貸ビルをやっていた。今の10階建ビルは、祖父の代から数えて3代目のビルと言うことになる。恵たち家族は最上階に住んでいる。 ビル管理会社を雇うほどのビルじゃないから、必然的に各階のトイレを含めた共用部分の掃除は、母と交代でやることになった。中学3年生になったとき、父が「週に1回か2回は恵にやってもらったら・・・」と言ったとき、恵は、お小遣い値上げを条件にオーケーだったのに「そんな嫁入り前の娘に・・・」と反対した母だが、もうすぐ50の声が近づく頃になるとさすがに体力の限界を感じたのか。 週2回は恵に任せざるをえなくなった。 そんなわけで、最初は、気軽な気持ちで引き受けた恵だった。しかし、3階のハンサムな若い税理士の坂元の出現で、なんとも複雑な気分になってきた。空室になっている4階を除いて、8つの税理士事務所が入っているが、それぞれで働く事務員や見習い税理士を含めても、坂元のカッコ良さは群を抜いていた。いつも黒っぽいスーツに身を固め、スラーッとした長身では、半分以上の依頼先が女性経営者と言うのも十分うなづけた。 「おかあさん、できたら私、土日にしたいの」と恵は父や母に頼んだこともあった。坂元と会話できるのは、この上なく嬉しい恵だが、トイレの便器を這い蹲るようにしてタワシで磨いている時に坂元に会うのは、いかにも心が引ける。「若いのに感心だね」と言われても、とても気恥ずかしかった。それでも、土曜日日曜日は、掃除してないので必要ないと諭され、渋々頑張っていた恵だった。 そんなある日、3階の坂元の事務所に、刑事と警官が3人ほどやってきた。ちょうどトイレ掃除をしていた恵の横を引きずられるようにして、あの黒っぽいスーツでスラーッとした坂元は刑事に連れて行かれた。「ああ・・・犯罪者役も似合うんだ」と、ますますファンになってしまった恵だった。何でも、坂元が脱税の手助けをしていたと言うのだ。このことは、テレビのニュースでも取り上げられテレビ局や新聞記者も次々やってくるほどの慌ただしさだった。 それから毎日のように、警官や刑事がやってきて3階の事務所を捜索していた。 そんな慌ただしい数日が過ぎて、刑事や警官の出入りもなくなった1ヶ月後だった。またも、トイレ掃除をしていた恵の横を、髭づらで、見るも無惨にやつれてしまった坂元が事務所に帰ってきた。 あとで分かった話だが脱税の件は、とんだ濡れ衣だったのだ。しかし、二人雇っていた事務員もどこに行ったやら、連日のあら探しで散らかった事務所を見つめ途方に暮れた様子の坂元だった。しかし、その絶望に浸っているところが、なんともカッコいいので、恵は思わず「頑張ってください」とタワシを持った手を小さく振ってしまった。
2005.05.31
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現在調査中 何年か前アメリカで、男性ニュースキャスターがテレビ放送中に、同じ番組に出演している女性キャスターにプロポーズし、見事女性キャスターもオーケーするという出来事があった。 それほどではないにしろ、ある地方テレビ局で微笑ましい事件があった。 小橋裕一郎は、18歳の頃から、母と娘の香奈が賄っている学生アパートにやっかいになっていた。 小橋は真面目を絵に描いたような学生で、育英会から資金援助してもらいながら、28歳で一人前の医師になった。そして、育英会からの要請で無医村に派遣されるになることになった。 一方、裕一郎が18歳でアパートにやってきたとき、15歳の中学生だったアパートの大家の娘の香奈は25歳になり、地方局のアナウンサーになっていた。 下宿人と大家の娘とは言っても、10年も同じ屋根の下に暮らした裕一郎と香奈は、秘かに心を通わせていた。しかし、裕一郎はイノシシやサルが出るという過疎の村に派遣される立場である。 地方局とは言っても、アナウンサーとして波に乗り始めている香奈にプロポーズするにはいささか躊躇していた。 そんな二人に転機が訪れたのは、裕一郎が村での診療の仕事に慣れ始めた頃だった。 香奈とは電話やメールのやりとりはあったものの、実際に会えるのは1ヶ月に1度あるくらいで、お互いに忙しい身の上ということもあって、二人の仲は、このまま行けば自然消滅という感じだった。 そんなとき、香奈の仕事で、無医村で働く青年医師を訪ねる企画があった。香奈は、まさかと思いながら、プロデューサーから渡された資料を見てびっくりした。 青年医師とは裕一郎のことだった。香奈はテレビ局のスタッフとドキドキしながら、裕一郎を訪ねた。事前に裕一郎に電話を入れた香奈だったが、あいにく裕一郎は釣りに出かけていて連絡がつかなかった。番組は診療所にやってくる村の老人や子供たちを忙しく診察する裕一郎の姿と、つかの間の時間に近くの河原で釣りを楽しむ裕一郎に今の心境をインタビューするという設定だった。診療所での様子はビデオ撮影され、海岸での釣りの様子は早朝の生放送だった・・・河原に向かって釣り糸をたれている裕一郎は、何か思い詰めているように河原を見ているだけだった。 無愛想で話にくい様子の裕一郎に香奈は懸命の笑顔でマイクを向けた香奈「釣りは、以前からやってたのですか・・」裕一郎「いえ、ここに来て村の人に習いました・・・」香奈「ここに来られる以前は、医学部の野球チームのキャッチャーだったとか・・・」裕一郎「ハッハハ・・・どっちも違うようで似てるんですよ。待ってるってことが、僕の性格にあってるのかも・・・でも、最近、待つのも疲れてきて・・」香奈「診療所の仕事がですか?」裕一郎「そんなんじゃなくて・・・アナウンサーなんか辞めて来ませんか・・・」香奈「ええ?・・・」やっと、香奈の顔を見た裕一郎の顔は真剣そのものだった裕一郎「これでもプロポーズのつもりなんだけど・・・」香奈「あ、あの・・・仕事中なので・・・」このあたりで、スタッフは「やばい」と思ったのか、テレビ画面は、スタジオに戻された。 この場面については、数十件の電話があった。もちろん、苦情もあったが、それより多かったのは、二人がどうなったか知りたいと言う問い合わせだった。苦情に対しては、テレビ局側はひたすら謝ればよかったが、二人のその後についての問い合わせに対しては、「現在調査中」と言う答えでお茶を濁した。 半年後、香奈はアナウンサーを辞めて、裕一郎と結婚したらしい。 が、このことについては、某新聞社がこぼれ話として小コラムで扱った以外に本当にテレビ局が調査したかどうかは定かではない。
2005.05.30
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異次元への入口もう30年ほど前になる。小学生だった私はラジオで、妙な放送を聴いた。放送局の名前も分からないし、時間も深夜遅くと言うくらいしか言えない。あの頃、私は、真空管の大きな古い古いラジオで短波放送を聞くことに凝っていた。ビッグベンの音から始まるロンドンの日本語放送や、ロシア人とモスクワへ愛の逃避行した女優の岡田嘉子さんのモスクワの日本語放送などを聞いていた。そんなある日、キーと言う妨害電波と共に聞いたことのない、アナウンサーにしては下手すぎる素人の根本君恵という女性の放送を耳にした・・君恵は、当時から30年も前、たぶん昭和20年代に国電のY駅で、特急列車に身を投げたそうだ。失恋のショックで、心千々に乱れての傷心自殺をはかったのだ。その君恵は、飛び込んだ瞬間、真っ青なトンネルのような所に入ったそうだ。「ああ・・・ここが死後の世界かあ」とも思った君恵だったが、また次の瞬間、自分が、つい今し方、飛び込み自殺をはかったはずのホームに立っていたそうだ。何やら、気先をそがれたようで、そのまま実家に帰った君恵だった。が、いつものように実家に入ろうとすると、お母さんが、真っ青な顔で「ああ・・・あなたは、誰」と腰も抜かさんばかりに驚くのだった。そして、お母さんの驚きの声を聞きつけて奥から出てきたのは、なんと、君恵だった。君恵は、もう一人の自分と対面したのだった。気も狂わんばかりに驚いた君恵は、実家から飛び出して、さんざん彷徨って元の駅のホームに戻ったそうだ。そして、またも特急列車が通り過ぎた時、君恵は目の前の空間に切れ目のようなものを見つけた。その切れ目から、猛烈な引力を感じて引き込まれた。またも、あの真っ青なトンネルだった。次の瞬間、また根本さんは、Y駅のホームに立っていた。そこには、駅員さんや警察関係者、それに根本さんの両親もいた。彼らは、飛び込んだはずの君恵の遺体を探していたそうだ。しかし、一滴の血もなければ、遺品も一つも見つからないため、まる一日あたりの捜索を続けていたところだった。そこに、無傷で元気な君恵の出現である。一同、驚いたのなんのと言ったら。「どこに居たのだ・・・隠れていたのか?」と問いつめる刑事たちに、君恵は、体験をそのまま話したが、誰も信じてくれるはずもなかった。ただの狂言自殺と言うことで、とくに取り立てることもなく、そのまま30年すぎたそうだ。その間、君恵は、見合い結婚し、平凡な主婦となり子供を3人育てたが、あえて一度もY駅に近寄らなかったそうだ。君恵が、こんな話をラジオに流す気になったのはY駅が国鉄民営化の合理化政策のため廃止されることになったからだという。
2005.05.29
