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おぉ、1月の晦日に、1991(平成3)年のエディンバラ留学時に実質8カ月ホームステイさせていただいた Grant氏より、「Happy New Year」のメールが届く。私が年末に投函したグリーティングカードへの返信のようだが、そんなに郵便が届くのに日数がかかったのか?それにしても、国境を越えてやはり有難きは恩人である。(2月1日記す)
2010.01.31
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心の疲れが取れず、文字を目が拒否する午後、妻に勧められたのが、河合隼雄『こころの処方箋』(新潮文庫、1998年)。これは、はまる。
2010.01.31
またも18時から NHK ハイビジョンで観る、大河ドラマ『龍馬伝』第5話。桂小五郎と共に、間近で巨大な黒船を見た龍馬にとって、剣を極めることの意味が解らなくなるのは当然だったかもしれない。土佐の実家には「外国人を斬る」などと勇ましい手紙を書き送るが、それが龍馬の本心でないことを見抜くのは、さすがは姉・乙女。「他の人間と同じになってしまっては、自分が何をなすために生まれてきたのか解らないではないか」と――。
2010.01.31
年明け早々、複数の「極限」を味わったが、1月も今日で終わり。2010年も、12分の1がすぎたか…。
2010.01.31
富士山見たさに、妻と沼津方面に車を転がす午後。いつも沼津港周辺には行っているが、展望台「びゅうお」にはまだ行ったことがなかった。港口公園の駐車場に車を止め、晴天の富士を仰ぎに「びゅうお」に昇る。ちょっと雲があるが、なかなかの富士山が拝めた。また、アルプスや、先日車を走らせた西伊豆方面なども、よく見えた。地上を車で走っているだけでは、位置関係が分らないものだ。鮪いくら丼の食事を済ませた後、千本浜の海岸を歩く。通算で16年も三島に済んでいるというのに、千本浜に来るのはこれが初めてなのだ! 海岸線は砂浜ではなく砂利である。「東海のコート・ダ・ジュール」と呼ばれる由縁か(誰も呼んでないって!)。富士、松林、そして波。自然に触れるのは大事なことなのだ。特に、「故障者リスト入り」する今の私にとっては…。(2月1日記す)
2010.01.30
4月に結婚式を挙げられる M月氏が、わざわざ招待状を私に手渡しするため、12時にうちに来てくださる。有難い。
2010.01.30
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「怪我の功名!」――言うまでもなく、『伝説巨神イデオン』第32話「運命の炎のなかで」でのイムホフ・カーシャのセリフだが…。この日、都内での仕事の打ち合わせが深夜までかかってしまった。慌ててタクシーを飛ばし、東京駅に向かったが、普段なら新幹線が残っている時間ではない。しかし、日中品川~小田原間で起こった事故によってダイヤが大幅に乱れてくれていたおかげで、まだこだま号が残っていた! 助かった。まさに「怪我の功名」である。もっとも、三島にすんなり帰れたわけではない。熱海駅到着直前に、「新幹線構内に人が立ち入った」とのことで停車。しばらく動かなかった。三島に着いたのはほぼ0時半。日付変更線を越えてから妻に車で迎えに来てもらうのは、結婚して初めてのことであった。(2月18日記す)
2010.01.29
3度目の御徒町。I本氏と種々面談する。以下はすべて比喩である。過去から現在に流れてきている「トラック」。それに引きずられるのが人間の性ではある。しかし、今から新しい「トラック」を作りゆくのも、また人間である。新しい「トラック」作りに必ず伴うものは、過去「殺し」である。しかし、「殺し」たと言っても、過去がなくなるわけではない。折に触れて、過去が顔をのぞかせる。だが、それを否定する必要はない。これまで慣れ親しんだものが出てくるだけの話だ。ちょうど、たとえ新幹線を敷設したとしても、旧来の SL の存在自体をなかったことにする必要がないのと同じだ。懐かしい D51 が現れたと思えばよい…。かなり、救われた。「やぁ、でごいち、お久しぶり。私は新しい人生に生きますから。以上。」(2月18日記す)
2010.01.29
