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バカ息子 祐蔵は毎月25日に墓参りをする。それは、もう25年も続いている。「なあ、弘一さん、あんたが死んで俺がビッコになった。あのトンネル事故からもう25年もたった。あんたの息子の弘治ももう30だ。あんたの恋女房だった春江も元気にやってるよ」そう墓石に話かける祐蔵だった。祐蔵はトンネル事故で亡くなった同僚だった弘一の女房と結婚して5歳の弘治も引き取って育てあげた。しかし、その弘治は30になるが、いろんな商売に手を出しては失敗しての繰り返しで、失敗するたびに尻拭いをするのは祐蔵だった。そんなわけで、今年で建設会社を定年になる祐蔵だが、蓄えは全くない。「ただいま」祐蔵が家に帰ると、弘治と春江が口ケンカしていた。春江は弘治の首根っこをつかんで「ちゃんと、父ちゃんに話してごらん」弘治はお腹のあたりで、手で出っ張った腹の様子を作って「彼女がこれで・・・」と薄笑いを浮かべた。祐蔵は、少し驚いたが「で、嫁にするのか」と丁寧に尋ねた。「うん・・・」と弘治が言った瞬間、祐蔵は25年前、5歳の弘治を抱えて苦労している春江にプロポーズした頃を思い出した・・・「俺、こんなビッコなっただけど、一生懸命働きますし・・」「同情じゃイヤですよ」「違います・・・春江さんは、弘一さんの嫁になったけど、俺はずっと前から、あんたの事好いてました。今も変わりません。だから、35まで一人だったんです。忘れられなくて。弘一さんには申し訳ないけど、春江さんを嫁にできるなら、俺の長年の夢は叶うんです」・・・「その女のお腹の子は、おまえの子か?」なにげなく、祐蔵は、弘治に問いかけた。「おまえ、まさか」春江は、開いた口がふさがらない。弘治は、首を振った。「あいつ、捨てられたんだ。でも・・」「好きなのか?」祐蔵の強い口調の問いかけに弘治は首を縦に振った。「よっしゃ、決まった・・そしたら、弘治、明日、その子連れて来い。式は早いほうがいいな・・・めでたいめでたい・・酒もって来てや」祐蔵は上機嫌になった。酒を酌み交わす祐蔵と弘治を見ながら春江は、「ほんと、バカな子だよ・・・誰に似たのか」すると、祐蔵は真っ赤な顔で「決まってるだろ。俺に似たんだ」と胸を張って言った。
2005.06.30
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アイドル繁華街を通り抜けたガード下で、健作は千春と再会した。千春は別人のように丸くなった顔をさらに丸くして「元気だった?健作君」と言った。あの千春が、こんな太ったとは、あれから20年の年月が流れた・・高校時代、千春は学年で一二を争うようなアイドル的存在だった。小枝のように細い身体、そして、そのキュートな笑顔に男子生徒たちは夢中だった。その頃の健作は、ずっと好きだった女の子と上手く行かなくなっていたせいで、少しヤケになっていた。だから、ちょいと、他のみんなが驚くようなことをやってみたかったのだろう。受験も迫っていた高校3年の秋、千春に堂々、交際を申し込んだ。一回目は電話だった。これは敢えなく、撃沈。「ええなあって思う人がおるねん。ごめんなあ」やっぱり、本当に好きでないと女の子をウンと言わせることはできないのか。さては、自分がヤケクソなのを、千春は感づいていたのか。いろいろなケースが頭の中を駆けめぐったが、諦めず、健作は、千春を校庭の隅に呼び出した。浮かぬ様子の千春の様子を見て健作は、「やっぱり、あかんか?」「うーん、あかんねん」またも、撃沈。それから、1ヶ月後、木枯らしが吹き始めた晩秋の頃、またも図書室の傘立ての前で、「なあ、何とかならへんか?」「もう、ハッキリしたいの。あかんって言うたらあかんの」三度目の正直ならず、今度はキツク振られた健作だった。あのキュートな千春が、あんなにキツイ顔をするんやから、これで本当に諦めよう。健作は、そう心に誓ったのだった。それから数ヶ月すぎた卒業式の後だった。健作はひょんなところで、千春に会った。JRの駅の改札口だった。千春は誰かを待っている様子だった。さすがに少しは気になった健作だが、もう未練はなかったから、見て見ぬふりをして千春の横を通り過ぎようしたとき、千春が「健作君」と健作に声をかけたのだった。今まで名字しか呼んだことのない千春が、健作の名前を呼んだのだ。意外な展開に健作は「何か・・」と言うだけで精一杯だった。千春は健作の目を見て「本心やなかったんよ」と言うと少し目を潤ませた。その後、二人が心を通わせたのは、ほんの数週間だった。と言うのも、千春は京都のカトリック系の女子大へ、健作は東京の大学に進んだことで、二人の仲は、いつの間にか途切れてしまったのだった・・「元気やった?」健作が、そう言うと千春は笑顔で頷いた。そして、すぐに背中を向けて数メートル駆けた千春は、頭の禿げ上がった小太りの紳士と歩き始めた。呆然と、その二つの背中を見送る健作に、かなり離れたところで1回だけ振り返った千春はコクリと頭をさげ、そのまま健作の視界から消えて行った。
2005.06.29
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冷蔵庫・・あんまり立派な金庫を買うなよ。こんなことは、本には書けないけどね。会社が倒産する寸前には、会社の社長は立派な金庫を買うんだよ・・大手企業調査会社に勤めていたH君は借金地獄で食うや食わずだった私に教えてくれた。たしか10年前だった。H君は、その後、インサイダー取引に手を貸したと言うことで、調査会社をクビになり、私の前から姿を消した。借金地獄からは抜け出したが、今だに、月末になると数千円しか銀行にない私には、手で軽々と持ち上げられる金庫しかない。この金庫にも、月に数日間だけ、大金が入っていることがある。その時、私は、金庫を冷蔵庫に入れることにしている。この習慣は、H君とよく会っていた頃からのもので、もちろんH君は私が冷蔵庫に金庫を入れていることを知っていて「そんなことするのは・・・さんだけですよ」と酒が入ると、いつも笑っていた。たとえ、泥棒が侵入してきても、まさか冷蔵庫は探さないだろうというのが私なりの防犯の知恵だった。先日、私の勤める会社の上のフロアの会社に泥棒が入った。たまたま、エレベーターで刑事二人が話している内容に驚いた「あんなに荒らされたのに、金だけは無事だったよ。どこにあったと思う?」「・・・」「冷蔵庫の中だよ」なんと、上のフロアの社長は、冷蔵庫にお金を隠していたのだった。世の中、広いようで狭い。同じ考えの人もいるんだと私は感心した。そんな私の前に、久しぶりにH君が現れた。やはり会社の入っているビルのエレベータの中だった。「・・・会社の・・・さんじゃ」の久しぶりの声に驚いたが、一緒ににいた人にも驚いた。H君といっしょにいたのは、さっきの二人の刑事さんだった。H君は手錠につながれて現場検証に同行していた。なんと、あのH君は、事務所荒らし専門の泥棒になっていたのだ。かつて、企業調査でならした経験は、こんな形で生かされていたとは!!何でも、賊になったH君は、お金を探しているうちに警報ブザーにふれて御用となったそうだ。先にエレベーターから降りる私にH君は、「あなたに捕まったような気がしますよ」と悪びれた様子もなく笑みを投げかけた。
2005.06.28
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大発見おそらく23世紀頃、とうとう地球人は、宇宙のかなたで地球人と同じような生命体を発見した。宇宙船コロンブス号の艦長エッグは、叫びにも似た歓喜の声で、大発見の報告をした。「ついに見つけました。地球と同じ文明が見つかりました。でも、コロンブス号は故障して、地球に帰れません。早く迎え来て下さい」国際宇宙センターのチキン将軍からは、「よーくやった。地球ではコロンブス号の話題で持ちきりだ。すぐにマゼラン号を迎えにやらせるが、少なくとも地球時間で一ヶ月はかかるだろうから、その間、友好関係を保つよう、よろしく頼む。君を臨時親善大使に任命する」と言う返事だった。この一ヶ月の間、エッグたちは、大歓迎を受け、多くのこの星の人たちと交流を持った。中には、この星の人たちと恋仲になる隊員もいた。体型は同じ、男女の二種類の性も同じ、多少言葉が違う程度で、ほとんど地球人と同じ生命体であるこの星の人たちとの交流は何ら抵抗を感じなかったからだ。エッグ艦長も、その例外ではなかった。コロンブス号乗組員100名の最高責任者であり、勇敢な男の中の男であるエッグ艦長に引かれる女性は、この星にもたくさんいたのであろう。そんな多くの女性たちの中でエッグ艦長の愛した女性は、長い黒髪で大きな目がキラキラ輝き、流線型の身体は若さに溢れていた。ちょうど21世紀前半の20歳くらいの日本女性のような感じの人だった。もうメロメロのエッグ艦長は「君は私の母の若い頃とそっくりだ」「そう、私もお母さんにお会いしたいわ」「母、今年で150歳になるが、まだまだ元気で・・・」「ええ!!150歳!」「ああ、びっくりしたかい。ぼくは、母が100歳の時の子供で、僕も50歳なんだ。地球では、人工臓器が開発されて、現在の平均寿命が170歳から長生きする人で200歳くらいまで生きるんだ。君の星の人は、若い人ばかりだから、まだ、そこまで医学は進歩してないのだろうね。大丈夫、100歳までなら、子供も作れるし、節制して健康を保つようにするから・・」と、エッグ艦長は、ほとんどプロポーズしていた。しかし、なおも悩んだ様子の彼女はエッグ艦長の方を向いて、真剣な眼差しで「私の事を本当に愛してくれるの?」「ああ・・・約束する・・・だから・・僕と結婚してくれるね」「本当に?」「本当だとも」「私の年齢のことだけど・・・あなたのお母さんと同じなの」「ええ!」エッグ艦長が驚くのも無理はなかった。地球人の感覚からすれば、どう見ても19か20のピチピチギャルに見える彼女が150歳で、自分の母親と同い年とは。その後の調査で分かったことだが、この星の生命体には、年をとれば衰えるという現象がなかったのだ。