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消せない過去仁史は、ビジネス街の小さなスナックのオーナーだった。昼はビジネスマンの腹を潤すランチ、夜は3500円で歌い放題飲み放題の店だ。この店は、今の時代の流れにあったのか、昼晩問わず、大いに流行っていた。最初は、一人で店を切り盛りしていた仁史も限界を感じたのかアルバイトを雇った。二人の女の子がやってきた。亜由美とゆかりだった。同じ高校を出たと言う二人だが、性格も見た目も正反対だった。亜由美は、見た目も美人で,てきぱきと仕事をこなすタイプだった。一方のゆかりは、時々見せる笑顔は憎めないがけっして美人でもなく、仕事もスローでどうも頭もあまり良くなかった。仁史は、今の店を始めるまで苦労を重ねてきたせいか、不器用なヤツを見ると同情してしまう所があって、スローなゆかりがミスをしたり、思うように動かなくても、決して声を荒げることもなかった。同情が愛情に変わり、仁史とゆかりは愛し合うようになった。亜由美は高校時代から、男には不自由しなかった。仁史の心が、そんな自分よりもブスなゆかりになびいたことにプライドを傷つけられた亜由美は何とか自分の方に仁史を引きつけたいと思っていた。そんなある日、たまたま開店前の店で二人きりになった亜由美は仁史にこんなことを言った「マスターは、ゆかりのこと気に入ってるようですけど、知ってます?」「何を?」「あの子って、何にも知らないような顔して、結構・・・」「?」「私が言ったって内緒ですよ・・・高校生の時に、大学生3人に山の中に連れ込まれたことがあるんですって」・・・そんな二人の会話を、少し遅れて来たゆかりが聞いてしまった。ゆかりは全身が凍り付くような感覚に襲われて店を飛び出した。走って走って・・・どこをとう走ったか分からなかった・・気が付いたら、ゆかりは大きな橋の欄干に立っていた。・・・亜由美の話は、本当だった。どう考えても、あの時は迂闊だった。亜由美も来ると聞いて、大学生3人といっしょに車に乗ったのが間違いだった。亜由美は急用ができたと言って、結局、来なかった。大学生たちは、ドライブドライブと言って、車を走らせた。気が付いたら、深い森の中だった。大学生たちは、言うことを聞かないとここで降ろすぞと言った・・・・あの時のシーンが、ゆかりの頭の中をグルグル回った。「もう、死にたい」橋の欄干から飛び降りようと身を乗り出した。その時、ゆかりを後ろから呼び止める声があった。「おい・・・やめろ・・」ゆかりが振り返ると仁史だった。「私、私、・・・亜由美の言ったこと・・・本当なの・・・忘れたと思ったけど忘れてなかった・・近づかないで、私、飛び降りる」「待て」「もう生きていたくないの・・」「どうしても死ぬというのか・・・」「死なせて」「それなら・・・頼む、俺の為に生きてくれないか・・頼む・・・ひとりぼっちにしないでくれ・・・頼む・・」欄干から離れたゆかりの目の前には、ただひたすら手を合わせて、何かに祈るような仁史の震える身体があった。
2005.05.28
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片思い毎日、いろんな方からメールを頂きます。励みになります。ありがとうございます。その中に悩みの相談というのもあります。ちゃんと返事しております。やっぱり一番多いのが恋愛ですね。もちろん片思いです。世の中の人のほとんどが片思いしてるんですからそりゃ当然ですがね・・・私も、結構片思いしました。運動にしても勉強にしても仕事にしても一生懸命頑張ってきたのでそう言う意味では少し目立っていたのでチャンスあったはずなんですが・・・生まれつきの照れ性のせいか学生時代から、あんまり良い思いをした覚えがありません。この辺を、もっと自分自身をさらけだして申しますと、私の心の中には子供の頃から自分なんてどうせ気に入ってもらえない・・・好いてもらえないカッコよくないし・・・などなど悲観的な気持ちがいつも心の中にあったような気がします。そんな風に考えてしまうのは家庭環境や両親の影響だったのでしょう。心の中で、悲観的に考えていると現実も上手く行きません。だから、ますます悲観的になる。まるで、アリ地獄なのです。これは恋愛に限りません。仕事でも、運動でも、芸術でも、人が行うことはすべてまず心の中でプラスにしなければなりません。もう!がむしゃらにプラスプラスプラスです。どっかの本に出ているプラス思考なんて生っちょろいものではなく、ガムシャラです。踏まれても、ただでは起きない心の強さを持ちましょう。マイナスの考え方が出てきたらすぐに否定する。また出てきたらすぐに否定する。その繰り返しが幸福や成功への最短距離なのです。これをかつて、私は「人生はモグラ叩き」と言っておりました。弱気なココロが出てきたらそんなことない。わたしだって!!!そう思うだけでかなり違うものです。自信って言うのか、そんなココロの強さが周囲に伝わるのかもしれません。私が、そんなことが分かったのは妻子ができてからです。ああ・・・損した・・・
2005.05.27
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朝刊を読んでいる女の子を見つけたら朝、1時間ほどかけて大学に通う電車の中で新聞の朝刊を隅から隅まで読み込む。着ている服は地味なジーンズにTシャツかジャンパー。同い年の女の子は、みんな色とりどりの服を着て、お化粧もバッチリ決めて行くのに・・・「ねー、千佳子、そんなに勉強ばかりしたら美人が台無しよ・・・」1年生の頃は、そんなことを言ってくる友達もいたが、2年生になった頃から、そんなことを言う友達もいない。4年生になった今、2人ほどの親友を除くと、ほとんどの友達と疎遠になってしまった。「それでもいいんだ」千佳子は、マスコミを目指している。絶対に新聞記者になりたいのだ・・・千佳子が小学5年生の時だった。ごく普通の小学生だった千佳子に信じられない知らせが飛び込んできた。お父さんが勤める新聞社の支局ビルに仕掛けられた爆弾が爆発して、お父さんが亡くなったというのだ。「許せない」小学3年生の弟の雄也と千佳子の手を引いて、遺体を見に行ったお母さんは、そう言って涙をこらえ怒りを噛みしめていた。お葬式の時も、お母さんは、涙一つ見せず気丈に多くの弔問者と対応していた。あれから10年、犯人は見つかっていない。千佳子が高校3年生の時、仕事から帰って来たお母さんに「私、新聞記者になる・・・夜間大学に行ってアルバイトしながらでも頑張る」と言った時、お母さんは「そう言うと思ったの・・」と貯金通帳を見せた。そして、「マスコミは難しいわ。お父さんの生命保険金は一銭も手をつけてないからね。勉強に専念しなさい」とニッコリ笑った。千佳子は、お父さんも通った有名私大に入学した。それから2年後、弟の雄也も同じ私大に入学してきた。雄也も、マスコミ志望だ。千佳子のお母さんは、仕事から帰ってくると遅い晩ご飯の支度をしながら、千佳子と雄也に口癖のように言っていたそうだ「犯人を恨んでも、お父さんは帰って来ないわ。それより、残った私たちがどう生きるかよ。」・・・朝、満員電車ドア越しにもたれてベージュの帽子を目深にかぶり、朝刊を読んでいる目の大きな女の子を見つけたら、ひょっとしたらそれは千佳子かもしれない・・・もし、千佳子ならドアが開くと、いの一番に飛び出して階段を駆け登ってしまうのですぐに分かるはずだ。そう、たしか千佳子のお父さんも足が速かった・・
2005.05.26
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私は救われている 7ヶ月をすぎると、さすがにお腹の膨らみが目立つようになった。ときどき、動いたりするのが愛おしい。お腹を軽くさすってみると、もうすぐ生まれる我が子を感じる。 ピンポーン・・・ゆっくり腰をあげた百合子が玄関に赴くと、ドアが開いた「いらしゃーい」「おめでとう」ひさしぶりに直美がやってきた。直美は、あるベンチャー企業の社長秘書をやっている。「あらあら・・・もうすっかりママの顔ね・・・」相変わらず、直美はバカ明るい。短大時代から、頭の回転が速かった彼女だから、今の仕事は天職かもしれない。 「まだ男の子か女の子か分からないって言うから・・・どっちでも合いそうなの買ってきたわ」直美は、駅前のデパートで買ったというベビー服とケーキを百合子の前に置いた。 「幸せいっぱいの奥様にしては、今一つ浮かない顔ね・・」図星だった。相変わらず直美は鋭い。「うん・・・主人に悪くって」「まだ、忘れられないの?・・・」「うん」「お腹の子供は、御主人の子どもでしょ?」「もちろんよ」「だったら、いいじゃない」「うん・・でも・・」・・・百合子が忘れられないのは、今の夫と知り合う直前まで付き合っていた榊原と言う料理人だった。榊原は、百合子と別れてパリにフランス料理の修行の旅に出たのだ。・・・「カッコよかったね。榊原君・・・でも、百合子を幸せにすることはできなかったわ。だって、彼は一流のシェフになる道の方をとったのよ」たしかに、榊原は料理のことを考えはじめると、百合子のことなど眼中になかった・・・ 「心の中で、御主人以外の男の人のこと思ってるのは罪ではないわ・・だって、人間は完璧ではないわ・・・自分に正直になれば、そっちの方が自然よ」「そうね・・・そう言ってくれるとすごく救われる気がする・・私、聖書にはまってるからかしら・・」「毎朝、読まされたわね短大時代。もっとも、私は卒業してから一度も開いてないけどね・・・信じられなかったの・・・ハッハハ・・」とバカ笑いした直美は急に真顔になった「だって、今だから言うけど・・・私も榊原君好きだった・・その彼が一番の親友の百合子とできちゃって・・誰をうらめっていうの・・・運命にしては残酷よね。ハッハハ・・・彼を忘れるために私は仕事に夢中になった・・でも、忘れられない・・・ごめん・・こんな話するつもりなかった・・・」気丈なはずの直美が涙ぐんで話した本心だった。直美が帰った後、たまらなく物悲しかった百合子はポツンと一人ソファーに腰掛けていた。そして、「この子がいるぶん、私は救われている」そう呟くと百合子はゆっくりお腹をさすった。
2005.05.25
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常識常識って言う人が一番非常識 つい10年ほど前、マスコミで注目されたかつての青年社長吉見も、白髪の目立つ年頃になった。その上、一生懸命に育てたはずの社員たちが、一斉に反旗を翻して「吉見社長の退陣を要求します」と言い出して、とうとう吉見は自分で作った会社を追い出されてしまった。 「くそー、あいつら、育ててもらった恩を忘れて・・・」荒れ狂った吉見は裁判を起こした。しかし、結果は敗訴。とうとう吉見は、ただのオジサンになってしまった。残りの人生をノンビリ生きるくらいの財産はある。が、会社のことばかりを考えて生きてきた人生だ。日曜日に家にいるのは、何年ぶりだろうか。平日の朝9時に起きて、何をしようか。いまさら、女房がいっしょに旅行などしてくれない。まして、大学生の息子や娘が相手をしてくれるはずない。 途方に暮れた吉見は、よくテレビに出る人気占い師に相談した。タロットカードを駆使して占うマリーは、化粧が濃くて分からないが、声からすると25歳くらいのエキゾチックな美人だった。・・・「一生懸命育ててやった恩も忘れて、高い給料払ってやったのに社員が私を裏切ったのです」そう怒り心頭でまくし立てる吉見だった。マリーはカードを繰りながら冷笑した「で、あなたは、夢は与えたのですか」「え?夢・・・社員にですか?いや、そんなこと考えたこともなかったなあ・・」「じゃあ、駄目ですね。人を育てるとは、夢を与えることです」「会社は夢を与えるところじゃなくて、給料を払うところです。それが常識です・・・」「世の中では、常識常識って言う人が一番非常識なのです・・」そう言うと、マリーはニッコリ笑って「はい、次の方・・」と事も無げに言った。
