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私は、自分が躁うつ病だとは思っていない。確かに、10数年前に深刻な自律神経失調症でどん底に落ちたことはあったが、「躁」と言われたことはなかったし、今もない。先週はかなり過酷な疲労に苦しんだが、今週はましな方だと思っていた。ところが…、夕刻、立て続けに「疲れてますね」と言われてしまう。学生時代の後輩 S下氏と久々にお目にかかったら、開口一番「ヤマダさん、お疲れのようですね」と言われ(本当は、過労で苦しんでいる彼を激励に行ったはずだったのだが)、さらにサンダビーダ要塞では、私の後姿を見た大先輩の H中氏に背後から「ヤマダ君、疲れてるんじゃない? 肩が落ちてるもん。ダメだよ無理しちゃ!」と声をかけられる。げげ~、自分が自覚する以上に、周囲から疲労を見抜かれている。元気でいるつもりなのは自分だけ…とすると、「躁」なのか? うわ、危険じゃん!確かに、かなり壊れていることは分かっている。錯綜したスケジュールになっていることを分かっていながら、きちんと交通整理できていない。挙句の果てには、自分がすでに夕食を済ませたことを忘れて、コンビニに立ち寄ってしまう…。痴呆症かアルツハイマー病か、あるいは更年期か? と、いぶかってしまうぞな、もし。クライシスか、はたまたカオスか、カタストロフィーか…? まぁもっとも、開けてしまったパンドラの箱の底にも「希望」が残っていたというから、「負けない」ことだけは確信している。
2007.01.31
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昨日から、カタツムリのようなスピードでの読書は続く。読まないよりは、一歩前進か。・F.カニンガム(中谷ほか訳)『民主政の諸理論』(御茶の水書房、2004年)の9章「審議民主政」。・C.ムフ(千葉ほか訳)『政治的なるものの再興』(日本経済評論社、1998年)の5章「フェミニズム、シティズンシップ、ラディカル・デモクラシーの政治」(拙訳)。・John S. Dryzek, "Introduction: The Deliberative Turn in Democratic Theory", in Deliberative Democracy and Beyond (Oxford: Oxford U.P., 2000).ムフの5章は自分が訳した箇所だが、Pateman 教授の翻訳の仕事とも関わる章だ。それにしても、翻訳で読んで分かるもの、原文で読まなければ分からないもの、読み易い原文、読むと居眠りしそうになる原文…もろもろである。
2007.01.31
50分間の、学年末試験の試験監督。半期もの科目を、前期と後期とで開講しているので、基本的な出題はそうそう大きく変わるものではない。が、若干のマイナーチェンジはしているし、ただの「ワンパターン」ではなく、理解して欲しい点はやはり理解して欲しいから出題するのだ。それにしても、授業中に、試験に関する注意事項はすべて言っているはずなのだが、聞き漏らしたか、欠席したか、必ずしも周知されているとは限らない。私の科目では今回、「手書きの自筆ノートのみ持ち込み可」という条件とし、今日もわざわざ黒板に書いた。これは要するに、自分でペンだこを作って腕の筋肉を動かして書いたノート以外は持ち込めない、という意味だ。本や、授業中に配布したプリント類、さらには(たとえ手書きであろうと)コピーしたものや、パソコンで作成してプリントアウトした「自筆」ノートは、すべて「印刷物」であって「手書きの自筆ノート」とは言えない。そこに、どんなに自分で書き込みをしていてもだ。残念ながら、そこを分かっていない学生がいた。私が授業中に配布したプリントに、びっしり書き込みをして持ち込んでいたのだ。可哀想とは思ったが、それはルール違反になるので使用禁止にした。試験当日になって初めてそうした指示を出したのであれば、学生側から不平不満も出るだろうが、私はすでに授業中に注意を促していたのであって、その1人だけを許せばかえってフェアな試験ではなくなる。他方、種々の事情でなかなか授業に出ていなかった学生を、救うかどうかということも、大体この時期になると問われる、というか頼まれる。本来、私たちは学生たちを教育・訓練する責任は負うが、救わなければならない義務はない。だから、出席の足りない学生に対して救済措置を講ずることを拒否したからといって、それは不当ではない(学生の側が、それを「不当だ」として裁判で訴えたとしても、勝利するのは私の側だろう)。しかし、一律に「救わない」の一点張りで押し通すのもまた、リーズナブルとは言えないから難しいところだ――。
2007.01.31
年末の渡英の前に散髪して以来、約1ヶ月半。くせ毛のため、伸びると爆発して収集のつかない頭髪なのだが、ようやく今日、1月の晦日に、光ヶ丘の行きつけの理髪店・ロイヤルに行く。それにしても…、肩を揉んでもらったのだが、岩か鋼鉄のように硬いと言われた。こんなに指が入らない人は、今年に入ってナンバー1だと、あまり嬉しくない話であった。「これじゃ、身体がおかしくならないはずないですよねぇ」と。おっしゃる通りです…(涙)。
2007.01.31
旧ホンダクリオ東海・沼津営業所に、昨日車検に出したわがアコードワゴンを取りに行く16時40分。昨日気づいたことだが、ナンバープレートを八戸のにし続けている限り、私の車検上の住所は、八戸市柏崎6-20-4 久保田荘1号室のままなのだな。あはは。それにしても、日が長くなりつつあるように感じる。帰りは夕日を背にしていたが、見事な落日だった。スーパーで食料をせしめて、マンションに戻ると、ICU の千葉眞教授より、先日お送りした拙稿へのご丁寧なご返信が届いていて恐縮した。明日こそは、行くぞ、散髪に!
