空腹ラッコの雑記帳
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ちょうど1年前の2月5日は、私にとって心の片隅を覆いつつあった霧が晴れた日でした。 一人の「作曲家」がクラシックという分野では考えられないような賞賛を浴びている。異論も見かけるが、そのような意見の多くに罵詈雑言が殺到する。テレビ番組の放映、新作の紹介、新曲やCDへの高評価…、ステップを一つ上がるたびに、勝ち誇り、批判者を罵倒する書き込みが連なる。そして、この渦は聴き手だけでなく、この業界の重鎮や論客達も巻き込まれ、いや彼らはむしろ中で踊り、どんどん渦を大きくしている。 異様としか言いようがなく、私の好きな世界で何かおかしなことが起きつつあるという不気味さが心から離れませんでした。本物のはずがない、だが時々耳に入る「技法の確かさ」への評価は何なのか。理解を超えるものに接して、自分の信念への疑いが霧の厚みを増していました。 1年前、ゴーストライターの存在が明らかにされ、謎は解けました。渦を起こしていた人達は様々な釈明とともになりを潜め、なかったことにしようとしており、風化が始まっています。 私が例の曲を部分的に耳にしたのは事件の後でした。印象を一言にすると「恥ずかしい」。世界へなどという声もありましたが、とんでもない。そんな事が起きれば日本の恥さらしもいいところだと思いました。既存の曲のパッチワークであることは、博識とは縁遠い私でも分かりました。 最終部分が交響曲第3番と酷似していることが名高いマーラー、随所に顔を出すショスタコーヴィチだけでなく、シベリウスの交響曲第1番、ドビュッシーの海、ムソルグスキーの展覧会の絵…、聴いたことがある曲の断片が次々と飛び込み、そのたびに身を縮めたくなるような居たたまれなさを覚えました。ちょうど、映画「宇宙からのメッセージ」でショスタコーヴィチの第5の劣化コピーに出会ったとき、あるいは某歌手が旋律をホルストから借用したデビュー曲「ジュピター」(2003)の歌詞に注目したときのいたたまれなさを、何度となく経験させられるのです。終わったときには妙な疲労感を覚えつつ、画面の大喝采を唖然とした思いで眺めておりました。 ゴーストライターの方は、かくも模写満載の音楽をどんな理由で作ってしまったのでしょうか。プロである以上オリジナリティーの意識を欠くことはないはずです。そして、1時間以上の曲を書き上げる労力は並大抵のものではありません。なぜ、それだけの労力を、このような作業に費やしたのでしょうか。 たどり着いた答は、「公開など考えていなかった」でした。「作曲家」から「設計図」という名の落書きや、おそらく口頭で伝えられたイメージを音にすればどうなるかを、「彼」に教える、それが目的だった。ゴースト氏が想定した聴衆は「彼」一人だった。それが私なりの解釈でした。 ところが、借り物の作品を抱えた「彼」の世界は、様々な思惑を巻き込んで途方もなく膨張してゆきました。それは、数多くの関係者が積極的に「彼」の支持を表明し、曲の再現と普及に情熱を燃やしたからでしょう。 なぜ、古今の曲に通じた「プロ」の面々が、この模倣物を支えたのでしょうか。賞賛の評価を寄せた人達もそうですが、オーケストラの熱演も印象的でした。やはり、めったに現れないスターを盛りたて、クラシック界に訪れた数少ないチャンスを活かすために、当然の疑問を封じたというのが理由なのかもしれません。 そう考えれば、流布している賞賛のコメントにも、一応は逃げ道が用意されていたように見えます。「無駄な音は一つもない」という評価も、「年月の濾過に耐えた既存の作品からの借用」を暗示していると解釈すれば、嘘とは言えません。「パスティーシュ」なるジャンルを持ち出したCD解説からも、少なくとも「模倣」に満ちていることが分かっていることは読み取れます。残念なことに、本人の作曲ですらなかったという衝撃の前に、この程度のバリアは通用しなかったようですが。 渦を起こしていた人達はともかく、今気になるのは、渦に巻き込まれて英雄に熱狂していた人達のその後です。催眠術が解けたあと、クラシック音楽との接点は触れたくない過去になり、戻ってくる気持ちにはなれないかもしれません。多少の難点を直視せず、得難いチャンスを育てようとした業界の企ては、結局荒れ地を残しただけの結果に終わってしまうのでしょうか。
2015/02/05