2005.06.27
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ガーナかタイか貿易会社のOLの恭子は、書類の中にガーナと言う国名を見つけると、心がときめく。あれは、恭子が、大学を卒業する前の年だった。就職課で、学校推薦の就職リストを見ているときだった。おもわず恭子は呟いた「ろくな仕事ないね。結局、なんだかんだって。女は女。なかなか、やりがいのある仕事につけないのよね」その時、恭子の視線に入ったのは、海外青年協力隊のポスターだった。そのポスターには、恭子とさほど年齢の変わらぬ女の子が海外の子供たちに勉強を教えていた。その生き生きした笑顔に恭子は魅せられた。「よーし、私も頑張るぞ」善は急げ、就職活動そっちのけで、恭子は協力隊事務局に電話した。とんとん拍子に話は決まり、卒業と同時に出発の手はずは整った。行き先はコーヒーやカカオでしか聞いたことのないガーナと言う国だった。本来、こんな時、反対するはずの両親は、「おまえは苦労知らずだから、たまには苦労しなさい。でも、体調悪くしたら飛行機代送るからすぐに帰ってきなさい」と、オーケーしてくれた。しかし、恭子には、おじゃま虫が付いていた。淳夫だった。淳夫とは大学2年の時からのつき合いで、金がない金がないが口癖の男で、かれこれ2年間付き合って、淳夫がおごってくれたのは、1年に1度の恭子のバースディー2回のみだった。ほとんどは割り勘か恭子のおごりだった。そんなヒモのような淳夫が母性本能をくすぐるかのように「なあ、俺を捨てて行くのかよ・・」淳夫の目には涙が一杯だった。こんな淳夫の涙に負けた恭子は、ガーナ行きを諦めた。それから、一年後、貿易会社に就職していた恭子を捨てて淳夫は、居酒屋チェーンの社長の娘と結婚した。将来、淳夫はその居酒屋チェーンの重役だそうだ。「そうよね、私には、平凡なサラリーマンで、人の良いお父さんしかいないもんね」が淳夫との最後の言葉だった。そんな恭子は、もうすぐ社内恋愛中の彼と結婚する。その彼が申し訳なさそうな顔でやってきた「なあ、俺、タイのバンコク支社に3年ほど行くことになったんだ。現地の社員や家族の面倒を見ることになるかもしれない。もうすぐ、結婚式だよね・・延期しよか・・結婚早々離ればなれってのも」「私がいっしょに行ったらダメなの」「いいのか・・・もちろん、君といっしょなら最高だよ」「当たり前よ。いっしょに行きます」喜び一杯の彼と見つめ合う恭子は、・・・そう言えば、ガーナとタイで迷ったんだ・・・と、あの頃を思い出していた。
2005.06.26
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福の神数ある神様の中でとりわけ忙しいのは福の神様でございましょう。「うん、そうなんや・・・一番福は大昔にわしが決めた。かわいい娘さんがおったから、彼女にステキなボーイフレンドを与えたんや。別の本では、アダムとイブなんて言っておるがの。まあ、このあたりまでは良かったんじゃが・・・当時は、ワシも人間といっしょに住んでおったから、彼女の幸福を見て、我も我もと、幸福願望の人間がワシのところへ、ドドドドドーと押し寄せてきたんや。私にも福くださいよーってね。あさましいったら、ありゃしない。でもね、そんなガツガツしたヤツには福はあげられへん。で、ワシはひそかに二番目以降に福を与える選考基準を決めたんじゃ。このあたりが、ワシとサンタクロースの違いやな。あいつは12月24日25日にドンと仕事をして、残りの1年は休むが、ワシは年中無休24時間営業じゃ。まあ、最初は選考基準を誰も知らへんからワシも暇やった。けど、どこで漏れたんか。プレゼントと言う風習が生まれた。そう、なにか福を受けた人に、お祝いの印にご褒美をあげようと言うことや。ワシは、何て清らかな心がけやと思って、プレゼントした人間みんなに福をあげた。そのうち、味を占めたのかパーティーと言うのをやって、福を受けた人をみんなで祝うことにしたんや。ワシは、このあたりで、ふと気づいたんや。ニッコリ笑って、祝っているけど、本心はどうも違う人が混じってんやないかってね。そうそう、裏表があるってことに気づいたんや。それで、ワシは、人間の行動を見るのをやめた。大切なのは心の動きやってね。心の中で自分のことでも、恋人のことでも、家族のことでも、他人のことでも、素直に祝ってる人の心は清々しい。そんな晴れ晴れした心の持ち主に福をあげようってね。ウジウジ暗いことばっかり考えてる人間の心を見てると、こっちの方がストレスがたまって、どうしようもない。ワシにストレスくれるよな人間に福など行くわけない。いつまでもウジウジしとる人間に言うといて、神様の身にもなれってね」そんなわけで、最近特にストレスが溜まっているのか、福の神様は重い足取りでございました。
2005.06.25
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とってもイイことをしたようないつもお客さんとトラブルばかり起こしている運送会社のドライバーの光太郎は、今日も会社に帰ると社長に首根っこ捕まれて怒鳴られた「お前はバカか。さっき、マンションにタンスを運んだろ。お前何って言った」「はい、台車を忘れたから、3階に住んでいるお客さんに、一階に置いておきますって言って帰ってきました」「お前って、本当にバカだなあ。お客さん、すごい剣幕で怒ってたぞ」「へえ、人の良さそうな人だったのに。で、どうしたんです」「仕方ない。俺が行ってきたよ。ちゃんとやってくれよ」・・・こんな光太郎が、民生委員をやらないかと誘われた。この町の民生委員は、温厚な銭湯のオヤジがやっているのだが、このオヤジさん、「お嫁さんといっしょに世界一周旅行に出かけるから、1ヶ月だけやってくれよ」「何も俺になんか頼まなくても・・・」「俺は人に頼まれるのは得意だけれど、頼むのは苦手なんだよ。頼めるのは、光太郎、おまえだけだ」・・・こんなわけで、光太郎は1ヵ月という期限つきで民生委員代行を引き受けた。最初の仕事は、銭湯の夫婦が旅立ってすぐにやってきた。健造さんは、50歳、最近リストラで長年勤めた電器会社を辞めさせられた。それからすぐに、今がチャンスと思ったのだろうか、奥さんに離婚され、傷心の健造さん、パチンコに競輪競馬マージャンに花札とギャンブルに明け暮れてしまい、ほんの半年で退職金の500万円を無くしてしまった。とうとう家賃も払えなくなって市民会館の駐車場に住み込んだった「いっしょに飯でも食おうか」光太郎は、健造に話しかけた。近くの飯屋でビールを飲みながら、光太郎は、いろいろ話を聞いた。聞けば、健造は、光太郎の父ちゃんを知ってると言うのだ。「この町の最後の漁師で男らしくって競馬が好きでそうそう、それで、おまえコータローになったんだなあ」さらに聞けば母ちゃんのことも知ってると言うではないか。「若い頃はベッピンで、大恋愛の末に、おまえの父ちゃんといっしょになったんだぜ」そんな話聞いてたら、光太郎、涙が出てきた。「俺が、こんな気短のバカになったのも10の時、やさしい父ちゃんと母ちゃんが交通事故で亡くなって親戚に預けられたからだ・・・もともと甘えん坊の俺が生きていくにゃ、これしかなかったんだ・・・」よく思い出させてくれた。「いいぞ、健造さん、最近、ろくなもの食ってなかったのだろう。好きなだけ食えよ」光太郎は、健造さんの元いたアパートの大家さんに頼んで、もう1ヶ月だけ健造を置いてもらえるようにしてやった。あちこち駆けずり回って仕事の世話もしてやった。一週間後、一ヶ月の世界一周旅行に出かけたはずの銭湯の夫婦が帰ってきた。光太郎の顔を見るなり、銭湯のオヤジは「どうや」と、ニコニコ顔で尋ねた。「どうもこうもない。1ヶ月のはずが、どうして1週間や」「いや、旅行社の手違いでワシら、有馬温泉のツアーに入ってたんや」「銭湯の経営者が温泉旅行かいな・・・」・・・ほんの1週間だけど、ちょっと昔を思い出して、とっても良いことをしたような良い気分の光太郎だった。
2005.06.24
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朝練早朝2番電車は、いつも苦もなく座れる。そう、月曜日と木曜日は陸上部の朝練の日だ。眠い目をこすりながら、ミドリは電車に揺られていた。「おい、スカートの中が見えるぞ」知らず知らずのうちに、太股が開いていた。声をかけたのは、野球部の新造だ。「なによ、見たね」「見たんじゃねー、見えたんだ」たわいない会話だった。いままで、同じ電車に乗っていても話をすることのなかった新造とミドリはこんな経緯で話をするようになった。どちらかと言えば、坊主頭でガッシリした体格の新造は、優男好みのミドリのタイプではなかった。でも、それはそれ、毎週2回、こんな形で話をしているうちに、情が映るから女は不思議だ。夜の風呂上がり、それとなしに母に話を振った。「なあ、おかあさん、女って不思議ね」「なにが・・・」「いっしょにいる時間が長いと情が移る」「フフ・・だから、子育てできるんよ」そう言って、何かに感づいた母は、またフフ・・と笑った。それから数日後の朝練の日、ミドリは電車の中で、いつものように座って居眠りしている新造を見つけ声をかけようとして、ハッとして思いとどまった。新造の隣りに女の子が座っているのだ。同じ学校の子だ。よく見ると、その女の子と新造は手をつないでいた。ああ・・・と思わず、ため息をついたミドリは車窓から、見慣れた景色を眺めた。その日の朝練が終わると、監督はミドリたちを集めた。少し投げやりな表情で監督は「今日で朝練は終わりや・・能率あがらん・・その分、昼の練習頑張ろう」と、最後の頑張ろうだけに力をこめた。「朝練、終わり・・・」そう、私の朝練も終わった、とミドリは思った。
2005.06.23
