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ねあかのびのびへこたれず 和夫は、父の地盤を継いで、めでたく市会議員に当選した。30才になったばかりの若さを売り物に、自転車で市内を回って市民の声を聞いたり、駅前でワゴン車の上に立って毎週末、市議会報告をぶった。人気も鰻登りで、「ひょっとして、父さんと同じように市長になれるかもしれない」そう思うのも、和夫だけでなく、妻の麻由美も、周囲の支援者たちも噂し始めていた。しかし、そうは問屋が降ろさないのは、世間と言うものだ。案の定、邪魔が入りだした。市民は、何かと言って、和夫の事務所を訪ねてくるようになった。「今年の市の舗装工事はどうなってるんや。それに、下水工事も」と言うのは、昔から市の土木工事を一手に引き受けていた建設会社の社長だ。「きれい事では、政治家は勤まりません」と言うのは、父の秘書だった爺さんだ。「市営住宅の抽選に当たらない」「子供の結婚式に出席して下さい」「お金に困ってます。保証人になってください」「息子が万引きで補導された。何とかなりませんか」・・・・・・最初は、頑張って一つ一つ対応していた和夫だが、当選してから1年を過ぎた頃から、どうも鬱状態に入ったようだ。「俺は何なんや・・・市会議員は何なんや・・・政治家は何なんや・・」自問自答するたびに、心のブラックボックスにはまって行く和夫だった。そんな和夫の妻の麻由美は、市内に本社がある電機部品会社の社長令嬢で、苦労知らずで、超楽観的だ。和夫と結婚して5年になるのだが、今も実家にいた頃からのお手伝いさんに朝から晩まで身の回り世話をしてもらっている。麻由美は夫が、だんだん元気を無くしてゆくのが不思議で溜まらない。「そんなに辛いなら、辞めたらいいのに」と麻由美はニコニコしている。「今さら、辞められないよ」と和夫が言うと「ふーん、つまんないの・・・悩んだって、しんどいだけやんか・・フフフ」と、またケラケラ笑っている。「おまえの父さんだって、経営のことで悩んでたろう?」「いつも、ニコニコしてるよ」「はあ??」「だって、お父さんは、”ねあかのびのびへこたれず”やもん」「なんや、それ?」「誰やったかなあ・・・あのコンビニのローソンとかスーパーマーケットやってる・・・野球もやってた・・・」「ダイエーか?」「そこを作った人は?」「中内功さんか?この前亡くなったらしいけど・・・」「そうそう・・・お父さんが事業始めた頃にね。その中内さんが、テレビのドキュメント番組で言ってたって・・・お父さん、ええ言葉聞いたって思ってイヤなことがあると、そう言うようにしたって、お父さん」「ねあか・・・のびのび・・・へこたれず・・・」「うん・・・そしたら、ホントにネアカになったらしいよ・・・私は、そんなお父さんに育てられたから、アホみたいにネアカ・・フフフ・・・」「ねあかのびのびへこたれず・・・」「そうそう・・・」「ねあかのびのびへこたれず・・・ほんまや、なんとなく、気が晴れてきたぞ」「ねっ」・・・ひとまず、危機を乗り越えた和夫だが、さてさて、どうなりますやら・・・
2005.09.30
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生まれて初めてのアンカー「おかしいなあ!」泰代は、朝から不思議そうな顔をしている。「どうしたの、おばあちゃん」隣に住んでいる息子夫婦の家から孫の宏志がランドセルを背負ってやってきた。もうすぐ、学校に行くのだろう。その前に優しいお婆ちゃんである泰代の様子を見に来たのだ。「お爺ちゃん、いつになったら、帰ってくるんやろう。6時頃、外に出ていって帰ってこおへんわ。どこまでジョギングに行ったんやろ。朝ご飯作って待ってるのに」7時30分をさしている時計を見ながら、泰代は悩んでいる。「何言ってるの。お婆ちゃん、お爺ちゃんは、仕事に行ったんやで」小学校1年生の宏志に教えられて、やっと分かった泰代だった。夫の健司は、60を過ぎても相変わらず忙しそうだ。それに引き替え、泰代は、相変わらずお気楽奥様である。そうこうしているうちに、宏志も学校に行ったようで、一息ついている泰代を呼ぶ声が聞こえてきた、「奥さーん」窓から顔を覗かせた泰代は「今日、バレーボールの日やった」と手を叩いた。泰代は、55才になるが、毎週2回、ママさんバレーボールをやっている。そんな泰代に町内運動会のリレーの選手にならないかと声がかかった。子供の頃から、鈍足で、かけっこに出ても、いつもの後ろから数えた方が早い順位なのだから、リレーの選手なんて一度も選ばれるはずのなかった泰代である。「私、できるかなあ」と言ったが「60メートルだから、何とかなります」と、有無も言わさずオーケーさせられてしまった。なにしろ、55才にして初めての体験である。しかしながら、初めてであるからには、10代の少女であろうと、50も半ばの孫のいるオバちゃんであろうと同じである。3時のレースまでに紆余曲折があった。とにかく、前日は、ほとんど眠れなかった。隣りに住んでいるくせに滅多に姿を見せない長男が興味本位に運動会にやってきた。誰が知らせたのだろうアメリカ留学している次男も「おかあさん、ケガしたらあかんで」と電話をかけてきた。泰代と正反対でリレーの選手常連の夫の健司に「どうしよう」と甘えてみたが、健司は冷たく「ハハッハア・・そんなもん走ったらええんや」と言うだけ、「妻の一大事に優しい言葉すらないのか、こんなヤツとは離婚してやる」とカッカして、どうなることかと、ソワソワしているうちに、気づいたらトラックに立っていた。「お婆ちゃん、ガンバレ」孫の黄色い歓声が聞こえる。心臓が口から飛び出しそうに踊っている。小学生・中学生・高校生・20代・30代・40代とバトンが受け継がれ、とうとう50代でアンカーの泰代のところにバトンが渡ってきた。前の走者の大健闘で、なんと一位で走りだした泰代だった。走り出すと、ソワソワが無くなった。思うように動かない足を懸命に動かした甲斐あって、なんと、そのまま一位でテープを切った。感動のゴールだった。たかが、町内運動会と言う無かれ、泰代にとってはオリンピックの金メダルよりも価値ある一位だった。
2005.09.29
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記帳男夜8時30分、「あと、30分か・・・」「そうね、あと30分ね」「ね、今日、飲みに行かない」「早く帰って来るように言われてるの」「最近、付き合い悪くない?」「あなた、何か勘違いしてない・・・ねえ、あれ、あの人、おかしくない」銀行内で居残りで仕事をしている小百合と郁夫は、モニター画面を注目した。画面には、銀行の自動機で必死に記帳する浮浪者がいた。彼は2台の自動預け払い機に通帳を差し込んで、「現在記帳する項目はありません」のメッセージが出ると、また通帳を差し込むのだった。その作業を飽きもせず、肩まで伸びた白髪を振り乱し何度も何度も繰り返している。「ひょっとすると、あの人・・・」郁夫は、何か思い出したようだ。「だれなの・・・あの人・・・」「記帳男。銀行関係者の間では有名だよ。毎日、ああやって、各支店のCD機で記帳してるんだよ。今日こそ、振り込まれるはずだって言いながらね」「へえ・・・」小百合は、まるで動物園のパンダを初めて見たように物珍しそうに、モニター画面に映る8時半の男を眺めていた。彼は、9時になると、パッと何かに目覚めたように自動預け払い機の前から立ち去った。その数日後だった。小百合は、トーストを食べながら、朝のテレビニュースを見ていた。と、その時、「あれー、記帳男だあ」と小百合はビックリした。それもそのはず、 「時効寸前! 19年前の殺人犯捕まる」と報道された男は、数日前のモニター画面に映っていた記帳男だったのだ。彼は19年前に店の運転資金に困って、会社社長を殺害した居酒屋の元経営者だったのだ。なかなかの色男だった彼は、20年近くに及ぶ逃亡生活のあげく、白髪で情緒不安定な浮浪者になってしまっていた。彼が捕まったのは、ある銀行の支店で、あの日と同じように必死に記帳する様子を不審に思った銀行員が、警察に通報したとのことだった。その日も彼は、「おかしいなあ・・・入ってないなあ。あの金があれば、店が持ち直すのに・・」と、独り言を言いながら、ただひたすら記帳を繰り返していたそうだ。さらにニュースでは、彼は20年前に友人に貸したお金が返してもらえなかった為に、資金繰りに困り、血迷って殺人まで犯したとも報じていた。
2005.09.28
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家族「ええ、幸子が来るって」英子は驚いた。英子と幸子とは、二人っきりの姉妹だが、この5年間は犬猿の仲で、まったく音沙汰がなかった。元々仲が良かった二人だが、5年前、高校を卒業するときに、妹の幸子は、さっさと結婚してしまったから二人の仲は急変した。当時の幸子は幸せの絶頂と言うこともあって、両親の面倒を見るとか、そんなことは全て幸子に任せっきりで、その話を切り出すと、「それは、長女であるお姉ちゃんの役目よ」と一点張りであった。財産でもある家ならともかく、安サラリーマンで終わってしまい、とうとう50過ぎでリストラにあってしまった父と、スーパーマーケットのパートで月5万円くらいの収入しかない両親、その上、家も借家である。そんな状況の英子と結婚してくれる男などいるわけがない。5年前、そう思った英子は、幸子と大喧嘩した。それっきり、幸子とは連絡が途絶えてしまった。しかし、世の中には物好きもいるもので、そんな英子と結婚する男も現れた。今の夫の和哉が、そうである。駅前の牛丼屋の店長をしている和哉は、顔こそ獅子舞の獅子のようなゴッツイ顔だが、心だけは優しくて働き者である。そんなわけで、相変わらず仕事の見つからない父とスーパーのパートも定年になりそうな母と3才の娘を抱え英子は、決して豊かではないが平凡な幸せを感じながら暮らしている。久しぶりに現れた幸子は、吹っ切れたような顔をしていた。どうやら、最近、夫と離婚したらしい。子供もないようだし、「まだ、若いんだし、新しい相手を見つけたい」と言って、プリンの詰め合わせを置いて帰って行った。幸子が帰った後で、モクモクとプリンを食べる家族の中で、たった一人、幸子とまったく血のつながりがないはずの和哉が、「何かあるんじゃないかなあ」と言った。「何かって?」英子が言うと、和哉は「おまえの妹だろう」と少し怒ったように言った。「そうねえ、そう言えば、少しやつれたような・・・」と母が言った。父が何かを思い出したらしい「幸子は、ああ見えても、気は強くないぞ・・・英子とケンカして出たんで、言えないのかもしれん・・」・・・こんな話はあったのだが、かと言って、幸子に問い合わせることもなく、数週間が過ぎた。幸子が訪ねて来たことも、すっかり忘れた頃だった。警察から電話があった。幸子が自殺未遂をしたと言う連絡だった。聞けば、幸子は、家を訪ねて間もなく、乳ガンの手術を受けたそうだ。両胸を切除する大手術だった。誰も見舞いに来る者もなく、一人、再発の恐怖や胸が無くなった悲しさと戦い疲れての自殺未遂だった。「まだ、若いんだし、新しい相手を見つけたい」あの幸子の言葉が英子の脳裏を駆けめぐった。「かわいそうに、一人で苦しんで・・」母が泣きじゃくった。家族全員は、和哉の運転する車に飛び乗り、幸子の入院する病院に駆けつけた。ベッドに横たわる幸子は、みんなの顔を見るなり、「みんな、来てくれたの」と、蚊の鳴くような声で言った。英子は、叫んだ「当たり前やないの、みんな家族やないの」幸子は、少し首を横に振って「私、自分のことばっかりで・・ごめん」父と母のすすり泣く声の中、英子は、「もお、いいの・・・早く帰っておいで・・・」と言うだけで泣けてきて言葉が続かない。そんな英子の背中をポンポンと優しく叩く和哉だった。