2007.01.30
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明日、私の担当科目の後期末試験がある。受講者の皆さま、単位は自分で勝ち取りましょうね~。こちらから差し上げるものじゃありませんから。それと、何度も言いましたが、「私が尋ねていること」に答えてくださいね~。「期末試験は ブロロロロ ブロロロロ ブロロロロ~ 楽勝のはずだ ギュンギュギュン 自筆ノートを ルーロルロロ 持ち込めるんだ ズババババ~ン 書けるはずだぜ キュ~ンキュン 問いは2つ バロロ~ム 単位取得は 自己責任 自分で取れよ 自己責任 いつも いつも ニコニコ 自己責任 不正行為は ブロロロロ ブロロロロ ブロロロロ~ できませんよ ギュンギュギュン 携帯電話は ルーロルロロ 電源切るんだ ズババババ~ン 発覚したら キュ~ンキュン 全試験パァよ バロロ~ム 落とした場合は 自己責任 恨みっこなしよ 自己責任 いつも いつも ニコニコ 自己責任」常人バロム2。
2007.01.30
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「ダイモス ダイモス 闘将ダイモス」「再読 再読 ドラゴン再読」・川原彰氏「ラディカル・デモクラシーとグローバル・デモクラシー」、日本政治学会編『年報政治学1999 20世紀の政治学』所収(岩波書店、1999年)。・杉田敦氏「寛容と差異――政治的アイデンティティをめぐって」、井上達夫編『〈岩波〉新・哲学講義7 自由・権力・ユートピア』所収(岩波書店、1998年)。⇒『境界線の政治学』に再録。・早川誠氏『政治の隘路』(創文社、2001年)。 次なる読書課題も多々ある。・James Bohman, Public Deliberation: Pluralism, Complexity, and Democracy (Cambridge, Mass.: The MIT Press, 1996).・John S. Dryzek, Deliberative Democracy and Beyond: Liberals, Critics, Contestations (Oxford: Oxford University Press,2000).・Amy Gutmann and Dennis Thompson, Democracy and Disagreement (Cambridge, Mass., The Belknap Press, 1996).・――, Why Deliberative Democracy? (Princeton: Princeton University Press, 2004).・Chantal Mouffe, "Deliberative Democracy or Agonistic Pluralism?", in Michael Saward ed., Democracy: Critical Concepts in Political Science, Vol. I (London: Routledge, 2007).・Diana C. Mutz, Hearing the Other Side: Deliberative versus Participatory Democracy (Cambridge: Cambridge University Press, 2006).・Iris M. Young, "Activist Challenges to Deliberative Democracy", in Saward ed., op.cit., Vol. IV.…などなど。
2007.01.30
自分に限界を感じた時、壁に行く手を阻まれたと感じる時、実はそれは、えてして、自分の弱い心が作り出した「幻影」の壁にすぎないものだ。・「限界を破ろう!」――そう決めたとき、実は自分の心の限界を、すでに一歩、破っている。その時点で、理想や目標も、半ば達成されているとさえ言ってよい。・新しき開拓に、困難と労苦が伴うのは当然である。困難といえば、すべてが困難であり、不可能といえば、いっさいが不可能である。それを突き抜ける炎のような覇気と闘争によってのみ、開拓はなされるのだ。「困難があるからできない」は敗北者!「困難があるから戦おう!」が勝利者!
2007.01.30
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「もろ刃のシュテッケン」こと、副長シュテッケン・ラドクリフ(土方歳三)と、「ロングーの虎」の異名を取るシンザーク・ハイム(高杉晋作)。二人の剣が火花を散らす。シュテッケンをして「できる男だ」と言わしめる、ロングー星(長州)の凄腕の虎である。オフツ星(長崎・出島)で胸部切開の大手術をしたばかりというのに、倒バクーフ(徳川幕府)運動のため大胆にもキョーラーク星(京都)に現れたシンザーク。強力な民兵隊(奇兵隊)を組織する天才活動家である彼は、一方では、血気にはやってプリンス・ゴーショを拉致・擁立しようとするケイ・マローン(桂小五郎)を諌める冷徹さを持ちながら、他方では、自らの体を省みず、血を吐きながら敵と剣を交える獅子でもある。無謀な計画が失敗して銀河烈風(新撰組)に敗れたケイを、危険を顧みず単身救出するシンザーク。バクーフの大勢のサムライを向こうにまわして、一人剣を振るう。敵の剣がヘルメットを割り、シンザークの額から血が流れる。その相手をなおも一刀両断にし、ヘルメットに剣が突き刺さったまま立ちつくすシンザークの姿は、凄絶だ。目の前に現れたドン・コンドール(近藤勇)らに対して、喀血の苦しみに耐えるように、なおも剣を手に唸り声を上げるシンザークは、まさに「虎」そのものである。獅子たちの群像――。(1月30日記す)
2007.01.29
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ともあれ、改めて以下の論文を読んだ。徐々に、思考の整理を始めている私。・箭内任氏「政治的言説における『他者』――シャンタル・ムフの『構成的外部』の位置づけを巡って」、政治思想学会『政治思想研究』3号(2003年5月)。・杉田敦氏「全体性・多元性・開放性――政治観念の変容と政治理論」、日本政治学会編『年報政治学1999 20世紀の政治学』(岩波書店、1999年)。杉田論文は、同氏の『境界線の政治学』(岩波書店、2005年)にも再録されている。