教育の本義は、人間自身をつくることにある。教育は、知識を糧に、無限の創造性、主体性を発揮しうる人間を育む作業である。知識の吸収は、進展しゆく社会をリードするうえで、必要不可欠な条件ではあるが、知識それ自体は、創造性とイコールではない。内なる可能性の発露こそが教育であり、知識は、それを引き出す起爆剤といってよい。
2010.01.29
久々に東京である。雨が昨日で助かった。
2010.01.29
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イギリス放映版と日本放映版とでは、エピソードの順番が異なる『謎の円盤UFO』。改めて、オリジナルに近い順番でストーリィを追わねば。
2010.01.28
訳あって、去年自分が書いた2本の論文(まだ活字になっていない)を読み直す午後。自分で言うのもナンだが…、これだけ仕事をすりゃ体を壊すわなぁ。もっとも妻に言わせれば、私が健康を害したのは別に去年なわけではなく、それ以前からなのだが(汗)。
2010.01.28
ブログのデザインを、久方ぶりに変更した。これまではブルー系が主だったが、めずらしくピンク系にしてみた。春よこい…。
2010.01.28
ここのところ晴天続きだった三島(ただし、富士山が見えていたかどうかは別問題)だったが、久々の雨となっている。ひとり、もろもろ考える。・「過去」を生かし、「未来」を開くためにも、すべてのカギを握っているのは「現在」だ。「今」「ここで」どう生きるか、だ。・人間の価値とは、所詮、人としての「格」(人格、品格、等々)に尽きるか。その人の持つ品性というものは、見る人が見れば判ってしまうものなのだな。
2010.01.28
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日本語吹き替え版だと、まるでキャラクターの印象が違う――『謎の円盤 UFO』で、よく見知ったエピソード「E. S. P.」を、昨日・今日とで日本語版で観る。それにしても、途中で日本語が途切れて字幕になるシーンがあるのは、1970年代に日本で放映された時にカットされた部分なのか?
2010.01.27
夕刻、学生時代の恩師の一人である Y幡先生にお電話し、いささか長電話する。私の体調をすごく心配なさっていたということなので、詳細を報告した次第だ。ちょうど帰宅する途中、「人間とは、どこまでの苦痛に耐えられるものなのか」とふと考えていたが、先生からまさにその話が出た。人間とは、そんなに強い存在ではない。理不尽な状況の中に長くいると、防衛本能によってその場に「適応」してしまう。しかし、それは「生きながらの死」につながりかねない…etc.。
2010.01.27
戦い済んで、富士山も夕陽に赤く照らされている。――神経を張り詰める仕事を目の前にすると、何となく落ち着かない。それでも、一労働者として果たさなければならない務めは、心してかからなければ。
2010.01.27
2009年度の研究費の清算が完了した。1つ1つ、けりをつけて行かないと、安心して「故障者入り」できんからな。
2010.01.27
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3月刊行予定の改訂版『政治変容のパースペクティブ』(ミネルヴァ書房)。初校をようやく投函する。
2010.01.27
八戸から三島に移ることに決まって、購入したホンダ・アコードワゴン。来月で、購入10年となる。今日は定期点検だったが、10年も乗っているとあちこちガタがきているのだな。タイヤの空気が次第に抜けてしまうのも、タイヤ自体ではなくホイールの問題だったらしいし、何よりもブレーキ・ディスクのパットが擦り減っていて交換する必要もあった。おかしいなぁ、定期的に車検を受けてきたというのに…。しかも、90分で終わるものと思っていたのに、それ以上の時間がかかると言われた。こちらは医者に行くんだぞ。幸い、代車を用意してもらえたので、それで医者に行くことに。通常の代車がすべて出払っていたので、何と新車のインサイトが準備された。生まれて初めて、ハイブリッド車なるものを運転したぞ。医者からホンダに戻ったのは夕刻だったが、今回の点検のお値段は予想を大幅に上回るものとなってしまった。
2010.01.26
27th, as well.