2005.09.27
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苦節16年 初めて レギュラーの座をつかんだ男 宮地克彦もともとは野球エリート 甲子園でベスト4になった投手だった。ドラフト4位で西武入り、高卒で即一軍だからすごかった。ところが、ルール違反の恐れあると、開幕直前にフォーム改造を言われてから運命が狂った。4年目には投手失格と言われ、泣く泣く外野手に転向した。それから10年間、ほとんど二軍暮らし。やっと、才能を認めてくれる監督に巡り会って一軍にあがったのが14年目。しかし、そのシーズンオフにケガでクビになってしまった。どうしても野球をやりたいから、3球団テストを受けたがダメだった。せめてと思って社会人チームのテストも受けたが、これも全部ダメ。まさに地獄。落ち込んでいたところ、最後の最後に拾ってくれたのが、ダイエー今のソフトバンクだった。恩に報いようと24時間野球のこと考えるようになった。そして、16年目の今年の春、自分の可能性にブレーキをかけている自分に気づいた。「プロに入った選手の素質に大差はない。一流になれると本気で思えるか否かにかかっている」一流選手たちは、みんな、このことを知っていた。ほんとかな~そこで、シーズン前に、タイトルを取ります宣言。誰も本気にするわけない。レギュラーでもない選手が…ところが、シーズンも終幕寸前、現在ベストテン4位。ちょっとタイトルは届かないかもしれないが、16年目でレギュラーになりリストラ組の星と呼ばれるようになった。(参考 9月24日 日経夕刊スポーツ欄)
2005.09.26
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負け犬私が負け犬になったらそんな私を見て育つ我が子も負け犬になる。だから、どんなにつらいことがあっても私は負け犬にはならない。
2005.09.26
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あなたも超能力者になれる成功した人で、自分を凡人だと思っていた人はいない。つまり、成功した人は、自分のことを大なり小なり超能力者だと思いこんでいるのだ。さて、成功とは何だろう。ああ、良い人生だったと思って天国に行ければ成功ではないだろうか。ところで、人間が一番幸せに思う瞬間とは?好きな人といっしょにいる時ではないだろうか。そう恋愛している時だ。ビジネスでも、勉強でも、スポーツをやるにしても、幸せでないのは恋愛してないからだ。どんなに凄い成果をあげても幸せになれないのは誰かを愛してないのだ。ひょっとしたら、愛に臆病なのかもしれない。今は情報があふれている。でも、どんなに情報を集めても、打開できない。どんなにお金を集めても、打開できない。愛の欠乏だけは別物だ。情報やお金を集めても、愛の勝利者になれるとは限らないのだ。愛は、情報やお金を超えたものなのだ。つまり、一生懸命、誰かを愛している人が超能力者。結果を恐れないで常識にこだわらないで素直に愛しましょう。そんな誰かを一生懸命に愛している人がビジネスや勉強やスポーツに熱中すれば誰でもみんな成功者なのだから。
2005.09.26
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人の手修太は、最近まで刑務所に入っていた。20の時に街ですれ違った人とケンカをして、重傷を負わせてしまった。殺人未遂だった。「殺すつもりはなかったと言いなさい」と弁護士に言われたが、裁判では「あんときは、鳶の仕事を首になったすぐ後だったので、殺す気でした」と証言して懲役5年になった。後ろにいる弁護士が舌打ちをするのが聞こえた。物心ついた頃から親から離れて親戚の家で冷たく育てられた修太には、友達はいなかった。口より先に手が出る性格が、人に嫌われるもとだった。そんな修太でも、5年の刑務所暮らしは堪えた。「もう2度と、あそこには行きたくない」そう思うと、日に日に小さくなってゆく自分に気づいた。それでも、どうしようもなかった。ビルの掃除の仕事をしながら、ビクビクしながら、やっと生きていた。そんな修太に、保護司でもある自治会長さんが「今度の寄り合いで、酒でも飲みに来いよ」と誘ってくれた。「俺なんか行ってもいいんすか?」と言うと、「君のことは、刑務所長さんからも聞いてる。いつまでも、小さくなって生きても仕方ないじゃないか。まだ、若いんだろう」「はい」と、やっと決心した修太は、町の青年会の寄り合いに顔を出すことにした。会場の公民館の前までやってきた修太は、ワイワイガヤガヤやっている中になかなか入って行くことができない。そこへ、修太の後ろから、自治会長さんがやってきた「なんや、まだ入ってないのか」と背中を押しながら、修太を中に入れた。そして、みんなの前に修太を押し出した自治会長さんは、「修太くんや・・みんなで応援したってや」と言うと、20人くらいの男女が修太を取り囲んで、次から次へと握手を求めてきた。修太は、一人と握手するたびに、人間の手って、こんな感触だったのかと感動した。エネルギーが沸いてくる感じだった。それと同時に、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。ふと考えたら、生まれてこの方、人の手の温もりに触っていないことに気づいた修太だった。
2005.09.25
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祝いの石鹸ここ3日間ほど、臨時休業だった銭湯に行くと、「いらっしゃい」と、番台のおばちゃんが笑顔で、小さな箱入りの石鹸をくれた。ふと見ると石鹸の箱には、可愛らしい「のし紙」が貼ってあった。「ええ!!おばちゃん、ひょっとして?」「そうなんよ」「チーちゃんが・・?」「そうなんよ」「おめでとう・・・よかったねえ」と心から祝福の言葉を贈りたかった。思いは25年前に溯った。ガラガラ・・・台車一杯に、紙袋が載っていた。この紙袋は全部、チーちゃんの薬だ。この薬がチーチャンの命をつないでいた。1年3ヶ月前、難産の末、やっと生まれたチーちゃんは、生まれつき肝機能障害だ。早い子は、1才3ヶ月にもなると歩き始めるのに、チーちゃんは、ハイハイすらできない。銭湯をやっているチーちゃんのお母さんとお父さんは、毎月一回チーちゃんと3才のお兄ちゃんいっしょに大学病院に通った。お父さんは、その日は、風呂の釜炊きを隣町に住むお爺ちゃんに頼み込んだ。決して、豊かでないチーちゃんの家庭だが、チーちゃんの為に、必死に力を合わせている。夫婦喧嘩なんて、毎日だ。お母さんは、「もう、ダメよ」「もう、終わりよ」と何度叫んだか分からない。それでも、チーちゃんの「マンマ」と言う小さな顔満面の笑顔が心の支えになって頑張っていた。チーちゃんは、ほんとに良く笑う子だった。天使のような微笑みに、お父さんお母さんは元気づけられて、何度となくやってきた試練を乗り越えた。チーちゃんは、半年に一回くらい手術した。とうとうお金がなくなって、お父さんとお母さんは、街頭でボランティアの人たちと募金集めをしたこともあった。こんなボロボロになるまでの努力のかいあって、チーちゃんは、1年遅れだが、無事高校を卒業した。走ることは、ちょっとむずかしいが、赤ちゃんは産めるような身体になった。チーちゃんは、体力では劣るかもしれないが、細かい作業や根気のいる仕事は誰にも負けない。そんな所を評価してもらったチーちゃんは、近所のセンサーを作る工場で働いていた。そこで知り合った彼が、チーちゃんの夫となった人だ。風呂あがりに番台の所を通ると、おばちゃんは、女風呂の方に身体を向けて背を震わせていた。よく見ると、おばちゃんは、「おめでとう・・・」「ありがとう・・・」と言葉を交わしながら、近所の奥さんと互いの両手を握りしめあって泣いていた。
2005.09.24