2007.01.29
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英国の政治学会 PSA の機関誌、Political Studies Review の Vol. 5, No. 1 (January 2007) が届く。Review とあるように、基本的に書評を中心とする号である。1年ほど前に、この雑誌のエディターに英文拙著 Democracy and Mass Society: A Japanese Debate を送り、書評を依頼したのだが…いざ見てみるとやはり書評の対象にはされていない。学問的価値を評価されないのか、それとも彼ら・彼女らの関心を惹くような内容でないのか、その辺のことは分からないが、ともあれ日本の議論を欧米圏の土俵に乗せていくには、まだまだ乗り越えなければならないハードルがあるのだろう――他方で、中国や台湾、シンガポール、インドといったアジアの国々の多くの研究者が、欧米圏で大いに活躍しているにも関わらず。
2007.01.29
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朝一番で、沼津の旧ホンダクリオ東海に行き、アコードワゴンを車検に出す。代車で出勤し、土曜日に届いていた、八重洲ブックセンターで買った研究費図書を、領収書ともども図書館に持参し、精算手続きに入る。さて、(一)(二)と出してきたマンハイム論文だが、(三)の〆切が2月2日であることを改めて思い出し、最終チェックを行ってプリントアウトした。フロッピーディスクともども、郵送準備をする。ちなみに、(二)が掲載される『政経研究』43巻4号は、2月下旬に発行予定だそうだから、手元に届くのは3月末か4月頭だろうな。(三)の掲載は、同誌の44巻1号の予定。 それにしても、みすず書房から出ていたはずのマンハイムの『現代の診断』も、またそれをも収録したマンハイム全集(全6巻、潮出版社)も、ことごとく品切れである。時事論集とは言え、彼の英国期の思考を如実に伝えるこの書の、いい邦訳は必要なはずなのだが…。
2007.01.29
今年も12分の1が過ぎ去ろうとしている――。午前中、所用を済ませて帰宅。洗濯、文献講読、仮眠、ゴミ出し、等々。暖冬だと言われ続けているが、明日は雪かもしれないとのこと。確かに夜は気温が下がってきたように感じる。そう言えば、明日は車検だ。
2007.01.28
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年末年始の英国では、うろ覚えの歌詞ながらずっと脳裏に響いていた。「Your whole world and its people your peace which men love dearly both of these may soon be gone Go! open up the window and look at the sky The invading army's there swooping out of space Enter battle now! fighters in Dyno-Mach! Take off take off take off take off Man who flies Gaiking! Blow up the Descross monster tear it apart And the great Black Hole that swallows everything We'll protect you and your future We will fight till we win We're your armor we are your spears You know we'll fight till we win」「勝つまで戦う」というのはいい内容だが、「守って見せるぞ」というのは、自分の身を守るのを他人まかせにすることを容認するようで、ちょっと違和感がないでもない…。まぁ、いいか。
2007.01.28
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ダンバインが「とぶ!」ものであり、ビルバインが「斬る!」のであれば、睡魔を乗り越えた今日の私を表現するには、さしずめ「読む!」とでもしておこうか。Iris Marion Young, Inclusion and Democracy (Oxford: Oxford University Press, 2000) の第1章 "Democracy and Justice"。数年前から、授業での教材として使用し、学生たちと読んで「熟議デモクラシー deliberative democracy」について議論してきたものだった。しかし、授業中に読み進めるスピードの問題と、限られた授業回数ゆえに、この章を最後まで読みきることはなかった。それを、今日は自分でようやく読み終えた。そして、ここ数週間悶々と考え続けたことが、ひとつ開けてきそうな光明が見えてきた。「闘技的デモクラシー agonistic democracy」モデルと「熟議デモクラシー」モデルが、必ずしも相互に排他的なものである必然性はないこと。「熟議デモクラシー」が、理性的な合意形成を重視する余り、感情とか情念とか非合理的な運動(街頭デモとか)を「civil でない」と排除する傾向性があるが、それも一種の exclusion であること。むしろ、価値多元的で相互依存的な mass society においては、多様な表現方法が認められるべきであり、それらに耳を傾ける「reasonableness」が必要であり、これこそ非暴力につながるものであること。そして、語ることは「戦い」であること。ただ、それは利益集団多元主義(あるいは「利益集積型デモクラシー」モデル)とは異なり、自身の利益なりアイデンティティなりを不動のものとは考えず、他者とのコミュニケーションの中で自己変容の可能性を受け容れるものであること。