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もう引退は時間の問題だと思ふ。彼女が華々しく登場し、近鉄特急の「顔」となったのは、今から40年以上前の小学生の時分だ(大阪在住時代)。ダイキャストスケールモデルの4両編成を祖父に買ってもらった記憶がある。型の問題なのか、先頭車は30000系でなくて明らかにスナックカーだったっけ。鉄道模型未満の「玩具」なので、何処かいい加減なところがあった訳だ。同じ近鉄車だけマシな方で、他の粗悪な商品ときたら、東急も京急も相鉄もみーんな国電101系に色塗っただけとか、そりゃねーだろ的な商品も多かった。まさにダイキャスト(金型)の御都合だった訳で、今思へば懐かしい。今回乗車するのは橿原神宮前発京都行~出発まで時間があるので、橿原神宮を参拝した。前回参拝時は青の交響曲に乗った。近鉄特急に乗るために神社を参拝しに行ってるやうなものだ。久々に訪れると、やはり景色も変はってゐた。のやうなキレイなラウンジなど無かったと記憶してゐる。前回は、橿原ホテル?なるラウンジで休憩したやうだが、今や更地になってゐた。小腹が空いたのでハットケーキと珈琲を。橿原は本当に静かな街だ。日本人がゆっくり休憩出来る観光地がまだ残されてゐたとはなぁ。帰りに埴輪饅頭を買って駅へ戻る。いよゝゝビスタカーに乗車!何で最近の近鉄特急まで「某名前も云いたくない球団」みたいな色彩になったのだろうか。昔の特急車両は赤ちゃんでも分かるぐらい色が統一されてたなぁ。記念すべきビスタカー初乗車。半世紀以上生きていて、何で一度も乗ったことが無かったのか自分でも不思議。小学生の頃の好奇心や夢が、中学を境にぱったり封印されてしまったまゝ数十年が経ち、今になって必死に思ひ出しながら「取り戻そうとする」自分がゐるのであります。ピアノすら四十年弾いてないのだ。幾度となく改修されたらしく、都落ち感は全く無い。エントランスには志摩スペイン村のキャラクターなるものが飾られてゐる。恐ろしいくらい記憶に残らないキャラクターだ(笑)。二階席に座るに決まっとる訳だが、やはり天井の圧迫感が一種独特。我々は、一番後ろの列の壁際に座った。改修前、一部の座席が回転不可で、知らない人間と延々睨めっこせねばならない恐ろしいことが起きたと云ふ。限られたスペースで作られてゐるから、何かと無理があったのだろう。もちろん、現在は全座席が回転出来るやうになってゐる。シートカバーは、近鉄特急の「顔」が描かれてゐる。鉄ヲタにとって嬉しいご配慮だ。其れにしてもビスタカーは揺れに揺れた。ひのとりの十倍くらい揺れる。重心が高いのと、やはり旧式の車両であることが理由であらう。何時引退しても不思議ではないが、まだゝゞ多くのビスタカーが稼働してゐるのは、やはり二階建て車両の貫禄故かも知れない。
2025.05.31
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四天王寺を見学した我々は、大阪阿部野橋駅に到着。此処から近鉄電車に乗るのだ。大阪阿部野橋~此のネーミングセンスが「ザ・関西の私鉄」らしくて萌え死にしそう(普通なら単純に「天王寺駅」となる訳だが)。是がどれだけ不思議な現象かと申しますと、例えば数多の路線が乗り入れる新宿で、京王線だけが「京王電車:東京淀橋駅」と名乗るやうな現象に近い。絶対違和感あるでしょう。大阪阿部野橋駅は、一路線ながら6面5線の櫛形ホームを備える大規模なもので、かうした光景は何だか欧州的であります。我々が乗るさくらライナーは、6番線の専用ホームから出発!今回は、記念に「デラックスカー」に乗車。此の車両は、荷物棚の下にも照明器具が設置されてゐる凝ったデザイン。奈良時代的むらさき色シートが、千数百年の歴史を誇る異世界への入口へ誘います。デッキを仕切る壁に、桜の飾りつけが。しかもちゃんと光ります。ドアの木目も吉野産木材を使用してゐるとか。車内に飲み物の自販機があるんだけど、残念ながらハルカスで事前に買ってしまってました。