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3足のわらじ高校3年生の純一は、受験生である。学校から帰って来ると、すぐに予備校に出かける毎日だ。純一は、すでに学校の先生からも予備校の先生からも、志望校合格ギリギリのお墨付きをもらっている極めて不安定な立場である。だから、猛スパートをかけなければ、と思ってはいるが、ちょっと気になることが残り2つある。一つは、もちろん恋愛である。高校入学以来ずっと思いを寄せていた彼女とやっとつき合えたのだ。周りの友達は「そんなことしてる余裕はないよ」と言うが、彼女と今付き合わなくては一生後悔すると思い、束の間のランデブーを楽しんでいる純一だった。さてさて、もう一つは、純一のもう一つの姿。パソコン歴すでに7年の純一は、ネット上でホームページ作成代行をやっている。2年前から始めたのだがお客さんからの不満あり、行き違いあり、苦情ありで、何度も挫折しかけたが、ここに来て軌道に乗って来たのだ。一時は、進学せずに会社でも作ろうかと考えたくらいの勢いなのだ。でも、そんな純一に、小さな鉄工所の社長のパパは言った「俺は、この世界しか知らないからこの不況で儲からない鉄工所をしかたなくやっている。他の世界を知ってたらって何度思ったことか・・お前も、いろいろ忙しそうだけど、俺の人生振り返っても、忙しい時ほどチャンスってやってきたもんだよ」純一は、このパパの言葉に何か輝くものを感じた。「よーし、受験も恋愛もビジネスもまとめて面倒みてやる。三足のわらじだ」そう決心した純一は、超多忙ながらも充実した日々を送っている。
2005.06.22
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イタッタタ・・イタイタタタ・・・教室の隅で苦しむ哲夫の叫び声に皆は集中した。1年6組の生徒数43人。人口急増地帯の小学校。もう机が入らない。今年になって転校生が6人もやってきた。そんなギュウギュウ詰めの教室の一番後ろで痛い痛い・・・と叫びとうとう哲夫は叫びながら泣き始めた。あまりの泣きように、教室の前の廊下にいた美子先生もビックリして飛び込んできた。「どうしたの・・・まさか」その、まさかが起きたのだ。哲夫は、教室の後ろの水槽に中にいたカメに指を噛まれたのだ。「あれほど、口のところを触ったらダメと言ったでしょう」美子先生は、必死にカメを哲夫の指からはずそうとしたが、カメも必死、はずれるわけがない。イタイイタイ・・・哲夫は泣き叫ぶ。となりの教室の男の先生も、ビックリして飛び込んできた。カメを叩いたり、さすったりしたが、どうにもならない。とうとう教頭先生も飛び込んできて、保健室の先生といっしょに、哲夫は車に乗せられ、近くの森外科医院に担ぎ込まれた。森先生は自慢の髭をなでながら「10年前は、1ヶ月に一人は、こんなアホがおったもんや。ヘビに噛まれたなんか1週間に一人や。でも、カメといっしょに来たのは、久しぶりやな」そう言いながら、森先生は、大きな注射器を持ってきた。大きさで言えば、大根くらいの大きさの注射器だ。「こうでもせんと、指食いちぎられるからな」哲夫もいっしょに来た教頭先生も、てっきり哲夫にその注射をするものだと思った。哲夫は指の痛さも一瞬忘れて、あまりに太い注射に全身が震わせながら、目を閉じた。「さあ、行くぞ・・・」森先生は、そう言いながら、注射器を哲夫に近づけた。ドーリャー・・森先生は渾身の力を込めて、注射器を突き刺した。突き刺したのは、カメのお尻だった。さすがのカメも、大量の麻酔液を投与され、哲夫の指から離れた。カメの歯は、哲夫の指の骨まで到達していたが何とか指を切断されることなかった。全治1ヶ月のケガだった。そんな哲夫が、先日の日曜日、30年ぶりにイタッタタ・・の絶叫を聞いた。なんと、哲夫の小学1年生の息子が、昨日デパートで買ってきたクワガタの角に指を挟まれたのだ。哲夫は、クワガタのお尻を指の爪でパチパチと強く跳ねた。すると、クワガタは指から角をはずした。少し指から血はにじんでいたが、大した傷ではなかった。ワーワー泣きやまない息子に哲夫は、30年前、カメに噛まれた話をしたそうだ。
2005.06.21
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オテンバ・ガール大学1年生の祐輔と薫子が、結婚したのは祐輔が大学に入学して間もない頃だった。高校時代から付き合っていた二人は、薫子のお腹に赤ちゃんができたので、結婚することになった。両家の両親の一番心配していたことが現実となったわけだ。祐輔の両親としては、せっかく大学に合格したわけだし、将来、仕事につくにしても大卒と高卒では、大卒の方が有利と考えたのだろう。祐輔が卒業するまでは生活費を援助すると言ってくれた。そんな二人に、女の赤ちゃんが産まれた。名前は玲奈ちゃん。無事、産まれた玲奈ちゃんだったが、未熟児だった。1700グラム。担当の医師からは3000グラムになるまで、入院するように言われた。しかし、入院している1ヶ月間に、玲奈ちゃんの身体に障害が見つかった。「腎臓に欠陥がありますので、1歳までに手術をしないと、その後の生命の保証もできません」と担当医は宣告した。「こんな小さな身体にメスを入れるなんて」祐輔と薫子は、可愛そうで可愛そうで一晩中、涙が止まらなかった。「先生、せめて、俺の血使ってくれませんか。俺も玲奈もBです。俺の血なんか全部使ってもいいから玲奈を助けてやってください」そう目を真っ赤にして言う祐輔に、担当医はクールに言った「両親の血液は、赤ちゃんの輸血には不向きです」他人の血液の方が良いと言うのだ。何の役にも立てない未熟な父親・・・祐輔は、何度も何度も自分自身を罵った。「せめて、玲奈の手術費は自分で稼ごう」祐輔は、両親にわけを話して、大学を辞めて大手電器ショップで働き始めた。薫子は、朝から晩まで玲奈ちゃんに付きっきり。二人ともストレスが溜まるなんか言ってられない。1年後、玲奈ちゃんの命はないかもしれないのだ。10ヶ月間、手取り17万円の給料のうち、10万円を手術費として貯金した。ギリギリの生活だった。食費などは両親にも助けてもらったが、それでも、今まで優しい両親に守られ何の苦労もしなかった祐輔も薫子もとっては大変な苦労だった。とうとうやってきた手術の日、4000グラムに成長した祐輔と薫子は玲奈ちゃんを交互に抱きしめて看護婦さんに手渡した。両家のお父さんもお母さんもやってきて、二人を励ましてくれた。大丈夫・・・大丈夫・・・みんな口々に唱え合った。3時間後、担当医が手術室から現れた。「油断はできませんが、うまく行きました」二人の19歳の苦労が実った瞬間だった。玲奈ちゃんは、それから半年、体重は6000グラム。後遺症で、おでこの辺りに赤い湿疹はあるが、ヨチヨチ歩きの男の子もビックリするほど元気なオテンバ・ガールだ。
2005.06.20
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恋愛を楽しむために恋愛がうまく行かないのは、たとえば、ひいきの野球やサッカーのチームがあって、一生懸命応援しているのに負けてしまう。そんな感じですね。新聞やテレビで名前は知っているけれど、本当は、どんな人なのか、サッパリ分からない。それなのに、まるで自分のことのように応援して、悔しくなったり、ヤケになったりする。恋愛も、そうなんですよ。好きな人に向かっているのは、アナタではありません。アナタが一番応援している誰かさんなのです。たまたま、この人生は、その誰かさんを応援しているだけなんですよ。来世は、超モテモテのアイドルを応援しているかもしれません。アナタは、この人生で、この誰かさんを応援すると決めた理由があるはずです。すごく素敵な何かが、アナタが一番応援している誰かさんにはあるはずです。その素敵な何かをアナタは忘れていませんか?思い出せば、もっともっと恋愛が楽しくなるはずです。
2005.06.19
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私はツバメから元気をもらっている朝起きて、眠い目で見るのは軒下にできたツバメの巣だ。いつものように春にやってきたツバメは誰に励まされなくてもモクモクと巣を作りそこで卵を産みうまれた子に朝から晩まであっちこっち飛び回って探し当てたエサを与えるのを繰り返す育児ノイローゼなんかにはならないツライと泣き言なんて言わないただただ自分の仕事を全うするそして、秋になると南の方へ飛んでゆく…彼らを見ていると人間なんて変に知恵つけたばっかしに楽することを覚え大切なことを忘れている。そうか…「うまく行かないのは余計なこと考えるからだ」…ツバメから大切なことを学んだ。
2005.06.19
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言葉には意志があるつらいとき、かなしいとき、むなしいとき、そんな気持ちをどこにも持っていかえないとき、いろんな文章をガムシャラに読んでみたらいい。まだまだ行けるぞと励ますように言葉が飛び込んでくるから…
2005.06.19
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これが、ずっと神様?でいられるコツ。いろんな成功哲学やノウハウや教えがあります。どの方も結果ばかりを書いているので、今、苦しんでいる人にはほんとうのことは分からないと思うのです。良い話だなあ…そうなったらいいなあ…までです。いつまでも、その人にはなれない。どうやって、そんな境地になったかが大事なんですね。いろいろ調べてみると、どんな天才にもドロドロした時代があったんです。それを書いてしまうと、あんまり神秘性がなくなってしまうのでみなさん書かないんですよ。簡単すぎて。ええ、それが分かれば、そうなるの?と思われてしまって。なんだ、それが分かれば誰だってできるじゃんかあ…こう思われたら、信者になってもらえません。だから、経過を省略して達人になった今を書いてしまう。すると、魔法みたいで不思議な話になるから何冊も書けるんです。いつまでたっても、ドロドロは書かない。ひっぱるーひっぱるーこれが、ずっと神様でいられるコツですね。だから、もっと突き詰めれば言えば本来、言ってはいけないドロドロを公開してるヤツが本物かもしれないね。そうでしょう?60年前、戦争中に日本は負けるから戦争反対なんて言って死刑になった人いっぱいいますよね。アメリカでは黒人の平等のために頑張ったキング牧師も暗殺された。ケネディー大統領はベトナム戦争をやめようとして暗殺された。ちょっとオーバーな話になったけれど成功法則や教えを見極めるコツはこの辺かなあと思います。