2005.05.24
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諦めるなんて笑わせる 陸上部のエースの奈々が脚に激痛を感じ倒れたのは、400メートルトラックのコーナーを曲がったあたりだった。 「大丈夫か・・」コーチの植田先生が駆け寄った。そのまま、外科病院に運ばれた奈々は右足太股の肉離れで全治1ヶ月診断された。 「もう駄目です・・・予選まで・・・2ヶ月しかないんですよ・・・」諦め顔の奈々に植田先生は、「ちょっと、見せたいものがある」と、他の2人ほどの女子部員たちも乗せて車を走らせた。 植田先生の運転する車は、町のリハビリテーションセンターに止まった。そこではケガをした人や病気をした人が一生懸命にリハビリに励んでいた。奈々たちは、その中に、テレビで見たことのある女優さんを見つけた。彼女は明るい笑顔がトレードマークの美人女優のMさんだった。 「Mさんが、どうして、ここに・・・」奈々たちは顔を見合わせた。 植田先生は、Mさんと知り合いと見えて、気軽に声をかけていた。そして、Mさんといっしょに奈々たちの傍までやってきた。Mさんは、松葉杖でやっと歩けるような様子だった。植田先生は、Mさんに了解を取って「いいか・・・週刊誌の記者には内緒だぞ・・・」と話し始めに、Mさんも奈々たちも思わず吹き出したが、続きの話は真面目な話だった「Mさんは、1年か2年に1度体の機能がマヒする病気を持っている・・子供の頃から、ずっと朝と夜、薬を飲んでいる・・・いつ、その病気で死ぬか分からない・・現代医学では、進行を遅らせるのがやっとの病気だそうだ・・・今、テレビでMさんが主演しているドラマは、上半身だけしか映っていないはずだ。下半身は、3ヶ月前のものだ・・お前たちも、ケガもするだろう・・・お前たちなりに苦労もしているだろう・・でも、Mさんがブラウン管を通じて何百万人に見せている笑顔に比べればどうってことない・・・諦めるなんて笑わせるよ」奈々は、いつもテレビに映るMさんの優しい笑顔は、こんな苦労から生まれていたと思うと、まだ2ヶ月もあるのにたかが肉離れくらいで、悲観的になっていた自分が情けなかった。 それから2ヶ月後、何とか予選までにベストコンディションに戻した奈々が何げなく見たテレビに”女優のMさん、緊急入院”の報が流れた。
2005.05.23
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なかなかいい本です。「走る、かがやく、風になる 高橋尚子」とても有名な方ですので多くを語る必要はないでしょう。マラソンランナー高橋尚子さんの名言「何も咲かない寒い冬は下へ下へと根を伸ばせやがて大きな花が咲く」はこの本で見つけました。そして、この本の表紙には「くよくよ考えるまえにいま、自分ができることをする」とも書いてあります。数々の試練を乗り越えてきた彼女の明るさの源が分かる本です。
2005.05.22
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私の落ち込み解消法自慢ではありませんが私は誰よりも落ち込みます。しょっちゅう落ち込みます。お金がたりないとか仕事がうまくいかないとか人間関係とか些細なことです。それくらいのこと?と思われるかもしれませんがたとえば、月に5万円足りないとするとこれが5年続けばニッチもサッチも行かなくなるぞ…ワオー…オレの人生終わりだ…なわけないのですが…深く考えすぎると、自分や家族が地獄の底にでも落ちて行くのではないかと思ってしまい、自分の無力さに悔しさと悲しさが重なりどん底まで落ち込んでゆくのであります。いろいろ書いているから立派な人だと思っている方がいらしたらガッカリするかもしれませんね。いろいろ気づくから感づくからなかなか大変なんです。まあ、よく自殺しないものです。先日は危うく駅のホームから転落するところでありました。神様はまだ私に生きろとおっしゃっております。でも、私の偉いところ?はこのような状態でも周囲に当たり散らしたり、日常業務に支障をきたすことはありません。いつも昼行灯と呼ばれヘラヘラと笑いながら冗談を言って、周囲を笑わせております。その実、心のうちでは深く静かに落ち込んでいるのです。以前ですと、こんな状態になると、成功哲学の本を読み、諸先輩のありがたい話を聞きますと浮上のきっかけをつかんだのであります。がしかし、年を重ねるごとにこの効果もなくなってきたのであります。さあて、どうしたものか。いろいろ試してみましたがヨガ瞑想モーツアルトなどなどどれもこれも私にはサッパリでした。そんな悪戦苦闘の中から生まれた私なりの方法が書くことでありました。とにかく、思いついたことをノートに書きました。「クソッタレ」「戦ってやる」「チクショー」などなど暴言をつぶやきながら書いているとフーッと気持ちがあたかも暗黒の雲間から日が差し晴れ渡ってくるような瞬間を迎えるのです。落ち込みが深ければ深いほどいろいろ書けるから不思議です。じゃあ
2005.05.22
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未来地図よく成功するには目標を明確にしなさいと言う。たとえば、よく目立つところに目標を書いて貼っておきなさい。というふうに。でもね、これは、私の場合、あんまり効果なかった。机の前に貼っておくとそこにあるのが当然になってしまっていつの間にか景色の一部になってほとんど忘れられた状態になる。そこで、私は、ある時期から自分の未来を書くようになった。「人生年表」とか言う人もいるが死ぬ年齢も決めている。0000年 THE ENDなんてね。時々、その年表を見て書き加えたり変更したりしている。どんどん、細かい年表になっているわけだ。そもそも、人間は頭の中に目標を刻み込めばその通りに生きてしまう生き物だ。ようは、どうすれば、頑固な頭に刻み込むかだ。「未来なんか、ほんとうに わかるの? その通りになるの?」と、思われる方、これが不思議なことに、ほとんど実現しているから不思議です。ぜひ、お試しあれ。
2005.05.22
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おまじない今は中学校で教員をしている広岡は、数年前、教員採用試験に合格してから、本採用になるまでの半年間、小さな会社でアルバイトをしていたことがある。その時の広岡の仕事は、文字通り雑用係で、トイレ掃除からコピー、備品の買い出し、ちょっと集金までいろいろあった。その会社には社長さんと秘書、そして、10人ほどの営業マンがいた。社長さんは50歳くらいで気の良い人だった。秘書の女の人は40歳くらいで女優さんになってもおかしくないほどの美人だった。営業マンは、9時の朝礼が終わると「行ってきます」と言って出て行く。そのまま夕方6時ころまで誰も帰って来ない。だから、9時から6時までは、社長さんと秘書と広岡だけになる。まあ、定番なことだけど、社長と秘書はできていた。事務所内でイチャイチャすることはなかったけれど、何となく雰囲気で分かった。そんなわけで、秘書は”女帝”でもあった。秘書に逆らえば、優秀な営業マンでも、たぶんクビになるかもしれない雰囲気があった。広岡は、とっても社長に気に入られていた。しかし、秘書は、優しいかと思うと冷たかったり、何とも二重人格のような感じで広岡に接した。冷たくされると、仕事にさしつかえるので広岡は、ある”おまじない”をした。心の中で秘書の名前を言って「大好き」と唱えた。すると、不思議なことに秘書の態度が次第次第に柔らかくなってくるからおまじないもバカにはできない。ただ、このおまじないにも歴とした根拠があった。広岡が大学時代、フロイトの精神分析の研究をしていた頃に、担当教授から教えてもらったのが、この”おまじない”と言うから、少なからず学問的根拠があるのかもしれない。さて、そうこうしているうちに、広岡の赴任先の中学校が決まり、アルバイトを辞める日が来た。社長も営業マンたちもいっしょに喜んでくれて、居酒屋を借り切って送別会をやってくれた。たまたま席が隣になった秘書が広岡に囁いた。「あなたが来たときは、秀才ぶってイヤなヤツだと思ったの。でも社長が気に入ってたから邪険にもできないし・・・でもね、最後だから言うけどね。あなた、私の夢の中によく出てくるのよ。なんだか変な感じよ・・」・・・その後、広岡は、その会社に行ったことはない。その会社の誰とも会ってもいない。ただ、教師となった今も時々、このおまじないを使っているそうだ。
2005.05.21
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死ぬより辛いこと 私が子供の頃、お婆ちゃんがよく言っていた「お金をさわったら、必ず手を洗うんやよ。お金は、どんな人でもさわるから」どんな人って?・・・ 父も言っていた「銭湯に行ったら風呂場のいすを熱いお湯で洗うんや」どうして?・・・ このわけを教えてもらったのは小学校の5年生か6年生だった。一つの理由は梅毒や淋病の性病・・・もう一つは、らい病だった。 時々、新聞やテレビのニュース等で裁判が話題になっているハンセン病とは別名らい病である。 ざーっと、家庭の医学などで調べた。ハンセン病は、現在では特効薬が開発され100%治る病気であること。 他の病気にかかって、極めて免疫力が弱っているときに感染する。 つまり、この日本でも、極めて貧しい人々が多数存在した時代にはハンセン病は存在していた。 今の日本ではせいぜい年間10人だそうだ。しかし、長く病気の原因が分からなかったことや知覚や神経が麻痺し顔や身体が溶けたように醜くなることから昔から大変恐れらていた。前世の悪行の報いなどと言われたこともある。その結果、ハンセン病の患者たちは、隔離され社会から葬られた。 患者たちは、親の墓参りをすることも、故郷に帰ることもできないで多くの方々は現在老人になっている。本当は何十年も前に完治しているのに・・ 私は父やお婆ちゃんから、わけを聞いた直後にたまたま中国の古い映画を見た。 その映画の中で、ハンセン病に犯され山奥に一人で住むオジサンは、道に迷って倒れていた少年を助けた。オジサンと少年との別れの場面が今も頭に残っている「ワシは、こんな醜い病人だが、この病気は感染しないらしい・・・信じてくれるなら握手してくれんか」おじさんは、指がただれて小さくなった手を差し出した。 丸顔の少年は、満面の笑みで両手を差し出し、オジサンの手を包みこんだ「おじさんの病気が早く治ることを祈ってます」この少年の名前は、たしか周恩来と言っていた・・ 人間として生まれて何が一番辛いかと言えば、私は自分を人間として認めてもらえないことだと思う。 何も悪いことはしていないのに。 ただ、貧乏な衛生状態の悪い環境に生まれ育ったがために、たまたま身体が弱かったがために、病に冒され、その病が、たまたま偏見の目で見られる病だったために・・・ 死ぬより辛い傷を負った人を癒せるのは、優しく包み込むような愛しかありえない。
