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長野県内でも健康被害が広がっているアスベスト対策で、日本共産党としての緊急の申し入れを行なった。申し入れ先は、長野労働局、長野県、長野市の関係当局。申し入れ参加者は、日本共産党長野県委員会アスベスト対策本部長の中野早苗さん、前衆議院議員の木島日出夫さん、高村京子県議と私、宮崎利幸長野市議、阿部孝二長野市議、伊藤まゆみ牟礼村議。 今から30年前の1976年、長野市の平和石綿工業や日本機材工業で石綿じん肺患者が発生し、死者もでている中で、日本共産党長野県委員会は企業と労働基準曲に対策の強化を求めて申し入れを行なっている。また、あくまで企業責任を認めようとしない会社側を相手取って、長野市川中島にあった平和石綿の労働者や遺族が起こした裁判闘争を地域の皆さんが作った「支援する会」とともに支援した。 当時の記録によれば、1976年8月9日に日本共産党国会議員団の塚田大願国会議員らがこの問題で長野市に調査に入り、労働基準局への申し入れも行っている。その時の労働基準局の説明によれば、平和石綿では昭和39年からの12年間でじん肺患者が27名、死者5名、日本機材では昭和36年からの認定患者47名、死者2名の痛ましい被害がすでに出ていた。にもかかわらず、「職員が少なくて手がまわらない。」とする労働基準局に対し、日本共産党議員団は、必要な人員の確保や指導・監督の強化を申し入れた。 しかも、この年、1976年の5月に旧労働省はアスベストの健康障害予防対策に関する「通達」を出している。そこには、周辺住民や家族への被害もふれられていた。にもかかわらず、すでにヨーロッパなどで深刻な健康被害の原因となっていることが明らかなアスベストの使用中止が始まった70年代に、日本は大量輸入し、その後数十年にわたって使い続けたのだから、これは、あの「薬害エイズ」と同じ、全くの国家犯罪だと言える。 1982年6月16日付の「じん肺被害者を支援する会ニュース」には、昭和45年7月15日付で平和石綿工業と地元住民が結んだ協定書が紹介されていて、「騒音および粉塵の防止」が盛り込まれている。「海苔を巻いたおにぎりが石綿のホコリで真っ白になってしまう。」と訴えた住民の衝撃の声も紹介されている。 その後、平和石綿じん肺訴訟は10年かかって、原告の訴えを一部認める判決となり、企業の責任を認め、原告に損害賠償が行なわれましたが、国の責任は免訴しました。判決を受けて行なわれた労働基準局への申し入れの際、「重大な健康被害の再発を防止するため、国レベルで専門委員会をおいて対応するよう国に報告する。」と答えていた点について、今日の申し入れで木島さんが、当時の報告はどのように国にされたのか、その後の対応はどうだったのかを何度も訪ねた。 長野労働局の説明によると、当時の内容は文書で国に報告されており、平和石綿じん肺訴訟に関する文書は現在も長野労働局にダンボール9箱保管されているとのこと。 聞けば聞くほど、無念の思いが胸にあふれる。それからの20年間、なぜ、事態は遅々として進まなかったのか? この時、国の責任があいまいにされたことが、発がん性が特に強いとされる青石綿、茶石綿の使用も95年まで放置してきたこと、主な石綿製品の原則使用禁止措置がとられたのは昨年だったことなど、その後の被害を広げる結果になったと思われる。安全対策も不充分なまま、大量の石綿の製造と使用を続けてきた企業と、危険性を認識しながら長期にわたって使用を容認してきた政府の責任は重大だ。 申し入れの中で、アスベスト取り扱い事業所を過去にさかのぼって公表することについて、長野労働局は、「守秘義務がある」と消極的な姿勢を見せたものの、すでに大気汚染防止法に基づいて6事業所を公表している長野県当局からの強い要請もされており、私たちの再三の申し入れに対して、「お盆前には企業への立ち入り調査を行ない、了解を得たうえで公表したい。」と述べた。 県への申し入れには、太田生活環境部長、生活環境部、衛生部、住宅部の担当課長が対応。太田生活環境部長は、「県としても、皆さんの申し入れと全く同じ方向で動いています。」と、国に対してもいっそう強力に働きかけていきたいと答え、26日には県として解体業者の皆さんへの説明会を開催し、これには業者のほかに長野市の行政担当者も出席の予定であるとのこと。 もう、これ以上、責任逃れをせずに、国の責任において、アスベスト被害の早期解決がはかられることを、私は心から願っている。
2005年07月21日