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ビール腹♪ビールを回せ・・・とことん飲もう・・あんたが一番私が二番・・・ドンドン♪「たしか河島英五の唄だったかね。題名は忘れてしもた」居酒屋のど真ん中に陣取り、ビール腹の男が気勢を上げている。いっしょにいる同年代の男女も、いつの間にか乗せられて、手拍子で唄を歌ってしまう。この男といっしょにいると、ビールが飲みたくなる。和秀は、そう言うヤツだ。大学入学当時の彼は、スラーッとした美男子だった。しかし、下宿して毎日毎日飲んでいるうちに、今のようなビール腹になった。現在28才の彼の体型は、ビール樽そのものだ。「俺はね・・・この一杯の為に・・働いてるの」と言うと、豪快にジョッキを空けた。こんな和秀は、昼間はコンピューターのプログラマーをやっている。データベースソフトの作成では、大変評判が良い彼は、何冊か本まで出している。金曜日の朝、彼の携帯に電話してみると「今、大変なんですよ。G社って自動車部品の会社のサーバーが飛んじゃって・・・社長は発狂状態ですし、社員の誰一人、分かる者はいないし、バックアップもないらしいんです。とにかく行ってきます」緻密な仕事も、もちろんできる和秀だが、こんな修羅場も、かなりこなしてきた。彼に言わせれば、「机の上でマニュアル本を読んで研究するよりも、実際の現場で、お客様と悪戦苦闘する方が自分の為にはなってきました。これからも、お客様と二人三脚で頑張るつもりです」仕事を依頼する側としては、とても頼りになるヤツなのだ。そんな彼が、午後6時を過ぎると「貯金?」♪ないない・・ぜんぜんない・・・みんな飲んでしもたあ♪(シブガキ隊ナイナイシックスティーンの替え歌)と腰ふり歌い出す。この男にはカラオケなんかいらない。ビールさえあればいいのだ。ベロベロかと思ったら、和秀は、一瞬真面目な顔になって「ガーッと仕事やって、ガーッと遊ぶ。それで、いつ死んでも本望でっせ」なかなか、面白い男である。
2005.09.23
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第九第一次世界大戦の時、日本とドイツは敵対関係にあった。そんな中、先勝国になった日本には、多くのドイツ人捕虜が連れてこられた。蒲田は、捕虜収容所の所長だった。蒲田は、捕虜たちを、無事に本国に帰してやるのが自分の役目と秘かに思っていた。しかし、そんなことは、一切口に出すわけにはいかない。一つ間違えば、逆に自分たちが捕虜になったかもしれないからだ。戦争というものは、勝てば天国負ければ地獄は誰もが肝に銘じていたことだからだ。決して衛生的とは言えない独房。粗末な食事。一人、また一人と病魔に犯され倒れ命を絶って行く捕虜たち。「彼らを何とか救う方法はないか」蒲田は、一人悩んでいた。ある日、所長室でラジオを聴いていた蒲田のところに、新しい捕虜がやってきた。通訳を通じて、経歴を尋問していると、蒲田はあることに気づいた。新しい捕虜は、心なしか首を小刻みに動かしているではないか。どうしたことかと思った蒲田にラジオからクラッシックが聴こえてきた。「そうか、彼は、音楽が好きなのか」蒲田は、それとなしに彼に尋ねた「音楽は好きかね?」彼は、ニッコリとして、「ドイツ人は、音楽大好きです」と答えた。この話を聞いた蒲田は、収容所の官吏たちに、楽器を集めるように指示した。これは、蒲田のヒラメキだった。音楽が彼らの命をつなぐかもしれない・・・蒲田のヒラメキは当たった。捕虜たちは、粗末な楽器でミニオーケストラを作った。一日一時間だけだったが、捕虜たちは、生き返ったように演奏を楽しんだ。演奏の時間が与えられるようになってから、病気で倒れる捕虜が激減した。そんな1年が過ぎた頃、ドイツと日本は講話条約を結び、捕虜たちはドイツに帰ることになった。その時、捕虜たちは、蒲田に「お世話になった所長さんに、せめてものお礼です」と、ベートーベンの第九を演奏してくれたそうだ。
2005.09.22
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時代祭京都の時代祭は、平安時代から明治維新までの色とりどりの衣装で、京都御所から平安神宮まで、総勢約二千人練り歩く京都三大祭りの一つです。明治時代に平安遷都1100年を記念して始まったそうです。その祭りの見物を楽しみにしている初老の夫婦の作治さんと節子さんは、結婚して60週年を迎えたそうです。昨年までマラソンに出たりと達者が自慢だった作治さんは、体調を壊されたらしく、節子さんの押す車椅子に座ってられました。「どうしたんですか」と聞かれると、「なさけない話や」と涙を流されました。達者だったからこそ、なおさら自分の身体が動かない苦しみを感じておられるのかもしれません。この二人の馴れ初めは、60年前に溯ります。京都市内に当時住んでいた作治さんが兵隊検査に舞鶴まで2時間程かけて行くと、役場の職員で応対してくれた可愛い女の子がいました。その女の子が節子さんでした。思わず一目惚れした作治さんは、どうしても節子さんを嫁にしたいと思ったそうですが、とにかく2時間の道のりです。実家の両親は、「ちょっと遠いから、やめておけ」と乗り気ではなかったそうです。そんな時、作治さんは京都の大学を出た先輩が、仕事で行った先の中国人女性と恋仲になり結ばれたと言う話を聞きました。「2時間くらい、大したことないやないか」と、作治さん両親を説得しました。そして、なかなか「うん」と言ってくれない節子さんに会いに毎週末、舞鶴まで出かけたそうです。旅館に泊まるお金もなかったので、ほとんど駅の待合室に泊まったそうです。で、1年後、まだ迷っている様子の節子さんに「俺といっしょになってくれないなら、舞鶴の海に飛び込んで死ぬ」とまで言って、強引に口説いて結婚したそうです。さて、作治さんは、戦争には行かなかったそうですが、親の代からの農家の仕事を放ったらかしにして、いろんな事業をやったそうです。しかし、悪戦苦闘のかいもなく、とうとう事業では成功しなかったそうです。つい先日、肝硬変で倒れた作治さんは、生死の間を彷徨いました。その時、作治さんは、てっきり、このまま自分が死ぬと思ったらしく、さんざん苦労をかけたばかりで、小旅行すら一度も連れて行っていない節子さんに「夫らしいこと何もできず、世話になりっぱなしやったなあ」と、枕元の節子さんに言ったそうです。節子さんも、この60年の苦労に苦労を重ねた想い出が走馬燈のように頭の中を駆けめぐったのでしょう、精一杯の言葉を探しました、「あなたのおかげで、すばらしい人生でした」節子さんの言葉が、今にも消えてしまいそうな意識を蘇らせたらしく、作治さんは、何とか危機を脱しました。まだまだ、予断を許さない状態の作治さんですが、「もうすぐ、時代祭ですね」と言われると、「そうや、なんとか今年も時代祭を見れそうや」と、気を取り直されたのか、作治さんはニコニコ顔でした。
2005.09.21
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坂道小学6年生の頃、雅郎は隣町の学習塾に通っていた。隣町に行くには自転車に乗って、田圃が連なる横の急な坂をグイグイと力一杯昇って行くのだった。勉強嫌いな雅郎を、どうしても医者にしたい父が無理やりに通わせた学習塾だったから、雅郎にとっては面白くなかった。そんな雅郎が、塾通いにささやかな楽しみを見つけたのは、すみれの花が咲く頃だった。まだまだ、この辺りは、自然が残っていて、季節の花々や虫や鳥のさえずりに季節を感じることができた。「どこ行くの・・雅郎くんやない?」坂道を上ろうとダッシュをかけた雅郎はブレーキをかけた。亜紀だった。亜紀は、小学校5年生の時に、この町に引っ越してきた子だ。雅郎と亜紀は、小5小6と同じクラスだった。亜紀は髪が肩まであって、色白で目の大きな子だった。美人で評判のお母さんに亜紀はそっくりで、雅郎の周りには、ちょっといない垢抜けた感じの子だった。亜紀は、犬を連れていたから、夕方の散歩だったのだろう。「塾や」雅郎は、自転車を止めて言った。「ふーん、がんばりや。雅郎くんは私立の進学校に行くんやもんね」「ああ、オヤジがうるさいからな。おまえは公立か」「うん・・共学の方がいいんやないかって、お父さんもお母さんも言うの」「公立は、勉強せんでも入れるからな」・・・それから、雅郎と亜紀は、その場所でしばしば出会った。いつも亜紀の横には犬がいて、二人の会話を不思議そうに眺めていた。知らず知らずのうちに、雅郎は坂道を登るときに、亜紀の姿を探すようになっていた。少し立ち止まって、周囲を見回すこともあった。多少の時間のズレはあっても、亜紀は必ず犬といっしょに現れた。そんな日々を過ごすうちに、雅郎は、中学校も亜紀と同じだったらいいのにと真面目に思うようになっていた。そんな雅郎の気持ちとは裏腹に、塾に通った甲斐もあってか、雅郎の成績は鰻登りに良くなった。模試を受けても、90%以上合格の判定が出ていた。どんなに成績が良くなっても、父に誉められても、雅郎は、嬉しさ半分だった。どんどん亜紀と離れて行くようで、たまらなく寂しかった。入試の日、雅郎は万全の体勢で臨んだ。予想通り、雅郎は名門私立中に合格した。「おめでとう、合格したんだって。すごいなあ」「まあな」複雑な心境の雅郎に、亜紀は、付け加えた「私、海外に行くの。お父さんの仕事の都合でね、3年くらいで帰ってくるけどね」「どこの国?」「タイのバンコク。お父さんの会社の工場があるの。雅郎くんとも、しばらくお別れね」・・・それからしばらくして、亜紀たち家族は、越して行った。雅郎も、めったに坂道を登ることもなくなった。でも、たまに、坂道のあたりまでやってくると、雅郎は立ち止まって、辺りを見回す。そして、犬のワンワンと吠える声が聞こえるとハッとするのだった・・・
2005.09.20