だからこそ、「聞く」という態度が大事であること。および、価値多元性や差異こそがコミュニケーションの前提であって、「討議には共通善(common good)が必要だ」とする熟議デモクラシー論には、一定の批判がなされなければならないこと――。これは、ここ数年、私がない頭で考え続けてきたことと見事に符合する。昨年逝去してしまった Young 教授が、mass society という言葉を多用していることも、別次元の問題として興味深かった。私が拙著『大衆社会とデモクラシー』(およびシェフィールド大学の Ph.D.論文)を執筆した時、常に脳裏にあって私を悩ませたのは、「ポストモダン社会」とか「ポスト工業社会」の登場によって、1980年代以降はもはや「大衆社会」ではないとされがちであったことだ。また、1990年代以降のデモクラシー論(特に、ポストモダニズムの影響を受けたそれ)は、従来の大衆社会論とはかなり異質な議論をしてきている。にもかかわらず、ここ数年の間に、mass society の諸問題を改めて論じようという著作が、多くはないものの散見されるようになってきた(例えば C. W. ミルズの再検討など)。その意味で、Young 教授が mass society という言葉をどのように理解して用いていたのかについては、すこぶる関心がある。そのことをご本人に直接尋ねる機会が永遠に失われてしまったことは、残念で仕方がない。私が英文拙著 Democracy and Mass Society: A Japanese Debate を彼女に送りつけたのは、去年の3月頃のことだったが、すでにその時に彼女は病床にあったのかもしれない。きっと読まれてはいないだろう。せめてあと2年長生きしてくださり、読んでもらい批判をいただきたかったものだ。 それはともあれ、この Inclusion and Democracy、私はすべてを読みきったわけではない。近々に書こうと思っている論文のために、すべての章を読む必要はないのだろうが、しかし第1章や第5章だけ読んで分かったつもりになることはできない。また第1章そのものも、もう一度注意深く読み返してみなければ。その意味で、この本の全体像を理解するのに有益な、五野井郁夫氏の書評論文「デモクラシーと境界を越える正義―― Iris Marion Young, Inclusion and Democracy を読む」(『相関社会科学』13号、2003年)は、有り難い存在である。
2007.01.28
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「政治的なるもの」とは、一体何なのだろう?・「皆に共通のことがら」に関心を持ち、自発的に関わることか?(公共性?)・「友」か「敵」かという、対立や抗争のことか?(「友」と「敵」の間の線引きは?)・直接・間接の暴力を伴う権力闘争のことか?(支配欲や闘争本能の問題?)・暴力を用いず、言葉で説得し合って問題解決することか?(高貴でハイレベルな営み?)・交渉や妥協を通じて、合意を形成することか?(理性が前提?)・より善き社会を実現することか?(誰にとっての、どんな「善さ」か?)・対立しあう諸々の利害を調整することか?(私的取引と変わらない?)・為政者が社会を統合し統治することか?(秩序の形成と維持?)・以上のもの以外の何物かであるのか?…ま、どれか1つが唯一正しい答えというものではなかろう。それにしても、既存の政党や政治家を好く言う人は周囲にほとんどいない。それほどの「愚か者」を、私たちは選んでいるのだろうか? 「選択肢がない」という声をきくが、なぜ選択肢がない状態が変わらないのか? 本当に選択肢がないのか? また、市民運動を経た政治家を理想視する向きもあるが、彼ら・彼女らを手放しで喜んでいいのか? これらの問いは、「なぜ民主主義でなければならないのか」という問いとも関わってくる――。
2007.01.28
暇はなし。
2007.01.27
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約1年間、東京で一緒に Iris M. Young, Inclusion and Democracy を読んだ学生2人と、新宿で飲む。卒業および大学院進学が決まっている N嶋君の、アクティヴな活動の様子を種々聞かせていただく。一方、思慮深い Y下君は、沈黙気味であった。17時に待ち合わせたのだが、気がつけば21時になっていた。いつしか都内は雨に。あわてて東京駅に向かうドラゴン山田であった。それにしても、デモクラシーと教育…困難な問題を多々含んでいる。
2007.01.26
15時、晴天の信濃町を、慶應義塾大学病院へ。入院中の友・K野氏をお見舞いに行く。1万人に1人と言われる大腸の難病で、毎年のように入退院を繰り返してきた彼。去年までは沼津の某病院だったのを、今回は思い切って替えたのだそうだが、それが功を奏したらしい。体にちゃんとあった薬を処方されたおかげで、早ければ来週の火曜日にも退院できるかも知れないとのこと。痩せてはいたが、元気そうでよかった。ただし、退院できたとしても、週に1度は上京して検査を受ける必要があるらしい。その上、飲み続ける薬に副作用があることは否めないと。別の病気を併発するようなことになっては、何にもならない。退院した後も、彼の「健康を勝ち取る戦い」は続く。だが、彼がこうした難病を乗り越えれば、同じような難病で苦しんでいる多くの人々に希望を送ることができよう。病院の11階のレストランで小1時間語り合った後、握手をしてエレベーターで別れた。
2007.01.26
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通常、うちの職場では、研究費で本を購入する場合には、買いたい本のリストを職場の図書館に提出し、そこから発注してもらい、届いたものから納品書と請求書によって精算する、という手順になっている。しかし、今年度泣かされたのは、注文した洋書がことごとく到着せず、年度が替わるまでに研究費を使い切らないのではないかという事態になったことだ。結局、発注していた2冊の洋書も年度内に届かないことが判明し、昨日の段階で、本来なら掟破りの「自分で書店で購入して、領収書で精算」にOKをいただいていたので、上京した今日は、久々の八重洲ブックセンターで、残額分を買いまくった。もっとも、当初予定していた本が店頭になく、替わりにどれを買うかによって金額が変わるので、計算に困ったが、最終的には限りなく残額に近い買い物ができた。 図書館に所蔵のものもあるが、手元においておこうと思って購入。それなりの金額になったので、シロネコヤエスの配本便で無料で送ってもらうことに。住所を「三島市」から書き始めたら、店員さんから「何県ですか?」と尋ねられてしまった。あはは(汗)。