2005.06.18
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30分の命和子が、幼なじみの冬美が入院したと聞いたのは、たしか3ヶ月前だった。ノンビリ屋さんの冬美は、子供の頃から、ポッチャリとした体格で健康そのものだったから、「何で入院したの?」と、冬美の入院を教えてくれた友達に聞いてみた。「赤ちゃんが、お腹にできたのはよかったんだけどつわりが酷くて・・・」友達から聞いたのは、それと入院先の病院だった。駅前でケーキと花を買った和子は3歳の長男の手を引いて、冬美の入院する病院に急行した。「夫も親戚の人たちも、もう一人はいつ?って、事ある事に聞くんだもの・・・うれしかったわ」冬美は、かなりやつれてはいたが、うれしそうだった。冬美は何年も前から、二人目を産むために不妊治療を受けていた。それから、和子は2回、冬美の見舞いに行った。いずれも、検査や診察とやらで、看護婦に手土産を渡しただけで、肝心の冬美には会えなかった。その冬美から2日前、ファックスが届いた。・・・赤ちゃん、ダメでした。早産で、30分だけ生きていたけれど、ダメでした。いろいろ、応援、心配ありがとうございます・・・という内容だった。6ヶ月も入院した冬美は、結末を涙で迎えた。日曜日の朝、「当分はショックで動けへんで」冬美の話を聞いた和子の夫は、そう言った。その日は、近所に新しいデパートがオープンした日だった。和子は家に競馬中継を見ている夫を残して、デパートの開店セールに出かけた。なんと、和子は、そこで冬美に会った。冬美は別人のように痩せていた。一瞬、和子から目をそらしたように見えた冬美だが、思い直したかのように、和子に声をかけたきた「ご心配かけたわね」「大丈夫?」「6ヶ月も歩いてなかったから、なんか自分の足じゃないみたい。膝にスポンジが入ってる感じ」「明るくて安心した」「あの子の30分、無駄にできないわ。強く生きなくちゃ。私の為に頑張ってくれたような気がして」そう言う冬美に、和子は「頑張って」と言うだけで精一杯だった。
2005.06.18
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ご先祖様 山元青年は、コンピューターソフトを扱う会社のエンジニアだ。だが、大したエンジニアではない。今は順調な業績の会社だが、ひょんな拍子に業績が下降すれば、途端にリストラの対象になるような彼だ。とにかく、彼は仕事中の居眠りが多い。同僚から眠り姫ならぬ居眠り男とあだ名されるほどである。今日も今日とて、山元青年はコクリコクリとパソコンの前で、舟を漕いでいる・・・「おい、起きろ」「はい。スミマセン。また、寝ちゃいましたね」「そうじゃない、安心しろ。ここは夢の中だ」「へへーで、あなたは誰?どこかでお会いしたような気がしますが・・・」「おれは、お前の1000代前のご先祖様だ」「えー!!そんな昔、原始人ですか?」「いや、わしらは、おまえが使っているような パソコンも使ってたぞ」「えー、そんな昔にパソコンあったんですか」「あったとも。おまえらが遺跡を見つけたとか 言ってるのは、俺達の時代に居た発展途上人 だ。何億年前にもコンピューターを使う人間は いたよ」「じゃあ・・ノートパソコンも」「もちろん、ノートどころか手のひらサイズも」「パームも」「それも持ち運ぶのに不便だから、もっと小さくしたぞ。頭の中に入れたヤツもいた」「手術して?」「ああ。それも痛いから、楽にコンピューターを 頭に入れる方法を考えた」「へえ・・どうすんの」「遺伝子に埋め込んだんじゃ」 「すごい・・・ええ・・・すると・・・すると・・ 生れてすぐ、パソコン使える」「言葉も分かる。すぐに大人になる遺伝子も開発 された」「すごーい」「でも、困ったことになった。すぐに大人になると 面白くない。育てる楽しみが無くなった」「なるほど・・・」「で、どれくらいで大人になったら、一番、親としてうれしいか、研究に研究を重ねて完成したのがおまえらだ」「へえ・・・で、ご先祖様は今どこに住んでるの? おまえらの夢の中じゃよ・・いつも、そばに居るよ」・・・ 「おーい、今日締切りのプログラムできたか?」夢から、やっと覚めた山元青年の後ろにはコワイコワーイ部長がいた。振り返った山元青年は、いつもならビビッテしまうのだが、今日は違った「ああ・・・ご先祖さーま・・そばにいてくれたんですね」そう言えば、部長は夢の中のご先祖様そっくりだった。
2005.06.17
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コネて!吹いて! その日が誕生日だったにも関わらず遥香は失恋してしまった。 本当は楽しくあるべき時に、悲しい事があると悲しみは2乗されるかのようだった。「悲しくて悲しくて死にたい空から何か降ってきてゴツンとそのまま死ねたら楽なのに・・」そんな遥香の願いが叶ったのだろうか。空から何かが降ってきて遥香の頭に当たった。ゴツン!と言っても、降ってきたのは手の平に納まるほどの小さな軽石だ。遥香は頭にコブはできたかもしれないが、さほど痛くはなかった。痛かったのは、むしろ石の方だったようで地面に落ちた石はパクッと二つに割れた。その中から桃太郎ならぬ石太郎が出てきた。顔はヒヨコのような顔をして金色のボディースーツを着たヤツだった。「こんにちは・・・さみしそうだね・・・プレゼントするよ」「うれしいけど・・・あなた・・・誰?」「君たちが言うなら、宇宙人かな」「へえ、宇宙人ってヒヨコのような顔した小人だったんだ。タコみたいなカッコしてると思ってたわ・・・で?何くれるの?」「この石だよ」「ただの軽石じゃないの?」「ちがう・・ちがう・・・この石をね・・コネて・・吹いて・・・コネて・・・してごらん」遥香は宇宙人が言うとおりにコネて吹いてコネてしていたら、石はだんだん大きくなって、あーら不思議キラキラ光る空飛ぶ円盤になった。「わあー、すごい。でも、私、バイクの免許は持ってるけれど・・空飛ぶ円盤の免許は持ってないよ」「心配ない。この円盤は意志を持つ生命体だ。しかも、コネて吹いてコネて吹いてしてくれた人に限りなく愛情を感じる」「へえ、じゃあ、自分で飛んでくれるのね・・・私がアメリカに行きたいと言えば・・・ハイハイどうぞって」「そう・・」と言うわけで、遥香は失恋の憂さ晴らしに空飛ぶ円盤で世界一周旅行した。もちろん、空飛ぶ円盤が飛び回ったわけだから、遥香が行ったあっちの国こっちの国では、UFOが出たとか見たとかで大騒ぎになったのは言うまでもない。
2005.06.16
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夜明け 寝たふりをしていた春江が起きあがったのは、たしか夜中の2時頃だった。 昔で言えば、丑三つ時である。春江は幽霊ではないが、煩悩にたたられていた。 隣りに寝ている4歳の慶子には、心で手を合わせて詫びた。・・・ママを許してね。きっと慶子も分かる日が来る・・・ その隣で寝ている寿一にも、心で詫びた・・・アンタ、世話になったね。嫌いになったわけじゃないんだ・・ 春江の夫の寿一は、真面目な大工である。酒も飲まない。 博打もしない。浮気もしない。 真面目を絵に描いたような男である。コツコツ貯めたお金で、来年には春江と慶子の為に一戸建ての家を建ててくれるそうだ。 そんな寿一との5年間は、春江にとっては退屈すぎたのかもしれない。 贅沢さえしなければ、食べるには困らない。 決まった時間に仕事に出て、決まった時間に帰って来る。そして、決まった日の夜に体を合わせる。 つい最近までは、これが幸せと言うものだと春江は信じていた。 そんな春江が変わったのは、慶子が4歳になり幼稚園に行くようになってからだった。 時間に余裕のできた春江は、朝の10時から昼の2時まで近くのスーパーマーケットにパートに出るようになった。 そこで、知り合ったのは5歳年下の有田という店員だ。この有田のちょっと不良っぽい所に慶子はひかれた。有田も慶子にゾッコンのようで、 「慶子と暮らせるなら、今の仕事を辞めてもいい」とまで言ってくれた。 平凡な主婦としての生活を取るか、女として愛に生きるか、春江は天秤にかけた。 そして、愛が勝った。 待ち合わせ場所は、駅前のファミリーレストランだった。 春江は、家を出て住宅街を一路、有田との待ち合わせ場所に向かった。 無我夢中で小走りに急ぐ春江の耳に、ふと、幼い子の泣き声が轟いた。 どこかの子供の夜泣きだろう。そう言えば、慶子の夜泣きには、1歳半まで悩まされた。 あんまり毎晩続くので、ダウン気味だった春江に、寿一は「俺が抱っこしててやるから、おまえは今晩は寝ろ」 暖かい言葉をかけてくれた。 面白みは欠けるかもしれないが優しい男だ。 年に2回は旅行に行った。 慶子が3歳になってからは、グアム島とハワイにも行った。 4歳の慶子は、妙におませな所があって、春江が昼間に酒を一杯飲んでいるところを見ると、どこで覚えたのだろう「ママ、身体に気をつけてね」 と、たしなめるように言う。そんなことが次から次へと春江の脳裏を駆けめぐった。 重い足を引きずるように、やっと辿りついた春江を、ファミリーレストランの奥の窓際の席でニッコリと有田が迎えた。 しかし、次の瞬間、有田が春江の顔を斜め見た「へえー、今日は化粧してないんだ」 夜中に、やっとのことで抜け出してきたのである化粧などしているどころではなかった。有田は何も言わなかったが、春江は ・・・やっぱり、年だな・・・と言われたような気がした。 二人で、夜食メニューを食べていたら外が白んできた。 同時に春江の気持ちも白んできた。 「じゃあ、私帰る」そう言う春江を有田も止めようともしなかった。 春江が、寿一と慶子の眠る家の近くまで来たとき コンビニの看板が見えた。「そうね・・・(寿一と慶子の好きな)ハムサンド買って帰ろうかしら」 そんな春江の夜はすっかり明けていた。