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一旗上げて弘美がやっている喫茶店兼カラオケスナックの閉店間際だった。「よお、久しぶり」と圭治が入ってきた。一瞬、ハッとした弘美だが、「久しぶりも、久しぶり20年ぶりね」と、平静を装った。ニカッと笑った圭治は、「おまえに顔を合わせられる柄じゃないのに、風の便りに、おまえが帰ってきたと聞いたものだから、また、甘えちまったよ」「そうね、あなたは、そう言う人よね」弘美の記憶に20年前の出来事が蘇った・・・高校を卒業したばかりの弘美は、大阪のS市駅前の喫茶店でアルバイトをしながら歌謡スクールに通っていた。いつものように、弘美は朝6時30分に店に入り、モーニングサービスのラッシュを終えた10時頃だった。フラッと圭治がやってきた。圭治は3才年上で、弘美が高2の時から、付き合っていた。以前から、圭治は「俺は、東京に行って一旗上げる」と口癖のように言っていた。弘美は、そんな圭治の影響かもしれないが、好きな歌の世界で一旗上げようと思っていた。高3の時に、テレビののど自慢で優勝した弘美は、良かったら東京へ来ないかと音楽プロダクションから誘われていた。でも、行くんなら、圭治といっしょに・・・と思っていた弘美はなかなか踏ん切りがつかなかった。そんな弘美が東京に行くきっかけになったのが圭治のメモだった。・・・銀河で東京に行こう・・・新幹線を使わずに、夜行電車で行こうと誘うところが圭治らしかった。やっとやっと、東京に行ける。「お父さん、お母さん、私、東京に行くわ」子供の頃から、しっかり者で通っていた弘美は、あっさり両親からオーケーもらった。父からは、餞別10万円。母からは、腹巻きをもらった。「おまえはよくお腹を壊すからね」この母の言葉には、さすがに涙が止まらなかった。「見送りはいいからね」弘美は、家を飛び出した。「お父ちゃん、お母ちゃん、私は、絶対、一旗上げるからね」そう何度も何度も心の中で叫びながら、駅まで走った。しかし、約束の時間になっても圭治はやってこなかった。ほんの数分だけど、ホームに入ってきたブルートレインの前で、弘美は、死ぬほど悩んだ。そして、ひとり乗り込んだ。弘美は、一年後、デビューし、たった一曲だけどヒット曲を残した・・・なんとか、一旗は上げた弘美だった。しかし、20年も目立ったヒット曲がなければ、忘れられるのは当たり前、新しいプロダクションの社長から、よくぞ食いつないだと励まされたが、これが、この世界のリストラだった。弘美は芸能界から、あのS市の駅前の喫茶店に戻ってきた。ママが、「いっしょにやらへん。跡継ぎは、弘美ちゃんしかいいひん」って誘ってくれたのだ・・・今に戻ると、カウンターでグーグーいびきをかいている裏切り者がいた。白い物が目立つようになった圭治の頭を見ながら、「この人は、今でも、東京で一旗上げるって言ってるのだろうか」と弘美は思った。
2005.09.19
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夜行バス「夜行バスを待つ人って、何となく、ニュースで見る海外の難民って雰囲気よね」23才になって初めて夜行バスに乗ることになった美雪はそう思った。とにかく、夜も遅いせいか、みんな眠いのか、無表情なのだ。「新幹線で行こうと思ったけど、ちょっと足りなくてね」夜行バスで行くと半額なのだ。目的地は高知。彼氏が、この4月から高知の高校に新設された野球部監督兼任の社会科の教師になったのだ。いつもは、彼氏が美雪の住む名古屋まで来るけれど、もうすぐ秋の県大会とやらで、「今月は行けそうもない」と言ってきたものだから、居ても立ってもいられなくなった美雪は、彼氏に会いに行くことにした。夜の11時に名古屋駅を出発、高知には朝の8時30分に着く。変な話だけど、夜行バスで一番心配だったのは、トイレ。途中で行くたくなったら、どうしよう・・・水分控えめでバスに乗り込んだ。案の定、バスは満員だった。たった一つの小さなトイレに、「すみませんすみません」って言いながら、狭いバスの中、移動するのは大変だ。それに、立ち上がったら行くところは、トイレしかないのだから、若い乙女にとっては少し気が引ける。それでも、美雪と同年代や学生風の女の子も結構乗り込んでいた。こんな夜中に走るバスに、こんなにたくさんの人が乗るなんて。みんな一人一人物語がありそうだ、夜行バスには、そんな雰囲気がある。走り出した。最初は市街地を走るからガタガタ揺れたりカーブを切ったりで、ちょっと眠れる雰囲気ではないが、30分も走ると、高速道路に乗るから、結構楽チン。12時を過ぎた頃には、自然に眠ってしまった。夜中、時々、目を覚ましたのは、背伸びをした時に隣や前の座席に足がぶつかったから、みんなシートを150度くらいの角度に倒して寝ていた。坂出市に5時30分。高松に6時30分。そして、8時になると、お日様の光りが窓から差し込んできて眩しくなってきた。いよいよ、高知だ。そう思った時、携帯電話が鳴った。周りの人が注目したから小声で話す「もしもし・・・」・・・もしもし・・彼だ!!・・・どこにいる?・・・「もうすぐ、高知駅・・」・・・もう、俺、学校に行く時間だぞ・・・「うそよ・・」思わず声が大きくなった美雪だが、声を押し殺し,「どうするの、私」・・・しかたない、俺のアパートで待ってろ・・・「はーい」感動の1ヶ月ぶりの再会は、しばしお預けとなった。バスのアナウンスが、「まもなく、このバスは高知駅に到着いたします・・・」と告げた時、ふと窓の外を見た美雪は、歩道を早足で歩く彼氏の横顔を見つけた。ああっと思わず窓を叩いても、彼氏は気づかない。横顔は、しだいに小さな後ろ姿に変わる。「しかたないのよね。いってらっしゃい」と、美雪は小声で囁いた。
2005.09.18
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ひさしぶり「これこれ・・・」亜希子は、朝から走り回る孫たちを笑顔でたしなめた。「お婆ちゃん、新聞」ポンと孫が放り投げてよこした新聞の一面に、懐かしい人の死亡記事を見つけた。日本ばかりか海外でも認められた作家の彼との想い出は、もう半世紀以上も昔に溯ることになる・・・直之と亜希子は、幼なじみだった。村一番の秀才と評判の直之は、歩きながらも本を読んでいた。村の口の悪い連中は、かつての農政家二宮尊徳の幼名二宮金次郎にちなんで「やい、ニノキン」と、からかわれていた。しかしながら、そんなことを少しも気に留めない直之は、ポーカーフェイスで通り過ぎて行く。そんな男だった。直之が、東京の大学を出て、官吏登用試験に合格し村に帰って来たときには、もう誰もが「10年後の村長は、直之だな・・・いやあ、国会議員かもよ」と、彼の将来を疑う余地もなかった。亜希子と直之は、親同士が懇意で、二人がヨチヨチ歩きを始めた頃から、結婚させよとうと取り決めた仲だった。気に沿わない相手なら、そんな親の取り決めなどと図らずも抵抗しようとするところだが、お互いに相思相愛の二人は、むしろ親に感謝していたほどだった。出世も約束され、将来を共にする最良の伴侶も決まり、直之と亜希子の人生は順風漫歩かと思われた。しかし、そんな直之を快く思わない連中もいた。そんな連中は、直之を落としめるため、当時、国から廃絶されていた共産主義者のレッテルをデマの噂で貼り付けた。人は、興味本位な噂を信じる者である。ましてや、村一番の秀才と唱われる直之が、その噂の的となれば、もはや留めることなどできない。直之は、根も葉もない噂によって官吏の地位も将来の名誉も失った。「せめて、国の為に死にたい」直之は、そう亜希子に言い残して志願兵となり、当時開戦したばかりの太平洋戦争の渦中に飛び込んで行った。それから丸4年経ち終戦となっても、直之は帰って来なかった。その間、亜希子は心ならずも、直之を窮地に追いやった村長と結婚していた。そして、お腹に子を宿して一ヶ月の里帰りを終えて、夫の元に帰ろうと我が子を胸に抱き歩き出した亜希子の前に、ひげ面軍服ゲートル靴姿の男が、亡霊のように現れた。「久しぶり・・・幸せか」そう言った男は、あの直之だった。答えに困って震えている亜希子に直之は「死ねなかった。シンガポールから満州からシベリアまで行ったが、このとおりピンピンじゃ・・・さらば」と泣きじゃくりながら亜希子の前から去って行った。その後、直之が村を離れ東京に行ってしまったこともあるが、直之と亜希子は一度も顔を合わせてはいない。10年ほどのブランクの後、直之は、戦争体験を題材とした小説を世に問い、日本が誇る大作家へと階段を一気に駆け登って行くことになる・・・亜希子は、あたかも高僧のように悟りきった最近撮影されたという直之の写真を見ながら、「久しぶり、幸せだった」と、独り呟いた。
2005.09.17
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おはぎ真喜のボーイフレンドのリックは、オーストラリアからやってきた留学生だ。リックは真喜と同じ大学で、日本文学の勉強をしている。御彼岸の日、リックは真喜の実家に招待された。真喜の家族は、お父さんお母さんお婆ちゃん、そして、真喜の弟の高校生の弘治の5人だ。その日は、家族全員で青い目の真喜のボーイフレンドを出迎えた。「お婆ちゃん手作りのおはぎですよ」真喜のお母さんが出したおはぎにリックは目を白黒させた。「おはぎ?」どうやって食べたらよいか分からないリックに、真喜が「お箸で食べたら・・・」と見本を見せた。「うん」と頷くリックに、真喜の弟の弘治が「いやあ、男はこうやって食べるんだ」と手づかみでバクッと口に入れた。リックは、弘治の食べ方が気に入ったようで、手づかみで頬張った。「オー、甘いんですね。中には、お餅ごはん・・・」と言いながら、リックはおはぎを一つ食べた。お父さんが、そんなリックを見ながら「日本では、昔から御彼岸には、おはぎを食べたようだよ。それと、昔の日本では、貴重なおやつだったようで、豊臣秀吉も大好物だったそうだ」「なるほど・・・御彼岸とはおはぎを食べる日ですね。クリスマスにはケーキ。お正月にはお餅・・・」リックは、流ちょうな日本語で話を合わせた。お父さんは、そんなリックの様子を見ながら、お母さんにお茶を出すように言った。お母さんはニッコリして、真喜に耳打ちした。真喜は満面の笑みでリックにオーケーサインを送った。実は、真喜に内緒でお父さんとお母さんは、リックをテストしていたのだ。お婆ちゃんの作るおはぎを食べられたら合格でお茶を出し、食べられなかったらコーヒーか紅茶を出そうと決めていたのだ。つまり、おはぎを食べた瞬間から、リックは家族公認の真喜の彼氏になったのだ。
2005.09.16