2007.01.26
1月26日、三島、晴天。1995年と1996年のこの日は、2年連続でシェフィールドでドカ雪となったと記憶している。抽象的な「人類一般」は愛せても、身近にいる具体的な一人を大事にできないような、エセ指導者、エセ知識人になってはならない――と学生時代に聞かされた時、衝撃を受けたものだった。自分の傾向性をズバリ指摘されたような気がしたからだ。口でデモクラシーを唱えながら、周囲の人たちを「こいつら、どうしようもねぇ」と軽蔑しがちな自分だったのだから…。「人類愛を語ることは容易である。しかし、たまたま出会った見ず知らずの人の窮状を聞いて、力になることは難しい。見て見ぬふりをし、かかわりを避けてしまうのが、人の常だといってよい。小さなことのようだが、人間としての思いやりと勇気がなければ、できないことである。人類愛や世界平和といっても、そうした身近な問題に、どう対処するかから始まるといえよう。」(錦秋)
2007.01.26
訓練というのは、物事を体で覚えて、体得していくためのものである。それができていないと、頭ではわかっていても、いざという時に的確な対応ができない。――やはり「分かる」と「できる」は異なるし、「できなければ」話にならない。「将の将」とは、自分で何でもできる人間ではなく、自分より優れた能力を持つ人々を人材として自分の周りに集めることのできる人間なのだろう。すべての人材が全責任をもって、主体的に、伸び伸びと頑張れるようにしていく。それが、成長の原動力になる。足し算の戦いでなく、掛け算の戦いを…。
2007.01.25
あと30分早ければ、きれいな夕陽が見られたのに…と思いつつ、職場を出て帰宅。ポストを開けると、1葉のハガキが。エディンバラ時代のクラスメート・Cさんのご家族からであった。先日、英文拙著と、出たばかりのマンハイム論文(一)とをお送りしたのだが、それへの返礼であった。Cさんご本人は日本に住んでいない。それを承知で、一時帰国することもあろうと思い、送った。英文拙著(すなわちPh.D.)といい、マンハイム論文といい、エディンバラ時代の自分の思索がすべて淵源となっている。また、その後ロンドンに留学した Cさんには、資料収集のお手伝いもしていただいた。それにしても、名古屋のご家族が電光石火でおハガキを下さり、恐縮せざるを得ない。一流の人は、時をおかずに礼をするという。ここにもまた、一流の方がいらっしゃったか…。
2007.01.25
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いつまでも体調不良で、仕事ができないのでも始まらない。何とか再読。向山恭一氏『対話の倫理』(ナカニシヤ出版)の4章、およびシャンタル・ムフ『政治的なるものの再興』(日本経済評論社)の序章・1章。以前読んだ時と印象が異なる。分かったつもりになっていたことが、そうでないことに気づかざるを得ない。自分は一体、何を知りたいのだろう…?
2007.01.25
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朝、エディンバラのわが友・Diane からメールが。改めて送りなおした英文拙著 Democracy and Mass Society: A Japanese Debate が届いたとのことだった。"I'm very proud of you" というメッセージに、友情の有り難味を感じた。
2007.01.24
今日も、ダメ押しのような体調不良。この調子がずっと続いてしまうかと思うと、ぞっとする。活字を読むのを拒否する目がある。これは、例の神経症の再発を思わせる兆候だ――。一方、朗報もある。年来の病の再発で、東京・新宿の病院に急遽入院した、盟友・K野氏からのメールで、順調に行けば来週にも退院できるかもしれないとのことだった。ならば、私も負けていて良いはずはない!!
2007.01.24
職場でも「疲れてますね」と言われ、頭が全く回らない午後。夕刻は頭が割れそうに痛かった。困ったタヌキである。
2007.01.23
キョーラーク星から戻った翌日。朝、今年3度目の鍼灸に。調子は悪い。かなりの疲労だ。約1時間の治療の末に言われたのは、「すい臓がかなりやられている」とのことだった。食事が相当悪かったのか。暴飲暴食どころか、食事を抜いてしまうことの方が多いというのに…。今の私のコンディションでは、ことごとく魚介類はだめ、白米やビーフンはいいがお餅はだめ。まして、缶コーヒーなどもっての外、ということになるらしい。確かにここ数日、缶コーヒーは飲みすぎたか。糖分も、きびから作った砂糖以外はダメ、コーヒーもモカ以外はダメ。――この厳しい食事制限は、きちんと守らないと、これからの大事な戦いに大きな支障をきたすと覚悟する。ともかく私は、ただでさえ職場が多忙で、研究時間が断片化・極小化されている(そもそも、研究を「労働」と認識してもらえない)上に、いざ研究時間ができて文献を前にすると、疲れ切っていて睡魔に襲われてしまう。ゆえに、同年代の同業者と比較して、読書量が圧倒的に少ないはずだ。そんな状態で10年間走り続けてきたが、40歳となったこともあり、いつまでも同じパターンを力押しで乗り切ることは不可能だ。使命を果たすまでは、「死ぬのは無責任」だ!!
2007.01.23
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いつ買う? 私費で買う? 公費で買う? そして、いつ読む?
2007.01.22
疲労は深い。だが、戦いの火蓋は切って落とされた。「士郎!」「シュテッケン!」「士郎、『烈』の花火の打ち上げだ!」「はい!」サンダビーダ要塞は落とさせない!!