2005.05.20
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なめんなよー 公平君は通販会社のテレホンオペレーター室の主任だ。 彼は30人からいる女性オペレーターたちの管理を担当している。 と言っても、主な仕事はオペレーターたちが手に負えなくなった強面の客たちの対応をする係である。 新人オペレーターの英里子さんが震えながらやってきた「主任、シャイプアップスーツでダイエットできないって、凄く怒ってらっしゃるのです」公平君が電話に出ると、ガラガラ声のおじさんだ・・・おい、なめんなよー・・・「電話だから、なめられませんよ」・・・なに!!・・その態度がなめてるって言うんだ・・・金返せ・・・「お求めになられて2週間以内なら返品可能です」・・・バカ、2週間で痩せるかどうかわかるか・・半年使っても痩せないから電話してるんだ・・・バカ・・「半年じゃだめですね」・・・この野郎・・金返せ・・・もっと安くしろ・・「そうできたらいいんですがね・・・当社の規定で決まってますので」・・・バカ野郎、訴えてやる・・「どうぞ・・」で、ガチャンで電話が切れた。まだ震えが止まらない英里子さん、「訴えるって言ってましたね。どうしましょう」公平君は笑って「一着、6800円のシャイプアップスーツを半年着て痩せなかったからって、訴えるわけないよ。なめてんのは、さっきのお客さんの方だよ・・気にしないでね」と、英里子さんを励ますのでした。 こんな公平君だって、なめんなよー!!って怒鳴られたら、ストレスたまります。ひどい時は夢にまで、なめんなよー!!が出てきます。 そんな日曜日の昼、ストレスまみれの体を休めるため、公平君はお昼寝です・・・すると、お腹のあたりから胸のあたりがムズムズ・・・なんと、生ビールのコマーシャルに出てくる水着美女が雨あられのようにキスしてくれるではありませんか。「わー、たまらん・・・もっと、なめて・・・キスして・・・」と、喜びもだえている公平君の胸の上の水着美女が突然、古女房に変わって「この浮気者!!こうしてやる」ガブリ!噛まれて「痛い・・堪忍して母ちゃん」と言って目が覚めた。ふと、我に返った公平君が自分の体の上を見ると、もうすぐ1歳になる愛ちゃんが生えたばっかりの二本の歯を見せてニンマリ笑ったのでした。 その夜、公平君はお風呂で気づいたのは、お腹に刻まれた二本歯の歯形でした。
2005.05.19
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カギっ子 バタン!力一杯ドアを閉めて、貴一が飛び出して行った。「そろそろ潮時じゃないの」周りは、そう言うけれど結婚して5年、咲子と貴一は毎日のようにケンカばかりしている。 ケンカの原因は、大したことではない。いつも家でゴロゴロしているばかりでなかなか仕事が続かない貴一のことが咲子は歯がゆくてしかたない。 だから、ついつい小言を言ってしまう。それが男の誇りとやらを傷つけるらしく、同じパターンの言い争いが始まるのである。たとえ、貴一が働かなくても咲子が看護婦なので生活に困ることはない。養ってもらうつもりで結婚したわけでもなかった。ただ、頼りない貴一を放っておけなかった。そんな子供のような貴一と咲子はいわば、夫婦と言う名を借りた親子のようなものだった。 咲子は、自分が貴一と別れられないのは子供の頃、カギっ子だったからだと思っている。父と母は駅前で立ち食いうどん屋をやっていた。帰ってくるのは、いつも10時頃だった。ひとりっ子の咲子は、いつも独りぼっちだった。一人で夕飯を食べて、一人で風呂に入って、一人で布団をひいて、一人で寝た・・・ 貴一が飛び出して行くと、そんなカギっ子だった昔にタイムスリップする。たまらなく寂しくなる・・・「あんなやつ・・・あんなやつ・・・」と貴一をけなしながらも、どこかで帰ってくるのを待ち望んでいる。ガタン・・玄関で物音がした。「帰ってきたのかしら・・」サッと立ち上がり玄関に小走りで向かう咲子は、まだまだカギっ子。
2005.05.18
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はじめてのキスシーン新人俳優の靖は、ドラマで初めてキスシーンをやることになった。役者になって10年、やっと掴んだ役なのだ。「ひょっとしたら、最後のチャンスかもしれない。これで駄目なら田舎に帰ろう」そう思って靖は悲壮な覚悟で挑もうとしていた。「母ちゃん、やっと良い役もらったよ・・」電話すると、靖の母は「仏壇の父ちゃんに知らせるよ・・良かったなあ」と涙ながらに言った。しかし、相手役はベテラン女優のTさんだ。ベテランと言っても、靖とは同じ年なのだ。でも、上下関係の厳しい俳優の世界では10年以上も主演女優で、大女優の呼び声も高いTとのキスシーンは、靖でなくても緊張しただろう。靖は、本番の3日前から、暇を見つけては歯を磨いている。酒はもちろん、ニンニクなんて、とんでもない。臭いのあるものは、すべて遠ざけた。唇がザラザラしてたら、Tさんに申し訳ないとリップクリームも1時間おきに塗った。そんな靖の所に、同じN劇団出身で同期の弘治が声をかけてきた。弘治は、もう5年も前から売れていて、売れない靖を半分バカにしていた「よー、靖、緊張してるな・・何しろプライドの固まりのTさんだもんな・・・ご機嫌損ねたら大変だぞ。冗談・・・Tさんたって、ただの女だ・・・ガバッといっちまえよ」「よく言うよ・・俺の身にもなってみろよ。Tさんのご機嫌損ねて、せっかく掴んだ役おろされたらもう一生、チャンスなんか回ってこないよ」「何言ってんだ・・・実は、俺、この前の映画で、Tさんとベッドシーンやったんだ・・・」「そ・・・そうだったなあ・・・」「バッチグーよ・・・Tさん、大満足・・今度はプライベートでも・・・なんっちゃって・・デヘヘッ」まったく、この5年間は弘治にやられぱなしの靖だった。さて、そうこうしているうちに、靖とTとのキスシーンの撮影の時がやってきた。いろいろ悩んでも仕方ないと思い切った靖はとにかく一生懸命に、Tを本当に自分の愛する恋人と念じて、Tとのカットを過ごした。大女優T出演のドラマとあって、芸能関係の記者たちも見つめるなかで、キスシーンは無事終了した。よほど集中していたのだろう。6時間ほどがアッと言う間に過ぎてしまった。監督の「ごくろうさん」の直後、Tは笑顔で、靖の肩を叩いた。「やるじゃないの・・・ねちっこくもないし、かと言って若さもあって、最高だったわ・・N劇団の新人だって聞いたから、心配してたのよ」「ええ・・・うちの劇団が何か?」「この前の映画よ・・・同期でしょ?」「弘治ですか」「そうよ・・大切なベッドシーンなのに・・・大きなパンツのような前バリして、ブルブル震えて・・あんまり男らしくないものだから、私、頭に来てね・・取って食うわけじゃないから・・・早く、上に乗ってよ・・・胸がカメラに映るじゃないの恥ずかしいから・・早く早くしてよ・・こんな感じ・・いつもの倍の時間かかったわ。もう・・・ダサイたらありゃしない」「そうだったんですか」「そうなのよ。だから、同じ劇団って聞いたから心配だったの。でも、あなたは違ったわ」「ありがとうございます」「今度の映画、あなた指名するから・・・ね・・・また、付き合ってね・・」とTさんは、日本一いや世界一色っぽい眼差しで靖を見つめた。靖はバンザイ!!と叫びたかった。とうとうチャンスが巡ってきたのだ。
2005.05.17
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地位はヒトに決めてもらうもの 昔ながらの造酒屋の当主の一人娘に生まれた智恵子はアメリカに留学して、経営を志す人なら誰でも一度は耳にしたことのあるコンサルティング会社に勤めて、帰ってきた。 先代当主のお父さんから次期当主として紹介された智恵子だが、昔からの職人たちは誰一人として良い顔をしなかった。 「子供の頃は、チエちゃんって可愛がってくれたのに・・どうしてなの?」 智恵子は、どうして良いか分からなかった。 お父さんに相談しても、 「自分で考えなさい」 と冷たかった。 「私が女だから?」 と職人たちに聞いても 「お嬢さん、カンベンしてください」 と、答えようともしない。 「せっかくアメリカまで行って勉強してきたのに・・これじゃあ・・・」 困り果てて、もうアメリカに戻ろうかと思い始めていた智恵子にお母さんが 「ねえ、智恵子・・・おまえは、ここの会社では誰よりも頭がいいかもしれない。でもね、人は、それだけじゃ着いて来ないわ・・・あなたは一度でも酒蔵に入ったことあったかしら・・・事務室で偉そうに銀行の人や大手の取引先と次の当主でございますって話しているだけなら、私だってイヤだわ・・・昔から、ここで働いている人の気持ち考えてごらんなさい」 そう言われた智恵子は、1日ゆっくり考えてみた。 お母さんの言うとおりだった。 アメリカの大学を出てコンサルタント会社に就職して、何年か頑張ったくらいで400年から続く酒造りの歴史を理解できるわけがない。 翌日から、智恵子は職人たちと同じように造酒屋の名前の入った伝統あるハッピに袖を通して、蔵に入った。最初は面食らっていた職人たちも、次第に智恵子とうち解けて行った。 それから1年ほどすぎた日、職人たちが智恵子を取り囲んだ 「当主、今年の一番酒を飲んで下さい・・・」 「ええ、私が・・・」 と遠慮する智恵子に職人たちの頭が 「智恵子お嬢さん・・・いや、あなたが当主なんですから」 とかしこまって言うのだった。 「私が当主・・・私が・・・ほんとに・・・」 もう胸が痛くて、せっかくの一番酒ものどを通らない智恵子だった。