2010.01.26
家賃を支払った後、以前からお世話になりながら随分ご無沙汰してしまったパステル画家・K藤さんの個展をのぞきに行く。実はこの個展の情報、K藤さんを全く知らない妻が、習い事で一緒の別の方から知らされ、そのハガキを見せられた私が「え~っ、あの K藤さんではないのぉ?」となった次第。人の縁とは不思議なものだ。K藤さんとは、サンダビーダ要塞でごくたま~にお顔を拝見する程度になってしまっていた。また K藤さんご自身、私にも個展の通知を送ってくださったらしいのだが、私が今のマンションに転居する前の光ヶ丘の住所あてに投函され、戻ってきてしまい、私がもういなくなったのではと思われていたらしい。いえいえ、今だ三島市民です。妻と初対面だった K藤さんから、特製カレンダーを頂戴してしまった。
2010.01.25
18時、NHK ハイビジョンで観る『龍馬伝』第4話。江戸に「おのぼりさん」状態でやってきた龍馬は、千葉道場に入門。しかし、土佐の姉からは「剣術ばかりに夢中になって、『広い世の中を見る』という初心を忘れるとはどういうこった」と厳しい叱咤の手紙が。やがて…浦賀に現れた黒船によって、剣術など無意味になる時代の到来が。それにしても、第4話にして早くも桂小五郎(ケイ・マローン)と龍馬(オズマ・ドラーゴ)が対面するとは。(1月25日記す)
2010.01.24
見るともなく見てしまった、NHK ハイビジョンのバチカンの番組。苦悩に満ちたミケランジェロの長い人生と、幸福に満たされたラファエロの短い人生と…。妻からは、私はミケランジェロ・タイプと見えるのだろう。むむむ。それにしても、学生時代からヨーロッパとの付き合いは長く、いろいろな場所に行ったりしたが、その歴史的背景を満足に勉強しないまま行くだけ行った、という次元なので、旅行した経験が少しも自分の血肉になっていないことを痛感せざるを得ない(涙)。ヨーロッパ近代初期、ルネサンスと宗教改革、美術史に建築史…学生時代からの宿題だよなぁ。(1月25日記す)
2010.01.24
1月は長かったかあっという間だったか、と尋ねられると、答えに窮する。実は、満足に休んでいないからだ。特にこの1週間あまりは、過酷だった。そのつけかどうか、今日はほぼ終日「ふぬけ」であった。ソファに腰を下ろしたまま居眠りすると、普通は肩が凝ったり背中や腰が痛くなったりするのだが、それでもzzz…であった。ちっとは楽になったか?(1月25日記す)
2010.01.24
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すでに1970年代初頭、廃棄される兵器による地球環境破壊(人類の滅亡)の危険性が語られていた、『謎の円盤 UFO』の「DESTRUCTION」(日本語版の題名は「地球最後の時」)を、途中まで再見する。(1月25日記す)
2010.01.23
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よっちゃん宅から帰宅すると、留守番電話が。去年のクリスマスにお目にかかった、新宿の S木氏からで、拙著などが届いたとのことであった。恐縮。(1月25日記す)
2010.01.23
午前中約2時間かけて準備し、昼過ぎによっちゃん宅へ。よっちゃん、ま~くん共に元気元気。それにしてもよっちゃんは、「私が主役よ!」とテンション高すぎ。弟のま~くんを邪険に扱うことしきり。ま~くんはま~くんで、泣きもせず、忍耐強いわぁ。(1月25日記す)
2010.01.23
韮山温泉からの帰り道、三島田町駅そばのスーパー・カドイケに立ち寄る。そこで、珍しいことに、貝殻に入ったつぶ貝を見つける。大きさがまちまちのものが8つ入ったパックである。すでにスライスされて刺身になっているものではないが、これはこれで美味しそうだ…と思って買い物かごに入れたのが、すべての間違いの始まりだった。帰宅して、つぶ貝をパックから取り出して真水で洗うと、貝がピッタリふたを閉じてしまった。ありゃ、こりゃ開かないわ。すこし時間をおくと、中には身が出てくるものもあり、これなら中身が取れそうだとばかりにクシでグサリ。ところが、すぐに中に引っ込んでしまい、いくら引っ張り出そうとしてもクシがすぐ外れてしまう。何とかクシを突き刺して引きずり出そうとしても、中に逃げ込もうとする貝の力の強いこと強いこと。