2007.01.22
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ドーエ星(東京)を中心とした首都圏がブルー・プラネッツ・オーシャンなら、キョーラーク星(京都)やカイサ星(大阪)のある近畿圏はイエロー・プラネッツ・オーシャン。アーウィン14世のキョーラーク星入りの護衛艦隊としてではなく、キョーラーク星へ。不二家に続いてニュースで騒ぎになった、生八橋「おたべ」はさすがに店頭から姿を消していた。キョーラーク星には、カイサ星のマルレーン財閥の娘・ソニアの姿が――。(1月22日)
2007.01.21
随分以前に、同じタイトルで日記を書いたことがある。「卑怯にして未練、未練なるは斬る!」――エルン・バイスト(清河八郎?)をバッサリ斬ったドン・コンドール(近藤勇)のセリフだ。不二家につづいて、八橋のおたべもまた、期限切れの原材料を使っていたことが発覚。それに限らない。社会のありとあらゆる面で、当たり前のことが当たり前になされないゆえに、「何でこんなことが…」ということが起こったり(飲み物への異物混入など)、何十年にも渡って「いけないこと」だと言われ続けてきていることが、慣習として延々と続いては発覚したり(官製談合など)、そんなニュースだらけである。大の大人が「申し訳ありません」と頭を下げるシーンをテレビで見ない日はほとんどないような気がする…。学校に通っている時代にルール破りをしても、「社会に出たら、そんなんじゃ通用しないぞ」と言われるのが定番だと思っていたが、事実はそうではないらしい。おかしいことを「おかしい」と言い切ったり、正しいことを貫こうとすると、「社会では、そんなんじゃ通用しない」とされてしまうのが、日本のここ数十年のあり方ではなかったのか。まじめな人はそれでノイローゼになり、そうならないためにはズルく立ち回ることを覚える以外にない。「たてまえ」と「ホンネ」は限りなく乖離し、ダブル・スタンダードを「賢く」使い分けることに良心の痛みを感じなくなっていく。そうした大人が、次の世代を「育てる」というのだから、どんな育て方になるのやら。現に、家庭でも多くの団体・組織でも、次の世代を育成することが困難になっているではないか。「子供たちが変わった」とか「最近の若者は分からん」というが、若い世代を「訳の分からない存在」にしているのは誰よ? 毎日のように、大人が「ごめんなさい」と頭を下げるシーンを見せられて、「素直に謝っている大人は素敵だ。私もあのようになろう」などと感動する子供がいるものか。「あいつ、気にくわねぇ」「大人は、言うこととやることが違う。信用できねぇ」と軽蔑し、かつ、やがて同じことをやる人間に育つのではないのか――。そんなことを思いつつ、「卑怯にして未練、未練なるは斬る!」のセリフを思い出してしまった。もちろん、人を斬ってはいけない。卑怯な「心」を斬らねば。
2007.01.21
あえてタイトルを「歌でも歌いましょう2007」にはしない。カテゴリーも「Hobby」ではなく「Life」だ。替え歌にするようなひらめきもない今夜は、そのまんまの歌詞を書くしか能がない。単なるお仲間ではなく、志を同じくする「戦友」に捧げる歌=「ガイキングはおれだ」!「握るレバーに 血潮が通う ロボットだけどガイキング お前は俺の 強い身体だ 俺はお前の 熱い心だ 二人で一人 同じ命 どんな敵にも負けないぞ ガイキングはおれだ お前以上の 仲間はいない ロボットだけどガイキング お前は 涙知らないけれど 俺は 変わらぬ友情に泣く すべてを許す 男と男 力あわせて戦おう ガイキングはおれだ 俺の命は お前の命 ロボットだけどガイキング お前が死ねば 俺も死ぬだろう 俺の死ぬ時 死ぬかお前も 二人は同じ運命なんだ 地獄・極楽 一緒だぜ ガイキングはおれだ」
2007.01.20
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たとえ居眠りしようとも!
2007.01.20
早朝から日暮れまで、失敗の許されぬ仕事で拉致監禁。それでも、一定の緊張感を持ちつつも淡々と終える。午後あたりから急激に気温が下がったので、室内にいたとはいえ、気づかないうちに心身に負担がかかっていたかもしれない。と同時に、夜のサンダビーダ要塞にて、錯綜していた課題に光明が見えてきた。道なき道を拓くには、どこまでもどこまでも、心労を惜しまず言葉を惜しまず、誠実さを貫くしかないのだろう。「他人が作った土台の上に乗っかってあぐらをかくな」という、学生時代に受けたガイダンスを、去年・今年とわが身に体現している気がする。だが、こういう時にこそ、ドドッと疲労が襲ってくる。気を緩めてはいけない。大いなる味方をつけたということは、それだけ私が自分のなすべき課題に全力で挑戦し、勝利の結果を出して見せなければならないと言うことだ。今夜の疲労は、その「号砲」ということにしておこう(発熱でもしなきゃいいが…)。
2007.01.20
人々の連帯・団結にひびを入らせよう、分断させよう、という「悪意」の魔力は、知らず知らずに、多様な形(怒り、嫉妬、ルサンチマン、等々)をとって心の中に忍び込んでくる。「将の将」たるもの、まずは自分の己心のそうした魔力と戦い、制覇しなければならない。おや、今日は世間一般では、大学センター試験の初日だ。
2007.01.20
『銀河烈風バクシンガー』第2話「『烈』の旗の下に」ではない。百獣の王・獅子。わが地域では、「獅子王」と書いて「らいおん」と読ませる(ひらがなだというのが面白い)。愚劣さと足の引っ張り合いという泥沼の現実から逃げず、しかもそれに染まらず、耐える時は耐え抜き、叫ぶ時には叫ぶ。「雄叫びが 電光石火の一撃を呼ぶ」とは、「復活のイデオン」の歌詞の一節ではないか。「獅子は吼えてこそ獅子だ」と言われる。四六時中キャンキャンわめくのは困りものだが、しかし叫ぶ時に叫ばなければ、犬にも劣ってしまう。しかも「獅子」は同時に「師子」とも書く。師も吼え、弟子も吼える。「心」を合わせて揃って吼える時、現実変革の力が湧く。「獅子」の旗は、ダテじゃない。シュテッケン・ラドクリフにならって――「『烈』の花火の打ち上げだ!」。