2005.05.16
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あと3年結婚以来、何不自由なく専業主婦で、ただただ夫の哲治と楽しく暮らしてきた。そんな尚子に、暗雲が立ちこめたのは結婚して3年目の冬のことだった。「インフルエンザかなあ・・・」どうも最近、哲治の微熱が続くので付き添って、近所の内科医に出かけた。内科医は、「ここでは手に負えない」と言うと大学病院に紹介状を書いた。大学病院では、CTスキャンやMRIなど、立て続けの検査が待っていた。元気自慢だった哲治が青ざめて見えてきた。やっと検査結果が出たと聞いて、病院に行くと医師は尚子だけを面談室に呼んだ「御主人の病状ですが、肺に悪性の腫瘍ができています。一刻も早く手術が必要です」まさに地獄の底に突き落とされる思いだった。すぐさま、尚子は夫の両親と実家の両親に知らせた。しかし、気の弱い哲治には告知はしないことにした。その日から、尚子の戦いが始まった。哲治には、「インフルエンザのウイルスの影響で肺炎になっていて、簡単な手術と薬で治る」と告げた。数日後すぐに受けた哲治の手術は成功したが、転移を防ぐため、抗ガン剤を毎日注射される哲治は、吐き気をもよおし、髪の毛は抜けて、歯もガクガクになった。「もう死にたい・・・」苦しみに耐えかねて、泣き言を言う哲治に、「あほ・・・風邪をこじらせただけやないの・・そんなことで、死ぬかいな」と励ました尚子は、病室から出ると涙が止まらなかった。半年後、退院した哲治は、徐々に体力を回復し会社にも復帰した。1年過ぎ、2年過ぎ、以前とほとんど変わらないくらいに回復し、「そろそろ、子供ほしいな」と入院していたことも忘れている様子の哲治だ。しかし、尚子の心の中では、まだ戦いは続いている。「5年、転移しなければ大丈夫です・・・」退院の時の医師の言葉が、尚子の頭をこだまする。・・・5年・・・そう、あと3年・・・どうか、あの人を守ってやってください。ありとあらゆる神様に祈りたい気持ちの尚子だった。
2005.05.15
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金杯「俺が力なしなんは、お父ちゃんがいいひんからや」もうすぐ11になる一粒種の伸也が半分笑って言った。「何言ってんの。お爺ちゃんだってそうよ。細身の女面は血筋よ。その代わり、女の子にモテるそうよ」そうシャキシャキと香代子が言うと、伸也は「適わへんな・・・お母ちゃんには・・・」とサッと背中を向けて、どこかに遊びに行く様子だ。そんな伸也の後ろ姿を何げなしに見た香代子はハッとした。「いつの間に・・・」そう、伸也の少し猫背な後ろ姿は丈太郎に生き写しだった。香代子と丈太郎は、高校の頃から恋仲だった。もう互いに離れられないと思い、卒業してすぐに所帯を持とうと誓い合ったが、うまく行かないもので、19の春には香代子のお腹に伸也の原型が宿っていた。とても丈太郎の力では、家族3人食えないと、救いの手を差し伸べてくれたのが、香代子の両親だった。香代子の父の勇吉は、和菓子の世界では、ちょっとは名の通った男で、千の何とかって言う茶の名人から30年も前にもらったと言う金杯を暇さえあれば磨いている律儀な職人だ。そんな勇吉と香代子の母の和恵がいっしょになったのも19の春だった。「なあに、菓子は心で作る物・・俺ができたんだ。お前にもきっとできる・・・」そう言って、勇吉は丈太郎を実家に迎えて和菓子の技を仕込んだ。しかし、丈太郎は勇吉ほど器用ではなかった。根気強く教えてくれる勇吉に申し訳ない気持ちが重なり、丈太郎は酒に溺れた。あげくのはてに二日酔いで、仕事を休みがちになったのを勇吉に叱られた丈太郎は、そのまま飛び出して帰ってこなかった。あれから5年、丈太郎が飛び出した頃は幼稚園児だった伸也は、もう香代子といっしょに風呂に入るのを嫌う年頃になった。あいかわらず勇吉は、金杯を磨いては、新作の和菓子の研究に余念がない。最近は、京都の老舗和菓子店を見て回るようになって、ますます意気盛んだ。「お父ちゃんみたいに、できる人でなくても・・・ええねん・・・うちは、あの人といっしょに暮らしたい」そう思いながらも、勇吉と和恵になついている伸也を放って探しに行くわけにも行かず、どこでどうしているのか・・丈太郎への想いを募らせる香代子だった。そんな香代子に、勇吉が使いを頼んだ「あのなあ・・・御所の近くに・・・○○という老舗があるんや・・・あそこの桃の形した和菓子を買ってきてくれるか・・そうや・・・伸也も連れて行くといい・・・御所ではうぐいすが鳴いてるからな・・・」そう言われるままに、伸也といっしょに、その老舗の和菓子屋に赴いた香代子は、店に入るなり驚いた。なんと、桃の形の和菓子が勇吉が毎日磨いていた、あの金杯そっくりの器に盛られてショウケースに飾られているではないか。そんな、あほな・・・あの金杯は、由緒正しい金杯で、なんぼ老舗でも、そう簡単に手に入らへんはず・・・そう思い、ショウケースを食い入るように見つめる香代子に伸也が囁いた「なあ・・・お母ちゃん・・あそこで和菓子作ってる職人さん・・お父ちゃん(丈太郎)に似てないか・・・」まさか・・と思いながら、ひょっとして、これはお父ちゃん(勇吉)の策略かも・・・と恐る恐る顔を上げる香代子だった・・
2005.05.14
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誕生日「時間よ、止まれ」拓也は急いでいた。シンデレラではないが、何とか夜中の12時までに自宅に帰りたかった。何を隠そう今日はこの連休に結婚した新妻恵理の誕生日なのだ。しかし、そんな時に起きては困ることが起こる。システムエンジニアの拓也がいつも出入りしている電鉄会社のサーバーにウイルスが侵入したのだ。連絡をもらったのが朝の10時で復旧したのが夜の10時だった。ハーハー・・・12時5分前・・荒い息でやっと辿り着いた我が家。拓也を迎えてくれたのは優しい妻の笑顔だった。「誕生日、忘れてないよ・・・プレゼント買えなかったけど・・」と拓也が申し訳なさそうに言うと、恵理はウーウーンと首を振って「あなたが無事で帰って来てくれたのが、何よりのプレゼントよ」最愛の妻の言葉にもう・・・とろけてしまいそうな拓也だった。
2005.05.13
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ピクピク… 狭いながらも駅前の一等地に位置して、古いながらも有名な大家さんが経営するビルにあるせいか、健司の会社には営業マンが毎日10人はやってくる。 「会うだけなら・・・」と時間があるときは彼らと話をすることにしている。 契約することは、まずない。 会うだけ時間の無駄かもしれない。 それでも、できるだけ、彼らの話を聞いてみようと健司が思うのは、たぶん、若い頃、飛び込み営業に精を出し、悪戦苦闘した自分自身を、彼らのどこかに思い出すからだろう・・ あれは、もうかれこれ10年近く前、独立して間もない健司は、一人トボトボ営業に回っていた。 たった一人で始めた会社である。 初めから仕事などない。 信用もない。 金もない。 何もないから自分で仕事を探さねばならなかった。 多くの会社は、門前払いだった。 それでも、20に1つくらいはとりあえず社長が会ってくれた。 それでも、少し話をすると決まり文句が待っていた。 「おーい。お茶出して」 と社長たちは女子事務員にお茶出しを命ずる。 「帰れ」 と言う意味だ。 それくらいなら、ショックは受けなかったが、たまたま同時に訪問した数社の営業マンたちと同時に応接室に入り、 「ほかの営業ならともかく、おまえとは絶対に取り引きしない・・・まず顔が悪い・・信用できそうにない顔や・・最低や・・」 と自分自身を名指しして言われた時は、さすがに健司も落ち込んだ。 初夏の暑い日で朝から晩まで営業して、精神的にも肉体的にもヘトヘトだったから余計にショックだったのかもしれない。 自動車を見れば飛び出して轢かれたくなったし、電車の踏切を見ても同じだった。 家に帰っても、首でも吊ろうか、睡眠薬でも飲もうか・・と思った。 その時、健司は思った。 営業で連続して断られて涙することは数限りなくあったが、本当に悲しい時は涙なんて出ないんだなって。 翌朝、 「自殺するくらいの勇気があるなら何でもできる」 と思い直した健司は、朝一番に5つほどの会社を経営しているN社長に電話をかけた。 不思議なことに、そんな大物にあっさり電話がつながったのだ。 そして、「すぐに会いに来るように・・」と言うのだ。 早速、健司は家を飛び出してN社長に会いに出かけた。 超一流ホテルのスイートルームのような社長室に通された健司は精一杯のセールストークをぶった。 今から考えても、あの日の健司には何かが憑いていた。 電話と言い、N社長を前にしたセールストークと言い、信じられないくらいパワフルだった。 N社長は、キラキラと目を輝かせながら 「うんうん・・・」 と頷きながら健司の話を聞いてくれた。 そして、N社長はポツリと 「今は・・取引できない」 と言ったかと思うと「でも、10年後ならオーケーだ・・・君には、どの人間にもある五感、すなわち視覚・臭覚・触覚・味覚・聴覚以外の何か・・たぶん、第六感か第七感がある・・・それは、眉間の少し上にある間脳という脳の一部分に中枢があるのだが・・・それが君にはありそうだ」と言った。 「10年後では困るんだけどなあ・・・」 と家に帰っても、魔法使いに会ったような変な気持ちになった健司だった。 その後も、健司の苦しい営業は続いたが、何とか乗り切れたのは、あのN社長の言葉が、健司の支えになったのかもしれない・・・ あれから10年過ぎた。会社の方は業績好調だ。 しかし、その代わり健司は顔面神経痛に悩まされている。 どこの医者に見せてもどこも悪くないと言う。 眉間の少し上あたりのピクピク感が慢性化しつつあるのだ。