2005.06.15
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人形 少しお腹の出っ張りが目立ち始めたさち子と夫の公平は、3ヶ月後に生まれる赤ちゃんを迎えるために大掃除をしていた。「おい、このボロボロの人形捨ててもいいのか」公平はタンスの上の人形を持ち上げた。その人形は手作りのフランス人形のようだが、かなり古くて埃っぽい。「ああ、それは駄目」さち子は、慌てて人形を手に取り抱きしめた。「おいおい、もうすぐお母さんになるのにお人形でもないだろう」公平がそう言うのも無理はない。でも、さち子は首を横に振った・・・ さち子は何不自由ない家庭の一人娘に育った。でも、父も母も忙しかったせいか、さち子は家庭教師やメイドさんに世話をしてもらった。とは言っても、次から次へと入れ替わり立ち替わり、いろんな世話係が現れては違った形で接してくる。みんな熱心なのは良いが、かえって愛情不足は深刻で、さち子は、いつしか口を開かない子供になっていた。そんな3歳から5歳までは、父も母も困り果ててしまった。そんなとき、父方のお婆ちゃんが突然やってきた。お婆ちゃんは、さち子の母と不仲で滅多に寄りつかなかったがどういうわけか、自分で作った人形を持ってさち子に会いに来たのだった。「なあ、さっちゃんや・・・お婆ちゃんね、もうすぐ病院に行くからもう会えないかもしれない。でもね、これ、私だと思って・・・リリーちゃんって言うんだよ」と、可愛いフランス人形をくれたのだ。それから数週間後、お婆ちゃんは亡くなった。お婆ちゃんが亡くなってから間もなく、誰とも話をしなかったはずのさち子が人形に話しかけるようになった。最初は父や母も気でも違ったのではと心配したが人形を間に挟んで、さち子と話をするようになった。ちょうど小学校に上がる頃には、さち子は普通に話せるようになっていた。もう20年も昔のことだ・・・ 「この人形にはね・・・お婆ちゃんの心が住んでいていつも私を守ってくれているの・・・」そう言って、さち子はずっと人形を抱いて眠っていた。さすがに、この人形もボロボロになって、抱きしめるとバラバラになりそうなので、タンスの上に飾っていたのだ。 そして、赤ちゃんが家にやってきた日。さち子は赤ちゃんにオッパイをやりながらビックリした。あの人形が灰皿の上に落ちて煙りをあげているのだ。きっと、さっきまで公平が吸っていたタバコの火が残っていたのだ。 その煙は瞬く間に炎に変わった。「大変・・・大変・・・」赤ちゃんが来たので、気を利かして外でタバコを吸っている公平を必死で呼ぶさち子の目に、どういうわけか炎の向こうに小さなお婆ちゃんの姿が映った。20年前のお婆ちゃんだった。 お婆ちゃんは、「これからは、赤ちゃんを抱っこしてね」とでも言うように、炎の向こうから手を振っていた。
2005.06.14
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夢をつなぐ 元売れないロックグループのボーカルだった法子は今は普通の主婦だ。 4歳の男の子の母親でもある。「いってらっしゃーい」と、英会話学校の事務員をしている夫(元ロックバンドのキーボード)を送り出してから、4歳の息子を幼稚園に送って行く。その後、掃除に洗濯・・・とバタバタしていると、もうお昼になる。息子を幼稚園に迎えに行くのが午後1時だから、それまでは、お昼のテレビでも見ているのかなっと思いきや・・・ ガンガン・・・ジャンジャン・・・♪ 法子は、束の間の1時間を使って最新のロックを聴いている。かつてのロック仲間だった夫は、完全にロックからカラオケ演歌に鞍替えしたようで、話は合わないし、かと言って、4歳の息子を放ってバンド活動はできない。 そんなわけで、法子は、束の間の1時間に夢をつないでいる。「絶対に日常に埋没しないぞ・・・」と、秘かに心に誓っている。そんな法子の夢は、息子が10歳になったとき、またバンド活動する開始すること。そして、できたらだけど、息子と夫をバックにして思いっきり歌ってみたい。頭が白くなっても腰が曲がってもそうそう孫もバックバンドに入れよう・・・ ジーンジーン・・午後0時50分にセットした目覚ましが鳴った。昼間の夢から覚めた法子は、ロックをディズニーの曲にセットしなおして「さあてと、かわいい坊やを迎えに行くとするか」と飛び出して行く♪
2005.06.13
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鏡の中のもうひとりの自分三面鏡を覗くと、無数に自分の姿が映る。そして、その中に、たった一つだけ、違う顔があるのに気づくことがある。「ええ、うそだあ」「英里子、怖い映画の見過ぎじゃないの」朝の電車の中だった。英里子は今朝、三面鏡の鏡の中で、一つだけ違う顔を見つけたと友達に話したのだ。友達は、そんな話を気味悪がったが、英里子は、不思議と怖くなかった。「怖いって思うのは、この世に未練がある証拠・・・私なんか・・・」英里子は、3年間も付き合った彼と1週間前に別れて、もう寂しさで死にたいくらいだった。この1週間、毎晩、ベッドの中で枕を濡らしている。学校から帰ると、英里子は、また三面鏡を覗いた。「やっぱり・・・いた」今度は余裕を持って、英里子は、もう一人の自分と対面した。「あなたは、誰?」「あたし?あたしは、あなたの心」「だって、私と違うじゃないの」「そう見えるだけよ・・・心は、こんな感じなの」「そう?」「私は、あなたの潜在意識・・あなたの運命を左右する大事なところ・・・あなたの世界から考えれば、ほとんど魔法の世界よ。なんだってできるんだから」「魔法?」「たとえば、お金がほしいと思えば、お金が手に入る」「うっそー!!それじゃまるで、魔法じゃないの」「だから、魔法だって」「もっと、身近なことでは?」「予知能力。気がするなあ・・・って思うときあるよね。あれは、魔法の力を、ほんの少し使った状態ね」「と言うことは、人はみんな魔法が使えるのね」「でも、気づかなくちゃ駄目よ。死にたいくらいの悲しみを知ったアナタならできるはず・・この能力を使って、みんなを助けてあげて」そう言うと、もう一人の英里子はいなくなった。それっきり、三面鏡を覗いても、もう一人の英里子は現れなかった。ただ、もう一人の自分に出会った日から英里子は、心の中にスクリーンができたような感覚にとらわれた。そして、寝る前や起きる前のうつらうつらした時に、そのスクリーンに映し出したことは、不思議と数日以内に現実のものとなった。
2005.06.12
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風見鶏佐恵子の勤める洋酒工場は、山沿いにあった。だから、ちょっと疲れた時には、中庭に出て山の緑を眺めて息抜きをしたものだケキョケキョ・・「あれー、うぐいすってホーホケキョじゃなかったかしら」「知らなかったのか?うぐいすがホーホケキョとなくのは春までで夏になるとケキョケキョなんだ・・・でも、最近は、環境破壊のせいかうぐいすも季節感がなくなってきたそうで、年中ホーホケキョと鳴くのもいるらしいよ」「へえ・・・」佐恵子の恋人でもある同じ職場に勤める和夫は、職場で鳥博士と呼ばれるほど、鳥のことに詳しい。「ねえ、どう思う?最近の私」「主任さんになってから?」佐恵子は、この春から3人の部下を持つ主任になった。「どうも器でない気がして?」「そうかなあ・・・ひょっとして、カラスをツバメにしようなんて考えてないか?」「???」「人は育てるもんじゃなくて、かってに育つもんだってこと」「そんな?全部カラスになったらどうするの?」「ある町で、カラスが大量発生して、ツバメがいなくなってしまった。ツバメの雛がカラスに食べられたんだろう。そう村の人は思ったんだ。でもね、その町から数キロ離れた隣町に行くと、その町ではツバメは増えたって言うんだ。ツバメは、危険を予知して巣を隣町に移していたんだ。自然界は、そういうふうにできているんだ。人間界、会社だって、そうだよ。全部、同じタイプの人ばかりにはならないよ。要は、環境。いろんなヤツがいるんだってことを暖かく見守ってあげる広い心が必要なんだ」「そうね・・・さすが2年先輩良いこと言うわね・・・」「そうでもないけどね」「ところで、和夫さん、いつになったら、私たち、私たちの巣を持てるようになるの?」「ええっと、それは風まかせだな・・・」「また、都合が悪くなると、風見鶏になるんだから・・」・・・
2005.06.11