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まさか高速道路沿いの森に住んでいた一匹のタヌキが、ある日、人間界に現れた。もちろん、タヌキの姿のまま顔を出すようなヘマはしない。ちゃんと、人間に化けて出てきたのである。まずは、ナイスバディのお嬢さんに化けた。それはそれはモテてモテて、男どもが次から次へとモーションかけてくる「まあ、人間って単純ね。発情期のタヌキでも、ここまでじゃないわ」タヌキは呆れてしまった。ひつこい男たちに疲れたタヌキは、ごく普通の、でも、気だてのとても優しいお嬢さんに化けた。「なんなの、人間の男って、見かけばっかり、中身なんか少しも見ないんだから」ブツブツ言っていたタヌキの前に、男たちに囲まれた女の子がやってきた。見れば、キツネではないか。二人は、動物テレパシーで会話したキツネ「あれ、タヌキじゃないの。こんな所で会うとはね。でも、タヌキ、もっとキレイにしないと人間の男はダメよ。見かけしか見ないからね」タヌキ「そんなことないわよ。きっと、気だての良さを見初めてくれる彼が現れるわよ」と、まあ、こんな感じで、人間観の相違が出たタヌキとキツネであった。モテモテのキツネを斜め見ながら、寂しく独りぼっちのタヌキの前に一人の男が立った。「やあ、君、ひとり」「うん、あなたはあっちに行かないの。楽しそうよ」「いや、僕は、君と一緒の方が落ち着けそうなんだ」・・・やっぱり、心を大切にする人間もいることが分かったタヌキは、とっても良い気分だ。話しているうちに、タヌキは、彼のことが好きになってしまった。でも、所詮、タヌキはタヌキ。いつまでも人間界にいるわけにもいくまい。タヌキは、人間界に別れを泣く泣く告げ、高速道路沿いの森に帰った。数日後、森の中で、いつものように暮らしているタヌキが、ザクザクと足音を耳にした。「人間だ」タヌキは木陰に隠れた。息を潜めているタヌキに数人の人間たちの声が聞こえた。たぶん、山登りに行くのだろう。笑い声も聞こえる。・・・おい、タヌキだぞ・・・誰かが気づいたようだ。かなり離れたところなので、ジッとして見ているタヌキはハッとした。あの時の彼が、数人の中にいたのだ。しかも、・・・行こうぜ・・・行こうぜ・・・と、どんどん先に行く連中から一人遅れて、彼はタヌキの方を立ち止まってジッと見ている。彼は、少し首を傾げたかと思うと、片手を「やあ」と言わんばかりにあげて微笑みかけた。タヌキは、「まさか」と思った。
2005.09.15
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言えそうで言えなかった「あなた…」「なんだい?」「ううん、いいの…」ある朝、いつものように出勤する祐平と加代子の会話だった。20年前、同じ市役所に勤めていた祐平と加代子は結婚した。「また、お父さんとお母さんデート…」こう高校生の長女と大学生の長男に冷やかされて、週末になると二人は腕を組んで出かける。そんな、いつまでも新婚のような二人は、いっしょにボランティア活動をしていたのだ。子育てに一段落した頃から加代子は平日3時間ほど近所の保育園で賄いのパートをしていた。いつものように保育園に出かけようとする加代子の携帯電話が鳴った。祐平だった。…さっきの言葉、気になったものだから…「ごめん、保育園に行くところなの…あとで」そう言うと加代子は電話を切った。…夕方、加代子は高校から帰ってきた長女とクッキーを焼いていた。電話が鳴った。「パパからよ」娘がそう言うので「そうかしら…」と言いながら加代子が出ると、市役所で働く祐平の同僚だった。…奥さんですか。今、御主人が倒れられまして…晴天の霹靂。加代子が病院に行くと面会謝絶の病室に祐平は寝かされていた。脳梗塞。何にも話さずに、祐平は眠り続けた。1日、2日…10日…20日…そして、もうすぐ一ヶ月になろうとしていた。毎日、病院に来ていた加代子は、かなり疲れていた。眠っている夫の横で、ほんの一瞬、つい居眠りをしてしまった。…「あなた…」「なんだい?」「ううん、いいの…」…一ヶ月前の朝の会話が白日夢のように甦った。…「あなた…」「なんだい?」「ううん、いいの…」「早く言えよ」「あなた、私のどこが好きなの?」…その日、祐平は旅だった。答えを持ったまま。
2005.09.14
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夫婦社長室に祐介が飛び込むと、そこにいたのは、元レースクイーンだったという噂の美女の社長秘書が喉チンコが見えるほどの大あくびをして座っていた「あら、失礼」「あのー、社長は?」「社長は、お出かけになりました」「あのー、私は3時に社長と約束したのですが、新製品の企画のことで」「たしかに、承っております」「なのに、どうして社長はいないのですか?」「たぶん、別の用事が入ったのでしょう」「そんな・・・」怒り心頭の祐介は、社長室を飛び出した。祐介の勤める地方の食品メーカーは、主力製品のラーメンやうどんそばの麺類が売り上げの90%以上を占めている。もともとは、冷凍食品が主力だった会社なのだが、最近は、大手や同業の会社が増えた事もあって、冷凍食品は、赤字部門でもあった。祐介は、10年前、この会社に入って、昨年から冷凍食品の担当課長になったのだ。冷凍食品一筋で、この10年間頑張ってきた祐介だが、もう10年前から売り上げ減は続いていて、祐介は課長とは名ばかりで、部下は3人しかいない。麺類の部が、100人余りで構成されているのと大違いだ。祐介は課長就任直後より、何とか冷凍食品を復活させようと、毎月のように新製品をブチあげるが、ことごとく失敗し、最近では、社長も会ってくれないと思いこみ祐介は困り果てていた。そればかりか、先月の役員会議では、冷凍食品部門の廃止も検討されていた。そうなれば、祐介はじめ部下3人は、リストラの対象だ。去年、結婚したばかりの祐介は、もちろん自分のことも心配だし、部下のことも心配だし、ストレスでイライラしていた。しかし、意地っ張りの祐介は、そんな気持ちを部下にも、家にいる妻にも一度も話したことはなかった。一人で苦しんでいたのだ。「もう、ダメかなあ」酔っぱらって家に帰るなり、背広のままでビールをマズそうに飲みながら祐介は一人呟いていた。そこへ妻の葉子が言った「何考えているか、当ててあげましょうか?」「ええ?」と驚いた祐介に、葉子はニッコリしながら言った「課がつぶされそうなんでしょう」「ど、どうして知ってるんだ」「さっき、社長さんから電話頂いたのよ。今日、会う約束だったけど急用で会えなくなったからって。携帯電話にかけたけど、ずっと留守番だったからって」「飲んでいたからね。社長は、もう俺たちを見捨てているんだよ」「そんなことないわ。あなたの課のメンバーは全員、必要なメンバーだと言ってたわ」「どうして、そんなことをお前に言うんだよ」「私が心配してたからよ。あなたのこと。だって、あなた何も言ってくれないじゃないの。一人でイライラして。私をバカだと思ってるの。私たち夫婦じゃないの・・」いつの間にか、葉子の目は涙で一杯になっていた。
2005.09.13
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平和ちなみに僕は1才3ヶ月です。僕の家のお休みの日の食卓には、一番上は90才から一番下の1才の僕まで4世代が揃います。平和な食卓なのです。僕をはじめ、やんちゃ盛りの6才の兄ちゃん、そして、わがまま盛りの母ちゃんと、いつもワイワイガヤガヤ大騒ぎの食卓です。さっきまでテレビでニュースを見ていた90才の曾婆ちゃんが言いました「飛行機は怖くて乗れないね」いつも黙ってビールを飲んでる40才の父ちゃんが珍しく言いました「10月には沖縄に行くんですよ」エエ・・・・・飛行機に乗るって父ちゃんが言った途端に、みんなが黙ってしまいました。たぶん、みんなはアメリカの同時多発テロを連想したのでしょう。母ちゃんが「生命保険かけてあるから」と言いますと父ちゃんが「飛行機事故なら、たくさん保険金降りるぞ」合いの手を打ちました。いつもなら、笑い話になる話も、その日はますます沈黙が続きました。あんまり世の中のこと分からないはずの6才の兄ちゃんも黙ってしまいました。何にも分からないはずの僕も黙りました。意味は分からなくても雰囲気で分かります。しばらくの沈黙の後で、90才の曾婆ちゃんの娘の65才の婆ちゃんが「お金なんてもらっても・・・健康でいてもらった方が・・・」とポツリポツリと言いました。いつも口をはさむ母ちゃんが何か言おうとして黙ってしまいました。いつも全然話さないはずの父ちゃんが、僕を抱っこして頭を優しくなでながら、今日は、どういうわけか、よく喋りました「子供が小さくて良かったです。高校生くらいやったら、何年も戦争が続けば、戦地に行くことになるかも・・・」その言葉を聞いて、曾婆ちゃんが「あんたは、行かへんのか?」と言いました。「若くないので、最前線ではないかもしれませんけど・・・」と父ちゃんが言うと、曾婆ちゃんが「馬の番か?」と、言ったところで、「そんなコンピューターの時代に・・・」と、母ちゃんが笑いながら言うと、みんながワハッハハ・・・やっと僕の家の食卓が元に戻りました・・・ガタンコトン・・・ガタンゴトン・・・僕と兄ちゃんが、お腹いっぱいになって電車のおもちゃで遊んでいると、婆ちゃんが「戦争なんかになったら、結局、苦しむのは関係のない女子供や」とブツブツ言いながら、後片づけしていました。もし、できるならですが、テロや戦争を考えているオジサンたちを、僕の家の食卓に招待します。まず、父ちゃんといっしょに、アジの干物でビールを飲んでもらいます。曾婆ちゃんや婆ちゃん、母ちゃんの話の相手をしてもらいます。そして、兄ちゃんや僕と電車ごっこをしてもらいます。そしてそして、お帰りになられるときに聞いてみます「やっぱりテロしますか?やっぱり戦争しますか?」
2005.09.12
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大音声人間には、開発されていない可能性があると言う。もし、その可能性が芽生えるとするならば、生と死のギリギリの状況ではないだろうか。健太が、自分の能力に気づいたのも、そんな時だった。大学の前期試験も終わり、気晴らしにと独り旅に出かけて健太は、地方都市の安いビジネスホテルに泊まった。部屋にはお風呂がなく、1階に大浴場があるだけのホテルだった。大浴場は夜の11時までだった。健太は部屋で、テレビドラマに夢中になっていて、危うく風呂に入り損なうところだった。小走りで、大浴場に行くと、前方から、坊主頭のステテコに腹巻きの上にシャツを羽織ったオッサンが、酔っぱらっているのかフラフラと歩いてきた。オッサンは、健太とすれ違い際に「おおー、兄ちゃん、金貸してくれや」と、絡んできた。「何ですか、いきなり」と、健太が迷惑そうに言うと「おまえ、なめとるのか」と、殴りかかってきた。健太がこけると、蹴りも入れてきた。これはたまらないと、健太は、その男の下腹あたりを突いた。ウエーッと、その男は下腹を抱えて、うずくまった。ちょっと、やばいかなと思った健太が、その男の様子をうかがっていると、「こんにゃろー」と、その男が、スゴイ形相で健太を睨んだ。その男は、腹巻きの中から短刀を引っ張りだし、健太にかかって来た。「た、たすけてー」健太は必死に逃げたが、悲鳴を聞いて風呂から出てきた人やホテルのスタッフたちは、どうしていいやら、ただただ唖然とするだけだ。必死に逃げた健太だが、とうとう追い詰められた。キラリと光る短刀を手に男が突進してくる。もうダメだ、と腰から崩れ落ちた健太に、恐怖が、どうしようもない恐怖が、すぐそこまで迫って来た。そ、その時だった、ウオーウオーウオー・・・健太の身体のどこから出たのだろう。獣の雄叫びも遙かに超えた最高のボリュームのスピーカー音も裕に超えた大音声がホテル中に響き渡った。何分過ぎたのだろうか・・・健太は、尻餅をついたまま汗まみれで座り込んでいた。その健太の数メートル前に、呆然と立っているステテコ男がいた。男の足下には、男がポロリと手から落とした短刀があった。男は、数分後駆けつけた警察に連行された。健太は生きていた。かすり傷一つ負わずに生きていた。