2005.05.12
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添付ファイル今日は山元部長と二人だし・・・「最近、部長は食事行かないんですね?」「ああ・・買ってきてるから・・」と山元部長は、おにぎりの入ったコンビニのビニール袋を上げて見せた。OLの佐恵子は、山元部長の秘かなファンである。「そうですか・・・じゃあ・・お茶だけでも・・」「ああ・・君は?」「今日は、お昼の電話番です。久しぶりにお弁当作ってきました」「そう・・・君なら、良い奥さんになれそうだな」「そうならいいけど・・」佐恵子は、最近、失恋したばかりなのだ。そんなこともあって、親愛なる山元部長にいろいろ聞いてほしいと佐恵子は思っていた。穏やかな口調の山元部長と話していると、すぐにイライラする佐恵子も、ホットして癒される気がした。話すキッカケを探しながら、佐恵子は部長の席から5つほどデスクの離れた自分の席に座って、お弁当を食べ始めた。いつもは、15人ほどの総務部もお昼時には、ガランとしていて、今は電話番の佐恵子と山元部長だけなのだ。山元部長は、コンビニの袋からおにぎりを取り出しパクつき始めると、もう片方の手でマウスを握り、何やらパソコンで始めた・・・♪♪♪・・・「あれ・・」佐恵子は、かすかにピアノの音が聞こえるような気がした・・・「部長、ピアノの音聞こえません」「ううん・・」山元部長は、少しとぼけたが、すぐに思い直して「娘が毎日メールで、その日の電子オルガンの練習曲を送ってくるんだ・・・」山元部長の今年中2になる娘さんは、電子オルガンを始めたのは良いが、なかなか上手くならない。そこで、先生が、毎日お父さんにメールで送るようにしたら・・・と提案したそうなのだ。おかげで山元部長はこの一ヶ月、毎日のお昼をコンビニのおにぎりで済ますことになった。♪♪♪・・・「へえ・・・なかなか、お上手ですね」「そう思うかね・・・親バカかもしれんが僕もなかなかのもんだと・・・」娘さんから送られてきた曲を何度も何度も繰り返し聞いている山元に話を合わせているうちに佐恵子の大切な休憩時間は終わってしまった。・・ああ・・・結局、部長に聞いてもらえなかった・・・ガッカリしている佐恵子だった。しかし、何やら佐恵子のパソコンに何やらメールが届いた。あれ・・・部長からだ・・・「悩みごとには良い音楽が一番」部長からのメールには娘さんの曲が添付してあった・・
2005.05.11
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パソ婚「仲人お願いします」と、やってきた若い二人はキラキラ光っていた。自分もこんな時代があったのか・・・と過去を思い起こしながら、二人の馴れ初めを聞いてみた。新郎の啓介君と新婦の美也子さんが会ったのは、ほんの1ヶ月前だったそうだ。「へえ、一ヶ月で結婚?スピード婚だね」と、少し驚く私に、啓介君は「いやあ・・・厳密に言えば、1年前に会ってたんですよ」「ええ・・・どこで・・・」今度は美也子さんが口を開いた「私たち、メル友だったんです。ある出会い系のサイトで知り合って1年近くメール交換して、お互いに心が通じ合ったと確信してあとは顔を会わせるだけとなって会ったのが1ヶ月前なんです」「で、会ったら・・どうだった?」啓介君、美也子さん、同時に口を開いてお互いに譲り合って、啓介君が言うには「バッチリだったです」美也子さんも「私もです・・・もう何年も前から知り合いだったような・・・」「なるほどねえ・・・以前は、文通をしてて結婚することもあったよね。ペンフレンド同士の・・・あんな感じかな・・」啓介君、少し考えて「もっと、深いような気がします・・パソコンや携帯で、もう1日中、言葉のやりとりしてますから、離れているような気がしません」美也子さんも、啓介君と視線を合わせて頷いていた。いやはや、お幸せな二人に当てられ放しだったが、啓介君と美也子さんのような話が、私の身近に去年3つあった。こういう結婚のパターンを「パソ婚」という人もいるらしい。年輩の方数人に、この「パソ婚」の話をすると、不思議そうな顔をされたり、不信がられたが、言葉や心から相性を確かめて最後に容姿を確認するのだから、上手くいけば理想的な結婚パターンなのかもしれない。ただ、この「パソ婚」はインターネットという新しい可能性の力を借りたほんの一例なのだ。人に言えない悩みがあっても、インターネットの世界なら心を通じ合って話せる相手が見つかるという可能性のほんの一例に過ぎないのだ。たとえば、いじめに悩んで自殺寸前まで行った少女は、インターネット上で同じようにいじめで苦しんでいる人たちと出会い励まして合い、そんな中で、共同でホームページを作って多くのいじめに悩む人たちを救おうという小さな運動まで起こそうとしている。たとえば、子供の病気で悩んでいた主婦はインターネットの世界で同じ苦しみを持つ奥様たちと知り合い、何とかノイローゼにならずに済んだと言っている。こんな例は、もう世界中に無限にあるはずだ。もちろん、反面、害もあるだろうが・・・そんな害を割り引いても余りあるほどの、夢や希望を呼び覚ます可能性やチャンスがインターネットの世界にはまだまだ埋まっているはずなのだ。
2005.05.10
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ダイエットツアー 体重オーバーが5キロともなってくると、深刻な問題なのです。 新米薬剤師の美雪さんは、ここ数ヶ月、仕事に集中しすぎた副作用でしょうか。 少し太り過ぎてしまいました。 「薬剤師なんだから、痩せ薬でも自分で調合したら・・・」 口の悪い同僚は、彼氏募集中の美雪さんの気持ちも知らず無責任なことを言います。 「薬で痩せたって、薬やめたら、また太っちゃう・・・」 で、根本的な治療法を考えていた美雪さんは、近所の旅行社のツアーに ”お遍路さんになってダイエット2泊3日の旅。金曜日出発で日曜日のアナタは3キロ減量確実!!!” なんてツアーがあることを発見。 うーん、これは効果があるかも・・・ でも、オバちゃんばっかりだったら話し相手がいなくて寂しいかも・・ でも、ちょっとの我慢でダイエットできるなら・・ と言うわけで、美雪さん、単身ダイエットツアーに参加申し込みました。 ツアーコンダクターの 「いえ、お若い女性の方もいますよ」 の言葉に一安心の美雪さんでした。 さて、出発の金曜日、旅行社に行くとツアーコンダクターのお姉さんがお遍路さんのカッコをして待っていました。 美雪さんはお遍路さんグッズを受け取りました。 例の白い服ですね。 で、美雪さん、旅行社の用意した仮設の更衣室でお遍路さんに変身して、これからの二泊三日に期待に胸膨らませてバスに乗り込んだのですが・・・ 美雪さんは唖然としてしまいました。 なんと、ツアー参加者は若いカップルばかりでした。 なるほど、皆さん、若干太めかな・・とは感じたのですがみんなお揃いの白い服なんか着ちゃって・・ 美雪さんは大きな劣等感を感じてしまいました。 さて、各地の旧跡をトボトボ歩いてはバスに乗り、また歩く歩く歩く・・・ その上、右を向いても左を向いてもカップルばかり・・・ その上、手なんかつないでるのもいる! ええ!腕組んでるのも・・・ おいおい、そこの男、女の腰に手を回すな!!! 私たちは心を清める旅に出ておるの。。。 イライラの極致に達して空腹でグーグーの美雪さんの口に入る物は、山菜に豆腐ばかりご飯もふんわり一膳のみ・・飲み物はシブーイお茶ばかり・・・ やっとのことで長い長い修行ツアーを終えて、日曜日の夕方、美雪さんは家に帰ってきました。 一風呂浴びて、アーアアーとアクビしながらヘルスメーターに乗った美雪さんは、いつもと違う数字あたりをユラユラ揺れている矢印を見てニンマリ・・ そして、 「バンザーイ」 なんと2泊3日で5キロ減ったのであります。
2005.05.09
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結婚しない女実家に帰って夢子の顔を見ると母は「早く結婚したらっ」と勧める。夢子だって結婚を申し込んでくれる男がいないわけではない。大学時代から10年来の知り合いの矢島という男だが、彼から何度かプロポーズされてもどうしても結婚に踏み切れない夢子だった。踏み切れないのは、矢島と結婚したくないのではない。贅沢かもしれないが、自分の中でグッと高まる何かがないからだった。そんな夢子でも、仕事を終えて一人暮らしのアパートに帰ると、心にすきま風が吹くようで寂しい。だから、このまま帰る気になれなくて残業で夜も更けた10時頃行く宛もなく歩いていると、赤いネオンが見えてきた。「カラオケスナック」古びたスナックだった。夢子は勇気を出して、中に入った。すると、中に居たのは、そう50歳くらいの品の良い雰囲気のママがカウンターの中に居て、二人の若い男が前に座っていた。ママはどうぞどうぞ・・と言いながら夢子をカウンターに座らせた。「うちは、こんな感じなんですよ・・・飲み放題歌い放題で3500円ですから安心してね」そう言いながらママは、水割りと歌のリストを夢子の前に置いた。最初は少し緊張した夢子だが、水割りを一口飲むと「あんたたち、男二人で何なの?彼女いないの?」と男二人に声をかけた。一人の男は妻子持ちだったが、もう一人の裕太は独身だった。妻子持ちの方は、すぐに家に帰ったが、裕太は残って、夢子と閉店の12時過ぎまで歌いまくった。店の前で「バイバイ」と裕太と別れた夢子が早足でアパートに向かっていると何やら背後に気配を感じた。怖くなった夢子は必死に走ってアパートに着いた。アパートの部屋の前まで来て、鍵を開けようとすると、「よー」と男の声がした。振り向くと、さっき別れたはずの裕太だった。裕太は、ニタニタ笑いながら、「せっかく知り合ったんだから・・・今日は泊めてくれよ」と言いながら裕太は夢子の手から鍵をもぎ取った。夢子が「返してよ」と言っても裕太は「いいじゃないか」と鍵を開けようとする。「私、そんな女じゃないわ」と夢子が言っても裕太は取り合わない。「中で、ゆっくり聞かせてもらおうじゃないか」「もう、いいかげんにして・・」「怒った顔も素敵だよ・・」「返して・・返して・・・」そう言う夢子を無視して、裕太は部屋の鍵を開けて中に入ろうとすると、中の電気がついた「なんだ・・夢子さん帰ったの?」矢島の声だった。「ごめんね・・・夕方きたんだけどね・・・なかなか帰ってこないもんだから、大家さんから鍵借りて待ってたら・・・寝ちゃったよ・・ありゃあ・・こんな時間・・・ところで、この人誰?」矢島の顔を見て、血相変えた裕太は走って逃げた。裕太がいなくなったことに安心したのか、夢子は急に泣きたくなって矢島の胸に飛び込んだ。10年付き合って初めて矢島の前で涙を見せた夢子だった。