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長靴をはいた猫 「どうやら潮時かもしれないな」聡と光恵は、顔を見合わせた。二人は、聡の父が始めた映画館を守り通してきた。 しかし、この10年ずっと赤字続きでとうとう次の新作を買うこともできなくなった。以前から、不動産会社の営業マンが映画館をマンションに建て替えませんかと何度も言ってきていた。 「閉館のお知らせ」を映画館の前に出してから数日すぎたある日、市役所の児童福祉課の田辺という人が訪ねてきた。田辺は、「子供向けの古い映画フイルムを貸していただけませんか?毎週土曜日です」と切り出した。 そして、「映画離れが進んでいると言われているが、それは映画館が時代に合わせて変わってこなかっただけで、まだまだ映画を見たい子供たちはたくさんいるはずです。そこで、古い子供向け映画を市内に数十ある公民館や小学校の体育館やホールで、巡回公演したいのです。できたら、お二人にもご協力頂ければ・・・」聡は、父が買い集めた数百本のフイルムが役に立つなら・・・と言うことで引き受けた。 しぼんだはずの映画への情熱がまた膨らみ始めた。 映画館はつぶれるけれど、そんな形で映画に関わっていけるなら・・・しかし、そうは言ってもこの10年間、ずっと赤字続きだったのに、うまく行くかどうか心配の種は尽きなかった。 さて、初めての巡回公演の土曜日の朝、聡と光恵は、3本の子供向け映画を車に積み込み、市民ホールに向かった。 3本は、「ディズニー」ものと「長靴をはいた猫」と「ドラえもん」だ。どれもすでに何年も前に公開された古いものばかりだ。なかでも「長靴をはいた猫(1969年)」は、30年以上前の代物だった。でも、聡も光恵も、この映画が大好きだった。貧乏な青年が、勇気と希望を、一匹の猫から与えられ、勇敢に戦い、数々の試練を乗り越え、王女様と結ばれる話だ。(実は、二人が10歳の時に映画館で見た「長靴をはいた猫」には今をときめく宮崎駿監督がスタッフの一人として参加している)巡回公演の入場料は、付き添いの大人は無料、子供だけ1000円もらうことにした。チラシは市を通じて、近くの小学校に配布してもらった。 「どうかなあ・・・」「うーん・・・」期待しながらも、やっぱり駄目かもしれない、そんな気持ちで聡と光恵は、準備を進めた。さて、開演の午後1時になった・・・ ワイワイ・・・ガヤガヤ・・・ なんと、2000人のホールが満員になった。 これだけ入っても、ホールの使用料とチラシを配布した経費を引けば、聡と光恵に、お金は数万円しか残らない。これから、たくさんのフイルムや機材を管理する費用を考えたらほとんど残らないかもしれない。でも、二人は、巡回公演を続けて行こうと思った。30年前、二人が感動した「長靴をはいた猫」を今の子供たちも感動してくれたからだ。 そして、時代は変わったと言っても、子供たちの気持ちは今も昔も根っこの部分では同じだと思ったからだ。
2005.06.10
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マリコ同盟 中学3年生の時に越してきたマリコは健司の隣に座った。 お父さんがアメリカ人らしく、目が大きくブルーだった。 足だって長かった。 体育の時間にブルマーをはいて歩いている後ろ姿を見て、健司は驚いた。 マリコより10センチくらい背の高い女の子より、マリコは10センチくらい足が長かったのだ。 セーラー服で分からなかったが、きっと、胸も大きかったのだろう。 マリコは3歳の頃から、バレーをやっていた。たぶん、マリコのとんがった鼻や透き通るような白い肌は、白鳥の湖を踊るためにあるのだろう。 でも、マリコは孤独だった。クラスの女の子たちは、きっとマリコに嫉妬していたのかもしれない。 並んで歩くのを嫌がっていた。 授業参観の時に、健司はマリコのお母さんを見かけたがぜんぜんマリコに似ていなかった。 ごく普通の日本人おばちゃんのような体型のマリコのお母さんもマリコに冷たかった。 きっとクラスの女の子たちと同じ気持ちだったのだろう。 いつもマリコの2メートルほど前を歩いた。 マリコは仕方なしについている感じだった。 健司たち男子生徒は、ある同盟を結んでいた。 「絶対にマリコに手を出すな」 決意表明は、体育の時間前、更衣室で行われた。 それほど、マリコは美しく神聖な存在だった。 こんなことがあった。 クラスでいくつかの班に別れて文化祭に出展するテーマを実習することになった。 健司の班には、マリコと他に2人男女がいた。 教育委員会でやっている映画を4人で見に行くことになった。 でも、自転車は2台。 さあ出発・・・ どういうわけか、マリコは、健司の乗る自転車の荷台に腰を降ろした。 健司は全身に電気が走るのを感じた。 また、律儀な健司は、同盟の決意表明を思い出した。 「女どうし、二人乗りしろよ」 その時は、そう言った健司だが、家に帰ってからも風呂に入ってからも、 「これで良かったのかなあ」 と何度も何度も自分の心に聞いた。 思いあまった健司は、仕事から帰ってきた父ちゃんに、それとなしに聞いてみた。 「好きな女の子と仲良くなったら、友達をなくすとしたらどうする?」 父ちゃんは、お前も男の仲間入りしたのかと言いたげな妙に親しげな笑みを浮かべて答えた。 「好きな女の為に死ねたら、父ちゃんは本望や」 と言って、健司の肩を叩いた。 それから数週間後、文化祭が終わり、健司たちはささやかながら喫茶店で打ち合わせをした。 夜10時頃、いけないけれど少しアルコールも入った健司たちは、家路を急いだ。 健司が自転車を数メートル走りだしたところで、前を急ぎ足で歩いているマリコを視界がとらえた。 健司はマリコを追い越したところで、急ブレーキをかけ、振り返った。 マリコは健司の後ろに飛び乗った。 「方向一緒でしょ。乗せて行って」 と言うマリコを乗せた健司は 「うん」 と頷き、自転車を走らせスピードを上げた。 後ろの方から、 「反則やぞ」 と同じクラスの男子たちが叫ぶのが聞こえた。 でも、健司は、 「反則でもええ、このまま死ねたら本望や」 と背中のマリコに聞こえるように言った。
2005.06.09
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リターンマッチ いかにも日本の梅雨らしい、どんよりとした日曜日の朝でした。「やるぞ」と、宏昌は大音声をあげました。 まだ、朝の6時です。それでも長坂家では、家長の宏昌が声を上げれば、妻の菊子も宏昌の母のカズも、長女で高校2年生の美沙も長男で中学1年生の伸也も、ヤレヤレと思いながら従うのです。 20世紀の遺物?亭主関白一家なのであります。 さて、宏昌を先頭に、自転車部隊が一路!長坂家の家庭菜園に向かいます。 本日の収穫は、ジャガイモです。 宏昌は、この日を今か今かと待ちかまえていたのです。と言うのも、溯れば昨年の今月今朝。同じく亭主関白面して「やるぞ」とばかり、同じく自転車部隊で家庭菜園に繰り出した長坂家の皆々は、宏昌に一斉口撃したのでした。「なに・・・お父さん・・・小さい・・・」「腐ってるわ・・・」「食べられるの10個ほどだよ・・宏昌・・」「オヤジ・・・」そうです。 長雨にたたられて収穫が遅かったせいか?ほんの数株のジャガイモも腐ってしまい、しかも、肥料が悪かったのか? それとも、元々痩せた土地だったのか?ほとんどのジャガイモがパチンコ玉大の極小サイズだったのです。 「家族共通の趣味を持たねばならないんだ」と宏昌の一声で月1万円で借りた家庭菜園1年目は屈辱的敗北に終わったのでした。 しかし、こんなことで引き下がる宏昌ではありません。男の意地があります。まず、リターンマッチに備えて、コーチを呼びました。と言っても、どこかのサッカーチームのように、フランス人やブラジル人ではありません。 近所の綾子お婆ちゃんです。 綾子お婆ちゃんはこのあたりでは、数少ない農家の長老なのです。 なんと91歳。 綾子お婆ちゃんのコーチを受け、宏昌は、毎日、朝6時から30分間、耕し、雑草を抜き、その雑草を干し枯らせて、20センチの深さに産め、また耕し・・・を繰り返しました。そして、やっと綾子お婆ちゃんのオーケーが出た某日、まだ寒かった朝です。種芋をせっせと植えたのであります。 それからも、地道な土地の手入れが続いたのは言うまでもありません。 そして・・・リターンマッチの日がとうとうやってきたのです・・・ 「おおお・・・おおきいよ・・お父さん・・・」まず、デートをキャンセルして今朝に挑んだ美沙が歓声を上げます。「おいおい、一つの株に5つもついてるよ・・・」特に用事はなかったけれど、昨夜3時までゲームに明け暮れて睡眠不足気味の伸也も、尊敬の眼差しで宏昌を見つめます。「この芋が戦時中にあれば・・・」と、カズは食糧難の頃を思い出します。そして、そして、ただひとり毎朝、雨の日も風の日も、モクモクと慣れない野良仕事に勤しんだ夫を熱い眼差しで見つめるのは宏昌の妻菊子でした。 ただ、感動もせいぜい2日か3日が限度でしょう。いつまでも、感動を忘れない宏昌は、ちょっと困ったちゃんです。と言いますのも、長坂家の皆々様にとっては、それから約一ヶ月余りに渡って毎日のように、ジャガイモ料理が朝昼晩お弁当おやつ・・・に至るまで並び続け、その料理を見るたびに宏昌は「うーん、うまいよ・・・うまい・・・これは、どこのジャガイモ・・・うーん、なになに・・うちの菜園でとれたの・・・そう・・・そう・・・」と、実にわざとらしい突っ込みが入り続けたのでした。
2005.06.08
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人生の選択 日曜日だった。 県庁の係長をしている公一は地下鉄の終着駅にある結婚式場に向かう。 部下の披露宴が催されるのだ。通勤には自家用車を愛用している公一が地下鉄に乗るのは久しぶりだ。 特に、この路線は20年ぶりだ。 電車はS駅に停まった。その時、乗り込んできた若い女性と目が合った。公一はハッとした。 若い頃の妻にそっくりだった。もちろん、人違いだったが、忘れたはずの記憶が、公一の脳裏に蘇った・・・ ・・・20年前、公一はK大の学生だった。S駅は、いつも恋人の秋江と待ち合わせた場所だった。この駅ビルにある商社に勤める秋江を金曜日の夕方5時に迎えにくるのが公一の毎週の行動パターンだった。「あと5分で5時・・・」そろそろ秋江が現れる頃だ。そう思った公一の前に現れたのは、秋江ではなく、白いスーツを着た中年の紳士だった「私は、お父さんの使いで来ました」と彼は言った。公一は、ビックリした。それもそのはず公一の父は、公一が子供の頃に亡くなったはずで、顔も写真で覚えている程度なのだ。「冗談言わないでください。父は・・・」「そのお父さんの伝言です・・・」「よく分からないですが、聞きましょう」「秋江さんと別れますか?それとも、歴史に残る方をとりますか?」「何を突然・・・僕は、まだ学生で・・」「どちらを取りますか?」「よく分からないけれど・・・歴史に残る方を取れば・・本当に栄光の人生が待って居るんですか?」「お父さんは、そちらの方を望まれています・・」公一は、少し考えたが秋江のいない人生など考えられなかった。 だから、「秋江との人生をとります」と公一はキッパリと言った。その言葉を聞いて、紳士は少し微笑んで「分かりました」と言うと、いつの間にか消えてしまった。どこに行ったのだろうかと公一が周りを見回していると、「お待たせ・・」と秋江が微笑みながら立っていた・・・ それから、2年後、公一は今の県庁に就職し秋江と所帯を持った。 今では高校生の長男と中学生の長女をもうけ、平凡ながら幸せな暮らしをしている。 ただ、公一が不満なのはこの県庁ではエリートのはずのK大卒の公一が、ほとんど出世レースから脱落してしまったことだった。 実は、公一には叔父の養子になっている1歳年下の弟弘治がいる。 彼もK大を出て、公一から一年遅れて、この県庁に就職した弘治だが、彼は驚異的な出世を遂げていて、15年前に国会議員に当選し、すでに数回、大臣の経験もあるほどだ。 「さてと・・・」終着駅に近づいた電車がスピードを徐々に落とし始めた。 席を立ちドアの前に立った公一はドアガラスに映った自分の顔を見て驚いた。 20年前の紳士そっくりなのだ。