いくら試しても、身を取り出すことに成功したつぶ貝は1つもない。その内だんだんと、生きている貝の身にクシを突き刺すのがかわいそうになってきた。しかし、このまま傷だけ付けて無駄にしてしまうのも、またもったいない。えぇい、ままよ、とばかりに熱湯に放り込んでみる。茹で上がったら取り出せるかもしれない、という発想だ。しかし、結果はノー。ほとんどはふたを閉じたまま死んでしまい、一番グサグサ突き刺したかわいそうなヤツは何と身が液状になってしまった。ほぼ唯一、中身が取れ出せたものがあったが、いざ口に運んでみると非常に生臭い。この臭い、かつて八戸時代に、出張の前々日につぶ貝を食べてその次の日に発熱した、その時の生臭さを思い出させるものだった。「こりゃいかん」と吐きだし、結局は8個すべて無残にもごみ箱行きとなってしまった。あぁ、悲劇以外の何ものでもない。成仏を願い追善回向するのみ。そして今後は、刺身になっているのを買うに限る、と学習したのであった(貝をさばける人にとっては、基礎的な話なのかも知れないが…)。(2月11日記す)
2010.01.22
県道18号線で修善寺まで来た。本来は、ここで日帰り温泉に入るはずだったのだが…裏切りだ~! お目当ての温泉施設の扉には、去年10月で営業停止しているという貼り紙がしてあるではないかぁ! だったらホームページも閉じろよぉ! 温泉しかないはずの修善寺も、先が見えたな。で、車を北上させ、伊豆長岡方面へ。大仁温泉にするか伊豆長岡温泉にするか、迷ったが、その辺には手ごろな日帰り温泉施設がない。目をつけたのが、行ったことのない韮山温泉・めおとの湯。短時間だったが、なかなかのお湯を満喫した。(2月8日記す)
2010.01.22
戸田から中伊豆方面に抜ける、県道18号線。細く、かなりくねくねした道路だ。初心者の山歩きにも適しているという金冠山の入口も、この道路沿いにある。さて、私たちのアコードワゴンの前を、軽トラックが走っている。これが怖い。何しろ、むき出しの荷台にパイプ類が無造作に積まれていて、カーブの度に左右にゴロゴロ転がっている。落ちるんじゃないかと、こちらは怖くて近づけない。追い越し禁止車線でもあり、そのトラックから距離を置いて走っていると、私たちの後ろには、いかにも追い抜きたそうなワゴン車が1台、ピタリとつけている。やがて、追い越し禁止の領域を抜けると、そのワゴン車がすかさず私たちを抜き、軽トラックとの間に入った。そしてほどなく右カーブになり、ワゴンはさらにトラックをも抜いた。その瞬間、妻と私は見た。路上に、何か砕け散った破片のようなものが散乱しているのを。そして、前のトラックの荷台から、ゴロゴロ転がっていたパイプ類の1つがなくなっているのを。きゃ~! 追い抜いたワゴン車の運転手も、肝を冷やしたことだろう。何せその人こそ、それが落ちる瞬間を目の当たりにしただろうから…。文字通り、恐怖であった。(2月2日記す)
2010.01.22
私がかつて戸田(今は沼津市の一部になっているが)を訪れたのは、小学6年の夏のはずだから、1978(昭和53)年以来ということになる。あの当時は、田子の浦からフェリーに乗って戸田に来たはずだったが、現在ではそのコースの運航はないのだろうか?…などということを、深海魚の昼食を終えた後で戸田港をぶらぶらしつつ、考える。深海魚を食すのは初めての経験であり、それなりに美味しかったのだが、潮の匂いが自分にはキツすぎた。いささか気持ち悪くなってしまったのは残念であった。(2月2日記す)
2010.01.22
自分で自分の顔を客観的に見ることはできない。つれあいがいてくれるからこそ、自分の顔に表れた健康状態が分るというもの。で、昨日・今日の私は、生命力をほとんど失った様子だったらしい。「ふぬけ」か?
2010.01.22
2006(平成18)年暮れ、カーディフで Carole Pateman 教授とお目にかかった際、うかがったのは、カーディフ大学とは以前ウェールズ大学の一部だったものが独立してできたものだ、ということだった。確かに、私が現役の学生の頃は、ウェールズ大学○○校という形で、複数のキャンパスがあったと記憶している。では、現在のウェールズ大学とは、どこにあるのだろうか? かつてウェールズ大学スウォンジー校とか呼ばれていたものが、それなのか?