2007.01.19
『太陽の牙ダグラム』第50話ではない。己れのもろさを思い知った1日。新年度の東京での仕事に関する書類に決着をつけ、英文拙著を1冊なつかしい友に郵送準備し、近々に提出しなければならない原稿に着手し…と、決して悪くない日中だったはず。ところが夕刻、悪意と愚劣さの支配する場にたかだか60分拘束されるだけで、自身の心が黒々と塗りたくられてしまった。その時は気づかなかったのだが、わずか1時間後には、その自分の心との戦いが待っていた――。「確信」と「慢心」、「謙虚さ」と「卑屈さ」。これらは常に表裏一体の関係だ。少々の悪意や愚かさにいちいち心が紛動されないだけの「確信」は絶対に必要だ。しかし、それがいつしか「増上慢」に質的変化してしまうと、ろくなことはない。そして、それに気づいた時に自己嫌悪に落ち込むのは、「謙虚さ」とは似て非なる「卑屈さ」だ。「確信」が、ただ堅いだけのエセ強さだと、いざという時にもろい。真の強さとは、堅さにではなく、しなやかな柔軟さにあるからだ。このことは、10数年前の留学時代から、これでもかと自分に言い聞かせ、百も承知のことであるはずなのだが…。人生の戦いに勝とうとする者ならば、何ものにも揺るがない堂々たる「確信」と同時に、細心かつ繊細な「謙虚さ」をも持ち合わせなければならない。これこそ、「戦う者の掟」とでも言えようか。改めて、多くの方々に支えられている自分であることを自覚せざるを得ない。盟友・K森氏をはじめ、M里氏、M上氏、I渕氏、O串氏、T木氏、M川氏…。支えていただいているという事実への「感謝」の念を忘れたら、私は生きるに値せぬ。
2007.01.18
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英文拙著 Democracy and Mass Society (学術出版会、2006年)が刊行されて、約1年。やはり、日本の出版社から出された英文図書というのは、売れないものなのだろう。Webcat などで、所蔵してくださっている大学図書館を検索すると、去年からほとんど増えていない。まして、海外の図書流通ルートに乗っているとは思えないから、英米の書店に置いてくれるはずがない。アメリカや UK のアマゾンで検索したって、出て来やしない(日本のアマゾンで検索しても、「和書」扱いなのだから…苦笑)。それでも、David Held 教授のおかげでロンドンの LSE図書館に、また Amy Gutmann 学長のおかげでペンシルバニア大学図書館に、さらには Dr. Tony Lynch のご厚意でエディンバラ大学図書館に、所蔵が確認されている。が、これらは図書館で買ってくれたのではなく、彼ら・彼女らに私から送ったものがそのまま図書館行きになったことは、まず間違いあるまい。ケンブリッジ大学には私が郵送で寄贈し、受け取ったとの返信までもらったのだが、同大学図書館をウェブで検索しても、英文拙著はヒットしない(なぜだ~!?)。しかも、肝心のわがシェフィールド大学には、図書館では所蔵されていない。手元に若干残る分を、どう価値的に用いるか――?
2007.01.18
1995年1月17日、私はシェフィールドにいた。4日前に、英国のある民衆指導者が逝去し、そのお通夜に行くため、知人の車で大雨の中をロンドンに向かっていた。その車中の、入りの悪いカーラジオで、日本で大きな地震があったらしいことを知った。だが、神戸だとは思わず、ラジオからの声は「ヨコハマ」云々と言っているように聞こえた。夜、疲れてロンドンから戻ると、下宿先のランドロードが私の帰宅を待っていたかのように、「お前の家族は大丈夫か!?」と咳き込んできた。まさか、そんな巨大地震で壊滅的になっているなどとは想像していなかった私。初めて BBCテレビで、神戸の震災を知ったのだった。英国はドメスティックなニュースしか扱わない傾向性にあることは有名だったが、それから約1週間は、BBC ニュースのトップは阪神淡路大震災であった。同じ年、地下鉄サリン事件が起きた時も、1週間英国メディアのトップニュースをさらっていたが。あれから12年――。直接・間接に、私にも影響のあった大震災ではあった。
2007.01.17
おぉ、今年初である「歌でも歌いましょう」。1972(昭和47)年放映の『変身忍者 嵐』より、テーマ曲「嵐よ叫べ」。疲れ切った身体に、闘志を奮い起こすドラゴン山田であった…。「きらめく稲妻 とどろく雷鳴 吹けよ嵐 呼べよ嵐 嵐よ叫べ 変身 変身 影うつし 正義の忍者 空駆け見参! 嵐 嵐 我が名は嵐 変身忍者・嵐 見参! うずまく竜巻 とどろく地鳴り 吹けよ嵐 呼べよ嵐 嵐よ叫べ 変身 変身 影うつし 正義の忍者 地を割り見参! 嵐 嵐 我が名は嵐 変身忍者・嵐 見参! ひらめく大刀 とどろく鍔鳴り 吹けよ嵐 呼べよ嵐 嵐よ叫べ 変身 変身 影うつし 正義の忍者 雨より見参! 嵐 嵐 我が名は嵐 変身忍者・嵐 見参!」
2007.01.17
すっかり忘れていた。1月16日は、私にシェフィールド大学よりPh.D.が授与された卒業式の日だ。2003年のことだから、もう4周年ということになる。いかんなぁ、あれから少しも成長していない…(汗)。(1月25日記す)
2007.01.16
帰国して9日。1時間の時差ボケを治すのに1日かかる、という計算になると聞いたので、それで行けば今日で時差ボケが治る話になる。が、時差ボケだけの問題ではなく、疲労の蓄積がいかんともしがたいのを感じる。もはや、20代のようには行かない…当然のことではあるが。夜のサンダビーダ要塞は、久々の雨になる。渡英中にカーディフで折り畳み傘を突風で「破壊」されて以来、長い傘以外に持っていないので、いざという時の備えができていない。今夜は小雨程度で済んだからよかったものの…。久しぶりに言葉を交わした Aさんから、「時差ボケがあったことを忘れましょう」と含蓄あることを言われる。明日からは、ノーマルな生活に戻れるだろうか。
2007.01.16