2005.06.07
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自転車なんて贅沢や 私が自転車に乗ったのは、たしか小学校5年生の終わり頃でした。 偏屈な父親が「自転車なんて贅沢や」と言って、なかなか買ってくれなかったからです。お婆ちゃんが、「他の子が持ってるのに、かわいそうやないの」と言ってくれたので、やっと自転車に乗ることができたのです。 それまでは、自転車に乗る友達の後ろを走って追いかけていました。 そのおかげで駆けっこで負けたことありませんでした。 時代は流れて、私の長男も自転車に乗れるようになりました。 若干、6歳の息子も、着実に行動範囲を広げつつあります。近所の同い年の男の子たちに遅れること約半年から1年、苦節2年で、とうとう自転車に乗ったのであります。この間の昌宏の劣等感は、大変なものでした。4歳の時からずっと補助輪つきの自転車に乗っていることが余程の悔しかったのでしょう。補助輪つきの自転車に乗っている時、前から近所の子が歩いてくると、自転車から慌てて飛び降りるくらいですから・・・そんな息子が自転車に乗れるようになった当初は、わざわざウインドウのある店の前を走りました。そして、自分が自転車に乗る姿を確認して微笑むのです。余程、自転車に乗れるようになったことがうれしかったと見えます。 なかなか自転車に乗れなかった理由は古い自転車で練習していたことでした。友達が新しい、Jリーグのマークやポケモンのマークがついている自転車に乗っているのに対して、昌宏は30年前の錆びた自転車に黄色のペンキを塗ったものに乗っていました。 なんと妻が子供の頃乗っていた自転車です。 昌宏にすれば、あまりにも古くさいためカッコ悪く思ったのでしょう。なかなか乗ろうとしなかったのです。「新しい自転車を買ってあげたら・・・」妻や母が言うのに、私は、亡くなった父が昌宏用に整備してくれた自転車だからとなかなか新しい自転車を買わなかったのでした。気の持ちようで人は変わるものです。 新しい自転車を買って、なんと1週間ほどで昌宏は自転車に乗れるようになりました。この乗れなかった2年は何だったのでしょうか? さてさて、偏屈な父のために息子が苦労するのは、時代が変わっても同じなのかもしれません。
2005.06.06
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聖徳太子が1万円札の表紙だった時代の話です。10人兄弟の末っ子末吉に入り婿の話がありました。聞けば、先代が入院中で、もうすぐ社長になれるという話でした。見合いをしてみると娘さんもかわいいし末吉大乗り気だった。しかし、いざ結婚してみるとその会社は多額の負債を抱えていつ倒産しても不思議ではなかったのです。末吉は困りました。「おれは中学しか出てない頭の悪いオレが、こんなにたくさんの借金を払えるはずもない。どうしよう」ふと側を見ると、かわいい新妻が「あんた、あたしと結婚したこと後悔してるの」と今にも泣きそうな顔で言うのです。末吉は、会社を継いだことは後悔していましたが妻のことは、とても気に入っておりましたので、「ちがうよ。ちがう…おれは、おまえのようなかわいい嫁もらって幸せだでもな…おれは、頭が悪い。こんだけの借金を返す力はないかもしれない。おまえこそ、後悔してるんじゃ」「いいえ、あんさんのようなやさしい人の嫁になれて私は幸せです。もし、家がつぶれて何もなくなってもあんさんといっしょにいたい」「ほんとうか…」ブタもおだてれば木に登るではありませんが末吉は天にも昇る心地でした。こんな会話を交わし、妻をひっしと抱きしめた末吉でした。その夜、となりで眠る妻の寝息を聴きながらやっぱり眠れぬ夜を過ごした末吉でした。そして、やっと眠りについたのが明け方だったのです…そんな末吉の夢の中に聖徳太子が出てきたのです太子は言いました「神が人に与える試練に超えられないものはない。一心不乱で取り組めば必ず超えられる」「ほんとですか?太子さま、オレにもできますか」太子は笑顔で頷くのでした。翌朝、寝過ごしてしまった末吉は妻に起こされました。「太子さま」「早く起きないとお仕事に遅れます」「聖徳太子さま、どちらに行かれた?」「ええ?まさか、あなた、頭が変になったのでは…」その日から、末吉は見違えるように明るくなりました。…必ず超えられる…末吉の頭の中では、いつも太子の言葉がこだましていました。そして、その日を境に、末吉は困ったことが起こると、「太子さま」と言って目を閉じるようになったのです。すると、不思議なことに名案がひらめくのでした。それから10年いろいろありましたが、末吉は不器用ながらも何とか先代の借金を返し会社を立ち直らせたのでした。
2005.06.05
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オレンジレンジ朝、聞き苦しい音と歌で目が覚めた。何でも、オレンジレンジという人たちが歌っている曲らしい。言葉がとてもシンプル。たぶん、この分かりやすさが若者に受けるのだろう。でも、それは、とっても分かるがどうしても聞き苦しい。うん、そうだ。満員電車の中で、ウオークマンを聴いている人の音がシャンシャンと漏れてくるのと同じように感じた。これが、今の音楽なのかもしれない。私もかつては歌手にならないかとスカウトされたこともある。まだまだ、どんな音楽だって、歌ってみせる。と思い、mustQなるアルバム10曲を根性で3回聴いた。「花」なら何とかなるぞ。ちなみに、このアルバムを聴いて口づさんでいるのが何を隠そう幼稚園年少組の次男イッチャンなのである。♪ 花びらのようにちりゆくなかで夢みたいに君に出会えた奇跡愛し合ってケンカして色んな壁二人乗り越えて生まれ変わっても あなたのそばで花になろう ♪
2005.06.05
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自分は弱いと知れ勝負の世界に教訓は多い。柔道で何度も日本一になりオリンピックでも金メダルをとった選手がいた。そんな彼だが、オリンピックから帰ってから全然、勝てなくなった。ずっと格下の選手にもポロポロ負けるのだ。体調は万全だ。その証拠に練習では誰にも負けない。それがどうして試合になるとダメなのだろう。彼は引退を決意したことを師匠にうち明けた。師匠は笑った。「次のオリンピックも金メダルじゃなかったのか?」「そう思ったのですが。こう勝てなくなっては。練習では片手でも勝てると思った相手に負けるんですから」「負けて学んだわけだな。お前は弱いんじゃよ。それが分かっただろ。強いと思うから負ける」「自信持ってはいけないんですか」「自信とは別物。真剣勝負に強いも弱いもない。どんなに強くとも少しでも気を許せば負ける。何かを成し遂げたければ、出し惜しみはしてはいけない。真剣勝負ではどんなに弱い相手でも、すべての力を出して全力で戦う。自分は弱いことを忘れるな」…
2005.06.05
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真のエンターティナーであるためにかつてスポーツ選手や芸能の世界で活躍していた人が落ちぶれて、犯罪に手を染めることがあります。芸の世界に生きる人、英語で言えばカッコ良く聞こえるかな?つまり、エンターティナーは、音楽にしろ文学にしろ絵画にしろスポーツにしろ見る人を励ますことが原点にあると思われます。そんなたいそうな人やなくても、そこのアンタでも元気のない人の心を打とうと思うとすごいプラスエネルギーを必要としますね。ためしにどこかのスタミナドリンクのコマーシャルのようにファイト一発!と大きな声で叫んでごらんなさい、その一言だけでも、結構、疲れますから。エンターティナーは、とっても疲れるのです。常にプラスエネルギーを吸収するように心がけねばいけないんです。だから、気の合う人と遊びたくもなるのですが、どんなに遊んでも、それだけではマイナス分は埋まりません。こんな精神状態が続くとマイナス地獄に堕ちて行きます。こうなると、とても悲惨なのです。エンターティナーの自殺や麻薬やアル中はまさにマイナス地獄にはまったアリなのです。で、このマイナス地獄から抜け出すにはどうしたらいいか。ひとりになってみることです。自分を見つめ直す時間を持つことです。最低でも一日30分できたら一時間へえ?そもそも一人になれないから麻薬にはまるんじゃないの?違います。勇気がたらんの根性がたらんの気合がたらんの私は無闇に根性論ふりかざすオヤジはキライですが、でもね、どんな世界でも長く生き残ってるいヤツは根性あります。カッコイイはずの人が実は誰よりもカッコ悪い泥臭い根性で努力するしかないのです。エンターティナーであり続けるとは実はそういうことなのです。
2005.06.04