2005.05.08
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帰りたい♪月が出た出た月が出た・・・奈美のお父さんは、酔うといつも炭坑節を歌っていた。毎年5月1日に行われる国際的な労働者の祭典メーデーの日になると、奈美は亡くなった父を思い出す。奈美が生まれたのは、九州の炭坑の街だった。と言っても、奈美が物心つく頃には、すっかり寂れてしまって今で言うリストラの嵐で、つぎつぎ、なじみの人たちが街から去って行った。奈美のお父さんも、その例外ではなかった。奈美が13歳の昭和40年、とうとうお父さんも指名解雇処分を受け、街を去らなければならなくなった。「・・そうそう・・・あの夏はね・・・甲子園に大牟田の三池工業の野球部が初出場して、あれよあれよ・・と言う間に優勝して・・もう、お父さん、あの瞬間テレビにかじりつくようにして感動して泣いていた・・・」近所の名もない高校が信じられないくらい強かったのは、寂れて行く炭坑と、その街を去る人たちの無念さや悲しみの反動だったのかもしれない。「炭坑は事故が多くて、しょっちゅうケガするし、無事勤め上げても、炭坑で働く人は肺がススだらけになって、平均寿命より10歳早く死ぬんです」それでも、奈美のお父さんは「おれは、山で働くしかない」と言って、お母さんと奈美と弟を連れて、北へ北へと炭坑を渡り歩いた。奈美のお父さんの最後の職場は北海道の夕張炭坑だった・・・「帰りたいのお・・・♪つーきがでーたでた・・・つーきーがでーたー♪・・・」と息絶えるまで、お父さんは歌っていた。奈美は22歳で、小樽にある中学校の国語教師になった。夫は同僚の体育教師だった。「彼が九州出身だったのも・・・お父さんのお導きかな・・」夫といっしょに「いつか九州へ帰ろうね」と南へ南へ転勤を繰り返し、まるで、昔、炭坑を追いかけ続けたお父さんといっしょに歩んだ足跡を35年かけて辿った奈美は、炭坑の亡くなった生まれ故郷の中学校の教壇に立つことになった。
2005.05.07
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私の会社のエースは、この機械です。昔、私の父が、家の改築の時、 解体業者が来る前に 古い家の大黒柱を涙を流しながら ノコギリで切っていたのを思い出しました。 子供の頃の想い出が一杯詰まった家の 大黒柱だけは、自分で切りたかったのでしょう。 今の家には見かけませんが、 昔の屋敷には、必ず大黒柱がありました。 会社でも家庭でも、どんな組織でも必ず大黒柱があります。 米国のある会社は、地雷の探査機を作っていました。 ベトナムやボスニヤに輸出していたのですが 全然、儲かりません、 相手の国は、貧乏なので、お金を払うのが 遅いのです。結局、払ってもらえないことも あります。 困った社長さんは、地雷探査機を 開発するときに考えた方法で、 壁の中や金庫の中を壊さずに、検査する機械を作って 売りました。この機械が売れて、今、この社長は 大金持ちになりました。 で、地雷探査機はどうなったか、と言うと この社長さん、まだ作っているのです。 最近は、仕事は社員に任せて、自分はベトナムに 出かけて地雷探査機をセールスしています。 恐いけど、自分で、地雷を掘り出したりするそうです。 「相変わらず、お金はもらえないけど、 人の命を救う大切な仕事。 この地雷探査機を作ったから、 私は、金持ちになった。 私の会社のエースは、この機械です。 世界中に埋まっている何百万何千万の 地雷が全部なくなるまで、 いくら損しても、地雷探査機を売り続けます」 この会社の大黒柱は、地雷探査機です。 いや、この社長の心が、大黒柱です。 いくら損ばかりしても、 大黒柱があるから、他の柱が生きるのです。 逆に大黒柱ばかりにこだわっていたら、 この会社はつぶれたでしょう。 家庭も会社も他のどんな組織も、 そして人の才能も、一軒の家と同じです。 「柱が1本では、家は立たない」のです。
2005.05.06
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棚ぼた人生今年、72歳になったヨッサンはゴールデンウイーク目前に、新築の一戸建てをゲットした。でも、このヨッサンは、財産家ではない。また、年だから住宅ローンなんて、銀行が許さない。ホソボソと年金で暮らしている老人で、若い頃から飲んだくれだったせいか、貯金もほとんどないし、要介護認定2だから、ほとんど寝たきりで、息子も娘もいるにいるが、わがまま勝手なヨッサンに愛想つかして、とうの昔に独立してしまった。なのに、ヨッサンは、不動産屋さんからキャッシュで一戸建ての家を買ったのだ。ええ、どうして?ヨッサンは、ヨッサンのお母さんの遺産のおかげでもともと一戸建てに住んではいたが、それがもうボロボロで、建て替えるお金もないので困り果てていた。水道をひねれば水は飛び出すし、風呂を沸かそうとしても火は付かない、雨漏りはするし、昼間でも夕方のように日当たりは悪い。でも、半分ボケているけれど、きれいな家に住みたい欲望だけは強いヨッサンは、名案?を思いついた。「この家を売って、その売ったお金で、家を建てよう。少しくらい狭くなっても新しい方がいい。家が新しくなったら、息子たちも時々来てくれるかも」そう考えたヨッサンは日本一の不動産会社に頼んで古い家を売ってもらうことにした。しかし、待てども待てども家は売れない。この不況下、こんなボロ家が売れるわけない!困ったヨッサンであったが、何故か、この人の人生には棚ぼたが多い。18歳の時はアルバイトで貯金局、22歳の時は国鉄の運転手、23歳からは配電会社とつねに棚ぼたでお気楽な仕事を見つけてきた。嫁さんのユキサンだって10歳も年下で、お母さんに段取りしてもらったのだ。そんな棚ぼた人生の王道を歩むヨッサンは、もう半分棺桶に足を突っ込んでいるくせにまだ、この人には棚ぼたがあったのだ。昼間から寝ているヨッサンの所に、お隣の紳士と淑女が息子さんといっしょにやってきた「お願いがあるのですが、この家を売って頂けませんでしょうか。私どもも年ですし、息子たちといっしょに住みたいのです」お隣さんは、ヨッサンの家を改築して、息子さんたちを住ませるつもりなのだ。願ってもない話に喜び勇みたくても、半分ボケているヨッサンはウーウーと唸った。答えはオーケーに決まっているのだが、答えが言い出せないのだ。そんなヨッサンの態度にお隣の紳士さんは「そうですね・・・大切なお宅ですからね」と言った。紳士さんは、ヨッサンが家を売りたくないと思ったのだろう。ここぞと言う時のフェイントは駆け引きを有利に運ぶ。その日は、そのまま退散したお隣さんだが、どうしても息子さんと地続きに住みたいのか、何度もヨッサンに会いに来るようになった。おかげで、4月初めにめでたく売買成立した。ヨッサンが半分ボケているのが幸いしてか?相場よりも高値で古い家を売った。その上、たまたま、時期を同じくして30メートル!斜め向かいの古いマンションがとり壊された。そこに間が良いことに、どこかの建設会社が家を建て始めたのだ。つまり新築だ。しかも、バリアフリー(階段手すり付き、風呂も段差がない)だ。おまけに、日当たりの良い。不況のせいか、その家の買い手がなくて建設会社は困っていた。かくして、ヨッサンは、なかなかの安値ですぐ近くに新築一戸建てを手に入れたのだった。もう、棚から落ちてきたぼた餅に埋まってしまいそうなヨッサンなのである。
2005.05.05
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JRの幹部は電車の運転できるんでしょうか?JR西日本福知山線尼崎付近で列車事故が起きた時、私の乗る電車は隣の駅である大阪駅にいました。大阪駅でドアが開いた時、変な感じがしました。この感覚は阪神大震災の時、始発電車に乗っていたのと同じ感覚でした。「まさか」とは思ったのですが、数時間後の号外で悲しいカンが当たったことに頭をハンマーで殴られたようでした。事故の起きた線路は、ほんの少しですが私に縁があります。もう50年以上も前です、私の父が電車の見習運転手として行き来した線路でもあります。父は、この線路で終電を運転中、線路に飛び込もうと迷っている人を見て電車の運転手を辞めました。一人の人間の命にこだわって電車の運転手を辞めた父は、自分がかつて運転した線路で107名の方が亡くなったニュースを無言で見つめていました。この鉄道事故には伏線があるような気がします。私の記憶では今回の事故付近では20数年前、貨物列車の脱線転覆事故があったはずです。幸い、その事故では死者は出ませんでした。が、危険なカーブであったことはもう20年以上も前から現場では分かっていたのではないでしょうか?たまたま当時を知らない若手の運転手だからスピードを上げてしまったと推理できませんか?しかも、JRを経営する人たちは、もともと国鉄時代からのエリートで現場のことを知らない人が多かったのではないでしょうか?現在のJRの幹部で何人の方が電車の運転できるんでしょうか?だから、安全第一をおろそかにして定刻に遅れることが最大のミスであるとして現場サイドを指導つづけていた。自動制御装置が働かなかったのも気になります。カーブなどの危険地帯では自動的にブレーキがかかるはずです。こんなことは、鉄道のことを多少なりとも知っていれば分かるはずです。旧式の自動制御装置だから作動しなかった!とJRは発表していましたが、じゃあ、その装置は何のために付いていたのでしょう?自動制御装置は経費削減のために付いてなかった、いや、遅れた時にはいつでも制限以上のスピードを出せるように作動させていなかった?ここまで言ったら言いすぎでしょうか?鉄道会社の幹部には、実際に電車を運転し現場をよく知っている人がなるべきです。これが二度と事故が起こらないようにする対策だと思います。いかがでしょうか?