だって「セイコーマート」ですよ。懐かしい!お菓子はもちろん、ユーハイムのバウムクーヘン!さくらライナーの愉しみ方は他にもありまして、先頭車に展望スペースまである。ガラス張りなので眺望が素晴らしい!ちょっと腰かけて居られる設備もある。展望室に入り浸ってたら、せっかくのデラックスシートがもったいないし、何とも悩ましい。こんな感じで、南大阪線の旅を愉しむ。列車は、古墳が犇めく歴史深すぎ南大阪界隈を、文字通り古墳の間を縫う急カーブを通り抜けまして、いよゝゝ奈良県内へ。二両編成で走るレギュラー車両特急と一瞬だけすれ違う光景は、まさに近鉄電車の世界。幸せ過ぎる!橿原線で八木西口へ橿原神宮前駅に到着~此処から橿原線に乗り換えであります。南大阪線と橿原線は、レールの幅が違うので相互乗り入れ出来ない。なので必ず構内を行き来する必要があって、其の為か構内にお店が結構充実してゐるのであります。八木西口駅を降りて今井町を散策~堺のやうな、戦国大名からも独立した自由都市みたいな存在で、往時の風景をみんなで頑張って再現しちゃいました感が満載のスポット。此の風景の中にも、医療機関とか普通に混じってます。電線も極力地中化、道路を舗装する際にも「土みたいな」色合いを再現。街灯は無い訳にもいかないから大正時代風にまとめてます。江戸時代と大正時代の構造物はちゃんと調和するんですね。結局、高度経済成長以降の構造物が、日本の原風景をぶっ壊したと云へるのか?或る資料館の館内には、日本放送協會が朝ドラのロケに使った「証拠品」が自慢げに飾られてゐる。明治大正昭和初期を再現するのに重宝されてゐる訳だ。其れだけ完成度の高い街だが、とにかく静か。中国人が大声で走り回ったりする光景など皆無で、小鳥のさえずり音しか聴こえない。今井町を軽く一周して、そして八木西口から橿原神宮前駅に戻って来ました。ホントに此処も静まり返ってゐます。我ら日本人がゆっくりくつろげる数少ない街であります。京都行ビスタカーに乗る前に、神宮でも参拝しませう。
2025.05.25

所用で大阪入りしたのだが、大阪万博によりホテルは何処も満室。天王寺周辺のホテルも同様で、何とか探し当てたのが茶臼山。例の「入口にあるヒラヒラ」も無く、普通のホテルを装ってをる処だが、昔は「ラブホ」だったかも知れない。まぁ嫁さんと泊まるのに、ラブホだって何だって構はないのだが。処が、廊下に「緩降機」が設置されてゐるのを見て、消防設備士の免状を持ってる拙者としては少々身構へてしまった。階段が一箇所しか無い建物だからだ。此の器具は、ベルトで体を巻き付けてロープでもって下へ降りるのだが、いざと云ふ時冷静に操作出来るか自信ない。翌朝~四天王寺まで散策をまぁ何とか火事もなく無事に夜が明けてチェックアウト。時間があるので四天王寺まで散策することにした。先づは茶臼山の歴史を説明した記念碑が味わい深いのでご紹介。「茶臼山歴史について!」と、びっくりマークの付いたお題も味わい深いが、よくゝゝ見ると、普通に句点を打っていゝ処が全部「びっくりマーク」になってゐる!まぁ戦国時代の説明だから、歴史的大事件の舞台になったことを強調したいのかも知れないが!「(真田)幸村は信州の田舎の住人で、」と云ふくだりにアクエリアス吹く処だった!ラブホ街には寺社もあって、統国寺の境内には「ベルリンの壁」が展示されてゐる。東ドイツヲタクの拙者にとって見逃せないスポットだ。谷町筋へ出た。此の界隈なら何処を歩いてもハルカスが見える。谷町筋をちょっと北へ歩くと、日本バプテスト大阪教会の瀟洒な建物が。そして四天王寺に到着。此処だけちょっと飛鳥時代なのであります。ハルカスと五重塔が並んだ光景も素敵ですね。歴史の大舞台となった茶臼山界隈~ほんの数百メートル歩いただけで、ラブホテルにベルリンの壁に飛鳥時代のお寺さんと、ディープなスポットに溢れてをります。
2025.05.18
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