2005.09.11
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神様がくれたチャンス深夜のビジネスホテルのロビーの片隅にある公衆電話。東南アジア系の若者が一生懸命話している。気のせいだろうか怒っているようにも聞こえる。誰かに金を貸してくれと頼んでいるのか?貸した金返せよと迫っているのか?ひょっとして恋人に復縁を迫っているのか?彼は香港の人だった。電話の相手は、日本で働いている恋人。いや、正確に言えば、恋人だった人と言った方が良いだろうか。彼と彼女は、中国の河北の貧しい村に生まれ育った。15になった頃から将来を誓い合った二人だった。彼は、大学在学中、15分ほどの短編映画を創っていた。その映画が香港で認められ、映画会社に助監督として勤める予定だった。しかし、彼の映画が、たまたま香港に滞在していた政府高官の目に触れたことから、彼と彼女の運命が大きく変わることになった。彼の創った映画は、反体制的だと言うのだ。特に、これと言った根拠のない理由だった。反論すればするほど彼の立場は悪くなり、彼は僻地に流されることになってしまった。彼が僻地に流されている間の5年間に彼女は、日本にやってきていた。貧しい農家の娘だった彼女は、実家にお金を送るために、無認可の風俗店で働きはじめたのだ。そんな彼女を、やっと解放された彼が迎えにきたのだ。「いっしょに帰ろう」・・・私は、あなたの知っている私じゃない・・・そう言って彼女は、頑として彼の誘いに乗ろうとはしなかった。そんなある日、彼女の勤める店が、警察の手入れに遭った。彼女も連行された。彼が、その事を知ったのは、翌日だった。いつものように、店に電話をしても誰も出ない。心配になった彼が店まで行くと、数人の警察官がいたというわけだ。気のよさそうな警察官の一人に、彼は、たどたどしい日本語で、今までの経緯を話すと「あなたの身内ならば、数日の取り調べが終われば、強制送還だから、いっしょに帰れるよ・・警部に話してみるから」と、励ましてくれた。三日後、すっかりやつれた様子の彼女と彼は対面した。彼は、彼女に「何も言わなくていい。神様がくれたチャンスだ。神様は、もう一度、二人でやりおしなさいと言っている、いっしょに香港に帰ろう」と言った。傷心の彼女は頷くだけで精一杯だった。現在の彼と彼女は香港の撮影所近くの雑居ビルに住んでいる。そして、彼は僻地に流された時にいっしょだった映画監督の助監督をしているそうだ。
2005.09.10
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彼が大学を中退した理由道男が最初に入学した大学は、外国語大学だった。「国際社会に貢献する外交官になるんだ」と燃えに燃えて勉強していた道男だが、勉強していると頭が痛くて仕方がない。子供の頃から時々痛かったのだが、今度の痛みは、我慢の限度を超えていた。バッファリンを飲んでも一向に良くならない。今までは治ったのに。痛みは増すばかりで、勉強どころでなくなった道男が医者に行くと「これは、何かの後遺症ですね」と言われた。「ひょっとして・・・」道男は小学生の時に交通事故に遭ったことがあった。でも、特に外傷はなかったので、そのままになっていた。で、医者に、交通事故のせいかもしれないと言うと「そうかもしれません」と言うだけで、「今まで放っておいたから、もう治らないでしょう」と鎮痛剤を処方してもらっただけで何の治療もしてもらえなかった。「なんだ・・・この医者は・・・」と憤慨した道男は、その後、いくつもの大学病院で診察してもらったが、どの医者も同じような調子だった。「もう治らないのかなあ」と諦めかけた時、最後の医師が「ひょっとしたら、宮前先生なら治せるかも・・・」とポロッと言ったのだった。もう、藁にもすがる気持ちで、道男は、その宮前先生を訪ねた。宮前先生は、2年ほど前に大学病院を辞めて小さな病院を開業していた。ひょっとしたら、治るかもと思いながら道男が診察室に入って行くと、可愛い顔した少女のような先生が座っていた。「看護婦さんかと思ってしまいました・・」と道男が言うと、「これでも、35です」と宮前先生はピシッと言った。さすが、評判の医者だけある。可愛いと思って軽く見てはいけない。一通りの診察の後、宮前先生は、「健康保険外の薬も使ってもいいのですか?」と、道男に聞いた。「治るんだったら、お願いします。でも、どれくらいかかりますか」「そうねえ・・・1ヶ月に3万円くらいかなあ・・」「それくらいだったら、両親も了解してくれると・・」「分かりました」・・・宮前先生は、西洋医学はもちろんだが、東洋医学のことも、かなり研究していた。と言うのも、宮前先生の御主人は漢方薬局を経営していたのだ。西洋医学の知識だけでは限界があると感じていた宮前先生が、たまたま出会ったのが御主人だったそうだ。宮前先生の所に通い始めて3ヶ月過ぎた頃、道男の頭痛は、完治した。猛烈に感激した道男は、「先生、僕を先生の弟子にしてください」と土下座して頼んだ。そんなわけで、道男は、外国語大学を中退して、2年浪人の末、医学部に進んだ。もちろん、両親の反対はあったが、「僕の頭痛を治した先生の弟子にならんだ」と言い張って押し切った。今、道男は、病院で研修を受けながらアトピー性皮膚炎の研究をしている。「これができたら、あなたノーベル賞かもね」と宮前先生に励まされながら。
2005.09.09
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台風とランデブー昔、台風とざくろ?ってドラマがありました。石坂洋次郎という青春専門の小説家が書いたものです。テレビでは、たしか、緒方拳さんや石坂浩二さんがやってましたっけ。それはそうと、この一週間、私は、バタバタ状態でした。実は、月曜日には四国の高知で、♪土佐の高知の播磨矢橋で・・♪仕事がありまして、頑張ってたのですが、なーんと、台風さんと御出会いしてしまいまして、飴じゃなくて雨と風の中、ズブズブになりながら、高知市内を移動し、やっとのことで大阪に戻ってきたのですが。ところが、どっこい、台風さんが着いてくるではありませんか。しょんぼりしている私に、同じ会社のM子さんが言いました、「きっと、台風さんは、女性なんでしょうね。あしたは名古屋でしたね」「まあね」そんなわけで、火曜日は名古屋に新幹線で向かったのですが、ここも朝の内は天気良かったのですが、昼頃からザーザー雨・・・「おいおい、いいかげんにしてくれよ」と言っていると、大阪の事務所のM子さんから電話、「あのー、東京のKさんから電話がありまして、どうしても明日(水曜日)、東京でお会いしたいと・・・」「台風やから、週末に変更って言うた?」「ええ、でも、どうしてもと・・・」「しゃあないなあ・・・」「いいじゃないですか・・・美人と一緒で」もちろん、この場合の美人は、台風のことです。そんなわけで、水曜日、名古屋始発6:20分発のひかりに乗ったのですが、なんと、1時間遅れで東京に着きました。いつのまにか、携帯電話に妻からの留守電、「あんた、いつになったら帰ってくるの・・誰か良い人できたんと違うの・・・私に無断で、そんなことして・・・」「良い人なんかできるわけないし、かりにできたにしてもそれにそんな人を妻の許可を得て作る人はおらへん」と留守電で返した私は、東京駅の改札口を出ました。すると、ザバザバ・・・「ウワー、東京駅雨漏り・・・」東京駅の改札前で、2ヶ所の雨漏りに遭遇してしまいました。連日の異動で、ヘトヘトでしたが、「くそったれー」と気合を入れて、K氏と午後2時まで、お話しをして、「やれやれ、今日は、この辺にして大阪に帰ろう」と呟いた私に、またもや、大阪の事務所のM子さんから電話、「お疲れさまでーす。ところで、小樽のNさんとのお約束覚えていますよね」「ええ・・・それって、いつやった?」「金曜日の朝10時30分です」「その時間やったら、大阪に帰らんと、今日のうちに行かなあかんなあ」「こうなったら、とことん、台風とランデブーですね」M子さんからの電話は、そこで切れましたが、さてさて、どうやって北海道に行くべきか。まさか、台風で遅れぱなしの新幹線と特急電車に乗り続けるわけにもいきませんし・・・お願いやから、飛行機飛んでくれー・・・
2005.09.08