飯田合同庁舎で開かれた南信州広域連合の「高等学校改革プランに関する懇談会」を毛利議員、大池事務局長と傍聴した。 広域連合長である飯田市長をはじめとする下伊那地方の市町村長さんや教育長さん、下伊那地方の第三通学区高校改革プラン推進委員が一同に会しての意見交換には、この地域の「地域力」とでも言う力強さを感じた。7月11日には飯田市主催の「高校改革シンポジウム」が開かれ、予定時間をはるかにオーバーする活発な議論が交わされたとのこと。 今日の懇談会では、阿智村長、泰阜村長、2名の推進委員中心に活発な意見が交わされ、副広域連合長で執行部側である下條村長も「この席にいても発言してもいいかな。」と、発言。 出された意見には、今回の県教育委員会の「たたき台」の出し方には県民の批判が強いが、経営者協会のメンバーは強く支持している。少子化の中での財政問題がこのような「たたき台」が出て来た本質なのに、県教育委員会はそれを全面に出そうとしない。財政問題も含めた率直で本質的な議論を、おとなだけの議論にしないで進めていくことが大切だ。これは阿智村長。 泰阜村長は、高校改革の提案に対する考え方を文書で提案。少人数教育がデメリットであるかどうかの教育的検討の必要性と、財政難の中で県教育委員会が提案している高校削減案による経費減と同等の経費削減で統廃合をせずに存続させる検討をするべきではないかと言うもの。 具体的には、飯田長姫高校と下伊那農業高校は距離が近いから統合と言う短絡的発想に思えるが、近いから生徒を一校に集めると言う発想ではなく、生徒はそのままで教師が移動する複数校担任制や、教頭が全校に必要かどうか、事務職員の削減はできないか、講師の活用はどうかなどの人件費削減の検討を提案している。 この考え方は、長野県高校改革プラン検討委員会の最終報告の中にも「ジョイント高校」として選択肢の一つに挙げられており、先日私たちが調査した富山県でも4校を1校の総合高校にして、富山県の場合は4校の校舎はそのまま残し、校長も4校に1名づつ置き、事務長を1名にして事務部門を合理化していた。様々な形の検討は可能だと思う。 地域の実情に沿った改革案を検討するためにも、「置くことができる」とされている部会の設置を望む声が今日の懇談会でも強かった。しかし、先日のだ雄三通学区推進委員会では、部会の設置をくりかえし主張する推進委員に対し、「魅力ある高校作りの議論が進んだ上で設置することが望ましい。」と言う委員長の意見で部会設置は先送りされている。 今日の懇談会では、「委員長が部会の設置を拒むのは、30人学級などの提案を恐れているからではないか。」等の意見が出された。仮にそうだとしたら、県議会の答弁でも宮沢教育委員長が繰り返し「自由闊達な議論をしてほしい。」と述べたのは、一体なんだったのだろう。30人学級もタブーにせず、もちろん財政問題も率直に議論できるよう、要望の強い部会の設置を、事実上先送りしたり、拒み続けるのはいかがなものか。 懇談会の最後に、今日の意見交換を土台に、推進委員会に部会が設置されることを前提に、南信州地域としての提案をしていくことが確認された。 最後の最後に、私たちと一緒に傍聴していた地元県議が、「オブザーバーですがひと言」「こんなことになったのは、県の財政が借金だらけだからです。いったい、誰のせいでしょう。こんな田中知事の県政運営を変えなければ、いくら皆さんが話し合っても、その声は届かないんです。」とのこと。?????でも、少なくとも、こんなに借金を増やしたのは田中知事ではなく、知事が替わってから県の借金は減っているのが事実。それでも国の補助金や地方交付税が減らされて全国の地方自治体がみんな財政難に陥っている。その批判は、どうか、小泉総理に言ってほしい。 でも、その地元県議も、「話し合った意見をどんどん県へ上げていきましょう。」と締めくくったので、より良い高校改革を求める気持ちは一緒なのだと確認。 懇談会終了後、せっかくの機会なので、「たたき台」案で統廃合の対象になっている飯田長姫高校を見学。この高校を廃止して統合するとされているすぐ近くの下伊那農業高校にも行ってみた。飯田長姫高校は、甲子園での野球の活躍などでも有名。玄関前には文化祭で土木科の生徒たちが造ったと言う木製の斜張橋があり、私と毛利県議は記念に渡らせていただき、記念写真もパチリ。なかなかしっかりして安定感のある橋だった。高校生で、こんなに立派な橋を造ってしまうとは、ただただびっくり!土木科のある学校らしく、玄関もレンガ造りのなかなかしゃれたたたずまい。校舎と向かい合って建てられている同窓会の会館もしかり。この学校で学んだ卒業生の皆さんの思いが伝わってくるようだ。 この学校には、定時制の生徒も約100名が学んでいる。定時制の生徒が夕食も食べる食堂を見せていただき、定時制の生徒たちのためにも、この高校は残してほしい、と強く思った。通学区ごとに1校の単位制・多部制の高校をつくって、現在ある定時制は廃止の方向が出されているが、この学校に通っている定時制の生徒たちに、上伊那郡箕輪町まで通いなさいと言うのは、とてもひどすぎる。 確かに下伊那農業高校とは目と鼻の先。下伊那農業高校のほうが敷地が広いと言うことらしい。しかし、懇談会で泰阜村の村長さんが言っていたように、ただ近いと言うだけで、機械的に2校を1校にしてもよいのだろうか。私には、県教育委員会が提案した「たたき台」はとても乱暴な案に思えてならない。
2005年07月19日
昭和初期、治安維持法による弾圧かで捕えられ、24歳の短い生涯を閉じた諏訪氏出身の伊藤千代子の生誕100年を記念する講演会が諏訪市文化センターで開かれ、大好きな澤地久枝さんの講演をききたくて参加した。(くわしいことはあとで・・・)
2005年07月17日
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