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33歳もう15年以上昔になるかもしれない。22歳という歌があった。たしか、谷村新治が歌っていた。♪22歳になれば、少しずつ臆病者になるわ♪広美は33歳、ひとりぼっちカラオケボックスで22歳を歌ったら無性に泣けてきた。ぜんぜん、あの頃と変わっていない。今も変わらず臆病な自分に腹が立った。好きで”ひとりもん”やってんのとちゃう!誰かに乗っかかりたい!広美は今朝、勤めて1ヶ月になる会社を辞めてきた。正確に言えば、試用期間中に体よく辞めさせられたのだ。人事部長の顔が目に浮かぶ「君に合わないようなら・・・」30すぎて、新しい事を吸収しようったってなかなかできるものでない。職安から紹介された職業訓練でワードにエクセルにインターネットはできるようになったけれど、それだけじゃない。会社には会社の流れがある。1ヶ月懸命に頑張ったけれど、ベンチャー企業の若い勢いには乗れなかった。悔しい!!会社をクビになったって、本当は平気だった。自分一人なら食べて行ける。ただ、あの人に「お世話になりました」と言った時は声が詰まって泣きそうになった。せっかく仲良しになったのに。広美に仕事を教えてくれた係長の植田は優しい人だった。36歳で3つ年上、ひょっとしたら遅ればせながらご縁かも・・・そう思ったのも束の間だった。「ああ・・・33歳って歌ないかなあ」ベロベロに酔った広美は叫んだ。「やってられない。人生なんか、こんなもん」その時、携帯電話が鳴った。・・あの・・・植田と言いますが・・・人生は、こんなもんやなかった。
2005.06.04
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金曜日の夜 私はグタグタに疲れた身体で電車に乗っていた。 そんな私の前に座っていた、かなり酔ったオジサンが大演説をぶっていた「リストラリストラって社員減らして、残った社員の身になれよ。いくら働いても仕事終わらないよ。減らしすぎなのよ・・・」すこぶる不機嫌に勢い良く叫んでいた。オジサンがしゃっくりをした次の瞬間、携帯電話の着メロがどこからともなく聞こえた。♪♪♪・・・「ああ・・・浜崎のだ・・ちゃんと、俺は知っている。きっと、女子高生だなあ・・・」と車内を見回したオジサンの目の前で、メールを読み始めたのは以外や以外、かなりのオジサンだった。年の頃なら60前、禿げてはいないが白髪で、眉間の深い皺は老いを感じさせるものだった。「最近のオジサンは、浜崎の曲なんか着メロにして、携帯でメール打つんだな・・うーん、この車両内だけでも3人のオジサンがメールを一生懸命に打ったり読んだりしているぞ。・・・オジサンにはオジサンの着メロあるだろ・・東京都知事の弟の裕次郎の歌とかね・・・浜崎の歌なんて、オジサン知らないだろ・・・おいおい、可愛いアクセサリーをつけるな・・・その小さなカエル、ピンクのヒモは何だ・・・ハハッハ・・・きっと娘に認められたいオジサンたちの悲しい努力だろうよ。しかし、俺は、そんなオジサン嫌いだなあ俺に、もし娘がいたら、断固として言うぞ。16年や17年生きたくらいで48年生きてきた人間の何が分かる・・・年輪の重さを!!!!!思い知らせてやる・・・だいたい、その茶髪はなんだあ・・・日本人は黒髪のはずだ・・・それにだ、眉毛が黒くて・・・茶髪が似合うか・・だったら、眉も茶にしろ・・・日本人は日本人。親からもらった髪を誇れ」と、もう絶好調のオジサンだった。 しかし、そのオジサン、ふと我に返った「ここは、どこの駅だ・・・あじゃああ・・シマッタ乗り過ごした」オジサン、慌てて携帯を取り出し「パパなあ・・・乗り過ごした・・うん・・・車で迎えに来てくれるか・・・すまんなあ・・」と、たぶん娘と話をしていた。 そのオジサンは私と同じ駅で降りた。そして、私の少し前を急ぎ足で歩き、改札のところで待っていた娘さんに「また飲んだの・・・まったく・・・」と怒られ小さくなっていた。ちなみに、その娘さんは茶髪だった。もう一つ、ちなみに、眉は黒かった。
2005.06.03
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一冊の本 仲人でもあった町内会長のオジサンが、 「美紀ちゃん、これ・・読んだら涙止まらなくなったよ」 と、二日ほど前、偶然、本屋で見つけたと言う一冊の本を持ってきた。 この本の表紙は、美紀と真っ黒の顔で祭りのハッピを着た元気だった頃の康晴が肩寄せあって映っている・・・ ・・・亡くなる1ヶ月ほど前だった。何を思ったのか突然、衰弱しきって、言葉もたどたどしい康晴は 「美紀、俺と結婚して1年になるよな・・・知り合ってからだと3年かあ・・・俺が死んでも、生きても、ドラマだよな・・この3年間、本にしてみないか・・・何か形あるものにしたいんだ」 と言った。 たぶん康晴は自分が長くないことを悟っていたのかもしれない。 目立ちたがり屋で、カッコばかり気にしていた康晴らしいと美紀は思った。それでも、美紀は、全身にガンが転移して、手の施しようがなくなっていた康晴の為なら何でもやってあげたかった。 だから、今まで、日記も付けたことのない、手紙も滅多に書かない、どちらかと言うと文才な美紀が、どこから、こんな勇気が出たのだろう、堂々と数社の大手出版社に電話して出版の交渉をしたのだ。「主人は、もう長くないんです・・・」から始めて、街一番の暴れん坊だった康晴と知り合って結婚、そして、急病、入院までを一生懸命に話した。一社目、二社目はすぐに断られたが、三社目は興味を持って聞いてくれた。 女性に関する雑誌や本に実績のある会社だった。「とにかく原稿を送ってください・・・」と言われて、無我夢中、二週間で書き上げ、出版社に送った。その直後から、康晴が昏睡状態に陥ってしまい、毎日病院に寝泊まりだった美紀は本のことなど忘れてしまった。昏睡状態から二週間後、康晴は息を引き取った。涙に暮れている間もなく、お通夜の準備に追われ、ほんの一時間ほど家に戻った美紀を訪ねて来た人がいた。出版社の人だった。「出版させて頂くことになりました。ご挨拶にきました・・・電話が通じませんでしたので、もしやと思い、直接、お知らせに参りました」・・・その通夜の夜、「ねえ、あんた・・・私とあなたのことが本になるよ・・・ちゃんと、形になって残るよ・・・本が出たら天国で読んでね」と美紀は何も答えない康晴に話した。それから、ほんの一瞬だった。睡魔に誘われた美紀は夢の中に吸い込まれた。夢の中には元気だった頃の康晴がいた「おい、いいヤツ見つけて、いっしょになれよ・・・おまえ、まだ若いからな・・子供もちゃんと生めよ・・・」と、最後の最後の夢の中までカッコつけていた康晴だった。
2005.06.02
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子供の頃に戻って 奈津子が、この街に戻ってきたのは20年前だった。その時の奈津子には、背中には生まれたばかりの長男剛史と手をつないだ3歳の長女亜希がいた。おまけに、奈津子の額には、今も残る10針の生々しい傷があった。マザコンで酒乱の夫に愛想尽き、飛び出して来たものの、どうして二人の子を育てていけば良いか奈津子は途方に暮れていた。 「飯くらいは食わせてやるけど・・・」と、仕方なしに言う両親だったが、どう見ても、年老いた二人にそんな力はない。 困ったあげく、ワーワー泣く背中の剛史をあやしながら奈津子は、トボトボと子供の頃遊んだ古寺にやってきた。両親に見てもらっていたはずの亜希がいつの間にか奈津子の腰のあたりにすがるように、着いてきていた。3歳の亜希も、きっと心細いのだ。そう奈津子は思った。 境内では、おしょうさんが箒で丁寧に砂利をなでていた。「よー、奈津子やないか・・・へえー、二人も子供ができたんか・・・どうしたんや?その傷は?」両親さえも、ふれようとしなかった額の傷のわけをおしょうさんに問われて始めて、奈津子の目から堰を切ったように涙が溢れた・・・ 「そうかそうか・・それは大変やったなあ」子供の頃、昔話を聞いた本堂で、奈津子は二人の子をどうして育てていこうか途方に暮れていると泣きながら話した。おしょうさんは、少し考えて「ちょっと、おいで」と奈津子を本堂の裏に連れて行った。そして、おしょうさんは、本堂の裏のひび割れた壁面に描かれた絵を指さした。マジックインキで描かれた絵は、坊主が小太りの女に手を合わせて謝っている絵だった。その絵は、20年前、浮気を見つかったおしょうさんが奥さんに謝っている様子を、たまたま見た奈津子が描いた絵だった。 「こん時は、奈津子は6歳か7歳。ワシは天才やと思った。これはワシの感やけど・・絵に賭けてみたらどうやろか・・・子供の頃に戻って夢中になってやってみなさい・・」 子供の頃に戻って・・・おしょうさんの言葉を信じて、奈津子はパートをしながら久しぶりに絵を描き始めた。 絵を描いていると、不思議なことに夫に対する恨みや日々の生活の苦労も忘れられた。そして、奈津子は描き上がった絵を、おしょうさんの寺に持って行き、本堂の隣の部屋に飾ってもらった。すると、どうだろう。寺に参りに来た人の中から奈津子の絵を売ってほしいと言う人が現れた。近隣の街の画廊からも、何枚か欲しいと言って来た。そのうち、展覧会でも上席の賞の常連になった。パートは一年で辞めた奈津子は、絵を描きながら近所の子供たちに絵を教えた。中には美大を目指す子供もいたが、不思議と奈津子の指導を受けた子供は基本ができているとのことで、美大の合格率も高かった。 そして、またたく間に20年が過ぎた。今の奈津子は県下に5つほど教室を持つ絵画教室を経営している。長女の亜希は、昨年結婚した。長男の剛史は大学でアメリカンフットボールの選手をやっている。 そんな奈津子に先日、夫が危篤だという知らせが届いた。この20年間何の知らせもなかった夫だった。奈津子は亜希と剛史と共に、20年前来た道を溯った。20年ぶりに会った夫は、別人のように痩せていて虫の息だった「わしのこと、恨んでるやろなあ・・・」と言う夫に、奈津子は「いいえ、もう忘れました・・・そうやなあ・・今となっては、むしろ、感謝してるかもしれません」と言った。
2005.06.01
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