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ポロリポロリ二人が生活を始めたのは5年前だった。今と同じボロボロのアパートだった。最初は、二人とも大学生だった。そのうち、その子が卒業して、OLになった。キレイ好きのその子は、仕事が終わって疲れていても暇さえあれば部屋の掃除をしていた。相変わらず収入がほとんどない学生の卓志は、文学博士を目指すと言って、暇さえあれば本を読んでいた。「ひらめいた」と言ったかと思うとパソコンに向かう卓司は、3時間も4時間も、飲まず食わずでパチパチやっていた。一番長い時間は13時間だった。どうして分かるかと言うと、その子が夕飯の支度を終えて「さあ、食べよか」と言ったが早いか、卓志が、「ひらめいた」と言うのが早いかだった。ほっかほっかのご飯とおかずに見向きもせず夕方の5時から翌朝の6時まで、卓志は座りっぱなしだった。そんな卓司が「おい、夕飯食べよ」と言った時、窓の外では向かいのお父さんがラジオ体操をしていた。「あなたの腹時計は、電池切れね」と待ちきれずに寝てしまった布団の中から、その子は呆れて言ったのだった。そんな調子で一文の得にもならない原稿ばかり書いている卓志を横目にその子は、「もう、どうして、私たちって、こんななの」とヒステリーを起こしてばかりいた。その子は、どこかのカップルのように、腕を組んで街を歩きたかった。早くボロボロのアパートから出たかった。ある日、そんな生活に疲れたその子が、「もう、別れましょう」と卓志に漏らした。「うーん、でも、俺は君のこと好きだよ。君が幸せになるなら、それもいいかな」と平然と言って、卓志は、またパソコンに向かった。「私のことよりも、あなたは勉強の方が大事なのよね」パチパチと原稿を作っている卓志を後目に、その子は荷造りを始めた。その時である。その子は猛烈な吐き気を感じた・・・「おい、どうした?」さすがに、その子の異変に気づいた卓司は、洗面台で苦しむその子の背中をさすった。少し持ち直したその子は「そんな気がしたのよね」と、諦め顔で笑いながら、卓司の顔を見た。卓司の目が真っ赤だった。涙の跡もあった。「あなた、泣いてたの・・・私が別れようと言ったから・・・ハッハハ・・元気だせよ。あなた、もうすぐ、パパよ」と言ったその子は、「ええ、俺が、パパか・・」と半信半疑の表情で、キョトンとしている卓司が愛おしいと思った。そんな二人が、ボロボロのアパートが出るときが来た。卓司がD大学の助教授として招かれることになったのだ。今日からは、大学の職員寮に入る。上等とは言えないが、まずまずの生活ができるのだ。でも、キレイ好きのその子は、何にも無くなったアパートの部屋を拭き掃除をしていた。「おい、迎えの車が来たぞ」生まれたばっかりの赤ちゃんを抱いた卓司がやってきた。「ねえ、あなた、ここの所にあなた座ってパチパチやってたのよね。私がヒステリー起こしても、我慢して我慢してやってたのよね。そのおかげで、私たち、きれいなお家に移れるのよね・・・」あんなに出たくて出たくて仕方がなかった部屋なのに、ずっとずっと拭き掃除してもいい、そう思ったその子の目から涙がポロリポロリと落ちた・・・
2005.09.07
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男女混合リレー中学1年生の浩輔は同じクラスのユミに憧れていた。浩輔のユミへの気持ちは一目惚れではなくジワジワと来た。1学期の頃は、別の女の子が好きだった。目が大きくてテレビに出てくるアイドルのような可愛い女の子だった。そんな浩輔が、ずっと近くに座っていたユミへの気持ちに気づき始めたのは、秋の運動会も間近な美術の時間だった。彫刻刀で、板に細工をする課題だった。浩輔が、ふと見ると不器用そうに板に掘っているユミがいた。あぶなっかしいなあ・・・ケガしないかなあ・・・と思った浩輔は、「おい、そんなやり方するとケガするぞ」と言ったのだった。「うん、気をつけるから大丈夫」とユミは言ったが、その授業時間中、浩輔はユミの動きが気になって仕方なかった。学校からの下校途中、「おまえ、ユミの方ばかり見てたなあ」と浩輔は同じクラスの男の子にからかわれたりもした。それから、しばらくして運動会があった。浩輔の通う中学校の運動会のメインレースはクラス対抗男女混合リレーだった。男子3人女子3人の各クラス代表が、男女交互に200メートル走り勝負を決めるレースだ。陸上部で、クラスでも一番足の速い浩輔はアンカーに選ばれた。浩輔の前に走るのが、ユミだった。レースが始まった。各クラスからヤンヤの応援が聞こえる。前の4人が頑張って、一番でユミにバトンが渡された。ユミも、なかなか足が速くて、どうやら一番で浩輔にバトンが渡されそうだ。と、浩輔が思った瞬間、あと数メートルでバトンタッチのところだった「あっ」と叫び声をあげたユミが転倒した。すぐに立ちあがったユミだが、3人に抜かれた。「ごめんなさい」と泣きそうな顔のユミは、浩輔にバトンを渡した。「任せろ」浩輔は、ユミからバトンを受け取ってすぐに一人抜いて、中間地点で、もう一人抜いた。あと一人と並んだ。浩輔の脳裏にユミの泣きそうな顔が浮かんだ。「こんちくしょー」浩輔は、ゴール直前で、最後の一人を抜いて一等賞になった。喜ぶ間もなくゴールしてすぐ、浩輔は足に痙攣を起こして歩けなくなった。死にもの狂いで走った結果だった。担架に乗せられ保健室に運ばれる浩輔は、他のメンバーや担任の先生から「よー頑張った!!」と、矢継ぎ早の歓声を浴びた。でも、浩輔は誰が何と言ったか分からなかった。と言うのも担架の上に横になると、どうやら頭が酸欠状態なのか、目も耳も砂の嵐になってしまった。が、そんな状態の中でも、「ありがとう」と言うユミの声だけは浩輔の耳にしっかりと届いたのだった。
2005.09.06
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縁と絆両親が幼い頃に離婚して孤独な女の子、美里。そんな美里が16才になったある日、毎晩、酔っぱらってばかりいる母親に言った、「お父さんと離婚してから、お母さんはお酒ばっかり、お酒飲んで、お父さんの悪口ばっかり言ってるお母さんなんて大キライ」「じゃあ、そのお父さんの所に行ったら、フフフ」「何よ、その笑いは…」「言わないでやろうと思ってたんだけどね。私のことバカにするオマエにも疲れたよ。いいかい、アイツは種なし。おまえは対外受精児なんだよ」頭の中が真っ白になるくらいに驚いた美里は、「じゃあ、私の本当のお父さんは誰?」「知るもんか…あれは匿名が原則になっているからね」それから、美里は自分の本当の父親は誰かと探し始めた。しかし、産まれた病院や当時担当だった医師にも聞いたが匿名であったため手がかりすらつかめなかった。それから…そんな美里も25才、将来を誓い合った恋人もいるようになった。職業は看護士を選んだ。自分と同じ境遇の子供のためにいつか役に立ちたいと思ったからだ。そんな彼女が川端という60才くらいの中年紳士の担当になった。もうガンで余命いくばくもない彼だが、たった一つ心残りがあると言う。「自分の子供が一人でいいから欲しかった…自分の遺伝子が、このまま、この世から亡くなると思うと胸が詰まる…」彼は涙を流した。そして、彼は、「看護士さん、内緒なんだがね…若い頃、一度だけ、病院に精子を提供したことがあるんだ。もし、無事、産まれたら、あなたくらいの年頃かもしれないね」「川端さん、私にも秘密があります。私は体外受精で産まれた子なんです」よく聞くと、どうやら川端が精子を預けた病院は美里の生まれた町の近くだった。ひょっとしたらと思った美里はDNA鑑定を頼んだ。鑑定結果は99.87%。ほぼ確実に親子という結果が出た。美里が調査結果を知らせに来た時、川端はやっと話ができる程度まで衰弱していた。彼は微笑んで「生きる希望がうまれたよ」と言った。これが彼の最期の言葉だった。
2005.09.06
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キッスの嵐たしか9月10日だった。私は変な夢を見た。・・・疲れてベッドに寝込んだ私は、数人の女性からキッスの嵐を受けていた。「頼むから寝かせてくれよ」とでも言っていたかも知れない。そこへ、かつて私が知り合った数人の男性たちがやってきた。かれらは、屈託のない笑顔で、私に対応してくれた。しかし、彼らの服装が変だった。全員軍服をビシっと決めていたのだ。中には、敬礼する者もいた・・・米国の同時テロが行われたのは、その翌日だった。私がニューヨークに行ったのは、ちょうど15年前だった。まだまだ、若い頃だった。添乗員なしのツアーで、一週間ほどマジソンスクエアガーデンの前にあるペンタホテルに泊まった。ちなみに、このホテルはかつてベニーグッドマンというJAZZの名手が下積み時代演奏していたホテルだそうだ。ご興味のある方は、1955年の映画「ベニーグッドマン物語」をご覧ください。音楽好きの方なら、感激する映画だと思います。さて、当時の私が、エンパイアステートビルや自由の女神を見た後、50ドルでヘリコプターに乗せてもらい、「あの大きいビルは?」とパイロットに聞いたのが、テロ攻撃を受けた貿易センタービルだった。翌朝、私は、地下鉄を利用して貿易センタービルに行った。たまたま行った日が日曜日だったせいか、街は閑散としていた。貿易センタービルの入口も、閉まっていた。それでも、せっかく来たからには中を見たい私は、地下階段を降りてビルに入った。地階は真っ暗だった。勇気を出して進んで行くと、生温かい空気だった。声も音もない。が、妙な気配を感じた。すると、足が柔らかい物を踏んだ。「あれ」と思わず叫んだ私が見たのは、そのホール一杯に無数に寝ころんでいるホームレスの集団だった。キラキラ光る目が、いっせいに私を見た。でも、怖いと言う感覚はなかった。どちらかと言うと魂の抜け殻のような人に見られて、数ばかり多くても威圧感は全く感じなかった。そんなホールを何とか通り抜けて、貿易センタービルの1階フロア?に入ったが、ガードマンに「ホリデー(休日)」と言われ、体よく摘み出されてしまった。それでも、映画で見たようなホールの雰囲気や外観は微かに記憶に残っている。おそらく、普通に貿易センタービルを見学する人は、平日に行くだろう。それに、地下から入ることもないだろうし、平日の昼間、あそこに寝ている人もいないだろう。ただ、100階を超える超大国アメリカの象徴のようなビルとその地下に眠るホームレスたちは、いわゆるアメリカのサクセスストーリーとは対照的に、ただ生きるだけで精一杯の人々が存在する貴重な現実を教えてくれた。それから、アメリカでの成功者の活躍が華やかであればあるほど、私は影の部分が気になって仕方がなかった。それにしても、夢の中で私にキッスをしていた女性たちは誰だろう。そして、どうして彼らは軍服を着ていたのだろう・・・
2005.09.05