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ここしばらく、三島は晴天続きである。センター試験がある週末は、ちょっと心配であるが。重い身体を引きずっているが、それでも、できることを1つでも2つでも、目潰ししていく以外に前進はない。焦らず、しかし着実に…。そんな折、アマゾンで私費購入した書籍が、わ~い届いた届いた。どうせ読むのはまだ先だが(苦笑)。・マルティン・ブーバー、植田訳『汝と我・対話』(岩波文庫、1979年)・Dryzek, John S., Deliberative Global Politics (Cambridge: Polity Press, 2006)・Mutz, Diana C., Hearing the Other Side: Deliberative versus Participatory Democracy (Cambridge: Cambridge University Press, 2006)・Talisse, Robert B., Democracy after Liberalism: Pragmatism and Deliberative Politics (London: Routledge, 2005)「他者なくして自己なし」「汝あってこその我」という論理を、政治理論・デモクラシー理論・シティズンシップ論の中でどう練り上げていくのか――長い長い、気の遠くなりそうな課題である。が、「分断化された世界・社会において、いかに対話の回路を張り巡らせて行くのか」という課題が、デモクラシーの問題として多く語られだしているのは、非常に心強い限りである。私の場合も、こうした着想を得た萌芽段階は1990年にまで遡るが、それを研究のメインテーマにするのはこれからのことなので、どこから手をつけていいか途方に暮れていたから…。これはまた、政治思想・社会思想と、国際関係論・国際政治学を架橋する、という大きな課題をも伴っているのだろう。
2007.01.16
今年になって2回鍼灸に行ったが、翌日に疲労がドドドと襲うというパターンを繰り返している。いかん…。
2007.01.16
13日(土)に引き続き、今年2度目の鍼灸へ。尿管の詰まり、および胆道の弱さは相変わらずだが、それでも土曜日に比べれば格段に体調はよくなっている、と S山師がのたまう(それほどまでに、土曜日は「最悪」だったらしい)。だが、頭皮にはかなりの個所に灸の治療を施してもらう。頭部を触られるとやたら痛いのは、血流が悪いためで、それが原因で疲労が抜けるのを妨げられる――のだそうだ。いつものことだが、頭に灸をすえてもらうと、非常に体が軽くなったように感じる。が、今日はその数時間後、逆に疲労が出てきている気がする。食事に気をつける以外にない、というのが S山師のいつもの指示。やはり、小麦粉ダメ、鶏肉ダメ、魚介類ダメ、牛乳ダメ、等々という原則を守らないといけないようだ。渡英中もそうだが、ここしばらく食生活が乱れているからな…。
2007.01.15
2月頭までに使い切らなければならない研究費。発注した本がなかなか届かず、もどかしい日々が続いていた。予算を使っていないのではなく、注文したものが届かないから精算ができない、となると、翌年度への持ち越しの手続きもしなければならないし、それも期限が迫る。さぁ、どうなる?…と思っていたら、今日の午後、発注していた洋書の内7冊が届いたと知らせが。特に、Michael Saward eds., Democracy: Critical Concepts in Political Science, 4 Vols. (Routledge, 2006) が間にあったのは大きい! これが、研究費の予算のかなりを占めていたからだ。よしよし! 請求書の金額を計算してみると、あと1万9千円ほどにまで残額が減った。まだ未着の洋書が2冊あり、この金額がいくらになるかによって、さらに計算が変わる。アマゾンなどで調べる値段より、1.5倍、場合によっては2倍近い金額の請求書がくる洋書。今月中にこの2冊が届くかどうか、予算を使い切れるかどうか、逆に予算オーバーにならないかどうか、ギリギリまで読めないのでドキドキである。
2007.01.15
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夕べ寝たのは深夜3時を過ぎていた、が、何とか起きた。取り急ぎ、『政治変容のパースペクティブ』2刷目用の修正と、「後期カール・マンハイムの政治思想的考察・序説」(二)の再校(校了)を、午前中に一気に投函する。他にも、依頼されている原稿がいくつかあり、早々に決着をつけなければならない。
2007.01.15
滞っていた年末年始の渡英の記録更新だが、未明にかけてようやく一段落。しかし、きっとまだまだ、書き残しなどがあるのだろうな。それに、デジカメで撮った写真のデータを未だにパソコンに移していない。旅の後始末が本当に終わるのは、まだ先なのだろう…。
2007.01.15
帰国してちょうど1週間。いくら昨日、鍼灸で少しばかり癒されたと言っても、体調のすぐれないことに変わりはない。朝、目覚ましがなっても30分は布団から動けなかった。這い出るように起床。私の目を覚ましたのは、ある新聞で紹介されたグラスゴー大学の記事だった。午前中から転戦し、しばらくぶりに盟友・K森氏と食事しつつゆっくり語る。午後はさすがにダウンしたが、夕刻の地域の discussion meeting には渡英のお土産を持っていかなければならなかったし、その後、伊豆長岡に走る用事が入っていた。所詮、人材育成の鍵は、「誠実であること」と「基本を外さないこと」、この2点に尽きるか――。いくら最初に「基本が大事だ」と言っていても、そのうちそれを忘れて、うやむやにしてしまう…というのがよくあるパターンであるならば、「パターン破り」をしなければ。「パターン破り」こそ、へそ曲がりの私のお家芸でもあろう。なかなか目に見える結果は出ないが…。(1月15日記す)
2007.01.14
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