2005.05.04
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幸運の女神に休日はありませんどんな人になりたいか?と問われれば、運のよい人になりたい。運がよければ、どんな時代になっても幸せに生きていけるからだ。自分が幸せならば困っている人も助けることができる。小さな花屋さんをやっているマリさんは子供の頃からとっても幸せそうだった。子育ても終わって何かやりたいなあそうそう、私は花屋さんになりたかったんだわとおもっていたところに近所の花屋さんの老夫婦から後継ぎがいないのでやってみないかと誘われた。マリさんは二つ返事で引き受けた。マリさんは、マリさんにベタ惚れの御主人に愛されてずっと幸せだった。子供たちも独立して幸せにやっている。そのうえ、子供の頃からの夢まで叶えてしまった。いつものようにニコニコしながら、お店で花を並べているマリさんに「苦労したことあるの」と聞いてみた。「わたし、すごい楽観主義だから」とケラケラ笑う。だったら、「幸せになるコツあるの」と聞けば「そうねえ」ともったいぶって「おばあちゃんも、おかあさんもそうだったんだけど、仕事や学校が休みでも、誰かとの約束がなくても、なるべく、同じ時間に起きて、いつお客さんが来てもいいように準備してることかなあ。だって、幸運の女神には休日はないでしょ」幸運の女神には休日はない!!私は思わず休みになるとグウタラして無精ひげをなでている自分をふりかえった。マリさんは、すごいことを教えてくれた。のんびり休日を過ごしているときにもチャンスはやってくるということだ。幸運の女神に愛されればチャンスを手にすることができる。さて、幸運の女神の好みのタイプとは、老若男女を問わず、いつも希望を持っている人のようである。
2005.05.04
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情報コンビニ最近、パソコンが使えてコピーもできて、印刷も頼めるという24時間営業の情報コンビニをチラホラ見かけるようになりました。新しい物好きの私は、事務所の近くに新しくオープンした情報コンビニの一つキンコーズで早速、会社ですればいいのに、わざわざコピーをするために来ておりました。都会のど真ん中にある深夜の情報コンビニを利用する人々は無国籍です。私の横の円形テーブルで、ホッチギスで製本しているオバちゃんは、陽気なフィリピーナのようです。前にあるマックのパソコンでインターネットする白人青年は、背が高く英語を話していました。その隣のウインドウズで、何やらメールに書き込んでいるのは、中国か台湾の女性でしょうか。あれあれ、変な日本人も入ってきました。携帯電話で大きな声でお客さんと話しているタレントのルー大柴さん似のセールスマンは入って来てすぐに店員に「カラーコピーできやすかい?」って大声で聞いてました。続いて入ってきた3人の日本人は、女一人に男二人組です。女の子は茶色に眺めの髪のちょっと年増のペコちゃん風で、男の一人は金髪で、もう一人はサッカーのラモスのような頭をしていました。こいつら何しに来たんやと思った私ですが結構真面目な話をしておりました。「企画がどうの・・・」「・・・さんに通したか・・」「その辺、慎重に吟味して・・」と真剣に話し合っていました。私のようなスーツ族のオッサンから見れば、不思議に思える彼らも一生懸命ビジネスしてるんだなと納得してしまいました。ムンムンするくらいの個性と無国籍が情報コンビニという小さな世界で渦巻いていました。そんなこんな思いながら、メンバーズカードでコピー代を一割引してもらい、キャンペーン中にカードを作ったので特製のマグカップをもらって、イソイソと引き上げる私の背中に聞こえてきたのはあの3人組の男女のヒソヒソ声でした「あんな感じの人が、ここ活用してんだね」・・・
2005.05.04
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魂のレベルを上げる本「ベントリー・ビーバーものがたり」どこにでもあるような平凡な人生でも、一冊の本にまとめると読む人に感動を与えるものだ。この世に生を受け、親と共に幼児期を過ごし、学校に通い、多くの人と出会い、やがて好きな人と出会う、子を育て、やがて年老い、そして土に帰る。こんなごくごく当たり前の一サイクルを読み通すことで、ふと気づくことがある。ベントリー・ビーバーものがたりは、大工をやっているビーバーが主演だ。ベントリーはギターをひき歌うのが楽しみだ。この物語にはアッと驚くような展開があるわけもなく、有名な人が出てくることもない。しかし、なにげない日々の中に生きるヒントが隠されていることを心やさしく教えてくれる。
2005.05.03
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濡れネズミ 酒場の隅で若い男たちがとぐろを巻いて、何やら奇声を発したり、デヘッヘヘ・・とそろって含み笑いをしている。その中心にいるのが竜一だ。「とうとう100人切り達成よ」竜一はちょっと良い男なのを鼻にかけ、物にした女の数を自慢している。さんざん騒いで、やっと疲れたのか、そろそろ、それぞれの寝ぐらに帰ろうと思ったのか、竜一たちが酒場を出るやいなや、一同そろって息を飲んだ。闇金融の元締めの根津が屈強な男たち数人と通りかかったのだ。「よー、竜一さん・・・」根津がバカに明るく竜一に声をかけると、男たちはアッという間に竜一を取り囲んだ。竜一が、おいおい・・と情けない声を出しても仲間たちはもういない。「なあ、竜一さんよ・・・飲む金あるんだったらうちにも入れてくれよ・・・50万もあるんだから」根津の言葉に竜一の全身が震えた。「もう、ちょっと待ってください」「待てないな・・おい、こいつを連れていきな・・・竜一さんは保険付きだから全身打撲で入院でもすれば、支払いは済むって」そのまま竜一は、引きずられるようにして路地裏に連れて行かれた。サンドバックのようにボコボコに殴られ「た・・たすけてくれ・・」と悲鳴を上げた竜一の声に誰かが答えた。女の声だった。「もしかして、竜ちゃんじゃないの・・・」男たちは手を止めた。根津が振り返るとそこにいたのは、竜一の一番最初の女で幼なじみの由美子だった。由美子の傍には育ちのよさそうな若い男もいた。「由美子の知り合いかい・・・その人は?」「ええ・・・幼なじみ・・実家の近所に住んでる人」「そうか・・何か分けありだね・・」その言葉に根津は目を光らせた。「よかったら、あんさんが代わりに払っていただけますか50万・・・」由美子の傍らの若い男は、財布から、ありったけの札束を取り出し、根津に手渡した「これで30万ある・・・残りは、明日振り込む・・口座番号を教えてくれないか・・・」根津は口座番号を書いた名刺を手渡すとフンと鼻で笑って、「運のいいヤツだ・・」と言い残して去って行った。根津たちが去るのを見届けると、由美子と若い男もその場から消えた。後に残された竜一が、何とか起きあがろうともがいていると、ハイヒールの音が聞こえて目の前には由美子が立っていた。「おまえ、さっきの男といっしょに帰らなかったのか?」「竜ちゃんを送ってあげなさいって」「お前の彼氏か・・・」「そんなんじゃないわ・・・ただの知り合い・・・」そんな会話が交わされて、竜一は由美子が呼んだ救急車で病院に運ばれた。その間、竜一はずっと由美子の手を握って離さなかった。「俺はバカだ・・・命拾いして分かったよ・・由美子にしとけば良かったんだ・・・」そう言って竜一は気を失った。それから何時間眠ったのだろう。竜一が目を覚ますともう昼だった。看護婦に聞くと竜一は、まる2日眠っていたらしい。眠っている間中、竜一の夢の中は由美子で一杯だった。散々殴られ蹴られて、目が覚めたのかもしれない。竜一は無性に由美子に会いたくなって、由美子の実家に電話をかけた。竜一だというと、それだけで由美子の母親は電話を切った。何度、電話をかけてもガチャンだった。そんな扱いを受けても仕方がなかった。3年前、竜一に捨てられた由美子は睡眠薬を大量に飲んだと言う噂もあったからだ。それでも、竜一は由美子に会いたかった。だから、壁づたいに病院を抜け出し、タクシーに飛び乗り由美子の実家に向かった。しかし、由美子の実家の前に着くと鬼のような顔をした由美子の父と母が現れた。由美子の父は、タクシーから降り立った竜一を力の限り殴った。そして、由美子の母は、倒れた竜一にバケツ一杯の水をぶっかけた。「これが由美子の流した涙だよ・・・由美子は、去年、御曹司と結婚したよ。・・・なんだい・・・今頃、ノコノコと・・・」そう言って由美子の父と母は家の中に引っ込んで行った。たった一人濡れネズミの竜一は、路上に突っ伏して男泣きに暮れるだけだった。
2005.05.03
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羞恥心を捨てるんや床屋の前を通りかかると、きれいに散髪した人が出てきた。「よー」バカに明るい。この人が伊藤先生、この町の中学校で一番人気の音楽の先生だ。伊藤先生の口癖は「羞恥心を捨てなあかん・・・」だった。「歌謡曲だって、演歌だって、民謡だって、何でもいいんや。歌いたいのを歌えばいいんや。教科書の歌にこだわるから、音楽の嫌いになるヤツが出てくるんや」そう言って伊藤先生は、毎回の音楽の授業に自腹を切って買ってきた紙に先生の好きな歌の楽譜コピーを印刷して担当する生徒全員に配った。先生の担当していたクラスは5クラスはあったから、200人近くの生徒に配ったことになるから大変な負担だったろう。そんな先生のおかげで、たくさんの生徒が音楽好きになった。ずっと音楽が嫌いだった生徒もオンチで劣等感を持っていた生徒もみんな音楽が好きになった。先生は、力強くピアノを弾きながら「なんや、なんや、声が小さいぞ・・・羞恥心を捨てるんや・・・」と生徒たちを元気づけた。そんな伊藤先生は、みんなの卒業を待たずに別の学校に移って行った。あとで、分かった話だが、伊藤先生は、歌謡曲を授業中に生徒に歌わせていたことをPTAに批判されて、転勤させられたそうだ。そんなことがあっても、伊藤先生は最後の授業も明るかった。学校を出て行くなんて、最後の最後まで言わなかった。「今日で、この学校ともお別れや。みんなの卒業式見れへんのは残念や。なあ、みんな・・・歌が上手くなりたかったら、羞恥心捨てることや・・・忘れるな・・・これが先生の餞別の言葉や・・・先生は湿っぽいのは嫌いやから、別れの挨拶遅れたけど・・・ありがとう・・・楽しかった・・・ありがとう・・」そう言って授業を終わった伊藤先生は、自分から湿っぽいの嫌いやと言ったくせにボロボロ涙を流していた・・・
2005.05.02
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プロポーズ妙子が縁遠かったのは、へそ曲がりの性格が原因だった。どうしても自分の心にウソをついてしまうからだ。そんな妙子のお気に入りの彼氏の隆平は、電鉄会社に勤めている。彼の夢は小さな駅でもいいから駅長さんになることだそうだ。妙子の心は、隆平のプロポーズを今か今かと待ち望んでいるが、またもヘソ曲がりの虫が出ないかと、妙子は気を揉んでいた。そんな妙子が隆平からプロポーズされたのは、箱根に日帰り旅行した忘れもしない5月5日だった。芦ノ湖で二人でボートに乗り、ロープウエイで下って、登山鉄道に乗り継ぎ、小田原駅でJRに乗り換える時、隆平は「ちょっと、見せたい物があるんだ」と駅前にある石碑の前に妙子を連れて行った。その石碑は、昭和16年の暴風雨の夜、線路に支障があったのを一人調べに行き誤って鉄橋から転落して亡くなった駅長さんの功績をたたえるものだった・・「どう思う?」神妙な様子で隆平は妙子に聞いた。「どうって・・・」「仕事の為に死ぬって、変かな。俺は、この駅長さんのように命かけて、鉄道を利用する人を守りたいと思う。古いかな?」「今時、珍しいかな・・・でも、いいよ・・そんな生き方も」「そうか・・・そう思ってくれるのか・・・君なら分かってくれると思ってたんだ・・ありがとう」「ええ??」その時、妙子はよく分からなかったが、それが隆平のプロポーズだった。やっと、妙子が隆平のプロポーズが分かったのは帰りの電車の中で「新婚旅行は、やっぱり海外だよね」とか「お父さんお母さんに挨拶に行くのは、いつがいいかな?」なんて話を隆平がするものだから、妙子が「そんな話は、プロポーズとかしてからするものでしょう?」って言うと、隆平は「だって、君は僕の生き方がいいって言ったから、もうオーケーかと・・・じゃなかった?」「ええ・・・まあ・・・」「オーケーだね?」「うん」こんなわけで、妙子はヘソを曲げるまでもなく、隆平に陥落させられた。
2005.05.01
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