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生きる勇気「戦争が終わった時には、生きてることが罪に思えたよ」重蔵は、そう言って笑った。当時の若者は、お国の為に死ぬことが、最高に幸せだと思ってた。教育が、死を美化していた。人間は、所詮、環境に流されて生きて行くしかない生き物だった。戦争が終わり、死ぬことができないと分かった時、自殺しかないと思った若者は重蔵だけではなかった。重蔵は、終戦を聞いてから所属していた軍隊を一人離れ港から、とぼとぼと、ただただ歩いて浜辺に来た。「よーし、ここで死ぬんだ」と重蔵が短刀を振り上げた時だった・・・「おっちゃん」黄色い声が重蔵に耳をつんざいた。どうして、止めるんだと声にならない叫びが心の中に響き渡った。生きてて何になる、そう自分自身に言い聞かせて、今一度、短刀を振り上げた。「おっちゃん」また、黄色い声がした。重蔵が仕方なしに振り返ると、3才か4才くらいの少女が立っていた。おそらく、このあたりの漁村の子供だろう。「何か用か?」と重蔵が訊くと、少女は、「お腹すいたんじゃないの・・・うちにおいでよ」と重蔵の手を引いて、少女は引っ張るように小さな家に連れて行った「これ、私の家なの」中から、母親らしき人が出てきた。「兵隊さん、お疲れのようだね。うちの子が面倒かけたかな」「いや、そんなこと・・」「よかったら、中に入って、休憩してください。こんなボロ家ですが、一休みくらいできますし」・・・浜辺で遊ぶ少女を見ながら、重蔵は、その女と話した。その女は恵子と言って、重蔵と同い年の30才だった。「戦争、終わったそうですね」「らしいが・・・私の中では、まだ・・・」「死ぬ気ですか?」「どうして、それが・・」「分かりますよ。先月特攻隊で死んだと聞いた夫も、そんな顔して出征して行きました」「お気持ち察します」「男の人は、勝手だよね・・自分たちだけカッコつけて死ぬんだって。後に残された女房と子供のこと考えてるのかねえ」「その為に死ぬのだ。国を守るとは、そう言うことだ」「だったら、生きて守ってくれたら、もっと良いのに・・・死ぬぞって思うから死ぬんですよ。その方が楽なんですよ。生きることの方が、もっと勇気がいるし、大変なのに」・・・重蔵は、話しているうちに、恵子に惚れてしまったようだった。こんな可愛い子供とまだまだ若い妻を残して死ぬなんて、バカな男もいたもんだと少しずつ思い始めていた。その日は、そのまま別れて、何とか実家に帰った重蔵は、どうしても、恵子のことが忘れられなかった。そして、数ヶ月後、重蔵は恵子を訪ねてきた。貧しい母と子が、ただでさえ食糧難だった時代を生きて行くのは大変だ。自分で良ければ、あの母と子の力になろう・・・そう心に誓って、重蔵はやってきた。「こんにちは」「ああ、おっちゃん」最初に出てきたのは、あの少女だった。「元気だったか」と重蔵が言うと、家の中から、恵子が出てきた「あら、いらっしゃい」「いや、あの時は、どうも」「いいえ・・・元気になりましたか」「おかげ様で・・・」「今日は、何か・・・」「実は、あなたたち二人の・・・」と言いかけた時、家の奥の方から「おーい、誰か来たのか」と言う男の人の声がした。ニューッと、髭の濃い逞しそうな男性が現れた「どなたかな?」恵子は、重蔵の顔を見て少し恥ずかしそうに「この人、主人です。死んだと聞いた主人です。この人、私と娘のことが思い出されて、死にきれなかったって帰って来たんです」と言った。その瞬間、失恋に気づいた重蔵だったが、全然悲しくなかった。ただ、その時の恵子の目がキラキラ光って、とてもキレイだったことだけが、いつまでも心に残ったそうだ。
2005.09.04
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姉ちゃん「え、姉ちゃんが帰ってくるの」光雄は、思わず笑みが漏れそうになるのを必死に堪えた。光雄の姉の好子は、3年前に結婚して実家を出て行った。が、どうも、性格の不一致とやらで、離婚することになったらしい。光雄と好子は、3才違いの兄弟だが、血のつながりはない。光雄の母と好子の父が、連れ合いに先立たれ見合い結婚して、二人は兄弟になった。光雄が小学校5年生で、好子が中学2年生だった。あれから15年たった。好子は29になり、光雄は26になっていた。好子は男勝りの気の強い女で、気が弱くガリガリに痩せている光雄とは、男と女を入れ替えた方が良いくらいだ。そんな二人でも、お互いに微妙な年齢で、一つ屋根の下に住み始めたせいで、意識してはいけないと思えば思うほど、ずっと秘かにひかれ合っていた。・・・たしか、好子の結婚式の前日だった。「姉ちゃん、嫁行くんだよな」と光雄が言うと、好子は「そうだよ。家にいても仕方ないしね」「そう言えば、俺たちって血のつながりなかったんだよね」「ハハッハ・・・忘れてたけど、結婚してもいいわけね」「そうなんだ。モラルの問題はあるけど」「何かの縁かもね。もうちょっと筋肉が付けば、寝てやっても良かったけどね」好子は、意味深な言葉を残して嫁に行ったのだった・・・好子は実家に帰ってきてから1ヶ月は、ただボケーッとしているだけで抜け殻のような顔して暮らしていた。たぶん、さすがの好子もショックだったのだろう。そんな好子が風呂からあがってタオル一枚で出てきた時、たまたま仕事から帰った光雄とはち合わせした。光雄の目は、好子の胸の谷間に釘付けになった。好子は、光雄の顔を覗き込むようにして言った「姉ちゃん・・・」「私って、女だったのよね」「・・・」光雄は返す言葉もなく、逃げるように自分の部屋に入った。好子が、元気になり始めたのは、そんなちょっとした出来事からだった。
2005.09.03
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約束裁判所の入口で立て札の横に座っている初老の紳士は、この一週間ずっと座り込みを続けている。彼は息子の無罪を信じ切っているのだ。「甘やかして育てた私が悪いのです。努ちゃんは無罪です」初老の紳士は、そう証言した。しかし、岩田努が有罪なのは、動かすことのできない事実だった。皮肉なことに、担当裁判官山崎友梨も、5年前、努を見かけたことがあった。当時まだ、大学生だった友梨は札幌に一人旅に出かけた。たぶん、猛勉強の合間の気分転換だったはずだ。その道中、特急北斗の車中で、たまたま隣りに居合わせたのが、努と恋人の葉子だった。ふたりは、一目もはばからず、キスをしたり抱き合ったりしていた。友梨は、そんな二人の様子を見て見ぬふりしながら、旅行カバンの中から引っぱり出したノートを読んでいた。冷静な顔で、ノートに目を通してはいるが、友梨も若い娘には違いない。時々、チラチラと横目で、二人の様子をかいま見たりしていた。札幌に近づいた頃、そんな二人の親密な会話が聞こえてきたのだ「5年たって、気持ちが変わらなかったら結婚しよう」努は、葉子に語り「うん」と葉子は頷いていた。まさか、あの男と法廷で出会うとは、夢にも思わなかった友梨だった。努はカッと来る性格で、酔ってケンカをして相手に大けがを負わせてしまったのだ。しかも、以前にも、同じようなことをやって、執行猶予中なのだ。執行猶予中の犯罪だから今度は、懲役刑に服してもらわねばならない。しかし、もし、努が、あの葉子との約束を守るつもりでいたのなら、最低でも3年間は、努と葉子は一緒に暮らせない。友梨は上席裁判官に、「過去に出会ったことがある人なので・・・」と理由を話し、担当からはずしてもらうよう話したが、上席裁判官は笑いながら、「ハハッハ・・・そんな状況なら向こうは覚えていないだろうし、他人の空似ってこともあるし・・・担当をはずすほどじゃないね」と、取り合ってくれなかった。さて、判決の日が来た。予定通り、友梨は、努に懲役3年を言い渡した。友梨の目には傍聴席で泣き崩れる努の父の姿が目に入った。だが、あの葉子はいなかった。5年も過ぎたのだ。たぶん、別れてしまったのかもしれない。少しホッとした友梨だった。その日の残務処理を終えて、友梨は裁判所の外に出た。今日の友梨は輝いていた。婚約者とのデートの日だったのだ。すれ違う職員たちが、薄化粧の友梨に目を見張った。修学旅行の小学生だろう。裁判所の前で、ガヤガヤやっていた。そんな中をかきわけ門のところまで出てきた友梨の目に、まだ座り込んでいる努の父が映った。一瞬目が合った。さっと、目をそらした友梨とすれ違うようにやってきた女性がいた、「お父さん、もう帰りましょう」と言う女性の声が聞こえた。友梨が振り返ると、そこには、あの葉子が努の父に寄り添うように立っていた。
2005.09.02
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正義の味方知り合いが経営しているホテルの喫茶室で、ノートパソコンに向かっていると、「よお」と威勢良く手を挙げて、初老のオジサンが入ってきた。若いウエイトレスが、パーッとオジサンの周りに群がった。「誰?あの人」と聞くと、「ああ、山さんね」「山さんって?」「この町の古くからある旅館の息子さんなんだけどね。旅館の仕事は、奥さんに任せっきりで、市会議員をやってるの。何の得にもならない仕事ばっかり一生懸命やってる。正義の味方」「へえ・・・」・・・「わざわざ来ていただかなくても、こちらから出前に伺いますわ」そうウエイトレスにふっかけられると山さんは、「いやあ、今日は透析の日やったから来てもらってもなあ・・・」と言って、豪快に笑った。聞くところによると、山さんは、腎臓が悪くて二日に一度は透析を受けているそうだ。「ほんまに、何とかなりますか?」山さんを訪ねて、若い女の子がやってきた。ほんの数分後、たちの悪いチンピラ風の男がやってきた。男は、いきなり突っかかった「おい、その女は、われの女じゃあ。邪魔せんどいてや」山さんは、笑みをたたえながら少しも動ぜず「まあ、兄さん、座れや」男が仕方なく座ると、山さんは「この子は、わしの娘や。手を出すんやないで」男は、カアーッとなって立ち上がった「ウソつくな・・・」「ほんまや・・・あんた、どこの組や?」「S会や・・それが、どうした」山さんは、携帯電話を取り出し「ああ・・・組長さんかい、久しぶりやな・・・・・と言うわけや。この子、ワシの娘ってことでよろしいなあ・・・兄さん、おたくの組長や」と言って、男に携帯電話を手渡す。男は信じられないと言う顔で、携帯を耳にあてると、組長に怒鳴られたと見えて、急に態度が小さくなった。そして、申し訳なさそうに、携帯を山さんに渡すと「おじゃましました」と言うと、小走りで逃げるように消えてしまった。女の子は、手を合わせて「ありがとうございます。感謝します」と涙を流しながら、山さんに何度も何度も頭を下げて帰って行った。女の子が見えなくなってから、山さんはお腹に手をあてると、かなり痛むのか顔を歪めながら、こっちを向くと「ああ、怖かったなあ・・・殺されるかと思った・・」と呻きながらニヤリと笑った。
2005.09.01
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