2010.01.21
沼津の戸田には、深海魚定食を出す食堂があるそうな。なかなか食べられるものじゃないよなぁ。
2010.01.21
事実上最後の仕事を終え、クリーニング屋経由で市役所で用事を済ませるはずだった。にもかかわらず…、周到に準備をしたはずなのに、印鑑を持参するのを忘れたではないかっ! 無駄骨であった。あぁ、やっぱり壊れている。
2010.01.21
深夜、グラッと来て目を覚ますが、またストンと寝てしまう。朝、起床してニュースをチェックすると、2時59分に地震があったという。場所はやはり伊豆半島東方。現地は震度4だったという。阪神淡路大震災から15年、そしてハイチの大地震から1週間余り。去年から続く伊豆半島の地震も、まだ収まったわけではなかったのか…。
2010.01.21
沼津市民文化センターにて、ビクトル・ラバジェン楽団のドラマチック・タンゴ「伝統と革新」を聴く。日本公演は、この沼津公演を皮切りに、3月中旬まで全国各地をまわるらしい。生演奏を聴いて、心が動く自分が取り戻せるや否や。
2010.01.20
今日は暦の上では「大寒」らしいが、まるで4月のようなぽかぽか陽気である。もっとも、三島では昼過ぎから風が強くなってきたがな。それにしても、昨日・今日と、あくまでテレビでの気象情報レベルの話だが、1日の最低気温が県内で最も低いのが三島、日中の最高気温が最も高いのもまた三島。あぁ、オワっている。
2010.01.20
これまで、1963年という日付の迷惑メールが多かったが、今日受信したものは、さらにタイムスリップがパワーアップ。1938年だという。おぉ、第二次大戦開幕の時に送られたメールが、今届いたというのかっ。
2010.01.20
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研究費で一括購入をはかった藤田省三著作集(みすず書房)だったが、第2巻と第6巻が、版元で品切れということで入手できなかった。古本で入手、今日届いた。・第2巻『転向の思想史的研究』・第6巻『全体主義の時代経験』後者については、著作集に収録される前の1995(平成7)年刊のものも持っているが、今ではそれも品切れなのだろうな。そう言えば、久野収・鶴見俊輔・藤田省三の名著『戦後日本の思想』が、岩波現代文庫で蘇ったのだな。私は1995年の岩波同時代ライブラリー版で持っているが。そうか、1995年は「戦後50年」で、戦後日本の現代史・思想史への関心が高まった年だったのだな、うむうむ。
2010.01.20
17日(日)に観れず、妻に録画してもらっていた『龍馬伝』第3話を観る。どんなに才能があっても、厳しい社会的差別と貧困、そして誰も手を差し伸べてくれない状況の中で、どん底に固定されてしまう人間の「うめき」。それが、恵まれた環境の人間に分るのか。「お前と一緒にするな」という岩崎弥太郎の一言は、あまりに重い。
2010.01.19
今日の夕刻、JAL が裁判所に、会社更生法の適用を申請するらしい。天下の日本航空がねぇ…。
2010.01.19
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であった。リベラリズムと、コミュニタリアニズムと、多文化主義。この3つの複雑な関係性を整理するので精一杯であった。 (1月19日記す)
2010.01.18
やられているなぁ、うん、相当やられている…神経が。終末、突発的にパタパタしたからなぁ。休まる日はいつか?(1月19日記す)
2010.01.18
1995(平成7)年の阪神淡路大震災より、今日で15年。15年か…。神戸で焼け出されて英国で亡くなった Mさんの葬儀をして、この3月で15年が経つということか。
2010.01.17
私はそれなりに政治学なるものを勉強してきたつもりになっていたが、う~む、やはり分からない。例えば、以下のような発想だ。・検察は「権力」だ・国会議員は「国民の代表」であって「権力」ではない・だから「権力」と断固闘っていこうちょっと待って。「国民の代表」である国会議員や政権与党も、立派な「権力」ではないの? 権力を国民から負託されるからこそ「国民の代表」と言われるのではないの? 「国民の代表者であるわれわれ政治家は、権力である検察と闘う」みたいな物言いがなされると、頭が混乱する。よほど私の頭が悪いらしい。もちろん、検察を含めた法曹が常に正義とは限らない、というのはその通りだと思うが。かの野口英世も、今はの際で「私には分からない」という言葉を残したらしいが…。
2010.01.17
世間ではセンター試験の2日目。寒いながら晴天に恵まれた三島は、朝から富士山がバッチリ見えた。夕空もまた、きれいな様子である。受験生にとっては、長い闘いの週末であったろう。
2010.01.17
パタパタ…の合間を縫って、メールチェックをすると、University of Sheffield の政治学科の秘書・Sarah さんからメールが。クリスマスから比較的長い休みを取られていたようで、私が年末に送ったグリーティングカードへの返礼であった。シェフィールド大学も、不景気による財政難に直面しているようで、かつて私がいただいて救われた留学生用の奨学金「ORS」も、現在は廃止されてしまったらしい。さて、おととし(2008年)「シェフィールド殺し」をしてしまった私。彼の地を再び踏むのは、いつのことか…。Sarah さんは待っていてくれるようだ。(1月19日記す)
2010.01.16
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職場に届いていた。・飯田隆ほか編『岩波講座 哲学10 社会/公共性の哲学』岩波書店、2009年。・庄司興吉編著『地球市民学を創る――地球社会の危機と変革のなかで』東信堂、2009年。 (1月17日記す)
2010.01.16
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